第314話 北の災禍と黒炎の精霊篇⑧ 決着・黒炎の精霊VS龍神様〜花束の貴方と再会して

 * * *



 その異変はすぐに分かった。


 ダフトンの冒険者組合職員、ハウトさんから齎されたのは、獣人種ラエル・ティオスからの救援要請だった。


 長く偵察任務に赴いている自分の部下たち――ソーラス・ソフィストとアイティア・ノードから連絡が途絶えた。


 考えられることはふたつ。もうすでに死亡しているか、もしくは何らかの理由で定時連絡すらできないか。


 後者である場合、非常に切迫した状況に置かれている可能性がある。


 ふたりが潜伏してたのはアーガ・マヤであり、もし逃亡中であるならば、必ずニオブ海の港町からヒルベルト大陸を目指すはずだと書かれていた。


 僕は早速、鎧を装着すると、真希奈を引き連れてアーガ・マヤへと飛び立った。



 *



 ソーラスは大変優秀な戦士らしい。特に危機察知能力に長け、生存戦闘(多分サバイバル戦だと思われる)においては並ぶものはいないそうだ。そんなソーラスと一緒だったからこそ、未熟なアイティアの帯同が許されたのだという。


 そんな彼女たちが当たっていた任務はなんと、人類種神聖教会アークマインの残党の調査だった。


 規模こそ縮小したものの、獣人種の拐かしが再び起きている。


 もしかしたら人類種神聖教会アークマインとは別の、獣人種社会の内部協力による奴隷売買の可能性も考えながら、ラエル・ティオスはソーラスとアイティアをヒト種族の夜の町に潜伏させていた。


