第353話 北の災禍と黒炎の精霊篇3⑯ 黄金龍の帰還〜浄化と封印の聖都跡にて
* * *
空はまるで星の海だった。
もう間もなく夕刻になろうかという時分。
エメラルドグリーンに輝く数多の光が、北の空へと血脈の如く流れていく。
よどみなく、絶え間なく、呪いに侵された地を照らしながら、頭上の全てを埋め尽くしている。
「おお…………!!!」
そんな空の下、ドーリア駐屯地の野営テントに集まった面々から、息を呑む音や、噛み殺した吐息――あるいは感嘆の声が漏れ聞こえた。全員、言葉少なく、四角いラップトップPCのモニターを食い入るように見つめている。
不鮮明な映像ながら、その姿は神々しいまでに美しく、勇ましく、そして慈愛に満ちている。
「……………………」
唯一、その姿を目撃したことのあるイリーナだけが、辛うじて平静を保つことに成功していた。
クリスマスの秋葉原、そして『最後の木曜日』と言われた厄災の日、地球の裏側で、サランガ災害と共に発現した世界規模の異常気象。その台風の目となったのはたったひとりの少女が行使した魔法によるものだった。
その時と寸分たがわぬ超常の現象が、モニターの中には映し出されている。
震え撹拌される大気と、遠く隔てても伝わり来るプレッシャー。
そして人智を超えた者のみが放つ圧倒的存在感。
遠く隔てていても、それらはまざまざと感じることができた。
イリーナは思う、やっぱりあの姿になったエアリスちゃんは別格だ、と。
風の精霊であるアウラちゃんと量子的に結合し、一心同体となった姿。
『高次元情報生命量子結合体』
タケルの仮説により、精霊はより高次の次元情報生命体であると定義されている。
そんな高次元存在と同化することで、自分自身をより上位の世界に置くことにより、現実への物理的、精神的な干渉をよりしやすくする術が『量子結合』なのではないかと、イリーナは考えている。
かつて地球にも、神の御使いとされる者たちが降臨した記録が伝えられている。
偉大なる三賢者により見出され、馬屋で産声を上げた御子や、72柱の悪魔をいただく王であったり、神なる大地を目指した巫女であったり、などがそれに当たる。
実際に彼らの姿を目にしたのならば、きっと今と同じ感想を抱くはずだ。それくらい、エアリス姿は神がかって見えていた。
褐色の地肌に刻まれた幾何学的な文様と、棚引く銀色の髪に、和装にも似た純白の衣。そして、嵐のような魔素に傅かれながらも、その全てをまるで手足のように操っている。
パルメニとレイリィは目を見開いたまま固まり、ポコスとエミールは顔を強張らせて無言を貫いている。
アズズはわかりにくいが、先程から小刻みに震えているのは気のせいではない。ソーラスはしきりに瞬きを繰り返し、隣のアイティアは驚いたような、慄いたようなうめき声を上げていた。
オクタヴィアだけは余裕の笑みを浮かべているように見えるが、その瞳だけは鋭くモニターを射抜いている。前オクタヴィアは無表情で、もしかしたら寝ているのかもしれない。いつものことである。
モニターの向こう、深緑の渦の中、眼下のエルザドンを見下ろすエアリスの瞳には、怒りも悲しみもなく、僅かな微笑が湛えられている――ように見えた。
実際プレデタードローンからの映像はノイズだらけであり、細かい表情まで見えるわけではない。だがイリーナには、何故かそんなエアリスの表情を容易に想像することができてしまった。
「異世界からきた小さな賢者よ」
いい加減その呼び名はどうなのか、と思うイリーナだったが、相手は100年を生きるヒト種族の長老のような男だ。僅かな敬意を持って見つめると、ポコス翁は顔面にビッシリと脂汗を浮かべながら、ゴクリと生唾を飲み込み、イリーナへと問うてきた。
「お、お主ならあるいは、エアスト=リアスのこの姿――精霊神様の姿も説明できるのかの?」
全員がモニターから顔を上げ、イリーナを見ていた。
たった今自分が目撃したものが信じられない。
