第270話 東国のドルゴリオタイト篇⑤ 魔素分子星雲装甲〜ジジイ黄昏に死す!?

 * * *



「真希奈、解析開始」


『――魔素・シフル急速増大。目標魔力、ビート・サイクルに換算にしてレベル5を突破。尚も上昇中』


「へえ」


 ブロンコ氏は、僕が今まで出会ったどの魔法師よりも大きな魔力の持ち主だった。獣人種は言うに及ばず、ヒト種族でもブロンコ氏に比肩するのは、王都の宮廷魔法師クラスだろう。このジイさん、本当にヒルベルトでトップクラスの魔法師なんだな。


『目標は現在、憎の意志による魔素の簒奪さんだつを継続中。攻撃開始予想時間まで32、31、30……』


「なにをぶつくさ喋っておるんじゃい! 今更神に祈ったところで貴様の死は確定じゃあ! 儂の前でよくもディーオ様を侮辱してくれたのう、楽には死なさんぞ小餓鬼子が!」


 先程までの弱々しい姿が嘘のようだった。

 ブロンコ氏は真っ赤に充血した悪魔のような瞳で僕を睨みつけている。


 彼を中心にして風の帯が渦を巻き、周囲の土埃を巻き上げながら、急速にその範囲を拡大させていく。


「退避ー、全員退避してくださーい!! っていうかこんなに怒ってるブロンコさん初めて見ますー!」


 さすがはギルド職員。ハウトさんは率先して動き、周囲の避難誘導をしている。遠巻きに僕らの様子を伺っていた訓練中の冒険者たちも、突如として立ち昇った竜巻に泡を食ったように逃げ始める。


 ゼイビスは――早々に訓練場から出ると、小高い丘の上から酒瓶を煽って高みの見物と洒落込んでいる姿が見えた。殺してやろうかあいつ……。


『タケル様、あの老人は本気でタケル様を攻撃するつもりです。いかがいたしますか?』


 真希奈の声には若干の緊張が感じられる。

 彼女は僕に向けられる敵意や殺意に敏感だ。

 今回は僕の方から挑発したとはいえ、相手は最高クラスの魔法師。

 鎧もない今の状態で、僕が一時とはいえ傷つくことを彼女は恐れているのだ。


「観察を続ける。相手の手札を全部みたい」


『ああ、そうおっしゃるんじゃないかと思ってましたー。まあタケル様が負けるなどとは露ほども思ってませんけどー……記録を継続。目標が風の魔素を収束させました――来ますッ!』


「よいしょ!」


 逆巻く風の帯から不意に気弾が放たれる。深緑を湛えた風の礫が高速で迫り、身体を半身にしてそれを躱す。僕をすり抜けた気弾は地面を穿った。その瞬間――


「なにッ!?」


 着弾した風の礫が爆発した。

 まるで硬い殻に閉じ込められていた大量の風がいっぺんに解き放たれたようだ。

 地面が大きく陥没し、僕は衝撃に煽られる。

 この魔法は――


「どうやらエアスト=リアスに魔法を教えたってのはまんざらウソでもなさそうだなジイさん」


 この風魔法は紛れもない、エアリスのエアー・ボムである。


「どこぞの馬の骨の分際で我が愛弟子の名を口にするな! ……だが如何にも我がエアー・ボムは偉大なる精霊魔法使いエアスト=リアスも修める魔法じゃ。小餓鬼子よ、よかったのう。今のエアー・ボムがの精霊魔法使いが放ったものだったら、お主は足の一本も失っておったぞ?」


 カカっとまるで亀裂のような笑みを浮かべるブロンコ氏。だが僕は身体の埃を叩きながら言った。


「たらればの話に興味はない。僕はこうして健在だし、エアスト=リアスが偉大なのはよく知ってるさ」


 なんたってウチの大事なおっ母さんだからな。その偉大さは僕が一番身にしみている。


「ほう。あの子の強さをよく理解しておるようじゃ。それだけは褒めて遣わそう。じゃがなあ……儂は正直ガッカリしておるのよ!」


「はい?」


 ブロンコ氏の感情の高ぶりによって、まるで台風の瞬間最大風速のような風が撒き散らされる。舞い上がった粉塵によって周囲にモヤがかかって見えるほど、被害が急速に拡大している。


