第293話 東国のドルゴリオタイト篇㉘ 女の執念と悪魔の契約〜大罪人タケル・エンペドクレス再び

 * * *



『すまん、ちょっと匿ってくれないか』


 宿屋の自室で出迎えてくれたウーゴ商会のエンリコ・ウーゴは爽やかな笑顔のまま固まっていた。口元の笑みはそのままに、視線だけが僕の手元へと降りる。


 緋色のマントに包まれた可憐なる美少女。襲っていた者共と、後から駆けつけた護衛たちの言を借りるならば「お姫様」ということになるらしいのだが……。


「なん、という……! いいですか、私は奴隷あきないと人攫いと拐かしだけは絶対にしないと誓っているのです、それなのにあなたと言う人は――!」


『落ち着け落ち着け。全部大体おんなじ意味だぞ。人目につくのは不味い。入るぞ』


 腕の中の少女を押し当てるのもどうかと思い、軽く肩を当ててウーゴを押しのけながら部屋へ入る。ドアは真希奈(人形)が『よいしょよいしょ』と閉じてくれた。


『変に疲れたな……水を一杯もらえないか?』


「水など飲んでる場合ですか! ことと返答次第では、エアリス様に言いつけますよ!」


『それは困るなー』


 いやはや本当に困っているのだ僕は。

 なんでかと言うと、このお姫様らしき少女がずっと僕の側から離れようとしないからだ。


 何度か自分で歩いて貰おうとして地面に下ろそうとするのだが、「いやッ!」と赤子のようにむずがり、胸元がポロリするのも構わず僕の首っ玉に抱きついてくるのだ。


 いい加減真希奈が怒り出し、『あなた人の迷惑も考えなさい! 子供ですか!』と叱りつけるも、ほっぺたを膨らませてイヤイヤをするばかりで、まったく言うことを聞いてくれない。さすがの真希奈も自分より子供に目くじらを立てることに疲れてしまったようだった。


『なあ、ここはもう安全だし、キミを襲うものもいない。いい加減離れてくれないか?』


「うふふふ。嫌です」


 ニッコリと、語尾にハートマークがつきそうなくらい嬉しそうな声だった。

 というわけで僕は室内の椅子にドッカと腰をおろし、膝の上に少女を置いたまま『ふう』とため息をついた。


「お知り合い、なのですか?」


 ごく短時間だが、僕と少女の様子を見るにつけ、どうにも無理矢理連れてきたのではないことを理解したウーゴが問いかけてくる。


『どうやらそうらしい』


「身に覚えがないと?」


『そういう訳ではないのだが……例えばそう、そこの窓から見える遠方の景色の中に豆粒のような少女がひとり立っていて、なんとなくお互いに気づいたか気づかないか程度の認識なのに、しばらくして偶然再会してみたら――この有様だったのだ』


 ポンポンと鎧に包まれた手越しに少女の頭を優しく叩く。

 もうそれだけで嬉しくなってしまったのか、再び少女が「ああ、流星の君〜」と手を伸ばして抱きついてきた。


「ちょ、ちょっとちょっと! 裸ではないですか! 一体彼女に何をしたのです!?」


 義理堅くウーゴは回れ右をしてから叫んだ。

 やっぱこいつ良いやつだなあ。


『何もしていない。強いて言えば暴漢から助けたのだが……とりあえず彼女の服を買ってきてくれないか?』


「まあ、それは仕方がないですが……ツケにしますよ?」


『それでいい。頼む』


 また借金が……と悲嘆に暮れそうになった時、ドヤドヤと廊下が騒がしくなった。

「なんだお前らは!」「やだーっ!? なにすんのー!」などと他の宿泊客の悲鳴が聞こえてくる。


 そして――


「御免!」


「はい、なんでしょう?」


「御用改めである!」


 二人組の男――どちらも軍人であるとわかるキビキビとした所作と鋭い眼光、そして一様に同じライトアーマーを纏っている。胸元にはいずれの国のものか、王国紋が彫り込まれていた。