第三者に説明と肯定をしてもらわなければとても心が保たない。
そんな決死の心情が伝わってくるようだった。
「高次元情報生命――……いや、『精霊合体』だって、本人たちは言ってたけど」
地球式の名称では彼らには響かないだろうと思い、イリーナはとっさに言い直した。それは正解だったようで、『精霊合体』と口にした途端、皆の顔に理解の色が走った。
「そんな――精霊様とひとつに?」
「それは神と同義ではないか!?」
レイリィの言葉を継いだエミールが口にした『神』という例え。
『精霊』は、この世界においては『神』そのものと言っても過言ではない。
ヒトが作りし神ではなく、世界の共有認識として崇拝される神――それは森羅万象や天変地異、空に浮かぶ
つまり、今のエアリスは限りなくマクマティカ最高の存在に近いと言えるのだった。
「ア、アイティアもいつかあんな感じになっちゃうの?」
「それは、多分ムリだと思う……」
ソーラスの疑問は当然のものだったが、アイティアは即座に否定した。
今のエアリスを見て自分も同じになりたい、などとは到底思えない。憧れすら抱けないほど遠い存在と認識されているようだった。
「いやはや、これは驚いた……まさか、ただでさえ破格の精霊魔法師に、まだその先があったとは。さすがの儂でも初めて目にするぞ……」
小さな幼女の姿でありながら、マクマティカの生き字引と言われるオクタヴィアの言葉は重い。今この瞬間に立ち会い、エアリスの姿を記憶に留めることは、彼女の今後――その永劫の中に記録され続けることを意味していた。
「私達は、本当に救われるのかもしれません……」
ポツリと、独り言のようにレイリィは呟く。
「呪われた大地、巨大な地揺れ、ミュー山脈の噴火に、あの山のように聳える怪物まで…………どれひとつとっても、人類種を絶滅させかねないものばかり。しかもそれらが僅かな時間に立て続けに……もはや私の感覚も麻痺していますが、今私達は、奇跡の瞬間に立ち会っているのでしょう……」
それは全員の心を見事に代弁していた。
ただしイリーナは心の中で付け加える。
まだだ、と。
まだ奇跡は終わらない。
むしろこれからなのだ、と。
*
「哀れな」
エアリスが眼下に見下ろすのは、風の魔法によって身動きを封じられたエルザドンの姿。
その姿は鳥類型のモンスター・エルグルゥと、蜥蜴型のモンスター・レイザードを無理やり合わせたかのような形をしている。さらにその体表面には、鱗のようにビッシリとヒトの顔らしきものが生えており、真っ黒な目鼻口から汚穢な触手を差し伸ばしてくるのだ。
醜悪で嫌悪を掻き立てさせる見目だが、エアリスには関係のないことだった。
なぜなら、今の彼女には見えざるものが見え、聞こえないものたちの声を聴くことができていた。
「幾百、幾千、幾万……いや、もっとか。どれだけの死者たちの絶望と悲しみが寄り集まったものなのか。私には貴様たちを救ってやることはできん。だがせめて、二度と迷わぬよう、確実に葬り去ってやろう」
エアリスの全身に刻まれた
その魔素の全ては、彼女が纏う純白の衣へと吸収され、
果たして、そんなエアリスを見上げ、地に這いずる格好のエルザドンは何を思ったのか。風のリングで出来た帷子に拘束されたままの怪獣は、突如としてあられもない咆哮を上げた。
無為に還されたくないと。
恨みつらみ、怨念、絶望。
それらで縛り付けてまでしがみついた命を失いたくないと。
そう叫び、もがいているかのようだった。
その時、大開孔が震えた。
呪いの坩堝そのものである大深度地下――エルザドンの長い胴体を収納し、なお底さえ見えない昏き孔の底から、蠢くものが這い出してくる。
禍々しい姿をした呪いの落とし子。
エルグルゥとレイザードを醜悪にかけ合わせたその姿。
なんと、二体目のエルザドンが現れ――――
「眠れ」
エアリスが手刀を振り抜いた。
次の瞬間、まるで空間そのモノが切り裂かれたように地面がズレる。
