第280話 東国のドルゴリオタイト篇⑮ ピカレスクin上野駅前〜コーヒータイムは尋問の始まり?

 * * *



 上野駅中央改札を出て徒歩一分。

 交差点を渡ってすぐのビルの一階に、その喫茶店はあった。


 昭和レトロな雰囲気の店内は、高級感があるインテリアで統一されている。

 大人がくつろぎを求めてやってくるその喫茶店には今、ギスギスとした居心地の悪い空気が蔓延していた。


「店主、私はこの湘南鎌倉野菜のミックスサンドと特製ビーフカレーとフレッシュグレープフルーツジュースを。食後にアイスクリームの盛り合わせを頼む」


「私はこちらのあしなが珈琲シフォンをひとつと、ダージリンのセカンドフラッシュをディーポットでくださいな」


「日本茶……はないのですね。では渋皮モンブランとロイヤルミルクティをお願いします」


 上から順にベゴニア、カーミラ、百理の順番だった。

 注文を受け取る店主がなんとなく残念がった顔をしているのは気のせいじゃない。

 ここは珈琲専門の喫茶店だというのに、誰もコーヒーを注文しないからだ。しょうがないな。


「えっと僕は――」


「あ?」


「はあ?」


「はい?」


 三人がいっぺんに声を上げ、僕を睨みつけてくる。

 こ、怖い。あまりの殺気に固まってしまった店主に向かって、「水をお願いします」と僕は言った。


 美術館から市中引き回しされた僕は、取り敢えず手近な喫茶店に腰を落ち着けていた。ここにやってきた目的が食事などではないのは火を見るよりも明らかで、もしかしたらそれは尋問だったり兵糧責めだったりするのかもしれなかった。


「お、お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」


 ペア用のテーブルを三つ連結し、僕の目の前には三人が座っている。

 左からベゴニアがミックスサンドをまとめて頬張り、真ん中のカーミラは片時も僕から視線を逸らさず紅茶を啜り、右手の百理もケーキのど真ん中にフォークを突き刺したままジーっと僕を見つめている。


 背後には壁しかなく、まったく逃げ場所などない状況で、対面の三名からの圧力が絶え間なく続く。彼女たちの向こう、他のお客さん達は、そのあまりに殺伐とした空気に当てられ、早々に退店を始めていた。


「それで、本日はいきなり現れて、どのような用向きなのでしょう?」


 ガチャン、とティーカップを置き、カーミラが腕を組み、顎をツンと上向けた。初めて会って以来、こんな表情をされるのは久しぶりだ。恐らく並の男ならブルっちゃうんだろうけど、やっぱりカーミラの顔は整いすぎていて、そんな氷の表情も様になっているなあ、などと思ってしまう。


「カーミラ様、用向きを聞いてやる義理はありません。まずは今日まで何をしてきたか、洗いざらい吐かせた方がよろしいかと」


 こっちはハッキリとわかりやすい。

 ベゴニアは隻眼に隻腕というハンデキャップがありながらも、さらに凄みを増した顔つきというか、多分『気』みたいなものを放っていると思われる。


 サンドイッチもカレーもぺろりと平らげ、デザートのアイス盛り合わせを大福みたいにガフガフと頬張っていた。


「あらあら、それならば、タケル様がお姿を消してから今日までの私達の苦労も同時に披露しないと釣り合いがとれませんね?」


 ニコっと笑うのは百理であり、ほとんど和装姿しか印象にないため、女性用のフォーマルスーツは新鮮だ。長かった髪も短く切りそろえてサッパリとしているし、見た目が一番大人っぽくなった印象がある。


 僕は、店主さんが気を利かせてくれたレモン果汁入りのお冷で喉を潤しながら、三人に求められるまま、その濃密すぎる魔法世界マクマティカでの出来事を話してきかせた。


 肉体崩壊からセーレスを救うため、すぐさま魔法世界マクマティカへと帰還を果たしたこと。


 最初の一ヶ月は療養のために向こうのパトロンである雷狼族の長、ラエル・ティオスの元に身を寄せていたこと。


 うっかり元ニートの悪いクセで毎日を怠惰に過ごしていたら、魔法学校の先生をするハメになったこと。


 教え子になった子たちに、魔法師進級試験を受けさせるために合宿をしたこと。


 その後はエアリスの古巣である龍の膝下、ダフトンの街が他種族に占領されていることを聞きつけ、急遽龍神族の王として凱旋を果たしたこと。


 我竜族の王と戦い、それを討ち果たし、どこにも行き場がなかった我竜族を受け入れ、今は建国を支援していること。


 ディーオの遺品を取り戻すために金策をしていたら、当てにしていた希少石が暴落していたこと――などなどを話した。


 お三方はもしかして瞬きしてないんじゃないかってくらい、視線を外さずに僕の話に耳を傾けていた。逆に僕は視線の置き所がなくて、ウロウロと目を彷徨わせていた。あ、お冷のおかわりください。


