第324話 北の災禍と黒炎の精霊篇2④ 初めての姉妹喧嘩〜妹を誑かす憎き男の影

 *


「エミィお姉さま!」


 広く豪奢な作りの部屋にひとりでいたレイリィは、入室してきた相手を見るなり、顔を綻ばせた。


 室内に側付きのメイドがいないことを確認すると、エミィもまた「レイリィ、ただいま!」と敬称を抜きに名を呼んだ。


 レイリィの居室は酷く冷たい空気に満ちていた。

 外はやや汗ばむほどの陽気だというのに、ここだけ季節が違うようだった。


 部屋の中央に設えられた丸い食卓テーブルから立ち上がるレイリィ。

 エミィは彼女が一目散に自分の元へと駆け寄ってくる姿を夢想した。


 まるで子どものようにキラキラと目を輝かせ、自分の胸に飛び込んでくる妹。それを優しく、だがしっかりと抱きとめることが自分の役割。エミィは両手を広げて準備する。


 だが――思っていた抱擁はなかった。

 静々と歩み寄ったレイリィが自分の前で立ち止まり、貴人にする礼を取る。

 スカートをややつまみながら優雅にこうべを垂れ、労いを口にする。


「リゾーマタでの任務、大変ご苦労でした。エミール・アクィナス様の働きは、国難にある我が王都における大きな希望です。私も我がことのように嬉しいです」


 エミィは驚愕に目を見開きながらまじまじとレイリィを見た。

 やや疲れた顔をしているが紛れもなく妹のレイリィ・バウムガルデンだ。

 誰よりも奔放であけすけで、子どものように無垢だったレイリィ。


 だが僅か半年会わなかっただけで、まるで違ってしまっている。

 幼子が一足飛びで大人になってしまったような落ち着きっぷりだった。


「一体どうしたのだレイリィ、いつものように姉の胸に飛び込んできてくれていいのだぞ……?」


 その言葉を受けたレイリィはきょとんとした後、くしゃっと顔を歪めた。悲しそうに瞼が閉じられたあと、遠慮がちに抱擁がなされる。


「嫌ですわお姉さま。私もう17になるのですよ、いつまでも子供扱いはやめてくださいませ」


「わかっている。だが久しぶりの再会なのだ、少しくらいいいじゃないか。あんまり急いで大人になられても私が困ってしまう」


 腕の中にスッポリと収まるレイリィの身体を抱きしめながら、エミィは妹の淡い水色の髪に鼻先を入れる。途端甘い香りが胸いっぱいに広がり、ああ、帰ってきたんだと実感する。


「王都に帰還してびっくりしたぞ。レイリィが居室で監禁されていると聞いたからな。おまえらしくないじゃないか、一体エストランテで何があったんだ……?」


 そう言った途端、ビクっとレイリィの身体がこわばった。

 ゆっくりと温もりが離れていく。

 エミィは自分の発言を後悔するが、聞かないわけにはいかなかった。


「立ち話もなんですから、座りませんか」


「ああ……」


 エミィが円形の食卓テーブルに腰を下ろすと、レイリィは対面に座った。

 エミィは立ち上がると、椅子ごとレイリィのすぐ隣へと移動する。当然と言わんばかりの行動にレイリィは「まあ」と目を丸くした。


「少し大きすぎるからなこの食卓テーブルは」


「もう、お姉さまったら」


 クスクスと笑みを零しながら、レイリィは呼び鈴を鳴らし、湯を持ってくるようにメイドに申し付ける。外に出る自由はなくとも、必要なものはすぐに用意してもらえる。でも、レイリィをよく知るものからすれば、彼女を閉じ込めておくことなど、まるで鳥の翼を切り落とすことに等しいと思うだろう。


 メイドを早々に下げさせると、腰を浮かしかけたエミィを制して、レイリィが手ずからお茶を淹れる。その手際に今度はエミィが驚いていると、「もう慣れてしまいましたわ」とレイリィは言った。


 冷たい室内に柔らかく暖かなお茶の香りが立ち込める。カチャと、上質のカップに差し出され、エミィは香りを楽しんでから口をつけた。


「美味い。上達したな」


「そんな、私なんてまだまだです」


 今度は謙遜。

 先程の再会の時の態度といい、今といい、やはりレイリィは変わってしまった。

 自分のいない間に妹にどんな心境の変化があったのか、やはりエミィは気になって仕方がなかった。


「さて、無敵の外交特使として有名を馳せていたはずのレイリィ王女ともあろう者が、一体どのようなことして王の不況を買ったのかな?」


「……ことは単純なことです」


 そう言うとレイリィ王女はカップを置き、日差しが差し込む窓の方を見やる。


「私の判断でベアトリス殿下への献上品を別なものへと変更したのです」


「んぐっ――!?」


 口に含んだお茶を吹き出しそうになり、エミィは鋼の意思でそれを押しとどめる。ことさら大きくゴクリと喉を鳴らした後、彼女は当然の質問をする。


「な、何故そのようなことを……! あれは確か、王自らが特注させたマクマタイト製の霊槍だったはず。それを別なモノに……?」


 エミィは「なんてことだ」と頭を抱えた。

 特使にして王の名代として外交に赴いたレイリィが成さなければならないことは、王の意志を私情を交えず、そのまま伝えること。それに加えて自らの裁量で好印象を相手に植え付けることが必要となる。


