第282話 東国のドルゴリオタイト篇⑰ ピカレスクinイスカンダル工房〜権田原父娘との意外な縁

 * * *



「坊や、どっかで私と会ったことないかしら?」


「断じてありません」


 擦った揉んだで工房の中に通してもらうことができた僕とカーミラは、普通のダイニングテーブルに揃って座り、それぞれの前にはティーパックの紅茶と、水、が置かれていた。


「なんで私だけ水ですの? 権田原金之助ごんだわらきんのすけ!」


「その名で呼ぶんじゃないわよ! 私の名前はイスカンダル・冴子! 孤高のジュエリー職人よ!」


 もう何度目だか、カーミラは頑なに金之助呼ばわりし、こちらのムキムキオカマ……イスカンダルさんはそれを全力で否定する。僕はため息をつきながらカーミラの方を諌めた。


「話が進まないからやめてくれ」


「むう。あなたがそういうなら引き下がりましょう。立派な和名がありますのにそれを否定するなんて理解できませんわね」


 言ってカーミラはコップに入った水を啜った。

 ちなみに子供用の可愛い絵柄が入ったプラ製のコップなのだが、それがマイセンのカップに見えてしまうくらいカーミラの所作は完璧だった。


 と、イスカンダルさんも息を呑むようにそれを見つめている。そして「ハッ」としたあと、思いっきり渋い顔をしながら、カーミラが置いたカップを下げた。


「あら、まだ残ってますのに」


「冗談に決まってるでしょ。仮にも客にこんなの出すわけないじゃない」


「タケルタケル、私このオカマに今初めてお客扱いされましたわ」


「どういう関係なのさ、ふたりって」


 オカマと吸血鬼。まったく接点がわからない。

 だが話を聞いてみると、なんとこのイスカンダル・冴子さんは元々歯科医官の資格を持つ自衛官であり、長年自衛隊病院で診療を行っていたという。


「子供の頃から手先は器用でね、クラウンや詰め物なんか作るのは得意だったんだけど……」


 それが一念発起してジュエリー職人を目指し、自身の工房を持つための費用を稼ぐため、海外の民間軍事プロバイダーPMCに入社。そこに依頼人としてやってきたカーミラと出会ったのが最初だという。


「思い出しますわね、もう二十年以上前の東アフリカでしたか」


「当時、モガディシオの最北端で新しいキンバーライトが発見されて大騒ぎになってたのよねえ」


 キンバーライトとは、南アフリカ・キンバレーで発見されたダイヤを擁する母岩のことだ。これが発見されると採算が取れる一次鉱床があることを意味する。


 当時独裁政権下にあった東アフリカでそんなお宝が出てしまえば新たな火種になってしまうことは必至だった。


 そして企業人だったカーミラは純粋に、欧州のバイヤーを経由しては価格が跳ね上がってしまうとして、直接現地に買い付けに行ったというのだ。


 だが僕が反応したのはそこではなく――


「ねえ、もしかしてそれって『ブラックホーク・ダウン』の頃の話?」


「よく知ってるわね坊や!」


 史実を元にした有名なミリタリー映画だ。

 当時のソマリア共和国の支配者を捕らえるためにアメリカ軍が軍事介入した作戦があった。


 結果的にそれは失敗に終わってしまうのだが、超大国が介入せざるを得ないほど、当時の東アフリカはやばかったわけで……。


「一緒にソマリア民兵相手に戦ったわねえ。この女、結局一個大隊を壊滅させちゃって……護衛なんか必要なかったじゃないのよ」


 でしょうね。吸血鬼の神祖なんだから。って――


「イスカンダルさんはカーミラのことを……?」


「ああ、吸血鬼ですってね。人間離れした戦闘力を持ってるとは思っていたけど……ホント憎たらしいったらないわ」


 憎たらしい? どういうこと?