 そして万が一、彼女たちが危機に瀕しているとしたら、魔法世界マクマティカに於いて最速の機動力を持つ僕しか助けに行ける者はいないとして、救助を要請してきたのだ。


 ソーラスは僕が初めて会った獣人種のメイドさんだ。

 ディーオからその力を譲位され、初めての戦闘の後に色々あって僕は気絶。

 ラエルの屋敷で目覚め、最初に話しかけてきてくれたのがソーラスだった。

 それだけではなく、彼女は僕の教え子だったクレスの姉でもある。


 アイティアは、攫われたセーレスを求めて聖都を目指していた僕が偶然助けた奴隷の少女だった。


 気弱で流されやすく、すぐ悲観的になる子だったが、心根は優しく穏やかな性格で、幸せな家庭で育ったことを感じさせた。


 でも、ラエルの従者になることを自分から選んで、魔法の修行も始めるなど、奴隷だった辛い経験から自分を見つめ直して頑張っていた。


 そんなふたりを、僕は必ず助ける。

 そのために必要なことは迷わず行う。

 その覚悟をひとり静かに決意していたときだった。


『タケル様! 12時方向です!』


 僕の鎧のたてがみにしっかりと捕まった真希奈(人形)が叫ぶ。


 延々と続く暗闇の大地。たまに生活の営みが感じられる光源は焚き火によるものか、または魔法の鬼火によるものか。


 とにかく、ヒルベルト大陸上空を飛んでいる僕の視界にほんの僅かな、視力を強化していなければ見逃してしまいそうな、小さい光源の存在が見て取れた。


『真希奈、あれは――――』


『目視にて概算100キロメートル先、ニオブ海を挟んだ対岸、アーガ・マヤの方角です!』


 嫌な予感が爆発する。

 僕は眼前に展開した防風殻シェルプルーフをさらに堅牢にすると、両手足を固定、亜音速飛行へと移行する。


『真希奈、しっかり掴まってろよ!』


『かしこまりました!』


 ドクンッ(ドクッ)――――


 虚空心臓が唸りを上げる。

 精製された魔力を炎の魔法に変換。

 水平飛行する僕の足元から、アフターバーナーが吹き出す。


 果たしてたどり着いた先の地は、まさにこの世に顕現した地獄の様相と化していた。



 *



 アズズは戦いの最中驚愕する。

 パルメニもまた息を呑んだ。

 殺す気で放った一刀が事も無げに受け止めらている。

 渾身の奥義が左腕一本に阻まれてしまった。


「くッ――」


 押し込もうとするもビクともしない。

 アズズは殺意さえ籠めて叫んだ。


『だ、誰だてめえ――!』


 また反対側のモリガンも目を見開いていた。

 自身が放った必滅の炎が完全に防がれている。


 目の前に聳えしは壁。

 魔力で編まれた屈強な障壁である。

 これはもはや防ぐというより遮断といった方が正確か。


「貴様、何者――!?」


 誰何の答えはなく、代わりに齎されたのは、これまでの常識を疑うほどの、ただただ膨大な魔力の奔流だった。


 それはまるで獣の咆哮のような――否、もっと大きく、猛々しく、雄々しい生き物の咆哮に思えた。


 パルメニとモリガンの戦いに割って入ったのは、全身装甲を纏った鬼面の男。

 ギロリと、金色の虹彩をもった瞳がふたりを睨み、まるで絶対の宣誓のように言い放つ。


「双方それまでだ。この戦い、龍神族の王、タケル・エンペドクレスが預かる」


 ――と。



 *



 港湾は黒い炎に包まれていた。

 紫の燐光と火の粉を飛ばす黒炎は、湾岸一帯を包み込み、すでに町の一部をも焼き払っている。


 僕は一目見ただけで、その炎の異常さを看破した。


 本来であれば正常な炎とは鮮烈な紅である。

 自前産業として花火を作り出してから、様々な炎色反応を見ているが、こと魔素を使用する魔法の炎は、本来鮮やかな赤色をしていなければならない。


 だが、これほどまでに黒を孕んだ色を示すとなると、それは即ち、魔法師自身の内面や心の色を現したものであると言えた。


 上空を旋回しながら、僕は不自然なエアポケットを発見する。

 それは戦場だった。

 ふたつの人影が戦っている。

 双方とも女だった。


 ひとりは奇異な仮面をつけ、マントを纏った剣士。

 もうひとりは美しい裸身を晒した少女だった。

 その異常さたるや、燎原のなかを全裸で闊歩しているのだから目を疑いたくなる。


 それと同時にあの少女こそがこの炎の主であることがわかった。

 そうでもなければ説明がつかない。

 この炎熱の地獄の中、火傷を負うこともなく裸でいられるなど――


『タケル様!』


『ああ、まさかそんな――!』


 裸身の少女、その顔は見覚えのあるものだった。

 そして、僕は急降下する。

 膨れ上がる殺意の波動。

 裸身の少女と仮面の剣士、双方が勝負を決めに出たからだ。


 間一髪、装甲防御力と、魔力殻パワーシェルを展開して刀と黒炎とを受け止める。


 そして宣言する。

 これ以上の争いは認めない。

 この場を支配するのは僕――タケル・エンペドクレスただひとりであると。



 *



『左腕装甲に切創を確認。魔力殻パワーシェルの防御密度も減退しています!』


 僕のたてがみにしがみついた真希奈が悲鳴のように叫んだ。

 内心では僕も驚愕していた。


 パワーアップしたプルートーの鎧ver2.0は一次元物質、カーバイン錯体並の装甲強度を持つ。さらにビート・サイクルレベル30を超える魔力障壁をこの黒炎は浸食しているというのだ。


 もし僕が間に入らなければ確実にどちらか――あるいは両方が命を落としていたかもしれない。


 だというのに、停戦を命じたはずのふたりは、僕から距離を取ると、僕をはさみながらジリジリと視殺戦を始める。お互いの隙を伺い、再び剣と炎を交えるつもりか――


『やめよ、双方刃を納めろ!』


『寝ぼけたこと言ってんじゃねえ!』


 噛み付くように吼えたのは仮面の剣士だった。

 フードをすっぽりと被り、顔はよく見えないが、その体つきはどうみても女性のもの。だというのに聞こえてくる声は中高年を思わせる渋い男のものだった。


『いきなりしゃしゃり出てきて何言ってやがるだ! 周りを見ろ、状況を察しろ! その女を倒さなければこの地獄は終わらねえんだ! それをてめえ、よくも邪魔しやがって――』


