第319話 北の災禍と黒炎の精霊篇⑬ アイティアを取り戻せ!〜黒炎精霊鎮魂の儀・前編

 * * *



「タケル、あーんして?」


「馬鹿者。もっと大きく口を開けぬか」


「……ひとまず毒味、します。美味しい、です……」


 どうしてこうなった。

 僕は今、この世の極楽に身を置いている。


 具体的には目の前にはセーレス、エアリス、そして便乗してきた前オクタヴィアが、吐息がかかりそうな距離から見つめてきて、「あーん」などと言いながら僕のカレーを食べさせてくれている。


 なんだろう、僕不死身だけどもうすぐ死ぬのかな。

 現実感が乏しい中、ふとセーレスたちの肩越しに見やれば――


「ひっ――!」


 僕は小さな悲鳴を漏らした。

 凍てつくようなパルメニさんの視線がそこにはあったからだ。

 隣で複雑そうな表情のソーラスと、オクタヴィアが狼狽える僕を見てニヤニヤしている。


「真希奈、ま、まだなのか!?」


『残念ながら変化はみられません』


 ふぐー、ふごー、と猿ぐつわを噛まされたモリガンが、恐らく僕に対する憎悪を吐き出さんと何事かをうめいている。先程までは呪詛にも近い罵詈雑言を浴びせてきていたのだが、あまりにもうるさいので今は黙らせている。もし鎧に包まれ拘束されていなければ、僕に飛びかかって喉笛を食いちぎりそうな勢いだった。


 真希奈はそんなモリガンの監視役だ。彼女に変化の兆候が見られれば即座に教えてくれるはずである。真希奈は今現在、首をブンブン振り回すモリガンの眼前に滞空し、僕に背を向けたまま言ってくる。


『それからタケル様』


「ああ、何?」


もげれば・・・・いいと思いますよ?』


 ――真希奈、おまえもか。

 僕は孤立無援だった。



 *



 説明しよう。

 なぜ唐突にこのような嬉し恥ずかしラブイチャイベントが発生しているかというと、それもこれもすべてはアイティアを取り戻すためだった。


 愛をとりもどせ!!

 ではなく、アイティアをとりもどせ!!

 うん、決して口にはできない僕だけの独り言である。


 先程、三十分くらい前。

 真希奈によって食事のために連れてこられたモリガン。


 連れてこられたといっても、プルートーの鎧によって全身の余分な魔力を吸い取られ全身が弛緩した状態の彼女は、自立稼働する鎧に持ち運ばれている状態だった。


 ちなみに意識を取り戻すまでの間中ずっと、真希奈の指示によって定期的に立ったり座ったり、横になったり、うつ伏せ、仰向けと、床ずれならぬ鎧ズレを起こさぬように献身的な介護が続けられていたそうな。