「だってそうでしょう、決して老いることのない永遠の若さと美貌を持ってるのよ! こんな不公平なことってあるかしら! 私なんて毎晩メークを落とすたびに鏡の前で絶望してるっていうのに、この女ときたら、これでほぼノーメークなのよ!」


 カーミラは新しく淹れ直された紅茶を片手に「ほほほ、嫉妬が心地いいですわー」と笑った。彼女の見た目は女子大生くらいだ。今日日大学生ともなれば化粧は必須だろうに、本当にグロスリップぐらいしかつけていないようである。


「まあ、そのときの護衛任務以来の腐れ縁ってわけ」とイスカンダルさんは締めくくった。なかなか刺激的な話で僕は感心してしまった。


「それはそうとベゴニア様はどうしたの? 私の愛しいセンパフローレンス様。もうすぐ来るんでしょう?」


「来ませんわ。ベゴニアがいると貴方、糞の役にも立たなくなりますから」


「なんですって――!!」


 イスカンダルさんは「ホントに来ないの?」「ホントのホントに?」と目をパチクリさせたあと、ドッカと椅子に座り、ガクッと項垂れてしまった。


「やる気なくしたー。もうホント無理。あーあ。あんたらもう帰ってくれない?」


 腐った魚のような目をしながらシッシと手を振る。おいおい、こんなんじゃ困るぞ。


「おい、ベゴニアを連れてきた方がよかったんじゃないのか?」


「無理ですわー。今のベゴニアの有様を知りませんもの彼」


「あー……」


 ベゴニアは先のサランガ災害で日本の防波堤として戦い、結果として左目と左腕を失ってしまった。知り合いならいずれ露見するだろうが、なにも今日である必要はないと判断してくれたのか。


 ベゴニアに相当心酔している様子のイスカンダルさんだが、もし今の彼女を見たら、もう仕事どころじゃなくなるんだろう。


「でも、もうすでに使い物にならない有様だぞ?」


「困りましたわねー。彼、腕は確かだけど、職人気質でムラっけが多いんですの。たまに打つ一発のホームランは大きいんですけど……」


 そりゃまた仕事がしづらそうだなあ。

 カーミラは腕を組みながら口をへの字にし、「はあ」と大きくため息をついた。


「ねえ、権田原金之助」


「だから私はイスカンダル・冴子……ってもう突っ込む気力もないわ」


 ぐでーんと筋肉の固まりがスライムになりそうなくらい溶け切ってしまっている。

 そんな彼に対し、果たしてカーミラは自滅必至の特殊弾頭弾をぶちかました。


「私、このタケルと寝ましたの」


 ドッカン!

 と、物凄い破砕音がした。

 僕とイスカンダルさんが同時に椅子から転げ落ちた音である。


「はああああああ!? なになになに、あんたらマジでそういう関係だったの――!?」


 起き上がったイスカンダルさんは目を爛々と血走らせながら身を乗り出してくる。ヤバイ。大好物を見つけた肉食獣の目をしてるよ。


「何を隠そう私のお腹の中にはタケルの子供が――」


「えええッ!?」


「うそーッ! どういうことどういうこと!? テンション・フォルテッシモじゃない!」


 あ、カーミラの顔がちょっと引きつってる。興味を持たせることには成功したが、これからどうやって収拾つけようか考えてなかったって顔だ。


 と、その時、『チーン』と唐突に電子レンジが起動した。


「え?」


 驚きの声を上げるイスカンダルさんだが、ことはそれだけに済まなかった。

 突然室内灯が明滅を繰り返し、テレビがいきなり大音量で点き、エアコンから極度の冷気が吹き始める――と、ポルターガイスト現象のオンパレードが始まった。


「ななな、何がどうなってるの!? いくら古いマンションだからって、いままでこんなことなかったのにー!」


 イスカンダルさんは背中を丸めてダイニングテーブルの下に潜り込んでしまった。僕もまた諦観の気持ちを抱きながら、スマホの愛娘に語りかけた。


「真希奈、頼む、ちょっと落ち着いてくれ」


『子供――子供ですって!? あれは緊急回避的な治療行為だと思うようにしていたのに、乳デカ女やセーレスさんを差し置いて、ましてや真希奈ですらなく、子供!? 赤ちゃん!?』


