第303話 東国のドルゴリオタイト篇㊳ 究極のデモンストレーション〜流星となりて君の元へ

 * * *



 こんなことは前代未聞である。

 華々しかった晩餐会は今や騒然としていた。


 急遽、レイリィ王女が献上した品を危険視した財務大官の希望により、その能力が謳い文句どおりのものなのか検証が行われることとなったのだ。


 屋内では危険として、急遽広い中庭に場所を移すことになり、そのための準備が進められている。


 賓客達は、これもまたおもしろい見世物だとして、全員が参加を希望している。見目麗しい美女たちが纏いし至高の芸術品。それはお飾りなどではなく、内部に封じた魔法により、あらゆる厄災から装着者を守る実用性も兼ねているという。


 そんな品は、エストランテはおろか、世界中のどこを探しても聞いたことも見たこともない。もし本当にその効果が本物だとすれば、これは大変な事件である。


 商人は交易にでかけた際、野盗に襲われた時の保険にもなるし、軍事関係者であれば、生命の危険がある任務の際には必須になるだろう。それどころか、自分の愛するものへ贈ることが叶えば、これほど満足できる宝はないのではないだろうか。


 集まった数百人からの賓客の護衛に、近衛兵だけでは手が足りず、城の警備兵も動員して警護にあたるようだ。さらに、エストランテが抱える魔法師部隊『デュカリオン』も導入されるようだ。


 いずれも手練の1級魔法師ばかりを集めた王宮の懐刀と呼ばれている精鋭魔法師部隊。彼らには賓客達を守る『壁役』であると同時に、もしもあの鎧の男たちが不心得者だった場合は、即座に処刑を下す手はずになっている。


「まさかこんなことになるとは……」


 ポツリと呟いたのはイレーネ・アンゲリーナ・ドゴイだった。


「ホンにね。これがレイリィ王女のしたかったことなんかなあ……」


 目を細め、煌々と輝く天井の鬼火を見つめるのはプリシリア。


 思えば王女は街で行方不明になってから様子がおかしかった。

 図らずもエストランテ随一の旅籠『祝福の尖塔亭』に滞在していたイレーネとプリシリアも、王都の騎士やメイドたちに動揺が走ったのを見逃さなかった。


 何やら献上品について問題があったと聞いたので心配していたのだが、まさかそれがこのような事態にまで発展してしまうとは。


「あの装飾品、レイリィ王女の言葉が事実ならば、とんでもない魔法具ということになるが果たして――」


「それを今から実演で証明するって。大丈夫かなあ……?」


 白亜の間の上座にて、彼女たちが有する自国の兵たちに囲まれながら、会場を眺めるイレーネとプリシリア。人々はわいわいガヤガヤとレイリィ王女の献上品の噂で持ちきりだ。


 見目麗しい美女三人も去ることながら、彼女たちが身に付けていた装飾品も実に見事であると。もしその効果が眉唾だったとしても、あの装飾品自体に十分芸術的な価値がある。


 それを用意したウーゴ商会とは? あの鎧の男は一体? 人々は恰好の酒の肴を手に入れ、話に花を咲かせていた。


 イレーネとプリシリアはクイニャム――ヤギ乳の果汁絞りが入った器を片手に、会話を続ける。


「万が一、あの鎧の男がトチ狂って殿下や我々を攻撃してこようものなら、世界中を敵に回すことになる。それくらいはわかるだろうさ」


 ヒト種族の大国三つと、エストランテに集まった世界中の賓客。中には獣人種列強氏族やその係累なども含まれている。彼らが晩餐会後帰宅すれば、悪評は全世界に広がってしまうのだ。


