東国のドルゴリオタイト篇

第266話 東国のドリゴリオタイト篇① セーレス先生の診療所〜そしてメイド達は睦み合う

 * * *



「ふむ、掃除はこれくらいでいいだろう。あとはそなたの仕事だ。主のために常に清潔な状態を保つよう心がけることだ」


「はい、ありがとう、ございます……」


 龍王城のとある一室。

 雑多な物置となっていた部屋は今、綺麗に片付けられ、ベッドには清潔な真っ白いシーツと布団とが畳まれて置かれている。


 ベッドの前にははたき・・・を手にしたエアリスと、箒を手にした前オクタヴィアが立っていた。ふたりは同じくメイド服姿であり、どちらもとても女性らしい豊満な体つきをしていた。


「いつまでもタケルの部屋を占領されていては敵わぬからな。今夜からはオクタヴィア殿共々こちらで休むといい」


「はい……あの」


 前オクタヴィアは感情の読めぬ無表情のままジーっとエアリスを見つめた。例え年齢や体格が自分と変わらぬとはいえ、彼女はオクタヴィアの抜け殻。


 自己妊娠と出産を経験し、ひとりで子育てを行い、そして記憶を継承した後に残ったのが今目の前にいるオクタヴィアである。


 その中身は拙い子供と同じであり、エアリスもまた大きな子供のように彼女を扱っている。


「どうした、なにか気になることがあるのか。なんでも申してみよ」


「はい、その、それでは、遠慮なく……」


 前オクタヴィアは珍しく躊躇うように言葉を濁したあと、意を決したように口を開いた。


「エアリス、さんは、――普段どのようにタケル様のお相手をしているのでしょうか?」


「急に饒舌になっていないかそなた?」


 エアリスの突っ込みスキルが炸裂した。


「いや、そうではなく。一体なんの話をしているのだそなたは?」


 エアリスは冷静に、強い自制心を持って前オクタヴィアへと問い返す。半ばそうなのだろうな、と思っていたが、返ってきた返答は案の定だった。


「エアリスさんはタケル様のメイドとのこと。……私はオクタヴィア以外の主を持ったことがありません。異性の主を持つメイドならば、当然夜のお相手もなされていますよね?」


 普段の舌っ足らずからは考えられないほどスラスラと言葉がでてくる。エアリスはその様にも面食らいながら、カアアっと急速に顔を赤くした。


「わ、我が主は忙しい。今はそのようなことをしている暇はないのだ……!」


 世に聞く一般的な男というもののサガをエアリスも伝え聞いてはいる。ダフトン一の歓楽街である城下町ノーバにも娼館が存在する。それは必要なものであると理解している。男というものは定期的に女を欲するものであり、その逆もまたあるのだとわかっている。


「タケル様は……セーレスさんとは、そういうことは、まだしていないようです」


「――ッ!?」


 エアリスは立ちくらみに襲われ、その場でたたらを踏んだ。


 前オクタヴィアの発言は言われるまでもないことである。もし万が一、そのようなことが城の内部で起こっていれば、自分が気づかないはずがない。


 しかしそれが十日ほどしか滞在していない客分である前オクタヴィアにもわかってしまうとは。


「そなたは一体なにを観察しているのだ? それは我が家の問題であり、放っておくがよいぞ」


 まるで小さな子どもがマセたことを言っているようだ。エアリスは親のような気持ちで前オクタヴィアをたしなめる。だが前オクタヴィアは決して小さな子どもなどではなかった。


「毎晩部屋の鍵を開けて待っていました。タケル様は一度も来てくださいませんでした。……大丈夫でしょうか?」


「な、何が大丈夫だというのだ?」


 鍵を開けていた、という言葉も気になったが、それより以上に心配そうな様子が気になってしまう。


「男の方は、定期的に処理しないと爆発するそうです」


「何がだ!?」


「ナニが、です」


「何だと?」


「もしかして、ご存じないのですか?」


「――うっ」


 エアスト=リアス。御年18歳であり、未だ男性経験など皆無である。


 そもそも男は定期的に〜、の話も、周りにいた男はディーオだけであり、そのディーオは老木のような男であった。


 陽光を得て木々や草花が生きながらえるように、彼もまたただありのままの生活を続けていた。


 即ち起きて書物を読みふけり、寝て、たまに出かけて、帰ってきて、何事かを書き留め、寝て、起きて、瞑想をして寝る。


 食事はたまに市に並ぶ果実をひとつかふたつ食べるのみであり、世話をする身分としては、本当に手のかからない男だった。


 もし万が一、ディーオが色街に出かけていたとなれば、自分は絶対に気づいたはずだ。市井でも噂になっていたはず。だが現実にはそんな事実はなかった。男にも例外が存在することをエアリスは既に知っているのだ。


