第317話 北の災禍と黒炎の精霊篇⑪ 幕間・王の娘ともうひとりの王〜少女は大人になりました

 * * *



『よー、あの小僧のどこに惚れたんだ?』


 ガシャーン。

 唐突な質問を浴びせられ、エアリスはお玉を取り落とした。


 クツクツと煮立ち、芳しい香りを放つ鍋から視線を外し、エアリスはギリギリ首を動かしながら背後を振り返る。


 そこには本来あるはずの質問者の姿はなく、あるのは大きな食台机の上に無造作に置かれた客分パルメニの仮面だけである。


 実は先程まで、エアリスが料理をしている食堂室には一足先にタケルが席についており、それはいつもの上座(タケルの定位置)ではなく、適当な席に腰掛けていた。


 全員が集まって食事をする際にはなんとなく決められた定位置に各自が座り、もちろん龍王城の主であるタケルの席は一番奥の席(現在調理しているエアリスのすぐ後ろ)となっている。


 夕食がまだ完成していないのにも関わらず、タケルが食堂に顔を出す時は、決まってエアリスとの雑談をするためであり、エアリスは手を動かしながら、取り留めのないタケルの話に耳を傾けるのが何より幸せを感じる瞬間でもあった。


 例えば今日はお互いどのようにして一日を過ごしたのか、子どもたちはどこに遊びに行ったのか。


 それぞれが抱える仕事の進捗具合――エアリスは城の管理全般と掃除とディーオの書斎の整理整頓がそれであり、タケルは公式の場には鎧姿で威厳のある王として立ち振る舞い、それ以外は身分を偽り、冒険者ホシザキ・ナスカとして王としては汲み上げることのできない市井の声に耳を傾けている。


 彼の仕事はそれだけにとどまらず、移民してきた我竜族の支援と、河辺に建設予定の港湾施設のことや、エストランテにいるエンリコ・ウーゴとの話し合いや、最近では夜空を彩る花火なるものまでせっせとこしらえている。


 その働きっぷりはエアリスからしても目を瞠るものがあり、つい一年ほど前までは自堕落極まりない生活をしていたとはとても信じられなかった。



 *



 さて、そんなタケルは本日、話の友にエアリス自分ではなく奇妙な喋る仮面を選んだらしい。


 なにやら食堂室に来るなり食台机に座り、一人で喋り始めた。一瞬ぎょっとしてエアリスが振り返れば、手の中には半分だけになった仮面が握られており、ちょうど机の上にそれを置くところだった。


 仮面からは中年を思わせる男の声がどこからともなく発せられ、タケルはそれと会話を続ける。


 エアリスは一抹の寂しさを覚えながらも調理を続けることにした。だがもちろん、タケルと仮面の会話には聞き耳を立てていた。


 それによると現在会話している相手は、なんと根源貴族の一角、鬼戒族の元王アズズ・ダキキだという。


 封建的で保守的な魔族種の中でも特に規律と上下関係が厳しい剣の種族だ。係累のすべてが生まれながらに身体の一部に角を持ち、元服とともにそれを切り落とし、剣へと加工することで生涯ただ一振りの愛刀にする。


 一族が一門であり全体が一派。老若男女を問わず、全員が剣をその身に修めているという一族で、主な産業は農業や狩猟で、最低限の食料を確保する以外は日がな一日剣ばかりを振っているとか。


「多分すごい貧乏だろそれ」と、タケルが口にし、エアリスは背中を向けたまま身を強張らせた。


 仮面のアズズは僅かに沈黙したあと『まあ、確かにな』と渋々そうに肯定した。そしてアズズ自身も、王として剣を振り、たまにやってくる他種族を追い払ったり、聖獣族という、昔から好敵手である拳の一族との小競り合いをして過ごしていたという。


