第326話 北の災禍と黒炎の精霊篇2⑥ 控えの間隣室・三者協議〜レイリィ王女の信書開封

* * *



「アイツ、私より強くねー?」


 控えの間に隣接する部屋。

 そこは冷たく無機質な作りをしており、壁紙や絨毯で装飾された他の部屋とはあまりにも異なっている。


 今その部屋には三名の人物が一堂に介していた。


 エミール・アクィナス。王都第七近衛兵団団長。まさに王族を守護する盾であり、兵団の中では唯一の女性ということで、特に年齢の近いレイリィ王女陛下専属の近衛兵である。


 パンディオン・ダルダオス。王都の最高軍事顧問にして将軍の地位にある。主に対外武力の頂点に立つ。歴戦の古強者らしくその顔には見るものを威圧する古傷が走っており、天をつくほどの大男である。


 そして最後の一人こそ、先程の呟きの主、アストロディア・ポコス翁だった。齢百になろうという王都最古参であり、宮廷魔法師の頂点に君臨している。二つ名は謳う三重合一トライアド。水、風、そして土の魔法を極限まで使いこなすことに長けた、まさに人類種最強の称号を欲しいままにする魔法師だ。


 そんな人類種最強の男が隣の部屋を魔法の鏡を通して観察していた。その鏡は表と裏で異なった性質を持つ大変な貴重品だ。表面では通常の鏡なのに、裏面は単なる硝子の役割しか果たさず、向こうが丸見えとなる。


 エストランテ王国から流れてきた珍重品が控えの間に設置され、隣室から覗けるようになっているのを知っているのは、王宮でもごく一部のものだけだ。壁に埋め込まれた鏡には偽装の蓋がされており、普段は壁と同化し隠されている。


 今は年若い女性、壮年の大男、そして腰の曲がった老人と、三人が顔を突き合わせて、控えの間に通した全身装甲の男を観察していた。


「ふ――、何を言い出すのかと思えば。まさかよわい百にしてまだ上を目指そうと己を卑下しますか。恐ろしいお方ですなアストロディア様は」


 ガシャンと鎧を鳴らしながらパンディオン・ダルダオス将軍が顔を上げた。これ以上身をかがめるのが辛かったのだろう、うーっと腰を反らしている。


「私も同感です。今は我々だけですが、貴方様は王都の、ひいては人類種の頂きに君臨するお方。冗談とはいえ不用意な発言は皆が動揺します。控えて頂かなくては」


 エミィもまたパンディオン将軍に同意する。確かにあの鎧の男――『流星の君』とやらがただ者ではないのはわかる。あれほど見事な全身装甲を鍛え上げる技術と資金はいずれか貴族であろうと予想されるが。


「そうかのう。絶対間違いないと思うが……。あと、あの肩に留まっておる小さい人形。私が見たところ妖精種かとおもったのじゃが……」


「妖精。はは、お伽噺の世界ですな。確か東の果てのカロア海域を越えた長耳長命族エルフの領域には未だ生息しているという話は聞きますが……まあ、長耳長命族エルフの領域が本当にあるかどうかもわかりませんがな。誰も見たことがありませんから」