「まあ、その心配はないように見えるけど……でもなあ、あの鎧のヒト多分相当強いえ」


「ほう。なかなか……プリシリア内親王殿下にもそう見るか」


 軍事国家であるドゴイの姫イレーネはこの手の話が大好きだ。どこどこの国の誰々が強い、などという噂話の蒐集は彼女の趣味だった。


「私もな、あの者はかなりの実力者だと見ている。もしかしたら宮廷魔法師にも引けをとらない――とまで見ている」


 ヒト種族国家の中で最高の魔法師たちを擁するのは、ハーン14世が統治する王都であるのは常識だ。


 1級魔法師ひとりは通常の兵士十人分以上の戦力であり、宮廷魔法師ともなれば、1級魔法師が束になっても勝てないと言われるほどだ。


 まさに一人で百人力の戦力を有するとして、宮廷魔法師の称号は人類種最強と言っても過言ではないのだ。


 だが、プリシリアは「うーん」と彼の者を思い出すかのように天井を眺めながら自分の直感を披露する。


「多分な、そんなもんやないと思うんよ」


「なに、どういう意味だ?」


 プリシリアはクイニャムが入った器をスッと突き出す。イレーネの視線はそれに吸い寄せられ――カタカタカタ、と器の水面が震えているのに気づいた。


「プリシリア内親王殿下……、手が?」


 いや、手だけではない、全身が震えて?


「ウチはな、こうみえて巫女でもあるんよ。ヒトならざるものは自然とわかる。そんでさっきな、あの鎧のヒト、ちょっと怒ったやん。あん時ウチすっごい怖かった。あの天井全部がおっきな口になって、丸ごと食べられてしまうんやないかと思うくらい……」


「そんなバカな」


 だがイレーネもまた、その最中に身をおいていたはずではなかったか。

 息が苦しくなり、全身が強張り、その瞬間イレーネは床に這いつくばり死に体となっていたのだ。なのにもかかわらず、見て見ぬふりをして深く考えないようにしていた。


 戦を司り、あるいは軍姫と讃えられる自分にとっては毎日が常在戦場。一瞬たりとも気が抜けない日常にあって、あのように意識を硬直させることは、死んだも同然の愚行であると言えるのだ。


「お集まりの皆々様、ご用意が整いましたことをお知らせします。観覧をご希望の方は、どうか慌てずゆっくりと、中庭まで足をお運びください」


 エストランテの兵士がひとり、朗々たる声を上げた。

 いよいよか。続々と人々は下座に隣接した扉から中庭へと移動していく。

 イレーネは自国の兵士に檄を飛ばした。


「我らも行くぞ。何があっても即座に対応できるよう、気合を入れろ!」


「――はッ!」


 颯爽と向かうイレーネを追って、プリシリアも「ウチらも行こか。ああ、こわやこわや……」と呟くのだった。



 *



 エストランテ王宮の中庭は、それはそれは立派なものだった。

 龍王城にあるものよりはもちろん、遠い記憶ではリゾーマタ・バガンダと老騎士を殺害したあの中庭よりもずっと広くて大きい。


 白亜の間から移動してきた賓客達は、入り口からズラッと並んでいき、王宮の建物を背にする。その前には壁役となる魔法師が等間隔で配置され、足りない部分は兵士たちが肉の壁として体を張るようだ。


 夜なのにもかかわらず周辺は明るい。

 四角く切り取られた中庭の各所には鬼火の魔法が用意されている。

 そして各所に点在する闇の中には、息を潜める弓兵の姿が見て取れた。

 賓客達はもちろん気付いてないようだが、僕の目には丸見えだった。


「では、始めてもらおうか」


 そう声をかけてきたのは財務大官のギゼル。

 話には聞いていたが、実際に会ってみると、目の前で火花が散るほどの怒りが溢れてくる。


 だがそれは僕だけではないようだ。

 エアリスはもちろん、セーレスでさえも据わった目をしている。

 傍目にはなんでもないように見えて、内心は怒りの炎を宿しているようだ。


 唯一前オクタヴィアだけ、まったく見た目が変わらないが「アイツ嫌い、です」とギゼルのことを吐き捨てていた。わかるわかる。


「もし万が一、こちらへの攻撃の意図ありと判断した場合、魔法師達による一斉攻撃が始まることを覚悟しておくがいい。エストランテ最強の魔法師部隊ディカリオンが四大魔素の精霊に誓って貴様達を処刑する」


 ギゼルは今、兵士たちの肉の壁に囲まれた状態で、中庭のほぼ中央に位置する僕らに対してそう告げる。


 彼の傍らには執事たちによって運ばせた玉座が設えられ、ちょこんとベアトリス殿下が座っている。先程までは堂々たる態度だったのに、今はギゼルに怯えて縮こまっているように見える。彼の傍らには常に乳母の女性が控えており、殿下の精神的支柱を彼女が担っていることがわかった。


