第358話 浄化の勇者様御一行バカンス篇⑤ 浄化の勇者様御一行in水上温泉〜乱痴気騒ぎの大宴会開始!

 * * *



「お集まりの皆々様、どうぞお手元のお飲み物をお取りください。急なことであり合せではありますが、確かな腕前を持った板長が作り上げた自慢の料理です」


 僕らは見上げるばかりの城――ではなく、和洋が混在した日本ならではの旅館の大広間へと通された。


 そこは100人は収容できるような畳の大宴会場であり、目の前には膳ではなく大きなテーブルに、色鮮やかな会席料理が所狭しと並べられていた。


「こりゃあすごいな……」


 日本生まれの日本育ちの僕だが、それでもここまで贅と手間を尽くした料理はみたことがない。


 当然、異世界からやってきたみんなの受け取る衝撃は、僕の比ではなかった。


「こ、こんな料理が存在するのか……!?」


「おい、しそう……」


「すごいねー、これ全部食べ物だってセレスティア!」


「すっごいキラキラしてるよお母様!」


「ほ、本当にこれ、食べても大丈夫なんでしょうか? 誰かに怒られたりしないかな?」


「はは、私が常日頃食べてたものって何だったのかなー。料理? 餌?」


「なんて見目鮮やかな料理なの……、これは王侯貴族御用達の宮廷料理では!?」


『おめえ、茶あ飲んでるときからずっと同じこと言ってるな。田舎育ちの貧乏娘だってバレバレだ――ブベッ!』


「この部屋も並べられた料理も見事の一言じゃな。あの百理という小娘、一体何者なのじゃ? もしかしてこの国の王族か?」


「オクタヴィア、私、もう我慢ができそうにありません……食べていいですか? いいですよね?」


 エアリス、アウラ、セーレス、セレスティア、アイティア、ソーラス、パルメニ、アズズ、オクタヴィア、前オクタヴィアの順番である。


「まあまあ落ち着きなさいよ。郷に入っては郷に従え。この宴を用意してくれた百理ちゃんがいいって言うまでもうちょっと我慢しなさい」


 そう言ってカタカタ震えている前オクタヴィアを窘めたのは、隣の席に腰掛けたイリーナである。


 ちなみに、畳の上には座椅子と、その上にはふかふかな紫紺の座布団が敷かれている。正座することに慣れていないみんなも、問題なく寛げそうだ。


「まあまあ、一時はどうなることかと思ったけど、こんな立派な旅館でごはんた食べられるならよかったわねえ佐智!」


「それもそうだけど、私としてはセーレスさんとエアリスさんとアウラちゃんとセレスティアちゃんとアイティアさんに会えたのが人生の絶頂期と言っても過言ではないかも。あとで記念撮影させてもらおう。ぐふふ……!」


 人さらい同然みたいに無理やり連れてこられた権田原親子だったが、ヘリでの移動中、異世界メンバーとのコミュニケーションを経て、すっかりリラックスしているようだ。娘の佐智さんなどは、オタク心を全開にして、リアルファンタジー住人であるセーレスたちに心酔しているようだった。


『みなさーん、もうすぐ食べられますからねー。まずはこちらの作法として乾杯をいたします。コップの中に飲み物を注いでください』


 百理の傍らでリアル翻訳作業をしているのは真希奈だ。

 精霊の加護があるセーレス、エアリスは問題ない。

 アウラとセレスティアも同様。


 アイティアとソーラスは獣人種語が基本言語であり、ヒト種族の言語は簡単な日常会話が精々。パルメニさんはヒト種族オンリーだが、本人が優秀なので魔族種語と獣人種が大体わかる。アズズの仮面を被ると魔族種語がネイティブになるとか。オクタヴィア母子は大体まんべんなくわかるそうだ。


