第346話 北の災禍と黒炎の精霊篇3⑨ 月光の下・水と風に抱かれて〜名奉行レイリィの粋なお裁き

 * * *



 葬送の黒炎を囲んでのキャンプファイヤーは夜半まで続いた

 今は小さな篝火を焚いて、みんなすやすや荒野で野宿中である。

 エアリスが張った結界の中にいるので、みんな呪いのことは気にせず安心して休んでいた。


 町民たちは回復したとはいえ、体の毒素が取り出され、重篤症状から脱した状態だ。完全に元気になるためには、栄養のあるものを食べ、よく眠る生活が必要だろう。


 それでも、久しぶりに食べた温かな食事は呪いの恐怖に身も心も侵食されていた人々の癒やしになったはずだ。


 それに加え、葬送の儀式を大々的に行ったことは、町民たちの心に区切りをつけるいいイベントになったと思われる。これで彼らも心置きなく町を離れて避難することができるだろう。


 そう、アクラガスの町は閉鎖することになる。

 その上で王都はドーリア駐屯地を関所として、聖都の浄化作業が終わるまでヒトの出入りを厳しく禁止するのだ。


 明日にはいよいよ町民たちをドーリア駐屯地まで誘導し、引き渡す。

 彼らは駐屯地の近くに難民キャンプを設営し、そこで暮らしながら経過観察ののちに自由の身となる。


 親戚がいるのならそこを頼るのもいいし、まったく別の土地に行って一から始めるのもいい。ハーン国王は特別措置として、彼らへの資金援助をしてくれるそうだ。人生をやり直すいい機会になるだろう。