「四大魔素の精霊って、セレスティアとアウラなのにね」


 ニコッと口元を釣り上げながら、その実全く目が笑っていないセーレスが囁く。

 レイリィ王女が宣伝してくれたように、深緑と藍色のドルゴリオタイトにはそれぞれ風と水の精霊の祝福が授けられている。だがそれを与えた精霊魔法師本人が、まさかモデルとしてここにいるなどとは思ってもいないようだ。


「さて、始めてしまおうかタケルよ。あの王女がくれた機会を無駄にするわけにはいかぬからな」


 エアリスもまた、レイリィ王女には一方ならぬ恩義を感じているようだ。でも彼女の行動原理の根幹に僕への恋心があることは話していない。いずれ伝えるつもりではあるのだが……。


 チラリと、僕はレイリィ王女の方を見やる。

 彼女は今、ベアトリス殿下の玉座の傍らで、自国の兵士に守られながら僕の方を心配そうに見ていた。


 そうか、と思い至る。

 いくら協力を申し出てくれたとはいえ、彼女はまだドルゴリオタイトに封じられた魔法が効果を発揮するのを見たことはないのだ。


 僕から伝え聞いたカタログスペックだけを信じて、あれほど懇切丁寧な説明をしてくれた。彼女に後悔させないためにも頑張らなければ。


 ちなみに。レイリィ王女のすぐ近く、兵士が持った短槍を身体の前でクロスさせられながら、しょげた顔をしているのはウーゴである。


 デモンストレーションに参加されても邪魔なだけだから、レイリィ王女の近くにいろと言いつけてある。だが、傍から見れば、彼が僕らの主人ということになっているので、親玉として完璧にマークされている。殺気じみた視線を向ける兵士に囲まれ生きた心地がしていないことだろう。


「どうした、なにをもたもたしている。真贋を確かめさせるとかほざいていたな。怖気づいたのなら素直に申告せよ。その際にはそれ相応の罰を与えねばならぬがな。貴様達の献上品を没収精査した上で、そこな女たちも入念に取調べをしなければならぬだろう」


 ああん?

 ギゼルはむしろ今すぐにでもそうしてやりたいとばかりな口調だった。

 そしてセーレスたちを好色そうな目で眺め回している。


 なにこれ……初めて抱く類の憎悪なんですけど……!?

