第285話 東国のドルゴリオタイト篇⑳ 親権放棄を迫る龍神様〜アンタにあの子は任せられん!

 * * *



『ナスカ・タケルが逃げたぞー! 追えー! 草の根分けてでもひっ捕らえろー!』


 ナーガセーナの街は騒然としていた。街の情報パーソナリティーであるリィン・リンドさんの風魔法によって、拡声された声が響き渡っている。攻撃能力は一切ない魔法だが、そのかわり範囲がとんでもなく広い。ほんと不味いな。このままだと魔法学校の生徒たちにも僕の存在がバレるかも。また今度ゆっくり会いに来るから今日は勘弁してくれ。


「ここか」


 街から外れた海岸沿いの防風林のさらに奥、まるで人里から距離を置くように建てられた粗末な木造家屋。そこが僕の元教え子である黄犬族のケイトの実家だ。


 親父さんであるリシーカ氏は護符職人とのことで、木造家屋から少し離れた場所にはこれまた粗末な作業小屋がある。


 前回、クイン・テリヌアス先生にトラウマを植え付けられ、登校拒否になっていたケイトを説得するため足を運んだ。あの時は不用意に親父さんの作業小屋を覗いてしまい、不審者と間違われてしまった。今回はあのようにならないよう、気をつけないと。


「ごめんくださーい」


 僕はまず自宅の扉をノックした。

 今の時間、ケイトたちはまだ学校だ。

 当然ここには親父さんしかいないはずである。


 シーンと、反応がない。

 ならば作業小屋の方に行かなければなるまい。

 決して覗きに行くわけではないので誤解なきよう。


「リシーカさん、覚えてませんか、ナスカです。短い期間ですがケイトさんの担任を務めた魔法師です」


 作業小屋は壁中に蔦系の植物が根を張っていて、一見すると廃屋のように見えてしまう。だがやはり返答はなかった。いや――


「生臭い……それにこれは血の匂い?」


 僕は力任せに扉を押し開ける。


『タケル様!』


 真希奈が悲鳴に近い声を上げた。

 わかっている。扉を開けた瞬間、血の臭が一層濃くなった。午後一の陽光が窓から注ぐ部屋の奥には、大きな作業台があって、その傍らには誰かが倒れている。


 黄色、頭部にはいささか黒みが強い髪の毛と耳、尻尾。

 間違いなくリシーカさん、のはずだが……。


『そんな、これではもう……!』


 真希奈の声が震えている。

 うつ伏せに倒れるリシーカさんの傍らには血溜まりができており、それだけではなく、臓物の類いまで見て取れる。


『ケイトになんと説明すればいいのでしょう。ああ、一体誰がこんな酷いことを……!』


「いや、ちょっと待て」


 僕は近づき、遺体をつぶさに観察する。

 影になっていて見えなかったけど、やっぱりおかしいよね。

 ヒトサイズの臓物にして小さいし、あと小さな目玉とか転がってるし。


「これ、魚のあらだ」


『はい?』


 いや、普通粗といえば、頭とか身とか骨とかのはずが、なんで血腸ちわたまで持ってきてるんだこのおっさん。


「リシーカさん、リシーカさん!」


「んあ……あ、あ」


『生きてるです?』


 弱々しい喘ぎ声がする。

 なんだ、やっぱりどこか怪我をしているのか?


「は――」


「は?」


「腹減った……」


 頬をゲッソリとさせながら、真っ青な顔でリシーカさんはそう言った。

 このクソ親父め……。


 *


「三日ですか」


「おう、まあな……」


 何が三日なのかと問えば、それは食事を全く摂っていなかった日数であり、なんならその半月ほど前から、食べたり食べなかったりの日が続いていたのだという。


 リシーカさんは今、僕が持ってきた土産を、ガツガツと夢中になって食べている。


「いやあ、すまねえなあ。それにしてもこの麦粉、ちょっと固いけど甘くて美味いな! 久しぶりにまともなものを食った気がするぜ!」


 手土産として上野駅のエキュートで買ってきたラスクなんだけど、それを食事と言っていいのかどうか。


 僕は改めて作業小屋の中を見渡した。

 大きな作業台の他には、幾つもの奇っ怪な文様を描いた羊皮紙が壁中に貼られており、これらも一見しただけでは、僕はおろか真希奈でさえ、それがどのような効果を持つものなのか見当もつかない。


 さらに話を聞いていけば、リシーカさんは自分の体力の限界が近いことを知って、なんとか食べ物を求めて街中を駆け回り、捨てられていた魚の粗を見つけたのだという。うん、ヒトはそれを生ゴミと呼ぶよね。


