第333話 北の災禍と黒炎の精霊篇2⑬ 滅びの美学を断ち切る剣〜父娘に流れる愚か者の血

 * * *



 始まりは光。

 そして粒子。


 万物の全ては粒子の集合体。

 空も、大地も、太陽サンバルも、ムートゥも。


 そして生物もまた然り。

 ヒトも、獣人も、魔物も、長耳長命族エルフも、魔族種であっても。


 この身体は素粒子や原子で出来ている。

 60%の水素原子たち、

 25%の酸素分子たち、

 10.5%の炭素分子たち、

 2.4%の窒素分子たち。

 37兆個に及ぶ体細胞。

 身体を作り上げる設計図である遺伝子。


 原爆症とは、放射線障害の総称であり、爆発直後の被害が最も多いが、本当に恐ろしいのは10年、20年と年月を経てから発症する場合もあることだ。


 オッドアイ――アダム・スミスは30年の歳月をかけて魔法世界マクマティカに原子炉を造り上げてしまった。


 それは四大魔素を利用した非常に安定的で効率的な発電施設として機能し、聖都の夜を光で満たした。


 だがそれは、効率よく信徒を集めるためのパフォーマンスであり、彼の真の目的は、自分が本来いた地球へと、魔法の素養があるものを連れて行くこと。


 寿ぎの日とは、信徒にとっての祝いではなく、アダム・スミスにとっての幸いの日。


 セーレスという生贄を連れて、人工的に再現した聖剣の超魔法『ゲート』と呼ばれる、異界への門を開く日に他ならなかった。


 そのために必要だった莫大なエネルギーを絞り出した四大魔素による原子炉――魔原子炉は、臨界運転をし続けた結果、メルトダウンした。


 証拠の隠滅も図ったアダム・スミスの計算通り、100万人の信徒を巻き込み、聖都は完全に消滅した。


 その後に残されたのは、恐らく大深度地下まで続いているであろう巨大な大開孔ベントと、辛うじて外壁を残す聖都跡だけだった。


 当初、聖都消滅の原因を調べようと、大開孔ベントを目指し、侵入していった王都の調査兵たちがいた。


 それだけでなく、火事場泥棒的に聖都の焼け跡に金目のものがないかと侵入していった不届き者もいただろう。


 だがその者たちは二度と帰ってくることはなかった。


 聖都内――正確には大開孔ベントから放射される強力な放射線によって外部被ばくし、即座に絶命したためだ。


 やがて人々は知るようになる。

 あれはもはやヒトの手に負えるものではない。

 近づけば確実な死が待つ、呪いの坩堝と化してしまったことに。


 隆盛を極めた聖なる都は、ヒト種族史上最大の厄災を振りまく死の大地として、人々に恐れられるようになる……。



 *



「僕達の身体は小さな細胞と呼ばれるモノの集合体です。とても小さく、特別な目を持っていなければ見ることすら適わない。聖都から吐き出される呪いとは、その細胞を致命的なまでに破壊する、不可視の刃だと思ってください」


「不可視の刃……!」


「どおりでのう」


 僕の言葉に頷いたのはパンディオン将軍とポコス爺さんだった。


 聖都消滅の原因の前に、どうしても呪いの正体を知りたいと言ってきたポコス爺さんに応える形で、僕は呪い――放射線障害について、噛み砕いて説明していた。


「この身体が星の数ほどある小さきものの集合体だと……?」


 ハーン国王は自分の手を見下ろしながら眉を顰めていた。


 魔法世界マクマティカに科学や生物学は存在しない。


 医学も、その役割を担うのは水精魔法師であり、彼らの癒やしの魔法こそが治療に使われる。


「そうです、例えば水精魔法師が傷の治療を行う際、どうして傷が治ると思いますか?」


 僕の問いかけに一同は首をひねった。

 ポコス爺さんが魔法師を代表して発言する。


「癒やしの魔法は水の魔素――精霊様のご加護の一端を借りて対象に祝福を与えるもの。癒やしの魔法だけではない、全ての魔法はそれぞれ四大精霊の偉大なるお力を借りて行われておる。即ち、傷を癒やしてくださるのは精霊様であると言えるのう」


 確かにセレスティアの癒やしの魔法はとんでもない。死んでさえいなければ、大抵の大怪我や病気は治してしまう。


 でも、それにだって限界はある。


「もちろん、四大魔素とはそれぞれ四大精霊の一部という見方ができるため、ポコス様のお考えは理解できます。ですが僕が聞いているのは、水の精霊の祝福を与えられた生物の傷口が、どのようなプロセス――道筋を経て治るのかを聞いているのです」