「ああ、確かにディーオ様は身罷みまかられたのだろう。わかっておる。もうそれは動かしようのない事実じゃ。なんと言っても一万年、一万年じゃぞ。今はなき超大陸が存在した時代を生きておったなど、正しくディーオ様は神話を生きた英雄豪傑よ!」


 ブロンコ氏の言うことは理解できる。僕はそんなディーオの一万年という記憶に、一部ながら触れているのだ。それは気が遠くなるほど長く果てしない記憶だった。ディーオが世界中を旅していたのは、自分が死ぬ方法を見つけるためでもあったのだが……。


「そんな永劫を歩むディーオ様の隣に並び立つことができるのは、正しく特別な存在である精霊魔法使いくらいのものであろうよ。エアスト=リアスも幼心にそれを理解し、ディーオ様を慕っておった様子じゃった。だというのに――――!」


 ブロンコ氏はエアー・ボムを無数に作り出し、僕目掛けて連続で撃ち放つ。僕はそれを縦横無尽に躱しながら、彼の言葉に耳を傾ける。


「だというのに、タケルなどという正体不明の男と共に舞い戻ってきよった。――くッ、儂は今のエアスト=リアスが不憫で不憫でならんのじゃあ――!!」


『タケル様、何やらあのご老人は一人で悦に浸っているようですが……』


「…………」


 僕は土埃に塗れながら、豪雨のように降り注ぐエアー・ボムを広大な鍛錬場を駆け抜けることで避け続けていた。整地されていた鍛錬場はたちまち穴だらけの様相になり、それを目にした周囲の冒険者たちは改めて、魔法師の火力に驚嘆しているようだった。


 そしてブロンコ氏は泣いていた。涸れ井戸のようだった深い皺に埋もれた眼窩から、間欠泉のような涙を溢れさせている。


「今のエアスト=リアスは騙されておる! あのタケルとかいう男はとんでもないペテン師じゃあ! きっとディーオ様を亡くして弱りきったエアスト=リアスの心に付け入ったに違いない! その無垢なる心を食い物にし、騙し、服従させておるのじゃ!」


 ブロンコ氏はもう言いたい放題だった。

 そうか。昔からディーオとエアリスを見てきた古参からすれば、たしかにそのように――エアリスが悪い男に誑かされているように見えるのかもしれない。


 ましてや幼いエアリスが精霊を発現させ、魔法師として己を越えていったその瞬間を見ているブロンコ氏からすれば、彼女は弟子をも越えた愛娘のようにも思えているのだろう。ディーオを敬愛し、エアリスを大切に思っているからこそのげんであると理解できる。


 だが……次に彼が口にした言葉だけは――断じて許容できるものではなかった。


「エアスト=リアスも薄情ものじゃあ! ディーオ様が身罷られたのなら、自身も後を追えばよかったものを……!!」


 複数のエアー・ボムが殺到する。

 僕はピタリとその場に足を止めた。


「ナスカさん、逃げてー!」というハウトさんの悲痛な叫びは、発破のような連続した爆発音にかき消された。



 *



「あー、ありゃあ死んだか?」


「そんな……」


 空っぽの酒瓶で肩を叩きながらやってきたゼイビスは、のほほんとそんなことを口にした。ハウトは蒼白になりながら、もうもうと立ち込める土煙を――冒険者(志望)ナスカへと炸裂したエアー・ボムの着弾跡を見つめていた。


 周りにいる屈強な冒険者たちは言葉もない。錬成場で定期的に行われる剣術大会の折には、怒号と野次が飛び交い、賭け事まで始める彼らであっても、ブロンコ氏の圧倒的火力と破壊の爪痕は、洒落にならない規模だと理解しているのだ。


