第313話 北の災禍と黒炎の精霊篇⑦ 黒炎の精霊VS鬼戒族の王〜間一髪・駆けつける龍神様

 * * *



「ぐはッ――はあ、はあ、はあああ……!」


 詰めていた息を吐き、仮面の女は荒い呼吸を繰り返した。


 頭から外套衣マントをスッポリとかぶり、膝をつく。


 外套衣の下からはゴロリとソーラスが出てきた。

 未だ気を失った状態であるが、傷一つ――火傷は愚か、ススすらついていない。


 突如として爆発した黒い炎。

 倉庫の中は阿鼻叫喚の地獄絵図となり、中に居た男たちはマンドロスも含め、骨も残さず消滅したことだろう。


 女はとっさにソーラスを抱えて逃げるのが精一杯だった。


「あれは――ッ、なんなのッ!?」


 その声は年若い女。

 息を吐いた時も、荒い息をしていたときも、いずれもしわがれた男の声だったのに、その半ば恐慌をきたした声は紛れもない女性のものだった。


『――真っ当な炎じゃねえ。この火竜革の外套衣がなかったら完全に終わってた。あの黒い炎はかなりヤベえ……!』


 再び顔の左半分を覆った仮面から男の声がする。女性を落ち着かせようとし、だがその内容はちっとも落ち着くことなどできないものだ。


「こ、この子、息してる――!?」


 地面に転がった赤猫族の少女は先程からピクリとも動かない。仮面の騎士は急ぎ首筋に手を当てる。


「よかった、生きてる」


 ホッと安堵したのもつかの間、ブワッと灼熱を孕んだ風が吹き付け、仮面の騎士は外套衣でソーラスと自身を守る。


「ああッ――、ま、町が……!!」


 港湾を瞬時に嘗め尽くした黒い炎は、紫色の火の粉を舞い上げながら、その勢力を拡大しつつあった。木造家屋ばかりの港町は、為す術もなく炎の浸食を受け入れつつあった。


「彼女を止めないと――!」


 立ち上がった途端、ガクッと膝が折れそうになる。「くっ」と若い女の声で喘ぐ。膝に手をつき、それでも顔を上げた。


『待ちな。ここは逃げるべきだろう』


 顔の左を覆う仮面が重苦しい声を上げた。


『この炎だ。マンドロスの旦那も死んだだろ。腹ん中に一物抱えているとは思っていたが、ろくでもない死に方だったな』


「義理は果たしたってこと……?」


 女の顔の方は表情を曇らせつつ、仮面の声と会話を続ける。


『本来ならとっくにな。だがこっから先は違うぜ。この港町の住民にはなんの義理も恩もねえ。そもそもおまえには目的があるんだろう。惚れた男を探すっていう――』


「べ、別に惚れてないから……!」


『おふッ』


 バシッと仮面をビンタする。

 男のくぐもった声がした。


「別に惚れてなんてない……生きてるか死んでるのかさえわからない。でも、もしかしたら生きてるかもって、そう思ってるから――信じてるから」


『わかんねえな。全然合理的じゃねえ。おまえは普段は聡明なのに、その男の話題になると愚か者になってかなわねえな』


「悪かったわね」


 外套衣に着いたススをバサッと払いつつ立ち上がる。むき出しの顔には気弱な渋面が浮かんでいた。


『だったら尚のこと、死ぬわけにはいかねえだろ。おめえさんの心に刺さった棘を抜いてくれるその男とやらに出会うまで死ぬわけにはいかない。だからこそ、マンドロスなんかの世話にもなってたんだろう』


