第348話 北の災禍と黒炎の精霊篇3⑪ 幕間・胸騒ぎの子どもたち〜みんなの夏休みの予定は?

 * * *



【ナーガセーナ獣人種共有魔法学校課外授業】


「ねえ、今、何か聞こえなかった?」


 特別教室に所属するケイトは魔の森の方角を見つめ、周囲の仲間たちにポツリとつぶやいた。


「聞こえたって何がだ?」


「私には何も聞こえなかったの」


 クレスは猫耳を、レンカはうさ耳をピクピクとさせながら周囲に耳をそばだてた。

 ここはナーガセーナの海岸線。暑い日差しが照りつける浜辺に波が打ち寄せている。周囲には魔法学校の生徒たちが写生版を持って、思い思いの風景を画用紙に描いていた。


「ほえ、私も聞こえなかったですー」


 キョロキョロと辺りを見回しながらピアニが。


「僕も聞こえなかったけど……」


「拙者も特には……」


 のっそりと大きな身体のペリルが顔を上げ、ハイアもそれに追従する。


「俺は聞こえたぜ」


 コリスは険しい表情になって、ケイトと同じく、校舎のあるオーク巨樹の方向の、更に向こう、魔の森の、もしかしたらもっと遠くを見つめていた。


「聞こえたっていうか、なんか空気が震えた感じ、したかな?」


 ネエム少年の鋭い指摘に、ケイトはブンブンと首を縦に振った。


「そう、なんかピーンと震えた空気の向こうに、叫び声、みたいなものが」


「いや、僕はそこまでは……」


「ケイトの気のせいなんじゃねえの? 聞こえたの三名だけだろ?」


 クレスのぶっきらぼうな物言いに、ケイトは「そうかなあ」と肩を落とした。


「鈍感なクレスなんて気にしなくていいの。ケイトに聞こえたならそれでいいの」


「クレスは同室でペリルのイビキを聞きながらでも熟睡できるですー」


 特別教室の女子組は非常に仲がいい。あっという間に敵に回ったレンカとピアニにクレスは己の不利を悟った。


「いやいや、俺だって最初はイビキうるせえなあって思ってたんだぞ。でも、慣れるだろう普通?」


「拙者は無理でござるなあ。もしかしてわざとイビキをかくフリをして嫌がらせをしているのではないかと疑うほどでござるよ」


「そ、そこまで言う……?」


 話がいつの間にか自分のイビキを糾弾する流れになって、ペリルは涙目になっていた。


「話がズレてんだろがタコども。聞こえたのはケイトと俺とネエムだけか。ふっ、多分これが才能の差だな……!」


 コリスは女の子みたいな長い髪をかきあげながら、キザったらしく嘲笑った。


「そういうことなら話は別なの」


「多数決は集団生活の大原則ですー」


「ああ、女の友情って儚い……!」


 側を離れていくレンカとピアニに、ケイトは競争社会の現実を知った。


「じゃあ聞こえなかったのは僕ら三名以外の全員と……うーん、まあ聞こえたからなんだって感じだと思うけどね、はは……」


 ネエム少年の今更な発言は全員の顰蹙を買った。「今更なに言ってんだ」とクレスは怒るが、それでも本人は全く気にした様子がなかった。


「ネエムくんって顔はカッコいいけど……」


「いつも一言よけいなの……」


「本人に自覚がないってタチが悪いですー」


 イケメンなので他教室からの女子にはモテモテだが、同じ教室のケイトたちからは微妙な評価のネエム少年だった。


「大体さ周りを見てみろよ、空はカンカン照りの大快晴だし、波はちょっと高めだけど、まあ普通だし。風は……ちょっと出てきたか? でもまあ何時も通りだろ。空気が震えるなんて意味わかんねーよ」


 魔法に対して稀有な才能を持つ、共有魔法学校・特別教室の子どもたちは、いつの間にか『聞こえた組』『聞こえなかった組』に分かれて睨み合いを始めた。『聞こえなかった組』のクレスが「異議あり!」とばかりに口撃する。


