第345話 北の災禍と黒炎の精霊篇3⑧ いつか失くした自分の欠片〜黒炎精霊・葬送の儀式

 *



「頼むアイティア」


「がんばってアイティア!」


「う、うん……!」


 緊張の一瞬である。

 己自身の弱さを認め、向かい合うとき、アイティアの中の精霊が目を覚ます――



 *



 トラックを走らせてわずか数分の市外、そこには大きなすり鉢状の孔が掘られていた。


 その中はさながら地獄の様相だった。

 半年の間に亡くなった遺体が腐敗し、激烈な臭気を放っている。


 そして今は、新たに町から運ばれた数百体の遺体が蓋をするように重ねられていた。


 呪いが燃え広がるかもしれないとして、今まで火葬することができなかったが、アイティアは炎の精霊魔法使いだと教えると、テティ嬢は是非皆を葬って欲しいとお願いしてきた。


 アイティアは最初無理だと断っていたが、遺体を一体一体運んでいくうちに、「私にもできるでしょうか」と僕に聞いてきた。


『自分の力に疑いを持っちゃいけない。必ずできるとまず信じるんだ』


「信じる……?」


 アイティアはピンときてないようだった。

 それもそのはず、彼女が魔法の勉強を始めたのは最近のこと。


 自分の意志で魔法をコントロールした経験などあるはずがない。でも、それは普通の魔法師の話だ。


『アイティア、おまえはもう精霊魔法師だ。自分のことは信じられなくても、モリガンはどうだ?』


「え、そんな、あの子のことなんて、もっと信じられないですよ」


『それはどうしてだ?』


「だ、だって、乱暴なことたくさんするし、ヒト種族の町だってあんなに簡単に燃やしてしまって……!」


『そうだな。モリガンはきっとアイティアとは何もかも正反対な性格だよな。好戦的だし、弱い奴を見下すし、嘘つきだし……。でもそれって全部アイティアのせいなんだぞ』


「えッ!?」


 本当にビックリしたのだろう、目を真ん丸に見開いたあと、アイティアは心外だとでも言わんばかりに唇を尖らせて抗議してきた。


「ど、どうしてモリガンのしたことが私のせいなんですか!? 私はあんな乱暴なこと、望んでないのに――!」


 怒りながらも、アイティアは目尻に涙を溜めて僕に詰め寄ってくる。


 この会話でさえもきっとモリガンは聞いている。

 僕はアイティアの両肩に手を置き、ジッとその黒曜の瞳を覗き込みながら言った。


『いいかアイティア、顕現した精霊というのは【いつかの自分自身だ】。モリガンは紛れもなくお前の中から生まれた存在なんだ』


「いつかの、私自身……私から生まれた存在……?」


 最初は言われた言葉をそのまま受け取り、ショックに揺れていた瞳が、僕がわずかに手に力を込めると、理性的なしっかりとした色に変わる。きちんと、その真意を考えているのだろう。


『モリガンはお前がずっと抑え込んできた無意識の欲求の塊なんだ。これまで言いたいことを我慢したことはなかったか? 何かを主張したくても、他者と争いたくなくて言葉を飲んだことはなかったか? 誰かを羨ましいと思い、それを恥ずかしいと感じたり、振り上げた拳を無理やり下ろしたことはなかった?』


