第301話 東国のドルゴリオタイト篇㊱ その美は神聖にして不可侵〜炎、水、風、土のドルゴリオタイト

 * * *



「――もういやァ! 堪忍してください!」


 晩餐会が行わている白亜の間からほど近い控えの間。

 そこから衣服を乱した年若いメイドが飛び出していく。

 脇目も振らず、華やかな晩餐会場とは正反対の方角へと走っていく。


 ギィっと、半開きになったままだった扉を押し開け、一人の男が現れる。

 ギゼル・ティアマンテ。現在のエストランテ王宮の財務大官であり、王ヘスペリスが病に倒れ、第一王子ゼイビスアスも商取引先で行方不明とあって、実質王宮を支配している実力者である。


「ふんッ」とギゼルは、欲求不満を隠そうともせず鼻を鳴らした。緩めかけた腰巻きを結び直し、解けてしまったたすきを肩にかけ直す。


 晩餐会の世話役にもなれない暇そうな下女をこれ幸いにと手篭めにしようとしたのだが、一瞬の隙を突かれ逃げられてしまったのだ。


「まったく、この俺がせっかく相手をしてやろうというのに……!」


 ブツブツと文句を言いながらギゼルは、身支度を整える。


「さて、そろそろか」


 宴もたけなわ、といったところか。

 だが真の主役は自分だ――

 ギゼルはそのような自負を不敵な笑みに変える。


 今頃はヒト種族の姫君たちによる、取るに足らない献上品のお披露目が行われていることだろう。


 いずれも剣や弓、あるいは軍馬といった武具武装が関の山のはずである。それがどうしたというのか。ギゼルが用意している品は攻撃魔法を封じた黄龍石である。


 いつでも誰でも、懐の中に忍ばせておくことができ、詠唱の必要も、魔力も魔素も必要なく発動させることができる。さらに同じような魔法を込めて、大量に溜めておくことができ、持ち運びだってできる。


 これが売り出されれば世界が一変する。

 盗賊や野盗に怯えていた民間から、魔法師という一部の特殊技能者に依存していた軍部まで、ありとあらゆるところに売りさばくことができる。戦争そのものの常識すら変えてしまうだろう。


 ギゼルが黄龍石の魔法を吸収するという特性を知ったのはとある男からの言葉がきっかけだった。


 その後、前任者である財務大官を蹴落とし、まんまとその座を奪い取ってからしばらくのこと。財務大官の特権として、王宮の特殊な地下室に隠された大量の黄龍石ともすぐに対面することができた。


 歴代の財務大官はほとんど禁忌として触れてこなかった黄龍石の解放を、ギゼルは初めてヘスペリス王に嘆願した。だが、分を超えた願いとして一蹴されてしまった。「次はない」と王に言われ、もうそれ以上はどうすることもできなかった。


 だが、ギゼルは諦めなかった。

 毎晩毎晩、公務が終わったあと、たったひとり秘密の地下室へ赴き、初代オイゼビウス王が魔族種から賜ったという希少石の山を眺めていた。


 これだけの黄龍石を徐々に現金化し、軍備を整えていけば、やがてエストランテは獣人種のみならず、ヒト種族の領域すらも手中に収めることができるかもしれない。


 そんな野望を漠然と抱いていたとき、何百、何千、何万と積み上げられた石の中に、色違いの石を見つけてしまったのだ。僅かに目を切ってしまえば、もうほかの石と見分けがつかなくなってしまうかもしれない。


 ギゼルはランタンを掲げながらゆっくりと歩み寄り、そのひと粒を手に取った。その石こそ、何百年も前、偶発的に炎の魔法に触れ、それを内部に封印することに成功した黄龍石――ドルゴリオタイトだった。


 確信があった。オッドアイの司教が黄龍石には別の利用価値があると言ってはいなかったか――


 これを調べろと。この黄龍石だけ、なぜ他の黄ばんだ乳白色の石とは違い、鮮やかな赤色をしているのか。あらゆる縁故を使い、調べ尽くした。そして数年の時と私財を投げ打つほどの浪費と引き換えに、黄龍石が魔法を吸収するという真実にたどり着いたのだ。


「今日この日、この夜から伝説は始まる。手始めに、エストランテの歴史を俺が書き換える……!」


 脚絆きゃはんの腰紐を留め終わったギゼルは、暴発寸前な興奮を押さえながら、晩餐会の会場へと――自分の輝かしい伝説の生き証人となる最初の賓客達の元へと向かうのだった。



