第335話 北の災禍と黒炎の精霊篇2⑮ 見果てぬ異世界で宴会を〜オッドアイと僕の正体・後編

 *



「うおお、舐めるなよ小僧、俺はオットー・ハーン・エウドクソスだ!」


 うん、生まれたての子鹿のようにプルプルしながら、立ってるんだか座ってるんだかわかならない体制で言われても威厳なんて感じられないなあ。


「それにしても目もくらむような高い場所じゃのう、ここの高さはどれくらいなのかのう」


「この塔自体は634メートル……王都にある一般的な2階建ての家屋がありますよね。あれがざっと百個以上、垂直に積み重なったのを想像してみてください」


 全身に風の魔素を纏い、強風の影響を軽減させているポコス爺さんに僕は答える。


 よくよく見れば、足元には土の魔素を集結させ、しっかと自身と床とを縫い止めている。


 すべての魔法が効率的かつ最小限度に留められていて、その魔法制御力はさすがとしか言いようがなかった。


「なんとなんと! どのような技術を使えばこのような建築が可能になるのか。この床も私らが知っているものとはだいぶ違う素材で出来ている様子。これはとんでもない世界ですのう我が君よ」


「こ、この、なにをのんきに――うおおっ!」


 再び吹き付けた風が、ハーン国王のローブをさらっていく。国王の身体は床の上を泳ぎ、そのまますっ転んでしまった。


「我が君、覇者の外套法衣をお脱ぎください。このままでは危険ですじゃ」


「ば、馬鹿者が――、他国の王がいる前でこの外套包囲を脱ぐことは敗北と同じよ!」


「そうなんですか?」


「初耳ですじゃ」


 僕の問いにポコス爺さんはあっさりと裏切った。


「放っといたら椅子の下敷きにしとるくせによくもまあ。普段からそれくらい敬意を持って大事に扱ってくれればよいのに」


「――くっ、遺憾ながらジジイに預けてやる」


「最初っからそうすればよいのですじゃ」


 自身を翻弄していたローブを預け、身軽になったハーン国王はようやくその場にでんと腰掛けて人心地ついたようだった。


「レイリィ様、王女殿下、ご、後生ですからもうちょっと下がってくださいぃ、わ、私もうダメ、おしっこ漏らしちゃいそうです……!」


 こちらは天望回廊の外縁ギリギリに立ったまま、遥かな外界を見下ろしているレイリィ王女と、そんな王女を必死に守ろうとするも、あまりの大パノラマに萎縮してしまったエミールが、床に這いつくばったまま、王女の足にすがりついていた。


 レイリィ王女はそのドレスが棚引こうとも、髪が舞い上げられようとも直立不動。まるで大樹が根を張ったような抜群の安定感で下界を見下ろしていた。


「タケル様、こちらはなんという街なのですか!?」


 足元のエミールなんて気にもせず、王女は体ごと僕を振り返った。その瞳は星星を散りばめたようにキラキラと輝いていた。


「日本という国の首都、東京という街です」


「ニホン、ですか。なんと大きな街なのでしょう。それにこのような巨大な塔を創ってしまうとは。この国の王はとても大きな力を有しているのですね!」


 ああ、なんかデジャヴだ。

 エアリスを連れて初めてこの地に降り立ったときも、そんな質問をされた覚えがある。


「違いますよ。この国は絶対君主制ではありません。かつてはそのような時代もありましたけど、現在、王様の血筋は、政治とは離れたところで国民に敬愛されて存在しています。政治は議院内閣制といって、国民の代表者を選挙で選んで行っています」


「まあ、そんなことが……! 普通権威を失った王族とは国民から粛清されるのが常だというのに! よほど優れた王様なのですね、是非お逢いしてみたいです!」


「はは、そうですね」


 僕にはまったくそんな権限はないけどね。

 百理あたりに頼めば、園遊会とか催し物に参加させて、挨拶くらいさせてもらうことはできるだろうか。


「それにしても、城下は大変な賑わいなのですね。あんなにヒトが溢れて……!」


 レイリィ王女が指差すのは、ちょうど隅田川を挟んだ向こう側、雷門の方角だった。今日は出店が多く立ち並び、観光客も併せてごった返している。


「王女、よくここから見えますね。もしかして何か魔法を使ってますか?」


「ええ、先程から遠見の魔法を使って民達の様子を観察していました。とても活気があって、みんな楽しそうですね!」


 なるほど、風の魔法を使用してレンズのように視力を強化しているのか。レイリィ王女には魔法の素養がないと思ったけど、意外と器用な使い方をする。


「ほら、エミールもそんなふうに震えていないで立ち上がってしっかり見てご覧なさい」


「む、むむ、無理です! このような高所、足がすくんでしまって……! というかレイリィ王女は怖くないのですか!? まま、万が一落ちてしまったらと思わないのですか!?」


