第339話 北の災禍と黒炎の精霊篇3② 聖都跡浄化作戦開始〜遅れてきた勇者たち

 * * *



 アクラガスの宿場町郊外、ドーリア駐屯地。


 呪いによって汚染された聖都跡から最も近い、王都ラザフォード所属の詰め所ではその日、半年以上も具体的な解決策の無いまま放置され続けてきた呪いに対して、ようやく王都が本腰を入れることになったとして沸いていた。


 国防を司る兵士たちにとって、死とは与える覚悟と受け入れる覚悟、双方が必要となるもの。相手の生命を奪うことを躊躇っては何も守れず、また、自分の命を愛しすぎても誰も守ることができないのを知っているからだ。


 だが、そんな覚悟ある兵士たちにとっても、目には見えない呪いとは純粋な恐怖の対象だった。


 聖都に近づいただけで全身から脱力し、血を吐き、あるいは流し、やがて絶命する。


 聖都から一番近いとはいえ、それなりに距離を隔てたアクラガスの町であっても、呪いの影響から逃れることはできず、町民たちは次第に活力を無くし、立ち歩きすらできず、やがては衰弱して死んでいった。


 当初は町を救うため、尽力していた兵士たちだったが、倒れた者は一向に回復することはなく、薬草を煎じて飲ませても、水精の治癒魔法を施しても、精のつく食事を食べさせても、必ず死へと至ってしまう。


 止められない死の連鎖。

 それでも町民たちを守るため、兵士たちは努力を続けた。

 やがてその努力も無駄に終わってしまう。


 兵士たちにも同じ呪いの症状が発現し始めたからだ。

 兵士たちが町民と同じ呪いの症状を出しては不安がらせるとして、ドーリア駐屯地へと連れ帰った。それがさらなる悲劇を齎した。


 呪いは、どうやらヒトを介しても伝染するらしい。

 兵士を看病していた衛生兵がしばらくして倒れ、身動きすらままならず、呪いを恐れた周りの兵士たちは、彼らを救い出すこともできず、部屋の中に隔離した。


 ここから出してくれ、助けてくれと、まだ体力のあるうちは扉を叩き、叫んでいた衛生兵も、やがては静かになり、力尽きてしまう。


 死んでしまったのかと扉に耳をそばだてた兵士はそこで、一生消えることのない心の傷を負うことになる。扉の向こうから微かに聞こえてきたのは呪いの言葉。自分を見捨てた仲間たちへの恨みつらみを籠めた呪詛だった。


 その部屋はその後、誰も近づくことのできない禁忌の部屋となる。

 時を同じくして、王都からの司令で、兵士たちの任務は救助活動から、町の隔離と監視へと移行する。


 このままではドーリア駐屯地が全滅するとして、町を封鎖し、外へ出ていこうとする者を厳しく監視し、町へ追い返す――というものへと変更された。


 兵士たちは誰もが、その命令に内心では胸を撫で下ろした。

 心を殺して、町の外へと救いを求める町人たちを押し戻し、あるいは矢で脅し、恫喝した。


 それでも救いを求める町の代表者を、兵士たちは受け入れるフリをして『処分』したこともあった。呪いを受けたものを受け入れればこちらが死んでしまう。苦渋の決断だった。


 もはや引くも進むも地獄の最中、ついに王都から新たな命令がくだされた。

 心身ともに疲れ果てていた兵士たちに、まさに救いの主が遣わされることになる。


 即ち、浄化能力を持った魔法師達がやってくると……。



 * * *



「イーニャ……!」


「アウラちゃん!」


 遠い世界を隔てて再会した精霊と少女はしっかと抱き合った。


 イーニャと別れてから小一時間後、当初の予定よりも若干遅れての到着となり、『ゲート』から真っ先に現れた僕に対して、イリーナは恨めしそうな顔つきをした。見知らぬ異世界の見知らぬ土地で、ひとり放っておかれたのだから無理もない。


 だが僕の肩に乗っかった風の精霊アウラに名前を呼ばれた途端、満面の笑顔になった彼女は、アウラへと駆け寄りひっしと抱き合った。


「久しぶり、元気だったアウラちゃん?」


「……うん、元気」


 普段は余り表情を動かすことの少ないアウラも、ニコニコと嬉しそうにしている。まるで風船のようにイリーナに抱きついたまま、パタパタと足を泳がせてご機嫌の様子だった。


「あ、イリーナだ!」


 僕のすぐ後ろからひょこっと顔を覗かせたのは小さな金髪の少女。

 その姿を見留め、イリーナは一瞬眉を寄せるが、「セーレス……いや、もしかしてセレスティア?」と呟く。


「うしし、そうだよー!」


 セレスティアは子供らしく歯を見せて、鼻の頭にシワを寄せて笑っている。


 イリーナが知っているセレスティアは、まだ地球に居た頃の、セーレスの肉体年齢を引き受けていたときの姿のままである。モデル顔負けの超絶美女で、まさに大人の(中身は別として)女性そのものであった。