 *



「なん、という……!」


 フードを脱ぎ捨てたセーレス、エアリス、そして前オクタヴィア。

 その姿を見た瞬間、白亜の間は静寂に包まれた。


 三人の姿を後ろから眺める賓客の多くは、突如として現れた艶めかしい女性の後姿に驚愕したことだろう。


 だが、セーレスたちを至近から見つめるベアトリス殿下だけは違う種類の驚きに目を見開いたようだ。


 セーレスは、彼女自身の魔法を表すインディゴ・ブルーのイブニングドレスを着用している。


 胸元と肩、背中は同色のレース生地で覆われており、一番露出が控えめである。その胸元で輝くソレストペンダントは藍色のドルゴリオタイトがあしらわれている。


 さらに長耳長命エルフの特徴である長い耳の先端を彩るのはイヤリング。ゴールドトライアングルの付け根に同じく藍色のドルゴリオタイトが揺れていた。


 エアリスもまた彼女自身の魔法を表すエメラルド・グリーンのドレス姿。


 会場を照らす鬼火を跳ね返すサテン・ベルベッドの生地に、大きく入ったソリッドからは、褐色の脚がチラチラと覗いている。


 結い上げた蒼銀髪を留める髪留め、胸元のペンダント、そして左の手首を彩るのはいずれもゴールドの台座に傅かれた深緑のドルゴリオタイトである。


 前オクタヴィアはその白すぎる肌と対象的な、黒を基調としたオーガンジーレースドレスを着ている。


 ベアトップという胸元で留めるタイプのドレスであり、大きく肩や背中が露出しているが、シースルーケープを纏い上手くバランスをとっている。


 その首もとを彩っているのはチョーカータイプのカスケードネックレスだ。土の魔法を封じた黄蘗きはだのドルゴリオタイトと、炎の魔法を封じたドルゴリオタイト。それぞれ小粒にカットしたラウンドブリリアントを、零れる滝のように交互につなげた珠玉の逸品である。


 セーレスのコンセプトは子供っぽさと大人の同居。大人へと成長しようとする瑞々しい少女の姿を全身で表現している。


 エアリスのコンセプトは大人の女性の魅力とその力強さ。男尊女卑があたりまえのこの世界に於いても確固とした意思で自立する女性の逞しさを体現している。


 オクタヴィアは幽玄と妖艶。光と闇の同居から移ろいやすさと、明日には消えてしまうかもしれないという儚さを現している。


「これは――――尊いな」


 ベアトリス殿下は三人の姿を見て、そう表現した。


「美しいという言葉では到底現しきれるものではない。崇高……いや、神聖とも言うべきか。これはまさに存在そのものが至宝と、そいうことなのか……?」


 最後には言葉すら失ってしまったベアトリス殿下の様子に、白亜の間がザワザワとし始める。殿下は「是非皆にも見て欲しい」と宣言したので、僕とウーゴは脇へと除け、三名に振り返るように指示を出す。と――


 おおおおおおおおおおお――――!


 空気が震えた。

 数百名からがこぼすため息が、大きな振動となって白亜の間を、王宮すべてを震わせる勢いとなる。


「綺麗……」と、誰かが呟いた。

 それを皮切りに、賞賛の言葉とため息が聞こえてくる。


 多くの視線を釘付けにしながらも、セーレス達は堂々としたものだった。

 これだけ大勢の賓客に見られているというのに、一切の羞恥が感じられない。それはもちろん、彼女たちに予めモデルというものは――という心構えを勉強させていたのもあるが、三名に捧げられる視線もまた、単なる好色なものとは一線を画すものだった。


 それはまさに『尊い』という殿下の言葉がふさわしい。

 目の前の女性たちの美しさは尊敬の域に達しているのだと、彼女たちを初めて目撃する人々の目がそう語っている。


 そこには所謂男の助平心など挟み込む余地はなく、ただただ遠方の景色を仰ぎ見るような――そんな憧憬の眼差しが男女ともに宿っているようだった。


「見事……。あたかも入神の域にあるような極限の美であった。余は今日ここで見たそなたたちの姿を生涯忘れることはないであろう。美的感覚が狂ったまであるが……」


 玉座に肘をかけながら、顔を覆ったベアトリス殿下がそう呟く。それはこれ以上ないくらいの賞賛だった。形あるものではない、ひとりの王族の美的な価値観を根底から覆したという実績。


