第351話 北の災禍と黒炎の精霊篇3⑭ 再び高次元情報生命量子結合体〜究極の魔法師VS呪いの申し子

 * * *



「早馬を持て!」


 物見の塔から様子を伺っていたオットー・ハーンは、パンディオン・ダルダオス他数名の部下のみを連れて王都を離れた。


 ミュー山脈まで続く穏やかな田園風景はしかし、ある時を堺に様相を変えた。


「こ、これは、なんという……!」


 境界に立ち尽くすハーンの後ろでパンディオン・ダルダオスが驚愕の声を上げる。


 ハーンは後ろを振り返った。

 部下たちを見たのではなく、目に収めたのは風景。


 青々と緑が茂る草原と、前を見れば、灰色の地面が広がる焼け野原のような光景。


 その二つの差異を見比べれば、ひとつの事実が浮かび上がって――否、ひとつの事実しか思いつかない。


 自分が今立っている場所まで、灰色の大津波はやってきていた。


 地を次々と飲み込み、熱波によってヒトも草木も燃やし尽くす恐ろしい津波。


 だが、この場所を堺に、灰色の大津波は前に進むことが出来ず、消え失せてしまう。


 後に残るのは、抉れた地面が街道に沿って延々と続き、見上げる先には、ずいぶん趣きの変わってしまったミュー山脈の姿がある。


 霞がかかって見える山頂部には、炎が吹き出していたのだろう、大きく崩壊している。

 その火口に、まるで栓でもするように細長い岩山が突き刺さってしまっている。


 すべてが規格外の光景だった。

 どのような魔法を駆使すればそれが可能なのか、ハーンにもパンディオンにも、他の兵士たちにもまるで検討がつかなかった。


 ジリジリと差す暑い日差し。

 高すぎる青空。


 何もかもがいつもどおりなのに、見慣れた山脈だけがあまりにも変わり果てていた。


「これがあの男の力、なのか……」


 ハーンの呟きに応えられるものはいない。

 そのうちハーンはひとり、腹を抱えて笑いだした。


 全員がギョッとするなか、ヒト種族最大国家の王は天を仰いで笑った。


「これほどの力を――はははっ、鎖に繋ごうなどとっ――!」


 タケル・エンペドクレスは聖都消滅の下手人として、広くヒト種族の間で指名手配となり、事実フリッツ・シュトラスマン名誉男爵の指揮の元、討伐軍が編成されたこともある。


 その時は魔法師部隊の火力で動きを封じて押しつぶし、討伐は成ったものと思っていた。だが、それは間違いだ。あの男にとって、あれは戦闘ですらなかったのだろう。


 自然災害すらねじ伏せてしまう力を持ちながら、人的被害はほぼないと言っても過言ではなかったからだ。


「タケル・エンペドクレス――神か、悪魔か、それとももっと別の化け物か!」


 狂ったように響く王の笑い声に、パンディオンは背筋が冷たくなるのを感じるのだった。



 * * *



「いやはや、参ったわい」


「さすが龍神族と言ったところかの」


 アストロディア・ポコス宮廷魔法師と、オクタヴィア・テトラコルド白蛇族の長は、急激に変わってしまった景観に感嘆の息をついていた。


 ドーリア駐屯地に設置された野外テントの中には、アクラガスの町民たちを救出してきた面々が居並んでいた。


 即ち、アイティア、ソーラス、パルメニ、アズズ、オクタヴィア母娘、そしてレイリィ王女とエミール、ポコス翁である。


 彼らは一様に、イリーナの操作するドローンカメラの映像に夢中になっていた。


 地球から持ってきた軍用プレデターをイリーナが魔改造を施したそれらは、魔法世界マクマティカの者からしても、『遠見の魔法』と写るようで、イリーナの天才性と相まって、彼女の扱いは今や、ヒト種族、獣人種、魔族種からしてもひと角の存在となりつつあった。


