第327話 北の災禍と黒炎の精霊篇2⑦ ハーン国王との謁見開始〜レイリィ王女が見初めた男

 * * *



 その日、ハーン王国王宮内はピリピリとした緊張感に包まれていた。


 謁見の間周辺には絡みつくような嫌らしい水気が漂っている。


 常に無い厳戒態勢のため、隣接した部屋に待機する警備の兵たちも、まとわり付く不快感に、既にして疲弊した様子だった。


 そんな水気を齎している張本人こそ、オットー・ハーン・エウドクソス――人類種ヒト種族の約半分を統べる大国の王であった。


 ハーン国王は、最近すっかり夜型の生活に慣れてしまい、真っ当な時間に寝起きをすることはなかった。


 それが今朝方、寝所へと詰めかけたアストロディア・ポコス宮廷魔法師と、パンディオン・ダルダオス最高軍事顧問という、王宮筆頭二名に叩き起こされてしまった。


 未だ酒精が抜け切らぬ頭で理解したことは、王族の特権の一つである『謁見指定』がレイリィ王女によって行使された事実だった。


『謁見指定』とは、極めて重要な懸案、特に戦時中など、戦局を左右しかねない極めて重要な情報などを、王族が信任した者へ信書を授け、直接王へと請願していた頃の名残である。


 今時こんじでは、王族や公爵位、あるいは宮廷魔法師の高位、軍事顧問などなど、直接国王をも動かし得る身分と権力を持った者が、自らの命さえ引き換えにして、強制的に王との謁見を設定し、直接その者自身の声を届けさせるという『特権』に類するものだった。


 だが、長い王国の歴史においても、それが適応された前例は十数回のみ。しかもその殆どが王の不況を買い、悲劇的な結末を迎えている。


 故にここ二百年余りの間に『謁見指定』が行使された例はなく、当然ハーン14世の代では初めてのことである。


 ズキズキと痛む頭を抑えながら「謁見指定……なんだそりゃ?」とハーン国王が零すのも無理からぬことだった。



 *



 暑い日だった。

 王宮前広場には照りつける日差しにも負けず、じわじわと市民たちが集まり始め、ある程度の人数に達したとき、ささやきを束ねたような声で、レイリィ王女とハーン国王との栄華が歌われ始める。


 そんな人々を監視し、広場の秩序を保つ王宮警備兵たち。


 そして今王宮内では、近衛兵団が総出と成り、厳重な警護体制が敷かれていた。


 二百年ぶりに行われる『謁見指定』により、レイリィ王女が指定した人物が、ハーン国王と直接の謁見に望む。


 それは珍事にして一大事。

 もし万が一、国王の機嫌を損ねるようなことになれば、謁見者はその場で手打ち、そしてその者を勧めた王女自身も厳正な処罰を受けることになってしまうからだ。


 ハーン国王がもうけた四姉妹は、世継ぎとなれる男子ではなかったものの、美しく聡明で、市民たちから絶大な人気を誇っていた。


 だが、長女が次女が三女が、それぞれ政略結婚として他国へと嫁ぎ、最後に残ったレイリィ王女は、それはそれは目の中に入れても痛くないほど、全ての王族、民たちから愛されていた。


 そしてそれはこの男、フリッツ・シュトラスマンも例外ではなかった。


「王女が『謁見指定』だと……!?」


 謁見が開かれる部屋を目指し、酒樽のような身体で風を切る。


 元々情報将校で文官だったフリッツは、殆どの兵士たちが聞いたこともない『謁見指定』なる特権を正しく理解していた。


 かつて人魔大戦が勃発した400年以上前から存在している因習であり、王族や公爵位、王宮高位者が認めた者ならば、例え貧民であったとしても、王との直接対面が叶うという破格の権利だ。


