第291話 東国のドルゴリオタイト篇㉖ やんごとなき美姫達の恋バナ〜私が愛した流星の君

 * * *



 エストランテ国内で随一と名高いユーノス商会。

 日用雑貨から食料品、嗜好品まで幅広く取り扱っている。


 その商いの中でも大きな割合を占めるのが旅館業。

 ユーノスの看板を頂く旅籠は国内のみならず、獣人種やヒト種族の主だった地域にも出店している。ユーノス商会員のみならず、商人ギルドに登録する者ならば、割引が適用されるなど特典も多い人気の宿だ。


 そのなかでも特に等級グレードが高いのは、エストランテの首都ヘスペリストにある高級旅籠『祝福の尖塔亭』であり、よくて二階建てがせいぜいの市井の建物にあって、王宮以外では数少ない立体建築を許可された旅籠だ。


 市内にも関わらず遥か水平線までも一望できる上層階の一等客室は、王都の大商人や大臣、王家ゆかりの者も泊まることができる豪華な仕様となっている。


 そしてそんな『祝福の尖塔亭』は現在、厳戒態勢に置かれていた。

 たった三名の客のために、貸し切り状態となり、建物の入口から裏口、非常通路、そして各階層にいたるまで、王都、ドゴイ、グリマルディの兵士たちが入り乱れて巡回を行っており、中にはにらみ合い、一触即発の事態に陥っている者もいた。


 唯一の例外が最上階のさらに上にもうけられた展望室。

 見晴らしのいい屋上に東屋がしつらえられ、何も遮るもののない眺望が思う様堪能できる贅沢な空間だった。


「それでは、ここから先の護衛は不要です」


「全員入り口の向こうで控えていろ。聞き耳を立てることもならん」


「あとな、階下が騒がしいんよ。みんなに喧嘩は控えるようにってくれぐれも伝えておいてな〜」


 バタン、と扉を閉める。

「せめてお付きのメイドだけでも!」という護衛の切なる願いさえぶっちぎり、オットー・レイリィ・バウムガルデンと、イレーネ・アンゲリーナ・ドゴイ、そしてプリシリア・サリ・グリマルディはようやくお互いだけになることができたのだった。


「さてと、取り敢えず席につきましょうか」


「うむ。そうしよう」


「なんか不思議な感じやね」


 クルルルと、渡り鳥が鳴いている。

 悠々と翼を広げ、風を受けながら、羽撃き一つせず空を行く。

 円卓に座しながらそれらを見上げ、三人はしばし呆然とした。


「いいですわね、なんだか」


「悪くない」


海鳥クルプフなんて見慣れてるはずなのにねえ」


 同じものを見て同じように良いと感じる。

 図らずも同年代の姫たちが一堂に会したこの集まり。

 単なる思いつきで始めたことだったのに、存外妙案だったのかもしれないとレイリィは思った。


「さて、まずはお茶にしましょうか。誰ぞ――」


 そう言ってレイリィは手を叩きかけ、ピタリと動きを止めた。

 それをしてしまっては三人だけの会合の意味がなくなる。

 先ほど自分で言ったことをさっそく反故にするところだった。


「そうですわ、私達だけしかいないのだから、私達が動かないと話になりません。お茶は私が淹れましょう」


「な――レイリィ王女自ら?」


「それはあかんえ。お茶ならウチが――」


「いえいえ、プリシリア様には後でグリマルディ式のお茶を淹れてもらいますので、今は私に淹れさせてください」


 それでも渋るふたりに対して、レイリィは強権を発動した。


「私、お二方よりもお姉さんですから。ここは年長者の言うことを聞いてください」


 レイリィ17歳。イレーネ15歳。プリシリア16歳。

 この中で最も年長なのがレイリィだった。イレーネは「そういえばそうだった」とまったく年上に見えないレイリィにおとなしく従うことにする。


「さあどうぞ」


 予めメイドが用意してくれていた茶葉に、ポットのお湯を注いだだけのものである。とても淹れたとは言い難いものではあるが、そもそも給仕にも縁がない三人だ。長年メイドたちの仕事を見ているため、辛うじて真似事ていどのことならこなせるので、形にはなっているが……。


