第267話 東国のドルゴリオタイト篇② 出歯亀男たちの末路〜患者のぷらいばしーは大切に
* * *
生ゴミの匂いが立ち込めるバハ食堂の裏、セーレスが開業した診療所に面する壁に張り付き、覗き穴と思わしき部位に顔を近づけている男がひとり。
くすんだ金髪とターバン、オーバーシャツの上から革製のベストを着込み、下はアラビアンパンツのようなダボッとしたズボンを穿いている。
その姿格好に既視感を覚えながら僕は、たっぷりと殺意を籠めて男を睨みつけた。
「おまえ、そこで何してる! この覗き野郎が!」
『タケル様、それって天に唾吐くのと同じです……』
容赦ない真希奈の突っ込みも今は聞こえない。
僕はセーレスの美しい姿を卑怯にも覗き見という行為で見ようとする男に、怒りを通り越した悲しみにすら近い感情を抱いていた。
腹の奥底が急速に冷たくなっていく。
セーレスの麗しい姿を焼き付けたお前の眼球をえぐり出してやろうか――などと残虐な思考が鎌首をもたげる。
男は――そんな見にくい嫉妬まみれの僕をニヤニヤと見ながら手招きをした。
「そんなにいきりたつんじゃないよ。お前と俺は同じ穴のなんとやらだ。ほら、ここは特等席だぞ。白装束の先生の姿がよく見える」
「え、ホント?」
僕は男に譲られるまま膝をつき、壁の穴を覗き込んだ。
覗き込んだ瞬間、強い光量に視界が塗りつぶされるも、すぐに慣れてくる。
明かり取りの窓枠から午後イチの日差しが室内に注いでいる。
室内には木製の椅子を対面式に並べた左手前に中年の女性と、右奥に白衣姿のセーレスが座っていた。
まずは問診をしているのだろうか。患者である中年女性の話を真剣過ぎるくらい張り詰めた表情で聞いているセーレス。
ああ、そんな硬い表情じゃ患者さんが不安になるじゃないか。これはあとで指摘したほうがいいのだろうか――などと思っていると、何か患者の女性が冗談を言ったのか、セーレスは一瞬キョトンと目を丸くしたあと、口元に手を当ててクスクスと笑った。
そうそう、キミの一番の魅力はその笑顔さ。僕以外の者に笑顔を向けることは少し寂しいが、今までずっと一人ぼっちだったキミの世界が広がっていくなら本望だよ。
燦々と輝く
『なんでしょう、タケル様の心が今とってもポエミーな気がします』
スマホから真希奈がそんなことを言ってくるが、相手がお伽噺に出てくるようなエルフ美少女なのだから詩的になるのも仕方がない。
ちなみに今セーレスは普段着である、麻ひもで胸元を交互に縛るタイプのシャツに、大きく脚が露出したホットパンツ姿、足元を固めるのは革紐を撚り合わせたサンダル履きである。
そして大きな特徴として、それら普段着の上から清潔な長白衣を彼女は羽織っていた。これは僕が医者らしさと清潔感を演出するために必要だと言って着てもらうよう説得したものだ。同時に彼女の手足の露出を抑えるという目的もある。
もちろん白衣の提供は人研の安倍川マキ博士である。地球に赴いた際に、「白衣を一着ください」とお願いしたのだ。すると――
「……キミはさ、地球を救ってくれた大恩人なわけで、大概のことを叶えてあげたいけどさ、あんまりガッカリするような性癖は持って欲しくないかなあって……」
などと生暖かい目をして言われてしまった。なので僕は誤解であることを告げ、白衣を着るのはセーレスであると伝えた。すると――
「もちろん、キミが着るだなんて思ってないよ。でもそっか、その歳からもうイメクラプレイするなんて、ちょっと健全とは言い難い――」
「違います」
やれやれ、ひどい誤解である。
なんとかセーレスが診療所を開業する旨を伝えたが「ふーん」とフラットな瞳が返って来るばかりだった。
おまけに白衣と一緒にナース服のセットまで渡してこようとするし。まあ、心遣いを無下にするのも悪いと思い、仕方なしに受け取って僕の部屋の引き出しに厳重に保管しているが、今後も使う機会はないだろうと思われる。多分。
ともかく。初めは思いつきから白衣着用を勧めてみたのだが、これがなかなかどうしていい感じなのである。僕は密かに、今度地球に赴いたとき、セーレス用の赤フチ伊達メガネを仕入れてこようと決意していた。
白衣姿に赤フチの伊達メガネ。カルテなんか片手に持ってお注射しちゃうぞー、なんて言われた日には僕はもう……!
