第284話 東国のドルゴリオタイト篇⑲ 懐かしきナーガセーナ〜龍神様、伝説になっていた

 * * *



 獣人種領、中立緩衝地帯ナーガセーナは今日も快晴だった。

 海が近いため、街中には潮の香りと、あとかなりスパイシーな匂いが漂っている。

 

 平屋建てが続く街の向こうに目をやれば、飛び抜けで大きな大木が見える。

 アーク巨樹と呼ばれるこの街のランドマークでありシンボルだ。

 その硬い外皮の中身はくり抜かれて、獣人種共有魔法学校の校舎として機能している。


 約一ヶ月ぶり、といったところか。

 魔法世界マクマティカにおいてもクブルムの月と呼ばれる、新たな季節を迎えている。


 具体的には年度変わりを終えて、共有魔法学校にも新入生が入学した。

 僕の元教え子であるクレスたちは全員進級を果たし、またひとつ上級生になった。

 この街で教鞭を取っていたのがひどく懐かしく思えるなあ。


『タケル様そろそろお昼時ですがご昼食はいかがいたしますか?』


 僕の肩にちょこんと座っているのは真希奈(人形)である。

 さすがに魔法世界マクマティカではスマホ文化は馴染まないので、人形の中に真希奈のコアを格納して自力で動いてもらっている。


 自分で自由に動ける身体がある方がいいのではないか、と思っていたのだが、真希奈にとっては僕の虚空心臓に入っていないと落ち着かないのだという。大丈夫、そのうち慣れるよ。


「そうだな、お腹は空いてるけど我慢するか」


 手持ちの現金は本当に少ない。

 もちろん、日本円はまだあるけど、獣人種の領域ではまた違う通貨を使用しなければならない。その単位は『ガル』で、僕んところのマイナー通貨『ディーオ』に換算すると1,25対1,0くらいになる。ここで買い物すると、総じて全部割高に感じてしまう。


 ナーガセーナで魔法学校の臨時講師をしていた頃は、学校側が用意してくれた街の宿屋に寝泊まりしていた。でもそこを利用していたのは一週間ほどで、残りはラエルの館がある森で教え子たちとキャンプ合宿をしていた。


 街の中は思い出も何もない場所だが、異国を歩いてるというだけでも僕は自分の心がわくわくと浮足立つのを感じていた。


『それではもう向いますか?』


「そうだなあ、地球とは違ってアポなしになるから、留守の可能性もあるし、さっさと確かめに行くか」


 先日僕は地球側のジュエリー職人に仕事の依頼をすることに成功した。

 イスカンダル・冴子さんというカーミラが認めるほどの職人さんだ。

 会って見れば、イスカンダルさんとその娘の桜智さん共々、僕とは意外な縁があるという事実が判明した。


 誤解や行き違いもあったが、最後には信頼関係を結び、力を貸してくれることを確約してくれた。


 と、その日は一旦カーミラのセカンドハウスに帰宅して、翌日から具体的な打ち合わせに突入した。


 打ち合わせとは、イスカンダルさんの創作意欲を掻き立てることに終止した。宝飾品を身にまとうことになるであろう、セーレスやエアリスの特徴をよく聞きたがったし、彼女たちの性格やその生い立ちにも含め、僕は話せる限りはイスカンダルさんに伝えた。


 その中でもっとも彼の創作意欲を刺激した情報は、なんといっても彼女たちが精霊に守護された特別な魔法師であるということだった。


 エアリスは風の精霊の祝福を、セーレスは水の精霊に祝福を受け、それぞれが深緑と濃藍の魔素を纏って魔法を行使すると告げると、「それは重要なヒントになるわね!」と鼻息を荒くしながら、スケッチブックにデザイン画を描き込み始めたのだ。