 男たちは部屋の中をざっと見渡し、ギロリとベッドの脇に視線を止めた。


「そこの納戸を開けよ!」


「はいはい、かしこまりました……こちらでいかがでしょうか?」


「……邪魔したな。行くぞ」


 奥のクローゼットの中には、ウーゴが持ち込んだ着替え入り袋があるのみで、あとは空っぽになっている。


 二人組の男たちは「――ちっ」と舌打ちを残し、隣の部屋へと順々に押し入っていく。御用改め――まあ強制家宅捜査ってところか。相当焦ってるみたいだな。


「心の臓が止まるかと思いました」


『なかなか役者だったな』


 とっさに風と水の魔法を駆使し、透明化した僕と少女。真希奈はアンティークよろしく窓辺の棚の上で人形然としているだけで完璧なカモフラージュになる。


 僕に触れないよう気をつけながら、けど素早く脇をすり抜けてクローゼットを開けてみせたウーゴに賞賛を贈りたい。


「というか本当に彼女は誰なのですか! あの鎧の紋章はヒト種族の王都のものだったと記憶してます! そこのお嬢さんもヒト種族のようですし、もしかして――」


『そろそろキミの名前を教えてくれないか?』


 声を出すな、という意味で透明化している最中、ずっと彼女の口元を抑えていたのだが、離そうとする僕の手を両手で抱き寄せ、スリスリと頬ずりなどしてくる。もうホントなんなのこの子は? 僕のこと好きすぎない?


「私の名前ですか。まずは流星の君――貴方様のお名前を頂戴したく思います」


 僕の手を抱いたままうっとりと見上げてくる。

 流星の君、ねえ。


『タケル・エンペドクレスだ』


「タケル様。異国情緒漂うよいお名前です。私の名前はオットー・レイリィ・バウムガルテン。どうぞ末永く可愛がってくださいませ」


 ガダン、と大きな音がしたので見てみると、ウーゴがドアに背を預けながら、ズルズルと床に尻もちを着くところだった。


「オットー・ハーン・エウドクソス――ハーン14世の末娘――レリィ王女殿下……!」


 世界の半分を占めるヒト種族の中で、もっとも強大な力を誇る人類種ヒト種族国家。その王女の名前を呟きながら、ウーゴはガクン、と気を失ったようだった。



 *



 永世中立国エストランテの首都ヘスペリストにある王宮にて行われるベアトリス王子の生誕祭。それを三日後に控えて、僕とウーゴは先んじて首都入りしていた。


 エンリコ・ウーゴ。

 魔族種領、ヒルベルト大陸ではちょっと名の知れた商館の主人である。


 まだ二十歳そこそこの魔人族であり、浅黒い肌に亜麻色のサラサラ髪、そしてイケメンスマイルと、なかなか男として嫉妬を禁じ得ないヤツなのだが、僕はこの男に大きな借りがあるのだ。


 王の不在を狙って龍神族の領地ダフトンへと侵攻してきた流浪の種族・我竜族により、ディーオ・エンペドクレスの城、龍王城が占拠されてしまった。


 後にそれは僕とエアリスによって奪還されたのだが、占拠されていた間に金目の物は売り払われてしまっていた。


 その最たるものが、ディーオの私室にあった大量の蔵書であり、質に流れて売られていくはずのそれを買い取ってキープしてくれているのがこのエンリコ・ウーゴなのだった。


 彼はまだ存命だった頃のディーオに敬服の念を懐き、その従者だった幼いエアリスのことも知っていた。


 そんなエアリスが悲しむだろうからと、勝手に売り払われてしまったディーオコレクションを自費で買い戻し、正当な持ち主である僕らが引き取ってくれるまで待ってくれているのだ。


 今回、図らずも東国のエストランテ王国と縁を結ぶことになってしまった、黄龍石の暴落の知らせも彼からもたらされた情報が最初であり、その後も何かと知恵を貸してくれるという、今では龍神族になくてはならない取引先のひとつとなっていた。


 そんな彼に対して、僕は大きな商談を持ちかけた。

 僕が今全力で推し進めている大きな計画。


 魔法を封印することができる黄龍石の特性。

 魔法を吸収し変貌したドルゴリオタイトの美しさ。


 それを異世界の技術を使い研磨研鑽し宝飾品へと仕立て上げること。

 そしてベアトリス王子の生誕祭で大々的に発表することを伝えた。


 最初は驚いて聞いていたウーゴだったが、僕のプレゼン資料を見るにつけ、その顔がどんどん真剣なものに――商人のものへと変貌していく。そして彼は当然といえば当然の疑問を僕にぶつけてきた。