『なるほど――お前の立ち位置はわかった。炎を消せばいいんだな?』


『なにぃ――?』


『真希奈!』


『畏まりました! 虚空心臓内に貯蔵した魔素分子星雲エレメンタル・ギャラクシーを緊急展開します!』


 僕の全身から沸き起こった極彩の輝きが港湾一帯――町中を飲み込んでいく。

 その展開速度は黒炎の比ではない。瞬時に被害地域全てを飲み込み、そこに存在する炎の魔素を掌握する。


『該当地区から炎の魔素をすべて奪取します!』


 黒炎を塗りつぶすように展開されていた魔素分子星雲エレメンタル・ギャラクシーは、四大魔素全てが励起状態となった極彩のフィールドである。


 その効果は全ての魔素に干渉し、意のままに操り、僕の意志ひとつで、すぐさま魔法として変換することが可能だ。


 今回のように一度に大規模展開が可能であり、またフィールド自体に魔法発動に必要なプロセスが予め付加されているため、瞬時に魔法を発動させることができるのだ。


 つまり――


『な――ウソ、だろ……?』


 男の声が震えている。

 それは理解不能の現象を目の当たりにした故か。


 僕ら三人は黒炎の只中にいたはずなのに、周囲はもうただ、夜に包まれた焼け跡が広がるのみである。


 僅かな火の粉さえなく、黒炎は完全に消え去り、あとには僕ら三人が立ち尽くすだけだった。


『真希奈、完全鎮火を確認したら、風魔法で新鮮な空気を循環させろ』


『畏まりました。バックドラフトに気をつけつつ循環開始します』


 僕と真希奈のやりとりを聞きながら、仮面の剣士はガクッと膝をついた。

 手足の所々に酷い火傷のあとが見て取れる。

 恐らく満身創痍で倒れる一歩手前だったのだろう。


『くそ、ヒトが散々苦労したってのによう。これだから魔法師ってヤツは……!』


 悪態を着きながらも随分余裕が見て取れる。

 こっちは大丈夫そうだな。


『さて、ようやく落ち着いて話ができそうだな――アイティア』


 振り返った僕の視線の先には全裸の少女――アイティアが立っていた。


 あれほど炎の只中にいたというのに、火傷は愚かススさえついていない。

 長く艶やかな黒髪と、同年代を逸脱するプロポーション。

 だがその表情は、僕が知っている気弱で優しい女の子のものとは一線を画していた。


 ぐるりと首を巡らせ、鎮火した周囲を見渡し、まるで我が子を殺害された母親のように僕を睨みつけてきた。


「よくもやってくれたな貴様。我が眷属たちをこうも見事に。天晴を通り越して殺意さえ湧いてくるぞ――!」


 ブワッと着火したように黒炎を纏うアイティア。

 いや、確かに見た目はアイティアのはずだが、口調といい魔法といい、何もかもが僕の知っている女の子とは違いすぎる。これはもしや――


『無駄だ、そいつはおまえの知ってるアイティアなんかじゃねえ。今は別の何者かに意識を乗っ取られているんだ!』


 荒い息を繰り返しながら、僕の背後の仮面の剣士が告げる。

 確かに、別の誰かに人格を乗っ取られたかのように、今のアイティアはあまりにもらしくない。


 僕は油断なく身構えながらアイティアの姿をした少女に問いかける。


『お前は誰だ――?』


「我が名はモリガン。ながに渡る倦怠から解き放たれた、炎の精霊である」


『なんだってッ!?』


 炎の精霊、と今言ったか。

 だが確かに、そう考えればすべてに納得がいく。


 魔法がろくに使えないはずのアイティアがこれほど大規模な魔法が行使できること。突如としてヒトが変わってしまい、攻撃的な性格になってしまったこと。


 今のアイティアは精霊という別のパーソナルに身体を乗っ取られている状態なのか。

 

