第318話 北の災禍と黒炎の精霊篇⑫ ヒト、精霊、獣人、魔族の晩餐会〜結婚はしてないけど皆は家族

 *



「えー、では――――いただきます」


 いただきます、と、食卓に集まったいつものメンバーが元気よく応える。

 それ以外のメンバー、客分たちはポカーンとした顔で食前の儀式を見送っていた。


 ここは龍王城の食堂室。

 僕がアイティアとソーラス、そしてパルメニさんを保護してからまる三日が経過していた。


 本当は早くこうして一つのテーブルを囲んで食事をしたかったのだが、アイティアは鎧の中で監禁。ソーラスに至ってはまともな睡眠をここ二ヶ月していないとのことで、帰り着いてそうそうにバタンキューになってしまったのだ。


 怪我はパルメニさんが一番の重症だったのだが、セーレスの治癒で問題なく回復すると、やはりこんこんと眠り続けるようになってしまった。


 今朝方ようやく意識を取り戻したソーラスは、セーレスによる回復施術をされ、完全回復――したはずである。施術が失敗したわけではないようだが、何故かセーレスがずっとソーラスに謝り通しで、ソーラスはなんとも言えない微妙な表情で顔を真赤にしていたのが気になったが……。


 そんなわけで、バタバタし通しだった我が家はようやく客人を交えての晩餐となったのだった。



 *



 さっそく木匙を手に目の前のごちそう――カレーライスに口をつけたのはアウラとセレスティアだ。


 こちらはお子様用の甘口カレーであり、こんもり山になった白米の周りにルーの泉が広がっている。ルウの中に浮かんでいるのは大きめにカットされた根菜やイモ類や肉であり、すべて魔法世界マクマティカで採れた新鮮な食材を使用している。


 それに続いてセーレスが自分のカレーを木匙いっぱいの大盛りで掬い、綺麗な顔からは想像できないほどの大口を開けてガフっと頬張る。二回三回と口を動かすうち、彼女は幸せそうに目を細めてからゴックンする。うん、いっぱい食べる君が好き。


 セーレスに負けないくらいの大食漢なのが前オクタヴィアであり、子どもたちと競い合うようにガツガツと無表情でカレーを口に運び続けている。彼女は大口を開けるようなことはしないのだが、とにかく手と口を動かす速度が素早い。的確な量を掬い、口へと運んでいく。でもやっぱり誤射が多く、口の周りにルウと米粒がたくさんついていた。


 その隣で若干引き気味な視線を前オクタヴィアに注いでいるのは小さなオクタヴィアであり、彼女の前には子どもたちと同じく小盛りの甘口カレーが置かれている。自身の母であり今は従者である前代のオクタヴィアの嵐のような食べっぷりに、未だ一口たりとも食べることができずにいるようだ。と――


「おかわり!」


「おか、わり……」


 口の周りに米粒やらルウやらをつけたセレスティアとアウラが空っぽになった皿をエアリスへと差し出す。早い。僕、まだ一口も食べてないのに。


「エアリス、私もおかわり!」


「お願い、します……」


 やや遅れてセーレスが、さらに前オクタヴィアがおかわりを要求する。

 まるで料理の出来栄えを確認するように味を噛み締めていたエアリスは、静かに木匙を置きながら苦笑を浮かべた。


「やれやれ、順番だぞ。少し待て」


 綺麗に平らげられた皿を受け取る顔は満足気だ。子ども用の皿には、お椀に詰めたご飯をひっくりかえして山を作り、大食漢ふたりの皿にはご飯をこれでもかとよそっていく。


 その様子をわくわくと言った様子で見守る四名。さらにお玉に掬ったルウをたっぷりとかけてやれば、セーレスなどは胸の前で手を組みウットリと見つめるほどだ。そしてエアリスは最後の仕上げとばかりに小ぶりな鍋の中から茶色い殻に包まれたクルプの卵を取り出す。


 セーレスはもう拍手喝采だった。カンカン、パカっとあらわになったのは、半熟の白身と黄身の温玉であり、それがカレーの上に彩られると、ついにセーレスのエルフ耳がピクピクと歓喜に震え始めた。