 気がつけば僕はギゼルに向かって口を開いていた。


『財務大官殿。あまり口うるさく吠えてくれるな。魔法の制御はとても繊細だ。万が一手元が狂い、最初の一撃があなたの頭を吹き飛ばすことになるやもしれんぞ』


「なッ――!?」


 ざわついていた賓客たちがしんとする。

 ギゼルは目に見えて真っ赤になっていき、ブルブルと肩を震わせていた。


「き、貴様、何たる無礼! もうやめだ、このような茶番最初からする意味は――」


「黙るのは貴様の方だギゼル」


 彼の背後から声をかけたのはベアトリス殿下だった。


「あれは余への献上品であるぞ。その真贋を確かめるのは貴様ではなく余よ。あとそこに立たれるとよく見えん。もそっと脇に退けよ」


 ぷっ、と誰かが吹いた。

 クスクスとした笑い声が漏れ、ギゼルは己の立場も忘れて賓客たちの方を睨みつけた。


「うちの財務大官が失礼した。うん? そういえば貴様はなんと呼べばよいか?」


『ナスカと、お呼びください』


 賓客たちのとある一角から小さなざわめきが聞こえた。獣人種の集団だ。ナスカの名前に反応したようだが、このような鎧姿では僕の顔はわかるまい。頼むから黙っててくれよ。


「そうか。ではナスカとやら、レイリィ王女に恥をかかせぬよう励むがよいぞ」


『おまかせを』


 僕は一礼すると、セーレス、エアリス、前オクタヴィアに向き直る。

 真っ先に意欲を見せてきたのはセーレスだ。やる気を漲らせて前に出る。

 だが――


『エアリス、頼めるか』


「無論だ」


 背後からセーレスの肩に手を置き、振り返った彼女にエアリスはひとつ頷く。

 シュンとした顔でセーレスは引き下がった。


 エアリスは僕に背を向けると、距離を取るため歩いて行く。

 おお……、しゃなりしゃなりとモデル歩きをしているためお尻が揺れる揺れる。

 集まった賓客――特に男性連中から、ため息と熱視線が注がれた。


『あた』


 セーレスにスネを蹴られた。ごめんよう。


『いくぞ』


「いつでもよい」


 エアリスは僕に正対すると、両手を広げるように――まるで己の肉感的な身体を誇示するように自身をさらけ出した。


『ビート・サイクルレベル――10』


 呟くと同時、僕の内面世界が爆発する。

 虚空心臓の拍動が速まり、膨大な魔力が精製される。

 距離を置いてるのが幸いした。


 居並んだ賓客達は目を剥いて慄き、中にはあまりの圧力にひっくり返っているものもいる。兵士たちは己が持つ短槍を杖代わりになんとか立っている様子だった。


 逆に、まったく役に立たなくなってしまったのは魔法師部隊ディカリオンとやらである。なまじっか魔法の心得があるために、自身と僕との絶望的な魔力量の差を悟ってしまったようだ。人々を守る『壁役』であることも忘れ、完全に腰砕けになってしまっている。まだまだ、こんなもんじゃないんだけどね。


『炎の魔素よ』


 先程、黄龍石に魔法を籠めてドルゴリオタイトとしたように、ことさら丁寧に魔法を紡ぐ。


 僕の目の前には直径数メートルのファイアーボールが現れ、賓客から悲鳴が上がる。だがこれで終わりではない。さらにその巨大な火球を手のひらサイズに圧縮する。密度が上がったファイアーボールは、さらに温度を上げ、野球ボールくらいの大きさなのにもかかわらず、中庭全体を炙るほどの熱量を放ち始めた。


「オクタヴィア、私の後ろに」


「熱い、熱いです……!」


 セーレスが水のシールドを展開している。

 うん、これがあるからキミを残したんだよ。


『本気で行くぞ』


 改めて、僕は口にする。

 何故なら、それが必要なことだからだ。


 ドルゴリオタイトに刻まれたリシーカさんの呪印は『憎の意志』に反応する。

 それは殺気や殺意とも呼ばれる、魔法師以外でも誰かを加虐する際には必ず発揮される意志力だ。


 誰かが誰かを害する意志を持ちえるとき、呪印が反応し、ドルゴリオタイト内部に封じられた四大魔素それぞれの魔法が守りの加護となって発現する。


 したがって僕はエアリスを本気で――殺す気で攻撃しなければならない。

 これはなかなかキツイものがある。自分の身内を――ずっと僕を支えてくれた女の子をどうして憎むことができようか。


 僕が生み出した火球は中庭全体を炙る程の熱量と光を発している。

 その火球越しにエアリスを見やれば――まるでそんな僕の内心などお見通しだといわんばかりに苦笑していた。


 そして彼女は静かに目をつぶり、自らの喉元を差し出すように顎を反らした。

 そこに輝くのは、彼女自身の風の魔法を籠めたエメラルドグリーンのドルゴリオタイト。


 地球と異世界の職人たちが手を結んだ究極の逸品。

 そうだ。今僕は、自分がしなければならないことを、自分の心を殺してでもやりとげなければならないのだ――


『――フッ!』


 僕は鎧越しに火球を掴み上げると、そのまま、バックホームの遠投のように、全身を投げ出す勢いで腕を振り下ろした。


 ――ゴオオオオっと、時速にして300キロはくだらない火球は空気を切り裂き、唸りを上げながらエアリスへと直撃する。


 ――その途端、深緑の光が溢れた。


 目を焼くほどの劇的な光量が溢れ、次の瞬間には身体が押されるほどの風が吹き荒れる。僕が紡いだ火球はその風にかき回され、一枚一枚皮を剥いでいくように炎の魔素が解かれ、そして最後には跡形も残さず消えてしまった。