 そんなこんなで真希奈の言語は魔族種の言語に固定され、上座に立つ百理の日本語をリアルタムで翻訳していた。


「聞いたところによると、そちらの世界では元服が15歳とか。構いません、本日限りのゲストですので、是非15歳以上の方は酒精が入ったお飲み物を。それ以下の方は、最初はどうぞジュースをお取りください」


『そうです、そちらの茶色いガラス瓶はビールという酒精飲料です。こら、セレスティアは飲んじゃダメですよ! この中で飲めるのは乳デカ女とセーレスさん、ソーラスさん、パルメニさん、前オクタヴィアだけですね』


「僕が注ぐよ」


 ビール瓶の開栓なんてしたことがないだろうから、栓抜きを使ってシュッポン、と蓋を取る。瓶を差し向けると、エアリスがグラスを手にとったので、トットット――と注いでやる。


「綺麗な色だな」


 ビールの色は黒に近い赤――濃い琥珀色をしていた。

 白い泡がグラスの縁一杯に盛り上がり、ギリギリのところで留まっている。

 僕は続いてソーラスとパルメニさんにも注いでやる。


「あ、ありがとうございますタケル様!」


「なんだか悪いわね。こういうのって本当は下のものがやるんじゃないのかしら?」


「いやいや、ここは僕の生まれ故郷だし、みんなはお客さんみたいなものだからね。これくらいなんでもないよ。前オクタヴィアもどうだ? コーラもいいけど、こっちも飲んでみるか?」


「……確かに、ちょっぴり興味、あります」


 そういって前オクタヴィアはおずおずとグラスを前に差し出した。

 お安い御用さ。これでキミのコーラ狂いが緩和されるならね。


「うむ、全員行き渡ったようだな。百理殿」


 ベゴニアもまた、ビールの入ったグラスを手にしている。

 お子様たちとアイティアはオレンジジュース。

 オクタヴィアは「儂にも飲ませんかい! 7万歳じゃぞ!」などと言っていたが、現在の肉体年齢は10歳ちょっとだ。体に悪いので却下して、アイス烏龍茶にしておいた。


「それでは乾杯の音頭を――代表してタケル様、お願いできますか?」


「ええっ!?」


 いきなりの無茶振りだ。

 僕はファンタグレープが入ったグラスを落としそうになる。


「私のような見ず知らずの女よりも、タケル様の言葉の方がみなさん喜ばれるでしょう」


『さすが、わかってらっしゃいますねえ百理様は!』


 何故か真希奈が大喜びで飛び回り、百理は百理で「恐れ入ります」などと言って、空いた席に座ると、すかさずベゴニアから酌をされてビールを受け取っていた。


「何をしているタケル、龍神族の王なのだろう。これくらい簡単にこなせなくてはな」


 ベゴニアがニヤニヤしているので「うるさいよ」と悪態をついておく。

 部屋の隅っこで待機させてるプルートーの鎧を着れば覚悟も決まるのだが、それをしたら大顰蹙だいひんしゅくを買っちゃうだろうなあ。


「あー、本日はお日柄もよく晴天に恵まれ――」


 まとまらない頭でそんな定型句を口にした途端、「ぶッ!」「ぶはっ!」と百理とベゴニアが吹き出した。やり辛え。


「えっと……、まずは聖都跡の浄化という任務に付き合ってくれてありがとう。図らずもみんなを僕の生まれ故郷に連れてくることができたのはとても嬉しい。今回この宴を設けてくれた百理、そしてベゴニアは、まだ僕が未熟だった頃からよくしてくれた恩人だ。そんなふたりとみんなを引き合わせることができてよかったな、と……」


 ふと顔をあげると、みんなの視線が僕へと突き刺さっていた。

 百理とベゴニアはとっても生暖かい目で僕を見守りながら「うんうん」と頷きあっている。


 エアリスとセーレスはもちろん、子どもたちも真剣な表情で僕を見つめていた。

 途端、僕は湯沸かし器のように赤くなり、猛烈な恥ずかしさに身悶えた。


「と、とにかく、僕が言うのも失礼だけど、今回は百理の好意に甘えて、存分に飲んで食べて欲しい。では、乾杯!」


 ――乾杯!