とそんな妄想をしていたときだった。僕は背後から両肩を掴まれ、覗き穴から無理やり引き剥がされてしまう。ちくしょう、何しやがるんだ!
「お前ね、独り占めは良くないよ。幼子じゃないんだから譲り合いの精神でいかないとな」
そう言って男は年長風を吹かしながら僕を窘めるようにポンポンと肩を叩いてきた。そして僕を力づくで横に退かすと、覗き穴に密着する。
「ほほ〜」とか「いやはやコレは……」などなど、潜めた声で感嘆を上げる男を見下ろしながら、僕は霧散したはずの殺意が再びムクムク沸き起こるのを感じた。
僕の魔法ならヒトひとりくらい原子分解できるよな。ゴミはダークエネルギーの宇宙に捨てれば証拠隠滅できるだろう。
『タ、タケル様がかつて無いほど残酷な思考をされてるような気がします……!』
真希奈が戦慄しているが、好いた惚れたの感情は一番負の思考に直結しやすいのだ。セーレスが自分の可能性という翼を大きく広げようとするその世界に、このように不埒な覗き男は不要なのである。
ユラリと、背後からせめてひと思いに、と構えていると覗き男が唐突に言った。
「なあ、あのハーフエルフの先生はミュー山脈のようだと思わないか?」
「なんだって?」
「ミュー山脈さ。プリンキピア大陸で一番の霊峰だ。傾斜や険しさではデルデ高地が勝ると思うが、ミュー山脈の連綿と連なった雄大さは他の追随を許さない。例えばさっきのお前は、そんなミュー山脈の景色を独り占めしようと、俺の前に立ちふさがって手を広げていたようなもんだ。そう思わないか?」
なんだ、コイツは。何が言いたいんだ?
僕は振りかぶった手刀を所在なくプラプラさせた後、結局下ろした。
「あのエルフ先生の美しさはミュー山脈のように偉大だってことさ。それを独り占めしようとするのは大いなる損失だと思わないか? あの美しさは掃き溜めの社会を照らす神々しい光だと俺は思うね」
ニカっと、男は振り向きながら僕に歯を見せて笑った。
この世界じゃあ
歯並びを見ればその者の家庭や金銭事情がわかると聞いたことがある。その見地から言えば、男の家庭はかなり裕福な部類なのかも知れなかった。
ちなみに我が家では地球で買ってきた歯ブラシと歯磨き粉で毎食事後に歯磨きを推奨している。オクタヴィアが嫌がってよく逃げるのだこれが。そんなんじゃ好きなヒトとチュウできないよ、とセレスティアに怒られて、渋々するようになったが。
「あのなあ、そもそも僕とおまえとじゃあ立場が違うんだ。僕とセーレスはなあ――」
男の勘違いを正そうと口を開きかけたとき、「おっ!」と室内を覗いていた男が声を上げる。僕は思わず言葉を飲み込んでいた。
「お次は冒険者風の男が入ってきたぞ。はは、わかりやすいな。ありゃあエルフの先生に惚れてる顔だ――おわっ!」
僕は無言で男の襟首を引っ掴むと、そのまま後ろに放り投げた。「ひでーな!」と抗議の声が聞こえるが知ったこっちゃない。僕は穴から診察室を覗いた。
「今日はどこが痛いですか?」
耳をすませば、僕の聴力はバッチリセーレスの声を拾った。
昨晩お城で何度も練習をしたというのに、最初の第一声を間違えている。
そこは「今日はどうされましたか?」だというのに。まあ可愛いから許す。
「せ、先生。オ、オラは今年でもう三十になるしがない冒険者なんだども……」
冒険者風の男は禿頭にボーボーのあごひげを蓄えている。身体は軽くセーレスの倍はありそうな逞しさで、裸の上からライトアーマーを身に付けている。コラ、そんな半裸みたいな格好でセーレスの診察を受けるんじゃない!