「私達は魔法師として、常に四大魔素以外にも、周辺環境に気を配る必要があるってナスカ先生も言ってたでしょ。感じた違和感を気のせいで済まさず、まずは何かあると仮定した状態から検証するべきだよ。クレスの物言いは論外だから」


 ケイトの理路整然とした反論に、クレスは押し黙った。そして苦し紛れに「ナスカ先生の名前を出すのは卑怯だろ」と呻くのだった。


「うーん、じゃあケイトは今はなんか聞こえるの?」


 普段はボーッとしたペリルも、周囲を注意深く観察しながら問う。


「いや、今はねえな。だよな?」


「う、うん、今はね。あくまで今は」


 ケイトはコリスに頷くが予防線を入れるのを忘れない。

 結局、双方ともに証拠もなにも無いため、仲間を説き伏せることはできなかった。


 白けた様子のクレスたちに、ケイトは「嘘じゃないもん」と涙目で頬をふくらませるのだった。


「あなたたち、写生もしないで何してるの?」


 全員の前に現れたのは、クイン・テリヌアスだった。

 以前まであったキツイ雰囲気が綺麗サッパリとなくなっている。


 そうすると、生来の美しい顔立ちから、途端に求婚者が後を絶たなくなった。

 だが本人はまったくそのつもりがないらしく、丁寧に断り続けているらしい。


「あ、クイン先生ちーっす!」


「その適当な挨拶はやめなさい。私はいいけど、他の先生にはするんじゃありませんよ」


 クレスの失礼な物言いにもものすごく寛大だ。以前なら殺気と共に、彼女渾身の炎の魔法が炸裂していたことだろう。あまりにも違いすぎる。


「実は、ケイトが変なことを言い始めたの」


「変なこと?」 


「空気が震えて、叫び声みたいなのが聞こえたーって言うです」


「変じゃないもん。ホントだもん……くすん」


 レンカとピアニの言い方に、咎めるような響きを感じて、ケイトは懸命に抗議した。


「他に聞こえたっていうものは?」


 ケイトと一緒にコリス、ネエム少年が挙手する。

 クインは三名を見つめたあと、続けて質問する。


「ケイト、それはどっちの方角?」


「えっと、なんかあっちの方です」


 彼女が指差すのは校舎のあるオーク巨樹が聳える方角だ。

 だが当然クインはそれよりもさらに向こうのことを言っているのだろうと当たりをつける。


「みんなも知っての通り、校舎の奥には獣人種の手が入った魔の森があって、その更に奥には手付かずの森が広がってるわ。でも、ちょうどケイトが指差す方向――大河川ナウシズを越えてさらに向こうにはクルル山地があるのよね」


「クルル山地?」


 首をかしげたのはケイトだけではない、他の皆も聞き慣れない言葉だったようで、キョトンとしている。


「あなた達も進級すれば世界史の授業が始まるわ。私達のいるナーガセーナから北東に進めばヒト種族と獣人種が共生する商業国家エストランテがあるのは知ってるかしら?」


「知ってるの。私達の日用品の多くもそこから来てるの」


 さすがレンカは商家の娘だ。クインは頷く。


「そうね、そして西に行けばラエル・ティオス領があって、大河川ナウシズを挟んだ先には魔族種領ヒルベルト大陸があるの」


「そこって、ナスカ先生がいる場所でござるか……?」


「そうね、そのはずよ」


 普段は真面目に授業を聞くことも稀な彼らだが、自分たちの生活に関わっていたり、知っている人物の名前と一緒に聞くことで、学習意欲が刺激されているのだろう、みんな興味津々な様子だった。


「そして獣人種領と魔族種領を分断する大河川ナウシズを北上していくと、源流であるクルル山地に到着するの。同時にそこは、ヒト種族の境界の町、リゾーマタのすぐ近くでもあるのよ」