 中庭には、熱気を孕んだ熱い風だけが吹き抜け、それもやがて収まっていく。


 ――やった、成功した――――


 僕の思考は賓客達の悲鳴にかき消された。

 悲鳴――のように聞こえるほどの大歓声だった。


 世界中から集った王族、貴族、軍事関係者、そして商人たちが惜しみない賞賛をくれる。万雷の拍手が中庭に鳴り響き、喝采が雨のように降り注ぐ。


 だが僕は脇目も振らず、急ぎエアリスの元へと駆けつけた。


『エアリス、無事か!?』


 彼女は目をつぶり、上向いたままだった顔をそっと下ろす。そして――


「当たり前だ。貴様が創った品は完璧だ。こうなることはわかっていたではないか。だからそんな情けない顔をするな。馬鹿者め」


 フッと、エアリスが笑う。それはとても慈愛に満ちた優しい笑みだった。

 ヤバイ。そんな風に笑いかけられたら、元ニートはコロッといっちゃいますよ。

 いや実はもうとっくに――――


「認めん、認めんぞ! 見え透いた芝居をしおって!」


 拍手喝采をかき消すように叫んだのは誰であろうギゼルだった。

 今のどこをどう見たら芝居に見えるって言うんだコイツは?


 だが今までと違ったのは、賓客たちからも「何を言っているんだ?」「レイリィ王女の献上品に無礼な……!」「あの男は何なのだ?」と言ったギゼルに対する不満の声が囁かれたことだろう。オーディエンスは完全に僕らの味方になったようだ。


「ギゼルよ、貴様の目は節穴か。今のは余の目にも、あの者が放った恐ろしい威力のファイアーボールを、深緑の風が吹き散らしたように見えたぞ」


 ベアトリス殿下は確かな見識を持っているようだ。そして自分の目で見たものを正しく判断している。殿下が改めて口にしたことで、賓客達の中でまちまちだった意識が統一される。即ち、炎の魔法を、風の魔法で相殺した。ドルゴリオタイトが装着者を守り抜いたと。


「恐れながら殿下、私にはあの宝飾品が守ったようには見えませんでした。あの褐色の女もまた魔法師である可能性があります」


「なんだと?」


 ほう、そう来たか。


「魔法を魔法で相殺するのは『壁役』といい、魔法師初頭教育で誰もが教わることであります。それであれば、あの石の中に封じられているという魔法の加護により守られたとは限らないでしょう」


 なるほど。ムカつく奴だし腹の立つ男だが、頭は回るようだ。

 これも聞いていたとおりで始末に負えない。

 さて、どうしたものかな。


「ナスカよ、今のそなたの炎の魔法もそうであるし、そこな奥方の風の魔法も見事であった」


 殿下が玉座から立ち上がり、両手もろてを上げるように認めてくれる。

 僕はそれに対して返答する。


『お褒めに預かり光栄です。魔法は私の数少ない特技であります。しかしながら、彼女はまだ私の配偶者ではありません』


 危ない危ない。殿下が爆弾放ってきた。うっかり頷いちゃうところだったよ。


「まだ、か。だがそれに類する程の大切な女性であろう。そなた達のやりとりを見ていてそう思ったのだ。あれほどの信頼関係、夫婦でもなければ成り立たないだろうとな」


 本当によく見てるなこの子は。

 魔法を放つ際の僕の躊躇い、そしてエアリスの覚悟。

 それをキチンと看破している。八歳でこれか。すごいな。


「しかし、うちの財務大官の言うことも一考に値すると思う。どうだ、そこな女性は魔法師であるか?」


『はい、確かに魔法師です』


 ギゼルが亀裂のような笑みを浮かべる。途端顔面を口にして攻撃してくる。


「それみたことか! 先程の魔法はその女が自ら発したものなのだ! であれば、その宝飾品の効果がなくとも、守りの加護が発現したかのように見せかけることができる! 茶番だ、猿芝居だ! よくも騙してくれたなあ!」