 セーレスたちの美しさに当てられていた賓客たちも、深々と頷きながら、まばらな拍手はやがて大きな万雷へと――


「お待ち下さい殿下」


 物言いをつけたのはレイリィ王女だった。

 凛としたよく通る声に、賓客達の拍手は水を打ったように静まり返った。


「恐れながら、私が殿下に献上したき品は、この者たちの持つ個々の美しさなどではありません」


「なんと。この美しさすら副次的なものだというのか。では、レイリィ王女の献上品とは一体?」


 玉座にちょこんと腰掛け、首をひねる幼いベアトリス殿下。

 よく考えればまだ八つだというのに、ものごとの真贋をキチンと判断し、美醜への造詣も深いようだ。そんなベアトリス殿下だからこそ、レイリィ王女の言葉の意味に驚きを隠せないのだろう。


「今、この者たちが身に付けている宝飾品にご注目ください」


「む……?」


 ベアトリス殿下は、再び相対した三名を食い入るように見つめる。

 セーレスたちもまた、殿下が見えやすいよう、跪き、そっと喉を反らしてペンダントを露わにする。首、胸元、手首、耳、髪留め。それらを彩る完成された芸術品が見えやすいよう、ゆっくりと身体を動かしていく。


「おお……これは。今まではこの者たち自身の魅力と調和し、すっかり見落としていた。いずれも見事な彫金と――、何やらこれは初めて見る石だが。キラキラと輝いて……?」


 観の目ではなく見の目で。

 マクロを見るのではなくミクロを。

 ロングショットではなくクローズアップ。


 そうして初めて、彼女らの魅力を引き立てる究極の宝飾品――それ自体を認識することができたようだ。


「この度殿下へと献上いたしますのは、これらの宝飾品――ドルゴリオタイト。いずれも厄災から身を守る魔法の加護を宿した至高の芸術品です。こちら身に付けくだされば、必ずやあらゆる危機から殿下の身をお守りすることでしょう」


 レイリィ王女の言葉に、殿下はもちろん、白亜の間に居た賓客たちもみな、目をみはるのだった。



 *



 オットー・レイリィ・バウムガルデン。

 たった一度、鎧姿の僕――タケル・エンペドクレスを流星と見間違え、甲板の上からふたつのムートゥと共に見上げていた少女。


 たった一度視線を交わしただけの間柄である僕らはエストランテで再会し、そして彼女の好意により、確かな協力を取り付けることが叶った。


 これ以上ないくらい最高の舞台で、僕らは王女が本来持ち得たはずの『持ち時間』をすべて使い、彼女本来の献上品を差し置いて、自分たちの商品のプレゼンを行っている。


 僕達にこの機会を譲ってくれただけでもありがたいことなのに、彼女は僕達の商品の特徴と効果もしっかりと頭に叩き込んだ上で、こんな援護射撃をしてくれている。


 僕らが万の言葉を重ねるよりも、ヒト種族最大の国家である王都ラザフォードの姫君が持つ言葉の重みは格別といえる。


 だが、いくら聡明なベアトリス殿下とはいえ、その正確な意味を測りかねた様子で眉を顰めていた。


「余を守る、だと? それは一体どういう意味であるか。それにその石――ドルゴリオタイトと申したか。そのような石も一体どこから……?」


 レイリィ王女はスッと手を掲げる。

 僕はそっと立ち上がると、マントの内ポケットからひと粒の石を取り出す。


「殿下、こちらの石をご存知でしょうか?」


「む。それは黄龍石であるな。我がエストランテにとっては国宝石と言っても過言ではない縁を持っておる」


 パーティグローブに包まれた御手で黄みがかかった乳白色の黄龍石を摘んで見せる王女。石の正体を一目で看破したベアトリス殿下に頷きながら、鎧に包まれた僕の手の平へと黄龍石を置く。


「殿下、今から鬼火の魔法を使用してもよろしいでしょうか?」


「鬼火……魔法とな?」


「はい。誓って、殿下に危害を加える目的はございません。オットー14世の名に賭けて」


「わかった。王女を信じよう」


 ベアトリス殿下は傍らに控える獣人種の女性を見やる。その女性は深々とお辞儀をしながら背後を振り返り、控える近衛たちに待機するよう手振りで伝えた。


「ありがとうございます」


 レイリィ王女が一礼し、僕に向かって頷く。

 鬼面の下の金色の瞳をまっすぐ見つめながら、僕にすべてを委ねてくる。


『炎の魔素よ――』


 声に出すと同時に『愛の意志力』の元、大気中の魔素へと呼びかける。

 一瞬にして僕の周囲の温度が跳ね上がり、さらに、集まった炎の魔素へと魔力を付加すれば鮮紅の輝きが溢れ出た。


「只者ではないと思っていたが、そこの者は魔法師であったのか。いや、こんなことは初めてだ。魔法の発動をこのような――まるで母に抱かれているかのような安心感を持って眺めていられるのは――」