「その時はタケル様がなんとかしてくださるに決まっています」


 さも当然のように話を振られ、僕は一瞬キョトンとしてしまった。


 いや、もちろんそうする。万万が一誰かが滑落しても、即座に助け出すつもりではいるが、いるのだが……。


「王女の信頼ぱねぇ……」


 僕は思わず呟いていた。

 レイリィ王女は聞こえなかったのか、ニコっとだけこちらに微笑むと、「エミールも私を命に替えても守ってくださるのですよね?」とだいぶ意地悪く聞いていた。


 エミールは「もも、もちろんですとも!」とますます王女の足を抱きしめていたが。


「ところでタケル様、ひとつお聞きしたいのですが」


「はい、なんでしょう?」


「あちらの大変な賑わいを見せる市の中で、多くの者たちが口にしているあの白いものは何なのでしょう……?」


「あれですか? あれはソフトクリームですね」


「そふとくりーむ、ですか?」


「食べたいですか?」


「え、いえ、そのようなことは……」


「冷たくて甘いですよ」


「そうなのですか!?」


 そうだな、いくらなんでもただ連れてきただけではな。なにか飲み物とか、少し食べ物くらいあってもいいか。


「じゃあちょっと買ってきますので、ここで待っててもらってもいいですか」


「ま、待つのですか? あの、一緒には……?」


 連れて行ってくれないのか、とレイリィ王女が上目に懇願してくる。僕はその誘惑に笑みを返して言う。


「それはまた今度ということで」


「絶対、絶対ですよ!」


 子どものように興奮した様子の王女に頷き、真希奈に対して全員の護衛と監視を頼むと、僕は自身の身体を透明化させながら食料の買い出しに向かうのだった。



 *



「取り敢えず下の市で買ってきた品々です」


 約30分後、観光客でごった返す仲見世商店街を抜け、屋台が立ち並ぶ一角で色々な食べ物のを買ってきた。


 串に刺さった焼き鳥と、甘辛ソースのたこ焼きに枝豆、さらにビールとラムネに、王女リクエストのソフトクリームである。


 今日日コンビニでお酒を買おうとしても、僕のような未成年者は門前払いされてしまう。


 屋台ものをたくさん買い込んでいた僕に気を良くしたおじさんが「お父さんに頼まれたの? 自分で飲んじゃダメだよ」なんて気前よく売ってくれてよかった。


 僕は強風で形が崩れないよう、キチンと防風殻シェルプルーフで保護していたソフトクリームを王女へと差し出した。


 ちなみに、今僕らがいるスカイツリーの天望回廊の屋根の上には、全員をスッポリと覆う、ドーム状のシールドを展開している。さすがに強風の中で食事をすることは無理だからね。


「まあ素敵! ほらほら見てエミィお姉さま!」


「はあ、ちょっと待って、ようやく風がなくなって、落ち着いたから……うぷ」


 気分が悪そうなエミールにも僕はソフトクリームを差し出してやる。


「どうぞ、気分がスッキリしますよ」


「ぐっ、貴様の施しなど私は受けな――」


「美味しい! 冷たくて、口の中に入れた途端、淡雪のように消えていきます。まるで天上界の食べ物のよう!」


 レイリィ王女はソフトクリームの天辺を可愛らしくペロリと舐めると、目を白黒させながらそう叫んだ。


 そんな主の様子に、エミールもまた恐る恐るソフトクリームを口にし、カッと目を見開いて固まった。


「こ、これは……!」


 それからはもう、顔を突っ込む勢いで食べ始める。レイリィ王女は味わうようにチビチビと舌先でソフトクリームを突っついている。


 アウラやセレスティアはもちろん、セーレスもそうだけど、魔法世界マクマティカの女子は冷たい甘味が大好きみたいだな。


「タケル・エンペドクレスよ、これの開け方も教えてくれんかの?」


 ひとしきり女子組の相手をしていると、今度はポコスの爺さんに声をかけられる。どうやら缶ビールの開け方がわからなかったようだ。失礼失礼。


「これはここを持ち上げて――」


 プシュッ!