 クインは手近に落ちてた枯れ枝で砂浜に簡単な地図を書き込んでいく。

 ナーガセーナを中心にして、エストランテ、ラエル・ティオス領、その隣にヒルベルト大陸、ヒルベルト大陸の真ん中らへんにお城が描かれ、ナスカ、と書かれる。


「あとはこっちは全部魔の森ね」


「魔の森ってすげー広さだなおい!」


 コリスがびっくりした様子で叫んだ。

 その大きさから比べれば、獣人種の領地はあまりにも少ない。

 海岸線は概ね獣人種領だが、それでも魔の森の領域からすれば極わずかだった。


「そうね、北の山岳地帯、デルデ高地の一部も含めた面積は、ヒルベルト大陸にも匹敵すると言われているわ。私達は自分たちの版図を広げるためにも魔の森を開拓し続けていかなければならないの」


「それって僕たちが獣人種だからですか?」


 疑義を呈したのはネエム少年だった。

 さらに続けて彼は、「魔族種やヒト種族はそんなことする必要ないのに、どうして僕らだけがそんな義務を背負っているのでしょう?」となかなか鋭い質問をする。


「そうね、確かに魔の森を開拓するのは私達獣人種だけね。でもそれは義務ではないわ。あなたたちは将来、いずれかの獣人種領に移住すれば、魔の森を開拓する仕事を負うことになるかもしれない。でも、エストランテやヒルベルト大陸に移住する獣人種もたくさんいるのよ。義務ではなく、私達の生活の一部なの」


 さらにクインは森の開拓によって伐採した木々は、加工され造船施設に送られることを教える。それらは立派に経済を回し、自分たちの生活にも直結していると言うと、子どもたちは感嘆の声を上げた。


「さて、ヒト種族と魔の森を分ける境界の町、リゾーマタにもほど近いクルル山地のさらにその向こうには何があるかわかるかしら?」


「山地ってあれだろ、細長く山が連なったやつだろ?」


「いや、それは山脈。連なってはないけど、山々が集まってて谷間をいくつも形成してるのが山地」


 クレスの言葉に答えるペリル。クインは「正解」と褒めた。


「その向こうなら、流石にもう山はねえよな。ヒト種族の領域が広がってんじゃねーの。よくわかんねーけど」


「確かにコリスの言う通り、クルル山地の向こうにはヒト種族の領域が広がっているわ。でもね、実はその先――さっきちょうどケイトが指さした方角はね、マクマティカのヘソと呼ばれるミュー山脈があるのよ」


「ミュー山脈――あ、アレでござるか?」


 デルデ高地出身のハイアは同緯度だったため、日常的に見ているはずだった。


「そう、ヒルベルト大陸の蓋と呼ばれるテルル山脈のおよそ三倍以上の高さ、面積は十倍もあると言われる超巨大山脈よ。かつてはそのミュー山脈が大噴火を起こしたこともあるのよ」


「知ってるです、それって勇者様のお話に出てくるですよね!」


 聖剣によって選ばれたヒト種族が勇者となった伝説は、子供の頃に一度は聞かされるおとぎ話として有名だった。


「あれ、でもその聖剣って今は、ナスカ先生が……?」


 ネエム少年の呟きに、その場の全員がしーんとなった。

 暴走し、自爆して大やけどを負ったネエム少年を救うため、精霊魔法師様のところへ運んでくれたのがナスカ先生の持つ聖剣の力だと彼は聞いていたからだ。


「みんな、そのへんはあまり深く考えないように。ナスカ先生はいろいろ常識が通用しないヒトだから」


「そう、ですね。そうします」


「なの」


「ですぅ」


「だよなあ」


「だね」


「けっ、真面目に考えるのがバカバカしいぜ」


「ござるござる」


「はは。助けてもらっておいてなんだけど、確かにそうだねえ」


 クインの言葉に、ケイト、レンカ、ピアニ、ケイト、ペリル、コリス、ハイア、そしてネエム少年はうなずいた。


「まあ、というわけで、ケイトたちが聞いたっていうのは、ミュー山脈の声かもしれないわね。霊峰としても大変有名で、世界中に影響を与えるお山であることは間違いないから」