 ざわざわと賓客にも動揺が広がっていく。ギゼルはどうあがいてもドルゴリオタイトを認めるつもりはないのだろう。だが、それを諌めたのもまたベアトリス殿下だった。


「ギゼルよ、少し黙るがいい」


「ですが殿下! このような不埒なものたちに晩餐会の席を汚されて、王宮への信頼が――」


「余は黙れといったぞ」


「――ッ、くッ、かしこまりました」


 コイツはなんて目で殿下を見るんだ。

 ギゼルのとても家臣とは思えない態度に対する不信感が急速に広まっていく。

 僕はもちろん、それは賓客たちも同じのようだった。


「すまぬなナスカよ。我ら魔法の素人ではそれがドルゴリオタイトから発せられたものなのか、彼女自身から発せられたものなのか判断がつかぬのだ。そこのおまえよ」


 言いながら殿下は、手近な魔法師のローブを被った者、ディカリオン部隊の一人に声をかける。男は殿下に向き合うと、即座に跪き忠礼をする。


「そなたの目にはあれはどう映った。正直に申してみよ」


「――はッ、恐れながら申し上げれば、あれほど高位の魔法の応酬になれば、その出処の判断は難しく」


「というわけだ。エストランテ自慢の魔法師でも真偽が難しい。それでどうだろうか、誰ぞ魔法師の心得が無いものにその宝飾品を持たせ、再度確かめてみては?」


 その申し出は殿下の最大の譲歩だと思った。

 彼自身もこのままギゼルに押し切られるのは癪なのだろう。

 であれば、ウチで白羽の矢が立つのはひとりしかいない。


『ウーゴ、頼めるか』


「はひッ!?」


 僕がそう口にした途端、ウーゴは飛び上がった。

 そして可哀想なくらい震え始める。


 ああ、そうか。

 僕の魔法を初めて見たからか。


 例えドルゴリオタイトの効果を知っていても、それを自身に向けて放たれる恐怖は想像を絶する。エアリスやセーレスが特別なのであって、彼の反応は至極真っ当なものだった。


 ちなみに、前オクタヴィアは駄目だ。魔族種の根源貴族であり、生来強い魔力を持っていること自体を責められる可能性もある。ならば消去法では魔法の心がまったくないウーゴしかいないのだが……。


「だ、だだだだ、大丈夫です。これはあくまでお仕事の一環なのですから。こんなところで隙を見せるわけには……」


 可哀想に、歯の根が合っていない。

 これは無理強いはできないか。

 そう思っていた時だった。


「私がやりましょう」


 そう言って歩み出てきたのは――なんとレイリィ王女だった。

 賓客たちが動揺する。僕も目をむく。彼女の護衛の兵士たちは顎が外れるほど大口を開けている。


「レイリィ王女、それは――」


 ベアトリス殿下が止めようとする。だが――


「大丈夫です。万が一のことがあっても、エストランテに対して不利益になるようなことは致しません。ここにいる全員に向けて宣言します」


 そこまで言われてしまってはもう誰も何も言えない。

 彼女が連れてきてきた兵士たち、お付きのメイドたちは、そもそも立場的に彼女を止めることはできない。


 でも、そんな彼女の前に立ちふさがったものたちがいた。

 ふたりの姫君たちだった。


「ならん! レイリィ王女、考え直すのだ!」


「それだけは、ホンに絶対あかんえ!」


 ドゴイとグリマルディの姫君たち。

 確かイレーネとプリシリアだったか。

 ふたりは必死な形相になって王女を説得する。


「先程の魔法を見ただろう。あれはただごとではない。万が一失敗すれば、跡形もなく消し飛ぶぞ!」


「イレーネ様の言うとおりえ。宮廷魔法師並の魔法やったやん。なにもレイリィ王女が自分から名乗りあげることなんてないんよ!」


 レイリィ王女は必死に食い下がるふたりの姫たちに微笑んだ。

 そしてまるで女友達にするみたいに手を広げ、ふたりを抱きしめた。


「おふたりの心遣いとても嬉しいです。まるで親友にたしなめられているようで、私泣いてしまいそうです」


「レイリィ王女……」


「王女はん……」


 レイリィ王女はふたりを解放すると、瞳に揺らがぬ強い決意を籠めて、まるでこのやり取り自体もくだらない茶番と唾棄している様子のギゼルを見やる。


「もともとこれは私の献上品に対しての嫌疑なのです。ならばこのオットー・レイリィ・バウムガルデン自身が出張らなくてはなりません。私はごくごく小規模の風魔法が使えるだけです。とてもあの威力の魔法を防ぐことはかないません。よろしいですね?」


