第361話 浄化の勇者様御一行バカンス篇⑧ その頃、男の湯の場合〜僕とアズズと冴子さんと…

 * * *



「無意識の行動だったとはいえ、今回は本当にラッキーだったな……」


 幻想的な露天風呂を前に、僕は呆然とつぶやいた。

 浄化のためとは金色の力を使ってしまったことでパーになってしまった僕。

 僕は頭が曖昧なまま聖剣の力を使い、地球へとやってきてしまった。

 そしてそのまま百理を頼り、まさかこんなすごい温泉宿を訪れることができるなんて……。


 当然というか、こういう施設に来るのは始めてだ。

 ニートで偏屈ものだった僕は、修学旅行なども参加したことがない。

 幼い頃から両親がいない環境だったので、家族旅行とも無縁だった。


「そういや僕の両親って生きてるのかな?」


 僕が引きこもっていた生家は原因不明の火事で無くなってしまった。

 それら焼け野原となった跡地の整理などは同じ市内に住む叔父夫婦がしてくれたようだ。


「おじさん、か」


 連れ去られたセーレスを追いかけ、エアリスと共に降り立った地球。

 着の身着のままだった僕らが最初に頼ったのは叔父夫婦のところだった。


 サランガ災害の後、何度か降り立った地球で、真希奈を通じて調べてもらい、安否の確認はしてある。どうやらふたりとも、難を逃れて無事であるらしい。


 それが分かっただけでそのときは満足してしまったが、僕も大分落ち着いてきたし、いずれ顔を見せにいくのもいいかもしれない。セーレスとエアリスを連れて行ったら驚いてくれるかなあ……。