 通常下のものが頂点である王を動かすことから、王の不況を買うことが当然とされ、まず殆どの者が行使することはない。


 そもそもが戦時中、市井の中には眠った才能や智謀にすらすがり、末期的な戦況を打破しようとした、陰惨なる人魔大戦時の名残が発祥とされてる。


 だが、今回の『謁見指定』はそれらとは一線を画する。


 王国に残った最後の末娘、オットー・レイリィ・バウムガルデン。


 いずれ他国へと嫁がされるか、あるいは国内の有力貴族との間に子を設けさせ、男子ならばそのものをハーン15世・・・・・・へと推挙する動きも噂されている。


 すなわち、現状レイリィ王女を娶ったものこそが、実質的にハーン国王に継ぐ絶大なる権力を得られることが約束されている。


 したがって水面下で熾烈なるレイリィ王女争奪戦が繰り広げられており、文官出身でありながら英雄との誉れ高い名誉男爵フリッツこそが、その筆頭に名を連ねていた。


 だが、ここに来てそれを覆す輩が登場した。


 自称『流星の君』。

 そう恥ずかしげもなく名乗って憚らぬ者が突如、レイリィ王女の信書を携えて現れ、ハーン国王との謁見に望むという。


 確かに『謁見指定』はカビの生えた古い習わしではあることは間違いない。だが、それは同時に止ん事無き者が、身分の差を越えて、相手に信と命を同時に託す行為に他ならない。


 特にレイリィ王女に推された者が男だった場合は、信頼をも越えた懸想を抱いているのではないかと多くのものが邪推してしまうだろう。


 昨晩から急激に慌ただしくなった王宮内は、『レイリィ王女が命を賭けてまで認めた男』の噂でもちきりとなり、その、頭ひとつもふたつも突き抜けた競争相手に、レイリィ王女争奪戦を本人のあずかり知らぬところで行っていた者たちに絶大なる衝撃を与えることとなった。


「許さん、どこの馬の骨とも知れぬ者がレイリィ王女の心を射止めるなど、断じて許さんぞ――!!」


 謁見は公式なものであり、さらには身元不明の者とあって、厳戒態勢の元に行われる。万が一謁見者が不埒な行為に及び、ハーン国王に危害を加えようとした場合、問答無用で誅されることとなるだろう。


 バーンと勢い良く扉を開き、広々とした謁見の間に突入するや、フリッツはその男を認めた。


 緋色の外套衣を纏い、黒黒とした鬣に覆われた仮面を着用している。


 跪き、頭を垂れて王を待つその姿勢から、男の全身が見て取れる。


 外套衣の隙間から覗く手足はいずれも鎧に包まれ、王都にしても珍しい全身装甲であることが分かった。


 周辺を固める近衛兵たちは、一様に長槍を掲げてその男、『流星の君』なる者を剣呑なる瞳で見据えていた。


 フリッツは血走った目で謁見の間最下段中央に控える男を見やりながら、ズカズカと脇を通り、衛兵たちよりもさらに上座の方へと歩を進める。


 真紅の絨毯が伸びた最上段には王が座する玉座があり、その両脇には既にして、宮廷魔法師の最高位、謳う三重合一トライアドのアストロディア・ポコス翁、さらに対外軍事最高顧問、パンディオン・ダルダオス将軍閣下が控えている。


 フリッツの持つ名誉男爵位は、名前こそ男爵ではあるが、準伯爵位の身分にある。従って、玉座がある段位より三位階下に、当然のように立った。


「ふっ――」と、上段から見下ろす『流星の君』とやらは、酷く矮小に見えた。王都が誇る近衛兵たちに囲まれ、小さく萎縮しているようにすら見える。


 フリッツは己が内に沸き起こる優越感に顔を歪ませながら、他のお歴々と同様、ハーン国王が現れるのをひたすら待つことにした。



 *



「ハーン国王、御出座ごしゅつざー!」


 近衛兵たちの放つ不穏な殺気を受け止めながら待つことしばし。ようやく掛かった入室の声に、謁見の間の空気は一気に引き締まる。


 玉座がある最上段の左手奥より、覇者の外套法衣を纏った偉丈夫が現れる。


 ザワッと、衛兵たちが動揺の声を上げる。何故ならハーン国王自らに手を引かれレイリィ王女もまた姿を現したからだ。


 王女が公式の場に姿を現すのは約二ヶ月ぶりのことである。近衛兵の誰もがその姿に安堵し、だが、やや疲れたそのかんばせに憂慮を抱く。


 さらに、レイリィ王女の後ろから現れたのは、第七近衛兵団団長、エミール・アクィナスであり、ハーン国王が玉座に腰を下ろすと、手を離されたレイリィ王女の後ろに立ち、まるで逃さぬように両肩へと手を置いた。