 みんなの声が唱和した。

 まず百理とベゴニアがカチンとグラスを鳴らすと、それを見た他のメンバーも次々とグラスを合わせ始める。


「わ、私も私も!」


「かん、ぱい」


 精霊娘ふたりが差し出したグラスを誰が断れるだろう。

「はいはい」「どうぞー」「ふふ、どうも」などと次々グラスが鳴らされ、お子ふたりは顔を赤くして興奮気味に笑い合っていた。微笑ましい。


「む。これは、なかなか大人の味だな」


「確かにそうですねえ」


「私はこれ好きだわ」


「苦い。やっぱりコーラが、いいです」


 エアリスの感想にソーラスが頷き、パルメニさんがクイーっとビールを飲み干す。オクタヴィアはやっぱりお子様舌のようだった。


「なにこれおいしー!」


 悲鳴のような、というか悲鳴そのものを上げたのはセーレスだった。

 並んだ会席料理はコース料理のように食べる順番がある。真希奈から簡単な説明を受け、前菜に当たる先付けをセーレスは食べたようだった。ちなみに、みんなお箸が使えないことを想定して、スプーン、ナイフ、フォークが並べられている。


「真希奈真希奈、これってなんで出来てるの!?」


『それはですね、加茂茄子の胡麻クリームです。他には里芋と車海老、銀杏が入っていますね』


「言ってること全然わからないけど、とってもおいしい!」


 身も蓋もない感想だが、美味しいと食べてくれることが最高の感想だろう。


「アウラ、この卵焼きすっごく美味しいよ!」


「これ、も、美味しい……!」


「アウラちゃん、セレスティア、こっちも食べてみて!」


 精霊娘たちもお互いに食べた料理を称賛しながら、美味しかったものを勧め合い、仲良く食べ合っている。ふたりの世話はイリーナが進んで見てくれているようだ。よかったなあ、いっぱい食べろよ。あとで水菓子――デザートもでるからな。


「はあはあ、私が今この場所に居合わせた意味。それは記録。この神々しいまでに美しい方々の全てを記憶にとどめ、後世に残す役割が……」


 そう言いながら物凄い勢いでスマホカメラのシャッターを切っているのは佐智さんだった。精霊娘に混ざったイリーナの姿につつつ、と鼻から血を流している。うん、放っておこう。


 その隣では、この中で唯一、日本で暮らしていた経験のあるエアリスが、拙いながらも箸を使い、透明に輝くあおりいかの刺し身をしげしげと眺めていた。どうやらそのまま口に入れてもいいものか迷っているようだ。


『ちっ、しょうがないですねえ乳デカ女。それはこの醤油で食べるんですよ。薬味はわさびがいいでしょう。辛いので少量をお刺身に載せて、醤油をつけてから食べてみなさい』


「う、うむ……なかなか難しいな」


 エアリスは一旦小皿にあおりいかを置くと、わさびをチョコンと箸で掬い、刺し身の上に乗せる。


『お醤油はたっぷりつける必要はありませんよ。少しでいいですからね』


「こ、これくらいか?」


『十分です。落とさないように気をつけてたべなさい』


「よし――」


 あーっと口を開けたエアリスが、箸をプルプル震わせながら刺し身を食す。

 今彼女は、コリコリとした弾力のあおりいかを食べ、日本人のソウルソース醤油の風味と、わさびの鮮烈な辛味を同時に体験していることだろう。


「……う、美味いな。噛めば噛むほど旨味が……鼻に抜ける辛味も心地よい」


『ふん、あなたも大分料理の腕を上げてきているようですが、ここに並ぶ品々には遠く及ばないでしょうね』


 真希奈が半ば嫌味な言い方をする。

 ふふん、と顎をそらし、エアリスを流し見る。

 だが言われた本人は「そのとおりだな」と素直にうなずいていた。


「これだけ多彩な食材を、生でも食べられるうちに迅速に調理するなど今の私には不可能だ。私が修練を積んできたカレーとはまるで真逆。素材の味を活かすため、余計な手は加えず、それでいて最適な調理が施されている。こういう料理もあるのだと感心させられるな」


