第328話 北の災禍と黒炎の精霊篇2⑧ 戦場と化す謁見の間〜僅か六十秒間の攻防

 * * *



「ひきゃあああああああああああああああああッッッ――――!!」


 謁見の間にあられもない……もとい、無様な悲鳴が響き渡った。


 声の主は中段位に控えていたはずの男、フリッツ・シュトラスマン名誉男爵だった。


 横倒しになった酒樽のように、その大きな腹を抱えて尻もちをつき、ジタバタと手足を振り回してのたうち回っている。


 元文官とはいえ貴族位にあるまじき無様な姿だったが、だが冷静になって考えてみる。


 今この場において、僅か一年にも満たない昔、ミュー山脈の中腹、聖なる祠において、聖都消滅の下手人であった魔族種と直接対決して生き残っている者は、このフリッツ・シュトラスマンただひとり。


 それの意味することは、下手人の顔を知っているのも彼ひとりだけということになるのだ。


 そんな彼が国王の御前だということも忘れ、狂態を晒している意味。


 よもや、もしや、まさか――と。

 一堂が驚愕も顕に、鎧から吐き出された少年を見やる。


 そして――――


「こッ、こここここ、ころせええええええええええ――――!!」


 単純明快にして簡潔な命令。

 フリッツ・シュトラスマン名誉男爵が喉を潰すような勢いで叫んだ。


 真っ先に動いたのは、少年から最も近い場所にいた近衛兵たちである。


 少年と同じく最下段におり、そしてその手には長槍を携えている。


 何故、取り回しの悪い室内において、身の丈を有に超える槍を捧げているかといえば、それはもちろん謁見者が不審な行動に出た場合、押しとどめ、押さえつけ、さらに刺し殺すためである。


 近衛兵たちは、フリッツの叫びから僅か一呼吸の間を置いたのみで、すぐさま刺突の準備を開始した。


 日頃の錬成を感じさせる一糸乱れぬ動きにより、逆手にした右手を長槍の下部に、左手は僅か添えるだけ。体を半身に開くと同時に、槍の石突を足で払った。


 石突を払った右足はそのまま蹴り足となり、大きく踏み出した左足が床を踏みしめる。長槍は自重により倒れ込みながら、穂先をしっかと目標へと向ける。


 室内における長槍の取り回しの悪ささを補うために編み出された、必中の一斉射撃。


 少年を挟み、左右から釣瓶撃ちされる都合二十本の槍は、その重さも去ることながら、鍛え上げられた近衛兵達の渾身により、木製の盾なら紙の如く、鉄製の盾であっても抜くことが可能である。


 そして今――――長槍が振り抜かれた。


 左右から解き放つその槍は、お互いの身さえ危険に晒す。撃ち終わった後はすぐさま、床に身を投げるのが普通であるが、最後まで敵を視界に収めながら投げた方が命中率はあがる。


 故に兵士たちは自分が味方の槍に貫かれようとも、構わず最後まで屹立し、槍に貫かれる少年の姿を見ていた。


 ――――ガキィィン!!


 長槍が砕け散った。

 ありえない破砕音と共に、まるで不可視の壁に叩きつけられたように、力の逃げ道を失った槍は悉く、真ん中からへし折れてしまった。


魔力殻パワーシェル


 少年が何事を呟く。

 魔力に素養の無いものは気づかない。

 少年の周りをグルリと取り囲む壁の存在を。


 その強度は鋼鉄など遥かに超え、何人なんぴとをも寄せ付けぬ絶対の防壁となっていた。


「おおッッッ――――!!」


 謁見の間、高い天井付近から裂帛の気合が聞こえた。


 少年が見上げると、漆黒の外套衣を翻した大男が大上段に剣を構え、自由落下してくるではないか。


 パンディオン・ダルダオス。

 王都の最高軍事顧問にして将軍という地位にありながら、弛むことなく日々剣を振り続ける武人である。


 その全身は常よりもさらに大きく膨れ上がり、鎧の隙間から覗く地肌は赤く染まり、隆々と筋肉が盛り上がっている。


「りゃあああああああッッッ!!」


 ――バシャァァァン!!