 ……などということを考えている僕が今どこにいるのかというと、星の波間を漂っているところだった。


『といってもちゃんと大気圏内にいるがな……!』


 誰に言っているのだろうというお約束の突っ込みは飲み込んでおく。

 だって僕一人しかいないからね。


 鎧を纏った厳つい格好のまま、僕は今空中に仰向けで寝転がっている。

 下には無明の荒野が広がり、そして上には月と星の輝きが満ちている。


 汚染物質に対する大気希釈能力は凄まじい。

 海洋希釈能力はもっとすごい。


 この母なる大地と海と空を捨てて別の星へと向かうことなんて僕には考えられない。たとえ核の炎が世界を包んでも、長い長い時間をかけて自然は復元するのだ。


 でも聖都はそうもいかない。

 僕しか目撃したものがいないあの大開孔ベントは、まさに地獄の釜そのものだ。最大深度はゆうに3000メートルを超え、さらにその下まで抉られている可能性がある。


 そこにあったのは人工的に再現された『ゲート』の魔法であり、エネルギー源は魔法で補強された魔原子炉だった。さらにその魔原子炉は地脈とも密接につながっていた――


 それが聖都100万人を巻き込んで大爆発を起したのだ。

 INESイネス――国際原子力事象評価尺度というものがある。


 重大事故を意味するレベルは最大で『7』。

 だが僕の私見で良ければ聖都のレベルはそれ以上。

 おそらく『8』に該当するレベルにあると思われる。


 何にせよ、僕は自分の持てる全ての力で、聖都を浄化するつもりだ。

 精霊魔法師であるエアリスとセーレスにも協力を仰ぐつもりである。


『月がふたつもあるとかなり明るいなあ……』


 やはり僕も多少気負っているところがあるのかもしれない。

 ひとり星空の下で風の魔素に揺蕩っているとそれがよく分かる。

 こりゃあレイリィ王女のことは言えないな……などと考えていたときだ。


 鬼面の下、ふたつのムートゥの光を浴びて月光浴と洒落込んでいた僕に、フッと影が差す。


「こんなところにいたのか。探したぞタケル」


 濃密な風の魔素の気配。

 僕を支えていた風の魔素が、大量に剥がれていく感触。

 瞼を開ければエアリスが、僕に覆いかぶさるように顔を覗き込みながら浮かんでいた。


 ムートゥの青白い輝きを受けて、その銀髪が風に漂う。

 まるで彼女自身がほのかに発光しているような錯覚に陥る。

 いや、実際彼女も今はアクア・ブラッドスーツを着てるので、その輝きも手伝っているのだろう。


『さっきからずんずん風の魔素が奪われていくんだけど、やめてくれない? 僕、このままだと真っ逆さまに落ちちゃうよ?』


「そうなる前に私が助けるから問題はない」


 僕を見下ろしながらエヘンとばかりに腰に手をやるエアリス。

 そうしている間にも僕が集めた風の魔素は彼女の方へと流入していく。

 これが意図してやっているのではないのだからタチが悪い。


 風の精霊に守護された彼女はこの世界すべての大気を自在に操れる。

 従って何にもしなくても勝手に魔素の方が彼女に使われたいと離反していくのだ。


 僕は月光浴の片手間気分でコントロールしていた風の魔素の手綱を意識して握る。

 ピタッと、見るものが見れば、魔素の移動が停止し、僕の元へと留まっているのがわかるだろう。


「――ちっ」


『今舌打ちした?』


 なんだよ、そんなに僕を墜落させたいのかよ。


「昔は私の体にしがみついて、よく空を散歩していたのに」


『え? ああ〜』


 懐かしいな。

 地球に帰還したばかりの頃の話だ。


 今でこそ真希奈を通じて魔法の制御が完璧にできるが、当時は使えば大威力&大規模魔法しか使えなかった。


 もちろん、空を飛ぶなんて夢のまた夢。

 なのでエアリスに抱えられる形で空中散歩をしていたのだ。

 今思えばあれもまたデートだったといえるだろう。


「えっと、他のみんなはどうしてる?」


 拗ねた表情のエアリスには敵わないと思い、あからさまに話題をそらす。

 彼女は唇を尖らせていたが、軽くため息をついてから教えてくれた。


「もう皆殆ど休んでいる。イーニャはさっきまで『ぱそこん』をしていたが、さすがに寝るように言い聞かせておいた」


 体力が格段に劣るイリーナだが、アクア・ブラッドスーツのおかげで人並み以上のパワーになって、今日はずいぶんと肉体労働も手伝ってくれていた。でも慣れない作業で精神的には疲れてるはずだから休ませるのが正解だ。さすがエアリス母さん。


「夕食後、セーレスが一番最初に休むと宣言していた。魔法で寝床を作ると、あっという間に眠ってしまった。今日はだいぶ消耗したようだな」


『ああ、町民たちも彼女の魔法がなかったら、どうにもならなかったからな』


 医療技術が小石川養生所にも劣るこの世界では、セーレスの技能は大変貴重である。そもそも他人を治癒できるほどの水精魔法使いは大変稀有な存在で、国や領主から神官職を与えられ優遇されている。だが、それでも治療を必要とする民の数に比べて、癒し手の数は圧倒的に少ない。


 それがザオリクレベルの治癒魔法が使える者ともなれば、間違いなく世界でセーレスただひとりだ。以前ラエル・ティオス領で診察をしていたときなどは、あっという間に大評判になり、中には彼女の存在を神格化するものまで現れる始末だった。


「歯がゆいな。私はこういうとき、飯炊きぐらいしか役に立てない」


『いやいや、飯炊きぐらいって……そんなことないと思うぞ』


 アクラガスの町に放射性物質が降り注がないよう、今日一日ずっと気流結界を張っていたのはエアリスだ。今も町民たちが安眠できているのは、エアリスの結界のおかげである。なんなら荒野に堆積した放射性物質を風で一掃したのも彼女だ。


『それに加えて今日は数百人分の食事を作ってくれたじゃないか。あれは、なんていうか、ただ単に美味しいだけじゃなく、心を癒やしてくれる魔法みたいだったぞ』


「なに……私の作った食事がか?」


 エアリスは目をパチクリとさせながら、僕を見つめる。

 我ながらちょっぴりクサイことを言っていると思うが、でも事実そうなのだからしょうがない。


『ただ単に命が助かればいいってだけじゃない。お前が作ってくれたごはんを食べて、ようやく町民たちも生きる希望が沸いてきたんだと思う』


 葬送の儀式のとき、黒い炎を見送るみんなの顔は、やはり悲しみに彩られたものだった。その後に振る舞われたエアリスのスープを口にした途端、町民たちはようやく笑顔を取り戻したのだ。


 中には泣き笑いみたいになっているものもいたが、空腹が満たされて、初めて自分の『生』を実感できたのだろう。


 ――美味しいの魔法みたい。


 ヒト種族に排斥され、蔑まれていたセーレスに初めてオムレツを振る舞ったとき、彼女は僕の拙い料理をそう評価してくれた。その経験から踏まえても、エアリスの料理は決してセーレスの治癒魔法に劣るものではないと僕は思っている。


