第320話 北の災禍と黒炎の精霊篇⑭ あなたは今幸せですか?〜黒炎精霊鎮魂の儀・後編
* * *
黒猫族の少女アイティアの内に閉じ込められていた黒炎の精霊モリガン。
黒髪猫耳、黒目のアイティアと違う点はその瞳。
怪しく妖艶な菫色の眼が覗くとき、何物をも焼き尽くす漆黒の炎が顕現する。
しかし、その情緒はただただ幼く、唯我独尊で、周りの迷惑も顧みず、羽虫を潰すように命を奪う――まさにイノセント。
そんな彼女をおとなしくさせるために、プルートーの鎧に閉じ込め、定期的に魔力ドレインを実施しているが、それはあくまで緊急措置。生命エネルギーである魔力をいつまでも奪い続けるわけにもいかない。
ではどうするか。
理想論としては、モリガンに取って代わられてしまったアイティア自身にモリガンを抑えてもらう方法が一番いい、という結論に至った。
だがそのためには、モリガンに乗っ取られた状態から、アイティアの人格を起こさなければならず、彼女の精神を刺激するための作戦が敢行されていた。
即ちそれは――――
「一番、アリスト=セレス、行きます」
「お、おす……!」
僕はゴクリと喉を鳴らした。
目の前には紛れもなくアリスト=セレス――セーレスが立っている。
金糸の前髪がさらさらと揺れて、その奥から翡翠の瞳に僕が映っている。
ピーンと尖ったエルフ耳は、その先端が朱に染まっていた。
食堂室から場所を移した応接の間。
客間も兼務していてかなり広めの部屋である。
ダフトンの職人から献上されたという、革張りの椅子――ソファが置いてあり、目の前には、これまたダフトンの職人から献上された、大木から削り出した立派な木目のテーブルが置いてある。
室内は今深緑と濃藍の鬼火に満たされ、柔らかく清廉な明るさに満たされている。
そしてソファに腰掛ける僕の前には、スチャっと手を上げる、やや緊張気味のセーレスが立っていた。
彼女の肩越しに背後を見やる。そこには、居並んだ面々が。
エアリスやオクタヴィア母子、パルメニさんやソーラス、そして今回の主役であるモリガン――アイティアである。
モリガンは鎧から首から上だけを出し、面白くなさそうにブスッ垂れている。そんな彼女はの周りには、セレスティアとアウラ、そして真希奈がついてくれていた。
ちなみに仮面のアズズは遺影のようにパルメニさんが抱えていた。食堂室に放置されかけたとき、ものすごいだみ声で『俺も連れて行けごらぁ!』と抗議し始めたのだ。自分じゃ立ち歩きできないからまあ仕方ない。
「儂らはここで見ているが、気にする必要はないぞい。セーレスよ、思うがままやってみるがいい」
「うん!」
妙に気合が入った様子でセーレスが頷く。
一体これから何が始まるのかというと――
「うーんとね、じゃあちょっとお邪魔するねタケル」
「あ、ああ」
ポスっと僕の隣に腰を下ろすセーレス。
軽やかにソファが沈み込み、僕の身体が一瞬傾ぐ。
コツン、と肩が触れ合って、僕は彼女を見た。
「ん?」
目が合った途端、ニコっとセーレスが微笑んだ。
今の彼女は普段着として着用しているラフな服装だ。
胸元を紐で縛るタイプのシャツに、短めのホットパンツみたいなものを穿いている。当然のように健康的なセーレスの脚線が顕になり、僕の目に飛び込んでくる。
ほっそりとしていながら適度な肉付きで引き締まっているというか。
もともと森で狩猟生活をしていたのだから、ある程度筋肉がついているのはわかる。出会ったときから脚を出した恰好だったから、もう長年の服装なのだろう。
だというのに、この肌の白さはどういうことだ。
もともと
神とか魔王とか呼ばれている僕であっても、こんなものは作れやしない。
彼女がこの太ももを持って生まれてきたこと自体が奇跡なのではないかと感心してしまう。
「タケル、どうしたの? しきりに瞬きなんかして」
「いや、その、眩しくて」
セーレスは天井を見上げ、「鬼火強い?」などと呟いている。
そうして身じろぎした瞬間を僕は見逃さなかった。
シュルッと衣擦れのような音と共に内ももが擦れ合い、そしてムチっと――――もう一度言おう、『ムチチっ』と、凸と凹が合致するかのように、脚が合わさったのだ。
僕は不覚にも目が離せなくなった。一度
「タケル、なんか変なの」
「はは……」
おまえのなにもかもが僕を狂わせる。
無自覚の精神攻撃に晒され、僕が内心の汗を拭っていると、そこでようやく自分に注がれている視線に気づいた。
「うわっ」
龍王様ビックリである。