『だがそんなことありえるのか――?』 


 僕がよく知る精霊と言えばアウラ、セレスティア、そして真希奈だ。

 いずれも風、水の魔素で肉体を構成し、自由自在に活動することができる。


 真希奈は僕が人工的に作った精霊――高次元生命体であり、元来無属性で肉体を持たない。


『タケル様、推測ですが、アイティアという人格とモリガンと名乗った精霊とのパワーバランスが著しく偏っているために、肉体を乗っ取られている可能性があります』


『それじゃあアイティアは――』


「なかなか鋭いな」


 真希奈の推測を肯定したのはモリガン自身だった。


「この体の持ち主は脆弱な精神の持ち主よ。男どもに手篭めにされかけて、あっさりと肉体の主導権を放棄しおったのよ」


 聞き捨てならないことを耳にし、僕の心に黒い感情が沸く。

 手篭めに――つまりは乱暴された、という意味か。

 そうしてアイティアは現実を拒否し、逃避してしまったということなのか。


『長年私は表に出ることはかなわなかった。だが今は違う。この肉体は私のものだ。もう二度と明け渡してなどやるものか――!』


 アイティアの精霊――モリガンが叫ぶ。

 膨れ上がる憎の意志力。

 炎の魔素が枯渇した町のさらに周辺から魔素が集められる。


 強大な意志力はさすが精霊と言ったところか。

 モリガンは導火線に火がついた爆弾のように破裂寸前だ。

 ただでさえ鎮火したばかりで燃えやすくなっている周辺は、再び炎に包まれてしまうだろう。


 だが――


『僕の目の前で、同じことができると思うのか?』


「ぬう、貴様……!」


 モリガンが集めた炎の魔素は、僕が展開した魔素分子星雲エレメンタル・ギャラクシーの極彩に塗りつぶされる。集めた先から炎の魔素を奪い取られ、モリガンは燃えるような瞳で僕を睨みつけた。


「天をも焼き尽くす我が業火の黒炎を消し去るとは。いいだろう、ならば我慢比べだ――」


 モリガンは両手を夜空に広げ、再び大気中の炎の魔素に呼びかける。

 大気中のみならず、地中から、果ては海底からも炎の魔素を無理やり集めようとする。


 だが着火するそばから僕は、魔素分子星雲エレメンタル・ギャラクシーを用いて黒炎を消滅させる。


 最初は余裕ぶっていたモリガンだったが、その顔色がみるみる青ざめていく。

 都合十度目になろうかという消火作業が終わったとき、炎の魔素が激減した港湾一帯は霜が降り、極寒の世界へと変貌していた。


「はあ、はあ、はあ……貴様、我が黒炎をこうまでも……くそぉ!」


 モリガンは凍える手足で己を抱いていた。

 全身を小刻みに震わせながら、苦悶の表情で僕を見ている。


『何が黒炎だ。こんなものアクア・ブラッドに比べたら全然大したことがないぞ』


 セーレスとセレスティアのアクア・ブラッドは絶対不可侵の神なる血。

 その内部に閉じ込められたが最後、あらゆる外部干渉を遮断し、時間の影響すら断絶する恐ろしいアビリティだ。


 高出力の魔力によって押しのけることは可能でも、アクア・ブラッドそのものを分解・変質させることはほぼ不可能と言っていい。


 それに対してこの黒炎は、通常の炎に比べて温度が高めではあるが、まったく特別な力を感じない。


 ただ単に憎悪と呼ぶにはあまりにお粗末な、鬱屈した昏い感情が籠められているだけで、なんら強固な意志を感じ取ることができない。


 背後にいる仮面の剣士と曲がりなりにも戦いになっていたのは、恐らく相性の問題だろう。精霊が放つ炎なら僕の魔力殻パワーシェルを抜いてくることは別段驚きに値しない。


 正直言って、カーバイン錯体の強度を持つ装甲に傷をつけてみせた仮面の剣士の方がよほど賞賛に値するだろう。


『それにお前、アイティアの肉体を借り受けたことが災いしたな。初めて味わう生身の感覚は辛いだろう――』


『現在の外気温は氷点下6度。裸でいては低体温症になります。また、露出した手足の末端に凍傷の症状も現れ始めるはずです』


 僕の言葉を引き継ぎ、真希奈が的確な補足をくれる。


 アウラやセレスティアのように魔力で編まれた肉体とは違う、恒温動物である肉の身体。恐らく初めて感じるであろう『寒い』という感覚に、モリガンは為す術なく震え、体力を奪われていく。


