第288話 東国のドルゴリオタイト篇㉓ 黒猫と赤猫のイメクラプレイ〜あなたの夢、全て叶えます

 * * *



【ヒト種族の領域・西プリンキピア大陸・諸侯連合体首都アーガ・マヤ】


 オットー・ハーン・エウドクソスの一王独裁いちおうどくさいを危険視した元王都諸侯たちによって設立された諸侯共同体を前身とする――地球でいうところのユニオン。それが諸侯連合体――通称アーガ・マヤである。


 首都アーガ・マヤの中央に君臨するのは連合体本部ダブレスト。

 王都のハーン王宮が球体を想起させるまろやかな曲線で構成されているのに対して、ダブレストは直線を多く取り入れた刃物のような印象のある四角柱の建物である。


 その下に広がるアーガ・マヤの街並みも軒並み直角的な建物が多くなっており、街路も碁盤の目のように整備されている。


 それは製作者の意図によって執拗なまでに曲線が排除されたためであり、王都に対する畏敬と憎悪を街全体が誇示しているとも言えた。


 アーガ・マヤに住まう人々は総じて勤勉で真面目。つつがなく日々の仕事をこなしながらどこかしら人形じみた冷血さが漂うヒト柄で有名だった。


 常に冷静であれと、感情を表出してしまうことは恥であり、家族や友人の前でも大声で笑ったり、悲しんだりすることは恥であると、子供の頃から教え込まれる。


 だからこそ。

 老いも若きも男も女も。

 心の何処かにはけ口を求めている。


 人目も憚られる街の暗部。

 誰もが目をそらし、唾棄し、口々に罵る汚穢な区画にそれは存在する。


『バウラード』。捌け口を意味するその言葉は隠語であり、ヒト種族の言語辞典にも出てこない。


 わかりやすく言えば『風俗街』という意味だった。



 *



「本日のお相手を勤めさせていただきます、ソーラスです」


 バウラードには秘密の入り口がいくつも存在する。

 一見すると単なる飲食店なのに、秘密の合言葉を店長に呟けば、店の奥から地下道を通り、内部へと侵入することが可能である。


 今回、男が訪れたのはバウラードの中でも特に人気の高い売春宿だった。


「おお……、本当に獣人種か。供給源がなくなって以来、見かけることもなくなっていたというのに……!」


 男は髪油でのっぺりと撫で付けた頭を振りながら、足元に土下座する赤髪の少女に目を奪われていた。


 赤髪に猫耳の少女――ソーラス・ソフィストは今、扇状的な格好をしていた。

 極限まで薄くした衣は肩紐で引っ掛けたのみであり、大きく首周り、肩周り、腕が露出している。


 ざっくりと開いた胸元からは柔らかそうな谷間が覗いており、彼女もそれを誇張するように意図的に胸を突き出していた。


 だが、男が真に目を奪われているのはソーラスなどではなかった。


「――あ、えっと……」


 男が自分を見ている。上から下まで舐め尽くすようにじっくりと。

 その視線に気づいた途端、ソーラスの隣にいた少女は言葉を失い固まってしまう。


「申し訳ありません、こちら新人になりまして、少しだけ緊張しているようです。ほら、挨拶して」


「は、はい……!」


 促された少女は平身低頭、男の足元にこうべを垂れる。


「は、初めまして、ほ、本日ソーラス共々お相手を務めさせていただきます、アイティアと申します……!」


 洗練されているとは言い難い所作だったが、そんなもの男には関係なかった。

 頭を下げた瞬間、艶のある黒髪がふわりと広がる。それは彼女の肩や腕を滑り落ち、床に着く直前、頭を上げた彼女の動きに従い、生き物のようにたわんでから胸元へとこぼれた。


 赤髪の少女と同様、肌が透けて見えるほどの薄衣に身を包んではいるものの、隠しているようで隠しきれていないたわわな乳房が、男の目を釘付けにしていた。


 ゴクリと、男が喉を鳴らした瞬間、ビクリっとアイティアは肩を震わせた。


「当店はどのようなお客様のご要望にもお応えし、幽幻のひと時をお約束いたします。ここには誰の目もありません。どのような醜聞も立ちません。お客様がこれからすることは、ここだけの話。朝になればすべてが消える一時の夢にございます」