「待たせたな。今日はまだたくさん用意してあるから、もう少しゆっくり食べるがいい。あと全員口の周りを拭け」


 はーい、とセレスティアとアウラ、さらにセーレスと前オクタヴィアが返事をする。留まることを知らない食欲は、二杯目の皿も早々に空にすることだろう。



 *



 なんとも賑やかな食卓を見つめながら、僕はここ数日のことに思いを馳せていた。


 もちろんそれは、精霊の力を目覚めさせ、炎の精霊モリガンに身体を乗っ取られてしまったアイティアのことだ。


 とりあえず僕は救助要請のあった二名を無事に保護した旨をラエル・ティオスに報告し、さらには仲介役となった冒険者ギルドにも結果報告をしておいた。「ふたりは無事。しばらくうちで養生させる」と。おっと、もちろん龍神族の王、タケル・エンペドクレスの言伝を預かった冒険者ホシザキ・ナスカとしてである。


 今頃ギルドの職員ハウトさんは、僕からのメッセージを伝書鷲にしたためてラエル・ティオスの領地にある冒険者ギルドへと発信しているはずである。


 それが到着するのは半月は先になるだろうか。この世界の情報伝達は非常に緩慢で牧歌的である。


 今回はたまたま僕の救助が間に合ったからよかったようなものの、最悪の事態も十分に考えられた。そうすると、今後伝書鷲のみの意思の疎通はむしろ危険かもしれない。


 うーん、獣人種領のラエル、そして現在はエストランテにいるウーゴ、あとはダフトン郊外に監禁……いや、住んでいるリシーカさん。


 この三名とはすぐ連絡が取れるよう何らかの手段を講じなければなるまい。携帯電話……もしくは家電を設置させようかな。そうすると電波塔とか電話線を引く必要があるのかな……。


「タケル、タケルよ」


 などということを考えて手が留まっている僕に、現オクタヴィアが目をまんまるにして話しかけてきた。


「これは今まで食べてきた『かれー』とは全然違うぞい」


「違うって、今まで散々カレーは食べてきただろ」


 我が家では定期的にエアリス特製の『おっ母さんカレー』が出る。

 一部香辛料が地球産なのを除き、商業都市エストランテに進出を果たしたウーゴ商会を通じて、世界中の食材が自由自在に手に入るようになったため、最近では魔法世界マクマティカ産の代替食材を用いたカレーが作られるようになった。


 いずれは完全に魔法世界マクマティカだけの食材でカレーを作りたいようだが、それはなかなか難しそうだ。というのもかつての地球がそうだったように、品質管理もされていない魔法世界マクマティカの香辛料などは総じて均一なものがない上に高価になってしまっている。


 逆に、捨て値同然で取引されている『気付けの葉』なる二日酔いの薬草が、実は地球で言うところの『月桂樹の葉ベイリーフ』とほぼ同じものであることが判明し、さっそくエアリスは大量購入していた。お陰でウーゴのやつからは「お酒はほどほどに」と苦言を呈されていたほどだ。


 そんなこんなで、エアリスは魔法世界マクマティカの食材で地球のカレーの味を再現するための試行錯誤を繰り返しており、常日頃から「味に深みが足りない」と嘆いていたのだ。今のカレーでも十分美味しいんだけどなあ。


 セレスティアの隣に腰掛けたオクタヴィアが「早く食え」とジェスチャーを送ってくる。それに急かされるように、僕はようやくカレーを口に運んだ。


 ――――途端、旨味が爆発した。


「こ、これは……!」


 究極対至高の主人公みたいな第一声を呟いた僕はすぐさま二口目を食べる。口の中でルウとお米を噛み締めながら、今までとは格段に違う味の重厚さに目を見開く。


 まるで曇っていた目が覚める用な感覚。それに伴いスパイスの効果だろうか、次第に身体が内側からカッカと熱くなっていくのを自覚する。


 三度カレーを食べれば、その味は変わらないどころかさらに美味しく感じられた。まるで眠っていた味覚が呼び覚まされたかのようだ。一口目が二口目を、三口目が四口目をと、直前に食べたカレーが呼び水となり手が止まらない。