「おお、で、戻すと。ほほう、堅牢な作りをしているのに随分簡単に開くようじゃ。では、我が君、毒味をさせてもらいますわい」


「う、うむ……」


 ハーン国王は地べたにあぐらをかいたまま、ビール缶を傾けるポコス爺さんをジイっと見ている。シワシワの喉が「ごきゅごきゅ」と動くのを難しい顔で見守っていると――


「ぷはっ、こりゃあいい! キンキンに冷えておる! しかもシュワシュワとたまらん喉越しじゃあ!」


 毒味と言っていたのに、ポコス爺さんは痛飲を止めなかった。再び喉を鳴らしながら缶ビールを煽っている。


 いい加減焦れたハーン国王がやおら立ち上がり、爺さんから缶を奪い取った。


「ジジイ、全部飲む気か!」


「おお、こりゃあ失礼しましたわい。あんまりにも美味くって。どうぞ我が君、これは恐らく国宝級の美酒に違いありませんぞい」


 口ひげの周りに白い泡をくっつけたまま、ポコス爺さんは二缶目を開栓する。すると国王は自分の手の中にある飲みかけを押し付け、新しい方をを引ったくった。


「おや、毒味は?」


「いらんわ! 毒など入り込む余地のない作りだからな!」


 そうしてハーン国王は缶ビールに口をつけると、一口、二口と飲み込み、やがて「ゴッゴッゴッ!」と喉を鳴らし始めた。


「ぷはッ、う、美味い! ちくしょう!」


 なにがちくしょうなのかは分からないが、気に入ってもらえたようだ。


「よろしければこちらもどうぞ」


 ネギマの焼き鳥が載ったプラ容器を差し出してやると、ハーン国王は鼻白みながら「一国の王になんと粗野なもてなしだ」などと宣う。


「ほっほ、これよりもっと野卑な食事を戦地で行っていたではありませんか。これなどまだ上品な部類ですぞ。どれ、私が毒味をしましょう」


「もう毒味はいらん」


 手にした焼き鳥をキッと睨むと、ハーン国王は「ガフっ」と串の半分ほども口に入れる。両の目をグワッと見開きながら、口がモゴモゴと動かされる。ゴクン、と飲み込むと、残りの半分も一口で食べてしまった。


『王様、食べ終わった串はこちらにくださいませ』


 プルートーの鎧を操った真希奈がビニール袋を差し出す。王はポイッと素直に空串を放り込むと、すぐさま二本目の焼き鳥に手を伸ばした。


「甘っこいタレが美味いのう。肉も柔らかくて年寄りにも嬉しいわい。この間に挟まれた野菜も歯ごたえがたまらん。見た目に反して味はかなり上等ですのう」


 ポコス爺さんは肉とネギとを順番に食べながら、ビールをグビーっと飲み込む。「いやあ、この串肉とこの酒の相性は抜群ですなあ」と、頬を赤らめながら絶賛してくれた。


「タケル様、これも食べ物なのですか?」


 ソフトクリームをコーンの部分まで完食したレイリィ王女が次に興味を持ったのはたこ焼きだった。


 カラッと油で揚げられた表面に真っ黒いソースと青のり、さらにマヨがたっぷりと塗られていて、僕からすれば食欲をそそる見目だが、初めて目にするヒトにはちょっと抵抗感があるかもしれない。