「これは――悪くない」


「確かにワルないけど」


 ふたりがお茶を口にするのを見届けてから、レイリィも腰を落ち着けて優雅にカップを傾ける。


「なんといいますか、メイドのありがたみが分かる味ですね」


 そもそもお湯の温度が足りていない。茶葉が開く前に注いでしまったために、完全な色水になってしまっている。香りもまったくない。王家に仕えるメイドの質の高さを改めて認識する。見よう見まねで再現できるものではなかったのだ。


「さて、それは置いておいて」


 全員舌が肥えているために不味いものを我慢して食べることに耐性がない。自然とカップからは手が離れ、イレーネは腕を組み、プリシリアは軽く頬杖をつきながらレイリィに注目した。


「みなさん、好きなヒトはいますか?」


 ブぅーッ!

 王族や皇族にあるまじき失態。果たしてどんな話題が振られるのかと身構えていたイレーネとプリシリアは一斉に噴き出した。


「まあお二人とも、護衛の兵士や給仕たちを外に出していて幸いでしたね。私、ヒトがそんな面白いお顔で唾を飛ばすところを見るなんて初めてです」


 クスクスと笑いながら宣うレイリィに対し、イレーネとプリシリアは真意を質さずにはいられなかった。


「レ、レイリィ王女、私の聞き間違いか? 今あなたはなんと口にされた?」


「は――これはきっと試されてる? きっと王女は政略的な婚姻相手の有無を聞いてる?」


 相手の言葉を素直に受け取ることはできない。彼女たちのいる世界はまさに魔窟。ひとつの言葉の裏にひとつもふたつも別の意味が隠されているが普通なのだ。バカ正直に上辺だけで言葉を返しては国益を損なうことすらありえる。だというのに――


「いえ、政略結婚とかそんな話は今はどうでもいいので。好きな殿方がいらっしゃったら教えていただこうかなと」


 イレーネとプリシリアは顔を見合わせた。

 そんなことを言われても、という表情だ。


「そうは言われてもな。私たちは市井の女子とは違い、好きに婚姻相手を選べる立場にはないのでな」


「そうやねえ。ウチも特別誰かを好きになったことはないんよ。というか、好きになったら自分が辛いだけやから、そんな風に男を見たことがないねえ」


「まあ」


 プリシリアの言葉は最もなものだった。

 例え将来を誓いあった男性がいたとしても、その相手と結ばれることはまずないのが王族や皇族だ。自然と男性など視界に入らないようにしているのかもしれない。


「では好き、ではなくとも、憧れや尊敬する殿方はいらっしゃいませんか。市井で流行っていた観劇の煽り文句に『尊敬は愛に変わる』というものがあったので、きっと好きに近い感情だと思うのですが」


 意外と俗っぽい王女なんだな、とイレーネは下手をすれば不敬罪になりそうな感想を抱いた。実際レイリィの物言いは、暇を持て余した貴婦人のようだと思った。


「それならば、やはり身近なところで言えば私の兄になるだろうか」


「イレーネ様のお兄様? フィリップ皇太子殿下のことですね?」


 イレーネとは歳の離れた兄だったはず。

 もうすでに三十路を過ぎ、妻も正室と側室を併せて三人。先日ようやく男子の世継ぎが生まれ、ドゴイは磐石との慶事が近隣に駆け巡った。


「私から見て王族として、軍人として、そして男としてあれほど立派なヒトはいない。もし血の繋がりがない、ただの女だったとしたら、きっと好意を抱いていただろうな。と、いうか、本当にここだけの話で頼むぞレイリィ王女」


「もちろんです。決して他言は致しません。……プリシリア様はいかがでしょう」


「うーん、こんな言い方したらズルいけど、ウチもやっぱり身内かなあ」


「プリシリア様もですか。あら、でもプリシリア様の場合はみな……?」


「そうねえ、ウチは弟ばっかりやねえ」


「なるほど、読めたぞ。プリシリア内親王殿下」


「あら、わかってもうた?」


 イレーネとプリシリアだけで通じ合った様子を見せるので、レイリィは少しだけ唇を尖らせた。


「お二人だけわかってズルいですね。私も早く答えを教えてください」


「いや、答えってほどでもないんよ。ただねえ、思いつくヒトがウチのお父はんってだけで」


「あ、なるほど」


「ガイオス皇であるな」


 イレーネが口にした人物こそ、プリシリアの父であるガイオス・エマ・グリマルディ皇である。屈強な海の男としても有名で、単純な腕自慢だけならヒト種族の中でも随一と噂されている。