 それが今やイリーナと同年代風の、ちょっとこましゃくれた感じのする美少女となっている。一瞬セーレスと呼んでしまったのは、アクア・ブラッドで満たされたカプセルに封印されていた幼体のセーレスを思い出したからだろう。


 イリーナとセレスティアも、お互い引かれるように抱き合い、再会を喜びあった。


「アンタがそんな姿になってるってことは……」


「こんにちは、もしかしてあなたがイリーナ?」


 僕の後ろから現れたのはセーレスだ。

 いつものニコニコとした笑みを浮かべてしゃがみ込み、イリーナと目線を併せている。


「うん、そう。イリーナ・アレクセイヴナ・ケレンスカヤ。長いからイーニャって呼んでいいよ」


「タケルやセレスティアから聞いてるよ。私を助けてくれてありがとう!」


「うわっ」


 肉体年齢六十数歳、見た目年齢なら15歳程度のセーレスに、問答無用でハグをされ、イリーナは目を白黒させた。セーレスは気に入った相手や大好きな者にする、スリスリとクンカクンカの抱擁を実行し、イリーナは顔を真っ赤にして「ちょ、わかったから!」と叫んでいた。


「うむ、久しぶりだなイーニャ」


「エアリスちゃんも久しぶり!」


 セーレスに抱きしめられながら、エアリスへと挨拶をするイリーナ。

 アウラが好きなものはエアリスも好き、エアリスが好きなものはアウラも好きという法則に従えば、当然イリーナの存在はエアリスにとっても特別なものだ。


 特にエアリスの方は、イリーナに一目を置いている。小さな見た目とは違い、その中身は天才――賢者の類だと認識しているようだ。イリーナの方も、エアリスの年齢や外見に関係なく、同等の友人と認識しているみたいだ。


 その時、何を思ったのかセーレスは「よいしょ!」とイリーナを抱き上げる。

 そしてそのままエアリスの元まで近づくと、ピョンピョンと軽くおねだり。「なんだ、こうすればいいのか?」と苦笑したエアリスとふたりして少女を挟み込んだ。


「あは、ちょっとやめてってば、わぷっ、苦しいって!」


 セーレスとエアリスの胸の間に挟まれたイリーナは、ギュウギュウとサンドイッチみたいに潰されるが、言葉とは裏腹に楽しそうだ。


 さらに指を咥えてそれを見上げていた精霊娘たちは、お互い顔を見合わせると「ニヤ」っとイタズラっぽい笑みを浮かべる。


「お母様たちだけズルい〜!」


「まぜて……」


 ピョンと飛び上がったセレスティアとアウラが、イリーナの頭部に殺到した。


「わっ、さすがにちょっとまって――うにゃ〜、やめて〜! うっひゃっひゃっひゃ、くすぐったい〜!」


 前後どころか左右からも、セレスティアとアウラにくっつかれ、イリーナの頭がもみくちゃにされていく。精霊娘が加わったことで、もう収集がつかない有様だった。


「なんじゃなんじゃ、ヒト懐っこいセーレスならまだしも、エアリスまであんな調子になるとは。あの娘子、何者じゃ?」


「……いいなあ」


 四人にもみくちゃにされるイリーナの様子に驚いているのはオクタヴィア母子である。オクタヴィアの驚愕も無理はないだろう。魔法世界マクマティカにおける最高位の精霊魔法使いであるセーレスとエアリス、さらに神とさえ崇められる水と風の精霊二体にあれほどの親愛を注がれるヒト種族が存在するなどなど、あり得るはずがないからだ。