 まっ平らに均されていた広大な錬成場は、どこもかしこもくわで掘り返したように穴だらけになってしまっている。


 あんなに弱々しい老体であっても、並の冒険者が束になっても敵わない。それほどまでに魔法師の戦闘力とは脅威なのである。


 そして、ただの一撃だけでも致命傷になる風の礫を複数個も同時に受けたナスカは、もはや跡形も残ってはいないだろう。


 あんな虫も殺せないような少年だったナスカの変わり果てた亡骸を想像して、ハウトはその場に崩れ落ちた。がっくりと項垂れた途端、周囲の冒険者が「あっ」と声を上げる。ハウトが顔を上げると、目尻に溜まっていた涙がぽろぽろと零れたが、そんなことを気にしてる場合ではなかった。


「なに、あれ……?」


 土煙の向こう、何かがキラキラと輝いている。

 その輝きは、まるで夜の暗雲を振り払う星々の煌めきに似ていた。


「あれも、魔法、なの……?」


 ハウトの疑問の声に、答えられるものは誰もいなかった。



 *



「なんじゃと……!?」


 確かな手応えを感じた。

 チョコマカと自分の魔法を袖にしていたナスカとかいう小餓鬼子を完璧に仕留めたと思った。


 だが、土埃の向こうから五体満足な姿でナスカは現れた。現れただけでなく、その全身に見たことも聞いたこともないキラキラとした光を纏っている。


 それはあたかも夜空の向こうに瞬く極彩の星々を彷彿とさせる。

 鮮紅せんこう濃藍のうあい深緑しんりょく真黄しんおうが渾然一体となり、ナスカの体表面で渦を巻いている。


 その光のうちのひとつを見るにつけ、ブロンコはハッとした。

 それは自分があまりにも見慣れた色。風の魔素を得意とする魔法師として、もはや自分のよわいと同じ時間だけ目にし続けてきた輝きと同じだと気づく。


「風の魔素、じゃというのか? しかも魔力を付加された状態で消えることなく留まっておる!? それ以外の光は、炎と水と土の魔素だというのか――!?」


 それは魔族種領ヒルベルト大陸で最古参の魔法師であるブロンコを持ってしても、初めて目にする現象だった。


 四大魔素すべてが魔力を付加された励起状態で、お互いを相克することもなく、完全な調和を保ち、そこに在り続けている。


 それの意味するところに思い至りブロンコは戦慄した。バカな、魔法の王としての側面を持つディーオ・エンペドクレスであっても、あのようなものは持ち得なかった。


 それなのにあんな無名の、今日冒険者になったばかりの子供がそんなものを――


「ペ、ペテンじゃあ! ディーオ様を超える逸材などこの世におるはずがないわ――!」


 己の目で見たものが信じられず、ブロンコは再び渾身のエアーボムを放った。

 それは寸分違わずむき出しのナスカの頭部へと迫り――だが、突き出された手のひらに触れると跡形もなく霧散した。


「バカな……!」


 自分の風の気弾が触れた途端、ナスカの全身を深緑の光が満たした。それは自分が放った風の魔法を瞬時に風の魔素で吸収し、無力化した……ということなのか。


 ――憶測でしかないがブロンコにはそうとしか思えなかった。


「このっ、舐めるなァ――!!」


 ブロンコは半ばヤケクソになりながら、自身の魔力すべてを風の礫に変え、連続して撃ち放った。



 *



 先を凌駕する大量のエアー・ボムが迫っていた。

 だが僕は一切の回避を捨て、ブロンコ氏を目指して進軍を開始した。


 殺到するエアー・ボムは構成する風の魔素を散らし、そよ風となって僕の髪を撫でるだけだった。


 今僕が首から下に纏っているのは極彩の光。

 四大魔素をすべて魔素励起状態にした魔素分子星雲エレメンタル・ギャラクシーである。


 つい数時間前、セーレスの診察所を覗き見た報復として彼女から齎された水精の槍。それを素手で受け止めるのは不味いと判断し、とっさに手を魔素分子星雲エレメンタル・ギャラクシーでコーティングし、触れた先から水の魔素を無力化させることで事なきを得た。


