第286話 東国のドルゴリオタイト篇㉑ ナスカ探索隊発足〜私、身請けされちゃうの?

 * * *



「魔法の始まり――即ち始祖は誰だったのか、というのには諸説あります。長耳長命族エルフが使う原始魔法から四大魔素が派生したとする『エルフ説』。魔族種の根源貴族が発明したとする『魔族種説』。ヒト種族の突然変異種が初めて使用したとする『勇者説』。これらの中で最も有名なのが『魔族種説』であり、その始祖の名前はエンペドクレスとされていますが――」


「知ってまーす!」


 クレスが元気よく声を上げた。

 ああ、ズルい。先生が言い終わったら私が真っ先に言いたかったのに。


「そうですね、あなた達がよく知る先生のご先祖様のことですね」


 ふっ――とクイン先生が優しい笑みをこぼした。

 先生は白羊族の獣人種だ。


 特徴的なのは何と言っても頭の両脇でとぐろを巻く、立派な羊角ようかくであり、ふわっと波を描く亜麻色の髪がとっても素敵だと思う。


 少し前まで、私はこの先生を何よりの恐怖の対象として見ていた。

 でも魔法試験で全力でぶつかり合い、戦いあった結果、もう怖くはなくなってしまった。


 それは別に勝ったとか負けたとかを経たからではなく、下手をすれば生死がかかった瀬戸際で、初めてクイン先生の目を見て――先生も私を見て――そうしてお互いに一瞬で心の深い部分に触れ合ったから……だからもう怖くなくなったのだ。


 多分それは死力を尽くした当人同士でしか共有できない感覚。とても言葉では言い表せられない心の機微。ただ確実に言えるのは、先生も私と同じように恐怖し、怯え、悲しみ、嘆く……。そんな当たり前の感情を持った普通のヒトなんだってわかったのだ。


 と、ふとクイン先生が私の方を見る。


「なあにケイト、私の顔に何かついてる?」


「あ、いえ、違います。なんでもないです……」


 言われてから自分がジーっと先生を見つめていたことに気づく。

 クイン先生は「はい、静かに。魔法史の授業を続けるわよ」と言いながら背を向けた。黒檀板に粉筆を走らせ、規則正しい音を立てて文字を書き込んでいく。


 ああ、平和だな、と私は思う。

 一時は魔法学校を辞めようとさえ思った私なのに、それが今では才覚を認められた生徒しか入れない特別教室に編入し、あんなに恐ろしかったクイン先生から授業を受けている。


 怖かったけど、辛かったけど、がんばって踏み出してよかった。それもこれもみんなナスカ先生がいてくれたから――


『ナスカ・タケルが逃げたぞー! 追えー!』


 板書を終えて振り返ったクイン先生が、口を開きかけたその時だった。

 窓の向こうから、風に乗って誰かの声が届く。


 この街では知らぬヒトはいない、風魔法の使い手リィンさんの声だ。

 リィンさんは攻撃魔法が使えない代わりに、街中に自分の声を届けることができるという特技の持ち主だ。


 大きな大通りに声を流して、道行くヒトに街の情報を伝える『リィン・リンドの声風情報局』はこの街の風物詩であり、なくてはならない心の潤いだ。


 そんな彼女が今ナスカ先生の名前を――


「ナスカ先生が来てる!?」


 真っ先に飛び上がったのはクレスであり、ペリル、レンカ、ピアニ、コリス、ハイア、そしてネエムも窓に張り付き、街の方を見ている。


「クイン先生!」


 私は思わず叫んでいた。

 他のみんなからも次々と名前を呼ばれ、先生はがっくりと項垂れながら言った。


「好きにしたら? どうせ今の声が気になって、もう授業どころじゃないんでしょあなた達……」


「すみません、ありがとうございます!」


 我先にと出口に殺到した私達は、持ち前の運動能力を駆使して階下へと飛んだ。アーク巨樹をくり抜かれ、内部外壁に沿うように作られた各階のさらに中央はすべて空洞になっていて、そこに飛び込むのは禁止されている。でも今は時間が惜しい。