じーっと、みんなが見ていた。
部屋の向こうに居並ぶ面々が僕の心を見透かすように、めいめいの目で僕の恥ずかしい姿を眺めている。
ニヤニヤしているのはオクタヴィアとソーラスであり、氷のような極寒の視線を向けているのはパルメニさんと真希奈だ。
セレスティアとアウラは趣旨がわかっていないのかただただキョトンとしている。
仮面のアズズは、多分この中で唯一僕のことを心で応援してくれているはず。多分。
そして肝心のモリガンはというと、「くあっ」と、鼻の頭にシワを寄せて欠伸をしていた。猫みたいだな。猫だけど。
「ふむ、なかなかどうしてやりおるのう。じゃがなセーレスよ、お主の実力はそんなものか。ただ隣に座るだけなら赤子でもできるわ。正妻としての実力をみせてやるのじゃ!」
「うん!」
その焚き付け方はおかしい……。
そう言うより早く、セーレスが元気よく立ち上がった。そして「失礼しまーす」と言って僕の脚の間に座り、全てを委ねるように背中を預けてきた。
今の彼女は見た目年齢は14〜5才ほどである。
もともと小柄で細身だったが、目の前に座られた状態だと、ちょうど頭頂部のつむじの部分が僕の目の前にくる。
ふわっと若草のような、目の覚めるハーブのような匂いにも似た彼女の香りと、干したての布団のような高い体温に包まれる。セーレスはまるでここが
「あー、なんかこうするのも久しぶりだねえ」
「そ、そうですね……」
思えば軽いスキンシップ程度なら多々あれど、こんなにガッツリ触れ合ったりするなんて、龍神族の領地を取り戻すと決めたとき以来じゃないだろうか。
セーレスに触れた部分から体温がじんわり伝わって、しっとり汗ばんで、鼓動がドコンドコンと響く。彼女の頭のてっぺんすらまともにみることができず、僕はずっと視線を逸してしまっていた。
そしてその逸した視線の先には、ちょうど彼女のつま先が映って、まるでそのつま先が気を揉むようにもじもじとしていた。セーレスも緊張してるのかな?
僕がひとしきりセーレスの温もりを堪能していると、ついにオーディエンスから抗議の声が上がった。
「オクタヴィア様、これって本当に意味があるんですか!?」
「無論よ。ほれ見てみい、自分の惚れた男が別の女といちゃついてる姿を見て、きっとアイティアは心中穏やかでいられるはずがないわ」
そうなのだ。
この企画の趣旨はそういうことである。
アイティアが僕に対して懸想(!?)しているという前提を根拠に、彼女の目の前で他の女性とイチャイチャしているところを見せつけるという、僕に取っては得しか無いイベントが開催される運びとなったのだ。
アイティアは僕を好いている(!?)わけだから、例えモリガンを通したとしても、必ずや嫉妬の想いを抱くはず。あるいは悲観的で悲恋思考的な趣味があるアイティアなら、必ずや何かしらの反応を示すはず――とオクタヴィアは言っていた。
本当にそんな上手くいくのかな、と、僕も含めたこの場の全員が思っているわけだが、他に方法が思いつかないのも事実だった。
ちなみに部屋を移動する直前にオクタヴィアの奴はこっそり僕に耳打ちしてきた。
「お主最近よう頑張っておるからのう。たまにはこういう褒美があってもいいのではないか?」
――と。
正直に言おう。
ありがとう。めっちゃありがとう。
お前に無駄飯を食わせてきて今日ほどよかったと思ったことはないぞ。
さて、そんなわけでトップバッターのセーレスのアピールが終わったわけだが、仮面のアズズは『けっ、ガキかよ。てっきりまぐわいでも見られるかと思ったのによ』と口を滑らせパルメニさんに壁に叩きつけられていた。ざまあ。
「モリガンの様子はどうじゃ真希奈よ」
『それが……寝てますですね』
真希奈の言うとおり、モリガンは鎧に身体を預けたまま静かな寝息を立てていた。
ついでにオクタヴィアの隣でも、前オクタヴィアが立ったまま直立不動で寝ていた。どうやらセーレスのアピールはアイティアには響かなかったらしい。
「ふっ、どうやらそれでおしまいのようだなセーレス。ではそろそろ私に譲って貰おうか」
豊かな胸の前で腕を組んだエアリスが、中ボスを倒したあとに拍手と共に現れる本命ボスみたいなしたり顔で言う。
セーレスは名残惜しいとばかり、僕の胸にひとしき後頭部をグリグリと押し付けた。マーキングかよ。嬉しいけど。
「別に、まだ負けたわけじゃないもん。でも――」
そっとぬくもりが離れていく。
触れ合って温まっていた箇所に冷たい空気が流れ込んで、僕はとてつもない空虚感に襲われた。