「そんな……、そんなのって……、じゃあモリガンは……?」


 アイティアは大きな衝撃を受けたようだ。

 でも避けては通れないことだ。誰もが目を背けたくなるような自身の暗部。心の闇。


 エアリスは膨大なストレスと嫉妬のはけ口を。

 セーレスは、無意識に押さえつけた無邪気の化身を。それぞれにアウラとセレスティアに担わせている。


 それでもふたりはアウラとセレスティアを我が子として受け入れ、心から慈しんでいる。大切な自分の欠片なのだと知っているが故に。


 だからこそふたりの精霊魔法は特別であり、あれほどまでに力強いのだ。


『モリガンはお前の子供だ。お前が諦めたり、下を向いたり、目を背けてきた悪感情を一身に背負わされてきたんだ。だから、突然自由になってあんなに暴れたんだ』


「うそ……!」


 フラフラと倒れそうになる。その体を後ろからソーラスが支える。


 彼女は無言だ。無言のまま、青ざめるアイティアを見つめている。信じている。


『そんなモリガンに対して、おまえがしなくちゃいけないことは……わかるよな?』


「龍神様……」


 もうすぐ日が暮れる。

 焼却孔の周りには着火の時を待つテティと元野盗団の面々が居並んでいる。


 アイティアは彼らの方へとゆっくりと歩き出した。


 孔の淵ギリギリに立つと、無残な躯たちを見下ろす。


「そっかあ……そうだよね。『狩り合い』の遊び、いつも妹に花を持たせてたけど、本当は私も勝ちたかったんだよね……」


 アイティアが独り言のように呟く。

 まるでそれが聖句でもあるかのように、テティと元野盗団の面々は跪いた。


 自分自身を抱くように腕を胸の前でクロスする。きっとあれが人類種聖天教会アークホリストの祈り方なのだろう。


「仕方ないって、どうせ私なんてって、そう自分に言い訳した数だけ、私はモリガンあなたをずっと傷つけてきたんだね……」


 アイティアの呟きと共に、周囲一帯から音が消える。音が伝播するための空気中には、濃密な魔力が満たされている。


 それはアイティアからこぼれ出たものであり、今彼女からは間欠泉のような無色のエネルギーが放出されていた。


「ごめんね、そして今までありがとう。あなたにばかり押し付けないで、私もこれから変われるようにがんばるから、だから――」


 紫色の燐光が立ち上る。

 それは外炎。あるべき本流からこぼれ出た微々たる火の粉。


 だが跪き、祈りの姿勢を取るテティたちは驚愕に目を見開いている。


「モリガン、お母さんに・・・・・、力を貸して――」


 黒い炎がアイティア包む。

 ぬばたまの髪は高貴な紫紺色に変化していた。


 ジリジリと肌を炙る熱気を放ちながらも決して目を焼かない黒い炎。


 それが、差し出されたアイティアの右手の先へと、みるみる収束していく。


 やがて、焼却孔の真上に、巨大な火球が誕生した。


 誕生した黒炎の火球は奇しくも、地平線へと沈む太陽と同じように、孔の中へと没する。


「きゃッ!?」


「おおおッ!?」


 テティ嬢と元野盗団が声を上げる。

 眼の前の焼却孔から大きな火柱が立ち上がり、高く高く天へと伸びたからだ。


 紫の燐光は、まるで遺体となった町民たちひとりひとりの魂のように鮮やかで、儚かった。


 ヒラヒラと蝶のように漂いながら、急激な上昇気流に乗って高く高く舞い上がっていく。


「アイティア……すごい……!」


『ああ』


 ソーラスの感嘆に僕もうなずく。

 遺体に付着していた放射性物質が消滅していく。


 これがアイティアとモリガンの炎。

 すべての│けがれを浄化する送り火。


 そのあまりの凄まじさに、テティ嬢は涙を流し、元野盗団たちは万感の表情で見つめている。


「タケル」


 しばらくそうしていると、背後から声がかけられる。セーレスたちだった。


 彼女から治療を受けたのだろう、生き残った町民たちも、立ち上る炎を目印にここまでやってきたようだ。


 厳粛で荘厳でどこまでも美しい。

 アイティアの黒炎に驚きながらも、テティ嬢たちにならい、皆が跪いて鎮魂の祈りを捧げ始める。


「最後のヒトたち……いい?」


 後ろにそびえるラプターの手の中には、半ば白骨化した遺体があった。母子なのだろう、大きい躯に小さな躯がしっかと抱かれている。


『ああ、頼む』


 ラプターは一歩、また一歩と緩慢に近づき、両手をそっと火柱の中へと差し出した。


 立ち上る炎の中、ふわりと遺骸が浮かび上がり、ハラハラと、まるで花びらが咲きこぼれるよう、燐光となって解けていく。


「なんという光景でしょう……私、一生忘れません」


 暗く沈んでいたレイリィ王女が顔を上げ、悼むように、慈しむように葬送の黒炎を見上げている。エミールやポコス爺さんも、瞬き一つせず、その光景を目に焼き付けていた。


 どれだけそうしていただろうか。