「ギルティ、ですわね」


 ギョッとした。

 カーミラが不意に発した言葉に、ベゴニアも百理も頷いた。


「今の話の中で、地球へ来る機会が少なくとも両手の指くらいはあったのではなくて、あなた?」


 う――そのとおりだ。

 最初はクレス達のために鉛筆や画用紙を買いに行ったときに始まり、その後も子どもたちのためにお菓子や氷を買いに行ったり、教員をやめるときには奮発しまくって、全校生徒分の画用紙と鉛筆をプレゼントしたりした。


 黄龍石の暴落がわかってからは、地球のスーパーに足を運んではタイムセールで安く食材を手に入れることなんてしょっちゅうだった。


「そんなに何度も機会があったのに、タケル様は一度として私達に会いに来てはくれなかった、というわけですか。――薄情者」


 百理の一言が僕の胸に突き刺さる。

 本当の本当に今更なのだが、僕はとてつもなく悪いことをしてしまったのではないかと急速に青ざめ始めていた。


「なんですか、もう本当に私達は用済みになって、ポイされたというわけですか。知ってるんですのよ、あなたマキ博士のところには足繁く通っているそうじゃありませんか」


「自分が利用したい、あるいは関係のあるところとしか付き合っていく気はないと。母はおまえをそんな冷たい男に育てた覚えないぞ……!」


 カーミラとベゴニアに畳み掛けられ、僕はもう意気消沈していた。

 確かに彼女たちの言うとおりだ。どうせ忙しいだろうからと、勝手に見切りをつけて会おうともしなかったのは僕の方だ。


 マキ博士の方から情報が行っていたのだろう。

 人研にはわりと頻繁に顔を出しているという話は伝わってくるのに、自分のところに一切足が向けられない。会いに来る気配もない。何度もその機会はあったはずなのに。


 そう、地球と魔法世界とを自由に行き来できる手段を持っているのは僕だけであり、僕が行動を起こさなければ、二度と地球に来ることもなく、関係を断絶することも可能なのだ。


 薄情者と、罵られても仕方がない。

 その上カーミラの言うとおり、自分に都合がいいときだけ頼ろうとしている。

 ポケット越しに握りしめていた黄龍石から手を離す。


 僕は甘えていたのかもしれない。

 なんだかんだで、僕よりもずっと年上で、人生経験も豊富なこの三人のことだ。頼ればすぐに助けてくれると、そう思い込んでいたのだ。


 でも、彼女たちだって(人外とはいえ)血が通っており、不快な気分にだってなることもある。魚心あれば水心なのだ。


 僕はすっくと立ち上がると、テーブルに両手をついて深々と頭を下げた。


「本当にすまなかった。あんたたちを軽んじていたってわけじゃなくて、その、なんとなく気恥ずかしかったというか……」


「気恥ずかしい? どういうことですの?」


 カーミラが片眉だけを器用に跳ね上げた。

 ベゴニアがお冷の氷を口に入れ、削岩機みたいにバリボリ砕いている。

 百理がケーキに突き刺したフォークが若干赤熱化してきているのは気のせいだと思いたい。


「いや、その……今でこそ向こうの世界で王様なんてやってるけど、僕は地球じゃあなんの取り柄もない子供だし。あんたたちとは全然釣り合わないというか、住む世界が違うっていうか――」


 カーミラは日本の戦後復興に最大の貢献をしたと言われる外資企業カーネーショングループの会長をずっと初代から兼任しているスーパーウーマンであり、その裏の顔は700年を生きる吸血鬼の神祖だったりする。


 ベゴニアはそんなカーミラを公私共に支える執事であり、神祖の吸血鬼が作った唯一の眷属だ。徒手空拳の戦闘では地球トップクラスの力量を持ち、僕の戦い方は、彼女の戦闘スタイルなくして完成し得なかったとも言える。


