第334話 北の災禍と黒炎の精霊篇2⑭ 見果てぬ異世界で宴会を〜オッドアイと僕の正体・前編

 * * *



 強い日差しが降り注いでいる。

 初夏を感じさせる暑い熱気がまとわり付く。


 だがそれより以上にここは風が強い。

 高度がありすぎて、吹き付ける風が台風並みになっている。


 あと夏だけど、風は超冷たかった!


「な、な、なんだここは――――!!」


 目の前に広がる眺望を前に、ハーン国王は叫んだ。その叫びでさえ、吹き付けた強風にかき消される。


 ハーン初世の頃から存在しているという覇者のローブとやらが、ちぎれんばかりに風に弄ばれて、彼の首に絡みついて締め付けられていたりする。


 国王は風に持っていかれそうな身体を懸命に踏ん張り――踏ん張りきれずに四つん這いになって、一際強い風にローブが舞い上がり「ぐえっ!」っと叫んだ。


「うおほっほっほっほー! なんですじゃこれ、なんなんですじゃこりゃあ! 長生きはするもんじゃあああああ――!!」


 こちらは年甲斐もなくはしゃぐポコス爺さんだ。

 たいして広くもない屋根の上ではしゃぎまくってえらいテンションになっている。


 さすがは人類種最強の魔法師といったところで、自分の周辺に最低限の風の干渉壁を纏い、強風にも難なく対応している。


「ひっ、あっ、うううっ、レ、レイリィ様、レイリィ様、お願いです、もっと、うわっ、こっちにきて、ひっ、そこは危ないですからぁ……!」


 完全に腰が引けた様子のエミールが、纏っている鎧を絶え間なくガチャガチャ震わせながら王女へと呼びかけている。


「……………………」


 そして、そんなエミールが泣いて懇願する先には、外縁ギリギリに立ち尽くし、吹きすさぶ風にその身を晒しながら、高所から見下ろす大都会の絶景を呆然と見つめるレイリィ王女の姿があった。


 その美しい白縹の髪は、まるで両手でシェイクされたようにグシャグシャになっているが、皿のように見開かれた彼女の瞳だけは、瞬きすら拒否するよう、映る景色の全てを記録し続けているようだった。


 ここは東京。

 そびえ立つ巨大な尖塔、スカイツリー。


 その展望デッキのさらに上、展望回廊の屋根の上、実に450メートル以上の高所から、居並ぶビル群を見下ろしている。


 直ぐ眼下には隅田川が横たわり、向こうに見える緑地は上野公園だろう。


 反対側には東京駅周辺の高層ビル群が立ち並び、その間のさらに遠く、うっすらと大気に溶けるように、万年雪をかぶった富士の霊峰が見える。


「すごい……」


 王女が発したその言葉は、風に消えることなく僕の耳に届いた。


 吹けば飛びそうな細い身体は、大の大人でさえ泣き叫ぶ高所であっても、しっかと床を踏みしめて屹立していた。


 その顔は、これまでで一番の、生き生きとした希望という名の輝きに満ち溢れていた。



 *



 僕が持つアビリティの中でも、抜群の魔力消費をしてくれるもの。それこそが『聖剣』である。


 魔法世界マクマティカの生き字引であるオクタヴィアをしても、正確な発生はわからず、彼女の悠久の記憶の中でもたった三度しか世界に姿を現さなかったという、超常現象・・・・そのものである。


 あるときは大隆起した大地を消し去り、あるときは押し寄せる大津波を飲み込み、そしてもっとも近代では、王都に押し寄せんとしていた溶岩流を防いで見せたという。


 その三度目のとき、聖剣は初めて『聖剣』となった。三度目に聖剣が顕現した依代は、ヒト種族の青年だったからだ。


 ヒトの手に渡ったことで、初めて聖剣は形を得、そしてそれに選ばれし者はヒト種族において『勇者』としての称号を得たのだという。


 オッドアイにより、セーレスを地球へと連れ去られてしまった僕は、彼女を追いかけるための手段として聖剣を求めた。


 正確には、オッドアイが人工的に再現した『ゲート』と呼ばれる異界の門を開く魔法――それが本来は聖剣によってのみ引き起こされる特別な魔法であると知ったからだ。


 魔族種となって、不死の身分となってから今日まで、僕は幾度か死を覚悟したことがあった。その中でもとびっきりの絶望が、聖剣が導く『暗黒の宇宙』だった。


 あらゆる原子結合を阻害する電磁気力拡散の宇宙に囚われ、為す術もなく全身の細胞を解かれて消滅しかけた。


 その後、どうにかこうにか、聖剣の支配権を奪取することに成功した僕は、エアリスを連れて地球への門を開くことになるのだが――



 *



「せ、説明しろタケル・エンペドクレス……聖剣の力を使い、俺をこのような場所に連れてくることに一体なんの意味があるというのだ……?」


 ハーン国王はキリリと顔を引き締めながら僕へと問う。もちろん床に這いつくばった無様な格好でだ。


「我が君よ、そんな情けない姿では威厳も何もありませんのう……」


「うるさいぞジジイっ! 自分ひとりだけ魔法の力を借りて髪の毛一本そよがせぬようにしてからに! こんな王都にも存在しないような高い場所に連れてこられてどう取繕えばいいというのだ……!」


