北の災禍と黒炎の精霊篇3
第338話 北の災禍と黒炎の精霊篇3① 天才少女inドーリア駐屯地〜不気味な鳴動に包まれて
* * *
イリーナ・アレクセイヴナ・ケレンスカヤ。
もはや語るまでもない、頼もしい僕たちの仲間である。
生まれながらに軟禁状態にあった彼女だったが、様々な助けにより念願の外の世界に出ることが叶った。
日本にやってきてからは、邦人含むシリア人質事件や、スリーマイル島決戦、そしてサランガ災害と。
折りに触れ、事あるごとに僕らを助けてくれた彼女だったが、大災害に遭った後に、育てのご両親を安心させるための里帰りのため、ロシア郊外の森へと帰っていったのだが……。
そして彼女は前々から一度、
そうして今回、ようやく彼女の要望を叶える運びとなったのだが――
「手付かずの自然、地球にはいない亜人たち、見たことのないモンスター……リアルファンタジー世界に行けるんだって思って、すっごくすっごく楽しみにしてたのに…………それがどうしてこんなことにぃ――!!」
バンバンッ、と野営テントの中に設置した長テーブルを叩くイリーナ。
机の上には、ラップトップPCや、周辺の地形図、さらにプレデタードローン用のモニター類などが所狭しと置かれている。
それら地球から持ち込んだ機材に囲まれ、さながら作戦司令本部と化したこの場所で、イリーナは恨み骨髄と言わんばかりに僕を睨みつけた。
「ウクライナのプリピャチだってここまで酷くないわよっ! 返せ、私の異世界ファーストコンタクト! 夢と希望に溢れてたファンタジーライフを返せー!」
そうなのだ。
僕らが今いるのはアクラガスの宿場町。
聖都から最も近い唯一の人里であり、ミュー山脈を越えて王都へと向かう玄関口にもなっている。
つまりここは地獄――聖都の呪いの影響をもっとも色濃く受けている場所のひとつなのである。
僕らがいるのはアクラガスの宿場町の郊外にあるドーリア駐屯地であり、王都の兵士たちの詰め所にもなっている。
同時に関所にもなっており、万が一にも汚染された状態の者がそのままミュー山脈を越えたりしないよう、また宿場町以外の場所へと行ってしまわないよう、兵士たちが常に目を光らせていた。
そんな場所に連れてこられたイリーナの気持ちは痛いほどわかる。わかるが、それでも僕らをバックアップしてくれる存在は彼女以外には考えられない。
最新鋭のドローンの操縦はもちろん、強烈な放射線のエネルギーにより、電子回路が破壊されないようにシールド処理を施す――なんて真似はちょっと僕にもできない。
気象観測ドローンを打ち上げ、地形データを入力した上で、風に舞い上げられた放射性物質が降り注ぐホットスポットを予測する――SPEEDI(緊急迅速放射能影響予測ネットワークシステム)みたいなアルゴリズムを作るなんてこと、やっぱり天才イリーナにしかできないのだ。
『正直すまなかったと思ってる。でも僕達にはどうしてもおまえの力が必要なんだ。安全面には最大限配慮しているから、もう少し辛抱してくれ』
『イーニャさん、真希奈からもお願いします』
僕はプルートーの鎧でフル装備した状態でイリーナに頭を下げた。
僕の肩に停まる真希奈(人形)も深々とお辞儀した。
イリーナもただ言わずにはおれなかっただけなのだろう、僕からの謝罪に面白くなさそうに鼻白むと、「真希奈ちゃんは許す。でもあんたは許さないから」などと吐き捨て、あとは自分の仕事をするために、資材ボックスから新たなカメラ付きドローンを取り出し、それを分解しながらシールド対策をし始めた。
「はあ……正直聖都跡の中心部から出てる放射線が強烈すぎる。これ以上シールド処理してたら重くなって飛べなくなっちゃうわよ」
イリーナはため息をつきながら、飛行機型のプレデタードローンのカバーを外し、慣れた手つきで改造を施し始めた。
ひとまずイリーナにしてもらっているのは聖都中心部付近の調査である。
現在の聖都はかつての城塞都市の名残で、街の外縁には当時の城壁の跡が見て取れるのだが、その中心――
そして大聖堂跡は、おそらく周囲数キロに及ぶ超巨大な
さっきから恐らく、とか、はず、などと言っているのは当時の僕の記憶を思い出す限りでは、そうだった――という曖昧なものだ。
聖都の大開孔を覗き込み、なおかつ今生きているのは不死身の僕だけであり、それ以外の調査兵たちは、みんなすべからく死亡している。
