第275話 東国のドルゴリオタイト篇⑩ その夜、龍王様の寝室にて〜男女三人・何も起こらぬはずはなく…(新作書き下ろし)

 *



 その日、東国エストランテと黄龍石の驚くべき関係性を知った僕は、ゼイビスと協力関係になった。


 そして日も暮れ、会合の場であったダフトンの中心街ノーバにある高級娼館を後にしようとした。


 だがその時事件は起きる。


 運の悪いことに急病人の診察にやってきたセーレスに見つかり、誤解をされてしまった。即ち僕が女性ではなく男が好きなのではないかという疑惑だ。


 さらに運の悪いことにゼイビスは酔いつぶれており、うわ言のように僕にすがりついてきていた……まさにそんな現場をセーレスに目撃されてしまったのだ。


 次から次へと事件難題が降りかかり、あの泉での誓い以来、僕はちっともセーレスとの仲を進展させることができていなかった。


 僕も忙しいし、彼女も診療所を開いたばかりで毎日大変だろう。あんまりそういうことは控えておこう……などと思っていたのだが、これはいけない。


 衆道しゅうどう……古風な言い方であり、正確には若衆道わかしゅうどうなどという。


 まあ、つまり武士同士の男色……ホモのことをいうのだが、セーレスは僕とゼイビスがすっかりそういう関係なのだと思いこんでしまっていた。


「誤解だ、僕はあいつとはそういうんじゃない! 今日だって秘密の話をするためにわざわざあんな場所まで行ったんだ!」


 帰り道。

 龍王城は小高い丘の上にある。


 街の喧騒が遠ざかり、丘へと続く坂道に差し掛かったとき、僕は周囲にヒトの目がないことを確認してから走った。前を歩くセーレスを追い越し、通せんぼをするように言い訳を始めたのである。


「秘密のお話? うんうん、そうなんだね。タケルってはずっと私達に秘密であんな恋人を作っちゃってたんだね?」


 ニコっという笑顔。

 だが、今はその笑顔が何よりも恐ろしい。


 笑顔の下には極寒のブリザードが吹き荒れているような……内なる冷めた怒りの波動……っぽいものを感じ、僕はブルっていた。


「あいつとは恋人でも何でもない! 秘密ってそういう意味の秘密じゃないから!」


「じゃあどういう意味なの? あのヒトとあんな場所でなんのお話をしていたの?」


「そ、それは……!」


 ゼイビスはエストランテ王国の王子様で、今は暗殺されかかって命からがらヒルベルト大陸まで逃げてきた。


 暗殺を企てた犯人はエストランテ財務大臣であるギゼル。国庫に眠っていた大量の黄龍石を市場にばら撒き、世にも恐ろしい企みを計画している……。


 という話をしていたのだが、今それをセーレスにしてしまってもいいものだろうか。反撃の手段はあるとは言ったが、それには僕の仮説を実証していく必要がある。


 それが終わらないうちはハッキリとしたことは何も言えない。確証のないことを口にしてもいいのだろうか……。


「……なんで黙ってるの? やっぱり言えないようなことをしてたんだね?」


 いけない。僕の悪い癖だ。考え込むとつい黙り込んでしまう。

 そして今それは一番してはいけないことだった。


「ちょ、ち、違うから!」


 焦りすぎてどもってしまった。

 セーレスはツンと唇を尖らせてスタスタと歩きだしてしまう。

 ちょ、待てよ――


『お待ちなさいセーレスさん』


 僕の首からぶら下げてあるスマホ――真希奈呼び止められ、足を止めたセーレスが振り返る。


『タケル様は本日はずっと真希奈と一緒にいました。なので真希奈が証言します。決して、タケル様は私達を裏切るような行為はいたしてません』


「そ、そうなの?」


 僕は真希奈が写り込んだスマホを両手で大切に抱えがなら、まるで印籠のようにセーレスの見やすい位置に固定してやる。いいぞ真希奈、もっと言ってくれ!


