第272話 東国のドルゴリオタイト篇⑦ 高級娼館の密会〜エストランテお家事情・前編

 * * *



『ヒト種族とは勇者を生み出すための苗床よ。初代王エストランテ・オイゼビウスもまた、見方を変えれば勇者じゃった』


 真っ白いエーテル体の蛇の格好のまま、オクタヴィアはそう言った。


 ここは密室。決して第三者に覗き見もされない特別な場所。

 部屋の中には品のいい調度品が並び、僕はテーブルを挟んだ上座にドッカと腰を下ろした。


 対するゼイビスは一瞬目を丸くしたあと、「はいはい、お前の方がえらいですよ」とボヤきながら下座に座った。


 オクタヴィアは僕の頭から降りると「タケルよ、手を伸ばさんかい」と言うのでテーブルまでの橋渡しをしてやる。白蛇はやっぱりとぐろを巻きながら首だけをニョキッと伸ばして僕を、そしてゼイビスを回し見た。


『さて、ようやく落ち着いて話ができるのう』


「その前にひとつ聞いておきたいんだが」


『なんじゃい?』


「どうしても密会の場所はここ・・じゃなきゃダメだったのか?」


『当然じゃ。まずはお主を説得せんことには、城にいる者たちを巻き込むわけにもいかんでな』


「なるほど。知っているヤツは少ないに越したことはない話ってことはわかった」


『理解が早いのう。お主はやはり頭はいいんじゃのう』


「いや、でもな……それにしたってなんで密会場所が娼館・・なんだよ!」


 そう今僕らはノーバにある娼館の高級部屋にいる。部屋の内装がとっても品がいいのも当然だが、なにより目立つところにドドンと天蓋付きのベッドが置いてあるのだ。それにムードを演出するためか、やたらいい匂いのする香が漂ってくる。


「娼館ってのは王侯貴族達にとって、ある意味もう一つの社交場だぜ。街中じゃ一番設備が整ってることが多いし、壁も厚くて防音も完璧だ。覗き見される恐れもない。遠征地の娼館で実はお忍びの会議、なんてのもよくある話だ。お前王様のくせにそんなこともしらないのか?」


「僕はついこの間まで教師をしていたんだよ。王様になったのはつい最近だ」


 その前はエアリスやアウラ、セーレスのヒモみたいだったなあと思い出す。さらにその前はニートだ。我ながら隠しておきたい過去である。


「まあオクタヴィア様から話を聞く限りではそうみたいだな。ここの金は俺が持つし、部屋の中にある食い物や飲み物も好きにできるんだぜ。声をかければすぐに湯桶を用意してくれるし、一体何が不満なんだ?」


「ここに入る時に僕らを案内していた店員の顔を見てないとは言わせないぞ?」


 そうなのだ。本来なら僕とゼイビスとオクタヴィアと真希奈の四名なのだが、傍から見れば僕とゼイビスだけが入店したものだからさあ大変。


「いらっしゃいませ、当店のご利用は初めてで……はい? ええ、お部屋だけの貸出もしております。二名様? ……問題ありません。どうぞごゆっくり〜」と、妙に生暖かい目でドレス姿の店員さんに送り出されてしまったのだ。


 僕らが王様と王子という立場にあることなど知りもしないものだからすっかり誤解されてしまった。冒険者ナスカというアンダーカバーには早々に『男色』のタグが付随していた。ちくしょう。


