第352話 北の災禍と黒炎の精霊篇3⑮ 聖都跡浄化作戦最終楽章〜侵食渓谷を征く八岐大蛇

 * * *



「空が……風が騒いでおる」


【ドーリア駐屯地・野営テント居残り組】


 今日は何という日だ、とアストロディア・ポコスは思った。

 魔族種の王という、ヒト種族とは一線を画す存在の協力で初めて希望が見えた聖都跡の浄化作業。


 取り残されていたアクラガスの町民たちを救出し、さてこれからだ、という時に限って事態が急転してしまった。


 巨大な地揺れに、超巨大魔物族モンスターの出現、さらに数百年ぶりとなるミュー山脈の大噴火と。


 どれ一つとっても、ヒト種族が滅亡しかねない事態。

 それが僅かな時間に立て続けに起きてしまった。


 今日はおそらく世界最後の日なのだろうと、以前までのポコス翁なら思ったはずだ。だが、そんな絶望は、彼らの手によって覆されていく。


 タケル・エンペドクレスと、稀代の精霊魔法師ふたり――エアスト=リアスとアリスト=セレス。


 龍神族の王にして自ら創り上げた精霊を駆使する聖剣の担い手。

 そして具現化した風と水の精霊と心を通わせるふたりの魔法師。


 片や魔法世界マクマティカに魔法体系を構築させ、教え広めていった始祖と考えられている龍神族と、片やたったひとりでも現れれば、必ず後の歴史に名を刻まれると言われるほどの精霊魔法師。


 それら三名が力を合わせひとつの困難に立ち向かうとき、たとえ世界の滅亡であったとしても、どうにかしてしまうのではないか――そんな期待があった。


 そしてポコス翁は実感する。

 自分は今、彼らの力の片鱗を目にしている、と。


「こ、こんな空の姿は初めて目にします……!」


 レイリィが言う通り、空は尋常な様子ではなかった。

 長い長い雲が棚引き、ゴオオという物凄い風と共に、常に一定の方角へ流れていくのだ。


 雲と風が向かう先は聖都跡がある方角で、まるで大気そのものがすべてそちらへと吸い寄せられているかのようだった。


「い、一体何が起こっているというのだ……?」


 ブルリと、寒くもないはずなのに己の肩を抱くエミール。

 それは他の者たちも同じようで、特にアイティアなどは不安そうに、同じく周囲を油断なく警戒するソーラスと共に、異常な空を見つめ続けている。


「多分、私知ってるこれ……」


 ポツリと呟いたのは異世界からやってきた小さな賢者・イリーナだった。


「イリーナさん、じゃあこれは一体?」


「儂の悠久の記憶でも、これほどの天変地異は初めてじゃというのに」


 今自分たちが陥っている異常事態を解明すべくレイリィとオクタヴィアが問いかける。


「お腹、空きました……」


 ひとり関係のない発言をした前オクタヴィアは「飴でもしゃぶって黙っとれ!」とオクタヴィアに怒られていたが。


「そ、それでイリーナさん、あなたこの異常気象に心当たりが?」


 気を取り直したパルメニの質問に、イリーナは確信を込めて言う。


「衛星軌道からも観測できるほどの大気可動――間違いない。エアリスちゃんがあの姿になったんだ……!」


 イリーナは懸命に目の前のPCを操作しながら、手製のプレデタードローンを聖都へと向かわせていた。もともと偵察用に放射線シールドを施した機体だったが、聖都跡へと流れる気流に乗ることに成功し、想定よりもずっと早く目的地へと到着することができていた。


 激流の中でもみくちゃにされるようだった視界の中、唐突にカメラの映像が回復する。まるで台風の目にでも入ったように安定する機体。映し出された光景に、一同は釘付けとなった。