「で、でも、どんな話をしていたのかも言えないなんて怪しくない? 私達を裏切ってないなら言えるはずでしょう?」


『それも、簡単な世間話で終わるような内容ではないのです。この事案は下手をすれば戦争の引き金になりかねないものなのです』


「せ、戦争!?」


 真希奈の物騒な発言にさすがのセーレスも目を白黒させている。さらに先程の男はゼイビスといい、とある王国の重要人物なのだと説明してくれた。


 ちなみにゼイビスは彼の泊まっている宿に放り込んできた。蛇のオクタヴィアが監視しているので身の安全も問題ないはずである。


「ふうん。真希奈がいうなら本当なんだろうね」


 僕が言うとどうして嘘に聞こえるのだろう。

 態度とか話し方が悪いのだろうか。うーん。


 そうこうしているうちにお城の門扉もんぴの前まで来てしまった。

 開け放たれた正門を潜り、中庭を横目にしながら正面玄関へ。

 僕はササッと再びセーレスの前に回るとかなり重いその扉を開けてやる。


 この世界では基本的に男尊女卑が当たり前だ。

 特に一部地域の魔族種や、ヒト種族の領域でそれは顕著である。


 だからこうしてレディファーストを実践されると、この世界の女性はかなりの高確率で感激する。


 セーレスもまた普段は僕を立ててくれたりするが、こうして二人きりのときに気を使ってもらったりすると喜ぶのである。


「あ、ありが――」


 お礼を言いかけたセーレスがピタっと止まる。

 わざとらしく視線を外し「ふん」とそっぽを向いた。

 こんなことくらいでは騙されないよ、ということか。


 でも僕はその仕草に悲しくなるよりもこう思ってしまった。

 可愛いなあ……と。


「お母様おかえりなさーい!」


 元気の塊が飛び込んできた。

 アクア・ブラッドフィールドを踏み台しながら大広間の奥から飛んできたのはセレスティアである。


「ただいま、いい子にしてた?」


「もちろんっ! お部屋のお掃除とお片付けも終わってるよー!」


「えらいっ! さすが私の娘っ!」


 セーレスは小さなセレスティアをぎゅーっと力いっぱい抱きしめ、さらには顔から首から様々なところにキスの雨を降らせる。


「お父様っ!」


「おお、ただいまセレスティア」


 ひとしきりセーレスのキスを堪能したセレスティアは、ピョンっと今度は僕の方に飛んできたので、両手でしっかと抱き留めてやる。


 ああ、ちょっと前まではボインボインのバインバインだったのに、今では年相応にこんなにちっちゃくなっちゃって。いい子いい子。


「むふふー、お父様に撫でられるの好きぃ……!」


 セレスティアは精霊というより子猫みたいだ。

 気位が高くて気まぐれで、でも寂しがり屋さん。

 誰かに構われていないと途端に不機嫌になってしまう。


「セ、セレスティア、お母さんが撫でて上げるからいらっしゃい」


「ホント? わーい」


 再びセレスティアがピョンっと飛び上がり、セーレスの腕の中に収まった。

 ちょっと片手では持ち上げづらそうにしながらも、セレスティアの頭を撫でてあげている。


「ふわ……幸せー。お母様とお父様だーいすき……」


 うつらうつらと、まるで眠る寸前のようにセレスティアの瞳がトロンとし始める。

 ありゃりゃ。こりゃおねむかな。寝室に連れて行かないと――


「まだ晩飯前だと言うのに、寝るには早いぞセレスティアよ」


 厨房の方からやってきたのは腕にアウラを抱いたエアリスだった。

 彼女は今ホットパンツ&シャツというラフな格好の上からエプロンを着用している。


 どうでもいいけど、正面から見ると裸エプロンみたいに見えるんですけど……。


「おかえりタケルよ。今日の首尾はどうだった?」


「あ、ああ……色々進展があったよ。ブロンコ爺さんと一戦交えてきた」


「ほう、あのご老人とか。結果は言わんでもわかっている。まあまあ・・・・だったろう」


「そうだな。魔法の腕はかなりのものだ……一般レベルなら」


 というか比較対象がエアリスだったりセーレスの時点で、この世界の魔法使いには酷な話である。なんてたって歴史に名前を刻まれることが決定している精霊魔法使いにとっては、自分以外の他の魔法師はみんな格下の存在でしかないのだから。


