第323話 北の災禍と黒炎の精霊篇2③ 怠惰なる名誉男爵様〜昔天才・今は愚物

 * * *



 エミール・アクィナス――エミィは若くして近衛兵団団長を務める俊才である。

 だがその地位に上り詰めたのは、幼馴染の妹分――レイリィのためであるのは、誰の目から見ても明らかだった。


 恩師である王都聖法院教会ルナティック・ノア神官第二位アデラート・ルターに請われ、地方宿場町リゾーマタへ異形の魔物族モンスター狩りに出かけなければ、エミィもまた東の果てエストランテ王国へと向かい、長い船旅の間、レイリィの退屈を紛らわせるため、あれやこれやと苦心していたはずである。


 だがいい加減妹離れしろという周りの指摘と、レイリィ本人による、「エミィお姉様、私は大丈夫ですよ」という一言が決め手となり、泣く泣く半年以上も離れ離れになる羽目になってしまった。


 派遣された人魔境界線を接するリゾーマタは過疎地とはいえ、国の要衝のひとつである。これまでは大河川ナウシズがあるお陰で、滅多なことでは魔の森から魔物族モンスターが襲来するなどということはなかった。


 領主であるリゾーマタ・デモクリトスもまた、かつては宮廷魔法師をも嘱望されたほどの才気があり、子宝こそ恵まれなかったものの、領主としてヒト種族と魔物族モンスター、獣人種、あるいは魔族種といった種族との防波堤としての役割を十全にこなしていた名士だった。


 だが、そのリゾーマタ・デモクリトスが薨去こうきょしたことにより、リゾーマタは一気に不安定化する。


 まずは、隣接する人類種神聖教会アークマイン支部の壊滅があげられる。


 人類種神聖教会アークマイン

 王都の国教、王都聖法院教会ルナティック・ノアに対して、聖都の聖教である人類種神聖教会アークマインは教皇クリストファー・ペトラギウスの時よりその教えが偏在化し、人類種ヒト種族のみを頂点とし、それ以外の種族を排斥する教えを広め始めた。


 それは開祖であるオットー・ハーン初世の教えにも背くとして、王都は正式に抗議をしていたが、人類種神聖教会アークマインは急速に獲得した信徒たちからのお布施を資金力に、王都の貴族にも取り入って、急速に反対派を大人しくさせていった。


 そして人類種神聖教会アークマインの暴挙が極まったのが、自らの力を誇示するために行われたヒルベルト大陸への大遠征である。


 魔族種の領地へと攻め入るという禁忌を犯し、ついには一切の係累を持たない孤高の王を討ち果たしてしまったことで、王都と聖都の力関係は一気に逆転してしまった。


 飛ぶ鳥を落とす勢いの聖都を、人類種神聖教会アークマインを止めることは、もはやオットー・ハーン・エウドクソスにも不可能であった。


 魔族種の王の捕縛。

 そんな大偉業を達成した人類種神聖教会アークマインリゾーマタ支部は、一夜にして全滅する。


 当時支部に逗留していた聖騎士部隊は精鋭中の精鋭として知られていたが、大規模魔法の飽和攻撃を食らい、倒壊する建物の下敷きとなって死亡した。


 そんな奇襲攻撃を行ったのは、実は魔族種の王と懇意にしていた獣人種によるものだったとの噂がある。


 さらに、領主代行を務めていたリゾーマタ・バガンダの不可解な死があげられる。


 男子の跡継ぎに恵まれなかったリゾーマタ・デモクリトスの一人娘であるバガンダは、自他共認める人類種神聖教会アークマインの狂信者であり、父の葬儀を粛々と行ったあとは、代行として領主の座につき、いずれ男子の世継ぎを産んでから領主に据えるつもりだったそうだ。


 だがこのリゾーマタ・バガンダは父の威光とは真逆で、すこぶる評判が悪いことで有名だった。過去二度、地方貴族から次男、三男を婿に迎えているが、いずれも死別している。


 さらに人類種神聖教会アークマインの教えである人類種ヒト種族至上主義を盲信しており、ヒルベルト大陸の大遠征にもかなりの額を徴税から出資していたという。


 そんな彼女は非業の死を遂げた。

 検分に立ち会った騎族院の検屍官けんしかんは言う。

 その顔は苦痛と狂気に塗れた凄惨なものだった、と……。



 *



 そんな曰く付きのリゾーマタを治めようという奇特なものは誰もいなかった。

 だが人魔境界線を接する要衝をいつまでも領主不在にしておくわけにはいかない。


 唯一手を上げたのが、王都聖法院教会ルナティック・ノア神官第二位、アデラート・ルターであった。


 すでに第一線を退いていた彼は、類まれなる人格者として知られ、不安定化したリゾーマタに着任するなり、高齢からは想像もできないほど精力的に政務を熟して、領内を平定していった。