『そ、そうですか……、これがタケル様の生まれ故郷の伝統的な料理です。これらの要素を今後、あなたの料理に加味することができればタケル様も喜ぶでしょう』


「本当か!? ……それならばよし、心してひとつひとつ食べようではないか。また解説を頼むぞ真希奈」


『しょ、しょうがないですねえ……うう、真希奈だけ馬鹿みたいです』


 料理人として謙虚な姿勢を見せるエアリスに、真希奈も意地悪をするのをやめたようだ。その後も地球の知識を総動員した真希奈の解説にエアリスは聞き入り、隣のセーレスなどが茶碗蒸しを食べて感激し、是非エアリスに作って欲しいと懇願したりしていた。


 一方――


「ソーラスちゃん、こ、これすごく美味しい……! ふっくらほこほこしてるよ!」


 黒猫アイティアは鉢肴はちざかな――焼き魚に舌鼓を打ち、


「こっちのスウッと爽やかな味付けのお魚も美味しいよ……!」


 赤猫ソーラスも煮魚を食べ、顔をほころばせていた。


 ちなみにアイティアが食べているのは鮎の塩焼きであり、ソーラスが食べているのはイサキの酒蒸し・生姜あんかけである。


 ナイフとフォークで器用に食べるたび、ふたりの猫耳はピクピク、しっぽもユラユラと揺れている。やっぱり日本人のイメージとしては、魚を食べる猫は幸せそうに見えるものである。


 さらにその奥に目を向けると――


「あなた、かなりいける口なのね」


 パルメニさんに話しかけているのはなんとイスカンダルさんだった。

 確かにパルメニさんはかなりのハイペースでビールを飲んでいるようだ。

 もう二本ほど瓶を空にしている。


「? はあ、どうも」


 日本語で言われてもパルメニさんには通じるはずもない。

 だが、海外で従軍経験があるイスカンダルさんはお構いなしに話しかけていく。


「よかったらこっちも飲んでみない? 日本酒っていうのよ」


「ああ、これはありがとう。透明なお酒……?」


 徳利から冷酒を注がれ、クンクンと匂いを嗅ぐパルメニさん。

 イスカンダルさんは飲んでみろ、とジェスチャーをした。


『おう、飲んでみろってよ』


「言葉がわかるのアズズ?」


『だいたいだがな。むしろなんでわからねえんだおめえは。いいから飲んでみろよ』


「まあいいけど……」


 存外ビールは飲みやすかったのだろう。

 その感覚で、パルメニさんはお猪口を一気にあおった。

 途端――


「かはっ、うっ、げほげほ!」


「あっはっは、このお酒は一気飲みしちゃダメよ!」


 どうやらパルメニさんが飲んだのは、度数の強い辛口の日本酒だったようだ。「の、喉が焼ける……!」とパルメニさんは目を白黒させ、『ふはは、酒の飲み方も知らねえ小娘が、思い知ったか!』とアズズはカタカタと笑った。


「結構クセがあるけど、慣れると美味しいのよ。特にお刺身との相性は抜群ね」


 そういってイスカンダルさんは、目の前の舟盛りから石鯛の刺し身をチョイス。わさび醤油をつけてペロリと口の中へ。そしてすかさず日本酒を流し込む。


「くぅ〜、いいわねえ。たまらないわ!」


 その食べっぷりがあまりにもうまそうだったのだろう。

 パルメニさんは据わった目をしながらズイッとお猪口を差し出した。


「あら、再チャレンジする? いい根性ねえ」


 お猪口になみなみと注がれる辛口の日本酒。

 さらにパルメニさんは、目の前の舟盛りに手を伸ばすと、あじのたたきを人差し指と親指で摘みとった。


『おいおめえ、それ生だぞ。大丈夫か?』


 アズズが心配する通り、生食文化は港町でもない限り魔法世界マクマティカには存在しない。プリンキピア大陸の内陸部から海までは相当な距離があるのだ。流通するのは日持ちのする燻製が精々だったりする。