 そんな彼に転機が訪れたのは十年ほど前。

 後進に王の位を譲り、自分は悠々自適な諸国漫遊の旅を繰り返していた。


 もちろんそのときには今のような仮面の姿ではなく、生まれながらにして三本角で生まれてきた絶対強者にふさわしい隆々たる偉丈夫だったそうだ。


「角が三本なんだろ? 腕が二本でどうやって刀を操ってたんだ。もしかして口に咥えてたのか?」


 などとタケルが聞くとアズズは『俺は腕が三本あったから問題ねえ』と答えていた。やれやれ、デタラメだなとエアリスはため息をついた。


 その後、話は確信へと迫り、アズズがどうして今のような仮面の姿になってしまったのかに及んだ。なんでも彼はとあることを目的を果たすため長耳長命族エルフの領域へと足を向けたそうだ。


『俺がこんな成りになっちまったのは、実はごく最近のことだ……一緒に旅をするため連れ出した娘が行方不明になっちまってな』


 それは今から半年ほど前のこと。

 まだ幼い一人娘を連れて、ヒルベルト大陸と魔の森との間を流れる、大河川ナウシズの袂を歩いていたときだった。


『油断したつもりはなかった。ただ、目端に鳥が映って、わずかに視線を切った次の瞬間だった』


 忽然と、今まで隣を歩いていた小さな娘がいなくなっていた。

 辺りは見晴らしのいい平原で、河向こうには鬱蒼とした魔の森が広がっているが、瞬きほどの間でそこまで移動できるとは思えない。


「まさか、河に?」


『ああ、落ちたのかと思って探した。それこそ河の水をひっくり返す勢いで探した』


 実際上流を剣の技で寸断し、川底をさらってまで探したが見つからなかったという。


「神隠しってやつか」


『そうとしか考えられねえ。とにかく、俺の目的が娘探しになった……』


 アズズはその後、下流まで移動し、さらに上流を目指した。

 大河川ナウシズの上流は、ヒトと魔の境界リゾーマタと呼ばれる場所だ。


 ナウシズの源泉となっているのが、クルル山地と呼ばれる、魔の森の中にそびえる山岳地帯であり、西に行けばヒト種族の領域、東に行けば魔の森に隔てられて、一分の少数獣人種が済む畢竟地帯デルデ高地につながっている。


 そして北に進めば魔の森が途切れ、魔の海と呼ばれるカロア海域へと出るのだ。そのカロア海域を越えた先に長耳長命族エルフが住まう領域がある。


『俺が考えたのは巨鳥だ。魔物族モンスターに類する大きな鳥が、一瞬で娘を咥えて飛び去っていったんじゃないかと思ってな……』


 確かにもはやそんな可能性しか考えられない。だがそうすると移動距離はとんでもないことになる。


 だがアズズは自分の娘子を探すため、僅かな可能性にかけて、カロア海域を渡る海鳥の魔物族モンスターに当たりをつけ、奴らの生存地域に行くため、海を渡っている最中に――


『大渦に飲み込まれ、気がついたら俺は仮面になっていた』


「なんだそりゃッ!」


 タケルが素っ頓狂な声を上げるとおり、エアリスもギョッとしながら振り返っていた。


「何がどうなってこんな半分この仮面に……」


『わかんねえ。気がついたら手足が動かせなくなって波間を漂っていた……大怪我でも負ったのかと思ったが、しばらくしてもっと恐ろしいことになってるって気がついたぜ』


 まさに踏んだり蹴ったりである。

 娘を探していた矢先に一番頼りになる自分自身の強固な肉体を失い、こんな仮面だけの姿になってしまうとは。


 そうしてアズズは自分の姿を認識することもできず、ただぼんやり空ばかりを眺めて時間の流れに身を任せていた。というかそれ以外にすることがまったくなかった。


 そうしている間に考えるのは娘のこと。どうして、一体どこに……。湧き上がってくるのは怒り。すぐ側にいたのに気づけなかった自らへの怒り。だが今の自分はどうすることもできない。