 全員が驚愕するのはモニターに映し出された異様な光景。大きな噴火口に巨大で鋭角的な岩山が蓋をしている姿だった。


『――ちッ』


 舌打ちをしたのは仮面のアズズだった。

 同じ魔族種、鬼戒族の王として魔神の剣の冴えを誇っていた彼であっても、やはり瞠目せざるを得ないものがあるのだろう。


「ほ、本当にあの炎の柱を止めてしまったの……?」


 アイティアが振り返るのは遥か彼方に壁のように聳えるミュー山脈だった。


 距離が離れすぎているので見えづらいが、モニターの中の光景と寸分たがわぬものが厳然としてそこにはあった。


 その身の内に炎の精霊を宿す彼女には、他の者には感じられないものが感じられ、見えないものを見ることができる。


 ミュー山脈の噴火とは、炎の魔法を使えるものにとっては、身の毛もよだつような出来事であり、この世の終わりに匹敵することだった。それなのに――


「ラエル・ティオス様は絶対無駄な投資はしない御方で有名だけど、これは納得だわ」


 ソーラスは今でこそ一時タケル預かりのメイドになってはいるが、いずれ正式な帰還命令が出されるのを待っている。彼女の本来の主はあくまで獣人種列強氏族がひとり、雷狼族のラエル・ティオスであり、今はアイティアの面倒をみるためにここにいる。


 そんな彼女の主ラエル・ディオスは、タケルがまだ魔族種として目覚めたばかりの頃から何かと世話をし、生活基盤が整うまで面倒を見続けたという。


 ソーラスが初めてタケルに会ったのは地下牢の中であり、やたらと自分の獣耳に興味津々の可愛い少年だった。


 弟のクレスを戯れつかせる感覚で触らせたこともあったし、その後、本気で女としての矜持を失うほどに触られ、気をやったこともあった。


 一時、弟の学校の先生もしていたこともあり、何かとタケルとは縁が深いソーラスではあるが、思えば彼が本気で戦っている姿を見るのはこれが初めてである。


 否、これは戦いですらない。天災を力づくで鎮めてしまうことは戦いとはいえない。それはもはや神の御業と言えた。


「タケルさん……一体、私と別れてからあなたに何があったの――!?」


 ただでさえタケルくらいの年頃の成長は著しいとはいえ、これはあまりにも意味が違いすぎる。


 ヒトだった頃をよく知るパルメニだからこそ、彼が魔族種として生まれ変わったという話を聞いても、いまいちピンときていなかった。


 結局タケルはタケルであり、この世界の男たちとはどこか違った感性の持ち主であることも、彼自身が別世界のヒト種族であるのならば納得ができた。


 眼の前でアズズが駆る自分の剣を、タケルが事もなげに受け止めた事実を経てさえも、パルメニがタケルに抱く印象を覆すことは叶わなかった。


 でもこれは違う。自然災害を調伏するほどの力を操るとなれば、認識を改めざるを得ない。


 この僅かな期間に何もかもがあまりにも変わりすぎている……!