 ほー、こんな野太い指でなんて繊細な絵を描くんだろうと感心してしまった。


 そんなこんなで作業を見守っている僕に、真希奈が電話通知を告げる。


『タケル様、百理さんからお電話です』


「百理? わかった。……もしもし?」


 昨夜、ドルゴリオタイトをいくつか貸して欲しいと言って、途中で別れた彼女。

 僕が懸念していたもう一つの事柄を検証をしてくれていたようだ。


『おはようございますタケル様、百理です』


「うん、おはよう」


 電話で会話するなんて慣れてないから声が裏返ってしまう。

 だが百理は気にした様子もなく本題を切り出した。


『昨夜お借りしたドルゴリオタイト、でしたか。タケル様がご懸念なされていた、内部に封じ込めた魔法の安全な取り出し方について、私なりに呪術的な試みをいたしました』


 そう、今のところ強力な外部刺激を与えるくらいしか、ドルゴリオタイトの内部に封じられた魔法の発現方法がないのだ。だがそれは不完全な形であり、本来の魔法の効果がまったく発揮されずに霧散してしまう。


 呪術や陰陽道、神道に詳しい百理は、魔法が付加される前の黄龍石を『伽藍がらん』、空洞であると看破した。それは魔法を保存しておける記憶領域の存在に気づいたということだ。


 では一度保存した中身を安全かつ任意のタイミングで取り出すためにはどうしたらいいのか。僕はそのアプローチの調査をお願いしていたのだが……。


『申し訳ありません、結果からいうとすべて失敗してしまいました』


「そっか……」


 半ば予想していたこととはいえ、僕の声は落胆した。やはり一縷の望みに縋っていたようだ。百理ならなんとかしてくれる、そんな勝手な期待を抱いていたらしい。いかんいかん。


「ぜひ、どんな風にダメだったか教えて欲しいんだけどいいかな」


『もちろんです、口頭でもよろしいですか?』


「うん、むしろ百理の方は時間大丈夫なの?」


 僕なんかとは違ってすっごく忙しい身の上なんじゃ……。


『ほほ。今は人研の第八ラボにいます。専用回線からお電話しているんですよ』


 え。そうなの? まあ魔法がどんな形で開放されるかわからないから、安全面を考慮すれば当然の措置かもしれないけど……。


『私の携帯電話、とっくにバッテリーが切れてしまいましたので、もう邪魔される心配はありません』


 たしかまだガラケー使ってるんだよねキミ。

 もしかして着信が鳴りすぎて電池切れになったの?

 ごめんなさい、御堂財閥のみなさん申し訳ない!


『まずマキ博士が調べた科学的なデータを元に、私が行ったのは『穴』を開けることを試してみました』


「穴……それは魔法が外の出るための?」


『その通りです。具体的には呪刻を行い、『道』を通すやりかたです』


 ほうほう。それで結果は? いや、失敗したのはわかってるけど、どんなふうい失敗したのかなっていう。


『結果はタケル様が施した本来の魔法とは違う形になって出てきてしまいました』


 僕はあの中にはなんら殺傷能力のない、たんなる光源の魔法を入れていた。属性は炎だったので、多少炎が出てきたのかと思ったが違った。


『タケル様が注がれたお力と炎の魔素とがバラバラになって出てきてしまいました』


「なんだって?」


 百理が言うには炎の魔素――具体的には熱い水蒸気のようなものがプシューっと溢れ出し、その後にバンッ、と石が小爆発を起こして壊れてしまったという。


 先に出た熱い水蒸気みたいなのがおそらく炎の魔素で、石を内部から砕いてしまったのが魔力の発露によるものだと思われる。


 魔法とは本来魔素と魔力が融合したものだ。

 それが今一度バラバラになって出てきてしまうというのは逆にすごいことのような気もするが……。


『私が施したのは陰陽道と鬼道を合わせた特殊な呪刻でした。これはまったく私の推測なのですが、異世界由来の石に封じ込められた魔法は、地球由来の方法では上手く取り出せないのかもしれません』