「なんだよー、ナスカ先生、俺達に会いに来てくれたんじゃないのか!?」


「今会っておかないと次はいつ来るかわからないよね!」


 喋りながら、クレスは各階の縁に定期的に掴まり掴まり降りていく。

 私は自分で作り出した水精の糸を束ね、ところどころ出っ張っている木の枝に引っ掛けながら下を目指す。


「というか私たちに会いにくる以上に先生がこの街に来る理由がわからないの」


 あ、ズルい。レンカは自分の風魔法、デネブ、アルタイル、ベガを足場にしながら優雅に降りてる。カッコいいなあ。


「もしかしてエアリス先生やセーレス先生も一緒です?」


「けッ、真希奈様やアウラ様、セレスティア様も一緒かもな」


 早速靴を脱ぎ捨てたコリスが自分の足裏から風を吹き出しながら。その首には小さな体のピアニがしがみついている。


「師匠、今参りますぞー! 俺の成長した姿を見てくれでござるー!」


「一応僕は関係ないけど、試験のときの雪辱は果たしたいかな……!」


 ハイアとネエムはクレスに負けず劣らずの運動神経で難なく垂直に近い壁を降りていっている。


「待って、みんな待ってよー」


 ペリルだけは普通に階段を使うようだ。うん、置いていこう。


 なんだかんだ言ってみんな嬉しそうだ。

 私だって先生には報告したいことがたくさんある。

 待ってて、すぐに捕まえて見せるから……!



 *



 集合場所を魔法学校に決めた私たちは、ナーガセーナの街に散った。

 そして散々街を駆けずり回ったのに、未だ先生は見つけられない。

 リィンさんも情報局の人たちと一緒になってナスカ先生を探しているようだけどダメみたい。


 これはもう逃げられちゃったかな……。

 学校に戻った方がいいかも。


 でもその前に、と私は足を止める。

 特別教室に編入したのを切っ掛けに、私は寮へと移った。


 自宅がある場所は街から少し外れた場所にあって、少々通学が不便だったことも理由のひとつだ。


 相部屋はレンカとピアニであり、毎晩見回りの先生の目を盗んではおしゃべりに興じている。ハッキリ言って今はすごく楽しい。勉強も遊びも何もかも。


 その代わり自宅にはもう半月以上も帰っていなかった。

 お父さん元気かな、洗濯物とか溜めてないかな。

 少しだけ様子を見てから帰ることにしよう。


 そうして、この時間なら作業小屋の方にいるかな、と思い、扉に手をかけた時だった。


「ケイトは僕が引き取ります! 僕の娘にします!」


 ナスカ先生? ここにいた――ではなくて。

 え、引き取る? 先生が私を?

 えええええええええええ?


 心臓が爆発して、息が上がって、喉がカラカラになる。

 顔が、顔がものすごく熱い……!


「ケイトを引き取るだとぉ! よくもそんなことを――!」


 お父さんの声が遠くに聞こえる。

 なんだか息苦しい。そして身体がふわふわする。

 まるで夢の中にいるみたいな気持ちになりながら、私は扉を開け放った。



 *



「ふえ? 引き取るって……ナスカ先生が私を?」


 入り口の方から不意に声がして、僕はハッと顔を向けた。

 そこには呆然とした様子のケイトが立ち尽くしていた。


(しまった。ケイトに聞かれていた……!?)


 つい感情任せに言ってしまったのを後悔する。

 いや、ケイトを引き取ると言ったことを後悔しているのではない。

 ケイト本人の意志も確認せずにそんなことを不用意に言ってしまったことを軽率だったと反省したのだ。


「失礼しました。僕もちょっと不躾ぶしつけでした。ただ今後、今の状態のままで改善が見られない場合、そういう話もあり得るということです」


 獣人種の社会制度は列強氏族のワントップの下に統治が敷かれている。その統治に日本でいうところの生活支援に類する制度は整っていない。何故なら『食えないのは自業自得だ』というのが一般的であり、どうしても生活に困窮した場合は、親類縁者を頼るのが普通だという。