 パルメニさんの出身であるリゾーマタは思いっきり内陸部だ。川魚程度なら取れるが、やっぱり焼いて食べるのが一般的である。


「いいわね! 私もお箸なんか使わないで手づかみで食べちゃう! 男らしくてカッコいいわあなた! そうそう、お醤油をちょっとつけるのよ」


 パルメニさんは慎重な手付きで摘んだ刺し身に醤油をつけると、天井に向けて口を開き、躊躇いなく放り込んだ。


 もぐもぐもぐ……咀嚼している。よく噛んでる。

 ごくん――飲み込んだ。


「はい、すかさず冷酒!」


 言われる前に、パルメニさんはお猪口を傾けている。

 すうぅ――っと、先程よりもゆっくりと冷酒をあおり、ぷはっ、と今度はむせることなく飲み干せたようだ。


「美味しいじゃない……! 口の中がスッキリするわ」


 言葉は通じずとも、顔を見ればわかるのだろう。

 イスカンダルさんは破顔し、再び空になったお猪口に冷酒を注ぐ。

 パルメニさんもそれを頂きながら、他の料理にも挑戦し始めるのだった。


 オクタヴィアはどうやら佐智さんに話しかけられ、言葉は通じずとも、美味しい料理や飲物を通じて穏やかな表情で応対している。


 前オクタイヴィはひとりコーラを飲みながら、たこわさとたこの唐揚げをもしゃもしゃ食べていた。なんか食べ方が堂に入ってて怖い。あと、微妙に服装が乱れているような。暑いのはわかるけど、これ以上乱れるなら教育的指導を入れなければなるまい。


「どうしたタケル、先程から食が進んでないようだな」


 みんなを観察するのに夢中で僕はすっかり取り残されていた。

 手の中のグラスはもう大分ヌルくなっていたが一気に飲み干した。

 ――ぷはっ、ファンタ美味ええええ!


 僕はグラスを持ったまま、並んで座る百理とベゴニアの前に跪き、ペコリと頭を下げた。


「百理、ベゴニア、今日は本当にありがとう。いきなり大人数で押しかけて申し訳なかった」


 僕の謝意の言葉に、ふたりは目を丸くした。

 そしてお互いに目配せをしたあと、ニッコリと満面の笑みを浮かべる。


「いいえ、とんでもありません。サランガ災害が収束したあとは私も事後処理に追われておりましたので。本来なら御堂を――なんなら国を挙げて貴方様を歓待しなければならなかったのに……。このような席を設けるのも遅かったくらいです」


「よせよせ、おまえと私の仲ではないか。だがな、おまえの口からそんな言葉が聞けるとはお母さんは嬉しいぞ……!」


「いや、それでもこの旅館といい、料理といい、大変だったんじゃないか?」


 付け加えるならヘリでの移動も、恐らく自衛隊――防衛省に働きかけたりして借り受けてきたのだと思われる。僕の電話一本でとてつもない人員とお金が動いていると思うと、やっぱり頭のひとつも下げたくなるのだ。


「いえいえ、そんなこともありません。というのも、こちらの明日乃井旅館は、つい先週まで大規模な改修工事をしていてお休み中だったのです。御堂が昔から懇意にさせてもらっている旅館なので、貸し切りにしてもらい、湯治の真っ最中でした。そんな折、タケル様からご連絡をいただきましたので」


「なるほど、それで……」


 恐らく百理はこの旅館から東京にいるベゴニアに連絡を取り、最も最速の時間で移動できる手段を用意してくれたのだ。だからって陸自まで動かすなんて……さすがというかなんというか。