 そして、その経験から言って、ついついタケルも同じような種類の男なのだと思っていた。――思っていたが、よくよく考えればおかしな話だった。1万年を生きて老成したディーオと、16になったばかりのタケルとではまったく違う。


 恐らくディーオはエアリスと出会う以前の遥かな昔、男のサガを散々に全うしたことだろう。長い年月を経て、晩年のように男が枯れてしまったのだ。それはわかる。


 ではタケルは? まったく女性経験がないにもかかわらず、色ごとにさして興味もなさそうだ。たまに自分の胸元や尻を目で見ていることはあるが、決して手を出してこようとはない。これは、まさか……。


「エアリスさん?」


「いかん、これは由々しき事態だぞ……よもや我が主は」


 男色の気があるのだろうか。

 そう思った途端、エアリスは声には出さず身悶えた。

 エプロンドレスの裾を握りしめ、首をブンブンと振る。


 セーレス殿ならいい。

 前オクタヴィアに手を出したというのなら、まだわかる。納得はできないが。

 だが前オクタヴィアに行く前にまずは自分だろう、とも思う。

 むしろセーレス殿への準備段階として自分を使ってくれてもいい。

 いや、それこそが理想ではないか?


 だが、どこの誰ともわからない男に走られることだけは許容できない。それは何かとても女の矜持的に絶対に許すことができない。この気持、セーレス殿ならわかってもらえるだろうか……。


「お、オクタヴィア殿」


「前、オクタヴィアです」


「前オクタヴィア殿!」


 エアリスは握りしめていたはたきを叩き落とすと、前オクタヴィアの手を握りしめた。


「こ、告白すると、私には、その……男性を悦ばす手段がよくわからないのだ」


 かつて、両親を失ったエアリスが身売りされていたのは娼館だったのだが、本格的な教育をされるまえにディーオによって精霊魔法の才能を見出され拾い上げられた。


 自分を買った男は女としてではなく、娘として自分を育ててくれた。それは幸せなことだったが、まさか今になってこんな弊害が起こるとは思わなかった。


「も、もしよければ、私にそういうことを教えてはもらえないだろうか?」


 顔を赤くしながら恥を忍んでお願いしてくるエアリスに、オクタヴィアはカクン、と首を傾げてみせた。


「私にも、そのような経験がありません。白蛇族はそもそも生殖行為を必要としません」


 一対の染色体。自己妊娠と自己出産を200年周期で繰り返す悠久の蛇。ただひとりで完結し、ただひとりで永劫を歩む魔族種。


 だが、現オクタヴィアはその円環の中に変化を求め、他の胤を取り込む決心をし、その相手にタケルに選んだ。約束が果たされるのは99年後を予定している。


「ですが知識はあります。搾りカスとはいえ、私の中にもかつては7万年の歴史がありました。その中には当然、男と女の営みもあるのです」


「おお、7万年分もの性知識が!?」


「あくまでその残滓ですが、エアリスさんが持っているものよりは多いはずです。いいでしょう、私のすべてをあなたに教えます。今日から私のことは先生と呼んでください」


「先生、前オクタヴィア先生!」


 前オクタヴィアは「ムフー」と鼻から息を噴き出した。存外心地よい響きだったようだ。


「がんばりましょう。そして共にタケル様の寵愛をいただくのです」


「はい、先生! ――ん? 今なんと?」


 共に、とか言わなかったか?

 エアリスが目をパチパチさせていると、前オクタヴィアは今までの溌剌さがウソのようにトロンとした目になり、目の前のベッドにドウっと突っ伏した。


「たくさん、しゃべって、疲れました……指導は……明日からに、します……」


 そしてそのままの格好で「くー、すー」と寝息を立て始める。

 残されたエアリスは「ええ〜」としばし呆然とするのだった。



 *



「うわあ!」


 突然襲われた寒気に、僕はブルリと震え上がった。

 なんだなんだ、背中がゾワゾワしたぞ!