「なぜ、エストランテなのでしょう?」


 新しい宝飾品の発表ならいつでもどこでもできる。

 だがそれが永世中立国の王国晩餐会で行う必要はない。

 まだ何か隠していることがあるのではないか。

 ウーゴは言外にそう言っていた。


『気を悪くしないで欲しい。これはあくまでお前の身の安全を図るためだ。決して悪意があるわけではない。この計画が成功すれば、お前は利益だけを享受することができる』


「危険でない商売などありませんよ、タケル様」


 ウーゴの瞳は遠くを見ていた。

 それは過日を思い出しているかのようだった。


 彼の今日こんにちまでの道のりは決して平坦なものではなかったのだろう。

 若い身空で商館の主を務めるのだから当然と言えば当然だが。


 そしてそんな道程には、決して他者には言えない違法的イリーガルなものも含まれているはずだ。


「貴方様が取り扱おうとしている商品はとてつもない価値を生み出します。私の商人としての勘が叫んでいます。これは『売れる』と。故に貴方様が何を敵に回し、どんな既得権益を打ち砕こうとしているのか、それを知らないでいることの方が遥かに危険だと判断します」


『聞けば戻れないぞ』


「貴方様と初めてお会いしたとき申し上げました。互いに利益のある関係を築きたいと。危険は必要な経費・・・・・・・・でございます」


 はっ、そこまで言い切るか。利益に危険はつきものと。リスクの無いところにリターンはないってこっちの世界でも常識なのかね。


『いいだろう。ことは先代の龍王、ディーオ・エンペドクレスがエストランテ王国の建国に手を貸したことから始まる――』


 こうして僕はエストランテ王家とディーオの縁、さらにギゼル財務大官の野望についても話していくのだった。



 *



「これは、聞いてない……まさかヒト種族の王家まで敵に回すことになろうとは――!」


 真希奈によって頭から水をぶっかけられ、現実逃避の淵から帰還したウーゴの第一声はそのようなものだった。


 まさか暴漢から助けた少女がヒト種族の最大国家、オットー・ハーン・エウドクソスのお姫様だったとは驚きだ。いや僕だって驚いたよ。でも大体予想はしてたけどね。


『驚きも何も、タケル様はもうすでにお会いしてますよね』


『アレを会ったと言うか?』


 真希奈に言われるまで僕も気づかなかった。

 四ヶ月ほど前のことだ。僕はその時獣人種魔法共有学校の臨時教師をしていて、魔法試験に向けて教え子たちと強化合宿の真っ最中だった。


 生徒の中のひとり、鳥緑族のコリスという少年がいた。

 彼は女の子ような容姿をしているのにもかかわらず乱暴な口調で皮肉屋な子だった。


 でも本当は内心の臆病を隠すために常日頃から強がっているという弱い一面を持っていた。


 そんな彼に度胸を付けさせてやろうと、今の僕のようにプルートーの鎧を着込み、真夜中の空中散歩へと連れて行ったのだ。


 その時、獣人種の中立緩衝地帯、ナーガセーナから遠く離れたグリマルディの海域で、王都所属の軍艦を発見。からかい半分に、甲板にいた少女に手を降ったのだが――


『だってまさかそれが王女様だとは思わないだろう』


 というか手を振っただけでどうしてこの子は僕の膝の上でご満悦な様子なの?


『あー、レイリィ王女。少し話がしたいのだが、いいかな?』


 とりあえず、王女には僕のマントを継続して羽織って貰うとして、ウーゴは涙に暮れた様子ながらも服を買いに行ってくれることになった。


 ちなみに男ものの服を買ってくるそうだ。最初は金子を握らせて宿の女中にでも女性ものを買ってきてもらおうとしたらしいが、現状では即御用になってしまうだろうと諦めたらしい。


「はい、流星の君――じゃなかったタケル様」


 僕の膝の上でミノムシみたいにマントから頭だけ出してまあ可愛らしいこと。夜の海で見たときには黒髪にしか見えなかったが、よくよく見ると白みがかかった薄い青色をしている。白縹しろはなだ色が近いって真希奈が教えてくれた。


『いい加減子供のようにじゃれてくるのはやめて欲しい』


 僕は自分の主張はハッキリと言える男である。

 アウラやセレスティアであるなら別だが、こんなおっきな子供をあやしてやる義理はない。


「ああ、今日はなんて日なのでしょう、私が子供の頃から憧れ、そして叶わぬと諦めていたことがたくさん叶いました」


 レイリィ王女は胸の前で祈るように手を組む。ファサっと上半身が顕になって、僕はアチャーと目を覆った。この子周りが見えてなさすぎる。『またあなたはー!』と真希奈は激おこだったが、ホントいてくれて助かってるよ。