「ベゴニアは、ずっと百理たちと一緒だったんじゃないのか?」


「ああ、実は最近は私がカーネーショングループの会長代行をしていてな。昨日までドバイに出張していたほどなのだ」


「へえ、そうだったのか……!」


 カーネーショングループは世界中を股にかける多国籍企業だ。その会長職ともなれば多忙を極める。そんな中わざわざ時間を割いてもらって、ありがたいことだ。


「あれ、そういえば」


 僕は先程から何度目か、キョロキョロと辺りを見回す。

 百理たちを前にして失礼かとは思うけど、でもどうしても気になってしまう。


「カーミラはいないのか?」


 そう言った途端、一瞬、ほんの一瞬だけ、ふたりが笑顔のまま固まった気がした。

 ビシッ、というかピタって感じで。僕じゃなければ気づかないほどの、そこだけ時が停まったかと錯覚するような光景だった。


「あの女など最初から影も形もありませんよええ」


「い、今カーミラ様は、海外出張中でな。当分戻られそうもないのだ」


 百理は手酌で酒を注ぎ、キュッと飲み干す。

 ベゴニアはなにやら目が泳ぎまくっていて、落ち着きなさい、とでも言うように百理に肩を掴まれていた。珍しい。


「そうなのか。でも僕らが今ここにいることはカーミラも知ってるんだろう?」


「な、何故そう思うのだタケルよ?」


 何故もなにも……。


「イスカンダルさんたちも一緒に連れてくるって、どう考えてもカーミラのプロデュースだろう」


 しかも佐智さんを最初に抑えてから、脅迫じみた方法で無理やり連れてくるって、これはもうカーミラがやりそうなこと100%じゃないか。


「そ、そそそ、そんなことありませんよタケル様。わ、わわわ、私も一流ジュエリストのイスカンダルさんとは以前から――」


「お話中失礼しますね」


 ぬっと僕の背後が暗くなる。

 やってきたのは筋肉ムキムキ&タンクトップの青ひげオカマ、イスカンダル冴子だった。


「この度は娘共々お招きいただきありがとうございます、私こういう者です」


『ジュエリー工房イスカンダル代表取締役、イスカンダル冴子』と書かれた名刺を百理に差し出しながら、イスカンダルさんは社会人らしい丁寧な口調と言葉遣いでお礼を口にした。


「大方あの女吸血鬼が言い出したことなんでしょうが、こんな楽しい酒宴の席でしたらもっと普通にお誘いくださればよかったのに。私も車に詰め込まれる際に暴れちゃいましたし、黒服の方々、お怪我とか大丈夫かしら?」


「お、お気になさることはない権田原殿。こちらもイタズラが過ぎたのだから」


「そう、ならいいけど。こちらの和装の方もとってもお綺麗だわ。鼈甲べっこうや琥珀のアクセサリーが作りたくなっちゃう!」


「あははは、そ、それはどうも」


「タケルちゃんとこの子はお知り合いなのかしら?」


「御堂財閥の総帥さんだよ」


「まったまた〜! ――え、ホントに御堂ってあの御堂……?」


 その後、やっぱり日本人にとって御堂の名前は絶大と思わせるリアクションをしたイスカンダルさんは、物凄い勢いで頭を下げて挨拶をしていた。


 珍しい父の平身低頭な姿に佐智さんは目を丸くし、相手が御堂の総帥だと知ると、「いつも日本をよくしてくださってありがとうございます!」などと、的を得ているんだか得てないんだかよくわからない謝意を述べていた。