「こ、これしきのことで諦めてたまるか。ようやく手に入れた自由な肉体。再びこの愚物女に渡してなるものか――!」


 最後のあがきとばかりに、モリガンは魔力を滾らせる。

 その魔力量はさすが精霊と言いたいところだが、もういい加減終わりにしよう。


『おまえからすればアイティアは、グズでノロマでイラつくばっかりの小娘なんだろう』


『タケル様、モリガンはそこまでは言ってないかと』


 真希奈くん、要約だよ要約。求めるところを察するのさ。


『でもその子はその子なりに、自分の歩幅で進み始めたばかりなんだ。ただ暴れたいだけなんていうモリガン子どもの我儘には付き合ってられないな――』


 先程モリガンが言った言葉が本当なら、今回アイティアの身に降り掛かった不幸は、女性としては最大級のものだろう。


 そのショックは同情して余りあるし、心の動揺をモリガンに利用されたとも言える。


 何より彼女は僕の大切な仲間だ。

 どんなことをしてでも取り戻さなければならない――


「嫌だ! 渡してなるものか! 閉じ込められるのはもううんざりだ! 邪魔するものは焼き払い、立ちはだかる者は消し炭にしてくれる――!」


「いーや、もう終わりだ」


「――ッ!? だ、誰だ貴様は!?」


 まんまるに目を見開くモリガン。

 突如として目の前に生身の男――僕が現れたのだから無理はない。

 普段着として着ている地球のパーカー姿であり、下はジーンズにスニーカー履きだ。


 そして、僕を吐き出した鎧――プルートーの鎧はというと、自立モードでモリガンの背後へと忍び寄っていた。


「真希奈、やれ!」


『了解! 装甲プットオンします!』


「――――ッ、何ぃ!?」


 モリガンが振り返ったときにはもう遅い。口を開けるように装甲を展開していたプルートーの鎧が覆いかぶさるようにモリガンを飲み込む。


 バグンッ、と装甲が閉じられた途端、モリガンの悲痛な叫びが木霊した。


『あああああああッ、こんな、バカなああああッ、力が、奪われ、る…………!』


 魔力という生命力と引き換えに比類なき力を発揮するプルートーシステム。

 だがシステムを起動させず、ドレイン機構のみを発動させれば、力が有り余ってはしゃぐ子どもへお灸を据えるにいい拘束具になる。


 一歩間違えれば命まで奪いかねないが、真希奈にコントロールをしてもらうので安心だった。


「ちくしょう、ちくしょおおお……絶対に、貴様だけは許さん……タケル・エンペドクレスぅ…………」


 ガクン、と鎧に包まれたモリガンが膝をつく。

 真希奈は鬼面を覗き込むと、僕に向かってビッと親指を立てた。


『お疲れ様ですタケル様。完全に気を失ったようです』


「ふいー、疲れた……」


 本当久しぶりに魔法オンリーの戦闘で気疲れしてしまった。

 だがまあとりあえずは――


「寒ッ! こんな薄手のパーカー一枚じゃあ風邪引いちゃうよ!」


 まあ不死身だけど一応気分的に言っておかないとね。


『タケル様、町への被害は最小限で済んだようです。あとは放っておいて問題ないかと』


「最小限って……そうか、あんたが時間を稼いでくれていたのか」


 振り返ればそこにはマントにくるまって凍える仮面の剣士がいる。


『タケル・エンペドクレス――そうかい、お前さんが風の噂で聞いたディーオの後継か。どうやら完全に力を使いこなしているみたいだな』


 フードの奥から、左半分が仮面で覆われた顔が覗いている。

 右の顔はむき出しのようだが、前髪が垂れていてよく見えない。

 どうやら男の声はその半分だけの仮面から発せられているようだった。


「ディーオを知っている……。おまえ魔族種か?」


『ああ、今はこんな有様だが、元は鬼戒族の王、アズズ・ダキキ様よ』


「なんだって――!?」


 その名は根源貴族のひとつ、剣を極めし一族の名前だったはずだ。

 道理でプルートーの鎧に傷をつけられるはずである。


「とりあえず、僕はアイティアを連れて行く。こいつの主人から保護を頼まれているんだ。もうひとり、ソーラスって子を知らないか?」


『その嬢ちゃんならずっと離れたところに転がしてる。今頃風邪引いてるかもしれねえがな』


 ほっ、とため息をつく。

 どうやらソーラスも無事のようだ。

 こいつ――アズズ・ダキキが助けてくれていたのだろう。


「見たところ怪我してるようだな。とりあえず僕と一緒に来くるか。水の精霊魔法使いがいるから治療してやるよ」


 ミノムシみたいな恰好でしゃがみ込むアズズはフルルっと震えるように首を振った。


『残念だが俺の一存じゃあ決められねえ。この身体の持ち主は別にいてな。今は寒さと火傷の痛みで気を失ってるんだ。そいつにお伺いを立ててからじゃねえと動けねえ』


 アイティアを乗っ取ったモリガンといい、このアズズも誰か別人の身体を借りているのか。


 僕が「じゃあさっさと許可を取ってくれ」と言うと、アズズが耳を疑う名前を口にした。


『おい、パルメニ、パルメニよ。諸々終わったぞ。治療が受けられるらしいが、どうする、行くか?』


「――はッ、ぐっ、ああッ、イタタタッ!」


 それまでビシっと不動だった身体が突然地面の上でのたうち回った。

 そしてどうやら凍結した地面に素肌で触れたらしく「冷たッ!」と叫んでいる。

 なんだかその声も聞き覚えがあるような――?