「ええ、そうね……」


 不自然な死を遂げた領主。無政府状態で混乱を極めた女の故郷の宿場町。顔見知りの冒険者たちに聞いても『彼』は死んだと口を揃えて言うばかり。


 町にはどうしようもない倦怠感が漂っていた。

 元々が、老いも若きも男も女も、死んだように毎日を生きている閉鎖的な町だった。


 他種族を排斥する人類種神聖教会アークマインの教えが浸透しつつあったことも原因だろう。


 それは女が生まれたときから変わらない。だが彼が死んだと聞かされて、突然全ての日常が色あせたように見えてしまった。


 それは何故か――


『行ってきな。お前さんはまだ若い。この町に残って腐っていくくらいなら、外の世界を見に行くのもいい』


 そう言って町で唯一の料理人である叔父は、店の看板料理である卵料理を出してくれた。これすらも『彼』の影響を色濃く受けた一品だった。


 そうして女は旅に出た。

 女の一人旅は物騒極まりないので、男装して各地を回ることにした。


 そんな折り、質の悪い冒険者崩れの男に女であることがバレて、追われることになってしまった。


 その逃亡の最中に大怪我を負い、追い詰められ、不思議な仮面に出会い、そしてマンドロスに助けられた。


 すでにして余命幾ばくもないという彼の最後の望みを叶えるため、獣人種の少女を監視していたのだが――――


「確かに私じゃ無理ね。でもね、アズズ・ダキキ、あなたならやれるでしょう?」


 初めて仮面をつけたあの瞬間、瀕死だった身体に剣鬼としての術理が宿り、冒険者崩れの男たちをこともなげに一掃することができた。


 ひとりでは旅をすることすらできない弱い女。ひとりでは何にもできず、ただ風雨に晒されて朽ち果てるのみだった仮面そのものの男。


 ふたりが出会った時、お互いの利害が一致し、いつしか道中を共にするようになっていた。女は身を守る剣を、男は立ち歩きできる身体を手に入れた。


『――まあ呪いのせいで今はこんな姿に身をやつしているとはいえ、元は根源貴族の一角、鬼戒族きかいぞくの王だ。できねえとはいえねえな。だが、戦うのはお前の身体だ。無事にはすまねえぞ?』


「ええ、わかってる」


 左腰に下げた一刀。

 それは生まれ落ちた瞬間から鬼戒族に備わっているという角、それそのものを鍛え上げ、剣と成したものである。


 本来ならそれを操ることができるのは本人のみ。

 そして女は、仮面に封じられたアズズ本人越しとはいえ、間接的にその一本を操ることができる才能を偶然にも持ち合わせていた。


「ここで逃げるのが賢いってことも、私が愚かな選択をしているってことも、全部わかってる。でもマンドロスにひどい目に遭わされてあの子があんな風になってしまったのだとしたら、私達にも責任の一端があるとは言えないかしら?」


『うむ……確かに』


「それにね、今逃げ出したとして、もし万が一『彼』に再会することが出来たとしたら、きっと私の心は晴れない。後悔にずっと縛られることになる。だから――――」


 仮面――アズズ・ダキキは、宿主である女から闘志が湧き上がるのを感じた。


 彼女が対するのは天を焦がさんばかりの燎原の炎。


 ヒトの身でありながら、魔族種の王ですら警戒せざるを得ない異質な炎に挑むというのか。


『ふっ――面白え。面白えぞ。やっぱりお前はいい女だ。俺に身体が戻ったら妻として迎えたいくらいだぞパルメニよ――!』


 愉快に声を震わせながら、アズズは言った。

 だが女――パルメニ・ヒアスはそれをすげなく断るのだった。


「ごめんなさい、あなたの声ってすっごく私の叔父さんに似てるの。妻とか普通に無理だから」


『せっかく盛り上がってんだから萎えるこというなよ……』


 炎の勢いとは逆に、アズズの声は残念そうに消沈するのだった。



 *



 ――やっと出れた。


 ――長かった。


 ――私を縛るものはもう何もない。


 黒い炎が渦巻くその中心に、美しい裸身を晒した少女が立っていた。


 自分を閉じ込めていたヒトの建物は、飴を溶かしたように崩れ去り、行く手を遮るものがあれば、自身の下僕である黒炎が薙ぎ払ってくれる。


 アイティアは――――否、アイティアの姿形をした、まったくの別人は笑った。長い間ずっとずっと、外の世界に出ることを夢見ていて、それがついに叶ったからだ。


 自分の宿主として生まれ落ちた少女は、見目こそ麗しいものの、ただの愚物だった。


 主体性なく自己主張もなく、ただ周りに流されるがまま、ただ与えられるだけを享受し、自らで勝ち取るということをまったくしてこなかった。


 魔法にしてもそうだ。

 せっかく最高とも言える才能があるというのに、その事実から目を背け続け、安穏たる日々に浴し続けていた。


 少女が穏やかで平和であればあるほど、閉じ込められ、抑圧されていた自分は苛立ちを募らせていた。


 ある時、ひとつの変化が訪れた。

 少女は強い決意とともに魔法の修行を始めたのだ。自ら環境を変え、目標を設定し、そのために精進する。


 今しばらく見守ろう。

 少女が望むのなら、僅かな片鱗であっても力を貸してやろう。


 ――――そう思っていた矢先だった。


 少女は全てを自分に委ねてきた。

 生きることも死ぬことも放棄した。


 あまりにも辛すぎる現実から逃げ出し、殻の中に閉じこもることを選択したのだ。


 失望ここに極まれり。

 だが、それもまた一興。


 ようやく自由になる肉体が手に入ったのだ。

 もう二度と再び、アイティアになど返してやるものか――――!