 で、それをなんとか家に持ち帰り湯がいたり焼いたりして食べようかと思った矢先、意識を失ったのだという。人騒がせな。


「ふいー、ようやく落ち着いたぜ。これでしばらくは持ちそうだ」


 全然そんなわけないだろうに。リシーカさんは大量の水をガブガブと飲んで胃の中を水増ししているようだ。


「リシーカさん。失礼ですけど今、収入っておありなんですか?」


「ブッ――、な、なんだいきなり! そんなのどうでもいいだろう!」


 僕の単刀直入な質問を慌てて突っぱねる。

 アンタひとりが勝手にくたばるならいいけど、そうじゃないだろう。

 ならこっちも引き下がるわけにはいかないんだよ。


「今のままで、ケイトを養っていけるんですか?」


「な、なんだと……、そんなのお前には関係ないだろう!」


「いえ、あります。答えてください、どうなんですか?」


 リシーカさんは明らかに気分を害した顔をしながら、再び水を飲もうと薄汚れた木製のカップに手を伸ばす。僕は一瞬早くそれをひったくり、負けじと睨み返した。


「――ちっ、大丈夫だ。今アイツは寮に入ってるし、三度の食事付きだ。半年分をまとめて支払ってる」


 ほっ、と僕は息を吐いた。

 そうか、ケイトは今は寮に移ったのか。

 レンカやピアニも寮ぐらしだったからその方がいいかもな。


「律儀なことだなあ先生よ。元教え子のことをここまで心配するとはな」


「当たり前でしょう……!」


 臨時講師を辞めたからといって心配してはならない理由はない。

 むしろクレス達のなかで家庭環境に一番問題があるのがケイトだったのだ。

 金銭的な問題という、あまり他者が立ち入ることが難しい問題ではある。でもそれは自分が一切責任を負うつもりがない場合の話だ。僕は今回、思いっきり相手に踏み込むつもりでやってきている。


「見たところ、あまりお仕事は上手く行っていないようですね」


 それはこの生活環境を見ていればわかる。

 もともと街の人々から護符の需要など殆ど無い。

 売れないものをせっせと作って、それで困窮して、自分が食い詰めてでも娘の学費を賄おうとするのは立派なことだと思う。でも――


「次の半年分の寮費を払えるあてはあるんですか?」


 腕を組んだままのリシーカさんは「ぐっ」と唸った。

 自分が食べることすらできないのに、そんなもの、工面できるはずがないのだろう。


「そりゃあ、まあ、なんとかならあ。たまに信心深いばあさんとかがお守りとして護符を買ってくれるからな」


「それを何度繰り返せば食べていけるようになるんですか? そもそも護符って単価いくらなんですか? っていうか本当に効果があるんですか?」


 僕が質問を投げるたびに「うっ」「がっ」「ぬっ」と言葉につまりまくっていたリシーカさんがついに爆発した。


「だああああッ! 余計なお世話だこの野郎! いくらケイトが世話になった先生だからって、なんでおまえみたいなガキにそんなこと言われなくちゃならねえんだ! いい加減出ていきやがれ!」


 先程まで空腹で倒れていた分際で怒鳴るから、顔色が益々悪くなっている。

 だが僕も教え子のこととなると引き下がるわけにはいかない。本来の目的は別にあったのに、僕より以上に生活能力がない年配の男を見て、どうにも苛立ちを抑えることができない。


「いいえ、帰りません。今のあなたを見ていて確信しました。このままの生活を続けるというのなら、僕にも考えがあります」


「なんだ、なにをするつもりだ……!」


 腐っても獣人種か。リシーカさんから剣呑な空気が漂い始める。

 むしろ獣は追い詰められてからが恐ろしいかもしれない。でもそんなものは関係なかった。僕はどうやらこのリシーカさんに本気で怒りを覚えているらしい。娘がいる分際で将来の見通しが甘く、今のままの生活を続けていれば、なんとなく道は拓けるんじゃないかと、そんな風に脳天気に考えているところなどまるで――かつてニート生活をしていた頃の自分を見ているようだ。


 僕は結婚なんてするつもりもなかったし、ましてや子供なんてどんなファンタジーだよと思っていた口だったが、今では未婚なのに三人の娘の父親役などしている。セーレスやエアリスも含めて、なんとか全員を食べせせていく方策を考えるため、地球と異世界をせわしなく行ったり来たりしているというのにこの男は――!


「ロクな収入もなく、今のまま改善もしないというのなら…………ケイトは僕が引き取ります。僕の娘にします!」


『タケル様ーッ!?』


 いの一番に叫んだのは真希奈だった。

 よっぽど今の発言が衝撃だったのだろう、顔を呪いの人形の面相にしながら部屋中を飛び回っっている。


「な、な、なんだとぉ――!!」


 次いで激昂したのはリシーカさんだ。

 彼は足元をふらつかせながら僕の胸ぐらを掴んできた。

 だが栄養不足もいいところなのだろう、まったく力が篭っていない。


「て、てめえがケイトを引き取るだとぉ! よくもそんなことを――!」


 リシーカさんが拳を振りかぶる。

 その直前、バタン、とドアが開いた。

 僕と、そしてリシーカさんもビックリして入り口の方を見る。

 そこには――


「ふえ? 引き取るって……ナスカ先生が私を?」


 顔を真っ赤にしたまま狼狽えている可愛らしいワンコ娘が立っていた。

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