第296話 東国のドルゴリオタイト篇㉛ 王女の用意した特別な宝〜ベアトリス生誕祭・午後

 * * *



「あ、王子はんの演説終わったようやね」


「うむ、どうやらそのようだな」


 エストランテ王宮貴賓室。

 贅沢の粋を集めた天井、壁、そして床。


 調度品は交易港が近いだけあって、ヒト種族、獣人種のものと、世界中から様々なものが集められ、さながら市の中にいるような賑々にぎにぎしさだ。


 ベアトリスの演説が終わったことは、遠くから歓声が響いてきたことで知れた。

 分厚い壁を通してもなお防げないほどの民衆の声。

 この声を聞く限り、エストランテの繁栄は約束されたも同然だと思われる。


 広すぎる部屋の中には壁際に護衛の兵士が三カ国分立っている。

 即ち、王都の騎士とドゴイの兵士とグリマルディの益荒男たちである。

 部屋の中心、設えの上品な円卓には三名のヒト種族の姫たちが会していた。


 オットー・レイリィ・バウムガルデン王都第四王女。

 イレーネ・アンゲリーナ・ドゴイ名誉元帥兼王女。

 プリシリア・サリ・グリマルディ内親王殿下。


 やんごとなきヒト種族の三大国代表が集まり、来るべき晩餐会という戦場に向けて英気を養っていた。


 先日『祝福の尖塔亭』にて行われた会合と違うのは、護衛の兵士たちと、そしてきちんと彼女たちを給仕するメイドが側に控えていること。

 お茶も、お菓子も、全て最上級のものが用意され、護衛のものたちも、今は部屋の空気に溶け込むよう隅で控えている。


 そんな中、そわそわと気ぜわしい様子なのは、イレーネとプリシリアだった。

 ふたりが先程から様子を伺っているのはレイリィ王女である。


 先日彼女は、『祝福の尖塔亭』を飛び出し、市街地で行方不明になるという大事件を起こした。王族が護衛もつけずひとりきりになる。それだけでも大変だというのに、市街地にはどんな敵がいるかもわからない。これは一大事として、彼女の護衛はもちろん、ドゴイとグリマルディからも兵を抽出し捜索に当たったのだ。


 だがレイリィは発見されることもなく、絶望の時間だけが過ぎて行った。

 そして――――


「お茶のおかわりをいただけるかしら」


「かしこまりました」


 伏目がちにレイリィが告げると、音もなく空の茶器が下げられ、新しいものが用意される。レイリィは取っ手に細い指先を絡め、自分の口元へと近づける。


 なんとなく――そんな仕草から目が離せなくなる。イレーネとプリシリアは、お茶を啜るレイリィの唇をジッと凝視してしまっていた。


「どうされたのですか、おふたりとも。そんなに見つめられては照れてしまいます」


 ふ――とレイリィが微笑む。

 その瞬間、まるで室内が華やぐような空気が流れた。

 イレーネとプリシリアは揃って息を呑み、「失礼した」「何でもないえ」と謝罪する。


「おかしなイレーネ様とプリシリア様」


 クスクスと笑いが漏れる。

 イレーネとプリシリアは顔を赤くし目を背けた。

 そして内心で叫ぶ。レイリィ王女がなんか色っぽくなってしまった、と。


 *


 先日、レイリィが行方不明になった日の夕方。

 彼女を発見したのは街中に散っていた兵たちではなく、『祝福の尖塔亭』の展望室にて、遠見の魔法を使い、外界を捜索してたしていたイレーネたちだった。


 最初は彼女たちも街中で捜索をしようとしたが、もしかしたらそれが敵の狙いかもしれないと思い至った。襲いやすい街中に一人を連れ出し、追いかけてきたイレーネとプリシリアの生命も狙っているのかもしれない。


 冷静になった彼女たちは、焦る気持ちを押さえつけながら、展望室から街を見下ろし、必死にレイリィの姿を探した。だが、もう間もなく日が暮れようとしており、遠見の魔法による捜索もできなくなりつつあった。


「あかん、頭がフラフラしてきたえ」


 鉄柵から顔を出し、街を見下ろしていたプリシリアがフラフラと後ずさった。


「代わろう。あなたはしばらく休んでいるといい」


「うん、ありがとな」


 イレーネに背中を支えられながら、東屋へと向かう。机の上には簡易食が用意されていた。今は出入り禁止は解除され、入り口に護衛の兵士がふたりと、側付きのメイドたちが控えている。プリシリアは食事よりなにより、メイドに命じて湯を沸かさせ、絞った熱い手ぬぐいを瞼の上から押し当てた。