 ギゼルはピクピクと顔を歪めて、フイっとあさっての方を向いた。不敬極まりないが、それは肯定したのと同義だった。


「というわけでタケル様――よろしくお願いします」


『レイリィ王女……あなたは、どうしてそこまで……』


 バカなことを聞いていると思った。

 彼女の覚悟を侮辱することだとも思った。

 でも僕は問わずにはいられなかった。


「信じておりますので、どうぞご存分に。あの無礼極まりない男が何も言えなくなるよう、思い切りやってくださいませ――――流星の君」


 そう言って彼女はパチっとウインクをしてみせた。

 怖いだろうに、内心は震えているだろうに。

 そんなことはお首にも出さず、彼女はただ信じると口にした。


『ヤバイね。こりゃあとても返しきれない』


 この信頼と覚悟に見合う対価ってなんだろう。

 正直ちょっと思いつかない。

 だがいい加減、僕も腹をくくるときがきたようだ。


「これ使って、お姫様」


 すすっとレイリィ王女に近づいたのはセーレスだった。

 自分の首から藍色のティアドロップ型のペンダントを外すと、レイリィ王女の白縹色の髪の両側に手を入れて、首の後ろで留めてやる。


「お姫様だなんて恥ずかしいです。あなたの方がよほど綺麗ではなくて?」


「ううん、そんなことない。今、あなたは輝いてるもん」


 そう言ってセーレスはニコッと満面の笑みを浮かべた。

 釣られてレイリィ王女も笑った。


「ああ、なんてステキな首飾り……」


 自分の胸元を彩るソレストペンダントに、レイリィだけではない、イレーネやプリシリアもまた目を奪われる。


 そしてレイリィ王女は不安そうなイレーネとプリシリアに頷き、セーレスに目を向ける。「あなたに水の精霊の加護がありますように」と、紛うことなき精霊魔法使いの祝福を受けて、レイリィ王女は中庭の中央へと進み出た。


『レイリィ王女、心の準備はよろしいですか』


「もちろん、いつでもどうぞ」


 僕らのやりとりを、賓客たちが固唾を飲んで見つめている。

 下手をすれば大惨事が待っている、そう思っているのだろう。

 だが絶対にそんなことにはならない。

 故に思い切りやる。

 あのギゼルがぐうの音も出なくなるほど、目にものを見せてやる。


『ビート・サイクルレベル――――30!』


 ガオンッッ――――、と空間が震えた。

 僕の内面世界で猛り狂う神龍の心臓が、先を凌駕するほどの魔力を生み出す。

 中庭に点在するティカリオンの魔法師は泡を吹いて倒れている。

 賓客たちも、胸元を押さえて座り込み始めた。


 僕は――四大魔素全てに語りかける。

 魔力を全身に行き渡らせる水の魔素。

 全身をより堅牢に保つ土の魔素。

 厳密なる姿勢制御をする風の魔素。

 そして莫大なる推進力を生み出す炎の魔素。


 全ての魔法を同時に発現させると、僕の周囲に風が吹き荒れる。

 やがてその足元からは、中庭の芝生を一瞬で炭化させるほどの炎が吹き出し、「ボッ」という音と僅かな残像を残し、僕は遥かな大空たいくうへと飛び上がっていた。


「バカなッッ――!?」


 誰のものか、飛び上がる直前そんな声が聞こえた。

 一瞬でエストランテの首都ヘスペリストを一望できるほどの高度まで到達すると、僕はさらに全身に炎を纏いながら、大きく大きく夜空を旋回する。


 地上から見上げれば、まさに僕の姿は流星のように見えるはずだ。

 レイリィ王女のリクエストどおり『流星の君』となって彼女の元へと――


『おおおおおおおおおッッッ――――!!』


 全身から炎を吹き上げ、音速に迫るスピードから反転。

 僕は右の拳を突き出しながら真っ赤に燃える隕石となってレイリィ王女目掛けて突撃を敢行した。


 続く。

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