第364話 キミが笑う未来のために篇② 幕間・迷宮討伐出発の朝〜おはようと行ってらっしゃいのキス

 ――この子は正真正銘あなたの子供です。


 ――まだわかりませんが、でもきっと男の子です。


 ――大丈夫、あなたに迷惑はかけません。


 ――安心して、エアリスちゃんとセーレスちゃんを幸せにしてあげなさい。



 * * *



「はッ――」


 と、目を覚ます。

 龍王城の自室のベッドの上。


 何か夢を見ていたような気がするが思い出せない。ただものすごく胸が苦しい



 隣には首元に抱きつくセーレスの姿がある。


 ――このまま再び寝てしまいたい。

 セーレスのすべすべの身体を抱き寄せながら二度寝をしたい。


 だがそれはできない。

 何故なら――


『タケル様、おはようございます。予定した時刻ですよー』


 プルートーの鎧を自立可動させながら真希奈(人形)が現れるからだ。


 夜、みんなが寝静まっている間、僕よりもずっと睡眠を必要としない真希奈が、実質的に城の警備を担ってくれている。


 もし万が一勇気ある賊が侵入しようものなら、真希奈が操るプルートーの鎧によって直ちに捕縛&制裁が行われることだろう。


「お、おはよう真希奈。いつも起こしてくれてありがとう」


 僕は真希奈がドアを開ける直前、ベッドから飛び降り、いかにも声をかけられる前から起きてました的雰囲気を醸し出しつつ、おもむろにパジャマのボタンを開け、上半身を露出させる。


『とんでもありません! タケル様を毎朝起こすのは真希奈の喜びです! ああ、お着替えをなさるんですね、失礼しました。それでは真希奈も出発の準備をしておきますので――』


「う、うん。下で待っててよ」


 バタン、と扉が閉じられる。

 ほっ、どうやらシーツで隠したセーレスには気づかなかったようだな。


「セーレス、セーレスってば」


 ベッドに片膝をつきながらシーツをめくり、熟睡しているセーレスの肩を揺さぶる。


「むにゃ……もう食べられない」


 ベタな寝言ですね。ちくしょう可愛い。


「セレスティアが起きる前に部屋に戻らないと、また泣き出すぞ?」


「それは……かわいそう……くう……」


「寝るな寝るな」


 温泉から帰還したその日の夜から、僕の寝室を毎夜セーレスが訪ねてくるようになった。


 といっても、色気のある話ではなく、夜中になると、寝ぼけたように部屋まで来て、そのまま僕のベッドで寝こけるようになったのだ。


 最初はビックリした。

 仕事の関係で各所に引っ張りだこだった僕は、そのまま気絶するように寝ていた。


 それが突然、衝撃と痛みと超いい匂いに目を覚ました。原因は寝ている僕にダイブしたセーレスだった。


 とにかく彼女は寝付きがよく、朝まで目覚めることがない。


 リゾーマタのあばら屋にいたときからそれはわかっていたので、僕は早々に彼女を起こすのを諦め、あの頃のように彼女を隣に侍らせながら眠りについた。


 翌朝、「お母様がいないー!」とギャン泣きするセレスティアの悲鳴が轟いたのは言うまでもない。


「はあ、しょうがない。真希奈にかち合いませんように――と!」


 僕は着替えを済ませ、ダフトンで一般的な冒険者の装いになると、セーレスをベッドから抱き上げた。


 彼女の身体はビックリすほど軽く、そして華奢だ。なにか繊細なガラス細工を扱っているような気分になりながら廊下に出ると――


「タケルぅ〜」


「うわ、ちょっと!」


 お姫様抱っこをしていたのだが、そのまま首っ玉に抱きつかれた。


 そう、セーレスは寝ている時に近くにあるものをハグするくせがある。


 そのホールド力もさることながら、抗いがたい彼女の温もりと匂いに頭がクラクラしてしまう。


 わざとなのかな。それとも僕が情けないだけなのか。いやまあ、そんなことやってる場合じゃないっていう感じもするけど。


 僕が抱き上げているんだか、セーレスが抱きついてるんだかよくわからない状態で城の廊下を歩く。


 窓の外はまだ日が昇らず真っ暗だ。廊下の各所に灯された鬼火がなければ、オクタヴィア辺りならすっ転んでるかもしれない。


「ほら、セーレス、着いたぞ。離してくれ」


 セーレスの部屋。

 診療や整体に使う施術台が置かれている以外は大きなベッドとクローゼットがあるだけの部屋だ。そしてベッドの中には天使もかくやというセレスティアが寝息を立てている。


 その隣にそっと彼女を下ろそうと身を屈めるのだが、セーレスは存外強い力でしがみついたままプラーンとぶら下がる。


「セーレス、いい加減に……」


「ちゅうしてくれないと離さない……むにゃ」


 なんですって?