「ほっほ、驚いておるようじゃのう。これが奴が手に入れてしまった『聖剣』の力よ」


 モニターを凝視したまま固まっているパルメニたちに対して、得意満面な様子でオクタヴィアが言った。


「オ、オクタヴィアさん、聖剣って、本当にあの聖剣なの?」


 パルメニが一同を代表して質問する。

 オクタヴィアは「ふふん?」と大げさに首を傾げた。


「おぬしらヒト種族の言う聖剣の定義が、儂にはわからんのじゃが。そのへんをもそっと詳しく話してくれんかのう」


「詳しくって言われても……聖剣は聖剣でしょう。かつて勇者様が持っていたという」


「私たちも同じです。ヒト種族の勇者様が初めて手にしたという聖なる剣って……」


 パルメニだけではない、獣人種であるアイティアとソーラスも頷く。


「ほっほ。そうさな、聖なる剣で間違いはないぞい。あれはヒト種族の手に渡って初めて剣の形を成した。それ以前は剣の姿すらしておらんかった」


「それは、どういう意味かのうオクタヴィア殿」


 齢100年を生きるアストロディア・ポコスであっても、7万年という途方もない記憶を継承し続けてきた魔族種オクタヴィアには教えを請う立場にある。


 そのことがわかっているからこそ、宮廷魔法師の最高位であるポコス翁は彼女に対して敬意を持って接しているのだが、エミールは面白くなさそうに唇を尖らせていた。


 見た目は完全に偉そうな喋り方をする幼女オクタヴィアに、ヒト種族の長老がヘコヘコするのが気に入らないのだ。


「ヒトや獣人種よりもずっと長い寿命を持つ魔族種などは、アレの存在を『鍵』と呼んでいた。文字通り、ここではない違う世界の扉を開く『鍵』なる存在がアレなのだと。一度目は大隆起した大陸を、二度目は地を洗い流さんとした大津波を、アレはモノの見事に消し去ってしまった」


 ――ちょうど今のタケルと同じようにな、とオクタヴィアは一同を見た。


 全員が目を見開く表情に満足げに頷くと、彼女は続ける。


「三度目は何故かヒト種族の手に渡った。それが成したことは儂よりおぬしらの方が詳しかろう」


 伝説やおとぎ話として語り継がれる勇者の物語。

 王都のみならず、ヒト種族の領域を溶岩流から守り抜いた英雄。


 子供の頃に聞かされた者が男子なら、自分もまたそう成りたいと願い、女子ならその庇護のもとで安寧を授かりたいと憧れる、そんな存在。


「アレは、持つもの自身と周囲の認識によって見せる姿を変える、とはタケルの言葉じゃ。儂にはいまいちわからなんだが、持ち主である本人がいうのじゃからそうなのだろうよ。アレは剣の姿をしてはいるが、『鍵』であり、違う世界の扉を開ける究極の固有魔法『ゲート』を顕現できる道標なのじゃ」


「ほう、『ゲート』と。それこそおとぎ話の世界ですのう」


 ポコス翁はそうは言うが、たった一度きりとはいえ、『ゲート』の魔法を人工的に再現した者がいる。


 それこそが人類種神聖境界アークマイン教皇、クリストファー・ペトラギウスであり、それを影で操っていたオッドアイ――アダム・スミスである。


 たった一度きりの『ゲート』のために、聖都という都市と、そこに住まう信徒100万人とがもろともに消え去り、後には呪いの坩堝だけが残った。それほどまでに、ヒトの身には有り余る、常軌を逸した魔法なのだ。


「タケル様はどうしてそんなすごい力を持った『聖剣』を手に入れたのでしょう?」


 レイリィ王女が初めて顔をあげる。

 誰よりも食い入るようにモニターを見ていたのは彼女だった。


「それは、惚れた女を取り戻すため、と聞いておる」


 アダム・スミスによって地球へと連れ去られたセーレスを追いかけるため、聖剣の力を欲したタケル・エンペドクレスと、その手助けをするために共に異世界へと渡ったエアリス。様々な艱難辛苦を乗り越え、目的は無事に果たされた。


「セーレスさんを助けるためには、あれほどの力が必要だったというのですか……!?」


 ひとりの女を救うにしてはあまりに過剰な力なのではないか。否、それがなくては打倒し得ないほどの敵が立ちふさがっていたというのか。


「うむ、いや、それは……どうなんじゃろう? 儂は、あやつめが魔法世界マクマティカを去る直前と帰ってきてからのことしか知らんので……」


 先程まで饒舌だったオクタヴィアの声が尻すぼみになっていく。そうすると自然、この中で唯一の異世界人、イリーナへと視線が集まる。


「まあ、私とあいつの出会いは最悪だったけどね……」


 北極圏に発現した黒い孔。

 傾いた地軸。終わりが叫ばれる世界。


 冬の郊外の森にある屋敷で、一人凍え死にそうになっていた少女と、そこに現れた怪しい風体の自称魔王。


 孤独な少女の思いつきの願いをかなえるために、聖剣の力で地球を大混乱に陥れた。迷惑な話だが、だからこそイリーナはタケルが本気で自分の力を欲しているのだと理解したという。