それは呪いの大開孔を真っ二つにし、拘束されていたものと、這い出んとしていた二体のエルザドンをもろともに寸断した。
断末魔はなかった。
なぜなら二体の怪獣の遺骸は深緑の魔素に解け、疾く光の粒子へと変換されていったからだ。
聖都百万人の命と、その後呪いによって死滅した数々の命を撚り合わせて出来た巨大怪獣は、一欠片の未練も残さず昇華させられていく。そして――
「む――来たか」
エアリスが察知したのは背後。
聖都よりも更に北に位置する凍てつく大地の向こう。
そこから意思のある大きな津波がやってくるのを感じる。
「最後の仕上げだ」
エアリスは、今や聖都全域を満たす風の魔素、その全てを抱きかかえるよう、大きく大きく両手を広げる。その動きに合わせて渦を巻いていた深緑の粒子が僅かに停滞し――両手を振り下ろした瞬間、一気に動き始める。
まるで星空が落ちてきたかのような。
深緑の光の粒子が地へと降り注いだ。
それはまたたく間に聖都を満たし、焼け崩れた城壁を越え、周辺街道へと至り、いつか全裸のタケルに叱られた東屋を飲み込んで、さらにさらに拡がっていく。
半年もの間、大開孔から噴出し、堆積し続けた汚染物質や、力尽きて躯を晒す屍ごと、風の魔素が覆い尽くし、光の粒子へと変貌させていく。
それは浄化。光はどこまでも広がり続け、西はタニア連邦王国まで――東はアクラガスとドーリアにまでたどり着いた。
当然、地を駆け抜ける精霊の奇跡は、イリーナたちの足元まで波紋を拡げ、誰もがその奇跡をまざまざと目に焼き付けることとなった。
*
「な、なんということじゃ……!」
しわだらけの眼窩から滂沱の涙を流し、アストロディア・ポコスは跪いていた。
彼だけではない。この奇跡を共に目撃する駐屯地の兵士たち、そして避難してきたアクラガスの町民たちもまた、深緑の光を敷き詰めた地面の上に膝を着き、ある者は祈り、ある者は涙を流していた。
遠見の魔法により、小さなモニターの中、巨大怪獣は光に解け、聖都上空を覆っていた風の魔素は、今や周辺の地域全てを満たし尽くしていた。
人々は突如として現れた清廉なる風の魔素の気配に驚き、少しでもこの奇跡にあやかろうと、半身浴のように地面へと蹲り始めた。
「これが全部、エアリスさんが聖都から発した風の魔素……」
『おいおい、あそこからどれだけの距離があると思って……!』
「でも、とっても温かくて心地いい……」
「なんだろう、触れているだけで涙が……」
パルメニが、アズズが、そしてソーラスとアイティアが、深緑に触れ、掬い、手の中に包み込む。
「なんと膨大な……この魔素全てに、エアスト=リアスの魔力と浄化の意思が込められておる。まるで呪いで汚された大地を洗い流すかのようじゃ……!」
「これが、エアリスさんの風。とっても、綺麗、です……」
前オクタヴィアの言う通りだった。
エアリスは今、北の大地を丸ごと浄化しようとしている。
そして前オクタヴィアの言葉通り、目の覚めるような美しい光景が、全員の視界いっぱいに広がっていた。
「か、風の魔素が――!」
レイリィが驚きの声を上げる。
今まで、聖都の方角から一方的に流れてくるだけだった風の魔素が、唐突に方向を変えた。
まるで時間が巻き戻るように、今度は聖都の方角へと急速に流れていく。
大地の穢を諸共に、風の魔素は再びエアリスへと集まり始めていた。
「レイリィ様、遠見の魔法を――!」
エミールの声に全員がモニターを注視する。
そこでは、エアリスの操る風の魔素――汚染物質を含んだ――が、束ねられ、ひとつの大きな柱となり、天と地を繋ぐよう、力強く流動している光景があった。
全員が振り返る。
遠く距離を隔ててもわかる。
聖都の方角、確かに深緑の巨大な柱が見て取れた。
呪いの壺の源へ、さらに
誰しもがそう思った瞬間、モニターの中と、聖都の方角で、同時に黄金の光が爆発するのだった。
*
『悔しいですが、エアスト=リアスの仕事は完璧のようです、タケル様』
ミュー山脈の噴火を停め、王都を救い、そのまま聖都跡上空へと到達した僕が見たものは、