 とにかくこれまでのカレーとはコクが段違いだ。これは旨味成分であるアミノ酸がより多くルウの中に溶け込んでいるということなのか。野菜の甘味、肉の脂、さらに複雑濃厚に折り重なった想像もつかない様々な食材の影を感じながら、気がつけば僕は一皿を完食をしていた。


「エアリスはん、アンタなんてことをしてくれたんやッ!」


「ときどき貴様は訳のわからん口調になるな?」


 エアリスは一気呵成いっきかせいに平らげる僕をずっと見ていたのだろう。顔をあげるとすぐさまバチッと目が合う。


 とにかくこのカレーはただ事ではない。

 僕はコップの水を飲み干してから改めてエアリスに問うた。


「一体、今日のカレーはどうしたんだ……。地球の味を知ってる僕でも、これはかなり上位の部類に入るくらい美味いぞ」


「そうか、貴様がそう言うのなら試行錯誤を繰り返したかいがあったというものだな」


 僕の言葉を受けて、少しだけ照れくさそうにはにかんだエアリスは、自分の皿からカレーをひと掬い口へと運ぶ。噛みしめるように何度も咀嚼してから飲み込み、大きく頷いてみせた。


「うん、このコクだ。地球で食べたカレーの味は。この深みを出すために、今まではカレー自体に様々な食材を入れていたが、それでは雑味が増えるばかりだった。ではどうすればよいか。辿り着いた答えはあれだ――」


 エアリスが指さす先には、普通の鍋が置いてある。カレーが入った寸胴鍋に比べるとかなり小さめだ。僕は席を立ってその鍋の蓋を開けてみる。そこには――


「これ、スープ? いや――ブイヨンか!」


 エアリスは然り、と頷いていた。

 鍋の中身は様々な野菜――根菜から葉野菜、さらに様々な香草や肉が入ってトロトロになったブイヨン――即ち出汁だしだった。


「カレーの中に様々な食材を入れて一緒に煮込めば確かに味は複雑になる。だが、旨味と一緒に余計な味わいまで出てきてしまう。したがって旨味だけを丁寧に抽出した『ぶいよん』を作り、それを適宜カレーに混ぜ合わせることで、この味を出すことに成功したのだ」


 僕とオクタヴィアはドヤ顔のエアリスに賞賛を送った。

 まさかここまで自分で創意工夫をして、ほぼ完璧な地球の味を再現してしまうとは。


 エアリスは今間違いなく、魔法世界マクマティカでトップに君臨する料理人の、さらにその先の領域へと足を踏み入れたといえるだろう。


 さて、そんなわけでエアリスにおかわりを要求してから席に座りなおしたときである。客分であるソーラスとパルメニさんの手が全く進んでいないことに僕は気づいた。


「どうしたんですかふたりとも。全然食事が進んでいないようですけど。もしかしてまだ身体が辛かったりします?」


 オクタヴィアも含めた僕とエアリスのやり取りを、どこか呆然とした様子で見つめていたソーラスとパルメニさんは、話しかけられた途端ビク、となって再起動した。


「いやー、なんというか、もうすっかり入り込む余地がないというか。アイティア超可哀想……」


 ソーラスは両手で顔を覆うと、小さく肩を震わせ始めた。

 その隣でパルメニさんも思い詰めた表情を作ると、居住まいを正して僕をまっすぐに見つめてくる。


「タケルさん、あの日から今日まで、本当に色々あったんだね。私、あなたが生きていてくれた、それだけでとっても嬉しいわ。どういう理屈なのかはわからないけど、あなたがヒト種族じゃなくたって関係ない。少し話しただけでわかるもの、あなたの本質はなにも変わってないって」


「はあ、どうも……」


 一応家長である僕は上座に陣取り、左右にエアリスとセーレス、さらにその隣奥にアウラとセレスティアが座り、アウラのさらに隣奥にオクタヴィア母子が座っている。客分であるソーラスとパルメニさんは下座――僕から一番遠い対面に座っていた。