「その後、あいつは本当に世界を救っちゃうことになるんだけどね」


 タケルがイリーナに対してのみ行ったデモンストレーションは『ブラックホールの祭日』と呼ばれ、世界に混乱をもたらした。だがそれから僅かな時間をおいて、地球は本当の破滅へ晒されることとなる。


 空に現れし汚穢なる太陽から現れた『サランガ』と呼ばれる化け物共により、地球は侵略されかかった。


 それを結果的に救ったのが、タケルであり、エアリスであり、そしてセレスティアだったのだ。


 未だ辿々しいヒト種族の言葉で、イリーナは地球上の誰よりも詳しく『サランガ災害』の始まりと終わりを皆に説明するのだった。



 *



「いたいた、ホントにおっきいねえ……!」


 時刻は、タケル・エンペドクレスがクレイトンからの避難民を無事に保護したのと同じ頃。


 方や魔法世界マクマティカ随一にして異世界に置いても比類なき風の精霊魔法使いであるエアリスは、膨大な風の魔素を自身に従わせて、ドーリア駐屯地から飛び続け――


 方や異世界に於いてもその有用性が証明された稀有なる水の精霊魔法使いであるセーレスは、空気中に散布したアクア・ブラッドフィールドの中を進むという特異な飛行方法を用いて。


 それぞれ稀代の精霊魔法の使い手は、聖都跡上空へと到着していた。


「ああ、確かにな……」


 セーレスに相槌をうったのはエアリス。

 ふたりが見下ろすのは、聖都が消滅した跡に広がる爆発の爪痕。


 衝撃波と炎によりボロボロになり、かろうじてそびえている城壁跡と、そのすぐ内部には街だった頃の痕跡が数多く見え、未だに形を残している家々の姿も見ることができる。


 だが中心部に行くに従って、破壊の爪痕は急激に度合いを増していく。


 すり鉢状に地面が抉れ、それが延々と続いていき、そしてついに中心部には、大きな大きな孔がポッカリと口を開けている。


 真上からであっても、まったく底が窺い知ることの出来ないほどの深さ。そしてその孔から這い出るようにして、巨大生物は鎮座していた。


「うっわー! エルザドンおっきいねえお母様!」


「おっきい……すごい」


 水と風の精霊であるセレスティアとアウラが喜びの声を上げる。


 精霊だ神だともてはやされても所詮は子供。

 神像やオクタヴィアの飛竜と同じで、大きいものが単純に好きなだけなのだ。


「うむ、だがアウラ、セレスティアよ、よく聞くのだ。あのエルザドンは悪い怪物なのである。そなたたちも感じているであろう、この大気中にばら撒かれている毒素を」


 エアリスの言う通り、聖都跡上空は汚染物質が蔓延していた。


 あの大開孔から吹き出した放射性物質は風に乗り、アクラガスやドーリア駐屯地の方へと流れ着くようになっている。常人ならば呼吸をしただけで重篤な症状が出るだろう。


「故にアレは早々に倒してしまわなければならない。このあとそなたたちの父がやってきて、あの孔の中身をすべて浄化する。その前に終わらせなければならないことがあるのだ。わかるな?」


 セレスティアは真下のエルザドンの威容を見下ろし、唇を尖らせている。アウラは手のひらをひらひらと宙空にさまよわせ、見るはずのないものを見るかのように目を細めた。


「うん……わかった」


 素直にうなずいたのはアウラだった。

 セレスティアも不満げではありながらもコクリと頷く。


「よし、エライぞそなたたち」


 わしゃわしゃと、エアリスはふたりのお子の頭を撫でた。その様子にはもはやアウラ我が子であるとか、他所の子セーレスの子だとか、そんな別け隔ては微塵も感じられなかった。