「同年代の女の子たちとの楽しい語らい。王女というくびきを逃れ、自由への逃走。そしてまるで舞台劇のように悪漢たちに襲われ、それを颯爽と救ってくださる流星の君――タケル様」


『あーもう!』と、羽織らせることを諦めた真希奈が一生懸命マントを掲げて、胸元を隠してくれてる。レイリィ王女は僕の膝の上で居住まいを正すと、潤んだ瞳で見上げてきた。


「これを運命と言わずしてなんというのでしょう。タケル様、どうぞ私をもらってくださいませ」


『遠慮します』


「……今日はなんという日なのでしょう、私が子供の頃から――」


『『無限ループはやめなさい!』』


 僕と真希奈が同時に突っ込んだ。うーん、僕達父娘だなやっぱ。


「何故ですか、何故私を拒むのですか! 世界の半分が欲しくはないのですか!?」


『どこのラスボスのセリフだ!』


 勇者よ、わしの味方になれば世界の半分をくれてやろう、だったっけ。乗ったが最後、闇の世界を与えられてしまうので要注意なのだ。


 レイリィ王女は「らすぼす……? そういえばるーぷとは?」とキョトン顔だ。真希奈だけは『レベル1になっちゃいますからねー』と隣で頷いてくれている。ありがとうわかってくれて。


「もうわがままはおよしになってくださいタケル様。あなたは私を娶るしかないのです。そして一緒に父・オットー14世を倒し、ヒト種族の頂点に立つのです!」


 ――ガサガサガサッ!

 ドアの方を見れば荷物を抱えて帰ってきたウーゴから絶望のオーラが発散されていた。後ろ手に素早く扉を締めると、その瞳から急速に光が失われていく。


「まさかそんなお話になっていたとは。私はもしかしてこのまま口封じに殺されてしまうのでしょうか?」


『違う。王女の諧謔かいぎゃくだ。本気にするな!』


「あら、タケル様が望むのなら、私修羅に落ちても構いませんよ?」


 きーこーえーなーいー。


 僕は王女の両脇に手を入れ、ぐわっと持ち上げる。「まあ、高い高いですね!」と本人は大喜びだけど、淑女が乳房を放り出してるの忘れないでくれたまえ。


 次いでポーンとベッドに放ってやる。一緒にウーゴの買ってきた袋もポーンする。


『とりあえず着替えなさい。そんな格好では落ち着いて話もできないだろう』


「私は気にしません。なんなら下も――」


『きちんと身なりを整えないと嫌いになるぞ!』


 あまりにも言うことを聞かないため、苦し紛れにそういうと、レイリィ王女は「嫌ッ、それだけは嫌です!」と足元の袋を漁り、長柄の着物みたいな服をいそいそと身に着け始めた。やれやれ……。


「着ました、着ましたから嫌いにならないでくださいまし!」


 そう言いながら、背を向けていた僕の前に回り込んでくる。

 まるで浴衣みたいな服だが、帯がなく、腰の両側についた短い紐で縛るようだ。


「申し訳ありません、服を売っている市には軒並み先程の兵士たちが目を光らせていて、そんなものしか購入できませんでした」


『ああ、ないよりはマシだが、これはなんの服なのだ?』


「所謂漁着りょうぎというやつですね。浅瀬の貝や海藻をとるときに、女性の漁師が身につけるという服です。これならば服屋ではなく漁具屋に売ってますので」


 なるほど、とっさにそんな機転が効くんだからたいしたものだ。

 ウーゴはお茶でも淹れましょうと言って一旦宿の厨房にお湯をもらいに行った。すぐに戻ってきて、口から湯気を立てるポットを持ってくる。ついでティーカップも借りてきたらしく、慣れた手つきでお茶を淹れてくれた。


「まあ、あなた私より全然美味しい紅茶を淹れるんですね」


「お褒めに預かり恐悦至極に存じます姫」


 ニコっとイケメンスマイル発動。しかし王女には効かなかったようだ。手元のカップをマジマジと見ながら気にした様子もなくお茶を啜っている。


 さて――――


『レイリィ王女よ、あなたは四ヶ月前の夜、甲板の上から我を見上げていたあの少女で間違いないのだな?』


「はい、その通りです」


 音もなくカップをソーサーの上に置き、レイリィ王女は満面の笑みを浮かべた。


「私はあの時、小さく切り取られた船窓からあなた様を見つけました。強大な権力を有しながらも、その実は国家の奴隷、あるいは政争の道具でしかない私に比べて、そのお姿はなんと自由で雄大なのだろうと。私は身体の内側からこみ上げてくる熱い気持ちを自覚しました。気がつけば自分の部屋から飛び出し、あなた様に気づいて欲しい一心で子供のように手を振っていましたね」