 特に収入がない親を持つ子供は『身請け』されることがある。

 文字通り生活援助をする代わりに働き手として子を引き取るのである。


 ケイトがもしそんなことになったら、学校は辞めなくちゃならないし、今まで通りの生活は当然できなくなる。


 商家に奉公に出されたり、旅籠の湯女ゆなになったりするのが一般的だが、ケイトくらい器量がいいと、身分の高い列強氏族の元に側女そばめとして迎えられることだって十分ありえる。


 日本で平和に暮らしていた僕からすれば信じられないことだが、この世界ではそういうのが当たり前にまかり通っている。


 だから、そんなことになるくらいなら、いっそ僕が保護者とし名乗りをあげようとう意味での発言だったのだが……。


「そ、そんな……わ、私がナスカ先生に!? 先生のところに引き取られるって、先生は灰狼族じゃなくて本当は魔族種のえらいヒトだから、だから……つまりそれって私に先生のおめかけさんになれって意味ですか――?」


 おーい!

 ケイトは顔を真っ赤っ赤にしながらその場でくねくねと身悶え始めた。


 違う、あくまでそれはこの世界での一般論であって、僕の常識からすればケイトにそんなことをさせるわけにはいかない。


 ちゃんとセレスティアやアウラ、真希奈と同列の娘として保護をしようと思っていただけで――


「ケイトー! おまえなんでそんな嬉しそうな顔してんだ!? 身請けされるって決まったわけじゃないんだぞ、それなのになんでそんな顔をしてるんだ!? お前まさかこの男のことを――!?」


「ちちちち違、違うから! 別に先生のとこに行って、セーレスさんやエアリスさんのお世話をしたり、アウラ様やセレスティア様の遊び相手ができたりしたら割りと本望だなーとかは思ってないから!」


 そんな超具体的なケイトな発言に、一瞬僕も真昼の夢を見てしまう。

 龍王城での生活の中にエアリス同様メイド服を来たケイトがせっせと掃除をしている姿や、セーレスの診療所にできたてのお弁当を届けに行ったり、そのまま手伝ったりする彼女を夢想する。


 それで暇な時はケイトの魔法を見てあげたり、地球に連れて行って魔法世界マクマティカにはないデザインの服を買ってあげたり……。


『うわあ、素敵な服……先生、似合ってますか?』


 あれ、有りか無しかで言えばかなり『有り』じゃないだろうか。


「何言ってんだケイト! あんな男の元に身請けされてみろ、きっとお前は綺麗な身体のままじゃいられなくなる! あっという間に汚されちまって、産みたくもない子供を産まされるハメになっちまうんだぞ――!」


「――――ッッ!?」


 その言葉を受けた時のケイトの顔はなんと表現すればいいのだろうか。

 大きく引き伸ばした口の端っこがピクピク動き、目は天井と床の間を行ったり来たり。おまけに顔色は火がついたように赤くなっていて、頭から湯気まで出ている状態だった。


 これは……嫌がってない?

 ケイトちゃんってば僕の子供を生んでもいいと思ってるの?

 え、ウソでしょ……?


 僕より以上にショックを受けたのは当然、実の父であるリシーカさんだった。初めて見る愛娘の表情に、滂沱の涙を流しながら叫ぶ。


「しっかりしろケイトー! そんなのお父さんは絶対許さんぞー! 貴様、ナスカこの野郎ー! ウチの娘に女の幸せを噛み締めたような表情させやがって、ケイトはようやく八つになったばかりなんだぞッ! 絶対ゆるさーん!!」