 つらつらと店の説明をするのはソーラス。

 未だ鉄面皮を崩さない男の目はこれでもかと血走っており、そんな視線を注がれるアイティアは恐怖におののいている。


 部屋には特殊な香が焚かれ、男の理性は鳴りを潜め、少しずつ本能が顕になり始める。そしてソーラスの言葉を受けた男は念を押すように「なんでもか?」と聞いてきた。


「はい、もちろん。何でもです」


「おい、黒猫、おまえもか?」


「あ、え、はい、そうです……なんでも、です……」


 自身を掻き抱くように後ずさるアイティアだったが、それは逆効果にしかならない。細腕で豊満な乳房を覆い隠せるはずもなく、ギュッと凝縮されてはち切れそうになったそれは、男の理性の鎖をあっさりと引きちぎらせる。


「よし……ふう、いいぞ、はあ、お前に命令、ふうふう、してやる……!」


「ひぃ!」


 後ずさっていたアイティアが寝台に阻まれる。

 これ以上逃げられない。でもベッドの上に乗ってしまえば抵抗もできなくなる。

 自分を抱いて震えることしかできないアイティアの前に、男は詰め寄った。


「命令だ……俺は……俺を、叱れ! 優しく! 母親のように!」


「…………はい?」


 肩紐が片方ずり落ちた。

 アイティアは砂地が水を吸収して乾燥するくらいの時間をかけて言葉を咀嚼そしゃくすると、改めて男へと聞き直した。


「えっと、……叱ればいいんですか?」


「違う、母親のようにだ! だが決して厳しくは叱るな、こう幼子がイタズラをしてしまって、それを優しく咎めるように……そう、甘えさせながら叱るのだ!」


 なんと複雑怪奇な。アイティアは混乱した。

 この男、優に自分の四倍は生きてるであろう立派な大人が、どうして子供のフリをしてまで叱られたいのか、まったく理解不能なのだった。


「まさか、できないのか……?」


「い、いえ! ちょ、ちょっと待って下さい」


 母親母親……。

 もちろんアイティアが思い出すのは自分の母親のことだ。

 だがアイティアの母はかなりのんびりでおっとりとしているため、もっぱら叱られるのは父からばかりだった。母親に叱られるってどんな風だろう?


 他に思い当たるのは自分の主のことだ。

 獣人種列強氏族のひとりである彼女は、強く逞しく、未婚でありながらも大きな包容力を持った母親的存在と言えるだろう。


(そうだ、もしラエル様がご子息を授かられて、甘やかすように叱ろうとすれば……)


 アイティアは期待と興奮で破裂寸前になっている男への恐怖心を飲み込むと、自分が演じる相手へと憑依する。


「なまえ」


 ポツリと呟くと、男は「イヤルドぉ!」と唾を飛ばしながら叫んだ。


「イヤルド……ルド……ルド坊」


「うおおおお……!」


 決定。ルド坊。アイティアは本格的に演技を開始する。


「ルド坊、そこに座りなさい」


「は、はい!」


 男はベッドに腰掛けるアイティアの前に膝をぶつける勢いで正座すると、足をもじもじ、目を輝かせながら見上げてきた。その嬉しそうな顔を見て、アイティアは口を開く。


「それが怒られてる顔? ちょっと反省が足りないようね?」


「あ、いや、それは――」


「口答えしない」


 少し固い声を出しただけで、男がしょげ返る。

 やだ、ちょっとおもしろいかも。


「お母さんに叱られたいだなんて、今日はどんな悪いことをしてきたの?」


「不正会計の書類をもみ消しましたァ!」


 よりにもよって真っ黒い告白だった。


「私は嫌だったんです、もう幾度同じことをしてきたのかわからない! でも逆らえば今の地位は失われてしまう! 誰も逆らえないんです! みんながやってるんだって自分を誤魔化してきたけど、それももう限界なんです!」


 やはりか、とアイティアは心の中でため息をついた。

 この店がダブレスト本部の要人御用達であることは調べがついていた。

 そしてこの男もまた、かなりの地位にある幹部であることも。

 名前だって知っていたけど、まさか自分から呼ぶわけにはいかなかったのだ。


「議長たちは自分たちが私腹を肥やすことしか考えてない! アーガ・マヤの諸問題はすべてこちらに丸投げなんです! そのくせ最近は王都のあら捜しばかりしていて……最近だってアクラガスの宿場町まで密偵を送ってるんです!」