 最期にクインはそう言って締めくくるのだった。


「さて、みんな、想像力を鍛える写生の授業は進んでるの?」


「う。今続きを描きます」


 ケイトに習い、他の皆も一斉に風景を眺め、鉛筆を走らせ始める。クインはため息をつきながら「手を動かしたまま聞いてちょうだい」と言った。


「もうすぐ年度末休みに入ります。全員に休暇中の行動予定表を提出してもらうからそのつもりで。あ、そういえばケイトは領外に行くのよね?」


 その言葉を聞いて、ケイト以外の全員が「え?」という顔になった。


「あ、そうです。うちのお父さん、今ナスカ先生のところでお仕事しているので、休みの間はそっちに……」


 全員そんなことは初耳で、途端レンカが食いついた。


「ズルいの! それってナスカ先生のお城にいつでも行き放題ってことなの!?」


「セーレスさんとエアリスさんにも会いたい放題ですぅ!?」


「いや、だって、しょうがないでしょ?」


 父親であるリシーカは、ナーガセーナでは売れない護符売りだったが、ナスカ先生に依頼をもらい、なにか専属の仕事をしているらしい。


 ケイトは学校の寮暮らしになってしまったが、町外れのボロ家はすでに引き払っており、今後里帰りをする際には、ヒルベルト大陸、龍神族領首都・ダフトン郊外のリシーカ工房に行くことになるのだ。父とのやり取りは、冒険者組合の伝書鷲を通じて定期的に行っている。


「しかもダフトンって、最近新しいエストランテの寄港地になった場所なの!」


 いくら牧歌的な通信手段しか無いとはいえ商売に情報は必須である。その点、商家の娘であるレンカの情報はかなり正確で早いものだった。


「へえ、ってことはこれからすげえ発展していくことが約束された町なのか」


「そんなところでナスカ先生って王様してるんだね」


 クレスとペリルがぽつりと言うと、再び全員が静まりかえる。その沈黙が重くて、「あの、その……あはは」とケイトは無意味に笑った。


「ケイト、お願いなの、私も連れてってほしいの!」


「あ、ズルい、私も行きたいです!」


 レンカとピアニがケイトに飛びつき、


「俺も俺も、なあ、いいだろケイト!?」


「僕も行ってみたいなあ。美味しい食べ物あるかも」


 クレスとペリルも追従し、


「まあ、いっちょナスカ先生の顔でも拝んでやっかな」


「拙者も修行の成果をお見せしたいでござる!」


「僕も、練習した魔法制御力を見て欲しいかな」


 コリス、ハイア、ネエム少年も帯同を希望する。


「わ、分かった、分かったから。今度お父さんを通じてナスカ先生に聞いてみるから。でも先生が駄目って言ったら諦めてよね」


「言うわけないの。大丈夫なの」


「なんでそんなことが言い切れるのよ」


 えっへんと胸を張るレンカにケイトは当然の疑問をぶつけた。


「お願いするのはナスカ先生じゃなく、セーレスさんとエアリスさんにするの。ふたりがいいと言えば、ナスカ先生も絶対に頷くしかないの」


「なるほど、頭いいです!」


 わいわいガヤガヤとみんなはすでに旅行確定気分でいる。

 ケイトは渋々「わかった、お父さんに伝言を頼んでみる……」と言うのだった。


 ナスカ・タケルが残した生徒たちは校内でも規格外の子たちだ。

 それは彼の教えを直接受けたことが大きい。


 そしてさらに長期休暇中に彼の元で過ごすことで、他の追随を許さぬほどの成長を遂げることだろう。


(やれやれ、教師としての立つ瀬がないわね……私は、久々にアンとラエルに連絡を取ろうかな)


 あまつさえ三人で会って、飲み明かしたりできれば最高に楽しいかもしれない。

 少し前までの自分なら考えもしなかったことが今なら自然とできる。

 それもこれも全ては、ナスカ・タケルの影響なのだ。


 やがて、授業終了の時間になり、クインは子どもたちに呼びかけ、アーク巨樹の校舎へと戻っていく。振り返る海には白波が立ち、水の魔素たちがざわめいているように見えた。


 そして魔法学校に戻ったクインや生徒たちは、未だかつて経験したことのない大地震に襲われた。校庭に避難した生徒たちは、魔の森の向こうに、薄っすらと巨大な噴煙を見つける。


 もう間もなく彼らは知る。

 プリンキピア大陸のミュー山脈が噴火したことを。

 その知らせはまたたく間に世界中へと広がっていくのだった。


 続く。

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