北の災禍と黒炎の精霊篇2
第321話 北の災禍と黒炎の精霊篇2① 王都・宵闇・鬼面の男〜敵か味方か希望か絶望か…
* * *
ただ一言、『王都』と口にした場合、この世界の半分の者は王都ラザフォードを思い浮かべる。
人類種ヒト種族の頂点に君臨する都であり、現国王、オットー・ハーン・エウドクソス――通称ハーン14世による安定した統治が実現する世界最高の国家である。
王都ラザフォードはプリンキピア大陸のほぼ中央に位置し、北に行けばミュー山脈がそびえ、南に降りればヒルベルト大陸が、西には諸侯連合体アーガ・マヤがあり、東に進めば人魔境界線とを隔てる宿場町リゾーマタが存在する。
政治的にはヒト種族の中心的役割を果たし、軍事的には非常に攻められにくい場所にあり、経済的には肥沃な土地から得られる農作物により、交易の一大拠点として発達している。
東のエストランテが商業国家として有名ならば、西の王都ラザフォードもまた商業都市としての側面を持つ一大軍事国家として有名なのだった。
その街並みはかつて存在した聖都が手本としたように、高い城壁に囲まれた都市であると同時に城壁外にも民家が連なり、貴・士農工商によって区画分けがされている。
王都の住民ならば、基本的に城壁の通行は自由であり、貴族区画という例外はあるものの区画への出入りの制限はない。
そしてその日、城壁内の中心にそびえ立つ王宮前にある広場には、多くの一般市民が集まっていた。
羊皮紙が高価で手が出ない市民たちは、戸板にボロ布を貼り付け、共通する主張を書き起こして掲げながら、一斉に腰の引いた声を上げていた。
そう、それは
絶対王政の国家内で示威運動は、即座に処罰の対象となる。
本来示威運動が持つ毛色とは、その殆どが王権批判だからだ。
この場合批判対象とは即ち、ハーン14世のことであり、それは如何なる理由があって徒党を組んでいても、一般市民には到底許されない行為であった。
だが、広場を警護する兵士たちは、みな一様に苦いものを噛んだ顔をしていた。
心苦しい――口には出さなくとも、その顔は集まった市民たちへの解答を持たない自分たちへの戒めの表情にも見えた。
なぜなら集まった市民たちは、王権批判などは断じてしおらず、ボロ布の看板にはこう文字が踊っていた。
『レイリィ王女はご無事ですか?』
『回復祈願・親愛なるレイリィ王女様へ』
『レイリィ王女万歳! ハーン14世に栄光あれ!』
そう、それは応援
もう一月以上もの間、長い外交の旅から戻られたオットー・レイリィ・バウムガルテン王女は体調不良を理由に、一度も公の場に姿を表していない。そんな王女を心配して自主的に集まった市民たちの集いなのだった。
レイリィ王女と言えば、美しく明るく、常に笑顔を絶やさず。よくお供のエミール・アクィナス近衛兵団長と町娘の恰好に扮して城下を練り歩くのが名物と化しており、それが市民にはなによりの癒やしとなっていた。
だが、エイミィ近衛騎士団長が任務でリゾーマタへと赴き、レイリィ王女も後を追うように東の果てへと外交へ行っていしまった。
ようやく二ヶ月前、レイリィ王女帰還の吉報がラザフォードに駆け巡ったのも束の間、長い船旅で体調を崩された王女は、今もずっと病状に臥せっているという。
明日はきっと。
明後日は必ず。
やの明後日は――
いつもの元気な姿を心待ちにする市民たちはついに我慢しきれなくなり、こうして王宮広場前に集まり、日が暮れて解散を宣言されるまでレイリィ王女の名前を呼び続けるのだ。
以前は週に一度だった集いも、やがては3日に一度になり、今ではほぼ毎日行われている。しかも日を追うごとに人数が増え続け、式典などで使われる広大な広場も、今では隙間の方が少なくなってきていた。
これの対応に追われる王宮兵士たちの苦労は大変なものだった。
本当に応援デモのために、武力を使った排除も鎮圧もできない。
レイリィ王女のことは箝口令が敷かれているために、本当のことを話すわけにもいかない。
ただなだめすかし、不穏な動きがないかに目を光らせ、いざこざが起きそうなら即座に仲裁し、たまに回れ右して王宮に対して自分も王女の名前を叫びたくなる気持ちをぐっと堪えながら、警備の任務を続けているのだ。
本来、このような示威運動など、王の鶴の一声があれば、消えてなくなるものである。それが成されないのには明確な理由が存在する。