『はは、さすがエアリスさんだ』
それにしても、と僕は思う。
アウラと量子結合を果たしたエアリスは、この世ならざる者のように美しかった。
この非常時に何をと思うかもしれないが、僕も初めて目にするだけに、見惚れてしまうのは言うまでもない。
それでいて彼女は信じられないほどの規模で風の魔素を完璧にコントロールしている。規模だけなら負けない自信があるが、風の魔素たちは、まるでエアリスに使われたがっているかのような従順っぷりだ。僕の場合は莫大な魔素と意志力で無理やり従わせるのが関の山だろう。
『僕も負けてられないな――!』
と、その時、遥か北の方角から、急速に近づく水の魔素の気配を感知する。
『タケル様、セーレスさんとセレスティアです!』
来た来た来た。龍神族の特別な目で見れば、八俣の巨大な龍が地を越え、山を跨ぎ、怒涛の勢いでこちらへと押し寄せてくる。アレがすべてアクア・ブラッドでできているというのか。
エアリスといい、セーレスといい、改めてとんでもない魔法使いだと思う。
計画通り、最後の仕上げに入るため、僕はすでに臨界を迎えていた虚空心臓にさらに火をくべる。
『さあ、いよいよ終わらせるぞ――――真希奈!』
『畏まりました! トライ・パワー・トゥ・マキシマム! 虚空心臓からの精製魔力増大! ビート・サイクルレベル計測可能限界を突破――!』
無限の魔力を生み出す龍神族の最秘奥――虚空心臓。
僕の中にある初代エンペドクレスの心臓と、ディーオ・エンペドクレスの心臓。
そのふたつの
やがて、全身から薄っすらと黄金の魔力が漏れ始めたとき、僕は全身を包むプルートーの鎧を脱ぎ捨てた。聖都上空に浮かんでいた僕は、突然大空へと放り出され、そのまま真っ逆さまに落ちていく。
落ちていく最中、反転した視界の中でエアリスとすれ違う。
正に刹那のできごと。だが今の僕たちの認識速度からすれば、あくびがでるほど長い一瞬だった。
――任せたぞ――我が主、タケル・エンペドクレスよ!
――ああ、ちょっと地獄の底まで行ってくる。手はず通り、セーレスには躊躇うなって言っておいてくれ!
声なき声での会話。彼女の言葉には絶対の信頼があった。
僕はその期待に応えなければならない。
僕の眼前に真っ暗な大開孔が迫る。
全ての元凶。呪いの源。
かつて大深度地下には地脈を利用した魔原子炉があり、そのメルトダウンにより、地上の一切合財が消滅。
溢れ出した呪い――放射性物質により、大地は汚染され、地脈そのものもまた呪われてしまった。
自然の回復力では、恐らく数千から数万年単位の時間が必要になるだろう。
その間に、今回のミュー山脈の噴火や、巨大地震など、様々な天変地異が襲いかかり、世界を滅ぼしてしまうかもしれない。
僕はそんなことは認められない。
セーレスやエアリスと出会い、これからもともに歩んでいく世界に、そんな呪いは必要ない。
今ここで、全てを断ち切ってみせる――
「開門――!」
暗闇の中をひたすら落ちていきながら、僕は心の鞘から聖剣を引き抜き、頭上――真下に向けて門を開け放つ。
入り口が開いた瞬間、こちらの世界を侵食し始める暗黒の宇宙。
それは触手のように手を伸ばし、地の底の隅々まで浸透した呪いを吸収、後に完全消滅させていく。
「往けッ、全てを食らいつくせええええ――!!」
僕は全身に金色の光を纏い、星の中心へと向かいながら、汚染された地殻を諸共に吸収――消滅させていく。
これが僕の浄化作業。悪い病巣を根底から消し去り、空っぽになった隙間に、別の清らかで聖なるモノでいっぱいに満たしてやる。
「来た――!」
遥か遠く、最早針の穴よりも小さくなった大開孔部。
地上へと続くそこから、清廉な水の魔素が流れ込んでくる。
セーレスとセレスティアの八岐大蛇が聖都跡に到着し、大開孔部で形を解いたのだ。
アクア・ブラッドという不変を付加された特別な魔法を使い、大開孔の全てを封印するのである。