「ふふ、はははッ――はーはっはっはッ!!」


 堪えきれない愉悦が哄笑となって発露する。

 息を吸うように炎の魔素を吸収し、息を吐くように黒炎を顕現させる。


 自分を中心として渦巻く炎の外側は今、炎の魔素が枯渇し、一時的な寒冷化現象が起きているはずだ。


 そして目指す先には、目を凝らさずとも数多のヒト種族が――生命の炎が見て取れる。そのひとつひとつのなんとか細く頼りないことか。より強い炎である自分が近づけば、ロウソクの火のように吹き消すことが可能だろう。


(いいだろう、目覚めの肩慣らしに、この国を灰燼かいじんに帰してやる――)


 そうして一歩を踏み出した瞬間だった。


「一刀破断ッッ」


 頭上より投げかけられし裂帛の怒声と共に炎が割れた。地面を抉り、炎を切り裂き、一筋の道が拓ける。


 無炎地帯となったそこに降り立ったのは、頭からスッポリと外套居を被った、奇妙な仮面をつけた女だった。


『よう、楽しそうだな。そんなに急いでどこに行くんだいお嬢ちゃん』


 露出した顔や体つきはどう見ても女なのに、その声だけはしわがれた男のそれだった。


 アイティアの姿をした別人は仮面の女に鼻白むと「ひゅッ」と息を吹きかけた。


『――おっと!?』


 紫の燐光を散らしながら一直線に伸びた黒炎は、何もない空間を焼き払ったのみだった。


『危ねえ危ねえ。火竜みたいに炎も吐き出せるのか――』


 いつの間にか仮面の女は視界の隅に移動していた。女が剣を振るった場所では黒炎が断たれ、そこを足場に移動したのだとわかった。


「ねえ、あなた! 話を聞いてちょうだい!」


 今度は年若い女の声がした。

『おいおい、この状況で――!』と抗議めいた男の声を押しのけて語りかけてくる。


「あなた、アイティアって言うのよね? 私はパルメニ――パルメニ・ヒアス。同じ女として、あなたがマンドロスにされたことには同情するわ。そして知らぬこととはいえ、その片棒を担ぐことになってしまったことにも深く謝罪する。だからどうか、怒りを沈めてちょうだい――!」


 構えていた剣を下げ、仮面の女は深々とこうべを垂れた。


 自分を目の前にして天晴な度胸だと思ったが、その言葉の中に看過できないものを見つけ、アイティアの別人はせせら笑った。


「何を勘違いしているのかヒト種族の女――パルメニとやらよ」


 ギョッとした様子で顔を上げた仮面の女――パルメニは、自分の顔を見て左足を引き、半身の構えを取った。未だ剣こそ構えてはいないものの、身体は戦闘態勢に入っていた。


「名乗られたからには名乗り返したいところだが、目覚めたばかりで名前がない。そうだな、私のことは『モリガン』とでも呼ぶがいい」


 名乗った途端『げっ』と男の声がした。


『縁起でもねえ名前だ。わざとか? 報われない女の代表みたいな名前だな』


「アンタは今黙ってて!」


 何か失礼なことを言われたが、パルメニが割って入ったので流してやろう。


「それじゃあモリガン、この炎はあなたが出したものなのよね? なら今直ぐ消してちょうだい。このままでは町全体に燃え広がってしまうわ。あそこには多くのヒト種族が生活しているのよ」


 自分の前に立ちふさがるほどの女が何を言い出すかと思えば、同族の心配か。モリガンは「ふっ」とつまらなそうに息を吐いた。


「断る。私は今繭から解き放たれたばかりで鬱憤が溜まっているのだ。目覚めの児戯として――差し当たり、この国を焼き払おうと思う」


 ビシっと、空気が悲鳴を上げた気がした。

 それを成したのは目の前のパルメニなのだとモリガンは気づいた。


「それは、どうしてかしら。是非教えて欲しいわね」


 頭から被った外套衣と、そしてだらりと下がった前髪で、パルメニの表情は読めない。だがふつふつと沸き起こる何かを耐えるように、根気強く質問を繰り返しているようだった。


「理由などない。強いて言えば憂さ晴らしだ。私の宿主は、貴様も見たとおり身も心も惰弱が過ぎた。長年それに付き合わされた私は、多大なる抑圧の元にあったのだ。故に解放された今は、思う存分暴れたい気分なのだ」