 そうしている間中にも、事あるごとに魔力を吸い取られていたために、目覚めたばかりのモリガンの顔色は大層悪いものだった。


 というわけで栄養補給のために食事へとやってきたそうなのだが、途中までモリガンは必死の抵抗をしていたそうだ。曰く、


「どうせ回復した側から魔力を奪うくせに、食事など絶対にするものか!」


 もっともな話だが、身体はアイティアのものなのだ。

 彼女に万が一のことがあってはいけない。

 というわけで真希奈は無理矢理口をこじ開けてでも飯を食わせるつもりだったという。


 そうして、食堂室が近づき、カレーの匂いに反応したモリガンがおとなしくなっていき――どうやらそこでアイティアが目覚めたらしいのだ。


『龍神様、今のお話、ホントですか……?』


 僕からしても、あの一瞬、確かにアイティアと会話したと自覚している。

 涙に濡れた瞳。思えば僕はいつも泣き顔の彼女ばかり見ている気がする。


 あの気弱にしょげ返った迷子の子猫のような表情は紛れもなくアイティアのものだった。


 だが、艶やかなぬばたまの瞳は今はなく、小生意気につり上がったすみれ色の瞳――モリガンに肉体を支配されたままになってしまっている。


 とりあえず――モリガンに食事をしてもらっている間、僕達は先程の現象についての考察を行うことになった。


「はな、はなせー! このような無体なことを……! い、いやら、やめれぇ!」


 鎧の手によって頭を両脇から押さえられ、水精の蛇によって口をこじ開けられたモリガンは、アウラとセレスティアによって、せっせと口の中にカレーを詰め込まれている。「んぐんぐ……こ、これは……なんという食べ物だ?」「カレー」「エアリスが作ったのよ」と、精霊娘たちと話している。そして――


「ちょ、食べるからそんな矢継ぎ早にぃぃ!」


 餅つきみたいなリズムでほいほいカレーの乗った匙を口に放り込まれていく。あっという間に顔中ベトベトのカレーだらけになるのだが、まああれもいい経験になるだろうと放っておく。食べ物を粗末にするなよー。


「さて、先程は一瞬だけアイティアが顔を覗かせたみたいだけど、今はまたモリガンになってる……どうしたもんかな?」


 テーブルを囲むのは上座の僕の左右にセーレスとエアリス。その隣にいたアウラとセレスティアはモリガンの食事を世話してくれているのでいないとして、さらにその隣にはオクタヴィア母娘が並んで座っている。さらに僕の対面の下座に仮面のアズズ、そしてパルメニさんとソーラスという形だ。


 ちなみに、僕達に遅れることしばし、半ば冷めたカレーを口にしたソーラスとパルメニさんの反応はかなり大きなものになったのを記しておく。


「なんですかこれ、すごい匂いだからどんな味かと思ったら美味しすぎでしょッ!」


「これはなんて刺激的な味! でも何故かしら次から次へと病みつきになるッ!」


 無理もないだろう、この世界の料理は基本的に焼く、煮るしかない。それもほとんどが塩味である。以前のエアリスもその味が当たり前になっていたはずだが、地球で多種多様な料理を食べ、味覚が開花してからは、彼女の中で意識改革が起こったようだ。


 そしてそんな魔法世界マクマティカの素朴な味に慣れたパルメニさんとソーラスの衝撃は、地球で初めて食事をしたときのエアリス以上のものだった。


「か、風の精霊魔法使いでしかも料理の天才ってッ!」


「しかもそれだけ容姿にも優れているのにこの料理の腕って!」


 エアリスは付け合せのラッシーをクピピと飲みながら平静を装うっているが、テーブルの下でギュウっとエプロンの裾を握りしめて羞恥に耐えていたのを僕だけが知っている。


 それはさておき――


「ふむ、そもそも儂らは普段のアイティアを知らん。ここはもうひとり、普段のアイティアを知るもの……ソーラスとやらに意見を求めるべきではないか?」


 冷静に返したのはオクタヴィアである。ナリは小さくともさすがは魔法世界マクマティカの生き字引。もう間もなく4ヶ月は我が城に逗留しているのだが、なんだかんだと本格的に追い出す気になれないのはこういうところがあるからか。