「道筋とな? むう、そのようなこと考えたこともないのう。私たちは傷が癒えれば、ただ精霊へと感謝を捧げるだけじゃからのう」


「もしかしてタケル様、それが先程おっしゃられた『さいぼう』と呼ばれるものに関係が?」


 僕の隣でレイリィ王女が鋭い答えを口にする。

 その通り、と、一瞬頭を撫でそうになった。

 いかん、教師をしていたときの癖が。

 王様の前でやったら大顰蹙だよね。


「その通りですよ王女。癒やしの魔法の効果とは、精霊の祝福を対象者へと吹き込み、細胞を活性化させて治癒力を高めてやる行為なのです」


 レイリィ王女は「まあ」と言って目を丸くしていた。初めて耳にする話に、ポコス爺さんも真剣な表情で僕の言葉を聞いていた。


「生き物の身体は毎日毎日、食事をしたり、運動をしたり、睡眠を摂ることで、新しい細胞が生まれ、古い細胞に成り代わっていく。これを『新陳代謝』と呼びます。癒やしの魔法によって傷口の周りの細胞が活性化――元気になって、増えることにより、細胞同士が結合し傷を塞ぐのです」


「なんと――そんなふうになっていたのですね。初めて知りました」


 王女は素直に、自分の中になかった新たな知識を吸収している。


 だが、上座に居並ぶ三名は眉を寄せて首を捻っていた。


 恐らく考えが納得できない、というのではなく、なぜそんなことを僕が知っているのか、納得できていないのだろう。


 それも当然。

 僕が今語って聞かせている知識は、異世界の科学を元に魔法が齎す人体への影響を説明している。


 理解不能で知識の出自に疑問を持たれたとしても、ここは押し通すしか無い。


 何故なら呪いの正体を理解してもらうためには、科学的な説明が必要不可欠だからだ。


「聖都――正確には城壁内部の中心地点、人類種神聖教会アークマインの大聖堂があった場所には巨大な開孔があります。呪いの源はその地下深く、海の底よりも尚深い場所から発せられているのです」


「なんだと……!?」


 幾度となく調査兵を送り出しても誰ひとりとして帰るものはなく、聖都の中心――大聖堂跡まで到達したものは皆無だったはずだ。


 今やあの場所はこの世界で最も生物に過酷な環境。急性外部被曝を齎す放射線が降り注ぐ地獄なのだ。


 数少ない証言を持ち帰った者たちはたまたま、耐放射線金属を着用していたものたちだろう。ビスマス甲などの鎧などがそれに当たる。


「なるほどな。目にも見えず、防ぐこともできず、近づけば確実に死ぬ。まさに極大の呪いだ。だがタケル・エンペドクレスよ」


 ハーン国王は酷く凄惨な顔をして僕を睨んでいた。


 そんな呪いを産み落としていった聖都に、そして今一身にその被害を受けているもののひとりとして怒りに身を震わせている。


 その怒りの矛先は僕へも向けられていた。


「お前はまるで見てきたように言うのだな。加えてアストロディア・ポコス宮廷魔法師にもない知識まで……。お前は本当に何者なのだ……?」


 自分には理解できないもの。

 自分には知らない理。

 それらを持つものをヒトは本能的に恐れる。


「先程も言っていた、異界の門とはなんだ? それを開こうとしていたオッドアイとは何者だ? そしてなぜ消滅した聖都のことをそんなにも詳細に知っているのだ?」


 質問の嵐だった。

 一つの答えが呼び水となり、次から次へと疑念が溢れているからだろう。


「そしてお前は、聖都消滅の真相を知っていながらそれをずっと秘匿してきたな? お前がもっと早くに現れていれば、被害はもっと小さく済んだのではないか――?」


 言葉は静かだが、その内に湛えたマグマのような怒りが、端々から噴出していた。王の悪癖である無意識の水気への干渉はとどまることを知らず、僕らは室内にいながら溺れるような錯覚を覚える。