「非常にもったいないけど、わかった。やっつけちゃうよ!」


 セレスティアがそう気合を入れたときだった。

 エアリスは本当に済まなそうに顔をしかめる。


「悪いがここは私とアウラにまかせてくれないかセレスティア。そなたはそなたの母とともに、別の役割をこなすのだ」


「えええーっ!?」


 今度こそセレスティアは不満を爆発させた。

 下顎を突き出し、「えー!」を連発する。


「そなたはセーレスとともに、ここより北にある侵食渓谷に赴くのだ。そこにある大量の水を触媒に、浄化の水を創り、ここまで導いて来て欲しい」


 侵食渓谷フィヨルドは聖都からもっとも近い、大規模水源である。


 本来ならセーレスの水魔法で浄化のための清らかな水を作ることも可能なのだが、いかんせんあまりにも膨大な量が必要になる。


 大深度地下を埋め尽くして、この聖都を丸ごと覆い尽くして蓋をするだけの水量が必要なのだ。それをセーレスだけで創り出すことはあまりに大変とのことで、すでにある水源を利用する案をタケルが提唱していた。だが――


「アウラとエアリスばっかりずるいー、私もエルザドン倒すー!」


 子供のワガママの前には、効率性など意味のないことだった。


「わかってくれセレスティア。ここは子供のわがままを通してよい場面ではない」


「いーやーっっ!」


 空中に静止したまま、セレスティアは手足をブンブン振り回した。エア・駄々っ子だった。


「セレスティアが協力してくれたらタケルがアイスを食べさせてくれるぞ?」


「やぁーっ! 私もエルザドンやっつけるー!」


「あとで美味しい美味しいカレーも作ってやろう」


「ぎゃーんっっっ!!」


 手に負えないとはこのことだった。

 ギャン泣きを始めたセレスティアに、アウラもつられて涙目になっている。


 このままでは非常に不味い。そもそも戦うどころではなくなってしまう。


「セーレス、さっきからなにを黙っているのだ。そなたもなんとか言え!」


 神像――ラプターの肩に止まり、ずっと無言を貫くセーレスを窘める。


 だが当の本人は――


「――ぐすっ」


 何故かハラハラと涙を流していた。


「セーレス!?」


 ぎょっとしたのはエアリスだけではない。

 アウラはもちろん、セレスティアもピタリと泣き止み、セーレスを凝視した。


「そっか、いいよセレスティア。セレスティアはここに残ってエルザドンの相手をして。お母さんは多分ひとりで大丈夫だから」


 そういって笑顔を作ろうとするセーレスだったが、涙はポロポロと溢れてしまう。


「セレスティアがいないから、きっとお母さんすっごく大変だと思うけど、でもセレスティアはエルザドンをやっつけるほうが大事なんだよね。私より大事なんでしょ?」


「え、ちが、全然そんなことないよお母様!」


 慌てた様子でセレスティアが抱きつこうとするも、ぷいっと背を向けそれを躱す。母に抱擁を避けられたショックで、セレスティアは固まった。


「いいの、無理しなくていいから。お母さん、セレスティアと一緒なら頑張れるとおもってたけど、でも、うん、多分ダメかも。失敗しちゃうかなきっと。あーあ……ちらっ」


 しくしくと顔を覆って泣いていたのに、指の隙間から覗いたセーレスはいたずらっ子のような笑みを浮かべていた。ちらっとエアリスの方を向いて舌を出したあと、セーレスは仕上げに入った。