 入室したばかりのレイリィ王女はまるで抜け殻のようだった。


 ハーン国王に手を引かれる姿は、駄々をこねる子どもを連れてくるかのようだった。


 そして今、エミールの手によって支えられ、正面を向かされる時も、ともすれば足を縺れさせ、転んでしまいそうになっていた。


 王女は大丈夫なのか。

 長い監禁生活でやつれてしまった頬を見るにつけ、力なく落とされた肩を見るにつけ、謁見の間に居並んだ近衛兵たちは、しばし己の仕事も忘れ憂慮する。


 だが、だからこそ、その変化を見逃しはしなかった。


 例えるならそう、萎れた花が水を与えられ、再び咲き誇るかのような。


 前を見据えたレイリィ王女の視線が宙を彷徨い、やがて一点へと収束するのを誰もが見た。


 王女の瞳にみるみるうちに輝きが戻り、滂沱の涙が溢れ出ていた。


「ああ……」と嗚咽が漏れ、次いで紡がれた「流星の君……!」という言葉を、謁見の間に居並ぶ全員が耳にした。


「これよりオットー・レイリィ・バウムガルデン様『謁見指定』による、謁見の儀を執り行う。謁見者は面を上げい」


 朗々たるポコス翁の声に従い、『流星の君』が顔をあげる。


 悪鬼の如き仮面に包まれしその奥には、金色に光る妖しい両の眼がハーン国王を、そしてその隣に立ち尽くすレイリィ王女を捉えていた。


「これか」


 ただ一言、ハーン国王の発した言葉に、やや色めき立っていた室内は重しを乗せられたような圧に満たされた。


「これがおまえの見初めた男か」


「……はい」


「ふん。つまらんな」


 謁見の間に入るまで、果たして王と王女との間にどのような問答があったのか。


 だが会話の内容から察するに、レイリィ王女争奪戦の参加者であるフリッツなどは、心穏やかではいられなくなっていた。


「一目でわかるわ。あの鎧は弱さの証よ。名前を偽るのは覚悟のなさよ。故に俺はあのような者を認めることはない。我が娘が二百年ぶりとなる特権を行使したとして付き合ってやったが、話を聞くまでもない」


 ザワッと近衛兵たちが色めき立つ。

 荒事になるのを王自らが宣言したからだ。


「いいえ、お待ちになってください。あのお方の言葉を聞かねば、お父様は――ハーン14世は国家100年の計を見誤った暗君として、後世に伝えられることになるでしょう」


 その物言い、真後ろにいたエミールはギョッとした。


 ポコス翁は額を押さえ、パンディオン将軍は唖然と口を開けている。


 そして言われたハーン国王の顔は真っ青になっていた。


 ヒトは身体の構造上、脳に巡っていた血流が四肢により集まることがある。だが他の者たちには、可愛がっていた娘に手を噛まれた父親が、あまりの怒りに顔色を失ったように見えていた。


「暗君だと……貴様、我が娘ながらどこまで……!」


 やにわに玉座から立ち上がりかけたハーン国王の姿に、その場にいた誰もが王自らが王女を白刃のもと切り捨てる姿を幻視した。


 それほどまでに国王は剣呑な雰囲気を纏っていた。不況を買ったどころではない。レイリィ王女は国王の逆鱗に触れたのだ。


 と、その時、謁見の間にいた誰もが耳慣れない音を聞いた。


 ガシャン――バグンッという、初めて聞く人工的な音。


 それは玉座とは正反対の方角で鳴り響き、国王が、そしてレイリィ王女が、エミールが、はたとその者を見据えていた。


 ――謁見の間に招き入れた覚えのない少年がいた。


 年の頃は元服したくらいか。

 見たことも聞いたこともない服装に身を包み、まるで緊張感がなく「うー」と伸びをしている。


 その少年の後ろでは、大きく開かれた全身装甲が中身をさらけ出すように佇み、やがて先程と同じ音を立てて閉じる。無人となったはずの鎧はガシンガシン、と後ずさり、少年の背後で膝をついた。


 誰もが驚愕する中、たったひとりだけ、趣きの違う恐怖の感情を露わにする者がいた。


 フリッツ・シュトラスマン名誉男爵は、無様にもその場に尻もちをつき、ガタガタと震え始めていた。


 鎧から吐き出された少年はグルリと室内を見渡した後、真っ直ぐに玉座におわすハーン国王を見た。


「お初にお目にかかる。我の名はタケル・エンペドクレス。魔族種根源貴族の一角、龍神族の王である」


 その名前は、その場にいるもの全員に覚えがあった。


 かつて聖都消滅の下手人として指名手配され、討伐軍により討ち果たされた魔族種がいた。


 ミュー山脈の聖なる祠にて、炎の魔法の集中砲火により消滅したとされる大罪人――それこそがタケル・エンペドクレスだった。


 続く。


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