「ちょっと調子に乗ってたかもしれんえ。この遠見の魔法、えらい目と頭に負担がかかるわ。さっきから眼球の奥が重苦しくてかなわんなあ」


 プリシリアは椅子の背もたれにぐでーっと寄っかかり、手ぬぐいの隙間から空を仰いだ。海の向こうはもう真っ暗であり、西に聳える遠くの峰と鬱蒼とする魔の森に日が沈むところだった。


「たしかにな。それに、魔法を解除した瞬間、近かった景色が一気に遠ざかり、平衡感覚が失われてしまう。使用する時は短時間のみにし、二人以上で交代で使わせた方がよさそうだな」


「さすがの考察恐れ入るえ」


「休むのもいいが、少しでも食べた方がいい。特に甘いものを口にした方が頭がスッキリする」


「ホンマに? 大手を振ってお菓子が食べられるなあ」


 普通に会話をしているが、本当はふたりも不安なのだ。

 レイリィのことはもちろん心配だが、これが陽動でないとも限らない。

 実際護衛の兵士たちは街中へ散ってしまっていて、『祝福の尖塔亭』の警備は薄い。

 もしレイリィ王女を攫った――と思われる勢力が、一気にここに攻めてきたら……。


「レイリィ様には申し訳ないが、ことをもっと大ごとにする必要があるかもしれない。しょせん外様である我々だけでは、異国の地で捜索するにも限界があるからな」


「そやね……。うちな、本音を言うと、やっぱり戦争は嫌やし、人死は嫌いえ。レイリィ王女は敵国とか関係なしに、心から無事でいて欲しいわあ」


「プリシリア内親王殿下……。おい貴様ら、耳をふさげ」


「――はッ!」


 護衛の兵士ふたりは壁の方を向き、壁に室内用の短槍を立てかけると、ギュッと篭手付きの手で耳を覆った。


「私とてあんな陰惨な戦はごめんだ。お飾りとはいえ幼い頃から担ぎ上げられ、戦争の旗印にされ続けてきたからな。王都ととも幾度となく争いになってきた。だがそれでもレイリィ王女の無事は祈らずにはいられない」


 顔を会わせる度に、自分たちの姉のように振る舞い、常に親しげに話しかけてきてくれたレイリィ王女。彼女らの立場を抜きにすれば、一体どれほどの友情を育めただろうか。


 イレーネは完全に日が沈むまでは、と懸命に街中に目を凝らす。だがもう、闇が濃くなりすぎて、ヒトの顔すら判別できなくなっていた。と――


「うん? まさか?」


「どないしたん?」


「お、王女だ! レイリィ王女が!」


「ウソぉ!」


 イレーネは弾かれたように出口へ向い、手ぬぐいをはね除けたプリシリアもその後を追う。そして――


「王女!」


「王女はん!」


 街の者たちも「王女?」「王女だって?」と振り向く。

 明らかに高貴な意匠を身にまとったイレーネとプリシリアに比べて、ふたりが出迎えようとしている女は見窄らしい姿をしていた。


「なんて格好で――!」


「いや、それよりも無事なん? 怪我は?」


「おふたりとも落ち着いてください」


 顔を知っていなければ、門前払いをされていたかも……。

 それくらいレイリィの姿は高貴な身分からはかけ離れていた。

 薄い衣の繋ぎ服を着ており、大きく脚が露出してしまっている。

 上から緋色の外套衣を羽織っているが、隠しきれるものではない。


「大変ご迷惑をおかけいたしました。私の身勝手な振る舞いのせいで多くの方に迷惑をかけてしまいました。特にイレーネ様とプリシリア様には深くお詫びをするとともに、私を捜索してくださった両国の兵士に厚く御礼申し上げます」


