第279話 東国のドルゴリオタイト篇⑭ ピカレスクin上野公園〜龍神様ドナドナされる

 * * *



『日本の宝飾品の歴史は、世界から見ても異色としか言いようがありません』


 会場に入った途端、恐らく第一声と思われる彼女の懐かしい声が届いた。

 耳たぶのラインで切りそろえた短い白髪・・と、彼女にしては珍しい真っ白いフォーマルスーツ姿。鈴を転がすような凛とした声は、マイクを通しても些かも衰えることなく、妙に懐かしい気持ちを僕に抱かせる。


『かつて栄華を誇っていた民族、今なおそうである民族……彼らは必ずと言っていいほど、特徴的な宝飾品の歴史を持っています。最も古い宝飾品はアフリカのホモ・サピエンスのもので、カタツムリの殻に穴を開けて作った、今で言うビーズなどが有名です』


 淀みなくすらすらと、来場者ひとりひとりに語りかけるような真摯で優しい声音。御堂百理みどうびゃくりは、いつもと変わらず――いや、常よりも落ち着いた大人の雰囲気を醸し出しながら、講演を続けていた。


 一階の展示室にはずらりとパイプ椅子が並べられ、空席など一つもなくピッチリと埋まっている。客層はやはり年配の奥様方や、若い女性がメインであり、中にはちらほらとスーツ姿の男性の姿も見られる。


 僕がたどり着いた時には会場はもう満席で、立ち見さえ出ている有様だった。僕は真希奈が写り込んだスマホを掲げながら、壁に沿うように奥へと詰めていき、部屋の隅から百理の声に耳を傾けた。


『クロマニョン人などは獣の骨や歯、牙などを利用したネックレスを。ロシアからはマンモスの牙で作られた彫刻やブレスレットが。ホーレフェルスのビーナス像も実はペンダントとして利用されていたというのは有名な話ですね』


 普通の室内灯しか焚かれていないはずなのに、演台の上に立つ百理には、スポットライトが注がれているように光輝いている。あれが彼女の表の顔。御堂財閥の令嬢として仕事をする時の姿なのだろう。


『さて、ところ変わって日本ですが、約6世紀頃の古墳時代までには、縄文文化に始まる貝などを使った装身具が数多く出土しています。ですが、これ以降の飛鳥時代、奈良時代から江戸時代、幕末に至るまで、装身具、宝飾品とよばれるものは歴史の中からこつ然と姿を消してしまうのです』


 殆どのお客さんからは、驚きと感嘆のため息が漏れた。

 まるで進化の過程におけるミッシングリンクのように宝飾文化の空白期間が日本に存在するなど初耳だったのだろう。お恥ずかしながら僕もである。


『ですがその代り、日本では民族衣装である着物そのものを美術品と呼べるまでに美しく作り上げ、そしてまた日本独自の装飾品である、かんざしや櫛、こうがいと言ったもの――あるいは刀や鎧といった実用的な武器そのものに、装飾的な意味合いを付加していきました。これは世界を見渡してみても非常に稀有な事例なのです』


 ちょっと前には刀剣や武将をモチーフにしたゲームなども流行っていた。あれらに登場する武器や鎧はゲーム独自にデフォルメされてはいるが、その原型を見てみれば決して的はずれなデザインではないのだ。直江兼続の『愛』の兜なんて、現実がゲームを超えちゃったいい例だと思う。


『すでに展示会場に足を運んでくださった皆さんはご覧になったことと思います。西洋の宝飾文化とはまた違った道筋を辿った日本独自の宝飾文化をご堪能いただければ幸いです』


 百理が話をまとめ、優雅な会釈をする。途端会場中から拍手が巻き起こり、当然僕も手を叩いていた。


『タ、タケル様、揺れ、揺れます〜』


 おっとごめん。次から気をつけるよ。


 万雷の拍手に送られながら百理が演説台を降りる。

 入れ替わりで現れた人物が纏う雰囲気は、百理とはまた違った意味で魅力的なものだった。


 髪はややピンクを帯びたゴールドブロンド。

 日本人離れしたプロポーションを持ったその女性は、圧倒的な自信とプライドを纏いながら、まるでそれを誇るように胸を張り、聴衆の前へと立った。


『万の愛の言葉よりも、無口な宝石にこそ女心は動くものだ――』


 しぃんと、会場が水を打ったような静寂に包まれる。

 何か有名な演劇のセリフだったような気がするが、そんなことはさておいて。それを彼女自身が言うと、どうしてこんなにもピッタリとはまり込んで聞こえてしまうのだろう。


『皆様、今の言葉は是非この会場にいらっしゃる貴重な男性のお客様が、大切なパートナーへの贈り物をなさるときの参考にしていただければ、との想いを込めて申し上げました』


 どっ、と笑いが漏れた。

 チラホラと姿が見える男性客は、隣の恋人や奥さんから肘で小突かれたりして困り顔だ。僕? もちろんスマホの中から真希奈がジト目で見てきてますが何か?