『タケル様、いかがしましたか?』


「わ、わからん。だがすっごい怖気が走った。そう遠くない未来、なにか良くないことが起こりそう」


『か、かしこまりました。真希奈も万全の警戒を怠らないようにします!』


 僕は城下町ノーバにいた。


 石畳の地面。

 平屋か、あるいは2階建てがせいぜいの木造家屋。

 それが雑多に並び立ち、軒先を利用した個人商店が開かれている。


 道の両側を挟んで軽く100軒ほどはあるだろうか。

 ヒト種族のリゾーマタの宿場町より多く、獣人種のラエル・ティオス領のよりも雑多な感じだ。


 とにかく言えることは大変活気があり、人々は生きる希望に満ち満ちているように見える。


 ミクシャの親衛隊たちが好き勝手していたときは、さながらゴーストタウンのようだった。この姿こそが本来のノーバの姿なのだろう。


『タケル様、本日は一体何をなさるおつもりですか? 真希奈までこんな姿になって……』


 今日の真希奈はスマートホン越しに僕と会話している。

 と言っても地球とは違い、耳に当てて通話のフリをするわけにもいかない。

 首からストラップで下げて、喋るペンダントといった風情だ。


「うん、今日はいくつか調べたいことがあるんだ」


 僕も鎧姿ではなかった。

 今は革製の簡素な部位当ての鎧姿であり、背中には革袋、腰元には申し訳程度のナイフ。そして足元だけはナイキのスニーカーと。どこからどう見ても冒険者といった風情を演出している。


「今日は市場調査だ。街の声を聞きながら、様々なことを調べていくつもりだ」


『左様でしたか。かしこまりました、真希奈も最大限、ご協力いたします――と言いたいところですが』


 にこやかに話していたはずの愛娘が途端、硬い声をだす。

 周りの通行人が、なんだ、誰がしゃべった、みたいな顔で僕を見ていた。

 しー。真希奈静かに。


『先程から足を向けられている先が、セーレスさんの診療所なのは気の所為ですか?』


 ギクリ。ってやっぱり気づいちゃうよな。


「真希奈、今のところウチで外に働きに出てくれているのはセーレスだけだ。引っ越しの手伝い以外は極力自分でやりたいというから、今のところ僕らはあまり感知していない」


 それより以前に、王である僕の名前を出すとみんなが遠慮しちゃう可能性があるとして、エンペドクレスの庇護下にあることを、彼女は極力内密にしている。


 それこそ知っているのはバハさんとビオくらいのものだろう。ふたりにはくれぐれもセーレスのことをよろしくとお願いしてある。


「王様が心配する気持ちもわかるけど、私からみてもセーレスさんは平気だと思うよー」などとビオは言っていた。


 セーレスのお昼はバハさんのところで食べることになっているが、そこで彼女はごくごく慎ましい食べ方しかしないそうだ。


 ウチの家計のことを気にしてくれているのか、それともあんな大食漢なところを見せるのは我が家限定なのか。僕としては遠慮せずいっぱい食べてほしいのだが、とにかくお金がないのが悲しい……。


『しかしセーレスさんは、ずっとヒトと関わらない暮らしをしていたと聞いていますが?』


「確かに彼女はもう何十年もひとりで暮らしていたけど、決して人嫌いってわけじゃないんだよ。むしろ大好きな方なんだ」


 彼女がリゾーマタの宿場町から離れた、清流のほとりで暮らしていたのには訳がある。


 今を遡ること六十年以上前、当時王都の宮廷魔法師をも嘱望されていたセーレスの父、後のリゾーマタ・デモクリトスは決して歴史には残らぬ大偉業を達成した。


 それは魔の森を単独で踏破し、更にその先のデルデ高地やガロア海域を越え、ついに長耳長命族エルフの領域にまでたどり着いたのだ。そこで彼はセーレスの母と恋に落ち、セーレスは生まれた。