 深々と、レイリィは頭を垂れた。

 おお……、と、雰囲気に飲まれてしまった周りの聴衆からため息が溢れる。


「とにかくここでは不味い。中に入ろう」


「みんな、なんでもないえ。堪忍なあ」


 レイリィの両脇を支えながら、三人は『祝福の尖塔亭』へと入っていく。

 果たしてレイリィの身にどのようなことが起こったのか。

 それを問いただすために……。


 *


「ほいでも結局、なんにも教えてくれんかったね」


「いや、正確にはひとつだけ、生命を狙われてそれを救われたと言っていたな」


 貴賓室の中、中央に設えられた円卓にレイリィだけを残し、窓際へと移動したイレーネとプリシリアは囁き合うように会話をしていた。


 無事に戻ってきたレイリィはなんと、街中で暗殺者に襲われてしまったのだという。だが、詳しい状況を聞こうとしても、「よくわかりません。ただ襲われ、助けていただきました。皆様にはご迷惑をおかけしました」としか口にしないのだ。


 状況を見るに、ドレスが破られていることからも、彼女が襲われたのは本当だろう。だが彼女を助け、破れた服の代わりを用意したものが必ずいるはずなのだ。それを王女は頑なに口にしようとしない。


「実はその日、うちの兵士が路地裏で大怪我をしている怪しい風体の男たちを見つけているんだ。ひっ捕らえて精査した後、その者たちが訓練を受けた暗殺者であることはわかった」


「ホンマに? じゃあそいつらがレイリィ王女を?」


「わからん。背後関係を吐かせる前に全員生命を絶ってしまった。腕の中に小さな刃物を縫い込んでいたらしく、それで首を掻っ切ってしまったようだった」


 状況的に言えばその者たちが犯人だった可能性は高い。しかしプリシリアは「うーん」と唸りを上げてから口を開いた。


「あんなあ、これはウチの勘なんやけど。どうも重要なのは暗殺をけしかけた方やなくて、助けた方な気がするえ」


「どういうことだ?」


 窓の向こうに広がる美しい中庭を見つめながら、プリシリアは小首を傾げる。


「王女はんにとっては、生命を狙われたことよりも、生命を救われたことのほうが重要なんちゃうやろか。多分……」


「ますますわからん。レイリィ王女も、助けた者も、なぜ隠す必要があるのだ……?」


 王族の暗殺を未然に防ぐ。

 それは騎士にとって大変な栄誉なことである。

 褒美や名声が、何もしなくてもなだれ込んでくるからだ。

 万万が一、わかりやすい部位に傷でも残れば、男ならば一生自慢できる勲章になることだろう。昔、王族を助け、顔に傷を負った兵士は、それを事あるごとに自慢していた。だが、傷が治って薄くなっていかないように、わざと刃を入れて傷を広げていたという話もあるほどだ。


「もし、おふたりだけで内緒のお話ですか? 私も混ぜてくださいな」


 円卓で優雅にお茶を楽しんでいたレイリィから声をかけられ、イレーネとプリシリアはビクッと振り返った。途端に極上の微笑みを向けられ、同性であるはずのふたりは顔を赤くした。


「これだ、これなのだ! 私が一番解せないのはこれなのだ!」


「わかるえ! うちもこれが一番聞きたいことなんよ!」


 ふたりは朱に染まった顔を隠すようにレイリィに背を向ける。そして声を揃えて切なる心の叫びを上げた。


「何故こんなに落ち着いた大人の雰囲気になっているのだ……!」


「うちらの中で一番年上で、でも一番子供っぽかったはずやのにぃ!」


 そう、レイリィ王女は天真爛漫で、見た目よりもずっと幼い印象があった。だが今はどうだろう、年相応以上の落ち着きを見せ、奔放な言動もなくなり、事あるごとに自分の軽率な行動を反省する弁を述べるのだ。


『祝福の尖塔亭』の警備をしている自国の騎士はもちろん、捜索に協力をしてくれたドゴイやグリマルディの兵やメイドにも労いと感謝の言葉を述べてまわり、特に男たちの間では急速に評判が上がってきているのだ。


 よくよく見れば、部屋の隅で控えている護衛の兵たちも、チラチラっと不敬にならない範囲でレイリィを見ている気がする。なんだかそれはそれで、女としておもしろくないような気がするふたりなのだった。