 百理に至ってはこの日本を創設した太古の巫女の家系であり、国内屈指の大財閥、御堂の現総帥という立場にある。それと同時に日本の人外たちを管理する頭領でもあり、影に日向に日本という国を作り上げてきた大人物なのだ。


 何度も言うようだが、僕自身はついこの間まで単なるニートの穀潰しだった。その頃から比べれば今はマシになったという自覚はある。でもそんなメッキ、セーレスだったりエアリスだったり、娘達の前で取り繕って、精一杯カッコつけているだけに過ぎないのだ。


 教師をしたり、王様をしたり、自覚を得る前に地位の方が先にやってきて、僕はそれを必死に演じて食らいついているのが現状なのだ。人間(もう人間じゃないけど)、そんな簡単にパーソナルを変えることはできないのである。


 ましてや王という立場が通用しない地球に於いて、絶対的な社会的地位を持ったカーミラたちになんて、さっきの美術イベントを利用して顔を見せ、向こうの方からこうして気づいて貰う以外に方法は――――いや、かなり情けなさすぎるな。これは黙っておこう。


 だというのに三人は、一を聞いて十を知ったような顔で、「はあああ」と盛大なため息をついていた。


「もうわかりましたわ。そう、そうね。あなた高校生ですものね、地球で言えば本当にまだ子供の年齢なのよね。なんだかすっかり失念しておりましたわ。ふふ」


「我々もちょっと長く生きすぎて、お前くらいの年頃というのか、とにかくそんな繊細な気持ち、久しく忘れていたな」


「これまで成してきたこと、それらすべてが今の貴方様と私たちとの関係を形作っているのです。そしてそれは当人同士が知っていれば済む話。余人がどう思おうと水を差されることではありません。というか私達がさせません」


 カーミラ、ベゴニア、百理は疲れた表情でそう言うと、「ふっ」と綺麗な笑みを浮かべてくれた。そしてそれは誰が言ったのか、微かに聞き取れる程度の声で「世界を救った英雄のくせに」と呟かれた。僕はそれにすぐさま返答していた。


「僕はただ単に、自分の知ってるヒトたちを守りたかっただけだから。その人達を救うついでに、世界を救ったに過ぎないよ……」


 誰かを守るということは、その人物を取り巻く全ての環境を丸ごと守ることである。だから最後には世界を、地球なんてドでかいものを救うハメになってしまったのだが――


「なに? どうしたの?」


 ようやく気まずさもなくなったと思っていたのに、三人は再び渋面を作って押し黙ってしまっていた。そして口々に、「世界の方がついで……」「なるほど、大器め」「そんな大きなことをサラッと言えるのに、貴方様は御堂やカーネーションに臆するのですか」と言っていた。


 小さな含み笑いが、やがて哄笑へと変化していく。

 遠巻きに僕達を伺っていたお客さんたちも、なんだどうしたと目を丸くしていた。


「はあ……取り敢えず、すみませーん、オーダーをお願いしますわ」


「ここのビーフカレーは絶品だったぞ。おまえも頼むといい」


「甘いものはいかがですかタケル様。モンブラン以外にもチーズケーキとチョコレートケーキがあるようですよ?」


 ようやく機嫌を直してくれたらしいカーミラたちにホッと胸を撫で下ろしながら僕は、やってきた店主に向けて、心に決めていた言葉を告げた。


「オリジナルブレンド、ください」


 パアッと顔を明るくしながら店主が恭しく頭を下げる。

 やってきた熱いコーヒーで喉を潤すと、待ってくれていたのだろう、カーミラが切り出した。


「それでタケル、今度はどんなトラブルを抱えているんですの。なんでもおっしゃってみなさいな」


「魔族種とやらが住んでいる大陸を武力で制圧するのか? 微力ながら力を貸そうか?」


「日本国内外で提携する御堂の人脈と販路を使って、大概の望みなら叶えられますよ。必要なら今すぐにでも」


 はは、やっぱりすごいなこの三人は。

 ホント、人間辞めなかったら知り合うこともなかったのだから、運命ってやつはひねくれてる。


「実は、これなんだけど、さっきも言った希少石の暴落で――――」


 東国から端を発する、もしかしたら魔法世界マクマティカすべてを巻き込むかもしれない黄龍石の話を、僕は彼女たちに説明し始めるのだった。


 続く。

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