「ということでどうだ、ソーラス?」


「そうですね……」


 僕に水を向けられた赤猫族のソーラスは、可愛らしく顎に手を添えながら小首をかしげた。


「確かに、さっきのはアイティアだったと思います。というか、モリガンに小芝居ができるとも思えませんし」


 先程、僕はアイティアが正気を取り戻したと喜び勇んで彼女へと駆け寄ったのだ。だがその途端、菫色の瞳が喜々として僕を出迎えこう言い放った。


「残念モリガン様だー! ひゃーはははは! 今の間抜け面は最高だなあタケル・エンペドクレスよ!」


 取り敢えず僕は、首をブンブン振って笑うモリガンに対して、その片頬をつねるという報復措置に出た。


「ひぃ――ひぃへへへっ! にゃにをふるー!」


 おー、よく伸びるわ。やわっこい餅みたいなほっぺだ。


「は、はなひぇきしゃまー! わらしにこんらぶれいをはたらい――ひぎぃ!」


 生意気な口を止めないので、空いていた手で両のほっぺをつまみ上げる。

 横に広げられた唇の間からちょっと長めの犬歯――猫の場合は牙? が覗いている。こんな状態では「ふがふが」言うしかないというのに、それでもモリガンは僕を睨みつけるのを止めない。目尻に浮かんだ涙がポロポロ零れるのもお構いなしだった。


『タケル様、顔がだらしなくなってますよ?』


 真希奈の指摘にはッ――とする。

 慌てて手を離し、愕然とする。

 僕はいったい何をしているんだ。

 今モリガンを虐めて笑っていたのか?


『タケル様、モリガンの身体はアイティアさんなのを忘れないでくださいね』


 幸い僕の顔を見たのは真希奈だけだ。

 背後にいる他のメンツには見えていないはず。

 ちらりと真希奈を見ると、極上のスマイルを返された。

 笑顔が怖すぎる……。


「というかですねー」


 ソーラスのつぶやきに現実に帰還する。

 彼女は腕を組み、渋い顔をしながら言った。


「セレスティア様とアウラ様と違って、モリガンには全然崇敬の念とか湧いてこないですよね……」


「それは同感。戦ってるときはそうでもなかったのに、改めて見てみると完全に子どもだし……」


 ソーラスに同意したのはパルメニさんだ。

 競い合うようにモリガンの口にカレーを運んでいるアウラとセレスティアも、まるっきり無邪気な子どもなのだが、モリガンと違ってイノセント無垢そのもので悪意は欠片も感じられない。まあちょっと悪戯してる感じがしないでもないが、やっぱりモリガンとは感じが違う。


『俺からすれば小さい精霊共もガキはガキだが、モリガンの方はかなり笑えねえ悪戯をしやがる。あの鎧の中に閉じ込め続けるなら問題はないだろうが、そういうわけにもいかねえだろう』


 テーブルの上、天井を向いたままの仮面から声がした。

 アズズは仮面の状態でも向きに関係なく、周囲の気配を探ることができるのだという。音も問題なく聞こえるそうだが、どこから声を発しているのかは相変わらず謎のままだ。


「確かにな。理想としてはアイティアの精神がモリガンを上回り、己の肉体を取り戻して欲しいものだが……」


「さっきはどうして一瞬だけアイティアに戻ったんだろうね。あの時なにかアイティアの精神を刺激するようなことがあったってこと?」


 こちらはエアリスとセーレスである。

 エアリスの手元には沸かしたての湯が入ったポットが置かれており、カップの上には茶葉が入れられた茶こしがセットされている。エアリスは慣れた手つきでお湯を注いでいく。


 カレーとは違った清廉で柔らかな薫香が立ち込め、それをソーサーに置いてからそっとセーレスの前に差し出してやる。「ありがとう」と一言添えてから、セーレスは山盛りで砂糖を二杯入れてかき混ぜる。そして「ふーふー」と冷ましてから口をつけ「あち」と舌を出した。かわいすぎかよ。


「エアリスよ、儂にも頼む」


「あの、よろしければ私もほしいです……」


 お茶を所望したのはオクタヴィアとパルメニさんだ。

 ちなみにさっきから黙り込んでる前オクタヴィアはコクコクと船を漕ぎ始めていた。お腹いっぱいになったんだね。


 ふたりにもお茶を供すると、オクタヴィアがホッと息をつきながら言葉を継ぐ。弛緩した空気が流れていたのに、その言葉は多分に爆弾だった。


「ふむ。おそらくじゃが、アイティアとやらはタケルに懸想しておるのではないか?」


「ぶはっ!」


 無論むせたのは僕である。

 ちなみに今飲んでいたのは地球で買ってきた緑茶のティーパックを淹れたものである。甘くしないお茶を好むのは僕とエアリスだけだったため、大量にストックが余っているのだ。