 それが大きなヒントとなり、僕は固定砲台のようなブロンコ氏に対して、魔素分子星雲装甲エレメンタル・ギャラクシー・アーマーとでも言うべきとっさのスキルで対応したのだった。


『タケル様、このような発想力と機転は大変素晴らしいとは思いますが、実戦でいきなり試されるのは大変危険で――タケル様?』


「…………」


 真希奈の声も聞こえない。

 今僕の頭の中にあるのはただひとつ。

 あのクソジジイに圧倒的実力差を見せつけながら一発ぶん殴ってやることである。


 僕は久々に切れていた。

 龍神族の特性や次代への譲位を知らないのは当然としても、好いていた男が死んだならエアリスも後を追って自害しろ――などとほざく老害は断じて許せない。


 ああそうさ。

 もしディーオが普通に死んだだけなら、きっとエアリスは後追い自殺くらいしていたかもしれない。


 でも彼女はそれをするわけにはいかなかった。

 何故なら、ディーオ・エンペドクレスはただ死んだのではなく、自らの力のすべてを、僕へと託して逝ったからだ。


 いや、それも正確ではない。

 ディーオの虚空心臓は初代エンペドクレスの心臓だった。

 僕が当初受け継いだのも、その神龍の心臓ひとつのみだと思っていた。


 だが実際は違った。

 超々巨大サランガ――融合群体と対峙した時に目覚めたふたつ目の心臓。


 それは初代エンペドクレスと同じく、虚空心臓となったディーオ・エンペドクレスの心臓だった。


 僕の中にはディーオ・エンペドクレスが確かに宿っている。

 エアリスはそんな僕が、ディーオから引き継いだ力を悪用しないか監視するため、好いた男の死を悼む気持ちと戦いながら、やがては僕自身を認め、赦してくれるようになっていったのだ。


 ディーオへのどうしようもない好意を僕へとぶつけてきたこともあったが、地球でアウラを育んでからの彼女は目に見えて変わった。今のエアリスは生きる希望に満ち満ちている。それなのに――


「そんなエアリスに向かってこのクソジジイ……。カビが生えた古臭い記憶だけで今のエアリスを侮辱しやがって……!」


『タ、タケル様が割りと本気でお怒りに!? 愛ですか!? 愛ゆえなのですかー!?』


 愛とか恋とかそんなものは勝手に名前をつければいいと思うよ。

 僕は煩わしいとばかり、殺到したエアー・ボムを極彩を纏った腕で薙ぎ払った。パンッ、パパパンっ、と風船が割れるような音と共に、気弾はすべてただのそよ風へと変貌する。


 ブロンコ氏の驚愕した顔が見えた。

 僕が一歩ずつ歩を進めるうち、その口元が引きつり、顔面から脂汗が吹き出し始めている。


 自分が長年頼みの綱を置いている魔法がなんの役にも立っていないのだ。彼からすれば泡を吹いて昏倒したくなるほどの悪夢だろう。


「来るな、来るな、来るなァー!!」


 ダメ。来ちゃいました。


「はが、ががが――なな、何なんじゃ、何者なんじゃお主はあぁぁ……!」


 至近距離、最大の魔力が籠められた特大の気弾が放たれる。

 だがそれは僕の纏うエレメンタル・ギャラクシー・アーマーに触れて萎み、パスンっと、オナラみたいな音を立てて消えてしまった。


 愕然と、顎が外れるほど開口したブロンコ氏は、眼前で仁王立ちになった僕を震えながら見上げていた。


「ブロンコ・ベルヴェデア。僕が何者かだと? よもや貴様、この拍動を忘れたとは言わさんぞ?」


 遠山奉行のような台詞を吐きながら、僕は聞えよがしにに虚空心臓の――ディーオの心臓を一音だけ稼働させた。


 ドクッ――と、空間そのものを叩いたような振動に、ブロンコ氏は目を皿のように見開いた。そして彼は顔面の穴という穴から体液を溢れ出させた。


「そ、そそそそ、その拍動は――、ま、ままま、まさかディー――」


「歯を食いしばれクソジジイ」


 たった今ひり出した魔力のすべてを右拳に集中させる。ただでさえ魔素励起状態だった僕の全身が輝きを増す。もっと、もっと輝け――!