 お互いついこの間までは、追手と逃亡者という関係だったが、双方にそれぞれの事情があり、なおかつどちらも僕と既知ということで特にわだかまりはないようだ。


 アズズの仮面を装着するようになったせいなのか、もう緑柱石の眼鏡は必要無くなったパルメニさんは裸眼の目尻に涙を溜めている。一度瞼を伏せると、綺麗な涙がポロポロと零れた。


「だからね、その、おめでとう。伝えるのが遅れてごめんなさいね」


 グスっと鼻をすすり上げながら、涙声で祝福の言葉を口にする。

 僕は混乱した。まったく意味がわからなかったからだ。


「えっと、ありがとうございます。でも、おめでとうって、何がですか?」


 僕の問い返しに、パルメニさんは途端悲しそうな顔になった。


「それは――わかるでしょう。でも私もちょっと驚いてるの。だって長耳長命族エルフと魔人族と、そしてそちらは魔族種の方よね? 三名のこんな綺麗な奥さんがいただなんて。しかもこんな大きなお子さんまで……。でもタケルさんも魔族種なんですものね、こんな大きなお城の主様なんだもの。なら、しょうがないよね……グス」


 パルメニさんが瞬きをするたびに、涙の雫がテーブルの上に降り注ぐ。そんな表情をさせている原因が僕だと思うと心苦しい限りだが、それでも問わなければならなかった。


「あの、もしかして何か勘違いされてませんか、パルメニさん?」


「勘違いって。だってこの状況はどう見ても…………そういうことでしょう?」


 この状況、と言いながらグルリとカレーを頬張る幸せそうなセーレス、セレスティア、アウラとオクタヴィア母子を見回している。あー……まあしょうがないよな、と僕は思った。


「えーと、僕ら別に結婚したわけじゃないですよ?」


 そう告げた時のパルメニさんとソーラスの表情は、なんというか傑作だった。


「ウソッ、してないの!?」


「してないんですかッッ!?」


『してねえのかよ、おいッ!』


 上から順番にパルメニさん、ソーラス、そして仮面のアズズだ。

 アズズの仮面はパルメニさんの側、カレーが盛られた皿の隣に置かれている。


 テーブルの上で、天井を見上げたままなのだが、会話する分には問題ないのだという。本当にオクタヴィアのエーテルの蛇といい、どっから声出してるんだよ……。


「ウソ、タケルさんがそんなヒトだったなんて……」


 結婚してないと告げたら、今度はパルメニさんが軽蔑の眼差しを向けてきた。

 何故に? と思っていると、答えはオクタヴィアから齎された。


「お主の生まれ育った地球ではどうか知らんがな、こちらの世界では子どもまでいるのに結婚すらしていない男というのは、最低者の烙印を押されてしまうのよ。しかもお主は三名もの女を孕ませていることに――ちょっと待て、この場合、儂が子どもということになるのか?」


 つまり前オクタヴィアとの間に出来た子どもが、このこまっしゃくれた蛇姫様だとパルメニさんは勘違いしてるのか。誤解も甚だしい。


「僕があなたと別れてから一年経ってないんですよ。それなのにこんな大きな子がいるっておかしくないですか?」


「だからそれは、リゾーマタにいらしたときは、もう既にお子さんがいたってことでしょう? それとも、魔族種やエルフのお子さんって、ヒト種族とは違うから成長が著しく早かったりするのかしら……?」


 マジかよ。そんな風に考えていたのか。僕が頭を抱えていると、仮面のアズズが厳つい声でがなりたてた。


『おい、いくらなんでもその認識はおかしいぞパルメニよ! 揃いも揃ってヒト種族ってのは自分以外の種族を化け物とでも思ってんかコラァ!』


「違うの?」


『違うわ!』


 角が三本に腕が三本で生まれてきたアズズが言っても説得力がない気がした。

 でもそれは原子分解されても復活する僕が言っても同じな気がする……。


「のうパルメニとやらよ。お主のその認識は生まれ育った環境のせいじゃとは思うが、我らとて性の営みはヒト種族と変わりゃせんし、卵の中から生まれてくるわけじゃあないぞい。まあ多少成長速度が早かったりや老いがなかったりするがのう」