 言うなれば肉体を癒やすことはできても、心まで救うことはできない。

 ならばあの食事にそれができたのかといえば――多分、希望の芽を生やすことくらいはできていると思う。うん。


 そんなことを、彼女にもわかりやすいように伝えてみると――クシャッとエアリスの顔が歪んだ。そして何を思ったのか、唐突に風の魔素を解き、僕の元へと落下してくる。


『――おっと、危ないですよエアリスさん』


 真下にいた僕は当然のように彼女を受け止める。

 うん? これ抱きついてきたんじゃ……?


「貴様、時と場合を考えよ……私を口説いているのか」


『滅相もないんだけど』


 そんなヨコシマな意図など毛頭ない。

 しかしこうも密着されてはその限りではない。

 鎧を着ていて心底よかったと思う。

 心の防波堤的な意味で。


 だがエアリスさんはコンコンと僕の胸をノックしてくる。


「なんだこれは。脱げ、今すぐ」


『それだと色々マズくないですかね』


 心の防波堤は風前の灯火だった。


「…………私とは、触れ合いたくないというのか?」


 卑怯。その言い方はズルいわ。

 僕は無駄な抵抗をやめ、バグン、と鎧からイジェクトする。

 中身が空っぽな鎧はとりあえず下に落としておく。

 途端、エアリスが僕の胸に顔を埋めてきた。


「私も脱げればいいのだが」


「それは絶対ダメだ」


 ここはドーリア駐屯地よりもさらに汚染が強い。

 虚空心臓のサイクルも若干高めにしておかないと回復が追いつかないほどだ。


 顔を上げたエアリスはじっと僕を見つめている。

 そして心臓の真上に耳をそばだてると静かに呟く。


「貴様に叱られるのは、いいな……」


「それはディーオに怒られてるみたいだから?」


 なんとなく、反射的に訊いてしまっていた。

 以前にもそんなことを彼女は言っていた。

 我ながら女々しいと思うが、鎧を脱いだことで心の防御力も下がったらしい。


「貴様がディーオ様に似ているところなど何一つないわ。…………貴様だからいいのだ。貴様が叱ってくれれうから……」


「そ、それって、どういう意味?」


「知りたいのか?」


 ここはふたつのムートゥだけが見下ろす宙空。

 僕らは星星の天蓋の下、折り重なるように抱き合っている。

 心臓の上から顔を上げ、僕の体を登ってくるエアリス。

 僕は彼女が落ちてしまわないよう、両脇から支えながら、全身で彼女の重みを堪能していた。


 やがて、エアリスの顔が僕の顔と触れ合いそうなほど近づく。

 その唇が何事かを呟く。駄目だ、見つめていると吸い寄せられてしまう。


 もう一度言おう。

 ここはふたりだけの空。

 見ているのはふたつの月だけ。

 それ以外には誰も――


「――ッ!?」


 ユラユラと、エアリスの背後にうごめくモノを認める。

 驚愕に目を見開き、固まる僕を訝しみ、エアリスもまた背後を振り返る。


「あ、どうぞ続けて続けて」


 月光に輝く砂金のような髪の先端が藍色の蛇へと変化している。

 それがまるでゴルゴーンのようにユラユラと揺蕩っていた。


「セ、セーレス……!」


 名前を呼んだのは僕か、それともエアリスか。

 ニッコリと彼女は微笑み、だけど空に直立したままその場を動こうとしない。


 ――解説しよう。

 おそらく彼女は空気中に散布したアクア・ブラッドフィールドの中にいるため、物理法則を無視して空の上を歩くことが可能なのだ!


 さらにエアリスの体を保護しているスーツにアクア・ブラッドを添加しているのは彼女である。つまりエアリスがどこにいようとも、その気になればアクア・ブラッドを通じてその存在を感知することができるのだ!