「これは――」


「まさかこれが――」


「エアリスさん、なの?」


 パルメニ、オクタヴィア、ソーラスが目を見開く。

 アイティアは言葉もないようで、しきりにまばたきを繰り返し、レイリィとエミールは口元を覆って息を飲んでいる。前オクタヴィアは新たなキャンディを口に運んだ。


「以前地球で見たのと同じ……アウラちゃんとひとつになった姿……」


 褐色の肌に明滅する幾何学模様パターン。純白の羽衣を纏い、深緑の魔素に抱かれたその様は、一介の風魔法師を超越した雰囲気を醸し出している。



「今なんと言うたかの、小さな賢者殿よ。エアリス殿とアウラ様が一つになったとな?」


 百年を生きる宮廷魔法師アストロディア・ポコスは顔面にビッシリと脂汗を浮かべ、息苦しそうに心臓の上を抑えながら喘ぐように問うた。


「高次元情報生命量子結合体――自分より以上の存在、情報生命体である精霊と量子レベル――魂が融合することだってタケルは言ってたけど……」


「なんと、なんとなんとなんと――! 精霊様と魂の融合を!? そ、そのようなことが――!?」


 今この場にいる者たちの中で、アスティロディア・ポコスより以上に衝撃を受けているものはいなかった。


 悠久の記憶を受け継ぐオクタヴィアは、自分の記憶を『記録』として一歩引いたところで管理している。


 アズズ・ダキキは同じく魔族種だが、魔法師ではない。


 アイティア・ノード改め、アイティア=ノードは同じく精霊魔法師だが未熟で若すぎる。


 それ以外の者たちも同じく、そもそもが若すぎた。


 百年を生きた宮廷魔法師だからこそわかる『僥倖』と『果報』が今、彼の全身を雷鳴のように駆け抜け、心の臓を締め付けていた。


「ポコス様、大丈夫ですか、顔色が!?」


 傾ぐ老体を健気に支えたレイリィ王女。

 反対側からエミールも支え、ポコス翁は「ぜい、はあ……!」と息を荒げた。


「王女よ、エミールよ、そして最も新しき精霊魔法使いの少女よ」


「は、はい……!」


 苦しげな老人から突然名前を呼ばれ、アイティアは飛び上がって返事をした。


「ヒトの身でまさか精霊神せいれいしんの御姿を見ることが叶おうとは……、王女もエミールもその幸運を噛みしめるがいい。そしてお主は、自分がたどり着くべき頂きの姿を目に焼き付けておくのじゃ……!」


「はい……!」


「了解しました!」


「わ、わかりました……!」


 再び一同はモニターの中へと目を移す。

 大開孔ベントから這い出たエルザドンがその汚穢な触手をエアリスへと伸ばす瞬間が映し出されていた。



 *



 巨大な嘴はエルグルゥを、首や全身の鱗はレイザードを彷彿とさせる超巨大モンスター『エルザドン』は、長い長い胴に無数の人面疽を持つ恐ろしい姿をしていた。


 それはまるで聖都で犠牲になった100万人の信徒と、その後に犠牲になったヒト種族たちの怨念がそのまま宿ったかのような醜悪極まりない見目だった。


 それをエアリスは僅かな哀れみを持って見下ろす。

 今の彼女にはすべてが見えていた。


 地獄の釜の中で煮詰められ、醸成された恨みつらみ。

 異なる魂と魂が無限に沸いた肉の牢獄に閉じ込められ、ただひたすら純粋なひとつの意思によって突き動かされている様子を。


 即ち――「死にたくない」と。


 エルグルゥであっても、レイザードであっても、そして数多のヒト種族であっても。


 命あるものが今際の際で抱いたであろうたったひとつの願い。

 生への渇望という至極単純な強い意思。


 それ故にあの超巨大モンスターは、命あるモノを求めてプリンキピア大陸を彷徨い、必ずやヒト種族の国家を破滅させることだろう。


「哀れな……これほどまでに悲しい生き物だったとは」


 ことここに至り、大気中に満ちる風の魔素から、大開孔から無限と湧き出る放射線――ガンマ線、X線、β線、中性子線に加え、エーテル体と化した怨念の姿までもがつぶさに見て取れる。


