第331話 北の災禍と黒炎の精霊篇2⑪ 幕間・番外王宮での密談〜臆さず王道を歩む者

 * * *



 王都ラザフォードの王宮――湖面にそびえ立つデュカリオン城。

 それは湖の端からせり出した絶壁のさらに先に建てられており、城の基部は完全に泉の中へと没していた。


 美しく屹立する城は、王都でも最高峰の立体構造物ではあるが、実際それは多分に見せかけの、見目のみに重きをおいた建築物であり、実際にはさらに広大な空間が地下へと広がっている。


 泉の底よりさらに底、大地を抉られ作られた地下茎構造こそ、王都千年に渡る暗部の全てを詰め込んだ真なる番外王宮エクスパレスである。


 緊急退避用の兵糧から、秘密の地下通路、国外脱出のための順路、そして王族に反逆を目論む貴族、軍人、敵兵、間諜――それらから情報を引き出すためのあらゆる手段を講じるための特種な部屋、それを詳細に記した膨大な記録……などがある。


 この番外王宮エクスパレスの存在は王族の直系男子――元服し、王冠を頂くことを確定したときにのみ初めてその存在が明かされる。


 ハーン王家の男子には特に胆力が求められ、幼き頃より施される帝王学や武術教練にも、とにかく強き心、挫けぬ不屈をその芯に宿すよう徹底して教育される。


 さもなければ必ずや潰れてしまう。

 王都の禍々しき暗部に押し潰され、とても耐えられず発狂してしまうだろう。


 そして今その番外王宮エクスパレスには三名の姿があった。

 パンディオン・ダルダオス将軍とアストロディア・ポコス翁、そしてオットー・ハーン・エウドクソスだった。


 目の前には縛り上げられた初老の小男がいた。

 老婆の姿に変装し、エミールに襲いかかった間者だったが、その瞳孔はすでに散大、室内に焚かれた鬼火に反応することはもうない。


「自害したか」


 一切の感情なく、ハーンは小男を見下ろす。


「申し訳ありません。口の中に毒物を仕込んでいたようです」


 大きな身体で丁寧に頭を下げるパンディオンに、ハーンは「もうよい」と吐き捨てた。


「どうせこれも嫌がらせの一貫であろうよ。暇なことだ」


「ではやはり、タニア連峰王国の?」


「いやはや、アーガ・マヤかもしれませんのう」


「あるいはドゴイかグリマルディか」


 ダルダオス、ポコス、そしてハーンは順番にため息をついた。

 疑いを向ければキリがない。それらのどれでもないかもしれないし、その全部かもしれないからだ。


 三名は部屋を出て、等間隔に鬼火が焚かれた通路を歩きながら会話を続ける。


「ヒト種族などどこも信じられん。もういっそケダモノ共と魔の森でも開拓するか」


 ポツリと、国王が発した言葉に将軍も翁も絶句した。

 ポコスとダルダオスは唯一と言っていい、王が腹を割って話ができる者たちだが、いくらなんでも限度を超えていた。それと同時にハーンの心労が、深刻な度合いに達していることを知らせた。


「おお、我が君よ。ヤケになる気持ちはわかりますが、今のようなこと、うっかり『上』で零したりしないよう頼みますぞ。醜聞に飢えた貴族たちの餌食になりまする」


「わかっておる。今のは小粋な諧謔かいぎゃくというやつだ。面白かったであろう?」


「むしろ魂が抜けかけました……!」


 顔を青くして喘ぐダルダオスにハーンは苦笑を漏らした。

 それは王が家臣に向ける表情ではなく、男友達同士で悪戯を咎めるときのような、そんな親近感を抱かせる笑みだった。


「だがな、実は冗談ではない、と言ったらどうする?」


「王ッ!?」


 ダルダオスは質実剛健な性格だ。

 魔法剣技でのし上がった軍神は腹芸の類がまったくできない。

 王の言葉をそのまま受け止めすぎて、さっきから顔を白くしたり青くしたり大忙しだった。


「ふむ。なるほど、エストランテ方式ですな」


 総身に知恵が回らない大男に対して、一番小柄な老人が理解を示した。

 ダルダオスだけはわかっていないようで首を傾げていた。


「そうだ、ヒトも獣も、そして始まりに魔ですら包含するあの国は手本に足る」


 元々はヒト種族の貴族でありながら出奔し、東の果てで勃興した共生国家。それがエストランテ王国だ。種族の垣根を超えて共に手を取り生きていくことは即ち、極めて経済が好循環している証左だった。