『本日は御堂財閥主催によるチャリティーイベント【東西宝飾美術大展覧会】にお越しくださり、心からの御礼を申し上げます』


 そう言ってカーミラ――カーミラ・カーネーション・フォマルハウトは優雅に一礼して見せた。会場からは大きな拍手が沸き起こり、彼女はそれを享受するように目を瞑り、しばし浴しているようだった。


『私の祖母が日本にやってきたのは、戦後間もなくの頃でした。すべてが焼け野原となり、食うや食わずの生活を送る人々の、その逞しさと誠実さに触れ、この国の民を相手に商売をしたいと、すぐに店を開いたのがここ、上野・御徒町界隈であったと聞いています』


 そう、彼女は今カーネーショングループの孫娘としてこの場にいるのだ。祖母から伝え聞いたお話が、まさか紛うことなく本人が体験した話だとわかるヒトはこの場にはおるまい。


『先程百理さんがおっしゃっていたように、日本というのは独特の宝飾文化の歴史を歩んで来ています。信じられるでしょうか、その長い歴史の中、およそ千年以上にも渡り、アクセサリーの類が消えてしまった時期があるのです。よほど縄文人、弥生人の方々の方が翡翠や碧玉へきぎょくを用いた勾玉などで着飾り、呪物として利用しながら、個性的なおしゃれをしていたのですわ』


 以前までのカーミラが纏っていた雰囲気とは、隠す気もない色気と、相手を屈服させてやろうというエネルギーに満ち満ちていて(それが魅力と言えばそうなのだが)、正直こちらとしてはほとほと疲れるものだった。


 だが今はどうだろう、どこか物腰や空気感そのものが柔らかくなった印象を受ける。決してフォーマルを逸脱しない程度に抑えられた化粧と服装で、ユーモアを交えながら講演を続け、お客さんは終始リラックスした様子だ。ああ、カーミラってこんな顔して笑うんだなあ。


「あれ?」


 そこで僕はふと気づいた。

 以前ならもっとタイトな服装を好んで着ていたはずのカーミラが、今は身体のアウトラインがあまり出ないゆったりとしたワンピースタイプの服を着ている。一体どんな心境の変化があったのだろう。


『宝飾品文化が鳴りを潜めたからといって、日本から金細工技術がなくなったわけではありません。極めて高水準の彫金、鋳金、鍛金技術が発達し続け、宝飾品以外の形で現代にまで脈々と伝わってきているのです。特に日本でのみ発達した【四分一しぶいち】や【赤銅しゃくどう】、【木目金もくめがね】などの金属技術に始まり、【魚子ななこ】や【象嵌ぞうがん】などの彫金技術は世界屈指と言っても過言ではありませんわ』


 ほほう。なかなか自尊心が満たされていくのを感じるね。日本人であっても通常は知り得ることの少ない日本の金工技術の高さを褒められて、実にいい気分にさせたところで、本日の本題が切り出された。


『それと時を同じくする頃、世界の――特に西洋文化に於いてはどのような宝飾品が…………』


 唐突にカーミラの言葉が途切れた。

 お客さんたちも全員疑問符を浮かべながら彼女に注目している。


 カーミラは目を点にしたあと、その表情をみるみる強張らせ、演説台に設えられたマイクを引っ掴み、音割れ必至の声で叫んだ。


『確保ーっ、そこの男、確保ですわッッッ!』


 会場が騒然となる。

 お客さんたちが振り返る。

 果たしてその視線の先にいたのは――――僕だった。


「ひッ!?」


 ただでさえヒトから注目されるのに慣れていないのに、そんな親の敵みたいな勢いで指を刺されれば、びっくりして足が竦んでしまう。


 とっさに僕がとった行動は、一刻も早くこの会場から抜け出すことだった。

 踵を返し、一目散に入り口へと向かう。


「わぷっ!」


 途端、誰かに思いっきりぶつかってしまった。


「す、すいませ――」


「お母さんだよ?」


 断じて母などではない、生粋の武人がそこには立っていた。

 180センチを有に超える長身と引き締まった体躯。

 さらには白髪と黒髪のツートンヘアに、隻腕と眼帯という、もはや特徴が多すぎてどこから突っ込んだらいいのかわからない男装の麗人――ベゴニアが立ちふさがっていた。


 取り敢えず一個だけ突っ込ませてくれ。

 シャ●クスかお前は!?


「久しぶりに顔を見せたかと思えばこそこそと男らしくないですわね」


「全くですね。大方私達のことなど忘れて、王様気分でふんぞり返っていたのでしょう」


 いつの間にか、すぐ背後には笑顔のカーミラと百理が立っている。お客さんたちも「あれ? え?」みたいな顔で遥か向こうの演説台とカーミラたちとを交互に見ていた。


「もう半年ぶりかしら、ちょくちょく日本には来ていたみたいだけど、一度として会いに来てくれることもありませんでしたわね」


「私などてっきり避けられているのかとさえ思っていました。本日はその誤解を解くよい機会だと思いますが――どうなのですかタケル様?」


 なに、なんなの?

 微妙によそ行きの態度と声で遠回しにすっごく責められてる僕?

 ふたりは心からの笑顔を向けてくるが、目が全然笑ってないよう!


「わからないか? 我が弟子ながら情けない」


 そう言うとベゴニアは僕の後ろの襟首をムンズと掴んで持ち上げてきた。わー、直前に見えた拳骨が岩石みたいに硬くなってて超こわーい。


「カーミラ様が先程言っていたな。ひとつの宝石が万の言葉に勝ると。だがな――」


 ズイッと、ふたりの前に借りてきた猫みたいに差し出される僕。ふたりの額には綺麗な青筋が浮かんでいた。


「今お前に必要なのは万の言葉の方だ。ほら、私も含めて、今まで音信不通だった理由を納得の行くまで聞かせてもらうぞ」


 そうして僕はプラプラした状態のまま、会場からドナドナされることとなった。


「本日は皆様、大変ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」


 よく通る声で、にっこりと百理が締めくくった。

 いや、なんにも落ちてないから。お客さんポカンとしたままだから。


『まあ、事後報告もなんにもせずに、突然他人行儀に現れたらこんなことになるって真希奈は予想できてましたけどねー?』


「予想できてたなら教えて欲しかったんだけど」


『痛くなければ覚えません!』


 愛娘が厳しい。

 あと恩人とも言うべき三名の人外と、僕を見る美術館内のお客さんの目も。

 僕、これからどうなっちゃうんだろう。


 続く。

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