「それってつまり――」


『タケル様の世界にも、私が施した呪刻に相当する技術があるのではないでしょうか。そちらの世界に根ざす技術でしたら、意図したとおりの効果で、魔法を取り出して発現させることができるかもしれません』


 なるほど。地球には存在しない石に地球側古来の呪術的なアプローチは上手く行かないのは道理だな。


『申し訳ありません、今回、私ではお役に立てないようです』


「いやいやいや、それがわかっただけでもとっても助かったよ。百理が早くその答えを導いてくれたお陰で、僕は貴重な時間を失わなくて済んだんだ。ありがとう」


『ああ、そう言っていただけると、本日の役員会をすっぽかしたかいがあったというものです』


「…………」


 今のは聞かなかったことにするね? 御堂財閥のみなさん本当に申し訳ない。


『また何かご入用がありましたら、ぜひとも私を頼りください。貴方様は日の本の、引いては地球を救ったお方なのですから』


「うん、多分近いうちすぐに頼ると思うけど、そのときはよろしくね」


 そういう風に言われると、ホントこそばゆい。実感なんてないんだけど。

 通話を終えた僕は、「ふう」と盛大なため息を吐くこととなった。


「オーケー真希奈。向こうの世界で呪印、呪刻について教えて」


『タケル様、そのネタ引っ張りますですね』


 もしくは真希奈が有するディーオの知識の中に、何か使えそうなものがないかと期待しているのだが……。


『タケル様お忘れですか、タケル様の元教え子のお父上が、護符職人ではありませんでしたか。あれはごく微量の魔素を集める呪印が施されており、それを精霊の加護と見立ててお守りとするものだったと記憶していますが』


「――そっか。ケイトの親父さんか!」


 僕はイスカンダルさんの許可を得てすぐさま魔法世界マクマティカへと向かうのだった。



 *



『さあ、本日は新しく開店したというカレー屋さんにやってきました!』


 街中を歩いている途中、聞き覚えのある、やたらと通りのいい声が聞こえてきた。

 これは、声を遠くまで飛ばす風の拡声魔法、だったような……。


『お届けするのはあなたの【声風】でおなじみ、リィン・リンドです。本日はお客様にナーガセーナの神官、セルパッパ様をお呼びしています』


 通りの向こうに人垣ができているのだが、それはなんと魔法試験の時、実況解説をしていたアナウンサーリィン・リンドさんだった。その隣にはヌボーっと眠そうな顔をした神官服の男が立っている。


 彼女たちはとある食堂の前に立っており、隣には店の店主と思わしきおっちゃんがニコニコ顔で立っている。これは……地球で言うところのテレビ中継ならぬ、リアルタイムのラジオ配信、のようなものなのか?


『ナーガセーナでも爆発的な人気を誇っているエアリス式カレーですが、こちらの料理が広まる切っ掛けとなったのはなんと、特別講師として魔法学校に来ていたナスカ・タケル先生なんですねー。カレーといえばナスカ。ナスカといえばカレーと言っても過言ではありません!』


 ブッ、と僕は噴き出してしまった。

 僕の名前がカレーの代名詞になって街中に広域拡散している、だと!?


『本年度より魔法学校の教育方針に大改革が行われたのはみなさんのご記憶にも新しいかと思われます。なんとそれをたったひとりで齎したのがナスカ・タケル先生だったのです』


 おおー、とやんややんやの喝采が湧いた。

 不味い。まさか一ヶ月が過ぎただけで自分がこんな有名人になってるなんて――


「真希奈、行くぞ」


『待ってくださいタケル様、あの者たちはタケル様の偉大さを正しく理解しているようです。今後、ダフトンの城下町を治めるためのサンプルとして利用できるかもしれません』


 できねーよ。なにもっともらしい屁理屈こねてこの場に留まろうとしてるの。誰かに見つかる前に退散せねば……。


『待って、待ってください、もうちょっとだけ!』


「そんなに!?」


 踵を返そうとする僕の髪の毛を引っ張って頑なに行かせまいとする真希奈。こんなに激しく抵抗するなんてただ事じゃない。


 うーん。地球じゃ僕の知名度は玉石混交ぎょくせきこんこうで、清濁せいだくでいったらだくの方が多いもんな。真希奈にとっては自然とそれをストレスに感じていたのかも。


『そしてなんと、現在ではナスカ組として特別教室に入っている教え子たちに振る舞われていたのがこちらのカレーだったのです。大変刺激的な味と匂いですが、病みつきにある人々が後を絶ちません。では早速試食してみましょう』