 王都は――首都ラザフォードこそ、他に比肩するものがないほど栄えてはいるが、それ以外の地方領地は決して裕福とはいえない。国内が広すぎて、ヒトとモノ、金の循環が遅すぎるのだ。


 一極集中が過ぎて、人々は地方に見切りをつけて、王都にばかり集まりだす。拡張に継ぐ拡張で醜く膨れ上がる肉のように、王都は歪な成長を今も続けている。


 城壁の外にも無数の街が出来、その周りに町が広がり、さらにその外に村ができる。このままではいずれ王都にも限界がきてしまう。今は辛うじて仕事にありつけている者たちが無職になり、食べられなくなり、やがては犯罪に走る。


 王宮でも技術者を募り、拡張整備という名目で仕事を与えているが、根本的な解決にはなっていない。器に満たした水が溢れ出して零れる前に、何らかの手を打たなければならない。


人類種神聖教会アークマイン派の貴族が邪魔だったが、今やその縛りはないしな」


 王都と聖都は表と裏、親子や兄弟のように密接に影響し合っていた。

 ヒト種族以外を認めない狭量の教えは、選民思想的な優越感も相まり、貴族を中心に瞬く間に広がっていったが、殆どの信者を抱き込んで消滅したことは、王都にとって決して悪いことばかりではなかった。