「エアリスのお手並み拝見、かな」
「望む処だ」
テーブルの向こうには見えないラインがあるようだ。
そこから出ると途端セーレスの姿はぼやけてしまう。
そしてその境界の向こうから現れたのは、褐色の肌に蒼みがかかった銀髪の少女。
まさに絶世と言っても過言ではないエアリスさんである。
今は地球で買ったスキニージーンズにタンクトップという身体のラインが顕になった姿であり、エプロンは外してある。
彼女はソファに座る僕の前に立つと、何をするでもなくじっと見下ろしてきた。
その時のエアリスは高圧的でもなく、攻撃的でもない。
じっと僕を切なげな瞳で見下ろしてくるのだ。
(その表情はなに……?)
どういう感情が彼女の中に渦巻いているのか不明だが、その目に見つめられていると、妙に気持ちがざわざわとしてしまう。はっきり言えば、普段は強気で尊大な態度を取ることが多いエアリスが不意に見せた気弱な面相が気になってしょうがない。
と、不意にエアリスはその場に跪いた。
片膝をつくのではなく、両膝をついて、今度は下から僕を見上げてくる。
そこで僕はハッと気づいてしまった。
何故今まで無関心でいられたのか信じられないくらい、重要な事実に気づいてしまったのだ。
(む、胸が……!)
そう胸が。
エアリスの母性の象徴たるお胸様が、とてもとても強調されていたのだ。
意図してやっているのだろうか。
エアリスはやや前傾姿勢になって、覗き込むように僕を見上げているものだから、両の腕に挟まれて胸の谷間がくっきりと描かれてしまっている。
切なげな表情と反比例する攻撃的なクレバスに、僕は僅か身を仰け反らせた。
するとまるでその分を詰めるように、ジリっとエアリスが床を這ってくる。
四つん這いになって近づいてくる彼女に、僕の後退はすぐさま終わりを迎える。
ソファの上で背中を預ける僕の膝に、エアリスがたどり着いてしまっていた。
その細く長い指先が触れた途端、エアリスは僕の腿の上に前のめりに身体を預けてきた。僕はさらにさらにとんでもない真実に気づくこととなる。
(ノーブラ……!?)
そう、今彼女のタンクトップの下は、生まれたままの状態だった。
何故そのことに気づいたかというと、大山が動いたからに他ならない。
エアリスは僕の脚の間にしなだれかかっている。
肩を組むように僕の腿に腕を回しているのだ。
するとどうだろう、エアリスの乳房は片方が僕の腿に乗り上げており、もう片方が僕の内腿に押しつぶされている、という状態を作り出したのだ。
そこまでの落差を生み出すためには、ひとえに彼女ほどの胸の大きさが必要となるのは言うに及ばず、当然ブラジャーに包まれていてはこのようにイヤらしい形を作り出せるわけがない。
その
だって仕方がない。男の身体にはこんな芸術品はついてない。
自分にないものを求めるのはヒトのサガであり、知的好奇心の現れなのだ。
そんな風に僕が固まっていると、妙に甘ったるいエアリスの囁きが聞こえた。
「どうした……見ているだけでいいのか?」
それは反射に近い動作だった。
号砲と共にクラウチングスタートを切った短距離選手のように、とっさに僕の手が動いたのである。
まるで掬うように手のひらを上に向けて突き出しかけた手は、ハッ――という、本日何度目かになる気づきによって停止することとなる。
刃物のような視線が、僕に注がれていた。
もはや威嚇と言っても過言ではないパルメニさんと真希奈のメンチが突き刺さる。
ソーラスとオクタヴィアは目を爛々と輝かせて「いけー!」などと囃し立てており、アウラとセレスティアはやっぱりわかっていないのかキョトン顔のままだ。
そして――
「ぐっ、どうしたことだ、私の中のアイティアが疼く……!」
いつの間にか起きていたモリガンが、そんな中二病みたいな台詞と共に苦しみ出していた。
「やめろ、お前はおとなしくしていろ、この身体は私のものだ……!」
苦悶と共に目をつぶり、髪を振り乱してイヤイヤをしている。
おお、こんなアホみたいな作戦でも効果があるもんだ。
「どうやら儂の狙い通りのようだな」
「いやあ、おみそれしましたオクタヴィア様ー!」
ドヤ顔でエッヘンと胸を張るオクタヴィアとそれを褒め称えるソーラス。この二人、もしかして精神年齢が一緒なのだろうか。
「あんなタケルさんを見るくらいならもういっそ……!」
そう言ってアズズの仮面を装着したのはパルメニさんだ。腰元で鯉口を切られた刀が妖しい銀光を放っている。ちょちょちょ、落ち着いて!