 実を言えば、消滅した聖都跡の浄化は、以前から考えいたことだった。


 僕には――正確には僕たち・・・にはそれを成すだけの力があった。


 きっかけはやはり、オクタヴィアから齎された情報である。


 人類種ヒト種族の中で聖都跡の対応を迫られ、困窮を極める王都の惨状などは、正直どうでもよかった。


 ただオクタヴィアからは、いずれヒト種族だけの問題ではなくなる、とは警告を受けていた。


 それは一体どういう意味なのか。現地に赴けば嫌でもわかるとだけ、珍しく口重そうにオクタヴィアは言っていたが……。


 その後、僕はエストランテの騒動に巻き込まれ、そこでレイリィ王女と邂逅(正確には再会だが)し、そして今回、黒炎の精霊モリガンが発現したことがきっかけで、様々な歯車が同時に動き出すのを感じた。


 僕は王都が獣人種への宣戦を布告した窮地を逆手に取り、ハーン国王へと直談判する決心を固めた。


 聖都跡の浄化。


 ラエル・ティオスとアイティア――引いては獣人種を救うため。


 そしてレイリィ王女への恩に報いるために。


 これだけ多くの最良を兼ね揃えた今回のミッションを遂行する意義は大きい。


 その最初の一歩である、ハーン国王の説得。

 実はこれが一番の難敵かもしれないと、僕は改めて思い始めていた。


 さて、どこまでこちらの事情を話したものかと押し黙っていると――


「それはあんまりな言い草ではありませんか、お父様」


 理不尽な怒りに燃えるハーン国王を正面に捉えながら、レイリィ王女もまた、静かな怒りに燃えていた。


「おまえは黙っていろ。それができないのならここから出て行け」


「いいえ、出てても行きませんし、だまりもしません。ヒト種族の繁栄を一身に背負うお父様のご心労は理解しているつもりですが、今日いらしたばかりの、それも他種族の王を捕まえて言うことはそんな泣き言だけですか?」


「レイリィ、貴様……!?」


 ビックリした。

 顔面すべてで怒りの化身になっているハーン国王を捕まえてすごい啖呵だった。


 ポコス爺さんもパンディオン将軍も、フリッツもエミールも絶句している。


「例えタケル様が聖都崩壊後即座にそのことを知らせようとしたとして、お父様はそれを受け入れることができましたか? 私の信書もなく『謁見指定』をも駆使した今日でさえ、王宮は上を下の大騒動になったというのに。タケル様を聖都消滅の下手人に仕立て上げ、対外的な人身御供にしておいては土台無理な話ではありませんか」


「聖都が消滅してからすでに十の月が巡っておるのだ。その間に調査に向かった兵士、帰らなかった兵士、生きたまま躯となっていった兵士、それらすべてにお前は同じことが言えるのか。その者も王であるというのなら、力と知恵を持つ者には相応の責任があるのだ」


「お父様にも責任があるように、タケル様にも果たすべき責務がきっとあったのです。ですが悲しいですが種族が違えば、何に重きを置くかも変わってきます」


 レイリィ王女は目を血走らせるハーン国王から視線を離し、隣にいる僕を見た。


「恐らく、この度の仕儀――タケル様が王都まで来てくださったことにも、タケル様の中では様々な思惑があってのこと。ただ純粋にヒト種族や王都を、ましてや私を救いに来てくださったわけではないでしょう」


 僕は顔には出さずドキリとした。

 鋭い王女の指摘は正鵠を射ていた。


 確かに王女には大恩を感じている。

 感じてはいるが、それが全てではない。

 僕がここに来た理由は他にもある。


「ですが、聖都跡を浄化する手段があると、タケル様はおっしゃいました。近づくだけで死に至る呪いをどうにかしてくださると。他の周辺国はお父様を責めるばかりで、真摯に救援の手を差し伸べるものはいましたか? 共に手を携え協力を申し出てくれる者はありましたか?」


「……………………」


 さすがのハーン国王も、二の句が継げない。

 何故ならレイリィ王女の言っていることは間違いなく正しいから。


 だが同時にハーン国王の気持ちもわかる。


 僕があと半月、あと半年、あと十ヶ月早く現れてさえいれば、これまで失われた命は確実に減じていただろう。


 だが僕には、例え世界が滅びようとも成し遂げなければならないことがあった。


 その時の僕は、確かにまともではなかったのだろう。誰を幾人犠牲にしようとも、僕はたったひとりの少女を求め続けていたのだから。


「ならばもうよい」


 ハーン国王は、こわばっていた顔から力を抜いた。ふっと解けた表情は、まるで能面のように固く閉ざされていた。


「もとよりこれはヒト種族の問題。タケル・エンペドクレス王には、望外にも呪いの正体を教えて貰った。ならばそれで十分とする」


「お父様――!」


 レイリィ王女が叫ぶ。

 愛娘の必死の叫びも虚しく、ハーン国王は決定を下した。


「王都と聖都は本来親と子にも等しき共生の間柄。その片方が失われたとき、死に水を摂るのはやはりこのハーン14世以外におらぬ。魔族種の力を借りてまで解決を図ろうとはもはや思わん。人類種ヒト種族合同ヤヌルタ会議では、聖都周辺の完全封鎖の徹底を伝える」