「僕が生きてるうちにエアリスに後追いなんざ絶対にさせない。あの女は僕のだ――ウチの事情を何も知らない分際で横から口を挟むんじゃない!」


 そして僕はブロンコ氏の顔面目掛け拳を振り下ろした。



 *



 信じ難い光景の数々に冒険者一同は固まっていた。

 錬成場すべてを掘り返すほどの火力を持つブロンコの魔法が効かない。


 全身に破滅の気弾を受けているはずのナスカは、まるで散歩でもしているかのような涼しげな顔をしている。


 あれは無理だろう。

 そう思われたブロンコ最大最高のエアー・ボム。自身を超えるほどの大きな気弾さえもナスカに触れた途端消失してしまった。そして――


「ん?」


「あん?」


「なんか、今」


 口々に呟きキョロキョロとしだす冒険者たち。

 ハウトもまた気づいた。

 今何か空間そのものが震えたような――


「あッ、ダメです、ナスカさん――!」


 ナスカが拳を振り上げる。

 ブロンコは放心状態にあるようで、まったくの無抵抗だ。


 もう勝負はついた。これ以上はいけない。

 だがハウトが終了を宣言するより早く、ナスカの拳はブロンコの顔面へと吸い込まれた。



 *



『…………殴らないのですか、タケル様?』


「ジジイ殴ってなんになるんだよ」


 拳が当たる直前、僕は腕を止めていた。

 さっきのはぶん殴ってやるくらいの気構えで挑むって意味だ。別に本気じゃない。

 こんな枯れ木を殴ったら、それこそ物理的にへし折れちゃうだろう。


『さすがですタケル様。感服いたしました。それよりも貴重な戦闘データが取れましたですよ。解析と整理に回しておきます』


「ああ、報告楽しみにしてるよ」


 そう言いながら僕は、魔素分子星雲装甲エレメンタル・ギャラクシー・アーマーを解除し、遠目にいる冒険者たちに手を振る。終わったよー、と。


 真っ先に駆け出したのはハウトさんだった。それに続き凸凹の地面に足を取られながらむくつけき男どもがドカドカと殺到する。


「ナ、ナナナナスカさんー! なんですか今の、なんなんですかー! 驚きすぎてすごすぎてビックリすぎますよ! あばばば!」


 興奮しすぎてハウトさんがおかしなことになっている。

 でもそれは他の冒険者たちも同じようで、「さっきのキラキラしてるのも魔法なのか?」と聞いてくる。僕は当然のように「秘密だ」と答えた。


「よーお疲れだったなナスカ。俺は最初からお前が勝つって信じてたぜ!」


 頭の天辺に酒瓶を載せて、フラフラ千鳥足でゼイビスがやってくる。こいつ、どうしてこんなにヒトを苛立たせるのが上手いんだろうな。


 と、ゼイビスの頭から酒瓶が落ちた。

 彼は赤ら顔で真剣な表情を作ると「ちょっとどけ」と冒険者たちをかき分けて僕の前までやってくる。


 そして、さっきからまったく反応を示さないまま立ち尽くすブロンコ氏の眼前で手をヒラヒラとさせた。


「…………死んでねえか?」


 僕も含めた全員がギョッとする。

 何を馬鹿なことを。


 僕はそっとブロンコ氏の首筋に手を当て、さらに枯れ枝のような手首を取って脈を測った。


 あー…………。


「死にました」


「「「「ジジイーッ!!」」」」


 心からの哀哭を孕んだ叫びが錬成場に木霊した。

 ヒルベルト大陸最高の魔法師、ブロンコ・ベルヴェデア、黄昏に死す――!