多くの者は聖都周辺の外壁を越えたあたりで体調不良を訴え始め、街の中心に近づく前にバタバタと倒れ伏していく。当初は彼らを救出――回収するために部隊が組まれたらしいが、ミイラ取りがミイラになるだけで、回収は完全に打ち切られたそうだ。
従って現在の聖都中心部がどのような姿になっているのか、見たことがあるヒト種族は皆無なのである。
「これでダメだったら、手持ちの道具じゃ無理ね。人研のおばさんに言って、JAXAから宇宙放射線用のBGOアクティブシールドをもらうしか無い。重くなった分は、エンジンをもっとパワーのあるものに換装するしかないかも……」
イリーナはなんとか手持ちの資材で頑張ろうとしてくれている。追加が必要ならまた僕が地球へと赴く必要があるだろう。
今回、僕は百理を通じてアダム・スミスへと連絡を取り、幾つかの資材提供をさせている。観測用のドローンや監視モニター、発電機や通信ケーブルや中継器などなどだ。
さらには今イリーナが着用しているボディスーツ、アクア・リキッドスーツもそのひとつである。
本来このアクア・リキッドスーツは、セレスティアから齎されたアクア・ブラッドを希釈したものや、人工的に再現したイミテーション・アクア・ブラッドなどを充填して体表面にバリアのように展開できる代物だ。
従来の使い方としては、魔力に素養のある人間が着用し、身体能力を補助するためのものであり、その状態で歩兵拡張装甲に乗り込み、本来人類には耐えられない破滅的な三次元機動を行使するのである。
だが今回スーツに使用されているのは天然のアクア・ブラッド100%であり、現地入りするまえにセーレスがセレスティアという精霊の加護をボディスーツに付加している。
アクア・ブラッドは極めて変質しにくい強固な性質があり、その効果は外界との完全なる遮断。内側にあるものを、外の世界からの干渉――電磁波や可視光、放射線はもちろん、その気になれば時間の影響からも隔ててしまうというとんでもない魔法だ。
従って今着用してるスーツは完全に耐放射線用であり、体表面を守ってくれているアクア・ブラッドは、魔法の制御をセーレスが行っているので、魔力がない人間にも着用可能となっている。
「あんたさー、前になんか言ってなかったっけ? 世界中に使い魔を放ってて色々情報通の友達がいるんでしょう。それって使えないの?」
『ああ、オクタヴィアのことか』
魔族種であり、7万年の記憶を有する現在は幼女。
彼女はエーテル体の蛇を使い魔として世界中に送り込んで、情報収集とは名ばかりの覗き行為に勤しんでいる。
『最初はそれを当てにしていたんだけど、中心部に近づけば近づくほど、制御ができなくなって、なんにも見えなくなるらしんだ』
当初は僕も、すっかりオクタヴィアの覗き能力を当てにしていた。
だがオクタヴィアは言葉を濁しながら「儂にも覗けんところくらいある……」と言った。
詳しく聞いてみると、オクタヴィアにも幾つかこの世界で覗けない場所というものが存在するらしい。
ひとつは現在の聖都であり、更には
『元々聖都は地脈の真上に作られた都市らしい。そういうところではオクタヴィアの眷属であるエーテル体の蛇は上手く機能しないそうなんだ』
「地脈? レイライン的なやつのこと?」
『多分な』
大地の血脈。
地脈とか龍脈なんて言われている場所。
地球上にもある様々なパワースポットはそれらの真上にあることが多い。
科学的に言えばそのような場所は『ゼロ磁場』と呼ばれ、N極、S極に振れない特殊な場所とされている。
人間の血液には鉄イオンが含まれ、脳は生体磁石の塊ということができる。
ヒトは絶えず様々な地場の影響を受けて生活しており、それらが特種な値を示す地脈などは、地球上でも『聖地』と呼ばれ、崇められてきた。
「そんな場所でよりにもよって『魔原子炉』のメルトダウンだなんて。下手をすれば地脈そのものが汚染されてる可能性だってあるんじゃないの?」
イリーナほどの頭脳の持ち主ならすぐその答えに行き着くと思っていた。当然僕らが懸念している懸案のひとつがそれである。
地脈が汚染されるとはどういうことなのか。
それは果たしてディーオ・ライブラリにも、そしてオクタヴィアの記憶の中にも存在しない異常事態である。
人間に例えればどうだろうか。
人間の身体の中には無数の血管が走っている。
皮膚や筋肉が傷つくとたちまちそこから血が溢れ、一定の血液を失えば人間は死んでしまう。
だがそうならないよう、ヒトには治癒機能があり、傷ついた箇所は適切に対処すれば治るようになっている。