 その格下勢のなかでも『まあまあ』とエアリスに言わしめるあたりブロンコ氏は相当な実力者ということなのだ。


「っていうかお前の師匠じゃなかったのかあの爺さんは?」


「あくまで本人がそう言っているだけだ。私の魔法は全て風が教えてくれた。それをあの爺様が『わしを手本とせよ』などと言って勝手に魔法を見せにやってくるのだ」


 なんじゃそりゃ。釈迦に説法というかなんというか……。

 どうやらエアリスも子供の頃はずいぶん反発して「貴様の手助けなどいらぬっ!」なんて言っていたらしいが、それも幼い彼女が言うため、周囲からは「素直じゃないなあ」「ブロンコ爺さんは笑ってるぞ。さすがの貫禄だ」などと勝手に誤解したのが師弟の始まりだという。


 そんなの師弟でもなんでもない。たんなるおせっかいじじいと天才風魔法の使い手エアリスの腐れ縁である。


「まあ、今更私も積極的に周囲の誤解を解こうとは思わん。あの爺様が私の師匠を名乗りたいのならそれもいいだろう。冥土の土産というやつだ……」


 少女は本当に大人になりました。

 ご老人に夢を抱かせたまま逝かせてやる気まんまんである。


「ならまあ、形だけの師匠でもいいや。僕もムカつくことを言われたから無茶させたらぎっくり腰になっちゃってさ。暇な時に顔見せにいけよ。アウラ連れてさ」


「ムカつく……貴様が腹を立てるとは珍しいな。どんな挑発をされたのだ?」


「それはまあ、本人にでも聞いてくれ」


 エアリスに対して、ディーオを慕っていたなら後追い自殺をしろ、などとふざけたことを言ったのだ。でもおそらくアウラを抱いた今のエアリスを見たら絶対そんな言葉は出てこなかったはずである。僕の方が正しいって認めさせてやる。


「わかったわかった……潰れたクワラルンの果実でジャムをこしらえたので、見舞いがてらおすそ分けに行ってこよう」


「おお……、あのグズグズになってたの全部調理したのか!」


 食べれば一発で飛ぶ程の最高級の果実クワラルンの実。

 前オクタヴィアがダメにしてしまったやつはエアリスが美味しいジャムにしてしまいました。これは食べるのが楽しみだな。


「あれはな、我ながら最高傑作だ。美味すぎて腰を抜かすぞ?」


「まあ大体エアリスの作る飯は美味いから毎度僕は腰を抜かしてるんだけどな」


「なッ――」


 エアリスの褐色の頬に朱が刺す。

 彼女はサッと顔を反らすが、胸に抱いたアウラが「ママ……顔まっか……」とバラしてしまう。


「そんなことはないぞ……アウラ、パパに甘えてきなさい」


「うん……」


 どーん、とアウラが僕の胸に突撃をしてくる。

 両手で抱きしめるとまるで綿あめでも捕まえているようなふわふわとした軽さと感触だった。


「パパ、ちゅー」


「お、ありがとうなアウラ。一日の疲れが吹き飛ぶよ」


「ずるーいアウラばっかり、私もお父様にちゅーするっ!」


 今度はセレスティアが僕の顔面に飛びかかってきた。

 危ない、と落ちそうになるのを手で支える。


 精霊娘たちは僕の髪の毛を引っ張ったり掴んだり、両手で抱えたりしながら「ちゅー……」「ちゅっちゅッ!」とキスをしてくれる。


 正直に言おう。なんだかとっても堪らない気持ちである。

 イヤらしい気持ちなど欠片もない。キスをひとつされる度に胸の奥がじんわりと暖かくなる。ふたつキスをされると喉の奥がキュウっとなる。みっつキスをされると叫びたくなる衝動をグッと押さえつけることになる。