 パンディオン将軍の言葉に、ポコスは「あるぞい」と呟いた。エミィとパンディオン将軍はギョッとして翁を見た。


長耳長命エルフの領域は本当に存在する。それを飽くなき探究心で確かめてきた者は確かにおる。いや、『おった』と言った方が正確か」


「どなたなのですか、その者は?」


 エミィは戦慄と共に名を尋ねる。もしそれが本当だとすれば、その者が達成した偉業は後世へと伝えられて伝説となるほどだからだ。


「リゾーマタ・デモクリトス。エミールには少々縁があるのう」


「まさか、人魔境界線リゾーマタの元領主ですか!?」


 コクリと、ポコス翁は頷いた。隣で聞いていたパンディオン将軍も顎を擦りながら追従する。


「なんと……、私も確かに聞いたことがあります。生前は大層な実力者だったとか……」


「実力者もなにも、あ奴が隠棲などせず王宮に残っておったら、私は今頃保養地で静かな余生を過ごせたじゃろうなあ」


 その言葉にエミィもパンティオン将軍も目を剥いた。そんなふたりなど素知らぬ様子でポコス翁は「人類種最強になぞなるもんじゃないわい」と囁いた。


「にわかには信じられません」


「私も……、いえ、アストロディア様のお言葉を疑うわけではありませんが」


「若いのうふたりとも」


 若いと言っても、エミィはともかくパンディオン将軍は少なくともハーン国王と同年代である。最も、この老人からすれば年下は皆若い部類になってしまうのだろうが。


「まあ話を戻すと、妖精種は確かに存在するし、長耳長命エルフも間違いなく存在しておる」


「で、では、あの鎧の男は長耳長命族エルフの使い、ということですか!?」


 パンディオン将軍が口にした言葉はエミィに衝撃を与える。

 それならば容易に名前も顔も明かせないのも納得がいく。


 長くヒト種族とも獣人種とも、ましてや魔族種とも一線を引いてきた種族だ。

 あまりにもヒトの世界に関わってこなかったために、今ではお伽の国の住人になりつつあるほどである。


「あの動く小さな少女が妖精種ならそうかもしれん、だが違うじゃろうな」


 エミィとパンディオン将軍が同じ間で肩を落とした。なんだ、ここまで盛り上げておいて結局違うのかと。話はふりだしに戻り、男の正体も不明なままではないか。


「確かに妖精種ではない。恐らくあれは本物の人形じゃろう。じゃが、私にはどうもあの人形の中に、本物の魂とも呼べるものが宿っておるように見える」


 そう言われ、唯一間近く接したエミィは思い出す。

 まるで生きているかのように表情豊かな小さな生き人形を。


「何にせよ、正体不明であることに違いはない。エミール、私とアストロディア様を呼んだお前の判断は間違ってはいない」


「はっ、ありがとうございます」


 軍部の最高司令官である将軍をこのような時間に呼び立てることに抵抗を持っていたエミィは、お墨付きをもらいホッと胸をなでおろす。


「して、エミールよ、あの者が持っていたという書簡はあるかの?」


「はい、こちらに」


「ふむ。封蝋印は確かにレイリィ王女のものじゃ」


 やはり。

 生まれに立ち会い、成長と共に見守り続けてきたポコス翁が言うのなら間違いない。正体は不明であるが、あの者が王女の客人であることが今ここに決定した。


「王族封蝋印付きの書簡の開封はハーン国王、そして大公爵マイコプロスト様、そして王宮の高位官の承認が必要ですので……」


「ふむ。そんなカビが生えた決まりごとなど守らずさっさと開けてしまえばよい」


「ああっ!」


 ポコス翁はバキン、と封蝋を真ん中からへし折り、手紙を開封した。

 エミィはレイリィの貴重な封蝋印ということで、綺麗に剥がそうと思っていた目論見が外れ悲鳴を上げた。


 そして中身に目を通したあとポコス翁は、「いや、前言を撤回するぞい」と言った。


「アストロディア様、どのようなことが書かれていたのですか?」


 緊張した面持ちで問うパンディオン将軍。

 エミィも逸る気持ちを抑えながら固唾を呑んで見守る。


「いやはや参ったのう。こりゃあ大変じゃ。ただでさえ人類種ヒト種族合同ヤヌルタ会議を目前に控え、頭が痛いというのに。この上また頭痛の種が……」


 そこまでのことが!?

 確かに今王都は約一ヶ月後に行われる合同会議のために厳戒態勢に入りつつある。


 だというのに、市民による好意的な示威行動は日増しに活性化し、王都の治安を守るためには解散をさせなければならないのに、適度な息抜き抜きとしてそれを是認しなくてはならない矛盾に陥っている。


 それというのも全ては聖都跡で未だに猛威を振るっている呪いのせいだ。

 その対応と解決を合同会議までに他国に示さなければならないハーン国王の心労は大変なものがある。


 だというのに呪いの影響が強すぎて、聖都跡周辺を封鎖する程度が精一杯。

 根本的な解決には、まず聖都の調査が必要だというのに、それもままならないのだ。


 そんなハーン国王が最も信を置いているのが、このアストロディア・ポコス翁であり、百を数える年月と、先々代から国王に仕えてきたという経験は、なによりハーン国王の心の支えになっている。


 そんなアストロディア・ポコスが頭を抱える事態とは一体どのようなものなのか。


「これはレイリィ王女直筆の信書じゃ」


「なんと……!」


 広げられた羊皮紙には、レイリィ王女直筆の文字と共に王家の子女にしか書くことができない花押が描かれている。


 その威光を覗き見るようで抵抗があったが、エミィもパンディオン将軍もまた、興味本位に勝てず、まじまじと中身を精読してしまう。


「レイリィ王女……しょ、……本気ですか!?」


 思わず『正気ですか』と言いそうになり、エミィは言葉を選んだ。

 それくらい冷静さを失うところだった。


「むうう……、これは、困りましたな」


 パンディオン将軍も渋面を作ってうなだれている。

 ポコス翁などはもう諦観の様子で首を振っていた。


 信書はレイリィ王女が自分の父親、ハーン14世へと当てた嘆願書だった。


『ハーン14世はこの信書を携えし者と謁見の機会を設けること。この者、王都の窮地を救う勇者なれば、疑うことなくその話に耳を傾けるよう願い奉る――オットー・レイリィ・バウムガルデン』


 勇者とかそんなことを言われても無理だろう。

 その場にいた全員、にわかに痛みだした頭を抱え、再び隣室の男の扱いをどうするべきか、対応を協議し始めるのだった。


 続く。

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