 空の上で不自然に静止しているアクア・ブラッドの塊があれば、何事かとセーレスが様子を見に来てしまっても無理からぬことだろう! ――以上、解説終了。


「いや、これはだな、別にセーレスが寝ているからといって抜け駆けしたわけではなくてだな……!」


 僕の体の上で身を起こし、珍しくあたふたと言い訳を始めるエアリス。僕なんかはもう蛇に睨まれたなんとやらで、口をパクパクと声さえ出せない有様だった。


「エアリス、タケルと今チューしてた?」


「いや、それはまだ……」


「しないの?」


「いや、その……」


「し・な・い・の?」


「……したい、です」


「じゃあすればいいじゃない」


 セーレスの口調は怒っているわけではない。

 むしろどこまでも穏やかで優しいのだ。

 だが受け止める僕らに罪悪感があるため、どうしても厳しく聞こえてしまう。


「セーレスは、ずっとそこで見ているのか?」


「いけないかな?」


 クリっと小首を傾げる。

 どうやら天地がひっくり返ってもその場を動く気はなさそうである。


「わかった……しかと見ているがいい!」


 エアリスは色気もへったくれもない気合を入れ、僕へと唇を押し付けた。勢い余ってガキっ、と前歯が当たるが、その後遅れて柔らかな感触と体温、そして甘い香りが広がる。


 チラリとセーレスの方を見やれば、その場にしゃがみこみ「おー」などと膝から顔を乗り出して僕らのキスを観察していた。


「ど、どうだ、してやったぞ……!」


 月明かりに照らされて、エアリスさんは真っ赤になっていた。

 いや、多分僕だって赤くなってるだろう。


「じゃあ次は私ね」


「は? それはどういう――」


「――んんっ!?」


 またしてもガキンと前歯が当たる。

 どいつもこいつも、なんでこんなガッツいてるの!?


 その後に柔らかな感触が唇に触れるのはエアリスと一緒なのだが、セーレスの場合はそれだけでは終わらなかった。


「んっ、んぐぅ!?」


 僕は口内に未知なる物体の侵入を認めた。

 前歯の間を割り、僕の舌を絡め取らんとする灼熱の物体。

 まるで獰猛な蛇のように、セーレスの熱い舌が僕の口の中を蹂躙してく。


 目を白黒させる僕をエアリスが驚愕しながら見ている。

 やめて、こんな僕をそんなマジマジと見ないで……!


「んふー、んふふふっ」


 僕の口内を舐りながら、セーレスが横目でちらっとエアリスを見る。

 途端勝ち誇ったように目を細めながらセーレスは、僕の顔面をガシッと挟み込んだ。そして――


「ま、待て待てッ! 一体何をするつもりだ貴様は!」


 エアリスは慌てて僕とセーレスを引き離した。

 ぷはっ、詰めていた息を吐き出すと、僕とセーレスの口を結ぶ糸がつぅ――と。

 エ、エロぉ……!


「ふう、ごちそうさま」


 ぺろりと、自分の唇を舐めながら、満腹そうに息を吐き出すセーレス。

 僕は自分のちっぽけな心臓を抑えながら荒い呼吸を繰り返した。


「なんだ今のは――まさか舌を? 貴様いつの間にそんな――!?」


 そんな技術テクを、という言葉は声にならなかったようだ。

 顔面蒼白なエアリスに対して、セーレスはどこまでも余裕の表情を崩さない。


「エアリスこそガッカリだよ。一体オクタヴィア先生に何を習っていたの?」


「――なッ、どうしてそれを…………まさかセーレスも!?」


「うん、もちろん。男のヒトが……タケルが悦びそうなこと、たくさん教えてもらったんだから。エアリスは自分だけだと思ったの? えへへ、残念でしたー!」


 まるでイタズラが成功した子供のような無邪気な笑みだった。

 セーレスは唖然とする僕やセーレスを置いて「ばんじゃーい」とはしゃいでいた。


「くッ、なんということだ……! これでセーレスよりもずっと優位に立てると思っていたのに!」


 エアリスは目に見えて悔しがった。

 それに対してセーレスはエヘンと勝ち誇った。


 とりあえず前オクタヴィアはあとで思いっきり叱っておこう。

 ――いや、褒めるべきか?


 ふたりにエッチなことを教えてくれてありがとうって。

 いやいや、ないわーそれだけは……。


「タケル、私とのチューどうだった? エアリスより私とする方がずっと気持ちよかったでしょ?」


「え、あ……?」


「待て、勝敗を決するにはまだ早すぎる。二回戦を要求する!」


「ちょ、まッ……!」


「いいよ、なんなら三回勝負にする?」


「十回でも二十回でも構わん!」


 待て待て待てーい!