「第一線を退いたとはいえ、未だ数々の伝説は色褪せぬ武人だな」


 さすがイレーネは軍事大国の姫。英雄豪傑の話には目がないようだった。


「そうやねえ。今は内政ばっかりやけど、それでもたまに鍛錬はしてるんよ。あとまた側室を迎える話が来てて。たまには可愛い妹でも作ってくれんかねえ」


「下の弟君はまだ可愛い盛りではありませんか。女ばかりのウチに比べたら羨ましい限りです」


「それでも弟ばっかり11人もいらんよー! みーんなやんちゃで手がつけられんから乳母たちが苦労してるんよ。しかも11人全員赤ん坊の頃から見てるから、泣き方から癇癪まで全員おんなじでビックリするえ。まあ可愛いは可愛いけどなあ」


 イレーネといいプリシリアといい、自分の身内の話をしている彼女たちは尊敬や愛情が随所に感じられる。もしかしたらそれは、政略結婚の相手から話題を逸らすための予防線かもしれなかったが、レイリィはニコニコと興味深そうに聞いていた。

 

「それで、こんなことまで話させたのだ。あなたはどうなのだ、と話題を振らせてもらおうレイリィ王女」


「ウチらにだけ話しさせといて、自分はすっとぼけるんはナシよ王女はん」


「それはもう、私も父を尊敬していますよ」


 レイリィの言う父とはもちろん、ハーン14世ことオットー・ハーン・エウドクソス王のことである。人類史上比類なき巨大国家となった王都共々ハーン14世の威光は山を超え海を渡り、ドゴイやグリマルディにも轟いている。


 あまりにも強大な権力が一極集中したために、諸侯共同体を前身とする諸侯連合体アーガ・マヤが発足し、そして近年では人類種神聖教会アークマインの総本山である聖都が急速な発展を遂げ、王都に並び立つのではないかと噂されていた。


 だが現在を持ってしてハーン国王の威光はいささかの陰りも見せず、レイリィの姉たちである王女三名が政略的に近隣諸侯やドゴイ、グリマルディの王族へと相次いで嫁ぎ、さらなる権力の集中が予想されている。


 あとはハーン国王念願の男子の世継ぎでも生まれれば王都の繁栄は約束されたも同然であるのだが……。


「ハーン国王の名前を出されては文句のつけようもないな」


「ほんにねえ。それにしてもお互い難儀やね。身内がすごすぎるとちょっとやそっとの男じゃあ霞んで見えてしまうわあ」


 どんなに良縁に恵まれ嫁いでいこうと、そこの男はみな自分が尊敬する人物より見劣りがしてしまう。父や兄を超える逸材とは結局、将来性に期待し、妻となった己自身が支え、育てていくしかないのである。


「とまあそれは以前までのお話でしたけどね」


「む?」


「はえ?」


 喋り続けで喉がかわいたのか、冷めた不味いお茶で口を湿らせてからレイリィは言った。


「私は出会ったのです。恐らく父をも超える殿方――流星の君に……!」


 キラキラと瞳を輝かせ、祈りを捧げるように手を組むレイリィの姿は、年齢以上に幼く見えるのだった。



 *



「そうそう、ラミパスが食べたいのだったな。すぐに切り分けよう」


「ウチんとこのお菓子、セルベスも持ってきてるよ。お茶もいれよなあ」


「あからさまに話題を逸らさないでもらえます?」


 一斉に席を立ちかけたふたりを制するよう、レイリィはやや平坦な声を上げた。

 イレーネとプリシリアは互いに顔を見合わせながら着席する。


 ふたりが腰を落ち着けるのを待ってから「こほん」と咳払いをひとつ、レイリィは語り始めた。


「あれは忘れもしない4ヶ月前のことでありました。私は年明けの軍事式典に参加するべく、アーガ・マヤのマイトレア軍港から進水したばかりのアストレイアー号に乗り、グリマルディとの接続水域に留まるという示威行動の旗幟きしとして担ぎ出され、海の上を漂っていました」