 辺りには夜の帳が落ち、僕たちは黒炎に照らされながら葬送を続けていると、今度はエアリスがやってきた。


「待たせたな。ようやく全員分の食事ができたぞ」


 そう、彼女は今の今まで、膨大な量の食事の用意を少人数で行ってくれていたのだ。お手伝いのメンツはエアリスとアウラ、そしてオクタヴィア母子である。


「いやはや、さすがに疲れたぞい」


「くうくうくう……とってもお腹が空きました……」


 体力に難があるオクタヴィアたちは完全にグロッキー状態だった。


 町民たちは全員セーレスの治癒を必要とするほど呪いに侵されており、僕たちも遺体の処理を優先していたから、彼女たちに全部押し付けてしまっていたのだ。ごめんよう。


「これから配給する。全員手伝ってくれ」


「了解〜」


「ええ、もちろん」


「かしこまりました、エアリス様!」


『みなさん、食事ですよー』


 イリーナとパルメニさんとソーラスがまっさきに名乗りを上げ、真希奈はパタパタと飛びながら周囲へとアナウンスを始める。


 アズズなどは「まだ働くのかよ!」と文句を言っていたが、「あんたはなんにもしてないでしょ!」とパルメニさんに怒られていた。


 そして、台車いらずでアウラがふわふわと運んできてくれた巨大寸胴鍋を三つ、地面にセットし、器にスープを装っていく。


 温かくて優しい匂い。いつものカレーではなく、野菜をクタクタに煮込んでハーブや塩で味付けしたシンプルなスープのようだった。


「あ、私も手伝うよー」


 セーレスがそう言いかけると、レイリィ王女がそっと止めた。


「いいえ、私にやらせてください。貴方様は今日一日で一番魔力を酷使したはずです。どうか休んでいてください」


「わかってんじゃんレイリィ!」


「恐れ入ります」


 母の疲労を誰よりも心配していたセレスティアが上機嫌でそう言った。


 王女はエミールを引き連れ配膳へと回り、祈りを捧げ終わった町民たちへとスープを配り始める。


 一番に器を渡されたセーレスも、最初は申し訳なさそうにしていたが、スープを一口食べるなり、夢中になってかっこみ始めた。やっぱり相当お腹が減ってたんだな。


「はああ、シンドかったのう」


 僕の隣にどっかと腰を下ろし、ポコス爺さんは「はあ」と息を吐き出した。


『その衣装を着ていれば疲労感はさほどでもないでしょうに』


「心の問題じゃて。いやはや、戦時中でもこんなに遺体を運んだことはなかったわい。じゃが、来たかいはあったのう」


 あのままハーン国王の棄民政策が実行されていれば、決して助からなかった無数の命が、今目の前で食事をしている。その熱さに噎せ、美味さに驚愕し、温かさに涙している。


 こんなにまともな食事をしたのはおそらく久しぶりのはずだ。生きていることはお腹が減るということ。そして食べるということは明日を生きる気概と希望へと繋がっていく。


 この光景には僕たちが来た意味が確かにあった。


「お父様、はい、お父様の分!」


「……手伝った」


『ありがとうなセレスティア。えらいぞアウラ、どこを手伝ったんだ?』


「イモ全部、皮剥いた……」


『そりゃあちょっと見たかったな』


 アウラが無数のイモを空中浮遊させ、エアーカッターで皮むきする姿はある意味大道芸より見ものだからな。


 食べて食べてとふたりにせがまれ、仮面を取り払い、一口だけ啜る。


「――ッ、はあ……、沁みるなあ」


 胃の中に入れた途端、体内に解けた熱さが、ジワッと四肢の末端まで広がっていく。これなら病み上がりの町民たちも問題なく食べられるだろう。


「おいおい、爺の分はないのかの。アウラちゃんにセレスティアちゃんや」


 よっこいしょと腰を上げ、ポコス爺さんがやってくる。本人がいないところでは敬意を払って『様』付けし、本人の前では『ちゃん』付けで子供扱いする。だが精霊娘ふたりも、まんざら悪い気分ではないらしい。


「えー、自分の分くらい取ってきなさいよ爺ー」


「私も今日はタケル・エンペドクレスと同じくらい働いたんじゃがのう」


「……しょうが、ない。取ってくる」


「アウラちゃんは優しいのう。それにくらべてセレスティアちゃんときたら……」


「――ちょっと待ってなさいよ、私が取ってきてあげるから!」


「私、も」


 ふたりして配膳の列の最後尾に並び、早く早くと前を急かしている。ちゃんと律儀に順番待ちする姿に、僕は感動すら覚えてしまっていた。


「すっかり父親じゃのうお主」


「あなたもさすが年の功ですね」


 爺さんがニヤリと笑う。

 僕も「フッ」と唇を釣り上げた。


 天高く、どこまでも伸びていく葬送の黒炎を眺めながら、救援活動初日の夜は更けていくのだった。


 続く。


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