 娘を探しに行くことも、自らを叱咤することもできない。無力だった。


 しばらくして嵐がやってきて、大波にさらわれて、海を漂っているいると、どこかの岩場に打ち上げられ、今度は空と海と砕ける白波だけを見つめながら過ごしていた。


 パルメニと出会ったのはそんなときだった……。


「ぼ、僕もずいぶんな目に遭ってきた自負というか自覚はあるが、お前も相当酷い目に遭ってるな……」


『同情なんていらねーぜ……』


 諦観というか落ち込みというか……呟いたアズズの声はとても疲れたもののように聞こえるのだった。


「まあ、とにかく。パルメニさんを助けてくれてありがとう」


 タケルがまだヒト種族だった頃、冒険者ギルドの受付をしていたというパルメニ・ヒアス。魔族種となり、セーレスを追いかけて聖都に行く直前に別れたきりになっていたというが、まさかアイティアたちを助けに行ってアーガ・マヤで再会することになろうとは……。


『礼を言われる筋合いはねえぜ。俺は俺の都合であいつに力を貸してるだけだ。あいつも一人で旅するには俺の剣の腕があったほうが都合がいい。ただそれだけだ』


「そうか。でもどうしてあいつ……マンドロスと行動を共にしていたんだ?」


『それは――』


 かいつまんで話せば、まさにアズズとパルメニが出会ったのは極限の状態だったのだ。


 パルメニは運の悪いことに女の一人旅を面白がった男の冒険者に付きまとわれ、それから逃げている最中だった。


 男の仲間に追い詰められたそのとき、たまたまアズズの仮面をかぶり、神がかり的な剣の術理が宿ったパルメニは無事に男たちを退け、危機を脱することができた。


『だがあいつも疲労と怪我で死にかけててな』


 行き倒れていたところを親切にしてくれたのがマンドロスだったのだという。


『勘違いするなよ。俺もパルメニも、マンドロスの大将の本当の目的を知ってたら協力なんかしなかったぜ』


「ああ、それはわかってるよ……」


 それよりも、とタケルは質問する。

 これからどうするつもりなのかと。

 アズズは当然のように「あいつを……メイ・ダキキを探し出す」と答えた。


「そうか……なあ、僕に協力できることはないか?」


『あん? 何言ってやがる。お前には関係のねえ話だろ』


「まあ、そう言われればそうなんだけどさ……」


『気持ちだけで結構だぜ』


「…………」


 まあ、アズズのような古い考えの男は、いくら娘のためとはいえ、積極的に他人を巻き込むような性格ではないだろう。


 あくまでこれは身内だけの話。パルメニとは対等の協力関係だからこそ頼っているのだと。


「じゃあせめてこの城を拠点にすればいい。根無し草で探すより、この街を拠点にして色々探索すれば効率がいいだろう。この街には冒険者ギルドもあるし、商人のギルドもある。今度エストランテから交易船も来ることになるし、情報が集まりやすいぞ」


 それとも鬼戒族の里に帰るか? とタケルが聞くと『いや、それは……』とアズズは言葉を濁した。確かに半分仮面の姿では元王としての威厳も何もない。知り合いには見られたくない姿だろう。


「今交易船を受け入れるための港湾施設を建設中なんだ。我竜族が手伝ってくれてるんだけど――」


『おいおい、我竜族って……俺はあそこの王は大嫌いなんだよ。あの糞生意気なゾルダのツラなんか見たら問答無用で斬りかかる自信があるぜ』


「……ゾルダなら死んだよ。というか僕が殺した」


『なッ――本当かそれ……?』


 タケルは説明する。我竜族は良くも悪くもゾルダ王による影響を受けており、根無し草であるが故に、一族を繋ぎ止めていたのは暴虐なる王の存在だった。


 ディーオ・エンペドクレス不在となった龍神族の領地を占領しようとしていたので、三代目となった自分が凱旋し、彼との一騎打ちの後に絶命させたと。


 そして義理堅くも王の後を追おうとした我竜族たちの前で、ゾルダの妹ミクシャに王位を継ぐことを勧め、龍神族の一部地域を割譲したのだと。


 ゾルダの圧政に苦しんでいた我竜族たちは新たな王と安住の地を同時に得られ、現在は意欲的に町を作り、仕事をし、その影響でダフトンの街も需要と供給が生まれ好景気になりつつあるのだ。