 百理はそんな佐智さんに笑みを深め、「こちらこそいつも日の本を支えてくださりありがとうございます」と丁寧に頭を下げていた。


「えっと、それでカーミラは海外出張中なんだっけ。そっか、お礼はまた今度言っておけはいいか」


「そうそう、というかあの女に礼など不要です」


 百理は再び日本酒をあおり、やや赤くなった顔で吐き捨てる。

 なんだろう、以前上野で会った時は、ずいぶんと仲よさげに見えたんだが、また喧嘩でもしたのかな。


「それよりもタケルよ、先程は聖都の浄化作業云々と言っていたが、今度は一体何があったのだ?」


「ああ、それは――」


 ベゴニアの質問に僕が答えようとしたときだった。

 ――わッ、と背後で拍手が巻き起こる。


 振り返れば、アズズの仮面を被ったパルメニさんが、りんごの皮をまとめて3つ、刀で剥くところだった。


 とんとんとん、と皿の上に着地した裸のりんごは次の瞬間、パカっと八つに別れ、花びらのように広がる。再び拍手が沸いた。


「なにやってるんだか……みんないい感じに酔ってきたな」


「まあまあ、よいではないですか。今宵は無礼講ですよ。いや、それにしても見事な剣さばきですね」


 最近忘れがちだが、アズズは魔族種鬼戒族の元王様で、剣の腕はヒルベルト――いや、恐らくマクマティカ一なのだ。パルメニさんの身体を通じて制限があるとはいえ、その業前は凄まじい。


 拍手喝采を受け、アズズが調子に乗っているのだろう、再び『もっと投げろ!』と言った瞬間、バシっとパルメニさんが仮面を剥ぎ取り、床に叩きつけられていた。


『いってーな、何すんだ!』


「私の身体で調子乗ってるんじゃないわよ!」


『なんでえ、こっちの世界じゃあ宴会には芸がつきものなんだろう。誰もやりたがらねえから俺が先陣を切ってやったんじゃねえか』


「せっかくいい気分でお酒を飲んでたのに邪魔しないでちょうだい!」


『なんだと!』


「なによ!」


 わー、やんややんや、とふたりの掛け合いにすら拍手が贈られる。もう夫婦漫才だな。口に出したら絶対斬られるから言わないけど。そしてさらに――


「二番セーレス、チューします!」


 まさかの挙手だった。

 そしてまさかの演題だった。


 百理もベゴニアも、他のみんなも、一斉に僕を見る。

 チューっておいおいセーレス、衆人環視で仕方ないなあ、などと立ち上がりかけると――


「セレスティア」


「お母様ー」


 ちゅーっと、抱き上げた愛娘の小さな蕾に、これまた可憐な唇を合わせるセーレス。


 ぷしゃあっ、と噴水のような音がしたと思ったら、スマホを構えたままの佐智さんが鼻血の海に沈んでいた。あーあ、畳が……。


 長耳長命族エルフであるセーレスが、自分の精霊であり、瓜二つの容姿をしたセレスティアにキスをする。もうそれだけで、見ている側としては大満足の尊い光景なのだが、ことはそれだけでは終わらなかった。


 バツっ、パツンッ、とボタンが弾ける音がし、逆にスルスル、ストン、と服がずり落ちる音がする。


 15歳前後の容姿をしていたセーレスがどんどん縮んでいき、10歳前後だったセレスティアがみるみる大きくなっていく。


 その摩訶不思議な光景は、百理たちをしても驚愕に価するようで、口をあんぐりと開けて、手元のグラスからビールをダバダバ零していた。


「じゃーん、完成!」


 5歳前後の幼女になったセーレスに対し、20歳オーバーとなったセレスティアは、この中の誰よりも、それこそエアリスや前オクタヴィアをも凌ぐ、ミス・ユニバース級のデルモ体系へと変身していた。


 セーレスはユニクロで買ったワンピースの中に埋まり、着ていた服が弾け飛んだセレスティアは子供用下着が、紐水着みたいに局部を辛うじて隠しているという超際どい格好となっている。