 レイリィが行ったことは、王の意志を捻じ曲げる行為そのものであり、王に対する反逆行為とも取られかねないものだ。


 王都に帰還してレイリィ王女が自室で監禁されている、と聞いたときは何故そのような厳しい処分を、と思ったが、今の話を聞けばまだ甘い処分であることがわかる。本来ならば牢獄に入れられていても不思議ではない。


「レイリィは一体どのような品をベアトリス殿下に献上したのだ?」


 食い入るように妹の横顔を見つめる。とんでもないことをしでかしたというのに、その目は眩しそうに細められている。口元にほんの微かな笑みが浮かぶのを見て、エミィは自身の顔が強張るのを感じた。


「特別な鉱石で作られた宝飾品を、殿下に献上いたしました。殿下も大変喜んでくださいました……」


「バカなっ!?」


 エミィは思わず立ち上がった。

 ガチャン、と茶器が倒れるが知ったことではない。


「ベアトリス殿下は男子だぞ! 女性ならまだしも、宝飾品を贈られて喜ぶものか! きっとその場では喜んだフリをして見せて、影でおまえは笑われているんだぞ!」


 いや、笑われるだけでは済まない。

 きっと世界各国の要人、貴族、軍人、大商人も、レイリィ王女の失態を通して、王の品格を見定めているはず。王都が、オットー14世が他国に侮られるなど、決してあってはならない事態なのだ。


「もうすぐ人類種ヒト種族合同ヤヌルタ会議があるというのに。王の威光が低下した状態では乗り切ることは難しいかもしれない……」


 こんなことになるのなら――アデラートには申し訳ないが、レイリィの方についていけばよかった。自分が目がないところで妹がこんな失敗をしてしまうなんてとても信じられない。


「エミィお姉さま。お姉さまは特使として私に与えられた任務をなんと心得ますか?」


 立ち上がったエミィを見上げながら、レイリィが問いを投げる。

 エミィは即座に答えた。


「王の名代として王の意志を正しく正確に相手に伝えることだ」


「それは半分だけ正解です」


「なんだと……?」


 ソーサーにだいぶ茶が零れたカップを手に取り、レイリィはそっと唇を湿らせるくらい小さくお茶を啜る。


「私に与えられた最終的な役目とは、父の意志を相手に伝えることはもちろん、まだその先があります」


 カップを置いたレイリィは、胸の前で手を組み、強い意志を感じさせる瞳でエミィを見据えた。


「すべては王都の国益へとつなげるため。そのためにベアトリス殿下とあのお方を繋げる役目を果たしたのです……!」


「あのお方、だと……?」


 とその時、レイリィが組んだ胸元に見慣れない首飾りがあるのに気づく。

 銀色の鎖に繋がれた両端に、小指の爪の欠片ほどの小さな宝石がぶら下がっている。


 小さくとも目にも鮮やかな深緑の輝きが讃えられており、エミィをしても妹がそのような宝飾品を持っていたかどうかは記憶になかった。少なくとも半年前までは。


「それはなんだ? そのような首飾りをお前は持っていなかったはずだ。まさかそれがベアトリス殿下にも献上した宝飾品なのか!?」


「嫌っ、お姉さま、お止めになって!」


 エミィは声を荒げ、レイリィに詰め寄る。

 そして思わずその胸元へ手を伸ばした。

 チャリ、と冷たい鎖の感触。

 レイリィが嫌々をした拍子にブチっと千切れてしまう。


「か、返して、返してくださいお姉さま!」


 目尻に涙さえ溜めて懇願する妹に、だがエミィはとっさに身を引いた。

 手の中の首飾りを遠ざけるように、彼女から距離を取る。


「確かに、みれば見るほど見事な宝石だ。このように均一に裁断研磨されたものは王都でも見たことがない。だが、まさかと思うがレイリィ、そなた買収されたのか……?」


 このような珍しい宝飾品に釣られ、わざと王の意志を捻じ曲げ、献上品をすげ替えたのではないか。レイリィの言うあの方とやらに騙されているのではないのか。


 エミィにとっても信じがたいことだが、状況証拠だけを見るならそのような結論に至ってしまう。そして単なる思いつきで口にした推論は、酷く妹を傷つける結果となった。


「買収だなんて、そんなことは決してありません! いくらお姉さまでも、言っていいことと悪いことがあります……!」


「では何故そなたがこの首飾りをしているのだ!?」


「それは、再会の証にと私があのお方に強請ったものです……!」


「それ見ろ! やはりそなたは、そなたの言う『あの方』とやらに、いいように誑かされているのではないか!」


「違います……私は、あのお方は、必ずや王都の国難すら救ってくださるお方だと……」


「だからそなたの言う『あのお方』とは一体誰なのだっ!?」


 部屋中がビリビリと震えるほどの大声だいせい

 レイリィは子どものように思わず首を引っ込める。

 エミィは「ハッ」と我に返るが、もう後には引けない。

 努めて心を落ち着けながら、幼子に言い聞かせるように言う。


「レイリィ、お前はまだ子どもだ。自分だけで判断することは危険なこともある。そして私はいつでもお前のことを心配しているんだ。だから教えて欲しい。そなたの言う『あの方』とはどこのどいつなのだ……?」