 確かにこのような高所、魔法世界マクマティカの常識では考えられないほどの場所だろう。


 彼らからすれば、ここはもはや空の上、雲の上に立つにも等しい。吹き付ける強風から己を守る手段の無いものにとっては、死地と同義なのかもしれなかった。



 *



 一時間前。

 応接の間での会談は決裂を迎えようとしていた。


 ハーン国王は言った。

 聖都跡の問題は、自分たちで決着をつけなければならないのだと。


 ヒト種族において、王都は頂点に位置する最大国家。王都は常に強い姿を他に示さなければならないと。


 さらにハーン国王は、そのような自らの強いあり方を持って、経済の枠組みすら変えようとしていた。


 エストランテ王国が、東の最果てにありながら、あのような栄華を極めているのは、経済に於いては他種族との共生に重きを置いているからだ。


 近年行き詰まりを見せる王都経済をヒトの血管に例えるなら、新しい血流が必要なのだと。その血流こそが他種族――とくに獣人種の存在であると。


 その考え自体を聞かされたとき、ポコス爺さん以外の者たちの顔に驚愕が浮かんだのを僕を見逃さなかった。


 そのような考えをハーン国王が持っていることなど、彼らも初めて聞かされたのだろう。


 僕はなるほど、と思った。

 では獣人種への宣戦布告自体も一種のパフォーマンスなのか。


 自国に有利な条件を相手に飲ますためのブラフ。

 戦争さえ利用して自国へ利益を誘導しようとしているのか。


 国王のやろうとしていることはまさに革命だ。

 それをした場合、当然周辺国の反発は必至だろう。


 国王はその反発を抑え込まなければならない。

 そのためにも今は他国に舐められるわけにはいかない。


 だが、既にして聖都跡から噴出する呪いに対して、まともな解決策を講じられないという大きなハンデを背負っている。


 このままでは、ハーン国王の対応力の無さを露呈しかねない。故に、僕という魔族種の力など借りるわけにはいかないのだ。


 強いものは同時に孤独であり、孤高でいなければならないという、そんなこだわりを国王からは受け取った。


 故に僕は改めて言った。「くだらない」と。

 そして僕は皆の前で、切り札となる聖剣を引き抜いて見せたのだ。


 僕が王都に赴くと言った際、オクタヴィア・テトラコルドはいくつかのアドバイスを僕にくれた。


 威厳を持ち、ときに大胆に、己の力を誇示することを厭わず。


 そしてどうしようもなくなったときには、さっさと聖剣を見せつけてやれ、と。


 僕はそれを実行した。

 結果、どうなったかというと…………全員借りてきたネコみたいになった。


「おお、おおお……、その聖なる輝きはもしや、伝説の――!?」


 ポコス爺さんが、血走った目で僕を凝視する。

 正確には僕の手の中にある無垢なる白銀の剣を見つめていた。


 一切の飾り気を排したむき身の刀身。

 見る者の本能へと直感訴えかける威風。

 それはヒト種族の王族が持つカリスマなどとは比べるべくもない。


 命と知性のある者ならば、平伏せずにはいられないほどの威厳が、銀光から燦々と放たれていた。


「タケル・エンペドクレス――それはまさか……!?」


 王として決して膝を折ることはしない。

 強靭なプライドがそれをさせまいと、聖剣を見つめるハーン国王をつなぎとめているようだった。


 その代わりに彼の膝は震え、頭上からはお重しでも被せられたようにこうべを垂れ始めている。


「綺麗…………」


 隣のレイリィ王女に至っては、半ば放心してしまっている。その視線は吸い込まれるように、僕が持つ白銀の刀身へと注がれていた。


「いけません王女、魅入られてしまっては……!」


 まばゆい輝きに目を細めながらも、背後からにじり寄るのはエミールだ。彼女は動悸を抑えるように胸を押さえ、苦しそうに喘いでいる。


 その時点で僕は「おや?」と思ってしまう。

 もしかして、普通のヒト種族にとって、聖剣の姿というのは刺激が強すぎるのかも、と。


 思い返せば、聖剣を使用したとき、僕の周りにいたのは、地球でも魔法世界マクマティカでも、エアリスや獣人種だったり、百理やカーミラといった、ヒト以上の力を持った強者たちが多かった気がする。