「いや、別に内緒話というほどのことでもない。先程、レイリィ王女からの申し出を改めて吟味していたところだ」


「う、うちもうちも。でも本国の許可もなく、勝手にそないなことして大丈夫なん?」


「はい、問題ありません。皆様に御迷惑をおかけしたせめてものお詫びです。ベアトリス殿下へのご挨拶と献上の順番はおふたりが先になさってくださいませ」


 大変ありがたい話ではあるが、ふたりは戸惑わずにはいられなかった。

 今回ベアトリス殿下への謁見と献上品を贈る順番は、そのまま国力と格を表すことになる。一番は王都オットー・ハーンの名代であるレイリィ。二番目は軍事強国であるドゴイのイレーナ。そして三番目は歴史と伝統を受け継ぐ最古の国、グリマルディのプリシリアである。


 これはそう安々と変えていいものではなく、世界中からやってきた多くの賓客に対してもヒト種族の国家の位階を示す意味もあるのだ。オットー・ハーンが安く見られてしまうことになれば、いらぬ火の粉が他の二国に及ぶかもしれない。だが――


「まったく問題ありません。正直に告白すれば、私が用意した献上品は少々説明に時間を必要とするものなのです。お二方をお待たせするのも申し訳ありませんので、最初にお願いしたいのです」


「ほう、そこまで言い切るとはよほどのものと見えるな」


 腕を組みイレーネは不敵な笑みを見せた。

 もうひとつ、謁見の順番以外にも重要なのが、献上品である。

 ここはエストランテ。世界中から様々な品が集まる商業国家。

 故に献上品の質も高くなり、少々珍しいくらいでは驚きもされない。


「ちなみに、イレーネ様の献上品はどのようなものなのですか?」


「私か? 無論武具だ」


「あれを持て」とイレーネが言うと、ビシっと制服を着込んだ兵士たちが二人がかりで大きな飾り箱を持ってきた。


「見よ。これが我が国の主力兵器ピスタリカである」


 それは変わった剣だった。片刃の湾刀であり、柄が斜めに曲がっている。驚くべきは鍔の部分が開閉式になっており、そこに細い金属の筒を挿入することで、この武器は比類なき攻撃力を発揮するのだという。


「この細い筒の中には炎の魔素を発現する特殊な粉末が入っている。ピスタリカの柄についているこの引き金を引き絞りながら斬撃することで、同時に炎を付加させることができる。是非エストランテ随一の剣士にこれを使って欲しい」


「これは、すごいですね。見た目も洗練されていて美しいです」


「ほう、レイリィ王女にそう言っていただけると嬉しいな。そう、優れた武器とは総じて美しいものなのだ。兵器然としていながらも、機能性と美が調和する。だから私は武器自体は大好きなのだ」


 得意になってふんぞり返るイレーネだったが、「ちょっとどいてな」と今度はプリシリアの命により、屈強な益荒男たちが持ってきた飾り箱が開帳された。


「奇遇やねえ。実はうちの献上品も武具なんよ」


「なにい!」


 被ってしまったことよりなにより、異国の武具にイレーネは目を輝かせた。


「こちらは弓、ですね?」


 長い、所謂長弓である。

 優に男性の身長を越えるその弓は黒より黒い漆黒を纏っている。


「樹齢千年のご神木の枝をちょうだいして削り出してな、闇真珠ダグデモンの粉末を塗った特注品なんよ。もちろん使うものの腕次第やけど、狙えば百発百中間違い無しやえ」


 闇真珠ダグデモンは、プリシリアが乗ってきた帆船にも塗られているように、不沈の効果があると信じられている。それを弓に施せば、狙った獲物を穿つまで決して落ちることのない、不沈の一撃を矢に与えるだろう。


「くっ、悔しいが見事な一品だ。これの有効射程はどれほどだ?」


トロクワ(キロ)ってとこかなあ。到達距離だけやったらその倍はいくえ」


「馬鹿な、本当にこの弓でそんな距離を!?」


 イレーネが驚くのも無理はない。

 通常の弓の有効射程距離――獲物を殺傷できる距離はその十分の一程度だ。

 まさに規格外の献上品――宝物というに相応しい。


「だ、だが、グリマルディの技術の粋を集めすぎではないか。国外への技術流出はよくないと思うぞ」


 苦し紛れなのか、諫言という形で文句をつけてくるイレーネ。

 ドゴイの兵士たちも「ウンウン」と頷き、「ああん?」とグリマルディの益荒男たちが睨みつけている。


闇真珠ダグデモンはグリマルディの特産品やし、こんな弓が作れるほどには、エストランテには流通してないはずえ。それに遠方の国と戦になったりするんは現実的やないしなあ」