 フォローを入れてくれたのはカレーを半分ほども平らげたオクタヴィアである。パルメニさんからは僕の娘扱いされているので、さぞかし達者な喋り方をするお子だと思われているだろう。まあ頭脳はババアで身体は子どもだからしょうがないが。


「老いがないっていうのはどういうことなのお嬢ちゃん?」


「お嬢……。まあいいが。……そうさのう例えばこっちのこれ」


 そう言って目を向けたのは皿を舐めるような勢いでカレーを食べている前オクタヴィアである。彼女は自分の主にも無反応で、ただひたすら欲望のままに食欲を満たすことに血眼になっている。「はあ……」とため息をついてからオクタヴィアは続けた。


「こやつの肉体年齢は二十五といったところじゃがな、もう百と九十年ほど生きているぞいこやつは」


「えっ!?」


 パルメニさんがビックリするのも無理はない。

 何と言っても白蛇族は魔族種の中でも特別な種族なのだ。


「じゃがな、中身は日常生活に支障がない程度に白痴じゃ。そいでもって儂はこんなナリをしておるが、歴代のオクタヴィアの記憶を一身に引き受けておる」


『けッ、言葉を飾るなよ。中身は七万年のババアじゃねえか』


「お主こそ言葉に気をつけろアズズよ。あれはお主が性に目覚め始めた十二のみぎり、村の中では男子禁制とされていた河辺の女場を覗こうとしたお主は――」


『がああああッ、黙れ黙れ黙れぇ! パルメニ、今直ぐ俺を被れ! このクソババアをたたっ斬ってやるああああ――!』


 ガタンガタン、とテーブルの上で仮面が震える。そうなのだ、この蛇姫様の数少ない楽しみが、情報収集という名の覗きなのだ。彼女は魔力と幽離エネルギーを合わせたエーテル体の蛇を世界中に放っており、自分が目をかけた者の動向を逐一覗いているのである。


 もちろんこの龍王城には僕が目を光らせているので蛇は仕込まれていないが、それ以外の特別な目や感覚を持っていない一般人からすれば、オクタヴィアに目をつけられたが最後、一切のプライベートがなくなってしまう。地球だったら集団訴訟で破滅するぞお前。


『はあはあはあ、ちくしょう、クソババアめ、いつか刀の錆にしてやる……!』


「ほほ、とまあ、魔族種の王とはいえ、儂には子どものようなものなのよ。わかったかのパルメニよ」


「え、ええ……」


 ガタガタとうるさい仮面のアズズを手で押さえながらパルメニさんが頷く。

 本当はいまいちわかっていないだろうが、それでもアズズを手玉に取るくらいには長生きをしていると理解できただろう。


「つまりあなたはタケルさんとの間に生まれた子どもではないと」


「然り。まあ今のところではあるが……」


 チラリと含みを感じさせる笑みを浮かべて僕を流し見てくるオクタヴィア。

 僕と彼女との契約のことを知っているのはこの場ではエアリスしかいない。

 そのエアリスが黙って食事を続けている以上、僕が自ら藪を突く必要はないのだ。


「そ、それじゃあそちらの、明らかにおふたりの娘さんだと思われるのがタケルさんとの……」


 パルメニさんが言っているのはセレスティアとアウラのことだ。

 ふたりとも僕のことを「お父様」「パパ」と呼んでいるので彼女の誤解も当然なのだが……。


「それも誤解よ。儂は言うたぞ、性の営みは変わらんと。子を産む課程もヒト種族と変わらんわ」


「それじゃあ、あの子たちはふたりの連れ子……?」


 混乱ぎみなパルメニさんが至極当然の答えを口にする。

 だがオクタヴィアは首を振る。


「それも違うわい。お主ら、そっちの赤猫も含めて魔法の才能がないものには無理からぬことかの。おい、チビどもよ、もう飯は食い終わったかの?」


 いい加減まどろっこしいとばかりにオクタヴィアがセレスティアとアウラの方を向く。ふたりは口の周りをセーレスとエアリスに拭いてもらいながら、満腹とばかりにお腹をポンポン叩いていた。