「待てっ、待てよセレスティア、待て――」


 セーレスがニッコリと僕を見定める。

 裸に近いセレスティアが飛びかかる直前の四足獣の如く手足を縮める。

 僕は逃げた。しかし百理とベゴニアに捕まってしまった。


「行きなさいセレスティア、母が全てを許します!」


「お父様あああああああ――!」


 飛んだ。セレスティアが。

 乳を放り出し、僕へと覆いかぶさり、畳を滑り、座布団を吹き飛ばし、壁にぶつかってようやく止まる。そして――


「お父様お父様お父様ぁ! ああ、いい匂いだぁ! クンカクンカ、むしゃむしゃペロペロ!」


「ぎゃああああ、やめ、落ち着けセレスティアぁ! って力強っ!」


 もう僕は精霊に捧げられた供物の如く、大人の姿となったセレスティアの慰み者となるしかなかった。


 というかセレスティアの顔がなんか真っ赤だ。

 まるで酔っ払ったみたいになって――


「おいこれって、セーレスが酔ってるのか!?」


「えー、なんのころぉ? ――ヒック!」


 セレスティアに襲われる僕を肴に徳利をプラプラと振るセーレス。やっぱりその顔は真っ赤だった。確実にお酒が入ってる。まさかそのせいで精霊にも影響ががが!?


「やれやれ、いくら宴席とは言えこれでは乱痴気騒ぎと変わらないではないか。セレスティア、今すぐやめるのだ」


 やった! エアリス母さん、早く助けて――ってセレスティア、鼻の穴まで舐めるんじゃありません!


「エアリスぅ……馬乗りしてたよねー?」


 ピタリと、立ち上がりかけたエアリスが静止する。

 さらにセーレスは続ける。


「寝てる間にあんなことして。ドロドロのぐちゃぐちゃだったねえ――あはっ」


「タケル、すまん。私は無力だ……」


「諦めるの早ッ!」


「不甲斐ない私を許せ――」


 エアリスは涙目になって顔を覆ってしまった。

 アウラがすかさず、母を慰めるようにエアリスの頭をナデナデしていた。

 さめざめと涙にくれるエアリスを「ママ、大丈夫?」とアウラが気遣っている。

 ダメだ、もうエアリスは頼れない。


 この際誰でもいい、誰か助けて――


「さ、さすがにセレスティア様はねえ?」


「タケル様ぁ、畏れ多くて無理ですー」


 もじもじとしたアイティアと、ケラケラと笑うソーラス、さらに――


「ふん、イヤダイヤダも好きのうちよね」


『だらしない顔してやがるぜ、ケケケ』


 すっかり日本酒のファンになったパルメニさんと、その頭部に引っかかったアズズがさじを投げる。


「今日くらいよいではないか。何故かお主がたじろいでいる姿は酒が進むのじゃ」


「コーラ、おかわりください――ゲップ」


 いつの間にかオクタヴィアも飲んでいた。グラスワインを傾ける肉体年齢10歳、中身7万歳って、もう法とか倫理では判断できない領域だと思う。あと前オクタヴィアはいい加減コーラ飲み過ぎ。


「タケルちゃん、男を見せなさい」


「どうやって!?」


 親指を突き出すイスカンダルさんに問い返す。

 こんな状況の正解があるのなら万金を積むから教えてくれ!


「お父様、なんだか身体の奥が熱いの……私どうしちゃったのかなあ。私、悪い子になっちゃったのかなあ……?」


「いつもの小さいセレスティアで聞いたらなんでもない台詞だけど、今のおまえから聞いたらとんでもない殺し文句だぞ!? って、水精の蛇まで!」


 僕は藍色の蛇に雁字搦めにされ、空中に祭り上げられ、完全に生贄状態にされる。

 とろけるような表情をしたセレスティアが上から迫る。仮にも娘なのに、セーレスやエアリスの見ている前でこれ以上は――


 僕はふと気づいた。

 バカンスはまだ初日。

 そして序盤も序盤なのだ。


 終わる頃まで、僕は生きていられるのだろうかと、不死身になって以来、真剣に命の危機を感じた。


「あ――ああああっ!」


 続く。

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