 人々がかたずを飲んで見守る中、店主から渡された大皿の中身を木匙で掬い、あーんと口の中に運ぶリィンさん。


『うんまーい!』


 テーレッテレー。その声はところ十里四方じゅうりしほうに轟くほどの大きな声だった。


『まず最初に感じるのは甘み。これはお野菜の甘みですか! そしてなんとも言えないまろやかなこの風味は乾酪かんらくでしょうか? 私、カレーといえば辛かったり刺激的な味なんだとばかり思っていましたが、これは食べやすい! やりましたね店主、これは流行りますよ!』


 店主のおっちゃんはテレテレの様子で仕切りに「ありがとうございます」と頭を下げている。


 カレーってのは家庭の数だけ、ヒトの数だけレシピが存在する。そうか、エアリスが日々カレーの味を改良しているように、彼女のレシピを元にナーガセーナの料理人達はオリジナルの創意工夫を重ねているのか。こりゃあすごいことだ。近うちに是非食べに行かないとな。


 すると今度は神官服のセルパッパ氏も無言のまま木匙を口に運んでいる。モムモムと口を動かすたびに亀裂のようなシワが刻まれ、美味いのか不味いのかよくわからない表情になっていく。


『いかがですかセルパッパ様』


 リィンさんが肘で脇腹を小突いている。空気読めよと念押ししているようだった。


「美味い」


 おお、とどよめきが起こった。

 リィンさんもホッとした様子だ。


『セルパッパ様も大変気に入った様子です。えー、本日ご紹介させてもらいましたカレー屋さんはボルトン通りの東側にあります、クルレーさんのお店でしたー』


 わー、と拍手喝采だ。

 多分この周囲の歓声も含めて街中に風の魔法で飛ばしてるんだろうな。


『それでは本日はお別れの時間です、さあセルパッパ様、打ち合わせ通りお別れの挨拶を――』


 リィンさんがそこまで言った時だった。

 セルパッパ氏が突然頭を抱え懊悩し始めた。


「ぬぐあー!」と奇声を発し、まさかカレーに悪いものでも入っていたのかと店主は青くなっている。


『ど、どうしたのですかセルパッパ様! あまりの美味しさに身悶えてるだけですよね!? そうですよね!?』


 リィンさん超必死だ。毎度苦労してるんだろうなあ。


「天啓が降りてきた」


『はい?』


 セルパッパ氏はスッと腕を持ち上げ、人差し指を差し向けた。

 ザワっと人垣が割れて、その指先がビシっと僕に止まった。

 なんですとーッ!?


『ウソ……ナスカ・タケル先生じゃないですか? えええ、どうしてここに!? うわー、すごいすごい!』


 リィンさんのテンションが跳ね上がった。

 周りの人達も「本物か?」「あれが?」「俺、試験の時見た」などと囁きあっている。


『なんと、あの伝説のナスカ・タケル先生がナーガセーナにお越しになっています! 独占取材させてくださいー!』


「ごめん、無理!」


 僕はとっさに風と水の魔法を使用したステルスシールドを作り出し、自身を透明化させた。


『逃しません! ナーガセーナのみなさん、我らがナスカ・タケル先生がお越しになっています! 目撃したら是非ともリィン・リンドまで一報を――!』


 あわわわ、やっぱり大ごとになってしまった!

 僕は指名手配犯の気持ちを味わいながら、ケイトの家へと急ぐのだった。


 続く。

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