 僕は一瞬真顔になり、すぐ眼前のセーレスを見やる。


 安心しきった寝顔。彼女の人生の殆どは孤独に彩られている。


 一年前、ようやく僕と出会い、紆余曲折がありながらも、今はみんなで家族のように暮らしている。


 もうセーレスはあの頃には戻れないだろう。

 僕だって戻すつもりもない。


 とにかく、ひとりぼっちだった頃とは違い、色々と甘えん坊になってしまっているのは確かだった。


「しょうがないな」


 などと口では言いながら、たっぷり時間をかけてキスをする。


 果たして無意識なのだろうか、するするするっと首の拘束が解かれ、セーレスは幸せそうな顔のまま全身を弛緩させた。支えながらそっとベッドに寝かせる。


「じゃあ、行ってくる」


 返事はない。代わりに母子の頭をヒト撫でずつしてから部屋を出た。



 *



『遅かったですね、タケル様』


「ああ、ちょっとトイレにね」


 食堂まで降りていくと、そこにはプルートーの鎧と真希奈(人形)と、鎧が手に持つスマホ、そしてメイド姿で朝食の準備をするエアリスがいた。


「おはようタケル。昨夜は眠れたか?」


「ああ、何度か起きたけど、まあ大体は……」


 起きた原因はセーレスだ。

 いきなり倒れ込んできたり、抱きつきながらムズがったり、寝相が悪くてエルボーを食らったりしたが、そんなものはリゾーマタ時代から慣れっこである。


「簡単に食べられるものを作っておいたぞ」


「おにぎりじゃないか」


 日本に住んでいた頃、彼女が作ってくれていたメニューだ。


「中の具は昨夜のシチューを入れておいたぞ」


「あ、ああ、そう。それは楽しみだ」


 おにぎりの具なんて余り物でいいんだよ、と教えたのは僕だが、よりにもよってシチューとは。そのあたりはまだまだ不慣れなんだなあ、と思う。


「それからこちらには最低限の調理器具と、米、あとは粉末状にしたカレー粉を入れてある。迷宮の中で食べるがいい」


 ダイニングテーブルの上には、大きめのリュックがあった。どうやら必要な食料やなんかを僕が起きるより前から用意してくれていたようだ。


「いいね、エアリスのカレーなら周りの連中羨ましがるだろうなあ」


 ただ匂いもするだろうから、風魔法で気流を操作して、周囲に配慮しようと思う。うん。


「ふっ、そう思ってな、かなり多めに入れてある。足りなくなったらいつでも戻ってくるがいい」


「ああ、まあ、なるべく聖剣の力は使わない方向で行こうと思うけどな」


 エストランテの王子、ゼイビスを脅した時に聖剣を見せたが、その時の彼の怯えようは半端ではなかった。


 どうやらある程度実力を持った者じゃないと、聖剣のプレッシャーに耐えられないらしい。うっかり、普通の実力しかない者たちに聖剣が見られれば、最悪迷宮の中でパニックになってしまうかもしれなかった。


 僕はエアリスが作ってくれたおにぎりをむしゃむしゃと食べながら、オルニスという玉ねぎに似た味わいのスープをごくごくと飲み干した。


「あれ、なんか味変わった?」


「まあ、少しだけな」


 以前の彼女の料理と言えば、複雑濃厚な味わいが特徴だった。


 だがこのおにぎりといい、スープといい、薄味ながらとても美味しく感じられる。


 朝から食べるにはちょうどいい、優しい味わいだ。温泉地で食べた料理になにかヒントをもらったのだろうか……。


「さあ、のんびりしている暇はないぞ、冒険者ナスカよ。真希奈、この荷物を玄関まで運んでくれ」


『ふん、あなたの言うことを聞くのは癪ですが、確かにそれが効率的ですね』


 言いながら真希奈は鎧を操り、食料が入ったリュックを持って食堂を出ていく。


 さて、僕も行きますか。そう思って後に続こうとしたそのときだった。


「待て、もう少し身だしなみを整えろ」とエアリスに呼び止められる。


「鎧のない貴様はお世辞にも強そうには見えないからな。敵愾心を持った者は、細かなところから貴様にケチをつけてくるはずだ。油断するなよ」


 僕を引き止めたエアリスが、実感を込めて言いながら、シャツのボタンを留めなおしたり、襟を整えたりしてくれる。うーん、朝早くからごはんを作ってくれて、荷造りや身だしなみにまで気を使ってくれるなんて、ますますおっ母さんだなあ……なんて思っていると――


「ん」


 襟を整え、ライトアーマーの位置を直している一連の流れの中で、ごくごく自然に唇を奪われる。僕が目を見開いて固まっていると、エアリスはクスっと笑い、再び僕にキスしてきた。


「これ以上はやめておこう。我慢が効かなくなるからな。……続きは、帰ってからだ」


「い、いえっさー」


 玄関ロビーの方から『タケル様ー?』と声が聞こえてくる。僕はエアリスに背中を押されて送り出される。


 ここから真希奈はスマホ姿で首にぶら下がることとなり、僕は暁闇に包まれるノーバの街を歩きながら、先程のエアリスのことを思い出していた。


 もういい加減誤魔化すのも限界だ。

 エアリスはおっ母さんなんかじゃない。


 どこからどうみても新妻みたいな甲斐甲斐しさじゃないか。唇の感触を思い出しながら、僕はそう思うのだった。


 続く。

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