「あー! アレってやっぱり単なる脅しやったん!? デッカイ軍艦が来よる言うて、ウチんとこ大騒ぎやったんやから!」


「なんだ、いつものことではないか」


 互いの領海に軍艦を出し、ギリギリの水域を掠めるように通行する。あるいはわざと大規模な軍事演習を行い、それに対する相手国の対応やその手順を観察するのはままあることだ。


 目を白黒させて怒鳴るプリシリアに対して、イレーネは香草漬け肉の腸詰め――ラミパスを取り出し、さっそく切り分けようとするものの、帯刀は禁じられているのを思い出し途方に暮れた。


 迷った結果、ここは軍隊式で行こうと決め、皿の上に丸ごと一本を載せ、それぞれレイリィとプリシリアの前に出してやる。そしてこれが見本と言わんばかりにイレーネは腸詰めにかぶりついてみせた。


「とにかく――、私は暇を持て余していました。唯一私と心を通わせるエイミィお姉さまは別の任務で遠くに行っており、側にいるのは噂好きのメイドたちのみ。彼女たちの赤裸々な世間話を風魔法を使って盗み聞きするのも飽き飽きしておりました」


「エイミィ(モッチャモッチャ)――ああ、騎士エミール・アクィナス殿だな。素晴らしい実力の持ち主だったと記憶している(ゴクン)」


「ウチも覚えてるえ。あのヒト、女にしておくにはもったいないくらいの素敵な騎士様やったなあ。ところでこれ、どうやって食べるん?」


 ゴロンと皿の上に置かれた腸詰め肉をためつすがめつ眺めるプリシリア。レイリィは両手でそっと優しくラミパスを持ち上げると、口づけをするよう優しく端っこに歯を立て、薄くこそいだ肉をハムハムと咀嚼し始めた。


 プリシリアも嘗て遠き幼き日、父が浜辺で魚を串焼きにしてくれた記憶を思い出しながら、恐る恐るかぶり付く。メイドたちが見たら悶絶しそうなはしたなさだったが、姫たちを咎めるものは誰もいなかった。


「メイドたちは不敬にも私の嫁ぎ先について論議を交わしておりました。そうです、私は末娘の立場にあぐらを掻き、ずっと婚姻の話を袖にし続けきたのです」


「ここまでハッキリ言われるとむしろ清々しいものがあるな」


「(もぐもぐ)ウチもそう思うわ。この短時間でレイリィ王女はんの印象がだいぶ変わってもうたね(もぐもぐ)」


「正直に言いますと、父の方からはそれとなく、ベアトリス王子と親しくなれ、という密命を受けておりますの」


 ぶーッ!

 本日二度目の噴射だった。


 噴き出したのはイレーネのみであり、咀嚼中だったプリシリアは乙女の矜持を発動させなんとか耐えることに成功していた。口元を必死に押さえ、顔を真赤にした有様ではあったが。


「そ、そんなこと、話してもいいのか……?」


「私らにとっては貴重すぎる情報やけど……」


 エストランテはかつて、王都と諸侯連合体からは裏切り者の烙印を押されていた。エストランテの初代王であるオイゼビウスは、諸侯共同体を出奔した没落貴族だったからだ。


 だが近年、その関係性が是正され、商業大国として認められたエストランテとの間に国交が回復した。


 もともと敵対するには遠すぎる国だし、逆の見方をすれば、世界の果ての領域に、飛び石でヒト種族を頂く王国が存在することを意味する。


 まったく勝手な言い分だが、王都や諸侯連合体の一部では、あそこはヒト種族の領地だと考える向きがあるのも事実だった。


 そんなエストランテに王家の末娘が嫁ぐとなれば、これはドゴイやグリマルディも黙ってはいられない。エストランテ王家ゆかりの貴族に、ドゴイの王家やグリマルディの皇族を嫁がせる必要が出てくるだろう。とにかくハーン王家に遅れを取ってはならないのだ。


「ですが、そんなことは今はどうでもよくなりました! 私にはもうあの方しか見えません! 『流星の君』――あの方は自由の象徴。何者にも縛られず、私を新たな世界へと導いてくださる至高の御方なのですわ!」