『おめえ、タケルつったか。どっかで王様でもやってたのかよ?』


「は? そんなわけないだろ。僕はもとニート……ただの穀潰しだよ」


『穀潰しがそんな政治的な手腕を発揮できるわけねーだろ!』


「知らないよ。なんとなくできたし、今の所上手く行ってるんだから別にいいだろ」


 この話は終わり、とばかりにタケルは手をひらひらとさせた。

 アズズは……仮面だからわかりにくいが納得はしていないようだ。


 エアリスは思う。確かにタケルはニートと呼ばれる非生産的な穀潰し生活をしていたが、もともと才能はあったのだろう。才能とはヒトの上に立ち、導く王の才能だ。


 そうでなければただの子供がこれほど見事に政治的な統治ができるわけがない。アズズは……というか他の魔族種の王たちは、民を豊かにするという手腕に於いてはタケルの足元にも及ばないかもしれない。


「そういえばタケルよ」


 会話が途切れたところで、エアリスはふと思い出したことをタケルへと告げる。


「貴様、アイティアとソーラスの無事は告げたのか?」


「え? ああ、もちろん。ラエルには伝えに行ったよ。しばらくうちで治療するって言ってある」


「いや、ラエル殿に対してではなく、ラエル殿の依頼を持ってきた冒険者ギルドに対して報告は済ませたのかと聞いているのだ」


「……それっている?」


「当然であろう」


「いやあ、でも今プルートーの鎧はモリガンに使っちゃってるし……」


「わざわざ王の格好をして行くことはない。冒険者ホシザキ・ナスカとして王の言付けを頼まれたと代理報告してくればよかろう。早く行かないとギルドが閉まる時間だぞ」


「わかった。ちょっと行ってくるよ」


 そうしてタケルはバタバタと忙しない足音を立てて出ていってしまった。

 当然、アズズの仮面はそのままである。


「…………」


『…………』


 特に話すこともなかったので、エアリスは調理の続きをすることにした。

 しばらく、鍋をかき混ぜながら時折味見をして、適宜調味料を追加していた折、唐突に質問されたのだ。


『よー、あの男のどこに惚れたんだ?』と。



 *



「なんだ、藪から棒に……」


 エアリスは落ち着くため深呼吸をする。そして落としてしまったお玉を拾い流し台の中へと置いた。新たなお玉を手に取ると、努めてなんでもない風味を装いながら、弱火でコトコト煮立つ寸胴鍋を撹拌する作業に戻る。


『おまえさん、ディーオの娘だろ?』


 今度こそ、エアリスは動揺した。

 味見のために小皿によそい口をつけたカレーを喉につまらせてしまう。

 ごほごほ、と咽たあと、猛然と背後を――仮面のアズズを振り返る。


「ディーオ様を知っているのか!?」


 お玉を片手に食台の上の仮面に近づくと、アズズは『覚えてねえのかよ』と言った。


『おまえさんディーオと一緒に俺の領地に来たことあっただろう』


「私が、そなたの領地に?」


 エアリスの二人称には二通りある。

 貴様。そなた。

 敬愛を籠めて軽く呼ぶときの貴様。

 敵対する者にたいする侮蔑を籠めた貴様。

 そして無条件で目上と認めたものへはそなた。


 タケルへは敬愛と気楽さを籠めて最初期からの貴様を使い続けている。

 そしてアズズに対してはディーオの名前を出された途端、目上に対するそなたへと変貌していた。


『ああ、まだ小さかったっけな。十年以上前だから覚えてねえか』


 十年以上前なら、ちょうど女郎小屋からディーオによって解放されて間もなくか、その後しばらくディーオの後ろについてヒルベルト大陸を旅していたときである。


 一瞬エアリスの脳裏に閃光のような記憶の断片が思い浮かぶ。背丈はディーオと同じくらいなのに、身体の厚みが三倍は違う壁のような大男。それがどっしりと眼前に腰をおろし、腕を組みながらこちらを見ているものだ。