 一連の魔法発動に感じるものがあったのだろう、僕は殿下の期待を裏切らないよう、周囲に創り出した炎の魔素による鬼火を――黄龍石を握り込んだ右手へと一気に収束させた。


 そして――


「消えた。……王女、今の魔法には一体どのような意味が――」


 論より証拠とばかりに、僕は右手を開き、傍らのレイリィ王女へと差し出した。


「御覧ください殿下。これがドルゴリオタイトの正体です」


 おお……!

 背後で固唾を呑んで見守っていた賓客たちからも驚きの声が聞こえた。

 再び石をつまみ上げた王女の指先には、真っ赤な光沢を放つドルゴリオタイトがあったからだ。


「黄龍石が魔法を吸収した、のか? 炎の魔法を内包したためにそのような色に? ――はッ、ということはもしや……!?」


 殿下の視線が再びセーレス、エアリス、前オクタヴィアへと注がれる。正確にはそれぞれが身につける宝飾品を目を皿のようにして見つめる。


「そんな、信じられん。いや、だが本当に? そこの者たちが身につけるそれら、青、緑、赤、黄……それら全てに四大魔素による魔法が封じられているというのか?」


 腰を浮かし、食い入るようにセーレスたちのペンダントを見つめていた殿下が、ドシン、と玉座に尻もちを着く。ふるふると首を振りながら、再び小さな手で顔を覆ってしまう。


「さすがは殿下。まさにその通りです。こちら、藍色のドルゴリオタイトには水の魔法を。深緑のドルゴリオタイトには風の魔法を。そちら、緋色と黄蘗きはだのドルゴリオタイトには炎と土の魔法が宿っております」


 白亜の間のどよめきは最高潮へと達した。

 セーレスたちの美しさと合わせて素直に信じるもの。

 未だ疑いを持って、懐疑の視線を僕らに注ぐもの。

 そして、ドルゴリオタイトの真の価値に気づき、震え上がるもの。

 それらすべての人々を尻目にしながら、レイリィ王女はトドメの台詞を紡いだ。


「石の色合いと魔素こそ違いますが、すべての石に籠められた魔法はただ一点、その身に封じられた魔法と引き換えに装着者の生命を守るように加護が施されています。さらに言うならば、水と風の魔法に限っては、現存する精霊魔法使いによる守りの加護が付与されていることを、重ねて申し上げます」


「せ、精霊魔法使いとな!? しかも風と水の!? し、信じられん、それは真であるかレイリィ王女!?」


「はい。間違いございません」


 諧謔など挟み込む余地もなく、レイリィ王女は真剣そのものの表情になって首肯した。そして、再びその場に跪き――僕とウーゴ、エアリスたちもまた同様に忠礼を取りながら頭を垂れる。


「これら『守りの宝飾品』をこの度、ベアトリス殿下ご生誕の品として献上いたします。何卒お納めくださいませ――」


 そう口にした途端、地鳴りが――人々の拍手と喝采が白亜の間で爆発した。

 室内で反響する声がさらに増幅し合い、とてつもない音量となって僕らに降り注ぐ。


 果たして僕らだけでこれら賓客達の喝采を得られることができただろうか。

 否。そこには間違いなく、レイリィ王女の存在が大きく寄与している。

 僕は、彼女にとんでもない借りを作ってしまったのかもしれな――


「静まりなさいッッッッ――!!」


 金切りに近い大音声だいおんじょうだった。

 声の主は白亜の間の入り口に立っていた。

 顔を真赤にし、目を血走らせながら、憤怒の表情を隠しもしない。


 静まり返った白亜の間をドカドカと踏みしめながらベアトリス殿下と僕らとを隔てるように立ちふさがる。


「ギ、ギゼル……!」


 ベアトリス殿下がやや青ざめながらその名を口にする。

 そうか、初めて見るがこいつが……!


「殿下、騙されてはなりませんぞ。このような怪しい品を受け取ってはなりません!」


 今にも牙をむき出しに、噛み付いてきそうなほどの形相で、財務大官ギゼル・ティアマンテは叫ぶのだった。


 続く。

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