「す、少し落ち着けレイリィ王女、気持ちはわかった。つまりあなたはすでに運命の殿方に出会っている、ということなのだな?」


「ちょっと羨ましいねえ。少なくともウチはそんな風に男を好いたことはないからなあ……」


「失礼しました」


 いつの間にか席を立ち、演説調で語っていたことをレイリィは恥じた。


「申し訳ありません。ずっとずっと胸のウチにしまいこんで誰にも話せる相手がいなかったものですからつい……。己の不徳を恥じるばかりです」


 ああ、いつものレイリィ王女に戻った。

 現在王家の直系で自由に動けるのは彼女のみである。

 船旅の間、誰にも話せず悶々としていたのだろうから大目に見よう。

 イレーネとプリシリアはそう思った。


「流星の君、とはずいぶんな二つ名だな。察するにほうき星の如き剣速を極めし武人だろうか?」


 語感から察するによほどの手練か、とイレーネは予想する。

 だがレイリィは悲しそうに目をとじると、静かに首を振った。


「わかりません。本当に突然私の前に現れたのです。あの夜、冴え冴えと天に聳えるふたつのムートゥ。それを背にしてのお方は現れました」


 再びウットリとし始めたレイリィだったが、言葉の中に看過できない単語を聞き、プリシリアは問いただした。


「そ、それって、ホンマに空から現れたって意味ですのん?」


「はい。グリマルディの接続水域に停泊中、あのお方は突如として空から降臨されたのです」


「――風魔法の使い手か。しかし空を飛ぶとは常識はずれにも程がある……!」


 イレーネは戦慄と共に呟いた。

 四大魔素を用いて空を飛ぶ。

 そんな研究は古来より繰り返されてきた。


 結果的に生み出されたのが、風の礫を足場にして自身を高みへと押し上げる補助的な風魔法である。


 ただし魔力に限界があるように、作れる足場には限りがあるため、使い所は限られる。例えば障害物を乗り越えたり、建物と建物の間を移動したり、険しい山岳地帯の踏破などに利用される程度だ。


 話を聞く限りでは『流星の君』とやらは全く足場のない海のど真ん中に現れたようだ。これは完全なる飛行の魔法であり、常人の魔力量でできる御業ではない。そんなことができる者といえば――


「魔族種。ヒルベルト大陸を根城とする彼の者達の中には、ヒト種族を遥かに超越した魔力を持つものもいるという」


「それかもしくは長耳長命族エルフかもしれんねえ」


「まあ! 確かに、あのお方の意匠はヒト種族とも獣人種のものとも違いました!」


 レイリィは記憶を探りながら訥々と語る。

『流星の君』は見たこともない鎧姿だったこと。

 足元からは魔法によるものか炎を噴き出していたこと。

 何やら手元には大事そうに何かを抱えていたこと。

 話を詳しく聞くに連れ、イレーネとプリシリアは感心したように頷いた。


「空を、飛んでいたのだろう? レイリィ王女は甲板から夜の空を見上げていたのだろうと推察するのだが……?」


「それでそんなに細かいところまで見えるってすごない?」


「何も難しいことはありませんよ。私もその時初めてできたのですが、風の魔法を利用して視力を補助すれば容易いことでした」


「風の魔法……?」


「補助って」


 さらりと、見たことも聞いたこともない魔法の可能性を示唆されイレーネとプリシリアは押し黙った。イレーネはもし風の魔法にそんな使用方法があれば、偵察兵全員に習得させたいと考え、プリシリアは海の航海にきっと役に立つなあ、などと思ってしまう。


 レイリィはニコっと笑うとおもむろに席を立った。「何も難しいことはないんですよ」と言いながら、展望席に設えた鉄柵の前まで進む。自然、イレーネとプリシリアも後ろをついていく。


「ほら、遠見の筒があるでしょう。あれの内部構造に使われる水晶を風魔法で作ってやればいいんです。するとほら、港に停泊するドゴイの高速船の横腹にある王家の紋章くらいならここからでも見れますね」