 まるで遠き幼き日を回想するようにまぶたを閉じ、その時の偽らざる気持ちを話してくれるレイリィ王女。確かに魔法で空を飛ぶというのは、この世界ではごくごく限られた者だけに許された贅沢かもしれない。でもそれだけでこんなに思いつめることができるだろうか。


「先程、そちらの方と商人ギルドから一緒に出てこられましたよね?」


『見ていたのか? どこから?』


「私が逗留している『祝福の尖塔亭』の展望室からです」


「えッ――かなりの距離があるのですが……」


 ウーゴが言うとおり、遥か遠くにポツンと聳え立っているのが『祝福の尖塔亭』だという。そこから僕らを見つけるってどんな視力してるんだよ。


「それで私、いてもたってもいられなくなってしまって、つい飛び出してきてしまいました。多分そのときは、ただ単にあなたとお話してみたいという、その程度の気持ちしかなかったんだと思います。けれど悪漢から救ってくださったり、遥かな空の高みへと私をいざなってくださった瞬間、愛しい気持ちが溢れ出て来てしまったんです」


 綺麗な笑顔だと思った。

 と、同時にこれは本気だ、とも思った。


 中途半端な言い訳は通用しない。

 真摯に素直な気持ちを告げる必要があるだろう。


『なるほど、あなたのお気持ちはわかった。正直に言えばとても嬉しい』


「まあ。まあまあまあ……。素敵ですね、自分の願いが成就するというのは。こんなにも幸せな気分になれるんですから。これからは妻として何卒よろしく――」


『待て待て待て。早まるな。気持ちは嬉しいが、我はどうあってもレイリィ王女を受け入れるわけにはいかない』


 頭を下げかけた姿勢のまま、レイリィ王女は固まった。顔をあげると、青色がかかった瞳にからは大粒の涙がこぼれそうになっていた。


「わ、私のことがお嫌い、ですか……?」


『そうではないが、あなたは王女という立場にある』


「そんなものなど、タケル様が望むのでしたらいくらでも――」


『あなたは聡明な女性だ。いっときの感情でそう口にしたとしても、あとから付随する諸々を勘案すれば、できるはずがあるまい。今まで自分を慕ってくれた民を、あなたのような方が捨てられるはずがない』


「それは…………」


 王家に生まれた者の定め。政争の道具になろうが国家の奴隷であろうが、結局は国に寄与し、民を救うことに繋がる。王女の身勝手な行動で民が苦しむ結果だけは望まないはずだ。


『それにな、我はハーン王家とだけは馴れ合う訳にはいかない理由がある』


「タケル様ご自身が、私の家と……?」


 本気でわからない様子だ。僕の名前を聞いてもピンと来てないだけかもだが。


『聖都消滅』


 ポツリと呟いた言葉がレイリィ王女へと浸透していく。

 数瞬目が泳ぎ、はッ――と、理解の色が顔に差した。


「まさか、あなた様が……?」


『そうだ、我は聖都を消滅させた大罪人として、ハーン王家に――ヒト種族の世界に広く指名手配されている。まあもう死んだことになっているようだが、実はこうして生きている』


 ――ガチャン!

 目をやれば、ウーゴの足元でカップが割れていた。


 浅黒い肌なのに顔を真っ青にして、『北の大災害……』などと呟きながら口端から泡を吹いて震えている。


 黙っていたのは悪かったが、危険は必要経費なんだろうウーゴよ?


「フリッツ・シュトラスマン名誉男爵が討伐した魔族種とは、タケル様のことだったのですか?」


『そうだ』


 あー、懐かしいな。あの道化野郎、そんな名前だったか。しかも名誉男爵って。炎の魔法の集中砲火に巻き込まれて死んだと思っていたが生きてたか。


「聞いてない……私は全然聞いてない、聞いてない聞いてない聞いてない……」


 ウーゴの衝撃は計り知れないようだった。まあ全部濡れ衣なんだけど、王女の前で釈明するわけにもいかない。しばらくそうしててくれ。


 ブツブツ言いながら震えているウーゴを部屋の隅に追いやり、僕は割れたカップの上に水魔法を展開する。


 ちょっと粘度高めのスライムみたいな水を作り出し、床にモニュっと押し付けてやる。破片が全部くっついたのを確認してから、それをお盆の上に乗せて魔法解除。見事破片だけがパラパラと残った。