『超大質量物――アクア・ブラッド接近! 気圧が急速に低下中――タケル様、このままでは危険です!』
真希奈からの警告。
だが僕の浄化作業はまだ終わっていない。
僕はさらにさらに地下内部へと進んでいく。
記憶にあった地下施設の深度、4000メートルはとっくに越えている。
それでも広大な竪穴はまだまだ先へと続いている。
あの日――聖都が消滅したあの日。
天を焦がした光の柱は、恐らく地下深くをも貫いたのだ。
そうして『ゲート』での吸引作業をしながらどれだけ進んだのか。
ついに暗闇の視界に、小さな出口が見え始める。
赤い点だったそれは、やがて真っ赤に燃え盛る地獄の窯の底であると知った。
窯の底を抜けるとそこには、恐ろしいほど広大な空間が拡がっていた。
「これが地脈の根本――!」
それは星の息吹そのもの。
地殻という硬い皮膚の下には、ヒトと同じように、数多の血管という名のマントルが脈々と流れている。
それは星のエネルギーを運び、流動させる星の血液そのもの。
だが、同時にそこは、一切の生命の存在を許さぬ、灼熱の地獄だった。
『現在、地上から地下約30.000メートル地点。推定温度5000度、周辺気圧は300万オーバー!』
鎧を纏っていてもただでは済まない環境下。これが生身なら一瞬で消滅している。でも僕が身にまとう金色の光輝は、物理法則そのものを無視して、僕自身を保護し続けていた。
酸素もなく、高温と高圧に晒されながら、僕は今前人未到の最果ての地にたどり着いていた。
『タケル様、あれを――!』
真希奈が指し示す先には、真っ黒いコールタールのように澱んだマグマがあった。
汚染物質を大量に含んだ極大の呪い。触れれば忽ち絶命へと至る『死』そのものだとわかった。
その澱んだマグマは、まるで意思でもあるように、周囲に溶け込むことなく、大きなひとかたまりとなって留まっている。まるで何かを守るように、周囲の地殻に根を張ってそこにあり続けていた。
「まさか――!」
龍慧眼を発動させる。
最悪の予感が的中する。
まさしくその穢れたマグマ溜まりは『
内部で胎動するのはエルザドン――よりもさらに凶悪で強大な怪物だった。
『信じられません……こんな巨大な生物が存在しているなんて! しかも星のエネルギーを吸って、尚も成長を続けているようです!』
到底地球の常識では考えられない規模の化け物。
恐らく巨大地震も、ミュー山脈が噴火したのも、全てはこいつが原因。
ただ存在し、成長するだけで、周辺の地殻に致命的な影響を与えてしまっているのだ。
『タケル様、間もなくアクア・ブラッドによる大開孔部の充填封鎖が完了してしまいます!』
「真希奈、アレをやるぞ――!」
『アレとな? タ、タケル様の凛々しくも勇ましいあのお姿をまた拝謁できる!?』
僕の頭にしがみつき、共に金色の光輝に守られている真希奈(人形)は、僕のあの姿が大のお気に入りのようだ。
あの姿とはすなわち、共鳴した二つの
魔力という純粋なエネルギーの物質化現象。
それは真希奈というOSが奏でる妄想とが合わさった理想像へと僕を変身させる。
灼熱の色で満たされていた広大な地下空間に、黄金の光が爆発した。
高温高圧ももはや涼風ほどにも感じない。
龍を模した黄金の鎧甲冑を纏うこの姿は、圧倒的で絶対的な力が出せる反面、長く維持することが適わない。
つまりそれは、力による陶酔感と全能感により、僕自身という本来のパーソナルが塗り潰されて消えてしまうためだった。
「………………!!」
僕は無言のまま、胎動をする繭に向けて聖剣を振り抜く。
空間そのものを引き裂き、巨大『ゲート』が口を開ける。
世界を侵食する闇の触手が、これまでにない規模で溢れ出し、汚穢な胎児を絡め取っていく。
『――――ッッッ!?』
己の死を悟ったそれは、断末魔の声だったのかもしれない。
胎児は、闇が触れた先から原子結合を解かれ、無そのものへと還っていく。
マクマティカを七度滅ぼして余りある最強最悪の悪魔は、そうして誰に取り上げられることもなく完全なる虚無へと還っていった。