今より一月後――波乱が予想されている
そうして今日も、暮六つと共に物悲しい鐘が街に鳴り響き、集まっていた市民たちは、めいめいの区画や、城壁外の我が家へと帰っていく。
それは一種壮大な行進であり、民族移動であり、万を超える市民が吐き出すため息は、地響きのように王宮前広場を震わせた。
老若男女を問わず、王国内で絶大な人気を誇るレイリィ王女。
もちろん兵士たちの多くも、王女への憧れを胸に抱き、傾聴と共にその声を耳にすれば、己が士気の高まりを自覚せずにはいられない。
今やハーン14世の国政にはレイリィ王女の人気が欠かすことができず、王宮内でも専ら、外に嫁がせるよりも、ハーン14世が男子の世継ぎを作るまでの間、婿養子と共に『女王』に据える向きまで検討されているという。
そんなレイリィ王女が病という名目で、監禁されてからもう二月以上が経とうとしていた。
*
宵闇が迫る王宮前広場では、完全に日が落ちる前に、せっせとゴミ拾いに勤しむ兵士たちの姿があった。
簡易厠なども併設しているが、基本的に利用者は女性が主であり、男と言えば、生け垣や側溝にそのまま……という者も多い。放っておけば王宮の品位にも関わるため、清掃の手を抜くことはできない。
そんな折り、ひとりの兵士が不穏な人影に気づいた。
松明に火を灯した瞬間、その影は浮かび上がり、長年の訓練で培われた警戒心が、頭の天辺からつま先まで、まるで稲妻のように駆け巡り――兵士に戦闘態勢を取らせていた。
「な、何者か!?」
その者が残った一般市民などではないことはすぐにわかった。
何故ならその者は見たこともない鎧を身にまとっていたから。
見事な全身甲冑だった。
白銀の末端に、闇を閉じ込めたような漆黒が身体の中心――体幹へと集まっている。
長く伸びた
そして真紅の外套衣と。
まるで英雄譚に登場する魔王のような容姿に、兵士は肝を潰さなかったといえば嘘になる。首から下げた呼び笛に手をかけた瞬間、ピッタリと閉じた外套衣の間からすうっと手が伸びてきた。
そこには一枚の便箋があった。
羊皮紙製の便箋には封蝋が施されており、そこに
間違いない。その印は王家の紋章を象ったものであり、しかも薄雪草をあしらった意匠は、レイリィ王女のご下命を受けた証だった。
「貴様――いや、あなたはこれをどこで?」
『東の果て、エストランテにて』
簡潔明瞭に返された答えに、兵士は唸った。
まさにレイリィ王女が外遊に出ていた場所の名前であった。
ベアトリス殿下生誕祭の折り、王女自身と親交を持った貴族か王族であろうか。
いやしかし、このような鎧姿の素性もわからぬ者など、おいそれと取り次ぐわけにはいかない。
兵士が判断に迷い立ち尽くしていると、唐突に後ろから声をかけられた。
「貴様、そこで何をしている!」
凛とした声音に背筋が伸びる。
振り返った兵士は直立不動の敬礼をした。
「はっ、実はこちらの方が王女の封蝋印を持参されましたので、対応をしておりました!」
「なにっ!? 王女の印だと――!?」
暗闇の中から深緑の鬼火を携え現れたのは、近衛兵団団長のひとり、エミール・アクィナスであった。
白銀の甲冑の麗人は、兵士の肩越しに背後の男を見やり、ビクっと身を固くした。
一見しただけで只者ではないとわかる鋼の塊が立ち尽くしていたからだ。
エミール――エミィは殺気すら篭った目で鎧の男をつま先から頭の天辺まで観察すると、目をそらさないまま兵士から便箋を受け取り、サッと印を確認する。
「間違いない。確かにレイリィ王女直々の封蝋印だ。これを携え、如何なる用向きで来たのかは知らぬが、――だが王女は今、何人にも目通り叶わぬ。用件があれば側近である私が聞こう」
ふわりと、風の魔素の集合体である鬼火の発光体を宙に浮かべると、エミィは静かに両手を脱力させた。それは抜剣のための初期動作であり、如何な王女の信書を持つものとはいえ、男の返答次第ではいつでも斬りかかれるようにしたものだった。
『エストランテでの大恩に報いるため――また、王女自身を救うために』
エミィは鬼面の奥、妖しく光る金色の瞳をジッと覗き込み、しばし男の真贋を推し量るのだった。
続く。
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