 私の可愛い妹を誑かす者。

 恐らくは男であろうその者。

 鋼の理性と氷の心。

 その下に沈めたのは溶岩の如き嫉妬心。


 例え相手が貴族だったとしても、王都に、ひいては王女を誑かす悪漢としての大義を背負い、近衛兵団を率いて殲滅してやる。


 だからさあ、その者の名を口にするんだレイリィ――――!


「言えません。少なくとも今は」


「私にも、言えない相手だというのか。その者をかばっているのか……?」


「そうではありません。例え今話したところで、きっと眼の曇ったお姉さまでは、正しい判断を下すことはできないでしょう」


「なんだと……!?」


「お姉さまの瞳には邪な企みが見て取れます。そのような心根のお姉様に今動かれては国益を毀損してしまいます」


「国益か。そのような言葉で誤魔化すのはもうやめるがいい」


 エミィは獰猛な笑みを浮かべた。

 それは戦場で敵の御首みしるしを取るときの笑みと同じだ。


 言ってはならない。口にしては戻れない。

 それでも、レイリィが大切そうに呟く『あのお方』への嫉妬の気持ちがエミィに判断を誤らせた。


「レイリィ王女も所詮は色に迷った女だった、ということか。国益よりも男を優先させた分際でよく言う……!」


「ひ、酷い……!」


 見開かれたレイリィの瞳からボロボロと涙が溢れる。

 拭うこともできず、ただエミィの姿を写すその純粋な眼差しからサッと目を逸らす。


「これは預かっておく。これの出処を調べれば、王女の言う『あのお方』とやらの身元もすぐにわかるだろう」


「どうなさる、おつもりですか?」


「決まっている……!」


 カチャリと剣の柄に触れた手が戦慄いていた。

 その様を見て取り、レイリィは首をふるふると振った。


「おやめになってください」


「今更遅い。王女を手玉に取ろうとする者は一族郎党皆殺しにしてやる」


「いいえ、私はそんな心配はしておりません」


「……どういう意味だ?」


 嫉妬と憎悪と殺意と……。

 すべてがないまぜになった醜い表情のまま、エミィはレイリィを見つめる。

 受け止めるレイリィは静かに、だが絶対の確信を籠めて口を開く。


「お姉さまでは『あのお方』には勝てません。いいえ、例え宮廷魔法師アストロディア様であっても敵わないでしょう」


「何を言っている……私ならまだしも、宮廷魔法師の最高位、謳う三重合一トライアドのアストロディア・ポコス翁でも、だと……!?」


 エミィはコクリと頷くレイリィの正気を疑う。

 そして改めて、エストランテへついて行かなかった半年前の己自身をくびり殺したい気分に陥る。あの時の、純真だったころの妹を返してくれ、と心の中で叫んだ。


「レイリィ、そなたは酷く疲れているのだ。寝台で横になって休んでいるといい」


 幼い頃から知っている最愛の妹に裏切られた気分になり、エミィは硬い表情のままレイリィの横を通り過ぎる。そのまま無言で部屋を出ると、しばしその場に立ち尽くした。


 ギリギリと、握りしめた手の中、深緑の宝石の固い感触が心をささくれさせていく。そうしてどれくらいそうしていたのか、唐突にエミィは声をかけられ、我に返った。


「あの、団長」


「貴様か」


 自身の部下である近衛兵団副団長。

 自分よりも十は年上のものだったが、実力では遥かにエミィが上だ。

 恐らくしばらく前からいたのだろう、今まで声をかけるのを躊躇っていたのか。


「探しましたよ。レイリィ様と、何かあったのですか?」


 その質問に、エミィは剣の鍔鳴りで返答をした。

 次にその質問をしたら抜く。絶対の宣言だった。


 副団長は「失礼しました」と最敬礼をしたあと、さっさと用件を切り出した。


「王宮警備の方から協力要請がきています。広場前に集まった示威運動の数が想定以上らしく、警備を手伝ってほしいと。許可さえいただければ、あとはこっちでやっておきますので」


「ああ、許可しよう」


「ありがとうございます。では、失礼します」


「待て、私も行く」


 目を剥きながらエミィを振り返る副団長。

 だが彼女はさっさと先頭に立って歩き出した。

 彼も慌ててその後を追う。


 例え雑事だろうと、今は身体を動かしている方がマシだと思った。

 歩きながらエミィは手の中の首飾りを、無造作に懐へとしまい込むのだった。


 続く。

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