「じゃあね、セレスティア。お母さんもう行くから」


「ちょ、待ってお母様――」


「ついてこなくていいから。バイバイ、セレスティア」


 ラプターを操り、セーレスは背を向ける。

 だが背を向けただけで一向に出発する気配はない。


 セレスティアは初めての事態に言葉もないようで、ずっと「あう」とか「ちょ」とか「まって」などつぶやいていたが、とうとう「うううう〜」と唸りだし、大噴火した。


「うえええええん! ごめんなさいお母様ぁ! 一緒に行くから置いてかないでええええ〜!」


 人一倍ひとりになることに抵抗のあるセレスティアは、それはもう先のミュー山脈の噴火にも負けない泣きっぷりだった。


「どうしたのセレスティア? エルザドンやっつけるんじゃなかったの?」


「いいの〜、もういいから〜、お母様と一緒に行くの〜!」


「あらあら、こんなにベソかいて、セレスティアは泣き虫さんねえ」


「そ、そなたなあ……!」


 セレスティアを優しく抱きしめ、赤子のようにユラユラしていたセーレスは、事あるごとにエアリスにアイコンタクトを送ってくる。


 その仕草はまるで、いたずらが成功した子供のようだった。ちなみにアウラはカタカタ震えながらエアリスの背後に隠れてしまっていた。


「ちょっとやりすぎたかなー。どうしよう、セレスティア、ごめんね泣き止んでー!」


「びえーん! ぎゃーん! ぎゃーす!」


 その願いが聞き届けられることは当分なさそうだった。


「自業自得だ。そのまま行け!」


「うん、そーする。じゃあ、そっちはよろしくね。アウラも、エアリスを助けてあげてねー」


「……うん」


 エアリスの肩越しに顔を出したアウラはいつにも増して、コクコクと頷くのだった。


 そうして、泣き続けるセレスティアを連れて、セーレスは北へと向かった。


 それをたっぷりと見送ったエアリスは「ふう」とため息をひとつ、背後の娘へと語りかける。


「アウラ、私はあそこまではしないぞ。――しないからな?」


「……言うこと、聞く……ちゃんと」


 自主的に殊勝な態度を取るアウラにエアリスは心の中で「セーレスめが!」と叫んだ。


 だがこれから行うことを思えばそれもありがたい。


 改めてアウラを正面から抱き直し、その頭を優しく撫でる。それだけでアウラは安心しきったように目を細めた。


「アウラはいい子だ。いつもどおりにしてくれれば問題はない。母とともにあの大きいのをやっつけよう」


「……うん」


「どうか母に力を貸して欲しい」


「……うん」


「この世界に満ちる大気を統べる偉大なる風の精霊に願い奉る」


「……うん」


「邪悪なるものを討つ力を――変わらぬ明日を齎す力を――どうか我に与え給え」


「……………………うん!」


 抱き合い、見つめ合い、やがて触れ合ったふたりの額から眩い光が溢れる。


 汚染された大気のさらに外から、膨大な量の風の魔素がやってくる。


 辺り一面、エアリスとアウラを中心に深緑の魔素が渦を巻いていた。


 それはまるで繭のようにふたりを包み込み、別の存在へと生まれ変わらせていく――


 今まで頑なに沈黙を守っていた怪獣――エルザドンが動いた。


 天を衝く威容を伸ばし、醜く汚穢な口で、深緑の魔素で出来た繭を食らわんとする。


 だが、その直前――


 怪鳥のような、あるいは獣のような咆哮が、死の街に降り注いだ。


 繭は飲み込む直前に羽化を果たし、その奥から小さな――けれども圧倒的存在感を放つ人影を吐き出す。


 そのときに生じた衝撃波によって、エルザドンはたまらず地に崩れ落ちた。



「タケルが来るまでに、終わらせるとしようか――」


 エアリスの姿はそれまでと一変していた。

 褐色の肌の表面に、深緑に明滅する幾何学模様パターンが浮かび上がる。


 その身を包むのは純白の衣装――の姿をした、とてつもない力を内包した何か。


 精霊と心を通わせた魔法師だけがたどり着く究極の存在――


『高次元情報生命・量子結合体』となったエアリスは、超巨大怪獣エルザドンに向けて宣言する。


「毒の坩堝で生み出されし呪いの御子よ。一欠片も残すことなくこの星から消え去るがいい――!」


 聖都跡浄化作戦が始まった――


 続く。

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