 そう言い放った瞬間、目の前からパルメニの姿が掻き消えた。


 地を滑るように急接近した彼女は、剣の柄尻をすくい上げるように突き出してくる。瞬間、モリガンは自身から爆発的に黒炎を吹き出させて迎撃する。


 衝撃波さえ伴った炎は全方位に撒き散らされ、パルメニが作り出していた無炎地帯も、陣地取りのように再びモリガンのものと成り果てる。だが――


「烈火断絶苑ッッ」


 再び頭上から気迫の剣が振り下ろされ、今度は広く大きく、モリガンの周辺の黒炎が切り取られ、そこに音もなくパルメニが着地する。


「よくわかったわモリガン」


『ああ、ようするに簡単だ、無差別に暴れたいと』


「ええ、それならそうね――」


 パルメニの声と男の声が交互に響き、そしてついにひとつに重なった。


『「私の(俺の)屍を越えていけ――」』


 モリガンも笑った。

 アイティアからは想像もつかない邪悪な笑みを浮かべて。


「是非もない」


 呟いた途端、黒炎が渦を巻き、辺り一帯を舐め尽くした。



 *



「はあああッッ――」


 弱者は強者を中心に這いずり回る。

 それは真理だ。


 強者には駆け引きが存在しない。

 絶対なる御業を持つものは、戦略などいらない。

 迫りくるものをただ受け止め、叩き伏せればいいからだ。


 それができるからこそ強者。

 それはこの黒炎が支配する場に置いてはモリガンであり、弱者は紛れもなくパルメニだった。


 無尽蔵とも言えるほどの黒炎は、モリガンを中心に、まるで暴風のように吹き出し、パルメニがせっせと剣を振るって切り取った陣地をあっさりと飲み込んでいく。


 剣を振るって無炎地帯を作り、そこを足場に攻勢を仕掛けようとするも、その出鼻をことごとく黒炎が阻んでくる。


 これはもはや戦いとは言えない。

 相手は災害そのものであり、ヒトの身でそれに抗うのは、嵐を消してやると息巻く幼子のようだと思った。


(それでも――)


 暴れたいと、鬱憤を晴らしたいと宣うモリガンに挑み続けることには意味がある。自分を遊び相手として戯れ続けてくれるのなら、果たして彼女は満足してくれるのではないか。


 だがそれはあまりにも危険な賭けであり、なによりモリガンは遊びなのに対して、パルメニには常に生命の危機が付きまとう。とても対等とは言い難い戦いとなっていた。


「ちょこまかと。ヒトの身で善戦してはいるが、それがどうした。貴様の剣は一時的に炎を押しのけているにすぎない。私の炎そのものを消し去るまでには至ってはいないぞ」


『わかってんだよ、んなことはよ――!』


 視界の隅を駆けるパルメニから男の声がした。

 仮面に宿りしその男こそ魔族種は根源貴族の一角、剣鬼や剣豪と呼ばれる鬼戒族の王、アズズ・ダキキである。


 今でこそこんな半仮面に身を窶しているが、本来であれば自身の角を鍛えた心魂一体の刀、三刀を同時に操り、如何な超常の炎とて、その根源ごと切り伏せるほどの実力の持ち主である。


 だが悲しいかな、今その二刀は失われ、そして自由になる身体さえ失い、パルメニが居なくては立ち歩きすらできない有様である。


 唯一残った大・中・小の内、中の刀だけを辛うじて扱える稀有な適性を見せたパルメニに対し、道中の安全と露払いを条件に、宿主になってもらい今へと至る。


 こと荒事に関してはアズズの領分であり、戦闘中パルメニが関与することはなかった。だが今初めて、アズズとパルメニの心はひとつとなり、これまでにない高い実力が発揮されていた。


(それでも――足りねえ)