しかし適切に対処ができなければ――傷は開いたままであり、ばい菌に感染すれば傷口は膿み、さらにそれを放っておけば、膿んだ箇所から炎症が全身に広がり敗血症になってしまう。敗血症になれば、血流が機能しなくなり、最悪臓器不全が起こることもあるだろう。
それがこの魔法世界全体で起こってしまえば、とてつもなく恐ろしいことになりかねない……。
とにかく、今回の聖都跡の浄化作業は、サランガ災害に臨むときと同じくらいの心持ちで取り掛からなければ――と僕は考えている。どのような事態に陥っても、万全を期すことができるように準備をしておきたいのだ。
「まあ最悪ドローンがダメだった場合、あんたに素潜りしてもらうから」
『……勘弁してくれ』
軽口を叩き合っていたその時だった。
僕の肩に停まっていた真希奈が『タケル様』と警告を発した。
遅れて僕も、地の奥底から微細な揺れを感知する。
イリーナは「どうしたの?」とまだ気づいていないようだが、しばらくすると作業机の上に置いてあったドローンのパーツが小刻みに振動し始める。
「地震?」
『ああ、小さいけど、長いな……』
不気味な鳴動は、やがて周囲の誰もが感知できるほどの大きさになっていく。
この世界で地揺れと呼ばれる現象は、特に凶事の前触れと考えられている。
僕達のことを遠巻きに眺めていたドーリア駐屯地の兵士たちも不安そうに周囲を見渡していた。
『収まった、か』
地震大国日本にいた身としては、これくらいの地震など日常茶飯事なのだが、今回は事が事だけに、笑って見過ごすことに抵抗を覚えてしまうのは考えすぎだろうか。
「ねえ、それよりそろそろ時間なんじゃないの?」
『ん? ああ、そうだな、迎えに行くとするか』
これから僕らは本格的にアクラガスの宿場町へと入る予定だ。
そこで聖都の浄化前に町を浄化し、生き残った住人がいれば救出する予定である。
だが恐らく僕たちは地獄の光景を目の当たりにすることになるだろう。
汚染された土、汚染された水。聖都が証明つしたその日より、すでに異常を訴えかけていた住人たち。
それでもドーリア駐屯地の兵士たちは、王都の指示に従い、町を完全に封鎖した。呪いによって汚染された住人たちが
それから半年以上――今現在町がどうなっているのか知るものはここにはいない。
町の入口まで、駐屯地から定期的に水や食料は届けており、それらが消費されている様子から未だ生き残りがいることは確実である。
だが――今更町のヒト達が、素直に僕らを受け入れてくれるとは思えない。
自分たちは見捨てられたのだと、恐らくそう思っているはずだから。
それらを承知しした上で、僕らは町の浄化作業を行う。
そのための準備を、龍王城でしてくれているエアリスたちに加えて、さらに王都までレイリィ王女を迎えに行かなければならないのだ。
『それじゃあちょっと全員を迎えに行ってくる。イリーナはここで作業を続けててくれ』
「ちょっと、私一人ここに残していく気?」
おや?
意外なことに心細いのだろうか。まあ周囲には僕らを遠巻きにする王都の兵士たちがいるくらいだが、多分平気だろう。
『大丈夫大丈夫。お前、さっきからいつもの調子で僕と会話してるだろ?』
「それがなに?」
『こう見えて僕ってば魔族種で王様で、最近じゃあ王都の伯爵位まで持ってるんだぜ』
「だから、それがなによ。遠回しに自慢してるわけ?」
『そんな一目も二目も置かれてる僕に、さっきからずっとタメ口で、あまつさえ叱り飛ばしたりなんかしてるお前って、周囲からすりゃとんでもない子だって思われてるはずなんだよね』
「はあ〜!?」
イリーナは眉根を釣り上げて周りを見渡した。
キッと睨みつけられた途端、慌てて顔を逸らす兵士や、小さく悲鳴を上げて逃げていく者までいた。
イリーナは引きつった口角をヒクヒクとさせながら、「あんたねえッ!」と僕を叱りつけようとしてくる。これ以上こんな少女が周りの大人達から恐れられる存在になるのは見ていられない。さっさと出発するとしよう。
『じゃあ、みんな連れてくるから、楽しみにしててくれよな』
聖剣を振り抜き、極彩の扉――『ゲート』を出現させる。
『すぐに帰ってきますね、イーニャさん!』と手を振る真希奈を連れてさっさと飛び込んだ。
「タケル、このぉ、覚えてなさいよー!」
そんなイリーナの叫びを後ろに、僕は皆を迎えに行くのだった。
続く。
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