 知らなかった。自分の娘にキスされるのってこんなにいいものだったなんて……。


「ってキミは何をするつもりなのかな?」


「…………私、も……おかえり、の接吻を……」


 危ない危ない。

 流れでキスされるのを受け入れるところだった。

 でも前オクタヴィア、キミはダメだよ。


「……何故でしょう……アウラ様やセレスティア様ばかり……不公平です」


「いや、この娘たちは僕の娘も同然だからね」


「私……は?」


 キミ? キミは娘じゃないでしょう。あくまでお客さん……それともメイドかな?


「メイドは一日一回……旦那様に……接吻をねだる権利があります」


「あるわけないでしょそんなの」


 僕が異邦人だからってそんなウソ騙されないよ。


「ほほ、接吻くらいええじゃないかタケルよ」


「おまッ!」


 僕はアウラをエアリスの方へ、セレスティアをセーレスの方へと正確に放った。「キャハハ、お父様もう一回投げてっ!」「楽し……」と娘たちは大喜びだった。


 キャッチしたセーレスとエアリスは若干怒りつつ僕を睨んでいが……でもごめんよ、今はそれどころじゃないんだ。


「この、よくもバックレてくれたなッ! あのあとセーレスに誤解されて大変だったんだぞ!」


 そうなのだ。ゼイビスとの会合の場には真希奈以外にもエーテル体の蛇になったオクタヴィアもいたはずなのに、セーレスと遭遇するなり彼女は姿をくらませてしまったのだ。


「面白い響きの言葉じゃな。会話の前後から察するに、儂がお主を見捨てて知らんふりをしたことを言っておるのかの?」


 小さいオクタヴィアは新しい知識に敏感だ。

 地球に買い物に行ったときも、何気ない看板や、そこら中に書いてある文字を真希奈や僕に読み上げさせていた。頭の中に地球の言葉による単語帳を作っているのだと彼女は言っていた。


 僕がうっかり口に出してしまった地球の言葉も彼女に取っては喜ぶべきサプライズプレゼントになってしまうのだった。


「って今はそんなことどうでもいい。お前が一言口を添えてくれれば、僕はセーレスに殴られなくて済んだんだぞ!」


「まあまあ、儂も大変じゃったのよ。ヤツの泊まる宿の周辺に刺客がいないか見張るのは骨が折れるのじゃ。話が終わった時点で一足先に宿の様子を見に行っておったのよ」


 この……もっともらしいことをいいやがって。多分これも半分本当で半分が嘘なのだ。刺客がいないか確かめるのが本当で、監視のための蛇は何匹もいるはずだから、あの場から急いで宿に向かったというのが嘘である。


「ほほほっ!」


「笑って誤魔化すなッ!」


「いやいやタケルよ、儂なんぞに構っとっていいのか?」


 そんなこと言ってまた話をそらそうと――


「違うぞい。放っておかれてセーレスがずいぶん不機嫌な様子じゃぞい」


「えッ」


 慌てて振り返る。本当だった。

 セーレスはナデナデとセレスティアをあやしながらも「ぷくーっ」っとほっぺたを膨らませて僕を睨んでいるではないか。これは不味い。


「タケル、私まだ納得してないよ。それなのに私以外のヒトたちとばっかりお話して。ちゃんと答えて、どうして男のヒトと娼館にいたの?」


「わッ、それは――」


「何、娼館だと?」


 ヒュオっと風が吹き抜けた。

 エアリスがまるでヒトでも殺めてきたみたいなものすごい目をしていた。


「男同士の付き合いで娼館に行ったのではなく、男と一緒に・・・・・逢い引き部屋に行ってきたと、そういうことなのか貴様?」


 エアリスの風は極寒だった。蛇であるオクタヴィアたちは「寒い寒い」と言って退散していく。ちょ、誤解を解いていってくれ!