「どんな視力だそれは!?」


 今度こそイレーネは叫ばずにはいられなかった。

 港からこの旅籠までは馬車で半刻ほど揺られた首都のほぼ中央に位置する。

 鉄柵から身を乗り出して見えるのは、霞がかかるほどの遠方の景色だけだった。


「ウチちょっとだけやったら風の魔法使えるんよ。王女はん、教えてくれへん?」


「わ、私も炎の魔法が得意だが、風も少しだったら……お願いできるだろうか」


「もちろんいいですよ」


 そうして、三人だけのお茶会は風魔法の新たな使用法を講釈するものに変わってしまった。三人は鉄柵に捕まりながら、高所から街を見下ろし、外界を見下ろし始めた。


 幸い視力を補助する魔法はそれほど多くの魔力を必要とせず、ふたりも不器用ながら遠見の魔法を使えるようになっていった。そうすると、遠くのモノを近くに見るという純粋な面白さが勝り、三人共夢中になって市内散策を始めてしまった。


 ――『流星の君』と出会った夜、レイリィが同時に願った、同年代の女子と遊ぶという夢は、このとき確かに叶っていたのだった。


「これはおもしろい。是非とも偵察兵の必須魔法にしておこう」


「ウチも。これをできる船乗りが増えたら、急激な天候の変化も早めに対応できるなあ」


「それにしてもやっぱり、市内には見慣れない異国風な方々がたくさんいらっしゃいますねえ」


 もともとエストランテはヒト種族と獣人種が混在する街だ。多くのヒト種族は商売のためにやってきた商家の縁者であり、獣人種は近隣の列強氏族の領地から流れて住み着いた者が多い。それにつけ、港からは続々と新たな船が到着し、ヒトと物資とを吐き出し続けている。


 そんな中、プリシリアが「およ?」っと声を上げた。


「変わった鎧姿の御仁がおるえ。あれは――うーん、ちょっと見たこと無いなあ。少なくともグリマルディやないね」


「どこだ? 世界中の軍服や甲冑礼装を暗記している私が見よう」


「あそこ、手前の大通りをずーっとまっすぐ行って、商人ギルドの旗印の真ん前。若い商人風のお兄さんの隣に、なんかゴッツイ鎧のヒトおらん?」


「見つけた。緋色の外套衣マントに……確かにアレは見たことがないな。漆黒と白銀の全身鎧など初めて見た」


「ちょっと、私にも教えてもらえますか?」


 イレーネが口にした鎧の特徴は、レイリィの記憶に焼き付いたものと酷似していた。


 青白いムートゥの輝きを跳ね返す銀の鎧と夜空に溶け込むような漆黒の鎧。それらが混在となった『流星の君』は確かに、炎の色の外套衣を棚引かせていた。


 イレーネに場所を譲ってもらい、ぐぐっと身を乗り出すように外界を見下ろす。

 大通りをつぶさになぞりながら、知らず高鳴り始めた胸を押さえ、レイリィは遠見の魔法を駆使して行く。


 そして――


「あ」と、声が漏れていた。

 途端、「危ない!」と羽交い締めにされた。


 鉄柵から半ば投身する勢いで乗り出してしまっていた。

 とっさにイレーネが押さえつけてくれなければ本当に危なかった。


「何をしているレイリィ王女、もう少しで落ちるところだったぞ!」


 なんだか親しい友人に叱られているようで嬉しさがこみ上げる反面、レイリィはそれどころではなかった。


「み、見つけた、見つけました!」


「王女はん、何を見つけたって?」


 小首を傾げるプリシリアと目を吊り上げるイレーネに、レイリィは我慢できないとばかりに叫んだ。


「りゅ、『流星の君』です!」


 途端、レイリィは走り出していた。

 グワっとドレスの裾を持ち上げながら扉を押し開け、控えていた三国の護衛たちを袖にし、ひたすら階下を目指して走る走る。


 しばし呆気に取られたイレーネとプリシアだったが、「不味い」と正気に返った。


「何をしている、王女を追え! 街中で彼女をひとりにするな!」


 さすがは軍人でもあるイレーネは通りのいい声をしていた。

 弾かれたように動き出すドゴイの護衛兵と、それに負けじと王都の護衛兵も動き出す。


「とりあえず、面白そうやからウチらも行くえ?」


 プリシリアは完全に見物気分で殿を務めながら追跡を始める。


 果たしてその先には、劇的な再会が待っているのだった。


 続く。

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