『おい、おめー、さっきからなにボケッとしてるんだ。まだ頭フラフラなのか?』


 僕が抱えていた手桶の中から声がする。

 そこにタオルと一緒に入れられているのはアズズの仮面である。パルメニさんが女湯に一緒に連れて行くことを断固拒否したため、僕が預かることになったのだ。


「いや、今は大丈夫だ。たまに物凄く眠くなるけど」


『けっ、湯船のなかで溺れんじゃねーぞ。俺は見てることしかできねーからな』


 もしそんな事になったら、死ぬに死ねないので苦しみだけしかない。


「なんだ、僕のこと心配してくれてるのか?」


『ばっ、馬鹿かてめー! もしてめーが溺れたら、誰が俺を運ぶんだよ! そういう心配だっつーの!』


「おまえって完全にツンデレだよな」


『あ、なんだそれ?』


「普段はツンツンそっけないけど、二人きりになったらデレデレ甘えてくる子のことだよ」


『…………てめえ、俺に今身体があったら、有無を言わさずぶった斬ってるところだぞ』


「それこそ意味のないことだろ」


 暖簾に腕押し糠に釘だ。

 ディーオの心臓さえも目覚めた僕は、本当の意味で不死者になってしまった。


『ちくしょうめが……あーあ、やだねえ不死身なんて。ディーオの奴もずっと死んだ目をしてたっけな。おまえもそんな目になっていくんだろうなあ』


 アズズはわざとらしくそういいながら、嘲笑っているのだろう、手桶の中でカタカタと揺れている。


「そっか、鬼戒族の王だもんな。ディーオにも会ったことがあるのか」


 僕は別の手桶にお湯を掬いながらかけ湯をしていく。

 お湯の温度は少しぬるいくらいだ。

 長湯をするにはちょうどいい。


『最後に会ったのは十年前よ。エアスト=リアスが一緒だったな』


「へえ、その頃だと、ディーオに引き取られたばかりの頃か?」


『見た目はあの風の精霊と瓜二つだな。最初にアウラを見たときは、絶対におまえとの娘だと思ったくらいだぜ』


「まあ実質娘みたいなもんだけどな」


 ゆっくりとお湯の中に身体を沈めていく。

 そうすると、身体の奥底からむず痒い衝動がこみ上げてきて、僕はついつい「ああ〜」と唸りを上げてしまった。


 いやあ、不死身になってもこういう生理機能的なものはそのままなのがありがたいねえ……などと思っていると、カタカタっと震えながらアズズが言ってくる。


『――てめえばっかりいい思いしやがって。おい、俺もお湯につけろ』


「いいのか?」


『気分だ気分』


 僕は湯船の縁に置いた手桶の中からアズズの仮面を取り出し、お湯の中に浮かべた。なんか昔昔、こんなお湯に浮かべて遊ぶ玩具があったような気がする……。


『おお、ポカポカと気持ちいい……気がするぜ』


 気がするのか。やっぱり気分だけなんだな。

 不死身で死ぬことも老いることもない僕と、肉の喜びの一切を無くしてしまったアズズ。果たしてどちらがより不幸なのか。考えるだけ無駄だな、と僕は思った。


「あらまあ、素敵じゃない!」


 脱衣所につながる扉が開き、大きくて野太い声が轟いた。

 岩風呂の中にやってきたのはイスカンダル冴子――本名権田原金之助。

 元自衛隊の歯科医官であり、海外で民間軍事会社にも務めていた男性である。


『カウロスみてえだなおい』


 僕の周りで浮いていたアズズがポツリと言った。

 カウロスとは魔物族モンスターの名前であり、いわゆるミノタウロス系の容姿をしている。


 彼が言う通り、イスカンダルさんは大きな身体に分厚い胸板、逆三角形の胴体に、生ゴムを詰め込んだような野太い手足をしている。


 僕が遭遇して倒したカウロスは亜種と言う通り、胴体に顔が埋まった奇形腫だった。多分アズズがいう本来のカウロスは牛頭の、あんな筋骨隆々な姿形をしているのだろう。


「お、お先に失礼しています」


「いいのよん、私と佐智なんてあなたたちのついでだもの。ついででこんな素敵な旅館にお泊りできて最高だわん!」


 バチコーンと音がしそうなほどのウインクが返ってきた。

 イスカンダルさんはかけ湯をするべく、湯船の縁へと近づき、おもむろに腰元のタオルを取り払った。


『訂正するぜ。こいつはカウロスより凶悪だ……!』


 アズズがの周りの湯が小刻みに振動している。

 それは身震いなのか。僕もまたイスカンダルさんの一物いちもつに戦慄を禁じ得なかった!


「嫌だわ。そんなにまじまじ見ないでちょうだい。――食っちゃうわよ?」


「ひッ、す、すみません!」


 僕は王様で魔族種なのに。

 それでも上には上がいるのだと、男の格で思い知らされた気がした。


「そういえばタケルちゃん、ドルゴリオタイトのジュエリーは今どんな感じなの?」


 イスカンダルさんはお湯に浸かりながらよりかかり、両腕を湯船の縁へと乗せる。頭の上に畳んだタオルを置いて、すっかりくつろぎモードだ。


「大変好評です。実はこれからもっと販路を拡げられそうなんです」


「あらそうなの?」


 本当だった。レイリィ王女に託した風の魔法を閉じ込めたドルゴリオタイトは、偶然にも近衛騎士であるエミールの命を刺客から守った。その事実を喜んだ王女は、ドルゴリオタイトの宝飾品を専門に取り扱うウーゴ商会の王都出店を熱望している。


 聖都の浄化が成され、獣人種への宣戦の布告も取り下げることが確約されている。そうして今後、ヒト、魔、獣の間で関係改善がなされていけば、きっとウーゴ商会も王都にも出店することが叶うだろう。わざわざ王都の商人も、遠いエストランテまでドルゴリオタイトを買い付けにいかずに済むというものだ。


「イスカンダルさんのデザインは向こうの世界の王侯貴族たち、特に女性を魅了していますよ」


「ジュエリーデザイナーとしては最高の褒め言葉ねえ。お役に立てたようで私も嬉しいわあ」


 大きな達成感を感じているのだろう。

 右手の拳をギュッと握りしめるイスカンダルさんだったが、セリフの内容とは裏腹に、見た目は「あんにゃろう、ぶん殴ってやる」みたいな感じになっている。だって拳に浮いた血管とか、腕の筋肉とかムキムキすぎなんだもん。


「もし、私に新しいデザインをさせたいんだったら、また可愛い女の子を連れてきなさいな。その子からインスピレーションを受けて、創作意欲が沸いたら、すんごいのを造ってあげるわ!」