「やれやれ……それが我が君の判断ならば仕方ありませぬな。凄まじい憎しみと怒りを買うでしょうが、あくまで解決は我らの手で行わねばなりませぬなあ」


 ポコス爺さんは顔に深いシワを刻みながらため息をついた。パンディオン将軍もまた、言葉は発さずとも異論はないようだ。


「お父様、お待ち下さい! 何のためにタケル様がここまで――解決する手段があると、救いがすぐ目の前にあるというのに、お父様はその手を振り払ってしまうのですか!」


「レイリィよ」


 王は静かに腰を上げながら、父としてではなく、王としての覚悟と威厳に満ちた厳しい表情で娘を見据えた。


「貴様も最古の歴史を持つヒト種族の王女ならば心得よ。観劇の芝居のように、流行り廃りで一喜一憂する民を見ながら、決して変えてはならぬ歴史の重みを体現する者こそが王であり『ハーン』なのだ」


 緋色の外套法衣の端をつかみ、王はそれを頭上にまで掲げる。


 そしてまるでその緋色が、太陽サンバルであるかのように目を細める。


「そして俺は14代を数えるハーンである。ハーン初世から引き継がれてきたこの覇者の外套法衣ローブに顔向け出来ぬようなことは決してできん。ましてや他種族の王が持ってきた甘言になど、絶対に乗ることはできんのだ」


「お父様は――愚か者です!」


「然り。貴様はその愚か者の血を引くものと知れ」


 レイリィ王女はうつむいた。肩を震わせて泣いているのかもしれなかった。


 せっかく決死の覚悟で救いの主を招聘したはずなのに、自分の父親にそれを否定されてしまったのだ。


 ハーン国王はそんな娘を痛ましげに見つめたあと、僕へと視線を移した。


「呪いについての講釈、改めて感謝する。通常の外交儀礼に従い、明日の中天まで御身の安全は保証される。疾くヒルベルト大陸へと帰るがいい。そしてレイリィ、貴様には今しばらく蟄居の継続を命じる。人類種ヒト種族ヤヌルタ会議後に、正式な処罰を下す」


 そう言ったきり、王は背を向けた。

 ヒト種族最大の国家、王都ラザフォードが国王、オットー・ハーン・エウドクソスの決定に、これ以上異を唱えることは不可能だった。


 結局王はどこまでも愚かで、どこまでも王だった。


 旧きもので雁字搦めに手足を縛られ、例え滅びの道だとしても、それが王道なら進まなければならない。無様に生き残るくらいならば、潔く死んでしまおうという思想。


 なんのことはない、結局こいつらヒト種族の王族が持つ排他的で保守的な思想そのものが、あの人類種神聖教会アークマインの、強烈な選民思想と他種族への差別を生み出す温床となっていたのだ。


 一見どちらも違うように見えて、だが実際根底にあるのは強烈な自我エゴの発露にほかならないのだから。


「くだらない」


 ピタリと、国王は歩みを止めた。

 たった一言、僕に切り捨てられた国王は今度こそ怒りに燃え上がった。


 そして肩を聳やかし、傲然と振り返り剣を抜き放ち――――阿呆のように口を開けた。


 王を庇うよう、椅子を蹴り倒してパンディオン将軍が前に出る。


 ポコスの爺さんは反射的に身構え、魔法を行使しようとしながらも、意識を半分飛ばして呆けている。


「タケル、様……!?」


 僕の手の中には白銀の光があった。

 それは僕と周囲の認識によって剣の形を取った無形の存在。


 世界を開く鍵にして扉。魔法世界マクマティカにおいてそれは伝説として語り継がれるもの――


「旧きものにしがみついてくたばるのは自由さ。でも、あの聖都跡には是が非でも消えてもらう。これは王都なんて関係ない、僕自身の決定なんだ――」


 王宮での許可なき抜剣は死罪だ。

 王の許可なきものの打ち首は当然。


 でも、僕が聖剣を引き抜いても、誰も何も咎めはしない。


 ただ白銀の光に意識を溶かしたように、マヌケな表情を晒すのみだった。


 続く。

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