「あー、やっぱりわかっちゃいますかー。さすがですねオクタヴィア様は」


 ソーラスが追従する。さすがのご慧眼ですと持ち上げられ、オクタヴィアはますます得意になって言った。


「聖都でしばらく一緒に過ごしたとは聞いてたからのう。奴隷という立場で頼るものもなく、周りは敵だらけの中にあって、聖都に潜り込んだ獅子身中のタケルの姿はさぞや眩しく映ったのではないかと思っておったのよ」


 なんでそんな見てきたみたいにわかるんだ?

 僕は戦慄していた。僅かな情報から答えにたどり着いてしまうオクタヴィアが恐ろしい。


 しかもニヤニヤとした笑みを浮かべるソーラスも、そしてしたり顔のオクタヴィアもずっと僕を見ながら会話しているのだ。言外に「おら、どうするのじゃお主は?」「龍神様ならアイティアをなんとかしてくれるはず……!」とプレッシャーと期待をかけられている気がした。


「いや待て待て。確かにアイティアとは聖都で一緒にいたけど、それだけで好きとかないから」


 僕は冷静を装って湯呑みの緑茶を啜る。うーん、味がしないや。


「じゃから一緒にいる間にも色々とこう、好かれるような出来事があったじゃろう?」


「じゃろうっておまえ……!?」


 まさか知っているというのかオクタヴィアは!?


 あの当時の聖都は王都に追いつけ追い越せの、飛ぶ鳥を落とす勢いで発展していた。いや、それも全部チートだったわけだが。だがそんな急発展する北の都を、おもしろ好きのオクタヴィアがチェックしていなかったとは考えにくい。


 ヤヴァイ……。

 詰んでないか僕?

 この話題を続けるのは不味い――


「アイティアを取り戻すためには、アイティアがどのような人物なのか詳しく知る必要がある。じゃから、聖都でのできごとも、委細漏らさず話してもらわんとの――っておおい、コラ、前の、起きんか!」


 優雅にカップに口をつけていたオクタヴィアに、眠気が限界に達した前オクタヴィアがしなだれかかった。潰される直前にセーレスが間に入ってくれて事なきを得る。前オクタヴィアはテーブルに突っ伏して寝息を立て始めた。


「というわけでアイティアに関する情報はどんな些細なことでもいい。包み隠さずつまびらかにせよ」


 そうは言われても、彼女とのあれやこれやを話せば僕は死ぬ。

 なんとか、なんとか話題をそらさないと――


「そういえば貴様、寝室でアイティアに迫られていたな」


「ごふっ!」


 油断した。エアリスから凄まじい切れ味の一撃をもらい、鼻からお茶が出てしまう。


「へえ……………………エアリス、詳しく聞かせて?」


 セーレスはテーブルの上に組んだ手の上に、そっと顎を乗せる。ニコっと極上の笑みを浮かべているが、その視線は僕へと注がれていた。こ、怖い……。


「私は当時ラエル・ティオスに大きな借りがあったために、短期間彼女の従者として東奔西走していたのだ。聖都での獣人種奴隷解放作戦が決行されるため、タケルにも協力を仰ごうと思い、逗留しているという商会にこっそり足を運んだのだ」