 気になる単語が出てきた。

 アイティアは目配せをすると、ソーラスが頷いた。


「そう、辛かったのね。ルド坊はなにも悪くない。むしろ被害者だわ。そんな傷だらけの心を抱えて、今までよく頑張ってきたわね」


「あ、あああ……母さん!」


 アーガ・マヤの一般的な母親とは子に対してかなり躾が厳しいと聞く。

 そして物心付いたときから来るべき競争社会への船出に備え、勉学を開始させるのだ。このイヤルドも、幼い頃から厳しい家庭環境に晒され、母からの愛情を注がれなかった哀れな男なのだ。


「母さん、母さん、うわーん!」


「ちょ、えッ!?」


 中身が子供になっているからといって、現実の体格差は覆せない。

 男は涙でグシャグシャになった顔のまま、ベッドに腰掛けるアイティアへと飛びついた。


「母さん、ああッ、なんて暖かいんだ母さん! ずっとこうしたかった、こうやって甘えてみたかったんだ……! それなのに本物の母さんは俺をムチで叩くばかりで……!」


「ちょ、待ちなさい! コラ、やめ、ひゃんッ!?」


 男はアイティアをガッチリと抱きすくめ、その豊満な胸元に顔を埋めた。

 男が喋りながら首を振る度、荒々しい吐息がアイティアをくすぐる。

 それは決して子供の無邪気な仕草ではなく、性的なものを想起させる下卑た行為だった。


「でも俺は知ってるんだぞ、母さんは夜な夜な、父さんがいないのをいいことに酒屋のおじさんと毎晩……!」


「こら、ルド坊ッ、ダメ、やめてッ、いやあッ!」


「母さん、母さん、母さ――はふん」


 男の動きが止まる。

 アイティアが恐る恐る目を開ければ、男の口元が布で覆われていた。布を押し付けているのはソーラスだった。


「遅いよ、ソーラスちゃん……!」


「ごめん、もうちょっと有益なこと喋ってくれるかと思ったんだけど。まあ結局コイツも外れだったか……」


 ソーラスとアイティア。

 ふたりは主である獣人族列強氏族のひとり、ラエル・ティオスの命により、ヒト種族の領域で情報収集を行っていた。


 その目的は人類種神聖教会アークマインの残党の行方を探ることである。

 ヒト種族の社会に置いて、一時は王都に匹敵するほどの影響力を持ち、そして忽然と消滅してしまった聖都。


 その聖都を根城とし、王都や諸侯連合体に深く浸透していたのが人類種神聖教会アークマインだった。


 彼らは多くの禁忌に手を染めており、半ば公然とその資金源となっていたのが獣人種の拐かしと奴隷の売買であった。


 かつてはアイティアも地元の山からヒト種族の悪い冒険者によってかどわかされ、聖都へと売られてしまった過去がある。そんな彼女を救ってくれた者こそ、何を隠そうタケル・エンペドクレスだったのだが……。


「うわーん、髪油とヨダレでどろどろぉ……。気持ち悪いぃ……!」


「悪かったって。でもこれで連戦連敗。どいつもこいつもアイティアばっかり目をつけやがって……! なんで私のところには一人も寄ってこないのよ……!」


 ふたりで出迎えて片方が相手をしながら、催眠効果のある香で酩酊状態にし、できるだけ多くの情報を引き出す。


 そして聞くことを聞いたら最後は原液を嗅がせて朝までお休み……というのが彼女たちの常套手段である。


 目覚めた時には昨夜のことは覚えていない代わりにものすごい倦怠感が襲いかかり、『することはしたんだなあ』という達成感だけ残る寸法である。


「私コレもういやあ、本当は龍神様以外に肌を晒すのだっていやなのにぃ!」


「我慢なさいアイティア。あなたの心は自由であってもいいと思うけど、でもラエル様の部下であることを選んだのはあなた自身なんだからね。そうすることで少しでも龍神様の役に立ちたいって言ったのは自分じゃないの!」


「うう……そうだけどぉ……」


 これまで幾人もの男に血走った目を向けられ、身体に触られ、中には乱暴寸前までいったこともあった。なんとかソーラスがすべて収めてくれてはいたが、正直アイティアはヘトヘトになっていた。