 ついに部屋中の家電製品が一斉に起動し始める。

 暴走した真希奈が、魔力線を利用して直接的、あるいは間接的にそれらを動かしているのだ。それはもう、部屋中がシェイクされるような大パニックになってしまった。


「落ち着いてちょうだい真希奈ちゃん、赤ちゃんはウソ、ウソだから――!」と、カーミラが必死に宥めることでなんとか事なきを得たが、部屋は台風が通過したあとみたいにめちゃくちゃになってしまった。


「な、何だったの今の……一体何が……?」


 テーブルの下から這い出してきたイスカンダルさんが、テーブルに置いたスマホに目を留める。そこに写っていたのは当然パッツン前髪の真希奈なのだが――


「この子――UDXの画面に写ってたオカッパちゃん?」


 などと言い始めた。

 え、それってまさか――


「坊や、そういえばあなたタケルって…………国際テロリストのタケル・エンペドクレス、なの? まさか……!?」


 あるいはそれは、イスカンダルさんがまだ権田原金之助として銃を握りしめていた時、日常的にしていた戦士の目なのかも知れなかった。


 目の前の筋肉オカマから殺気が漏れる。

 それは僕に向けられた明確な嫌悪感も含んでいるのだった。



 *



「帰ってちょうだい! あんたみたいな女の敵、顔も見たくないわ!」


 イスカンダルさんは本気の侮蔑と殺意を籠めて僕を睨みつけた。

 その言葉だけで、僕はすべてを察してしまった。


 彼はあの場にいたのだ。

 去年の聖夜の夜、僕は秋葉原でエアリスやアウラ、イリーナと遊びに行き、そこで心深とセレスティアと戦うハメになってしまった。


 正確には、心深はアダム・スミスによって操られた状態であり、そんな状態で発動させた彼女の『言霊の魔法』により、無垢なる心を汚されてしまったセレスティアは僕に埒外の憎悪を抱き、衆人環視の中、問答無用で襲い掛かってきたのだった。


 今のセレスティア本人はまったく当時のことは覚えていないのだが、僕に汚されただの、嬲られただのと、『別の誰かの辛い過去を自分のものと誤解した状態』であり、まるで己が体験したことのように勘違いをしてしまっていた。


 僕は周りのオーディエンスから罵声を浴びせられるわ、ゴミを投げられるわで散々な目に遭った。そんな時、周りに向かってブチ切れてくれたのが真希奈だったのだ。


「あの時秋葉原にいた下衆男がまさか国際テロリストだなんて思わなかったわ。カーミラ、あんたね、付き合っていい男と悪い男がいるわよ!」


 ビルの壁面にある広告用巨大スクリーンで真希奈は、僕がセレスティアに狼藉をするはずがないと訴えかけてくれたし、国際テロリストとして指名手配されたあとも実は、百理の働きかけによって現在は指名手配が解除されているはずだ。


 だが、イスカンダルさんはどうも間の悪い情報ばかりを掻い摘んで誤解したままでいるらしい。


「それは違います、ちょっと話を聞いてください!」


「テロリストの話なんて聞いてたまるもんですか! 逃げるヤツはテロリストよ、逃げないヤツは訓練されたテロリストなんだから! け、警察に通報を――!」


「待って待って、おいカーミラ、お前からもなんとか言ってくれ!」


「ごめんなさい、急につわりが……!」


「嘘つけー! この状況を楽しんでるんじゃないぞ!」


『タケル様、このオカマ、実力で黙らせましょうか?』


「暴力はダメ!」


 もうドルゴリオタイトの加工の話をするどころではなくなってしまった。

 イスカンダルさんは話を聞いてくれないし、カーミラは悪乗りしてるし、真希奈は切れる寸前だし、僕もう泣きそう。


 そんなドタバタを演じてる阿鼻叫喚の最中、玄関の方から可愛らしい女の子の声がした。


「ただいまー……あれ、お父さん、お客さ――」


 全身をパンプアップさせて戦闘態勢のイスカンダルさんを父と呼んだ少女は、僕の顔を見るなり、目を見開いてフリーズしてしまった。なんだ、どうしたんだ?


桜智さち、ちょっと外に行ってなさい。今コイツら叩き出すから――」


「え、ダメ、このヒト私の生命の恩人だから!」


 桜智さちと呼ばれた女の子は、父親からかばうよう、僕の前に立ちはだかるのだった。


 続く。

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