 アウラという高次元存在と量子融合を果たしたエアリス自身もまた、平時の3次元空間にはない高次元の感覚を身につけるに至っていた。


 先に動いたのはエルザドンだった。

 全身の鱗にある人面から怨嗟の声が轟く。


 それは耐え難い不協和音となって、ミュー山脈を隔てた王都まで響くほどだったが、直上に静止するエアリスには決して届かない。


 声とは音の波。

 大気を伝わる振動であるが故に、音を媒介させる風の魔素そのものを支配下に置くエアリスに届く頃には、如何ほどの痛痒も感じない微風へと変わり果てていた。


 エルザドンの全身が震えた。

 身じろぎひとつさえ地揺れとなる巨体を蠢動させると、全身の人面から無数の肉の触手が溢れ出た。


「む」


 エアリスは僅かに驚愕する。

 その肉の触手は、今正に新たに生まれたものだったからだ。


 恐らく地脈のエネルギーを原料に、突然変異を起こした増殖細胞が、枝葉を伸ばすよう、次から次へと触手を伸ばしているのだ。


 百や二百では効かない、人面の目鼻口から万と生えた肉の弦が、生命力の塊であるエアリスへと殺到する。


「いいだろう――全て受け止めてやる」


 エアリスは呟く。

 前後左右、四方八方、三百六十度。

 触手はその先端を槍と化して、エアリスを穿たんと、全方向から襲いかかった。


 だが、どれひとつとして彼女には届かない。

 なぜなら触手の先端、万を超える一本一本はすべて、彼女が展開した小さな風のリングを貫いていたから。


 その輪を通った瞬間、肉の触手は細胞レベルで浄化され、清らかな風の魔素へと解け散っていた。どんなに触手の数を増やしても、どんなに死角を突き、緩急をつけても、彼女の支配する大気に触れる以上、全ての攻撃は即座に知覚され、たやすく浄化されてしまうのだ。