 例え技術流出が起こったとしても、王都くらい隣接していなければ戦になるのは難しい。なにせヒト種族の領域からはかけ離れた東の果ての土地なのだ。その間には獣人種の領域と魔の森が広がり、駐屯地を作ることも難しい。永世中立国とはよく言ったものなのだ。


「おふたりとも本当に見事な品ですね。流石はドゴイ、そしてグリマルディの献上品です」


 レイリィの賞賛を双方の兵たちを含め姫君たちは素直に受け入れる。

 だが、これで話が終わってしまっては片手落ちではないだろうか。


「それで、レイリィ王女はどのような品を持ってきているのだ」


「うちらにこれだけ披露させたんやから、そっちも見せてもらわんとなあ」


 晩餐会までの暇つぶしがてらに見せたのだが、まだまだ時間はたっぷりとある。

 互いの献上品を肴に茶の湯に花を咲かせるのも悪くないだろう。

 だというのに――


「ありません」


「む?」


「は?」


 静かに茶器を傾け、さも当然のようにレイリィは言った。


「ど、どういうことだレイリィ王女!?」


「い、いくらなんでもそれはあかんえ?」


 貴賓室がにわかに殺気立つ。

 謁見と献上品は両方なくてはならないもの。

 仮にどちらかを欠いたとしてもそれは大変な不敬に当たる。


 室内の隅っこにいるドゴイとグリマルディの警備の者が、王都の騎士たちに「どういうことだ!?」と憤怒の視線を送る。騎士たちは口を引き結びながら一切目を合わそうとしなかった。


「落ち着いてください、私の言い方が悪かったですね。少々準備に手間取る品なので、まだ到着していないだけです」


 レイリィの声音に室内の殺気が一気に霧散する。

 イレーネとプリシリアも胸を撫で下ろしていた。


「ヒトが悪いな王女。あまりびっくりさせなないでくれ」


「ホンマえ。一瞬で手足が冷たくなってもうたよ」


「まあ、それは申し訳ありません」


 レイリィはそっと手を伸ばし、プリシリアの御手を取った。

 ザワッと、騎士や兵たちばかりでなく、メイドたちからも小さな動揺の声が上がった。


「本当に冷たい。私の言葉が足りず驚かせてしまいましたね」


「え、ええんよ、そんな、気にせんといて……!」


 小麦の肌に朱が差し、プリシリアは慌てる。

 だが慌てたのみであり、手を振りほどこうとはしない。できない。レイリィの手を振りほどく瞬間を見せることは、決裂や拒絶を想起させるため外交上よくないのだ。でもそれより以上に離れがたい温もりに、プリシリアはつい身を任せていた。


「んんッ、レイリィ王女、プリシリア内親王殿下がお困りのようだが」


「あ、失礼をいたしました」


「いやいや、全然なんもなんも!」


 レイリィ王女自ら手を解き、ようやく室内の空気が弛緩する。

 プリシリアは触れられた手を胸元に抱き寄せて佇み、再び茶をすすり始めたレイリィをイレーナはジッと観察していた。


 やはり、レイリィ王女の様子がおかしい。

 街へと飛び出し、帰ってきたその時から、彼女の中で何かが変わってしまったとしか思えない。イレーナもプリシリアも、そして周りの者達も、心からレイリィを心配しながら、彼女の身に何があったのかと想像を巡らせるのだった。と――――


「失礼します」


 王都の騎士の一人が、貴賓室へと入室してくる。

 レイリィは静かに、その騎士へと視線を向けた。


「ウーゴ商会のエンリコ・ウーゴを名乗るものが、王女の署名印と共に、献上品をお届けに上がったと申しています」


「すぐに、こちらへ通してください。総身に武器を帯びていないか、確認を怠らぬように」


「はっ、かしこまりました!」


 来たのか。イレーネとプリシリアは同時にそう思った。

 にわかに宮殿内が騒がしくなったような気がする。

 貴賓室まで来ることが出来るものは少なく、外部の商会から品を取り寄せたとなれば、警備の兵たちがざわめいているのだろう。


 