 実際エミールなんかは、ソースとマヨの匂いが嫌らしく鼻を塞いでいた。


「たこ焼きという食べ物ですよ、熱いので気をつけて食べてください」


「お待ち下さい王女、ここは私が毒味をいたします!」


 ソフトクリームを食べて気分が回復したのだろうエミールが、たこ焼きに刺さった爪楊枝を摘み、一口で食べてしまう。当然――


「あっつッ! なんだ、このしゃくふぇつ(灼熱)の食べ物わあああ!」


「冷まして食べないから……はふはふって、口の中に空気を取り込みながら食べてください」


「はふはふ、おふ、ふあ――ごくん。……王女、危険な食べ物です。残りは私が処理をしますので――」


「嘘おっしゃい、絶対美味しかったのでしょう!?」


「美味いですがすごく熱い食べ物です! お口の中を火傷してしまいます!」


「火傷が怖くて異世界の食べ物が食べられますか!」


 そんな感じでレイリィ王女とエミールはたこ焼きの容器を挟んで睨み合いを始め、ひとしきり焼き鳥を食べ終えた国王と爺さんは新たなビールを開栓しながら、「なんだこいつは、固くて食えたもんじゃないぞ!」「我が君、これは中の豆だけを食べるようですじゃ」と枝豆に取り掛かり始めていた。


 そんなこんなで、応接室の殺伐とした雰囲気とは真逆の、和気藹々とした空気を醸しながら、スカイツリーの上で宴会をするという、ある意味この世界の誰にもできない贅沢の中、会食は進んでいった。


 そして――


「ふいー、すっかり馳走になってしまいましたな我が君よ」


「ふん、まあ悪くはなかったな」


「私はソフトクリームと出会えたことを四大精霊に感謝いたします」


「もっとたこ焼きが食べたかった……」


 ポコス爺さんもハーン国王も、レイリィ王女とエミールも。随分と僕の思いつきの歓迎を気に入ってくれたようだ。


「それで、タケル・エンペドクレスよ、一体この異世界はどこで、なんの目的があって俺たちを連れてきたのだ?」


 アルコールが入って幾分赤ら顔になった国王が、それでもその瞳だけは鋭く僕を射抜いてくる。僕は再び背後の絶景を手で仰ぎながら質問する。


「みなさんの目には、この世界はどのように映りますか?」


 そう問われ、全員が顔を見合わせてから、思い思いの感想を述べ始める。


「口惜しいことだが、このように高度な建築技術を持った国はヒト種族にはない。お前が僅かな時間で買ってきた食べ物も、味も衛生状態もかなりよかった。そのことからも、この国の国力が高い位置にあるのがわかる」


「さきほど、この塔の周りをぐるりと歩いて見ましたが、見渡す限り地平の彼方まで街並みが続いておりましたわい。少なく見積もっても王都の人口を軽く越えておるように見えますのう」


「人々が皆活気に満ち溢れていて、自由に市で買い物をしているのを拝見しました。また、街路は整然としていて、人足や馬に頼らない乗り籠が見て取れました。高度な文明を持った国なのだと思います」


「私は難しいことはわからないが、少なくとも全ての民に衣食住が足りているのなら、とても驚異的なことだと思う。このような世界が存在していることなど、今日この時まで想像すらしていなかった」


 四人ともそれぞれ着眼点が違っていてなかなか面白い意見だと思った。


 だがそう、最後のエミールが言った言葉の中にこそ、求めていたセリフが入っていて安心した。そう思ってもらわなくては、この世界に連れてきた意味がない。


「ここは地球。そしてこの国は日本という極東の島国です。国土こそヒト種族の領域よりかなり狭いですが、実に王都の100倍以上のヒト種族が住んでいます」


「なんと……!」


 想像すら及ばない人口の多さに、ポコス爺さんは感嘆の声を上げ、ハーン国王も険しい表情をする。


「そして、この世界全体では70億人ものヒト種族がいるのです」


「なな、じゅうおく……!?」


 知らない単位だろうが、それが日本の人口よりもさらに多いことだけは伝わったようだ。レイリィ王女は驚愕に目を見開き、エミールは身震いをしている。


 僕はさらに、この世界へと彼らを連れてきた理由、それそのものを言い放つ。


「そして僕とオッドアイは元々この世界の住人でした。聖都をあんな姿に変えてしまった呪いも、元はと言えばこの世界からやってきたものなのです」


 全員の顔から一切の表情が消えた。

 消えた後、みるみる顔が強張り、戸惑いと怒り、そして恐れの感情が浮かんだ。


 王都は愚か、全てのヒト種族国家を結集しても、極東の一国にすら及ばない。


 それほどとてつもない世界からやってきたオッドアイ、そして僕という存在は、彼らに大きな動揺を齎した。


 続く。

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