 *



 結局、ブロンコ氏は息を吹き返した。

 真希奈の的確な指示による心臓マッサージ(殴打)によって自立呼吸を取り戻した彼は、冒険者たちに担がれ、自宅へと帰っていった。


 その際、ハウトさんが思い出したように本日の趣旨を聞いていた。


「あの、今のブロンコさんに聞くのも酷だと思うのですが、ナスカさんの魔法ってどうなんですか?」


 なんだその聞き方は、と思ったが、よく考えれば魔法の心得がないものが魔素分子星雲エレメンタル・ギャラクシーを見たところで訳がわからないだろうと思い至った。


 ブロンコ氏は冒険者の背中からジッと僕を見ていた。

 僕も睨むでなく、ただまっすぐにその視線を見返した。

 彼は不意にあさっての方を見ると、ふうっとため息を零した。


「評価などお主らで好きにせい。じゃが、儂に勝った程の腕の持ち主であることは忘れるなよ」


 まるで認めるのが癪だと言わんばかりの渋面を作りながら、ブロンコ氏は行ってしまった。僕はなんだか頑固親父に結婚を認められたみたいな心境になった。


 やれやれ。今度手土産でも持って遊びに行ってやりますかね。ああいう素直になれないタイプは孫娘アウラでも抱かせてやれば一発で陥落するもんだ。多分……。


「やったなナスカ、きっとこれでお前、一級魔法師確定だぞ!」


 酔いも冷めたのだろう、ゼイビスが喜々として肩を組んでくる。うぜえ。


「お前な、元はと言えばお前が余計なこと言わなきゃこんな面倒事に巻き込まれずに済んだんだぞ!」


「まあまあ、でもな、冒険者よりも魔法師の資格を持っていたほうが、今後色々と便利なんだぞ」


「便利って、具体的になにが便利なんだよ?」


 ゼイビスは「そうだなあ」と言いながら懐から丸い金属製の徽章を取り出した。


「例えば駆け出し冒険者じゃあ門前払いされるのがオチだが、魔法師の資格を持ってると、こういうところにも出入りがしやすくなる」


「おまえ、それは――!」


 ゼイビスの手の中にあったのは商人ギルドの徽章だった。天秤がピタリと水平に描かれたそれは、公明正大を謳うギルドが掲げるマークである。だがその時点でお笑い草だ。自分たちの利益を追求しないで公共に平伏する商人など大バカそのものだからである。


 いや、それよりも実は、僕が本来冒険者登録を済ませてさっさと行きたかったのはこの商人ギルドだったのだ。


 そこではヒルベルト大陸はもちろん、ヒト種族や獣人種の領域とも幅広く交易を行っており、その中には当然鉱物資源の価格調整や値付けも行われている。


 ドルゴリオタイト。

 かつては黄龍石、ドルゴリオ黄石と呼んでいたそれは、安倍川博士の調査によって、魔法や魔力といったものばかりでなく、真希奈のような高次元の情報生命すら保存することのできる精霊石の一種であり、劣化版の賢者の石シード・コアであると結論付けられた。


 僕はその報告を受けて以降、ちまたの黄龍石、ドルゴリオ黄石と区別をつけるため、ドルゴリオタイトという呼称を用いるようになった。


 龍神族だけが独占していたはずの希少鉱石が値崩れを起こすほど大量に市場に流された。この事件を調べるために商人ギルドに行きたかったのだが――


「ゼイビス、お前は何者だ?」


 殺意さえ込めながら軽薄そうな男を睨みつける。

 彼はニイっと笑みを深めながら言い放った。


「それは俺の台詞なんだがなあ。でもま、俺と仲良くしておくといいことがたくさんあると思うぜ。タケル・エンペドクレスよ」


 続く。

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