 僕たちはそんなことをしている場合じゃない。

 というか十回とか二十回とか嬉しすぎる!

 ……いやまて、今のナシ……。


「タケル、行くよ!」


「望むところだ!」


 僕の上にのしかかったふたりが一斉に唇を寄せてくる。

 嬉し恥ずかしイベントの連続に、僕はタジタジになって必死に抵抗……なんてできるはずもなく、そのまま諾々と流されて――


「じー」


「……じー」


『うう……タケル様ぁ』


「はッ!?」


 お前たち!?

 セーレスとエアリスを抱きかかえる僕の頭上には、いつの間にか精霊娘たちがいた。


 興味津々、とばかりに瞳を輝かせるセレスティアに、トロンと半眼になったアウラ。そしてハラハラと涙を流す真希奈(人形)が見下ろしている。


「ふふん、お母様のチューの方がずっと長かったもんね」


「ママ、も……まだ負けてない」


『タケル様、真希奈を放ってこの非常時に、人目を憚りながらイチャコラってどういうことですかー!』


「待て、ちょっと待て!」


「さいしょはぐー」


「じゃんけん……私が先行だな」


 セーレスとエアリスはまだ続けるつもりのようだ。

 って、子供たちの前でどっちが最初にチューをするかジャンケンで決めるって倫理的にどうなのさっ!?


「お母様の次は私もするー! お父様といっぱいキスするのー!」


「私も、パパとチューしたい……」


『そんなの真希奈だってしたいですよ! でもこの借り物の身体ではタケル様を満足させることは……ヨヨヨ』


 僕は両腕にエアリスとセーレスを抱え、さらにそのふたりの背中にはセレスティアとアウラが乗っかり、僕の額の上には真希奈が陣取る。母子そろってキスをせがむって斬新すぎるでしょ。


 これって一体どうやって収集つけましょうかね。

 などと考えていたその時だった。


 あわや教育的に不適切なことをし始める直前、僕の常人離れした聴覚がヒトの話し声を感知する。


「ちょ、ちょっと待ってくれみんな、なにか重要な話をする気配がする。勝負は一時お預けだ!」


 勝負って僕にキスをする勝負?

 自分で言ってて恥ずかしすぎる。


「タケル、今誤魔化した」


「ヘタレめ……」


 なんとでも言ってくれ。

 僕は風の魔素を操り、話し声のする方から声を拾い上げる。

 水の魔素で望遠レンズを作ってやると、レイリィ王女が誰かと話しているのを見つけた。


 町民たちが休んでいる結界からさらに離れた場所に、王女たちが休むためのテントが設営されている。貴賓用というわけではないが、御徒町のモンベルで買ってきたかなり立派なテントを王女には貸している。


 テントの入口には煌々とランプが灯され、その奥からレイリィ王女が現れる。

 隣にピッタリと張り付くエミールは少し不機嫌そうだ。

 常識的に考えて、来客を歓迎する時間ではないからだ。


「なにか御用でしょうか?」


「夜分に申し訳ありません。でも、どうしても確認しておきたいことがあって……」


 王女のテントを訪ねていたのはテティ嬢だった。

 アクラガス町長の娘であり、今では町長代理として、カフラー元野盗団と協力しながら町を守っている少女だ。


「もしかして、あなた様は、オットー・レイリィ・バウムガルテン様なのではありませんか?」


 テティ嬢はまるで勇気を振り絞るように、服の裾を掴みながら問うた。


 今回、王女は町民たちに身分を明かしてはいない。

 もし万が一、アイティアやソーラス、そしてセーレスやエアリスなど、ヒト種族以外の者たちへ町民たちが敵愾心を顕にした場合には、王女が説得する手はずになっていた。


 だが、町の生き残りは皆、人類種聖天教会アークホリストという、人類種神聖教会アークマインの原点宗教を信奉するものたちばかりだった。


 ヒト種族以外の排斥をするまえの、開祖ハーン初世の理想を受け継ぐ、大らかで寛容、そして慈悲深い信者たちばかりであり、魔人族であるエアリスや、エルフであるセーレス、そして猫耳をつけたアイティアやソーラスたちを見ても何も言わなかった。