『大丈夫じゃ。この手の店は店員に箝口令を敷いておる。外には漏れんよ……多分』


 くそ。話が進まないから開き直るしか無い。


『タケル様、まずはお体を清めては如何ですか? 錬成場での戦いでだいぶ埃を被ってしまったようです』


「よく気がつく娘っ子だな、その子。どれ、誰か呼んで湯を持ってきてもらうか」


 ゼイビスが腰を浮かせかけたのを僕は制した。

 一番スペースに余裕があるベッド前まで行くと、僕は自前でお湯を用意する・・・・・・・・・・


「真希奈」


『畏まりました。魔素選択水精ナイアス及び火精バルカン――湯加減は如何ですかタケル様』


 僕の目の前に身の丈ほどの水球が現れ、ホカホカと湯気を立てていた。それに手首を突っ込み、温度を計る。


「もうちょい温くしてくれ」


『では温水プールほどに設定します』


「ん」


 手から伝わる湯加減が適温になったのを確認すると、僕は水球の中にザブンと飛び込んだ。


 懐かしいな、地球でテロリスト認定されて逃亡生活してた時にはセレスティアが作ってくれた水球風呂に毎日入ってたっけ。


 僕は水球の中で身体を擦り擦り、頭をガシガシ洗ってから、平泳ぎの要領で大きくお湯をかき分け外に出た。


『魔素選択風精シルフ、さらに火精バルカン


 僕の身体に暖かな風が巻き付き渦を巻き始める。

 全身の水分が弾き飛ばされ、眼前に一つになってまとまっていく。

 ものの数十秒で着ていた服も全部乾燥しサッパリスッキリである。


「待たせたな」


 残った水は部屋に設えてあるトイレ壺にドボンしてから椅子に腰を下ろす。ゼイビスは口を半開きにしたまま僕をマジマジと見つめ呟いた。


「ま、魔法王……すげえ」


 まあな。でもこのレベルで魔法を操るためにメッチャクッチャ苦労したんだぞ。


『小器用な奴じゃなあ。魔法で風呂に入るやつなぞ初めて見たわ』


 オクタヴィアの七万年の記憶でも初めてって何気にすごくないか? などと思いつつ、水指しから一杯水を注いで喉を潤した。


「で、死んだはずのエストランテ王子がなんでこんな――こんなってことはないな。一応僕の国だし。僕の膝下で冒険者なんてやってるんだ?」


「それは――」


 ゼイビスは膝の上に肘をついて両手を組んだ。伏せられた顔を覗き込むと、苦渋の表情をしている。それだけで面倒――ただごとではないとわかった。


『儂から話そう』


 そう言ったのはオクタヴィアだ。

 エーテル体の蛇はテーブルの上を移動し、僕とゼイビスの両方を視界に収められる位置で止まった。


『今を遡ること一年ほど前のことじゃ。儂は悠久を生きる魔族種の崇高な義務として、世界中にばら撒いた我が眷属たちがもたらす情報を精査するという日課をこなしておった』


「どんなに言葉を変えても覗きは覗きだぞ?」


『……儂の眷属の一匹はとある入江の砂浜で雄大な大海原を眺めておった』


 お、ついに無視しやがったぞコイツ。まあ、あんまり覗き魔呼ばわりするとメンタルがお子様なオクタヴィアはガチ泣きするから止めておこう。


『そこで見つけたのが此奴よ。砂浜に打ち上げられ、瀕死の重傷を負っておった。儂は助けを呼びに行こうとした』


「おい待て、エーテル体の分際で助けを呼ぶってどうするんだ?」


『そりゃあ対象者に乗り移るのよ。精神を破壊せん程度に、その者の意識を望む方へと誘導してやるのじゃ』


 うわ、質が悪い。こいつ覗きだけじゃなく、たまにそうして他者を操って遊んでるんじゃないだろうな。


『勘違いするなよ。儂はあくまで観察者じゃ。緊急避難的なことでも無い限り、身体を乗っ取る真似はせん』


 そう言いながらオクタヴィアはしっかり予防線を張ってきた。人命救助なら文句はないけどさ。


『じゃが驚いたことに、ゼイビスは儂の身体――エーテル体をつかみ取り、腹が減って負ったのじゃろうな、儂を食おうとしおったのじゃ』


「エーテル体って美味いのか?」


 いや、そもそも普通触れるのか?


『稀におるのよ。エーテルとは幽世かくりょの存在じゃ。瀕死の重傷を負っておったゼイビスは半分死にかけた状態じゃったから、波長が合ってしまったのじゃろう』


 そして歩き方を覚えた子供が歩き方を忘れることがないように、一度認識してしまったものは、例え死地から脱出しても見えるようになってしまうのだという。


「それにしても、王子様が死にかけてるなんてただごとじゃないな。一体何が遭ったんだ?」


『それは――』


「裏切られたんだ」


 オクタヴィアを遮るように、ゼイビスは絞り出すように言った。


「エストランテは商業国家だ。俺もいくつか、子供の頃から商売をしている。必要があれば交易船に乗って、獣人種領やヒト種族の領域まで長旅をすることもある。その日はエストランテ港を出向して王都の軍港まで長期出張する予定だった」


 ギュウっと両手を握り込み、ゼイビスは渋面を作った。恐らくその時の――裏切られたときを思い出しているのだろう。殺されかけた恐怖と、看過できない怒りとがない混ぜになっているようだ。


「俺が所有している交易船が故障して、直前でユーノス大商会の船に便乗させてもらうことになった。俺は遥か、陸地すら見えなくなった時分に後ろから――」


 なるほど。斬りつけられ海に投げ落とされたのか。

 そりゃあ常人なら確実に死ぬな。岸に流れ着き、オクタヴィアに発見されたのは本当にラッキーだったとしか言いようがない。


『じゃが儂はこの状態では救助などできんでな。結局他者に助けを乞うたよ。ようやく傷も癒え始めた頃、刺客に襲われそうになったがのう』


 なんでも助けてくれたはずの漁師にも裏切られたのだという。あんなに親切にしてくれていたのに、本当に僅かな駄賃でゼイビスは売られ、オクタヴィアの協力の元、命からがら魔族種領まで逃げてきたそうだ。


「おいおい、魔族種領までってことは獣人種の領土を突っ切ってきたのか!?」


 どんな強行軍だよ。怪我を抱え、刺客から身をかわしながら踏破できる距離じゃないぞ?