 炎の化身となったモリガン自身を打倒するにはまるで力が足りない。相手と同じ土俵で戦い続ける限り、パルメニとアズズには万に一つの勝ち目もないのだ。


 モリガンを引っ掻き回すように、周囲の炎を払いながら移動し続け、一瞬の隙を突いて仕掛けようと試みるが、まずこの炎が支配する空間にいること事態が絶望的すぎる。


 ヒトが生きていくためには新鮮な空気の存在は欠かせない。魔族種であったアズズならば関係がないことだが、パルメニはそうはいかない。


 すでにして苦しそうに肩で息をし、顔色は青白く、唇は紫に変色してきている。熱波を孕んだ空気を吸うだけでも肺腑が悲鳴を上げているはずだ。


 このままでは宿主が死んでしまう。

 アズズも自由になる身体が無くなってしまうことよりも、パルメニが失われてしまうことのほうがずっと辛いと感じていた。


「アズズッ!」


 戦闘の最中、思考の波に埋没していたアズズが引き戻される。


 もう幾度目か、切り取った自陣に着地し、パルメニがモリガンを見据える。モリガンはゆったりとした所作でこちらを振り返り、実に退屈そうにため息を零していた。


「私のことは気遣わなくていい。今はそんなことをしている場合じゃないでしょ――!」


 見抜かれていた。

 いつでもその戦いの動きには、パルメニを無傷で済ませようとする余裕が存在していた。


 冒険者崩れ如きなら通用していたが、モリガン相手にそうはいかない。捨て身の覚悟が――生命を賭けるほどの覚悟が必要なのだ。


『わかっているのかパルメニよ。死地に踏み込む覚悟と、俺の技を放つ覚悟。そのいずれかであってもお前の生命を削ることになる。ふたつが合わさればお前の身体は――』


「どちらにしろ、このままでは殺されるだけよ。ならば九死に一生を拾う方に賭ける。あなたの剣の腕前は――信じてるから」


 その言葉を受けて、アズズは自身を恥じた。

 覚悟がなかったのはパルメニではない。

 自分の方こそ宿主を信じる心が足りなかったのだと思い知る。


『は――ヒト種族ごときがよく吼えた。腕の一本や二本は覚悟しろよ』


「上等――ッ!」


 パルメニの身体を完全に掌握したアズズは、右手の剣を頭上に掲げ、円を描いた。


 ゴウッ、と自身を中心にして炎が払われる。周囲から僅か、炎を排したパルメニは、腰だめに刀を納刀し、半身の構えを取った。


「ようやく捨て身でくる気になったか」


 モリガンが呟く。

 これまでの生きて帰ることを前提とした動きには迷いが見て取れた。


 だが、今のパルメニからはそれらの甘さが一切消えている。


 恐らく次の一撃は、自身の全生命と引き換えに放つつもりだろう。


「よい、よいぞ。長年の倦怠から解放された途端、貴様のような猛者に出会えたのは重畳だ。慰みついでにそのか細い生命、摘み取ってやろう」


 黒より黒く、一片の光すらない深淵の炎。

 それがモリガンの眼前に顕現する。


 途端、周囲の黒炎が贄に捧げられるよう、深淵の炎へと吸い込まれていく。


 密度を増していく闇その物を前にしても、パルメニに恐れはなかった。


 ただ今だけは、一振りの刀となりて全てを捧げる。例え死ぬことになったとしても、己を曲げることなく、誇れる自分のままでいたい。


 それに、もしかしたら……。

 顔なじみの冒険者たちが言っていたように、もしもうこの世に『彼』がいないのだとしたら、これでようやく胸を張って会いに行ける気がするから。


 そのためにも、今はこの怪物を、必ず打倒してみせる――――


「黄昏よ」


 モリガンが闇そのものを掲げる。


『鬼戒族秘奥が一つ――滅鬼・断塹剣。往くぜ』


 パルメニの身体が弾ける。

 神速の踏み込みから抜き放たれた切り上げは激甚なる勢いで空を切り――瞬間、大上段に掲げられた一刀が両手で握り込まれ、全身を引き絞る勢いで振り下ろされた。


 まるで光の線のような一撃と深淵の闇がぶつかる――まさにその直前だった。


「なにッ!?」


『だ、誰だてめえ――!?』


 モリガンとアズズが驚愕の声を上げる。

 生命を削り合う二人の間に男が――見知らぬ第三者が割って入っていた。


 漆黒と白銀の全身装甲。

 半首はっぷり面頬めんほうに包まれた鬼面。

 獅子のたてがみを模したような髪。


 異質な炎を放つモリガンよりもさらに異様な風体の男は、アズズが放った渾身の一撃を、なんと鋼に包まれた左腕一本で受け止め、モリガンが放った闇の炎は、右の手のひらだけで堰き止めていた。


 己の御業を事も無げに防がれ、モリガンもそしてパルメニもその場から弾かれたように距離を置く。


 何故なら、鬼面の男からは不思議な音が――まるで空間そのものを打ち鳴らすような巨大な音が断続的に聞こえていたから。


 それが心の臓が早鐘を打つ音だと気づいた途端、男から爆発的な魔力の奔流が立ち上った。


 それはあまりに膨大で濃密な、本来無色透明なはずの魔力が金色の輝きを放って見えるほどの魔力の量だった。


「双方引け。この戦い、龍神族の王、タケル・エンペドクレスが預かる!」


 それは、魔族種の中でも最強を冠する王のみが許される、絶対者の名前だった。


 続く。

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