*
「タケル……!」
上空に待機する神像――ラプターの上に騎乗したセーレスは、流石に疲労困憊の様子で膝を着きながら、眼下の聖都跡を見つめていた。
いや、もはや聖都跡などとは呼べない。
100万人都市があった場所は今、そっくりそのまま広大な湖となっていた。
汚染物質に塗れた瓦礫の街も、崩れかけた城壁も、何もかもがエアリスの風に解けて消えた。まっさらになった大地に蓋をするよう、セーレスのアクア・ブラッドによって封印が成されたのである。
大開孔に連なっていた大深度地下もアクア・ブラッドで充填され、もはや何人にも干渉不可能な聖域が出来上がってしまった。
それは当初の計画どおりであり、聖都の呪いは完全に除去されたはずである。
だが、彼女たちの大切な者だけが、未だに帰ってこない。
地下の奥深くに行ったまま、封印は完成されてしまった。
「大丈夫だ……タケルは必ず帰ってくる」
「そうだよお母様、お父様すっごく、すっごいんだから!」
「前も……ちゃんと、帰ってきた」
『精霊合体』を解除したエアリスがセーレスの側に寄り添う。
セレスティアは力強く断言し、アウラも頼もしい言葉をくれる。
セーレスが精霊であるセレスティアを通じて見た記憶は、非常に断片的なものであり、夢を見ているのと変わらないものだった。
セーレスの認識におけるタケルは、まだヒトだった頃の、魔法さえ使えなかった頃の印象が大きいのである。
魔族種となったのも、魔法学校の先生に招聘されたのも、暴走したモリガンを止めたのもタケルであると認識しているが、この中では唯一、タケルの『あの姿』を目撃していないが故に、不安で心配で仕方がないのだった。
「お父様ね、前はね、星がいっぱいあるところで、ピカピカーってなって、もやもやーってなったと思ったら、キラキラになったんだよ!」
「うん、全然わかんない」
それでも、一生懸命励ましてくれているのがわかるため、セーレスはギュッとセレスティアを抱きしめた。
「アウラも来て」
左手を差し伸べられ、ふわふわと近づいたアウラが抱きとめられる。
両手に水と風の精霊を抱きしめたまま、セーレスは背後を振り返った。
「エアリス、背中が寂しいよ」
「やれやれ、そなたはたまに大きな子供になるな」
「いい。今は子供でいいから。早くぅ」
「はいはい」
しゃがみこんだエアリスが、背後からセーレスのお腹に手を回し、抱きしめる。
エアリスも身体を休めるよう大きく息をつくと、セーレスの肩に顎を載せた。
そうしてどれだけそうしていただろう。
真っ赤な夕暮れは過ぎ去り、夜の帳が辺りを包み始める。
浄化が終わった湖には、ただ静謐だけが横たわっていた。
淡い藍色に輝く湖面は、ふたつの
エアリスとセーレス、セレスティアとアウラはひたすら待ち続けた。
ラプターの上から湖を見下ろし、新たな変化が訪れるのを今か今かと待ち望む。
そしてついに――
湖面に波紋ができ、その中心から、黄金の龍が飛び出した。
違う、それは眩いばかりの光輝を放つヒトの姿形をしていた。
長く尾を引きながら舞い上がる姿を、本物の龍と見間違えてしまったのだ。
「ああ……タケル!」
「お父様!」
「パパ……!」
金色の光が収まると、そこには見慣れた少年が佇んでいた。
真っ先に駆け寄ろうとしたセーレスだが、フラフラだったために、結局エアリスに抱えられ、セレスティアやアウラごと運ばれることとなった。
「よく無事で戻った……!」
家族と呼べる少女たちに出迎えられた少年と少年の愛娘は、万感を込めて帰還を告げるのだった。
「ああ、ただいま……!」
『ただいま戻りましたー!』
月と湖に挟まれて、ひとつとなった影が解けるのは、大分あとになるのだった。
続く。
【北の災禍と黒炎の精霊篇3】了。
次回【浄化の勇者様御一行バカンス篇】に続く。
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