『GYYYYYAAAAAあああAAあAAAAあああ――――』


 怯えるように、エルザドンが咆哮した。

 万の触手をさらに増やし、百万の触手で攻撃しようとしたが無駄だった。


 増やした触手の先端には、片っ端から浄化のリングがハメられ、やがてそのリングが触手の根本まで到達し、ただの一つの触手も伸ばせなくなってしまったからだ。


 風のリングはエルザドンの体表面で結合し、互いを繋ぐ鎖帷子くさりかたびらとなる。それはそのままエルザドンを縛る拘束具へと変貌した。


「我が主タケル・エンペドクレスよ――一足先に始めるぞ」


 深緑の風が吹き抜ける。

 大気中は愚か、地表を舐めるように駆け抜ける風は、堆積した汚染物質を攫っていく。


 半年間の間に聖都を中心に大地を汚し続けた放射性物質そのものや、土や岩に残留するものすべてが舞い上げられていく。


 そのとき発生した超超巨大ハリケーンは、アクラガスやタニア連峰王国のみならず、ミュー山脈を隔てた王都、果てはリゾーマタからも確認できるほど大きなものだった。


「さあ、準備は整ったぞ――タケルよ、セーレスよ――!」


 ハリケーンの中心、汚染物質を多量に含んだ風を維持したまま、エアリスはふたりの到着を待つのだった。



 *



「ほー、これって……!」


 聖都から北に広がる侵食渓谷フィヨルド

 それを遥かな上空から見下ろし、セーレスは感嘆の声を上げていた。


「いち、にい、さん、しー……ちょうど八つに別れてるね、お母様!」


 セレスティアの言う通り、眼下には冷たい大地が広がり、それを抉るように複雑に描かれた渓谷が八本。ひとつの渓谷が途中で二股に別れたり、枝葉のように分岐したりと……。


 だが、兎にも角にも、遥かな空の高みから見下ろせば、その姿は八首の大蛇に見えなくもないのだった。


「これってアレだよねえセレスティア?」


「そうそう、お母様、おあつらえ向きってやつでしょー」


 ししし! とセレスティアは鼻に皺を寄せて笑い、セーレスもまたニコニコと笑みを作った。


「わっ!?」


「おっとと!?」


 ふたりが騎乗する神像――ラプターがガクンと揺れた。

 ラプターの装甲内部を満たすアクア・ブラッド。

 それは大気中に散布した霧状のアクア・ブラッドと結合し、物理法則を無視して異世界の巨人を虚空へと留まらせ続ける。


 だが、背後からやってきた物理的な衝撃波にふたりは驚き、振り返った。


「うわぁ、エアリスってば、すっごい!」


「目に見える全部、これ、みんな風の魔素!?」


 セーレスは称賛を、セレスティアは驚愕の声を上げて、背後の光景を見る。


 膨大な深緑の魔素が、天と地のすべてを埋め尽くし、渦を巻いていた。それはもはや、一介の精霊魔法師などに為せる業ではなく、正に神だけが操れる天災と言えた。


「これは、私達も負けてられないねセレスティア!」


「うん、エアリスとアウラをビックリさせてやろう!」


 溌剌とした気合と共に、セーレスの全身を湯水のような魔力が覆う。

 見下ろすのは八つ股の侵食渓谷フィヨルド

 渓谷内部を満たす、膨大な量のである。


 ラプターの左右の肩部装甲の上に屹立したセーレスとセレスティア。

 ふたりの母と子は、祈るように手を組み、瞳を閉じる。

 その途端、ラプターは床を踏み抜いたよう、唐突に真下へと落下していく。


 その先には、ひときわ大きく伸びる侵食渓谷フィヨルドがあった。

 全長10メートルの巨人は、祈りを捧げた母子を載せたまま、盛大な水柱と共に着水し、そのまま水中へと没していった。


 北の大地は冷たく固く。

 さらに北に進めば、海さえも凍りつく極海が待ち受けている。


 そんな凍える侵食渓谷フィヨルドに、突如水柱が屹立した。

 間欠泉のように高く高く吹き上げる水柱は、やがて侵食渓谷フィヨルドに貯まる水全てを吸い尽くして一匹の大蛇だいじゃへと変貌する。


 藍色の鱗を持つ大きな大きな一匹のオロチは、その姿を七つの蛇へと分けた。

 七つの蛇は山を越え、大地を滑り、また別の侵食渓谷フィヨルドへと吸い込まれていく。


 ズズズ、っと北の大地そのものが揺れた。

 七つの侵食渓谷フィヨルドから、それぞれ七匹の大蛇が鎌首をもたげる。

 その光景はまるで、七つの侵食渓谷フィヨルドそのものが大蛇と化し、身体を持ち上げたかのようだった。


「……隔たれた七つの愛子いとしごよ、母なる我が身の元、ひとつとなりて八に別れ給え――」


 水面へと屹立するラプターの真下、再び一匹の大蛇が起き上がる。

 頭上にラプターを載せたままグングン持ち上がっていくその大蛇の左右から、同じく藍色の鱗を持った大蛇が集結し始める。


 やがてすべての大蛇の胴体はひとつとなり、八つの首を持つ山のようなオロチ――八岐大蛇ヤマタノオロチが完成した。


 誰が知ろう、異世界の大都市に顕現し、聖なる夜に絶望を齎した怪物。

 アクア・ブラッドという水の精霊魔法師アリスト=セレスの稀有なる御業によって構成されたその身体は、内包したモノの時を遮断し、触れたものを浄化するという奇跡そのものを宿している。


 セレスティアが秋葉原に召喚した八岐大蛇は純度100%のアクア・ブラッドだった故に、せいぜいが百数十メートル程度のものだった。


 だが、今回セーレスが侵食渓谷フィヨルドの水を媒介にして創り上げた八岐大蛇は、山をも超える大きさとなっていた。


 広大な聖都跡と、大深度地下まで広がる大開孔を塞ぐため、セーレスはかつて無いほどの規模で自身の魔法を極限展開させていた。


 ザザザァ――っとまるで大波が打ち寄せる音と共に、八岐大蛇が進軍を開始する。


「くっ――さすがにキツイ、かも……!」


 少しでも気を抜けば、八岐大蛇は忽ち形を失い、解けていってしまうだろう。

 魔法を維持し続けるためには、大変な集中力と精神力が必要だった。


「大丈夫だよお母様、私がずっと一緒だよ……!」


「セレスティア……」


 八年。

 それは地球という異世界でセレスティアをひとりぼっちにしてしまった時間。

 アクア・ブラッドの中に封じられ、時間からも断絶された母を見つめ、セレスティアは幾度その言葉を口にしたことだろう。


「大丈夫だよ」「平気だよ」と。

 それによって支えられ続けてきたセーレスが、セレスティアの前で膝を屈することなどできはしない。


 愛しい娘が言うのなら、絶対に大丈夫。

 最後までやり遂げられるはずだから。


「セレスティア、こっちに来て。お母さんを支えてちょうだい」


「……うん!」


 ラプターの肩の上、母と子は抱き合い、互いに手を取り合いながら祈りを捧げる。

 冷たい大地の上を、まるで川の流れのようによどみなく、八首の大蛇が舐めるように進んでいく。


 山を超え、谷を超え、道なき大地を踏破していく。


 決着の時が、迫っていた――


 続く。

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