「ああそうさ。生半可な旅じゃなかった。オクタヴィア様が行く先々で様々な情報を先んじてくださらなかったら絶対にここまでたどり着けはしなかった……」


 昼間までヘラヘラとしていたゼイビスは苦悶の表情だった。

 それだけ行く先々で刺客たちに襲われ続けたということなのか。


「それでも俺は一度本気で死ぬ覚悟が必要だった――」


 そう言うとゼイビスは頭に巻いていたディーオコスプレのターバンを解いていく。その下から現れたものに、さすがの僕も驚きを禁じ得なかった。


「おまえ、やっぱり獣人種だったのか」


 ゼイビスのくすんだ金髪に埋もれるように、そこにはケモミミが――なかった。無残にも根本から切り落としたのだろう、僅かに耳の後がシコリとなって頭皮から盛り上がっていた。


「母上は豹人族ひょうじんぞくだった。父上はヒト種族だ。エストランテはヒト種族だった初代王、オイゼビウスが獣人種の仲間と共に一代で築き上げた国だ。王は当然のように獣人種を妃にできるが、同時にヒト種族からも妃をとらなければならないという不文律が存在する。そして王になるには基本的にヒト種族系が好ましいとされている」


 現在、ゼイビスの弟――ヒト種族の妃との間に設けられたベアトリスが王位を継いでいるのだという。だがまだ幼いため、代わりにまつりごとを取り仕切る摂政官せっしょうかんを立てており、実質ゼイビス不在のエストランテはその摂政官によって牛耳られているそうだ。


「まさか、そいつがギゼル、とかいう奴か」


 僕の言葉にゼイビスが重々しく頷く。

 オクタヴィアが黒幕と言った男の名前だ。

 そしてそいつがドルゴリオタイトを市場に流し、価格をゴミクズ同然にまで値崩れさせた張本人らしい。


「数年前から父上も母上も体調が思わしくなく、実質的に俺が王の代行をしてきた。そしてギゼルは元ユーノス大商会の番頭をしていた叩き上げの財務官だった。エストランテの国庫は実質やつが握っていると言ってもいい」


「つまりは国の乗っ取りか。お前にこのまま王になられては困る。だから亡きものにして、幼いお前の弟を傀儡の王に仕立て上げる。そしてギゼルはそれを裏から操ると……」


 何の事はない、単なるお家騒動ではないか。

 お気楽者だと思っていたゼイビスもかなり苦労をしているようだ。

 それは十分同情できる話だったが、僕の疑問はまだ解けてはいない。


「なあ、ギゼルの奴が黒幕なのはわかったが、ヤツは国を乗っ取ろうとしているんだろう? ならなんでそこにドルゴリオ――黄龍石が関わってくるんだ。というかそもそもどこにそんな大量の黄龍石があったんだ?」


 最もな質問をした僕をゼイビスはギョッとした目で見ていた。

 本気で言ってるのかこいつは、みたいな目である。


「そうか、まだ王になって日が浅いんだったか。ならしょうがないか」


『あるんじゃよ。それほど大量の黄龍石がエストランテにはのう』


 エーテル体の蛇は小器用にフルフルと首を振った。

 僕はまさか、と心の中で呟いた。


『なにせエストランテ立国の立役者のひとりはディーオ・エンペドクレス本人じゃからのう』


「マジかよ!」


 ディーオが未来に残した手紙。

 僕はディーオの難題と呼んでいるその中の一つに、『日出る王宮』と書いてあった。それはもう間違いなく東国、エストランテ国のことだろう。


「ディーオ様は初代王、オイゼビウス様をプリンキピア大陸の最果てに導いたエストランテの大恩人だ。そればかりでなく、当時からして金塊と同じ価値があった黄龍石を我らに与えて下さったお方なんだ!」


 ゼイビスは拳を握り鼻息荒くディーオの名を口にしている。

 なるほどそれか。

 ディーオが昔撒いた厄災の種が今結実したわけね。

 やっぱりあの過去からの手紙は『ディーオの難題』と呼ぶにふさわしいものだと僕は思った。


 続く。


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