「うん。冒険者なんだね」
「そ、そうだども、その、これまでながなが、身を固めたくなるような
診察、というより人生相談のようになってきた。冒険者風の男は怪我の治療ではなく、最初から結婚相談にやってきたようだった。
「んー。巡り会うのをただ待ってたらダメだよ。たまには自分から女の子にお話して、相手の目に見える部分だけじゃなく、目に見えない部分にも積極的に触れていかないと。時には自分が傷ついちゃうこともあるけど、でも恐れちゃダメ。自分のいいところも悪いところも伝えて、それでも一緒に居たいって思えるヒトを探していかないとね」
おお。伊達に60年を生きていないセーレスさんの金言だ。リゾーマタでは村八分にされていても、それまでに何度も宿場町まで足を運び、その度に辛い目にも遭ってきたのがセーレスなのだ。
例え迫害されても、蔑まれても、彼女はヒト種族を嫌いにはならならなかったし、恨んだりもしなかった。彼女はきっと、先天的にヒトと話しをするのが好きで、他者を誰よりも思いやり、愛することができる女の子なのだ。そう、まるで聖女のような慈愛と仁愛の持ち主なのだった。
冒険者風の男もセーレスの言葉に感動をしているようだ。眉をハの字にして、ズズーッと鼻を啜っている。セーレスは「これでよかったよね?」みたいな顔で胸をなでおろしていた。
「あ、ありがどうごぜえます先生……。やっぱそうだよな。まんず自分から行かねえことにはなんにも始まりませんものね」
「うん、そうそう」
ニコニコっと微笑むセーレスさんは、それだけで肖像画にしたいくらいの美しさだ。このまま龍王城の玄関脇の壁に巨大レリーフとして飾っておきたい程である。
だが――僕にはどうにも嫌な予感がしていた。
この訛りまくった冒険者、何やら分不相応な大望を抱いているようにみえるのは気のせいか?
「いってて……。お前、細っこいのに大した怪力だなあ。その成りは冒険者か?」
僕の背後から覗き男が近づいてくるが、正直それどころではなかった。心臓が痛い。虚空心臓ではない、人間だった頃の名残である僕のちっぽけな心の臓が爆発しそうな勢いで早鐘を打っている。おいやめろ、そこから先を言うんじゃない……!
「セ、セーレス先生! 先生は女神さまです!」
「ほえっ?」
「オラ、ずっとこの街で生ぎで来ますたが、先生みだいな優しくて綺麗なヒトは見だごどないです! どうがオラど――」
はああああああああ!?
何言っちゃってんのおおおお!
殺すぞ貴様ああああああああああああ!
『タ、タケル様、魔力が漏れて――』
耳端に微か、真希奈の警告を聞いた気がした。その次の瞬間――
「ほーッ、ほうッッッ!!」
そんな懐かしい威嚇と共に、僕の視界の中、セーレスが腕を振り下ろした。
「――うわッ!」
言っておくが今悲鳴を上げたのは僕じゃない。
僕の背後にいた覗き男である。
だが危うく僕も悲鳴を上げてしまうところだった。
壁から水精の大槍が飛び出している。
それは寸分違わず僕の眉間を射抜こうとし、とっさに僕は、
悠長に
『タケル様ッ、水の魔素、さらに急速増大!』
「ほーッ、ほうッ! ほうッ! ほうッ!」
一瞬前まで僕がいた場所が次々と串刺しになっていく。
僕は大きく飛び退くと風の魔素を纏い、上空へと逃れながら、同時に風景と同化した。
穴だらけになった壁を蹴破りながら、水の大蛇を纏わりつかせたセーレスが外へと
「魔法の残滓……誰かいた? 覗いてた? むむむ。患者さんのぷらいばしーは絶対に守らないと。次は絶対に仕留めてやる!」
グッ、と拳を握りながら室内へと戻っていくセーレス。「えっと、それで、なんだったっけ?」「いえいえッ! なんでもないです! もう平気になりましたので! お代だけこれこちらに置がせでもらいます!」――などというやり取りが聞こえてきて、男の冒険者が診療所の玄関からすっ転ぶような勢いで逃げていくのが見えた。
ふう。取り敢えず、身の程知らずがセーレスを煩わせる事態だけは回避できたようだ。
「って、おい、なんでお前が僕に引っ付いてるんだよ」
「ふざけろよお前! あの状況で俺を放っておくって、殺す気か!?」
僕の足首にはヒッしとしがみ付く覗き男がいた。
僕に触れることで、男も風景と同化しているようで、眼下には結構なヒトが歩いているのに、まったく注目される気配がなかった。
「セーレスを覗いた対価に串刺しにされればよかったのに」
「お前も同罪だろう! 何自分のことだけ棚に上げてるんだ!」
足元でギャイギャイと叫ぶ覗き男を侍らせたまま、僕はどこか降りられそうな人目の少ない場所を探すのだった。
続く。
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