 そんなアデラートから救援要請が来たのが、エストランテ王国へ向けてアストラエアー号の出港式が行われる直前のことだった。


 見たこともない凶悪な魔物族がモンスターが度々町に出現しては破壊と死を住民に振りまいていくという。


 エミール・アクィナスは騎士学校時代にアデラートから薫陶を受け、以来彼を慕っていた。彼の教えがなければ、若くして近衛兵団の団長にはなれなかったとエミールは語る。


 真っ先に駆けつけたい気持ちはあったが、レイリィを一人、東の果てへと送り出すことには抵抗があった。


 情けなくも迷っていたエミィの背中を押したのは、妹分であるレイリィ自身だった。


「私、今までエミィ姉様に甘え過ぎていたのかもしれません。ですから王女として命令します。恩師を、そして親愛なる民を助けてきなさい」――と。


 後顧の憂いなく、エミィは自分の部下を連れてリゾーマタへと赴き、見事異形の魔物族モンスターを撃退することに成功する。


 そして瞬く間に過ぎた半年後、異形の魔物族モンスターの再来は極めて低いとの結論から、最低限の戦力だけを残し、王都へと凱旋することが決定した。


 地方要衝の安定化に貢献したとして、王都に帰還後は勲一等が授けられることが決定していたが、エミールにとってはレイリィと再会できることの方が楽しみだった。


 異国情緒の溢れるエストランテではどのようなことがあったのだろう。何を見て、何を食べて、どんな晩餐会を過ごしたのだろう。


 帰ったら早速王宮のレイリィの部屋を訪ねて、一晩中語り明かそう。

 そう思っていたのに――



 *



「これはこれは、エミール・アクィナス近衛団長様」


「フリッツ・シュトラスマン名誉男爵……!」


 王宮内にあるレイリィの居室の前で遭遇した男に、レイリィは敵意も顕に睨みつけた。


 フリッツ・シュトラスマン。

 一情報官に過ぎなかった彼は、聖都消滅の下手人として手配されていた魔族種を討伐したといして、名誉貴族の称号を与えられていた。


 一時は勇者としての呼び声も高く、民から絶大な人気を誇っていた。

 が、今ではその人気にも陰りが出始め、滅多なことでは人前に出ることもなくなっていた。何故なら――


「リゾーマタの防衛任務、お疲れ様でした。人食いの魔物族モンスターを見事撃退したとか」


「撃退しただけでトドメには至っていない。相当な深手を負わせたはずだが、取り逃がしたのは痛かった」


「いやいや、それにしてもエミール様がいらっしゃらなかったら、今頃リゾーマタの住民たちは魔物族モンスターの腹の中だったはず。お見事でしたな」


 ニヤニヤと嫌らしい笑みだとエミィは思った。

 魔族種を討ち果たした功績を買われ名誉貴族の地位まで手に入れた『英雄』である。


 特にミュー山脈の中腹にある聖剣の祠にて陣を構えた部隊展開は神がかり的であったと、当時作戦に参加していた兵士たちは口々に賞賛していた。


 もちろんエミィもその話は聞いている。さぞや知略に長けた男なのだろうと思っていた。だが、今現在、相対しているフリッツ本人からはまったくそのような印象は受けない。


 たっぷりと蓄えた顎髭の奥からは、隠しきれない二重あごが覗いている。

 顔の表面はテラテラと脂が輝いており、胸甲の下の腹は、何の冗談かと目を疑うほどデップリと突き出てしまっている。


 名誉貴族の称号を貰ってから急速に太ってしまったらしい。

 彼は王国の外れに小さな領地を貰ったはずなのに、早々に代官を立てて領地をほったらかしにし、暇さえあれば王都へと入り浸っている。


 それは多くの民がいる方がチヤホヤされるからという小さな理由であり、だが今のだらしなく緩んだ彼の姿を見て、尊敬の目を向けるものはもう誰もいないのだった。


「取り逃がしてしまったのが口惜しい。恐らく奴は魔の森で傷を養生し、またぞろ無辜の民を襲うかもしれない……」


「しかし魔物族モンスターは所詮ケダモノ。僅かに宿った知性はすべて、己の生存本能を満たすために費やされます。ならば、一度手痛い目にあった場所になど赴くはずはないでしょう」


「それならば別の土地――魔の森と接近した獣人種の民が襲われるやもしれない……」


「それならば何も問題はないでしょう」


「なに……?」


 改めてフリッツを見やれば、彼はさもエミィの言葉を小馬鹿にするように、うっすらと冷淡な笑いを浮かべていた。


「ケダモノに獣が食われる。ヒト種族が襲われる分には大問題ですが、奴らが共食いをするのならば我々の感知することろでありません」


「そなた、本気で言っているのか……?」


「はい?」


 エミィは侮蔑も顕にフリッツを睨みつけた。

 少なくとも彼女は獣人種をケダモノなどとは思っていない。


 獣の特徴を持ったヒト種族の亜種であると考えている。

 その知性や営みはヒト種族と変わることなく、あるいは身体能力などはヒト種族よりも優れているのを知っている。


 レイリィが赴いたエストランテ王国は、ヒト種族と獣人種が共に暮す土地柄。閉鎖的で排他的な王都よりも、きっと刺激的な国だろうと期待していた。恩師の要請で行けなくなってしまったのが今でも残念でならない。