「だがまあ、何事も、後始末をつけんことには先に進めんがな……」


 綺麗サッパリ消えてくれたことは僥倖だが、まさか聖都があのような禍々しき呪いの坩堝になるとは思ってもみなかった。


 さらにヒト種族の他国家はその始末の責任をすべて王都へと押し付けてきた。解決できないと見るや、恰好の攻撃材料として糾弾してきた。


 故にレイリィに長い船旅をさせてでも、エストランテへと赴かせ、そこで王族と確固たる縁を結ばせ、協力を取り付ける足がかりにする手はずだったのだが……。


「それでジジイ、あのガキ・・・・、使えるのか?」


 の応接室で待っているであろう魔族種の王という少年を思い出しながら、ハーンはポコス翁へと問いかける。


「少なくとも魔法の腕前は相当ですな。しかもまだまだ底が見えませなんだ」


「宮廷魔法師筆頭、謳う三重合一トライアドがそこまで言うか」


 先程の、謁見の間での戦闘。

 ポコスも水の魔素しか使用しておらず、全力とは言えなかったが、それでも並の魔法師では抗いようもない絶対不可避の攻撃だった。


 それをあの少年は傷一つ負わずに凌いで見せたのだ。

 全身に四大魔素を纏いながら、その場から一歩も動くことなく、大瀑布の如き水槍、その全てを――


「そういえばお前は全力だったな?」


 ハーンは意地悪く口角を釣り上げ、ダルダオスに話を振った。


「い、いえ、私も実はまだ全力というわけでは……!」


「嘘はいかんぞい。秘蔵の天空失墜斬ベイル・ダウンまで使っておったのう」


「ふっ、しかも片手で止められてたな」


「中身が空っぽの鎧にですじゃ」


 まるで責めらられるように事実を突きつけられ、ダルダオスは「うぐぐ!」と詰まった。詰まったあと、大きく息を吐き出し、床に頭突きする勢いで頭を下げた。


「己の実力不足を痛感痛しました。この上はさらなる修練を詰み、必ずやあの少年を討ち果たして見せます――!」


 ダルダオスには冗談が通じない。

 彼はただ人一倍誠実なだけだ。

 少しからかい過ぎたか、とふたりは反省する。

 反省はするが、撤回はしない。


 王都最強の魔法師がポコスなら、王都最強の剣士が目の前にいるダルダオスだ。

 この男なら、すでに頂点にありながら、また新たな領域に到達できるかもしれなかった。


「だがまあ、現状では判断はできん。あのガキの言う、呪いの正体とやらを聞いてみないことにはな」


「もっともな話ですじゃ」


 三人は長い螺旋階段を登っていく。

 湖の底を地上へと向かっているため、周囲にはまとわり付くような水気が漂っている。水の魔素に耐性があるハーンとポコスは平気だが、ダルダオスなどは汗だくだった。


「しかし……、もしもタケル・エンペドクレスが我らにとって真に有益な男だったとしたら、レイリィ王女の先見の明は大変なものですな」


 ピクリと、前を歩くハーンの肩が震えるのを、ポコスは見逃さなかった。

 チラリと後の大男を見やり、内心「仇を取ってやるぞい」と我が身を棚に上げて続ける。


「レイリィ王女は自らの行動がいずれ叱責され、蟄居ちっきょを命じられることになろうとも、タケル・エンペドクレスを健気に待ち続けていたということですな」


 ビクビクっと、ハーンの肩が痙攣を始める。

 ポコスは好々爺然と目を細めながらタケルとレイリィを揶揄する。


「私が見たところ、レイリィ王女はの方は相当想いを募らせているように見えます。レイリィ王女が一つ年上のようですが同年代と……案外お似合いかもしれませんのう」


「耄碌したかジジイ。多少魔法の腕はあるようだが、あんなうだつの上がらなさそうな小僧にレイリィをくれてやるつもりか?」


 ハーンは立ち止まった。

 そして肩越しに振り返ると、射殺さんばかりの目でポコスを睨みつける。


 ダルダオスが息を呑んだ。だが、ポコスはまったく気にした様子もなく、蓄えた顎髭を擦りながら語る。


「…………エンペドクレスとは、世界に初めて魔法を与えた偉大なる始祖様の名前ですじゃ。一夜にして消えたという超大陸オルガノンがまだ健在だった頃、世界はもっと混沌としておりました。法による秩序などなく、生きるためには強さのみが求められ、力の無いものは搾取されるばかりの時代――」


 ハーンは一瞬怪訝な顔をした。

 幼き頃にこのジジイに聞かされた神話の類いだったと思い出したのだ。


「初代エンペドクレスは強者に立ち向かうための武器として、種族に関係なく、全ての弱者に魔法を教え広めていったそうですじゃ。恐らくそのエンペドクレスの系譜の者なのでしょうあの少年は」


「――ちッ、俺はオットー・ハーン・エウドクソス――ハーン14世だ!」


 今更確認するまでもないことをハーンはわざわざ宣言した。

 相手が魔法の大家であり、強者に蹂躙されるばかりだった種族の救世主となったものと同じ名前――即ちそれは、確かな身分を有する証。


 だからどうした、とハーンは言っているのだ。


「相手が例え王都を超える歴史を宿していようと、魔法の大家であろうと、魔族種の王であったとしても知ったことではないわ! 相手が何者であろうとも、この俺がへりくだることなど絶対にない!」


 その声は、番外王宮エクスパレスによく響いた。

 そんなハーンの姿に老獪な魔法師は、恭しくこうべを垂れた。


「無礼をお許し下さい我が君。それだけの決意があれば、相手が魔族種の王といえど、有利に交渉を進めることが叶うでしょう」


 先程まで、全身から枯れかけていた精気が、今のハーンにはみなぎっていた。精力とは生命力。それは魔力でもあり、ヒトが生きる活力でもある。


 いくら心労が溜まっているからといって、疲れた顔など、隙を見せていい相手では断じてないのだ。


「ジジイ、俺を試すな。いい加減お互いの年を考えろ。お前に尻を叩かれるほど腑抜けてはおらぬわ」


「肝に銘じておきまする」


 そうして三名は地上の王宮へと帰還する。

 向かう足は当然、客人であるタケル・エンペドクレスを待たせている応接室だ。


 そこにはレイリィ王女が一緒にいるはずだが、エミールがついていれば問題はないはずだった。


「魔族種なにを恐れるものぞ!」


 勇ましく吼えながら、ヒト種族の王は、戦さながらの覇気をみなぎらせ、合戦へと望む。そんな主君の後ろ姿を頼もしく思いながら、ジジイと大男はついていくのだった。


 続く。

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