「こうして見ると、本当に年相応の女の子たちなのにねえ……」


『そうか、おまえはもうヒト種族的には女の子って年齢じゃ――ぶげッ!』


 さっそく漫才を披露しているのはパルメニさんと仮面のアズズだ。うっかりパルメニさんの地雷を踏み抜いたアズズは、本体である半仮面を地面に叩きつけられていた。


『あの方はイーニャさんと言って、タケル様が地球で大変お世話になった方なのです!』


 真希奈(人形)も、イリーナに会えて嬉しいのだろう、僕の肩の上から飛び立って、もみくちゃにされるイリーナの周りを飛び回っている。


「だああああもおおおヤメレー――――!!」


 しっちゃかめっちゃかにされ、栗色の髪が鳥の巣状態になったあたりで、ついにイリーナがブチ切れた。


 プンスカと怒りながら両手を振り上げ、「うの〜、復讐じゃあああ!」とセーレスとエアリスの髪もクシャクシャにしようとする。


「うわわ、ごめ、いやーん、許してー!」


「待て待てイーニャ、落ち着け! ――あっはっは!」


 涙目になるセーレスと、くすぐったいのか大笑いするエアリス。

 さっきまでイリーナの髪を弄んでいた精霊娘たちは、今度は自分の母親にじゃれつくように、その髪をクシャクシャにし始める。


「セーレスさんとセレスティア様、エアリスさんとアウラ様、あんなに楽しそうに……あれが本来の魔法師と精霊のあるべき姿なんですね……?」


 僕の後ろに隠れるようにそう零したのはアイティアだった。

 黒炎の精霊モリガンを発現させたことから、彼女はアイティア・ノード改め、アイティア=ノードと名乗ることになった。


 僕からしたら大した違いはないと思うのだが、魔法世界マクマティカではそれが意外と重要だったりするのだ。


 現在、ヒト種族最大の国家、王都ラザフォードに宣戦布告された罪を同族から責められているラエル・ティオスは、その原因となったアイティアを僕へと預けることを決定した。自分の手元に戻せば、彼女にまで咎が及ぶかもしれないと危惧したためだ。


 また、今は大人しくしている黒炎の精霊モリガンも、いつまた気まぐれで暴走を起こすかわからないため、精霊魔法師として一人前になるまで、僕の元へ身を寄せることが正式に決定したのである。


 すでにふたりの精霊魔法使いを擁している僕のところ以外、アイティアを受け入れられるところなどない、というのも正直なところだった。


 そんなアイティアは、やはり生来の引っ込み思案なところがあるためか、なかなか僕の背後から前に出ようとしない。放っておけばいつしか影のように、僕の後ろや隣にいることが多く、あまりよくない傾向に陥っていた。


「ほら、またタケル様の後ろに隠れて。しゃんとしなアイティア!」


 そしてそんな彼女をなんとか精神的に自立させようと頑張っているのがソーラスだった。なんでもヒト種族の領域に潜伏しているときは、色々アイティアに度胸をつけさせるため、無茶な任務もさせていたのだという。


「うう、引っ張らないでよソーラスちゃん。私、もっとタケル様の側にいたい……」


「はあ、この子はもう……。ダメですよタケル様、もっと厳しくアイティアを突き放してもらわないと」


 ソーラスは人見知りが激しいアイティアが姉のように慕う仕事上の上司だ。彼女もまたラエル・ティオスのメイドだったが、この度アイティアと一緒に僕のところで預かることとなった。彼女自身の安全の確保とアイティアの教育を手伝ってもらうためだった。


『いやあ、ソーラスが厳しい分、なんだか僕だけでもアイティアに優しくしてやろうって気持ちになっちゃうんだよねえ?』


 僕の考えに、途端ソーラスはため息混じりに首を振った。


「ダメですねえ、子育てベタな父親のセリフそのままじゃないですか。アイティアも、モリガンが目覚めてから、ますます甘ったれになったみたいなんですから。……はあ、つがいもいたことないのに、もう子育てしてる気分……」


 どうもソーラスは苦労人の星に生まれてしまったようだ。

 だが本人がなまじ優秀な分、いろいろ抱え込んでも、なんだかんだとこなしてしまうのだから仕方がない。


「まあ、なんだかとても楽しそう。私も混ぜて欲しいですわね」


 最後に『ゲート』から現れたのはヒト種族は王都ラザフォードの末娘、オットー・レイリィ・バウムガルテン王女だった。


 供として王都第七近衛兵団団長エミール・アクィナスと、宮廷魔法師の最高位、アスティロディア・ポコス翁を引き連れている。


 極彩の『ゲート』から現れた僕達に面食らっていた兵士たちも、最後に王族であるレイリィ王女が現れたのを見て、即座に跪く。


 突如様子の変わった兵士たちに、いい加減イリーナたちもじゃれあうのを止める。


 そう、僕たちは今から聖都跡の浄化作戦を敢行する。

 まず手始めに、アクラガスに取り残されている人々を救い出すつもりなのだった。


 続く。

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