 レンカやピアニたちの時は一瞬だったし、クレスはネエム少年の怪我で必死だったしなあ。


「ハーン国王、そしてレイリィ王女」


 僕は自身の背後に剣を振り下ろし、極彩色に輝く門を出現させる。聖剣とは違った妖しい輝きに全員が魅入られる中、僕は厳かに言い放つ。


「王族であるあなた方ふたりに見せたいものがあります。それぞれ共を一名、随伴させてこの門をくぐってください」


 聖剣を持つものは、即ち勇者とみなされる。

 かつて王都を救った聖剣の使い手は、その後二度と再び聖剣を手にすることはなかったが、王都の歴史に燦然とその名を刻んでいる。


 そして今、彼らの前に再び姿を現した聖なる剣は、僕の手の中にあり――即ち僕の言葉は勇者の言葉と同義であり、絶対の強制力を持っていた。


「見せたいもの、だと……? それは一体なんだというのだ?」


「ここで議論をするつもりはありません。見ればわかることです」


 先程まで話は終わりとばかり、取り付く島もなかったハーン国王は、現れた極彩のゲートをマジマジと凝視している。


「ま、待て、タケル・エンペドクレスよ! 王と王女を一体どこへ連れて行こうというのだ! 門? 門だと? この輝きの向こうになにがあるというんだ!?」


 さすがは近衛兵団団長と言ったところか。

 エミールは震えながらも懸命にレイリィ王女を背中にかばおうとしている。


 そんなエミールの肩に優しく手を置き、レイリィ王女は静かに言った。


「行きましょう。タケル様が手にしているのは、私も幼き頃より伝え聞く、聖剣に間違いありません。ならばタケル様はかつて王都を救い下さった勇者様と同じ存在。そんな御方の頼みを、無下に断ること、このオットー・レイリィにはできません」


 その物言いは王族らしく、悪く言えば盲目的だったが、レイリィ王女の瞳は好奇心に爛々と輝いていた。やっぱりレイリィ王女はフロンティア精神に溢れる方のようだった。


「確かに、私も初めて目にしますが、あの輝きは聖剣――『第七剣王異界』が創り出す特別な魔法に見えまする。なんでもここではない、別の世界への扉を開くとか」


「妖しい。妖しすぎる。そのようなものにおいそれと飛び込むわけにいくか!」


 娘とは違い、チャレンジ精神というものがまるでないハーン国王は警戒心の塊になり、てこでも動きそうにない。なので僕は、これまたオクタヴィアのアドバイスどおりのセリフをそらんじてやった。


「いいのですかハーン国王。この申し出を断るということは勇者の申し出を断るということ。つまりあなたは、聖剣を持つ勇者に救われたという王都の歴史すら否定することになるのですよ」


「な、なんだと……!!」


 ハーン国王は自らが背負う王都の歴史の重みで雁字搦めだ。だからこそ、それを利用してやらない手はない。


「我が君よ、貴方様の負けです。何があろうとこの老骨が、貴方様のお命だけは守り通して見せますぞい。どーんと構えていてくださいませ。エミールもよいかの?」


「もちろんです! 何があろうとも、レイリィ王女のお命だけはお守りいたします!」


 だから別に死地に連れて行くわけじゃないってのに。でも部下たちの覚悟を聞いて、ようやくハーン国王も腹が決まったようだった。


「パンディオン・ダルダオス。留守を頼むぞ」


「――はッ!」


 椅子を蹴倒す勢いで立ち上がったパンディオン将軍が敬礼する。


 そうしてレイリィ王女を先導するエミールを筆頭に、ハーン国王とポコス爺さんの順番で隊列が組まれた。


「真希奈、どこかヒトがいないくて、見晴らしのいい場所に案内してくれ」


『畏まりましたー。エンタングルチャットによる情報収集を開始。該当箇所を選定――完了。出現位置を固定。皆様、こんな湿っぽくて息苦しい部屋ではなく、もっと開放感に溢れた場所で今後の方策を話し合いましょう。ではどうぞ――』


 エミールとレイリィ王女が『ゲート』をくぐり、続いてハーン国王が「えいや!」とばかりに飛び込む。そのすぐ後に気色ばんだポコス爺さんが「ほおお、こりゃあすごい!」と叫びながら続いた。


「じゃあ、全員の安全は保証しますので、ちょっと行ってきます」


 必死の形相で頷くパンディオン将軍と、未だにポカンとしたままのフリッツを残し、僕と鎧に乗った真希奈も『ゲート』を潜った。


 時間と空間と距離の地平をたやすく飛び越え、僕は異世界のヒト種族を初めて地球へと連れて行ったのだった。



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