『奇遇ですねえパルメニさん、真希奈もあんなだらしない顔のタケル様、見るに耐えられないです……』
そう言いながら呪いの面相を開放した真希奈が、僕から拝借した魔力を滾らせ始める。パルメニさんといい真希奈といい……やべえ、大惨事になりそう。
そして、実質エアリスに敗北を喫してしまったセーレスはというと――
「タケル…………そんなに大きなおっぱいがいいの?」
目尻に涙を溜めて、悲しそうに僕を見ていた。
うおお、なんかすごい罪悪感が……!
「待ってくれ、誤解だ! 大きいとか小さいとか関係ないし!」
そう、関係がないのだ。
それぞれいいところがあって、悪いところなんてひとつもないのだ。
セーレスの脚線、エアリスの胸。
逆に。セーレスの胸、エアリスの脚線でもいい。
微乳でも巨乳でも、スレンダーでもムッチリでもいいのだ。
セーレスとエアリス、そこに優劣は断じてないのである。
だがそれを伝えるまえに、セーレスは部屋を飛び出して行ってしまった。
「セレスティア、来なさい!」と、大人たちの事情を全く理解していないお子の手を引いて。
僕は最悪の想定をしてしまう。
まさかこれは「実家に帰らせてもらいます」というやつじゃないだろうか。
自分の子どもであるセレスティアを連れてお父さんの墓があるリゾーマタに帰ろうというのではないか。
いやいや、もし彼女が帰るとしたらそれは
なんてことだ。そんな世界の果てに彼女を行かせるわけにはいかない。すぐに追いかけないと――
「まて。そう慌てることもあるまい」
勝者の余裕なのか、エアリスはガチッと僕の腰に手を回して離してくれない。
「何を言ってるんだ、僕は無意識とはいえセーレスを傷つけてしまった。早く誤解を解かないと」
「誤解? それは一体なんのことだ? 貴様が私に助平心を催したのは紛れもない事実ではないか」
「そ、それはその通りだけど、けど僕は――」
「ああ、わかっている。セーレスにも助平心を抱いていたが、必死に誤魔化していたと伝えに行くのだろう」
まったくそうなのだが、第三者の口から言われると馬鹿馬鹿しいことこの上もない。僕はセーレスを追いかけて、「キミの脚って最高さ!」とでも伝えるつもりだったのだろうか。なんだか冷静になってしまった……。
「それにな、あの者があの程度で傷つくものかよ。それこそセーレスを見くびっているぞ」
「はあ? それってどういう――――」
バダンッ、と勢い良く扉が開けられる。
その奥から現れたのはエアリスにも勝るユニバース級のプロポーションを持ったセーレスだった。
「やっほー、お父様ー!」
「って、セレスティア!?」
次の瞬間、ムッチムチのセーレス――セレスティアが飛んだ。
元より遥かに質量の増した肢体を惜しげもなく振りかざしながら僕へとダイブしてきたのである。
当然僕は堪えられるはずもなくエアリスも巻き込んでソファーから転げ落ちてもみくちゃになる。
それでもエアリスは僕の腰にしがみついたままだし、セレスティアに締め上げられた首っ玉は千切れる寸前だった。
「ふっふっふ……、二回戦の開始よ」
ふたりにしがみつかれた僕の頭上には、ブカブカの服を着た幼女セーレスがいた。
地球で肉体が崩壊を始め、そんな母を救うために顕現したセレスティアは、セーレスの肉体年齢を肩代わりすることで彼女の身体を幼体化させ破滅から守っていた過去がある。
その経験を逆手にとり、肉体がろくに成長しないという
確かに、中身がセレスティアとはいえ、見た目はバインバインに成長したセーレスそのものであり、やや面差しが本人よりキツめになっているとはいえ、美人は美人なのだから全然許容範囲だった。
「お父様、お母様がね教えてくれたの。私が大きな姿で抱きつくと、お父様ってば嫌がってたけど、本当は嬉しいの我慢してたんでしょ?」
「え、いや、それは……!」