 ダメだ。僕はいたたまれなくなり、席を立とうとした。


「ドコイクノ?」


 セーレスの手が僕を腕を掴んだ。

 白く細い指先に桜貝のような爪が乗っているのに、まるで毒針を持った蜘蛛に絡め取られているように感じてしまう。僕はそっと腰を下ろした。


「窓から見えたのは、扇状的な寝間着に身を包んだアイティアに寝台の上で迫られて狼狽えるタケルの姿だった」


「ほうほう…………それでそれで?」


 ギリリっ。

 セーレスさん、僕の手首の骨が悲鳴を上げているんですが。


「私が見ているとも気付かず、タケルはその場にアイティアを押し倒していた」


「いや、気づいていたからね。なんなら昼間の商談のときからお前の殺気には気づいてたから! あと押し倒したのは、お前の風の礫からアイティアを守るためだから!」


 そろそろ手首が千切れそうだったので全力で抗議しておく。

 全部事実なんだが言い訳臭く聞こえてしまうのが悲しい。


「押し倒したのは本当なんだ?」


「必要に迫られて仕方なくであります!」


 掴まれた左手首から下が真っ白だった。指先が壊死しちゃうよう。


「ふっ――とまあ、私が見たのはそれだけだが、余罪はかなりありそうだ」


 エアリスが楽しんでる?

 顔を反らした彼女の肩は小刻みに震えていたのは気のせいではないと思う。


 しかしなるほど。

 アイティアが聖都にいたときはこんなふうに周りが敵ばかりに見えたのか。

 僕はセーレス探索に夢中でそっけなくするばかりだったからなあ……もっと優しくしてやればよかった。


「タケル、他にはアイティアとどんなことしたの?」


 無邪気な笑顔が恐ろしい。

 だって手首は悲鳴を上げ続けているのに、セーレスの笑みはとっても涼やかなんだ。


 僕は脂汗が浮かんだ額を拭い、慎重に言葉を選んだ。


「ま、街の地理を調べるために、一緒に散策をした程度だよ」


「一緒にお出かけしたんだ。他には?」


「いや、他には特にないかなー」


 ダラダラと汗をかきながら、キョロキョロと視線を彷徨わせる。

 これ以上は絶対にいけない。知られたら身の破滅だ。左手的な意味で。


「あー、私色々聞いてますよ!」


「おおい! ちょっと待った!」


 喜々として手を上げたのはソーラスである。

 アイティアとふたり、ヒト種族の領域で偵察の旅に出ていたキミたちなら、プライベートな話題もしているのかもしれない。


 やめろ、これ以上僕を追い詰めるな。僕は空いた手をブンブン振って必死にアピールをした。


「タケル、邪魔しないで、静かに聞こう?」


「はい」


 もう左手のことは忘れよう……。

 グッバイ、マイレフトハンド!


「最初はなかなか話してくれなかったんですけど、でも、旅をしていくうちにだんだんと打ち解けていって、結構話してくれるようになったんですよー」


「それでそれで?」


 セーレスに促されて、ソーラスは語りだす。


「アイティアは奴隷として競売に賭けられるのを待つばかりで、その間ずっとヒト種族の貴族を喜ばせるための教育を受けていたそうなんです。それで、夜になると、学んだことをタケル様を相手に実践しようとしていたみたいですねー」


「…………具体的には?」


 ギリリリ……!

 うわあ、失ったはずの左手が痛むぜ……!


「例えば、室内での礼儀作法から、お風呂でのお世話の仕方、寝所を共にする技術なんかですねー」


 ゴキン、ボキン、ペキポキ!


「じゃあ、一緒にお風呂に入って、一緒にお寝んねしたりしてたのかあ……!」


 ああ、僕の左手。酷え。モザイクいるだろこれ。

 いよいよもってグロテスクになりかけていたところ、苦笑しながらソーラスが次なる言葉を紡いだ。


「まーでも、タケル様はそのとき、セーレスさんを探すのに必死で、思い切って裸で迫っても、つがいになって欲しいって懇願しても、まったく相手にされなかったそうなんですけどねー」