「右肩の後方にかけて三本目の腕が生えていた……」


『おお、そうそう。なんだ覚えてんじゃねえか。ディーオの後ろに隠れながらこっちを睨んでたっけなあ。でっかくなりやがってよう』


 今の今まですっかり忘れていたが、エアリスにはディーオと共に旅をしていた時期があった。自分が忘れているだけで、他の王にも会ったことがあるのかもしれない――などとエアリスが思っていると、アズズが最初の質問を繰り返した。


『よう、それでおまえさん、あの小僧っ子のどこに惚れたのよ』


 地球でも同じようなことを聞かれたな、とエアリスは思った。

 タケルは素顔でいるとき、自分と並び立つことに抵抗を持っているようだ。


 なんとなくそれは自分の容姿に対する自信のなさが起因しているのかもしれない。彼が臣民の前で鎧を着続けるのもそれが原因なのだろう。


「あの者の良さなど私だけが知っていればよい……というわけにはいかぬのだろうな」


『あいつが龍神族の王じゃなかったらそうだな。いや、そもそも奴はヒト種族だったそうじゃねえか。その頃の奴には見向きもしなかっただろう?』


 それは言外に、タケルがディーオの後継だから、その力を引き継いだから、だから惚れたんだろうと決めつけられているような気がした。


 確かに以前のエアリスならそう言われ、落ち込んでいただろう。タケルがヒト種族であった頃に縁を結び恋仲となっていたセーレスとの差異に劣等感を抱いていたはずだ。


 だが今は違う。

 エアリスは地球という異世界に渡り、そこで慎ましくも穏やかな、人間・・としての生活を送っていた経験がある。


 誰も自分をディーオの娘、あるいは精霊魔法使いという色眼鏡で見ない、エアスト=リアスという一個人にのみ注目する稀有なる世界での生活だ。


 そこで経験したのは、むしろ美醜に対する『こんぷれっくす』を抱いているのはタケルの方であり、様々な者たちからふたりの関係が不釣り合いのものだという評価を受け続けるというものだった。


 年齢によって教育内容が異なる学び舎において、主と離れ離れの教室になってしまったことは、エアリスにとって大変な苦痛だった。それでも休憩時間のたびに足繁くタケルの側に近づき、半ば周囲に見せつけるようにふたりの仲を宣伝した。


 それはこの男は自分のものなのだという他の雌共への牽制。そしてタケル自身に私はお前のものなのだ、という自覚を促す意味を持っていた。


 例え今は学生として凡百のフリをしていようともお前は特別なのだと、そう言葉には出さずエアリスは訴えかけていた。


「あの者は魔族種であろうがヒト種族であろうが、その中身は変わらなかった。ディーオ様から受け継いだ力も、当初は面倒なものだと唾棄していたほどだ」


『……そんな男によくもまあ』


 アズズが絶句しているのがわかった。

 だがな、とエアリスは続ける。

 

「あの者はディーオ様のように『遠くない』のだ。私にとってはそれが何よりの幸いである」


『……そうかい、なるほどな。そういうことか』


 魔族種の中でも格別の長寿だったディーオ・エンペドクレス。

 エアリスなど例え現在出会っても赤子扱いしかされないだろう。


 でもタケルは違うのだ。

 同じ歩幅で歩いて、声をかければ立ち止まり、手を伸ばせばたやすく触れることができる。


 そこには1万年という時間の隔たりはない。

 例え拙くとも共に苦楽を共有し、歩んでいける嬉しさがある。


 それは魔族種だとかヒト種族であるなどは関係ない。

 未熟なところも臆病なところも、助平心はあるくせに妙に我慢強いところも、なにもかもが愛おしいのだ。


『ふん、まんまと惚気けやがって。すっかりいい女になりやがったな。野暮なこと聞いちまったなエアスト=リアスよ』


「エアリスでよい……。もうすぐ夕餉ができるが、そなたに食べさせられないのが残念だ」


 その言葉を最後に、ふたりの会話は途切れた。

 だが決して重苦しくはない、穏やかな空気が流れていた。


 ギルドへの報告を済ませてきたタケルが帰宅し、他の者たちも匂いに誘われるように食堂室へと集まり始める。


 もうすぐ家族の晩餐が始まろうとしていた。


 続く。

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