「タケルよ」


「タケル……」


 気がつけば僕は囲まれていた。

 エアリスとセーレスに挟まれた僕に逃げ道など存在しなかった。


「どういうことか説明してもらおうか」


「納得するまで今夜は寝かさないから」


 セーレス、それはちょっと意味が違うよ。

 もっと違うシチュエーションで聞き直したい言葉だな、うん。



 *



「どうしてこうなった?」


 僕は今自室にいた。

 南向きの角部屋で、一番日当たりがよく風通しがよく、ダフトンを一望できる最高の部屋である。城の主が住むにふさわしいとして僕に与えられた部屋だった。


 室内はピカピカ光る石のタイルが敷き詰められ、エアリスが毎日掃除をしてくれているのでチリひとつ落ちていない。


 真ん中には天蓋付きのベッドがあり、ベッド周りの床にだけ上等な絨毯が敷かれている。あとはベッドの側にチェストが一台と、僕の部屋にあるのはそれですべてだった。


「タケル、正座」


「はい」


 部屋の中には今、エアリスとセーレスがいた。

 天蓋付きのベッドの上に二人が座り、ベッドの下、絨毯の上に僕が正座をしている。


 今、部屋には三人しかいなかった。

 夕食を食べたあと、オクタヴィアたちはさっさと自分たちに与えられた新しい客間に引っ込み、アウラとセレスティアの世話は真希奈がしてくれている。


 というわけで僕らは正真正銘三人だけである。

 だが――


「セーレスさん、ちょっと待ってもらってもいいですか?」


「なに? おしっこなら早くしてね」


 違いますよ。――龍慧眼りゅうけいがん

 僕はやにわに立ち上がると龍神族の特別な目を使い、部屋中を観察した。

 床も天井も窓の外も壁の中もだ。


「大丈夫だ、覗かれてない。アクア・ブラッドで結界を! 早くっ!」


「……? よくわかんないけどわかったよ」


 セーレスがパチンと指を鳴らすと、僅かに聞こえてきていた夜の音が止んだ。夜の音というのは城の周囲に存在する森や山々から聞こえる草木のさざめきだったり、動物や虫たちの奏でる音のことである。


 外界の一切が遮断され、僕の部屋は異界と化した。無音になると逆に自分の心臓の音やセーレスやエアリスの吐息が妙に生々しく聞こえてきてしまう。


「それでタケル、正座」


「は、はい……」


 僕は改めてセーレスたちの前で居住まいを正す。

 セーレスは寝間着の可愛い柄のパジャマ姿。これは地球で僕が買ってきたものだ。


 そしてエアリスは先程と同じホットパンツにランニングシャツと言う格好――エプロンを脱いだだけ――だった。


 セーレスはベッドの上でアヒル座り。

 エアリスは長い足を組んであぐらをかいている。

 ふたりとも怒った様子で僕のことを見下ろしていた。


「それじゃあもう一度聞くよタケル。本当に男のヒトが好きじゃないんだね?」


「あ、当たり前だろう。今は事情があって話せないけど、真希奈やオクタヴィアも混ぜて真面目な話をしていたんだよ。ただ密談をするのに娼館が最適っていわれたから……」


 春を売る商売を否定するつもりはないが、僕だって行きたくて行ったわけではないのだと訴える。


「ふむ……まあ王侯貴族の間ではままあるとは聞いたことがあるな」


 その発言はエアリスからだった。

 なんだかんだと彼女はディーオやラエルとの付き合いの中で、上流階級の振る舞いや礼節というものに触れてきたのだろう。


 さらに僕が教師をやっている間は、ラエルの屋敷でメイドとして働いてた。申し訳ないがヒト種族の領域で息を潜めて暮らしていたセーレスより経験は上だろう。


「む、そうなの? それじゃあタケルは本当に男のヒトの方が好きとか、そういうことじゃないんだね?」


「当たり前だろう。僕が好きなのは……好きなヒトはちゃんといるわけだし」


 目の前にね。流石にその言葉は飲み込んだのだが、セーレスには伝わってしまったようだ。「あ」と小さく呟いたきり、彼女は赤くなってモジモジとしだした。その隣ではエアリスが「やれやれ」と言った顔で苦笑していたが。