 むしろエアリスやセーレス……というかアウラやセレスティアが具現化した精霊だと聞くと、その場に平伏し崇め称えるほどだった。


 結果、王女は自ら名乗り出ることもなく、単なる援助部隊の一員として、今日一日町の奉仕活動に従事していたのだ。


 アクア・ブラッドスーツを着用しているとはいえ、自ら肉体労働をこなす王女は満足げで嬉しそうだった。隣りにいたエミールだけは気が気でなかったようだが。


「テティ・アンテフよ、こちらにおわす御方は――」


 傍に控えたエミールが名乗ろうとするのを、王女はスッと手で制した。

 そして、「どうして私が王女だと思うのですか?」と静かに訪ねる。


「そ、それは、一緒にいたご老人は、宮廷魔法師のアストロディア・ポコス様ですよね? 昼間、鎧を着たヒトと話しているときに偶然名前が聞こえて……」


 情報源ソース僕かよ。

 迂闊、ってわけじゃないけど、他に呼びようがないし……参ったね。


「そんなすごい御方が一緒にいるなら、最初は貴族のお姫様かと思ったけど、でも」


「でも?」


「他の方たちと一緒に、みんなの遺体を運んでくださったりして……、そんなこと貴族様がするはずないし、でも、慈悲深くて民を愛してくださると評判のレイリィ様なら、もしかしたらって思って……」


 なるほど。

 噂に違わぬ献身と優しさから、本人ではないかと感づいたのか。

 これは、裏表のないレイリィ王女がさすがといったところだろう。


「ありがとう……。そんなことを言われてから認めるのも面映いおもはゆいですが、確かに私はオットー14世の名代で来た、オットー・レイリィ・バウムガルデンです」


「やっぱり……!」


 テティ嬢は慌てて跪くと、地面に額を擦り付けんばかりに頭を下げた。


「ご、ご無礼の数々、お許しください! そして、このような呪われた場所にまで足をお運びくださってありがとうございます……!」


「頭を上げてください」


「え」


 テティ嬢が顔をあげると、それとは入れ替わるように、王女が跪き、頭を下げていた。


「レイリィ様、何を……!」


 慌てたのはエミールだ。

 自分の主君が一般市民に頭を下げたのだから当然の反応だった。


「町に大きな被害が出ているのにもかかわらず、今の今まで対応が遅れ、多くの犠牲者を出してしまったこと、王族のひとりとして深く陳謝いたします」


「や、やめてください、私なんかにそんな……!」


 王女の謝罪にテティ嬢はただただ戸惑っている。

 この世界の常識から言っても、レイリィ王女の対応は度が過ぎていると感じているのだろう。


「お恥ずかしながら、呪いと呼ばれるものの正体が判明したのはごく最近のことなのです。私達が手をこまねいている間、聖都からより近いアクラガスの町で、次々と息絶える者がいることは予想できていたことです。ですが、私達は遠い王都に閉じこもり、あなた方を見殺しにするしかありませんでした……」


 王の娘として民を愛しながらも、そんな民が犠牲になっているのを静観するしかなかった無力な自分。彼女自身ががずっと抱いていた後悔と懺悔の告白だった。


「と、とんでもありません! わ、私達は、確かに最初はドーリアにいる兵士さんを恨んだりもしました。どうして私達を助けてくれないんだろうって。でも、町のみんなが次々に死んで、兵士さんも死んでいって、それで思ったんです」


 膝を突き合わせたまま、王女とテティ嬢は言葉を交わす。

 レイリィは真剣な顔つきで、目の前の少女を見つめている。


「兵士さんたちも逃げられないだって。さっさと持ち場を放棄して、王都に帰らないでいるのは、逃げたくても逃げられないからなんじゃないかって。そう考えたら私達は、もう我が身可愛さで、呪いを抱えたままあっちこっちに行ったら駄目なんだなあって思って……」


「あなたは……!」


 なんということだ。

 ということは、少なくとも今町に残っている者たちは、自らの意思でその場に踏みとどまっていたことになる。


 呪いを抱えたまま他所の町に行って被害を出さないよう、死の恐怖に怯えながらも、必死に耐えてくれていたのだ。


 エミールは絶句していた。

 王女を警護するため常に剣の柄にかけていた手を下ろしてしまっている。

 レイリィ王女は言葉もないようで、静かに涙を流していた。


「私は、私が辛い目に遭ってるからって、他のヒトにも同じようになってほしいなんて思いません。町のみんなもそうです。だから、王女様が助けに来てくれたことは、本当に嬉しかったんです。ありがとうございます、私達を見捨てないでいてくれて」