「そうですね、何人か当てがああるので、今度是非……」


 一人はレイリィ王女。

 薄縹色うすはなだの淡い髪色。

 凛としながらもどこか幼さも感じさせる表情は大変魅力的だ。


 もうひとりは実はモリガン。

 強く、頑なで、孤独な彼女。


 アイティアも美しい少女だと思うが、イスカンダルさんの琴線を動かすのはモリガンのほうがいいと考えている。


「それにしても、タケルちゃん?」


「はい、なんですか?」


「妙によそよそしくない?」


 会話をしている僕たちの間にはずいぶんと距離がある。

 僕は顎まで湯船に浸かりながら受け答えをしていた。


「そんなことはないと思いますけど」


「ならもっとこっちにいらっしゃいよ。大丈夫、変なことしないから。タケルちゃんに手を出したら、エアリスちゃんとセーレスちゃんに怒られちゃうものねえ」


 逆にそのふたりの存在がなかったら僕ってどんなことされちゃうんだろう。

 すごく気になるけど怖くて聞けない。


「せっかく裸のお付き合いしてるんだから、遠慮はダメダメよ〜」


 そんなことを言いながらイスカンダルさんがお湯をかき分けて近づいてくる。ゴワッっと湯が割れて僕の身体が掴まれる。ひええ。アズズ、アズズは……ああ、波に揉まれて遥か彼方に!?


「はい、到着――――って、え…………?」


 触れ合う程の隣に腰を下ろしたイスカンダルさんが僕の身体をマジマジと見て絶句する。うん、やっぱり気持ち悪いだろうなあ。


 そうなのだ。僕は他人と混浴ができない理由がある。

 魔族種になる前に全身につけられた拷問跡――人類種神聖教会アークマインの異端審問によって刻まれたものだ。


 さらに、聖剣の力が暴走して、僕の不死性が極端に減退した時期があった。

 その時に負った戦闘跡は、今でも消えることなくバッチリと刻まれている。


 それは、平和な日本に生まれ育った幼馴染の綾瀬川心深が思わず吐き気を催すほど醜いものであり、とても人前に晒していいものではない。


 だからこそわざと距離を取っていたのだが……。


「あの、僕先に上がります。イスカンダルさんはゆっくりと――」


 立ち上がろうとしたそのときだった。

 頭上から影が覆いかぶさり、僕は逞しい腕によって抱きしめられてしまった。


「わかるわ。これは拷問と銃撃によってついた傷跡ね……」


 イスカンダルさんが腕に力を込めながらそうささやく。

 その声には僕に対する深い労りが感じられた。


「海外で傭兵をしていた頃にね、人間の醜い部分もたくさん見たわ。神の名のもとに他者をゴミのように虐げる連中をね……」


 まさに人類種神聖教会アークマインの異端審問がそれだった。

 驚いたことに、そう考えると、ヒトが成す業の深さは、地球でも魔法世界マクマティカでも変わらないのだから不思議だ。


「でもこんな、ここまで執拗な傷をつけるなんて……今生きているのが不思議なほどの傷だわ。辛かったでしょう、痛かったでしょう」


「いえ、幸いにも不死身になったので、なんとか……」


 抱きしめられながら、イスカンダルさんの身体の震えが伝わってくる。

 だが僕はそれどころではなかった。締め付ける力が、ドンドン強くなっていくのだ。あれ、これ、ヤバくない?


「タケルちゃん、絶対幸せになるのよッッ、あなたにはその資格がある! 結婚して、愛するヒトと子供を作って、そしてあなたにこんなひどいことした世界を見返してやるのよ――!」


「わ、わか、わかりました……!」


 僕の全身が悲鳴を上げ始める。

 そして遂にボキンという異音が胸のあたりからした。


「今笑っていられることが奇跡だわ! ああ、なんて酷い! こんな事をした奴らは人間じゃないわ! ああ、畜生、畜生おおおお! ぶるわああああああァ!」


 バキン、ゴキン、バキバキッ、と。

 1KILL! 2KILL! 3KILL! である。


 魔族種の肉体にダメージを与えるって、イスカンダルさんを魔法世界マクマティカに連れていったら、武力でひと角の存在になれるのでは。


 常人なら死ぬ程の抱擁から解放されるためには、女湯で佐智さんが倒れたという知らせを真希奈が持ってきてくれるまで続くのだった。


 あー、ひどい目に遭った。


 続く。

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