「じゃ、じゃあタケルはエアリスのことはどう思ってるの?」


「え?」


「なに? 私?」


 セーレスの質問に僕とエアリスが声を上げる。

 まさかそんな風にストレートに聞いてくるとは思っていなかった。


 ベッドの上から真剣な表情で僕を見つめてくるセーレス。

 エアリスはしきりに瞬きを繰り返しながら僕と、そしてセーレスとを交互に見ている。


 これは……冗談を言って流したりしては絶対にいけない場面だ。いくら元ニートで朴念仁や鈍感と言われている僕でも多少は成長する。なので今とても大切なことを聞かれていることだけはわかった。


「エ、エアリスに対しては……感謝してる」


「感謝? それってどういうこと?」


 セーレスさんは誤魔化されまいと身構えているからか、僕の言葉をとらえて真意を問うてくる。まあまず待ってくれ。ちゃんと説明するから。


「ディーオが……自分のお父さんが亡くなって、その気持も落ち着かないまま、僕を色々助けてくれて、一緒に地球にまでついてきてくれて――」


 そうだ、もしもエアリスが僕を支えてくれなければ、セーレスを助けることだってできなかったかもしれない。精神的にも肉体的にもエアリスには世話になりっぱなしだったのだ。


 当の本人――エアリスは真顔になっていた。

 目を見開いたまま固まっていると言ったほうが正確か。


 まさかこんな話になるとは……僕の本音が聞けるとは思っておらず、ビックリしてリアクションが取れずにいるのだろう。


「タケルはエアリスに感謝してるだけ? それだけなの?」


「い、いや、感謝以外にもありがたいというか、僕にはもったいないというか……」


「ちゃんとハッキリ言って」


 セーレスは追求の手を止めるつもりはないようだった。

 もうちょっと察して欲しい、男の純情ってやつを……今この場に於いては紙くず同然の価値しかないけど……。


「あー、もちろんその……好きです、はい……」


 チラッと見上げる。

 エアリスは目を皿のように見開いていた。

 ありありとわかるほど褐色の肌が赤くなっていた。


「その好きは本当の好き? 自分の従者に対する信頼とかじゃなくて、ちゃんと女の子を好きな好きなのね?」


「も、もちろん……セーレスさんに向けるのと同じ好きです……多分」


 僕がしどろもどろにそういうと、セーレスはようやく満足したのか「むふー」と鼻から息を吹き出した。エアリスは可哀想なくらいオロオロしており、自分で自分を抱きながら、僕と目が合うなり「ふわわっ」と奇声を上げながらのけぞったりしている。


「その答えが聞けて私は満足だよタケル……!」


 うんうん、とセーレスが頷いている。いや、マジで勘弁して欲しい。僕とエアリスはお互い顔を赤くし、でもチラチラと目が合っては慌てて逸らすということを繰り返していた。


 うあー、恥ずかしい。こんなの僕のキャラじゃないぞ。

 今すぐあの夜空の向こうで思いっきり叫びたい気分だ。


「じゃあ今度はそれを態度であらわして」


「あ、あらわす? え……?」


 セーレスはピョンとベッドから下りると、混乱するエアリスの手を引いて床の上に立たせる。「タケル」と呼ぶので、僕も慌ててエアリスの前に立った。


「ほらほら、好きな女の子が目の前にいるんだよ。男の子ならどうするのが正解なの?」


「え、いや、どうするって……!」


 どうするんだろう?