「私、自分のこの姿って嫌いだったの。だってお父様が素っ気なくなるんだもん。でも本当はこういうことしてもらいたかったんでしょう?」
ぎゅううっと、超ボリューミーな胸が押し付けられ、窒息しそうになる。
僕は彼女の腕をタップしながら訴えた。
「ま、待て待て、世間一般では自分の娘にそんなふしだらな気持ちを父親は持っちゃいけないんだ!」
「騙されちゃダメよセレスティア。嫌よ嫌よも好きのうちだから」
「はーい」
「ふがっ」
悲しいかな、僕の訴えは瞬殺された。
そして本気で息ができない。酸素を求めて必死に喘ぐ。
「あんっ、くすぐったいー。お父様ってばアプアプしてて赤ちゃんみたい――可愛い!」
必死の抵抗をするも、都合のいいように変換されて受け入れられてしまう。
だが、ここで無理やりセレスティアを跳ね除けてしまえば、それこそ彼女を傷つけることにもなりかねない。た、耐えるしかないのか。
「むう、これはいかん。アウラ、アウラよ、母を助けてくれ! セレスティアに負けるな!」
「……わかった」
ノータイムで風の魔素に解け、僕の頭上に現れるアウラ。
しばし僕を見下ろしながらクリっと小首を傾げる。
「あ、アウラもお父様をギューってする?」
「する」
「じゃあ思いっきりいくよ、せーのっ」
「ぎゅううう」
視界が暗闇に包まれる直前、僕は思った。
セーレスとエアリス、そしてアウラとセレスティアが幸せそうだからまあいいか、と。
*
「……はああ」
盛大なため息と共に仮面が外される。
チンっ、と刀を修め、パルメニはがっくりと肩を落とした。
『なんでえ、おまえはアレに参加しねえのか?』
「できるわけ無いでしょ。あそこに踏み込めるほど図太くもないし野暮でもないわよ」
先程までの冷たい眼差しはどこへやら。
パルメニは今、遠い景色をみるような、憧憬の視線を彼らに送っていた。
「違う世界に行って結ばれた絆か……、私があんたと地を這い回ってる間に、すっかり置いてきぼりを食らっちゃったのね」
それはまるでお伽噺のような実話だった。
パルメニがオクタヴィアや真希奈から伝え聞いた今日までのタケルの歩みは、まさに想像を絶するものだった。今ここでこうして全員が揃い、笑っていられることが奇跡なのだと思えるほどに。
『そうなのです、タケル様はすごい方なのです!』
人形に翼が生えたようにしかみえないこの少女――真希奈も、実際はタケル自身が創り出した高次元の生命体――アウラやセレスティアと同じ精霊なのだという。
そんな領域の者たちに、おいそれを踏み込む勇気はパルメニにはないのだった。
「あなたは……真希奈様は行かなくていいの?」
一応、精霊とのことなので様付けで呼んでみる。
翼が生えた少女は瞳を爛と輝かせて答えた。
『もちろん、真希奈はタケル様の娘なので突撃しますですよ!』
「あ、そう」
パルメニが見送る中、真希奈は『どーん!』と言いながらあの輪の中に入って行ってしまった。混乱が混沌と化し、もう収集がつかない有様になったが、こうなったら飽きるまでほうっておくしかないのだった。
「――ぐすっ」
と、隣から不意に啜り泣きが聞こえた。
慌てて目をやれば、そこには滂沱の涙を流すモリガンの姿が。
いやまさか……。パルメニは恐る恐る声をかけた。
「あなた、もしかしてアイティアさん?」
名前を呼ばれたモリガン――アイティアが振り向く。
目尻に溜まっていた涙がパタタと床に落ち、彼女はコクリと頷いた。
「おお、アイティア? アイティアなの? だ、大丈夫? 身体は平気?」
「うん、大丈夫……。かなり身体はダルいけど、痛い処とかはないから……ぐすっ」
そうして首だけのアイティアは、再びタケルたちを見やる。
笑いあい、ふざけあい、叱りあう姿を見るたび、彼女は止まらない涙を流し続けた。
「ア、アイティア、気持ちはわかるけど、ここは堪えて。きっとあんたにもお慈悲の機会はあるはずだから――」