 ふわっと、左手に温かみが差した。

 見れば水球を纏ったセーレスの手によって、見るも無残だった左手は完璧に修復されていた。


「へえ、そっか、そうなんだ……えへへ」


 スリスリと、愛おしげに僕の左手を握っているセーレス。

 僕は心の中でソーラスに深く深く感謝を捧げた。


「ようわからんのう。今の話を聞くに、女に恥をかかせておいて、こやつを好きになる要素がまるでないように思えるんじゃが……」


 小さな腕を組んで、はてと首をかしげたのはオクタヴィアだ。

 だが、それ以外の者たち、パルメニさんもソーラスも、エアリスもセーレスも、なんとなく思い当たるフシがあるようで目を泳がせている。


『あん? なんだ、どういうことだ……?』


「わからんのは儂らだけか?」


 雰囲気を察したのか、仮面のアズズとオクタヴィアが戸惑いの声を上げる。

 知識はあっても恋愛なんてしてこなかったオクタヴィアと、おそらく剣ばっかり振ってきたアズズにはわからないようだ。


 僕だって、当事者じゃなかったら彼らと同じだったろう。っていうか揃いも揃って魔族種の王って奴は……。


 とその時、ぬがーっと、奇声を上げる者がいた。突っ伏して寝ていたはずのオクタヴィアが再起動した声だった。


「わからないとは情けないですねオクタヴィア。アイティアさんはもうすでに好きな相手のいるタケル様を好きになってしまっていたのです。決して報われない恋、努力しても振り向いて貰えない男、それを好きな自分。彼女はそんな自分を憐れみ、快感を得る類の性癖を持っているのでしょう」


 おお……。普段の舌っ足らずはどこへやら。凄まじく快活にしゃべり始める前オクタヴィア。そんな姿は初めて見るのか、オクタヴィアは目をまんまるに見開いて固まっていた。


「あー、確かにそんな節はあるかもですねー。アイティア自身も、『龍神様が誰を好きでも構わないの。私が勝手に好きなだけだもん』とか言ってましたしねー」


 そうなのか…………。

 そういえばマンドロスの奴は、好きな男がいる女を手篭めにする、悲恋愛好家なる趣味の貴族もいると言っていた。


 心は他者に注がれていても、肉体を自由にできるという楽しみ方もあるとか。そしてアイティアは確かに、そんな報われない恋をしている自分に酔っている――というのは言葉が悪いが、確かに受け入れている節があった。


「そして私が思うに、先程一瞬だけアイティアさんの人格が出てきたのは、タケル様が未だに独り身であるということがわかり、寸断されていた思いが溢れて来てしまったのではないかと思われます…………寝ます」


 言いたいことだけ言うと、前オクタヴィアはスイッチが切れたように再び突っ伏して寝始めてしまった。エロやラブに関しては嵐のような女だった。


「なる、ほど、なるほど……。うーむ、さすがは我が生みの親。なかなか鋭い考察である」


 動揺を隠しきれない様子でオクタヴィアが頷いている。自分にない知識や考察力を、前オクタヴィアだけが持っているというのは彼女には耐え難いことだろう。継承したはずの記憶に不備があるかもと考えてたりして。


「じゃがこれでハッキリしたの。アイティアを取り戻す方法は――ある」


「ほ、本当ですかオクタヴィア様!」


 ソーラスが真っ先に反応し、他のみんなも興味津々とばかりに続きの言葉を待っている。


「そのためには是非、セーレスとエアリスの協力が必要になるの」


「私? まあ、協力するのはいいけど……」


「ふむ……私も構わんが、具体的になにをするというのか」


 ひとしきりお茶も啜り終わり、ホッと一息しているふたりが小首を傾げる。

 そしてちょうど、拷問のようなモリガンの食事も終わったようだ。

 彼女は顔面カレーまみれで、ぐったりと項垂れてしまっている。


「なあに、儂に任せておけ。うまくすればアイティアが戻ってくるどころか、お主らは儂に感謝をすることになるだろうよ」


 凄まじく嫌な予感をさせながらオクタヴィアは幼女にあるまじき艶然とした笑みを浮かべるのだった。


 続く。

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