 眼の前にいるこんな綺麗な女の子、僕はどうしたいんだろう。


 僕にはろくな恋愛経験がない。まだ高校生に上がったくらいの年齢なんだからそんなものは……いや、学校には通っていなかったが、同年代の子たちは立派に恋愛をしていたはずだ。僕だけがそういうものを避けて通ってきてしまったために全く経験がないのだ。


 セーレスはベッドの上にうつ伏せになり、肘を立てて頬杖をつきながら、足をブラブラとさせている。その表情はとても楽しそうだ。これから僕がどんなアプローチをするのか楽しみで仕方がないのだろう。


 対するエアリスはいつもの堂々とした雰囲気が完全に鳴りを潜めていしまっている。いつでもどこでも、彼女はカッコいい女性の代表のような容姿と立ち振る舞いをしていたのを思い出す。


 地球の豊葦原学院に通っていたとき、彼女が男性はもちろん女生徒たちからも大変な人気があった。


 だが今目の前にいる彼女は違う。

 ミュー山脈に行く前に立ち寄った温泉。

 そこで臆病な告白をしてきたあのときの彼女そのものだ。


 捨てられた子供のような……父親にこれから怒られるのを怯えている娘ような、そんな表情といえば想像できるだろうか。


 どうしてそんな顔をしているんだろう。何が彼女をそんなに不安にさせているのか。


 ……いや、そんなものは決まっている。僕のこれまでの態度や言動が彼女を不安にさせているのだ。


 僕は地球でエアリスに支えられた。

 そして異世界に戻ってからも影に日向に助けられている。


 キミにそんな顔をさせたいわけではない。

 今の僕にできることならなんでもしてやりたい。


 でもどうすればいい?

 こんなとき、男はどうすることが正解なんだ?