「ううん、いいの。ありがとうソーラスちゃん。私、なんだかもう、今の龍神様の姿を見られただけで、胸がいっぱいなの……」
タケルはいよいよ、セレスティアとエアリスの胸と胸とに挟まれ、もがき苦しんでいた。セーレスやアウラ、真希奈は僅かな隙間に自らをグイグイと滑り込ませ、タケルの身体を使って陣地取りをしているような有様だった。
「龍神様すごく幸せそう……。私は結局聖都で龍神様を困らせることしかできなかったから。だから、龍神様が幸せならそれでいいの……」
「はあ……すごいわあんた」
あの光景を見て、幸せだと断言できるアイティアに、ソーラスは心から感心していた。
「それよりもアイティアさん、モリガンはどうしたの?」
パルメニの問いに、アイティアは僅かに視線を落とした。
まるで自分の深奥を探るように固く目をつぶり、開く。
「うん、なんか引っ込んじゃった。あの男の幸せそうな姿なんて見たくないって、悪態ついてるみたい」
その言葉にソーラスは「おお」と振り返る。
そして腕を組み、うんうんと頷き続けているオクタヴィアを褒め称えた。
「すごいっス、さすがですオクタヴィア様! 憎き男の幸せな姿を見せつけてモリガンを封じ込める作戦だったんですねー!」
「う、うむ、まあな。すべては儂の計算通りよ」
「――ウソばっかり。本当は最近停滞気味だったタケル様たちを焚き付けるつもりだったくせに」
舌鋒鋭いツッコミを入れたのは直立不動で寝ていたはずの前オクタヴィアだった。
痛いところを突かれ涙目で押し黙るオクタヴィアをソーラスは必死に慰めるのだった。
*
それからはもう大変だった。
結局、暴走するセレスティアとアウラを大人しくさせるために、僕は地球へとアイスを買いに行く羽目になってしまった。
当然、子どもたちだけというわけにはいかず、その場の全員分(真希奈とアズズを除く)を買って帰ることに。
甘く冷たく蕩けるその味わいに、初めて口にしたパルメニさんとソーラス、アイティアは悲鳴を上げていた。
そう、いつの間にかモリガンは引っ込み、あの懐かしい黒猫のアイティアが戻ってきていた。
モリガンの奴は幸せそうな僕の姿が、砂を吐く程に嫌だったらしい。ひねくれたあいつらしいといえばらしかった。
そういうことならばと、いい加減アイティアを鎧から解放しようとしたところ、うっかり全裸のまま彼女を解き放ってしまい、そして何故かそのまま抱きつかれたりして――その場が再び大層な修羅場と化してしまった。
それが収まったあとも、なんだかタガが外れてしまったセーレスとエアリスが手ずから僕にアイスを食べさせようと「あーんしてタケル」「ほら、口を開けぬか」と、みんなの見ている前でもお構いなしにスプーンを差し出してきた。
結局どちらを食べるか迷った僕は、不意に差し出された第三のスプーンにかぶりついた。なんとそれは前オクタヴィアのものだった。ムキになってスプーンを差し出すセーレスとエアリスに、セレスティアとアウラ、真希奈までもが競い合いを始めてしまい、やっぱり大変な騒ぎになってしまうのだった。
そんなこんなで、大所帯となってしまった
半月が経って、ラエル・ティオスから伝書鷲の返信が来ても、「しばらくふたりを頼む」としか書かれていなかった。
一週間が経って、二週間が経ち、もう間もなく一月になろうかと言うとき、危急はオクタヴィアとハウトさんから立て続けに齎された。
ヒト種族の頂点に立つ王、オットー・ハーン・エウドクソス14世が、リゾーマタに全兵力を集結させている。そして、獣人種の列強氏族全に向けて宣戦を布告した――と。
平和な日々は唐突に終わりを告げるのだった。
続く。
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