「え、治療? 行くわよ、当然でしょう。私だってね、嫁入り前の身体なのよ。生傷が絶えないこんな生活してるけど、まだ綺麗なままでいたいのよ。そういう乙女心を少しは察してちょうだいよ」


『知るか。今まで痛みで気絶してた分際でほざくな』


「なんですって? 今直ぐ向こうの海にあなたの仮面と剣を捨ててもいいのよ!」


『てめえ、今までさんざん俺に助けられてきた分際でよくそんなこと言えるな!?』


「助けた助けられたなんてお互い様でしょう! 私がいなかったらなんにもできない半分仮面のくせに!」


『なにをッ!?』


「なによッ!?」


 そんな言い合いをした後、やっぱり傷に触ったらしく「アタタタっ!」とのたうち回っている。そして「冷たッ!」と叫ぶまで完全にさっきと同じだった。


 いや、それよりもやっぱり彼女は――


「ええと、どこのどなたか知りませんが、是非お世話になります。というか寒くて痛くてお腹も空いたので、温かいご飯と寝床も用意してもらえると嬉しいんですけど……」


『けッ、図々しい女――アイタっ、ぶったなこの野郎!』


 いやいやいや、もういい加減にしてくれ。


「ゲルブブ肉のシチューとクルプのオムレツでも出しますか――パルメニさん」


「あら、それって私の大好物なんです。故郷では叔父が料理人をしてまして、よく作ってくれて――って、はい?」


 不意に名前を呼ばれて、ようやく彼女――パルメニさんが前髪をかきあげた。


 酷く懐かしい顔――半分だけの顔が僕を見上げている。

 その口が小さく戦慄き、「うそ……」と囁いた。


「タケルさん……? 本当にナスカ・タケルさん? タケルさんが、エンペドクレス……?」


 そうか。

 僕の名前を聞いても、魔族種のエンペドクレスが邪魔して気づいていなかったのか。


「タケルさん!」


 パルメニさんは飛び起きると、まるで抱きつく勢いで顔を寄せてきた。

 あのときは緑柱石でできた眼鏡をかけていたが、今は素顔である。

 見慣れない顔ではあるが、思い出の中の彼女と照らし合わせれば、間違いなく彼女本人だとわかった。


「生きてた……、やっぱりちゃんと生きてた……、死んだって聞かされて、でも信じられなくて……私ずっと探してたんです」


 僕の両肩を掴んだ彼女の瞳にみるみる涙が溜まっていく。

 思い起こせばそうか、僕は自分の目的のために、リゾーマタの冒険者の目の前で心臓に短剣を突き立てて瀕死を演出したのだった。


 運ばれていく僕を見送ったパルメニさんが、そのまま僕の死を信じてしまっても無理からぬことだろう。


 ごめん、というべきか、それとも事情を説明するべきか。

 アイティアのことが解決した途端、懐かしい顔と再会してなかなか言葉が出てこない。


 そうしていると左側の仮面から無粋な声が響いた。


『なんでえ、こいつがお前の意中の相手だったのか。よかったじゃねえか、惚れた男と再会できて――』


 言い終わらない内にアズズの仮面はパルメニさんに剥ぎ取られ、遠くに向かってポイされた。


 ドップラー効果で『何すんだこらー』という叫びが遠ざかっていく。


 そうして僕の眼前には、若干顔を赤くした、半分などではない100%素顔のパルメニさんがいた。


「タケルさん、その、色々言いたいこととか、聞きたいこととかたくさんあるんだけど、その……」


「僕も、なんだか言葉が見つからないです。でもとりあえず行きましょう。怪我の治療をして、食べて寝て、それから色々話しましょう」


「ええ、そうね……!」


 彼女が涙を浮かべた瞳を細めると、目尻から雫がひとつ溢れた。


 こうして僕はアイティアとソーラスを救出にきて、まだ自分が人間だった頃を知る懐かしい女性とも再会することができたのだった。



 *



「へーっぶし!」


 目覚めた途端、ソーラスは周囲が凍えるほど冷え込んでいることに気づいた。


「ふえ?」


 身体を起こすと、辺り一帯には霜が降りており、一面薄っすらと白銀を纏っていた。


「なに、なんで、どうして……? っていうかここどこ……? おーい、アイティアー?」


 こうしてソーラスは、タケルがやってくるまで相棒の名前を呼び続け、厳つい鎧に包まれたアイティアと再会を果たすのだった。


 続く。

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