「なになに、オクタヴィア?」


「なに……?」


 満腹になった途端もう眠そうなふたりに、オクタヴィアはしばし思案するように虚空を見やると、ニヤリとした笑みを浮かべて言った。


「実はのう、ちょいと小耳に挟んだんじゃが、タケルの奴がお主らが大好きな『あいす』をこの部屋の何処かに隠したらしいのよ。どうじゃ、ちょいと探してみては?」


 なんだって? と僕は耳を疑った。オクタヴィアは「あいす、ですって……!」と反応を示した前オクタヴィアの腕を抑えながらニヤニヤとしている。


 もちろん僕が地球からアイスを購入してきた事実は存在しない。だが子どもたちは違ったようだ。トロンとしていた目に活力が戻り忽然と――セレスティアとアウラの姿が椅子から消失した。


「えッ!?」


「ウソっ!?」


 パルメニさんとソーラスが驚きの声を上げる。

 次の瞬間にはふたりのお子は戸棚の前におり、その中に目的のものが無いとわかるや再び消失。今度は僕の首っ玉に抱きついておねだりしてきた。


「お父様ー! アイス、アイスぅ!」


「出して……、いじわるダメ」


「オクタヴィア、お前なあ!」


 こうなるともうふたりは止まらない。

 あのとろける冷たい甘味を食べないことには収まらないのだ。


「許せ許せ。論より証拠じゃからのう」


 そう言ってオクタヴィアが再びパルメニさんとソーラスに目をやれば、今の光景がよほどの衝撃的だったのか、大口を開けて目が点になってしまっていた。


「セーレスとエアリスは現世に生まれた稀代の精霊魔法師よ。彼女らを守護する精霊はヒトの形を取りて、今は龍王の庇護下にある。儂もな、長く生きてきて精霊が顕現した姿を見るなど初めての経験よ」


 オクタヴィアの言葉を受け入れるのに時間がかかっているのか、パルメニさんとソーラスの瞳にようやく理性と理解の色が宿り始める。そして、稀有なる精霊に纏わりつかれる僕を見つめながら、席から腰を浮かしかける。僕はそれを慌てて制した。


「どうかそのままで。この世界のヒトたちにとって精霊が特別な存在なのは承知してますが、堅苦しい挨拶とか謝罪はいらないです。それよりもどうか普通の子供と同じように接してやってください。ときに遊び、ときに叱る。それがこの子達にとっての一番の幸せなので」


 一度現れれば必ずや歴史に名を刻むと言われる精霊魔法師。その認識は種族に関係なく共通なようで、ヒト種族であっても獣人種であっても、セーレスとエアリスは崇敬の念を抱かざるをえない存在なのだ。


 ましてや四大精霊の信仰が身近に存在する魔法世界マクマティカにおいて、目に見えて触れられる、具現化した精霊という存在は神にも等しいだろう。


 半ば放心した様子で席に腰を下ろすパルメニさんとソーラス。

 どちらからともなくぽつりと「ホント、色々あったんですね……」という囁きが聞こえた。


「とまあ、そういうわけじゃ。恋愛をすっ飛ばしていきなり家族になってしもうたからのう。それに甘んじて未だに身を固める決心すらつかぬヘタレがこの男なんじゃが……どうじゃ、もろもろの疑問は解消されたかの?」


 オクタヴィアの悪意のある説明に僕としては抗議したところだったが、それこそ藪から蛇が飛び出す結果になりかねないので甘んじて受け入れることにする。騙されてブー垂れてるお子ふたりには、明日必ずアイスを買ってくると約束して納得してもらった。


「ええ、この上なく理解できました、オクタヴィア様」


「もうすでに結婚しているようなものですが、まだしていないと」


 ソーラスがオクタヴィアを『様』付けて呼び、パルメニさんがセーレスとエアリスを交互に見ながら頷いている。ふう、ようやくこれで話がまとまったかな、と思っていると――


「龍神様、今のお話、ホントですか……?」


 食堂室の入り口から、懐かしい声がした。


 そこには、目と鼻の頭を真っ赤にした黒髪の少女が厳つい鎧に包まれて立ち尽くしていた。


 続く。

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