「それでも人類種神聖教会アークマインの残党は確実に存在する。奴らにつながっていると思わしき男たちに網を張って、少しずつ情報を得ていくしかない。弱体化しているいまだからこそ完全に叩いておかないと、またいずれ仲間が拐かされる事態になるかもしれない。あなたが身体を張ることはちゃんと意味のあることなんだよ、アイティア」


「だったらさ、最初から二人でお出迎えするんじゃなくて、交互にやろうよ。たまにはソーラスちゃんが私みたいな目に遭ってみればいいじゃない。なんでみんな私の方を選ぶの?」


「…………嫌味かよ」


「え?」


「交互にはやらない。まず男にどっちか選ばせるから」


「なんで!?」


 ソーラスはトロンと半目になって、口角をぎいいっと釣り上げた。

 口は笑ってるのに目は笑ってない、そんな表情だった。


「これは女の誇りをかけた勝負でもあるのよ。あなたが選ばれる度に私がどれだけ傷ついてるかわかる? それともなに、どうせおまえなんて男に相手にされないんだから諦めて裏方に徹しろって言いたいわけ?」


「そんなこと言ってないよ! っていうか勝負なんかする必要なくない!?」


「いーや、一人でもいい。アイティアと私を比べて私を選んでくれるヒトがいたら、それだけでもう満足するから。それまではがんばって!」


「ならせめてもうちょっと早く眠らせてよ〜!」


 それじゃあ情報が引き出せないでしょ! と突っ込まれ、アイティアはわんわん泣いた。ソーラスはその間に香を落とし、窓を薄く開けて換気を始める。ふん、と鼻の奥に詰めていた鼻栓を取り、眠りこけている男を裸にしてからベッドに放り投げた。


「よし完璧。ほらほらアイティア、いつまでも泣いてないで、さっさと汚れを落としてきなさい。今夜はまだ二人は相手にするよー」


「いやあ、もうお家帰るぅー!」


「たくこの子は――――」


 瞬間、ソーラスの身体が弾けた。

 残像さえ置き去りにする速度で扉へとすがりつくと、勢いのまま開け放った。

 すべてがまばたきの間に行われ、アイティアはビックリして泣き止んでいた。


「ソーラスちゃん……?」


「誰かいた」


 いたか? ではなく、いた。

 断定口調にアイティアの顔が青ざめる。


「ここから離れる時、ほんの少し……針の先ほどの気配の残滓が漏れたんだ……ただ者じゃない」


 それに気づくソーラスちゃんもただ者じゃないんですけど、とアイティアは突っ込みたかった。だがソーラスはすぐさま、「アイティア、ここでの探索はおしまい。逃げるよ」と言い放つ。


 すばやく身支度を始める彼女に遅れないよう、慌ててアイティアも身体を拭き始める。


(龍神様……タケル様……早く会いたいです……クスン)


 ラエル・ティオスから定期的に送られてくる情報によれば、少し前まで彼はラエルの屋敷に逗留していたという。今現在はご自分の領地を平定され、内政を開始しているとか。


 ああ、さぞや立派になられていることだろう、とアイティアは思う。

 彼に会いに行くためにも、一刻も早く汚れを落とさなければ。


 獣人種にあだなした人類種神聖教会アークマイン

 その後継を名乗るものをすべて根絶やしにするのだ。


(タケル様、あなたは今、何をしていますか……?)


 僅かに開いた窓から夜空を見上げ、アイティアは遠い彼の地にいる愛しいヒトを思った。


 そして、その本人と言えば――



 *



「聞き間違いだったらごめんタケル、もう一度言ってくれる?」


 笑顔を浮かべたセーレスを前にタケルは土下座をしていた。

 彼女の傍らには腕を組み、無言の圧力を加えるエアリスの姿が。


 そしてタケルの後ろでは互いに抱き合い、ガタガタと震えるゼイビスとリシーカの姿があった。


「水の精霊魔法使い様にかしこみかしこみ申し上げます……綺麗なおベベを着て王侯貴族たちの見世物になってください、お願いします」


 タケルはタケルで、最大級の修羅場の真っ只中にいるのだった。


 続く。

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