 レイリィは茶器を置き、瞑想するかのように瞼を伏せている。

 自らの胸元にそっと手を当て、まるで内心の興奮を落ち着かせているようにも見えた。

 そして――


「失礼します。ウーゴ商会エンリコ・ウーゴ氏をお連れいたしました!」


 騎士が入室を告げ脇へ退けると、標準的なヒト種族の正装着を纏った、年若い青年が現れる。


「失礼をいたします。ウーゴ商会、エンリコ・ウーゴと申します。本日は当商会の品を献上品にお選びいただき誠にありがとうございます」


 その場で片膝をつき、ウーゴと名乗った青年はそのように挨拶をした。

「あれ?」とプリシリアが首をかしげる。なんだかあの男、見たことがあるような。どこだったか……。


「よく来てくれました。それで、その、彼……いえ、献上品は?」


「恐れながら、部屋の外に護衛の者と一緒に待機させております。やんごとなき方々がおわす室内に、不用意に外部の者をいれるのはよろしくないかと」


「イレーネ様、プリシリア様」


 レイリィは円卓に座するふたりを呼んだ。


「な、なにか?」


「王女はん?」


「どうでしょう、先程見せていただいたドゴイとグリマルディの献上品に対抗する、というわけではありませんが、私が用意した献上品もご覧になってみたくはありませんか?」


「それは、まあ、見せてもらえるのなら……」


「うちも、別にかまへんけど……」


 レイリィ王女の物言いは、まるで見てほしいと言わんばかりだ。確かに献上品は選んだ者や、国そのものの格を現す指針になるが、レイリィ王女が献上品を自慢して居丈高になるようなヒト柄にないだけに、ふたりは戸惑いを浮かべる。


「入室させなさい」


「かしこまりました」


 深く頭を下げたのち、ウーゴ自らが扉を開け退室する。わずかな時間。再び「失礼いたします」と声がかけられ、扉が開いた。


「――ッ!?」


「ちょッ!?」


 ウーゴを筆頭に、入室してきた者たちを見て、イレーネとプリシリアは腰を浮かしかけた。現れたのは四名。ウーゴのすぐ後ろに、間深くかぶり布を頭からすっぽりとかぶった女性と思わしき三名。そして、最後に現れた異様な全身鎧を纏いし男に、貴賓室の警備を預かる兵士たちは一瞬で厳戒態勢に陥る。


 なんだこの怪しい風貌の者たちは。

 何故かぶり布で全身を隠す?

 何より後ろの鎧を着た男の存在感が尋常ではない。

 警戒心の強い兵たちが、まるで敵を睨みつけるように殺気立っている。

 だが顔を青くしているのは先頭のウーゴのみであり、他の四名は顔は見えないがどこ吹く風と言った風情で落ち着き払っているようだった。


 それにしても全身鎧の男、白銀と漆黒を撚り合わせた、見たことも聞いたこともない甲冑姿だ。そう、あの者は確か王女が飛び出していく切っ掛けになった――


「よく、来てくれましたね」


 いつの間にか席を立ったレイリィ王女がウーゴたちの前にまで歩み寄っていた。

 すぐさまウーゴは貴人に対する礼をし、残る四名も同じように片膝をついた。


「皆、そう警戒する必要はありません。この者たちは誓って寸鉄を帯びていません。後ろの鎧の者は、私が用意した献上品の特異性故に護衛をしてくれている者です」


 レイリィはそう言うが、はいそうですかと納得はできない。少なくともレイリィの護衛たちは警戒態勢を解いているが、ドゴイやグリマルディの兵士までそれに従うことはできなかった。


「レイリィ王女、献上品とそのかぶり布の女たちと、一体なんの関係がある? まさか、その者たち自身が殿下への献上品、などとは言わぬだろうな?」


 ヒト種族間の奴隷売買はご法度である。

 中には獣人種ならいいだろうと考えるものがいるが、見つかれば処罰は免れない。

 レイリィは「ひとり、あなた、ついてきてくれますか?」と一番端にいたかぶり布の女に声をかける。コクリと頷き、王女の後ろについて行き、円卓の前までやって来る。


「少しだけ、こちらの方たちに見せて上げてくださいな」


「かしこまりました」


 若い少女の声だった。鈴を転がしたような心地のいい音色。

 イレーナもプリシリアもその声に聞き惚れてしまう。

 だが、かぶり布の下から現れた少女の素顔と、少女が纏いし『ある物』を見た瞬間、驚愕に目を見開いた。


「こ、これは……、なんという!?」


「うそぉ……こんなん初めて見るえ!?」


 ヒト種族を代表する大国ふたりの姫の反応に、レイリィは満足げに頷くのだった。


 続く。

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