 その音は、床の石畳が爆ぜた音だった。

 凄まじい衝撃により、まるで下に発破でも仕掛けたかのように床肌がめくれ上がり、噴水さながらにはじけ飛んだのだ。


 パンディオン・ダルダオスの剣は、落下速度も加味した最上級の一撃だった。


 その威力は城壁がまるごと墜ちてくるに等しい重圧を伴っていた。だが――


「斬りかかる直前、全身の魔力が剣に収束してありえない威力になってた。おじさんのそれ、魔剣って奴――?」


「バカなッッ!?」


 パンディオン・ダルダオスの必殺剣、『天空失墜斬』が受け止められていた。


 しかもそれは少年にではなく、少年が纏っていて、現在は空っぽのはずの鎧にだった。


 無造作に突き出された冷たい右掌は、パンディオンの全力を事も無げに止めていた。


 だが驚愕は僅か。

 パンディオンは剣を手放しながら鎧へと抱きつくと、肺の空気を全て吐き出すよう、背後へと叫んだ。


「アストロディア様ッッ!!」


「あいよ」


 いつの間にか辺り一面、視界の全てを青い水精の槍に埋め尽くされていた。


 キラキラとした魔力の輝きを秘めた槍は、謁見の間に水面の如き静謐を齎す。


 それを生み出したのはアストロディア・ポコス――宮廷魔法師の最高位の称号を持つ男だった。


「友を抱き、咎を断ぜし我が君の、水槍に果てるは――――流星の君、だったかの?」


 ポコス翁が小首をかしげた瞬間、豪雨の如く水精の槍が降り注いだ。


 衝撃に巻き上げられた床が剥がれ、基部の石畳が巻き上がり、さらにその破片を万遍なく打ち砕くほどの圧倒的物量。


 辺り一面にもうもうと水蒸気が舞い、もはや少年は愚かパンディオン将軍ですら、影も形も残ってはいまい。


 その場にいた誰もがそう思った。

 疑念を挟み込む余地はない、それほどまでに圧倒的で絶対的な攻撃魔法――そのはずだった。


「むうっ!?」


 ポコス翁が背後の玉座をかばいながら、油断なく構える。


 我が君――ハーン国王の悪癖である水の魔素を無意識に集めるさがを利用し、常よりも早く、かつ膨大に展開した水精魔法。


 弾着地点となった謁見の間最下段は、もはや原型を留めないほどに破壊され尽くしている。


 槍の破片と水蒸気、そして水の魔素。

 ポコス翁はまず水の魔素が急速に消え失せていくのを感じた


 シワだらけの顔にさらにシワを寄せて目を凝らせば、粉塵の奥から摩訶不思議な煌めきが現れた。


「なんじゃそりゃあ……!?」


 少年が、無傷で立っていた。

 その首から下には極彩の輝きを纏っている。


 鮮紅せんこう濃藍のうあい深緑しんりょく真黄しんおう


 極彩の正体は紛れもなく四大魔素の輝きだった。

 自分でさえ三つまでしか魔素を操れないというのに、あの少年は全ての魔素を同時に操ることができるのか――


 齢百を数えるアストロディア・ポコスであっても、初めて目にするその魔法に、問いを投げかけずにはいられない。引きつった笑いを浮かべながら口を開く。


「小僧、なんじゃあ、そのおべべ・・・は……?」


魔素分子星雲装甲エレメンタル・ギャラクシー・アーマー


「ちっとも分からんわい」


 耳慣れない言葉を聞いたから、だけではない。

 ポコス翁は傷一つ無い少年の背後に、仰臥するパンディオン将軍の姿を認める。


 無人の全身装甲が盾となったのだろう、どうやら大事無いようだった。


「はあ」とため息交じりに吐息をつくと、くるりと踵を返し、背後の玉座の我が君へと一礼する。


「申し訳ありませぬ我が君。力が足りぬようです」


 ハーン国王は今の戦闘を終始無言で見守っており、人類種最強が白旗を上げたにもかかわらず、涼しい顔で「ふんっ」と鼻を鳴らしていた。


「タケル様ッ!」


「あっ、駄目です、レイリィ王女!」


 戦闘が終わるや否や、一目散に最上段から駆け下りていく末娘。


 それを見送る国王の目は、面白くなさそうに細められていることを、ポコス翁だけが気づいていた。


 続く。

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