「タ、タケル?」


 いけない。エアリスがまた悲しそうな表情をする。

 そんな顔をしないでくれ……僕は改めて彼女を見つめた。


 怖気を誘うほどに美しい子だ。

 なめらかな褐色の肌に銀色に煌めく髪。

 両の瞳は月の光を閉じ込めたような琥珀色。


 こんな奇跡のような女の子を僕は好きになってしまった。

 しかももう既に他に好きな子がいるにもかかわらずだ。


 僕は結局、どうするのか迷った末に――心に従うことにした。

 それは結果的に正解だったといえる。


 僕は子供のあやしかたを知らなかった。

 でもセレスティアやアウラに抱きつかれれば愛おしくなるし、抱きしめ返したり、頭を撫でてあげたくなってしまう。だから――


「あ」


 僕の腕の中で声がした。

 不意に抱きしめられてエアリスが自然と漏らしたものだ。


 温かい。いや、熱いくらいの体温だ。

 これがエアリスのぬくもり。


 そしてこの香り。

 女の子特有の……というよりエアリスの香りなのか。


 ほのかに甘い……深い森の中にいるような匂いがする。

 僕はエアリスの髪に鼻先を入れ、胸いっぱいに彼女の香りを吸い込んだ。


「あ、タケル、その、あのだな……!」


 腕の中のエアリスが慌てている。

 こんな彼女を見るのは初めてだ。


 なんだか可愛いな。

 そうだ、なにも難しく考える必要はなかったんだ。


 可愛いものを可愛いと思い、愛しいものを愛しいと思う。

 大切なものが自分の手の中にあったらどうする。

 優しく優しく撫でてあげればいいのだ。


「ふわ……」


 エアリスらしからぬ声が漏れた。

 僕はいつの間にかエアリスの銀髪を撫でていた。


 少しひんやりとしていてさらさらだ。

 手のひらから僕の体温が解け、ジンワリと髪全体に広がっていく。


「タ、タタ、タケル、き、貴様はなにを……!」


 ようやく絞り出した言葉は質問だった。

 エアリスもどうして自分が僕にこんなことをされているのか理解できていないようだった。


「こういうこと、僕にされると、嫌か?」


「そ、そんなことはない」


 だが、とエアリスは腕の中、身じろぎをする。


「貴様がこういうことをするべきは私などではないはずだ……」


 ふむ。でもそれは大丈夫。


「もちろん、ベッドの上で顔を赤くしながら僕らの姿をマジマジと見ているセーレスにも同じことをする。お前の見ている前で思いっきり恥をかかせる」


「それは……いいな。うん、ぜひそうしてくれ」


 言いながらエアリスがそっと僕の背中に手を回してくる。

 ギュッとまるで大切なものを抱きしめるみたいに優しく力強い手だった。


 多分彼女も僕と同じ気持ちなのだ。

 それが確認できただけでもこの夜は大収穫だった。



 *



「もうタケルってば、初心うぶなんだから。でも一応合格かな。ギリギリだけど、エアリスもタケルも初々しくて可愛いかったから許しちゃう……ってなに、どうしたの? なんでエアリスは私の後ろに回って肩を押さえつけてくるの? タケルはなんでそんな風に両手をワキワキさせながら近づいてくるの? うにゃあああああっ!」


 僕はもうムツ○ロウさんばりにセーレスをナデナデした。

 その金糸の髪の毛が静電気でパチパチになるくらい頭を撫でて、顎の下をよしよし&少しだけコチョコチョする。


 セーレスのあられもない悲鳴は止まず、日付が変わる頃には「もうからかったりしないから許してぇ……!」と息も絶え絶えに言質をもらうことに成功した。


 そして最後には、真ん中にセーレスを挟んでエアリスと前後からサンドイッチにしてみた。


「あっははっ! なんかすっごくギュウギュウなのっ! ほらほら足なんかプラプラ!」


「こら、あまり暴れるでないセーレスっ、大人しくしろ!」


「えー、やだエアリスったら、おっぱい揉んじゃえっ!」


「ば、ばかもの、そんなに激しくするでないっ!」


 わーお。特等席で百合プレイが見られるなんて最高だ。

 セーレスを挟んだ至近距離で、こんなにたわわに動くエアリスのバストを拝めるだなんて……!


「むう、やっぱりタケルってばエアリスの大きな胸が好きなんだね?」


 後ろを振り返りながらセーレスが拗ねたように言う。

 僕は慌てて男の真理を吐き出した。


「大きい小さいなんて瑣末事さまつごとです。僕はエアリスとセーレスのおっぱいが好きなのです」


 ――はッ、僕は何を口にしてるんだ。

 息が掛かりそうなほどの距離で、セーレスとエアリスがポカンとしている。

 と――


「あははっ、なにそれタケルっ、そんなに私の小さなおっぱいが好きなの?」


「やれやれ貴様は……ようやく男らしい助平な主張をしたかと思えば……」


 笑ってる。呆れてるとか怒ってるじゃなく、ふたりとも笑ってくれている。

 そうか……僕はもうこういう発言も許される立場にあるのか……。


 結局その夜は同じベッドの上で三人で眠った。

 僕を真ん中に左隣にセーレス、右隣にエアリスだ。


 自然とエアリスがクリスマスのときみたいに僕の手を握ってきてくれて、セーレスは昔のようにピタッと腕にしがみついてきてくれた。


 ああ、いいなこういうの。

 こんな温かい気持ちで眠りにつくことができるのは久しぶりだ。


「おやすみ、タケル……」


「おやすみなさいタケル……」


 夢心地の中、エアリスとセーレスの声が聞こえる。


 明日から色々大変だけど頑張ろう。

 そしてたまにでいいから、またこうして三人の時間を作っていこう。

 僕はそう強く決意した。


 ……翌朝、オクタヴィアが散々に切れてきた。

 やれズルいだの、アクア・ブラッドの結界のせいでまったく覗けなかっただのと罵られた。


 改めて誓う。

 次からも絶対に龍慧眼によるサーチ&アクア・ブラッドの結界を徹底しよう。

 あの夢のひとときに覗き魔は不要なのである、と。


 続く。

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