 レイリィ王女はテティ嬢の小さな体を抱きしめていた。

 抱きしめながら肩を震わせて泣いていた。そして「ごめんなさい、ありがとう」と繰り返し囁いていた。


 まるで妹と姉のように、しばし抱擁しあっていたふたりだったが、どちらからともなく離れる。テティ嬢は、自身の涙に濡れた顔を引き締めると、再び王女へと頭を下げた。


「恐れながら、オットー・レイリィ・バウムガルテン様にお願いしたいことがあります……。カフラー野盗団のことです」


 その一言で、レイリィは表情を引き締める。

 涙を拭っていたエミールも同様に、厳しい顔つきになる。


「彼らは確かに大きな罪を犯してきたかもしれません。ですが、今ではすっかり心を入れ替え、町の治安のために従事してくれています。何卒減刑のお慈悲を賜りますよう、伏してお願い申し上げます……!」


 きっと、これがテティ嬢の本命なのだろう。

 セーレスの治癒でせっかくきれいに治った顔を地面に擦り付けて懇願している。


 カフラー野盗団は、全盛期には町や村を荒らし回った凶悪集団だ。

 冒険者組合でも、団員ひとりひとりに懸賞金がかかるほどだ。

 彼らの罪はあまりにも重い。だが――


「ときに、あなたはこれからどうするおつもりですか?」


 王女の問に、テティ嬢は土に汚れた顔をあげる。


「それは……ひとまずはみんなと一緒に避難するつもりです」


「では、その後は、いずれか他の町へと?」


「いえ、私は時期を見てアクラガスに戻って、町を再建するつもりです」


 たとえ呪いの影響がなくなっても、きっと町の風評は残るだろう。

 新しく入植しようとする者もなかなか現れないはずだ。

 それでも少女は生まれた町に戻り、そこで骨を埋める覚悟なのだ。


「わかりました……それでは王女として命令いたします。テティ・アンテフはなんとしてでもアクラガスの町を再興しなさい。ただひとりでは無理でしょう。入植を希望するものたちを募り、その者たちと協力して町を守りなさい」


「はい――って、え、それって……?」


「人選はあなたに任せます。どのような者たち・・・・・・・・であっても構いません。あなたが選んだ者たちならば、一切の過去や経歴は・・・・・・・・・問いません・・・・・


 それだけ言うと王女は背を向けた。

 テティ嬢は涙ながらに「あ――ありがとうございます!」と叫んだ。


「お礼を言われることではありません。あなたと共に町へ戻る者たちは、呪いの誹りを今後も受け続けながら生きていかなければならないのです。その苦労を思えば多少の過去の罪など帳消しになるでしょう。オットー14世の名代として確かにレイリィが命じましたよ」


「はい……はいっ……!」


 これは、なかなかの名奉行っぷりだ。

 僕は王女たちから少し距離を隔てた荒野に視点を移す。

 そこでは二十名ばかりの男たちが地面に膝をつき、全員がみっともなく号泣していた。


「というわけじゃ。これからは死罪よりもよっぽどシンドい目に遭ってもらうからのう。覚悟せいよ」


 彼らの前にはポコス爺さんがいる。

 おそらく風の魔素を操り、王女とテティ嬢の会話を聞かせていたのだろう。

 カフラー元野盗団の男共は、何度も何度もうなずいていた。


「タケル、私たち頑張らなくちゃだね」


 眼下の光景を見下ろしながら、セーレスは力強くうなずいた。


「ヒト種族にも、なかなか見どころのある者たちがいる。あの王女などは特にな」


 エアリスもまた今のやりとりに思うところがあったのだろう、とても優しい表情をしていた。


「ああ、明日から本格的に聖都を調査、そして浄化作業を行う。僕たちが力を合わせれば必ずできるさ」


『当然です。タケル様に不可能はありません!』


「私もがんばっちゃうよ!」


「……私も」


「ああ、みんな頼んだ……!」


 真希奈、セレスティア、アウラの頼もしい言葉に、僕は決意を新たにする。

 やれる。僕には――僕たちにはその力がある。

 たとえ地球にすら前例のない原子力災害であっても、必ず乗り越えられるはずだ。



 *



 そしてその明朝。

 聖都を中心とした周辺地域に、未曾有の大地震が襲いかかるのだった。


 続く。

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