 うん、ヒト種族の討伐軍に追われてたときは、こんなに器用に魔法を使えなかったからな。真希奈様様である。


 レイリィ王女はショックのあまり、椅子に座ったまま項垂れてしまっている。可哀想だが仕方ない。あとで『祝福の尖塔亭』とやらに送ってあげよう。


『ところでウーゴよ、頼んでいた整理券の方はどうなった?』


「はッ――――、そうですお仕事の話をしましょう! 私とタケル様は仕事上だけの仲間ですしね!」


 そう強く思い込むことでお前の精神が安定するならいくらでも付き合うよ。


「じゃんッ! こちらになりまーす!」


 ちょっとテンションがおかしいウーゴが取り出したのは商人ギルド発行の整理券である。なんの整理券かというと、晩餐会当日ベアトリス殿下が広く謁見の時間を取ってくださるそうなので、その整理番号だ。


『2万、とんで701……?』


「はい、悔しいですが、私の格もエストランテではこんなもんです!」


 普通ならしょげ返るはずだが、ウーゴは何故かエッヘンと胸を張っている。


『こりゃあ参ったな。まったく現実的じゃない』


「はい、正直ベアトリス殿下の体力を考えれば、よくて300人程度しかお目通りが叶わないでしょう」


 お目通りの際には献上品のお披露目も行われる。そのときに例のアレを見せつけてやろうと思ったのだが――


『早急に龍王城に帰って対策を練る必要があるな……』


「ギルド発券の整理番号は王宮でも当然照会します。お目通りが早いほど身分も高貴になっていきます。なかなか、そこに割り込んでいくのは難しいのでは?」


 最悪整理番号の改ざんや、偽造などということにも手を染めなければならないだろう。真希奈にスキャニングさせて、地球でカラーコピーすれば、まあ殆どこっちの世界で見破れるものはいない。この際背に腹は変えられないだろう。


「私、一番ですけど……」


 不意に、背後から声がした。

 振り返れば、項垂れたままのレイリィ王女だった。

 前髪の間から睨みつけるような瞳が僕を射竦いすくめてくる。


「私、オットー・レイリィ・バウムガルテンと、イレーネ・アンゲリーナ・ドゴイ王女とプリシリア・サリ・グリマルディ内親王殿下で一番と二番と三番です……。タケル様が望まれるのでしたら、私からの紹介ということで挨拶に随伴させることも可能です……」


 ゾクっと僕の背中を悪寒が走る。今までの恋に焦がれていた少女とは違う、自分の思いをどんな手段を使ってでも達成しようとする女の執念めいたものを感じた。


 僕を下からめつけたまま、レイリィ王女の口元がニィっとつり上がる。


「タケル様にとって、私が利用価値のある女であれば、問題ありませんよね?」


 問題など正直ありまくる気がする。だが、彼女の申し出が、今の僕らにとっては最高の導きであるのも事実だった。


「タケル様はもしかして、謁見の際にベアトリス殿下を亡き者にするおつもりですか……?」


『いや、それは絶対にない。僕が今創り上げている至高の芸術品を献上するだけだ』


「でしたら、なんの問題もありませんね」


 もし僕が「そうだ、ベアトリス殿下を殺すつもりだ」と言ってしまえば、彼女はなんと応えたのだろうか。まさかそれでも尚頷いたというのか……?


 僕に拒絶された瞬間から、項垂れていた僅かの間に、彼女の脳内でどのような思考整理が行われたのか。いや、そんなチャチなものでは断じてない、悪魔めいたものが誕生したのかも……。


「タケル様の妻にしてくれなどとは言いません。どんな真意があるのかも存じません。ですが私がタケル様にとって利用価値のある女でしたら、お仕事としてお付き合いくださいますよね?」


 僕は数瞬だけ迷ってからレイリィ王女に向き直った。


『あなたの気持ちを知っておきながらそれを利用するのは心苦しい。だが僕も遊びでここに来ているわけではない。あなたの申し出を受け入れさせてもらう』


「であれば――」


 レイリィ王女がフラリと立ち上がる。

 そしてそっと右手の甲を上にして差し出してくる。

 僕は騎士の刀礼の儀式のように跪き、恭しくその手を取った。


「あなた様はずるい男です」


『よく言われます』


 ふっ、と王女は笑った。

 僕も鬼面の下で笑った。


 ベアトリス生誕祭はもうすぐそこまで迫っていた。


 続く。

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