 だというのに、フリッツの物言いは非常に偏ったものであり、どちらかと言えば、王都聖法院教会ルナティック・ノアよりも、人類種神聖教会アークマイン寄りの考え方といえた。


「エミール様はお優しいですなあ。獣人種に対しても非常に寛容でいらっしゃるようだ。ですがお忘れですか、オットー・ハーン14世様は、獣人種に対して戦端を開かれようとしている。いずれ貴方様は奴らに対して剣を向けなければならない立場にあるのですよ」


「そなた、どうやら本気で言っているようだな……」


 この度の獣人種に対する布告が所謂高度な政治的駆け引きによって成されたハッタリの類いであることは、ある程度の情報網と身分、そして考える頭があれば導き出されることだ。


 もちろんそれが、一般市民であれば話は別として、王宮に出入りできる身分のものならば、流説からも王の真意に気づくものは多いはず。


 簡単に言えば、今回の獣人種列強氏族への布告は諸侯連合体アーガ・マヤへの貸しづくりの一環だ。王は毒の坩堝と化した聖都への対応を人類種ヒト種族合同ヤヌルタ会議までに示さなければならない。いつまでも聖都跡をそのままにしておけば、王の指導力が問われてしまう。


 最近では、聖都の毒の被害を間近に受けるタニア連峰王国がその責任の所在を求め、水面下できな臭い動きをしているし、諸侯連合体アーガ・マヤがそれを秘密裏に支援しているという噂もある。


 アーガ・マヤの人魔境界線ニオブ海を望む港湾が全焼した犯人が獣人種であったという話からも、諸侯連合体と共同歩調を取るのは悪い策ではない。


 今回の落とし所としては、獣人種の代表と折衷の後、犯人の引き渡し、あるいは獣人種内で捕らえ、厳正な処分。獣人種の列強氏族にも上手くすれば貸しが作れるかもしれない、といったところだろう。だというのに――


「もしもお呼びがかかればこのフリッツ・シュトラスマン、王の尖兵として下等な獣人種を誅して参りましょうぞ……!」


 ぐっふっふ、と腹の肉を弛ませながら笑う道化に、エミィは本気の侮蔑を抱く。この男と政治の話はするだけ無駄だ、と思った。


「それよりもそなたはここで何をしている。こちらがどなたの居室かわかっているのか?」


「無論、オットー・レイリィ・バウムガルデン様のお部屋であることは承知しています」


「それを知っていながら、何故そなたはここにいる?」


「ああ、エミール様は確かレイリィ様と大変懇意にされているのでしたね」


 懇意どころではない。もはや姉妹と言っても過言ではない間柄だ。

 そんな可愛い妹の視界に、このように考え方が偏屈で、服も窮屈そうな男を入れるわけにはいかない……などと思っていると、フリッツから齎された次なる言葉に、エミィは激しい殺意を覚えた。


「お部屋から出ることが適わないレイリィ様が退屈してはいけないと、しばらく前からお話し相手になっているのです。ぐふっ」


「なん、だと……?」


 自分の居ぬ間にレイリィの部屋に入り浸っていると、そう口にしたのかこの男は――


「聞けばエストランテ王国における外交は失敗だったとか。王の不況を買ってしまい、落ち込んでいらっしゃるレイリィ様をお慰めしようと、このフリッツ、毎日諧謔をろうしておりますれば……ぐひっ」


「…………そうであったか。本日よりその役目は姉である私が引き継ぐ故、もうそなたの労を煩わせることはないだろう。これまでレイリィ様が大変世話になった。感謝する」


 咲き誇る毒の花にも似た笑顔だった。

 心から目の前の相手を殺したいと思ったとき、ヒトとは極上の笑みを浮かべるのだとエミィは知った。教えてくれた男には感謝してもしきれない。


「なんのなんの。もしよろしければ、私も一緒にレイリィ様のお話し相手をしもよろしいでしょうか?」


「すまないが遠慮してくれ。なにせ今日は半年ぶりの再会なのだ。他者は交えず、じっくりと話がしたい」


 エミィは一瞬腰元の剣に手が触れそうになり、甚大なる理性を総動員して堪えることに成功する。一緒になどとどの口がほざくのか――!


「承知いたしました。これ以上は野暮ですな。ではでは、失礼を致します――」


 まるで大きな酒樽が転がっていくようだ……。

 フリッツが大きな腹を抱え踵を返す姿を滑稽に感じながら、エミィはその背中が角向こうに消えるまで、ジッと睨みを効かせていた。


 完全にヒトの気配がなってから、「ふう」とため息をひとつ。

 エミィはコンコンと、目の前の扉を叩いた。


「どうぞ、お入りになって」


 向こうから聞こえてきた声を酷く懐かしく想いながら、エミィは扉を開けるのだった。


 続く。

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