「ちょッ!?」


 獣人種特有の瞬発力を発揮し、天井まで飛び上がったリシーカさんは、長い犬歯をむき出しに僕へと襲いかかった。


「ダメェ!」


 瞬間、ケイトの手のひらから『糸』が伸びる。

 網目状になった極細の糸はリシーカさんを空中でキャッチし、僕の足元へ『グチャ』っと叩きつけた。うわ、今顔面から……てか全然動かないんだけどリシーカさん。


「ご、誤解しないでお父さん! わ、私、全然そんなんじゃ、ないんだから……」


 強く否定するつもりの言葉が段々と尻すぼみになって消える。

 ケイトは自身が魔力で創り出した屈強な糸で実の父を雁字搦めにしながらプイッとそっぽを向いた。


 リシーカさんは床に突っ伏したまま、うめき声すら上げない。僕はそんなケイトの手際に感心しきりだった。


 僅かな時間会わなかっただけなのに、こんな蜘蛛の巣みたいな複雑な糸の編み方も一瞬でできるようになったのか。


 これがケイトの魔法。彼女が作り刺した水精の糸は魔力で編まれた高分子重合体であり、100本、1000本と寄り集まった時の張力は想像を絶する。この糸を力任せに引きちぎれる獣人種は恐らく皆無だろう。


「あ、いかん」


 乱暴はダメだよケイト。僕は気にしてないから早くお父さんを解放するんだ――そう言いかけたとき、そっぽを向いていたケイトの視線が作業場の一角に集中していることに気づく。


「う、うーん……。うん? な、なんじゃこりゃ! ぬああッ、全然動けねえ!」


 意識を取り戻したリシーカさんが必死にもがく。

 だがどんなに暴れようとしてもケイトの糸はビクともしない。


 1トンを超える張力の糸を前にリシーカさんは完全に無力だ。そんなまな板の上の実父を見下ろし、ケイトは怒りに震える声・・・・・・・を漏らした。


「ねえ、お父さん…………あそこの壁一面に貼ってるある、あの羊皮紙はどうしたのかなあ?」


「――ひッ!?」


 その悲鳴は僕とリシーカさんの両方が上げたものだ。

 ケイトは糸を持つ手を戦慄かせながらドシンッッ、と埃が舞うのも構わず床を踏み叩いた。


「仕事で書き留めるものが欲しいときには、白地のボロ布を使うって言ってたよねえ? それなのになんでまたあんな大量に羊皮紙があるの? まさかアレ、全部買ったの?」


 ケイトが指摘する壁に貼られているのは、一枚や二枚ではとても足りない、何十枚もの羊皮紙だ。


 僕も子どもたちに魔法を教えていて、この世界ではパルプ紙はまだ試験段階であり、昔ながらの羊皮紙が使われているのを初めて知った。そして紙は総じて高級品であり、一般人にはなかなか手が出せるものではないのである。


「待て、違うんだケイト! アレは――アレはそう、古いのを再利用しているだけであってだな――」


「ウソ。また買ったんでしょう。約束したよね、今度からは高い羊皮紙は買うのを控えるって。ボロ布で代用して、ちゃんと自分のごはんを買うって――!」


「いででででッ! 待て待て、締まってる、締まってるから! 仕方なかったんだ、知り合いからまとめ買いがお買い得だって紹介されたからつい――」


「つい、で、いくら使ったの!? 正直に言わないと私、このままナスカ先生のお妾さんになってやるから――!!」


「があああ、言う、言うからそれだけはやめてくれ――!」


 ケイトは僕に今まで見せたことのない憤怒の形相で、バシバシと身動きの取れない父を叩いていた。リシーカさんは床に這いつくばったまま首を巡らせ、僕に向かって吼える。


「おのれナスカめえええ! 今までなら箒持ったケイトに追いかけ回されるだけで済んでたのに、おまえが魔法なんて教えるから手がつけられなくなっちまったじゃねえかー!」


「ナスカ先生のせいにしない!」


「ごめんなさいーッ! ちくしょーッ!」


 僕はふたりのこんなやり取りを見ながら、ああ、とため息をついてしまった。

 これが、この家の父と娘がずっと昔から繰り返してきたやり取りなのだ。頼りない父親を諌めるしっかり者の娘。きっと僕がケイトを娘にしたところで、彼女がこんな素の表情を見せてくれることはないだろう。


 結局このふたりの間に僕なんかが入れはしないんだな、と改めて思ってしまうのだった。


「あ、がっ、ケイト、そろそろ緩め、本気で、苦し――」


 その後、『ゴキン』とリシーカさんの身体から異音がするまで、ケイトの折檻は続くのだった。


 続く。

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