 だが、デモクリトスは間もなく長耳長命族の領域を立ち去り、自らの領地へと戻って領主となる。そして十年後、母が病で亡くなるのと同時に、セーレスは長耳長命族の領地を出て、父であるデモクリトスを頼ってヒト種族の領域へとやってきたのだ。


 いくら魔法が使えるとはいえ、この時点で10歳程度だったセーレスは、父をも超える大偉業を達成していることになるのだが、それは置いておいて。


 母の死を知らせにやってきた娘に、結局デモクリトス氏は認知を拒否し、村八分にするという非情な扱いをするのだが、それには事情があった。


 ヒト種族において、一大勢力を誇った人類種神聖教会――アークマイン。

 むしろ身分の高い貴族などが率先して守り続けていたその教示は、端的に言ってしまえばヒト種族以外の存在を認めず迫害するというものだった。


 結局デモクリトスは、アークマインの教示に従い、ハーフエルフであるセーレスを認められず、だが放逐することもできず、リゾーマタの領地の片隅に居住することだけを許した。その際すべての領民にエルフに関わることはならず、と触れまで出していた。


 セーレスは意地らしくも父の心遣いを守り続け、他者と関わることなく、デモクリトスが亡くなるまでずっと、孤独な数十年間を過ごしていたのだ。


『どうして自分の故郷であるエルフの領域に帰らなかったのでしょう?』


「うーん。そのへんは聞いたことがないんだけど、やっぱり肉親の側にいたかったってことじゃないのかなあ」


 デモクリトスは定期的に、自分の信頼できる部下を送り、セーレスの暮らしを見守り続けていたようだ。セーレスもそんな父の心遣いに絆を感じていたからこそ、一人ぼっちの暮らしにも耐えていたのではないかと思う。


「まあ、そんな時に偶然出会ったのが僕だったんだけどな」


 僕がこの世界、魔法世界マクマティカにやってきたのは、未だに原因不明だ。どんな力が働いたにしろ、神様ってやつは最高のタイミングで、孤独で弱っている女の子の元に僕みたいなのを遣わせてくれたものである。


 この世界にやってきてしまったことは確かに不幸だが、セーレスに出会えた偶然だけは、感謝してもしたりないくらいなのである。


「さて、ここか……」


 僕がやってきたのは、バハさんが経営する食堂。破壊されたドアも修復され、辺りには料理のいい匂いが漂っている。「クルプのスープお待ちー」などと元気なビオの声まで聞こえてくる。うん、もうすっかり元通りに繁盛してるみたいだな。


「というわけで裏に回るぞ」


 僕はバハ食堂の裏手に周り、細っこい路地へと身体を滑り込ませる。そこは残飯の匂いが漂う場所であり、ハッキリ言ってしまえば、生ゴミを埋め立てる場所でもあった。


 僕はこっそり風の魔法を使い、気流を操作して漂う悪臭を上空へと逃してやる。そうして、ここからさらに奥に進んでいくと路地は行き止まりになっていて、その手前がセーレスが開業した診療所の診察室に面した壁になっているはずだった。


『タケル様、何故正面から堂々と患者のフリをして会いに行かれないんですか?』


「セーレスに会いに行くだけが目的だったらそれでもいいだろう。でも今回は違う。患者にかこつけてセーレスを口説こうとする奴らがいないとも限らない。そんな奴らはあとで人知れず制裁してやるのさ……!」


『タ、タケル様……ああ、まさかタケル様がこんなことを言い出すなんて。恋はヒトを盲目にさせるというのは本当なのですね』


 その通り。普段の僕なら他人の恋路は極力関わらないが、その相手がセーレスだったら話は別だ。僕の恋路の邪魔をするなら全力で叩き潰す所存である。


 そうして、ついに路地の最奥まで到達したときだった。


『タケル様……!』


「おい、お前何してる……!」


 真希奈に警告をされるまでもない。

 そこには先客がいた。


「あん? なんだ、お前もエルフの先生を覗きに来たのか?」


 年の頃は二十歳を過ぎたくらいだろう。くすんだ金髪の上から包帯のようなターバンをぐるぐる巻きにした青年である。地球で言うところのクルタのようなオーバーシャツに、アラビアンパンツのようなダボッとしたズボンを穿いている。


 なんだろう、どっかで見たことがある出で立ちだな。


「いや、そうじゃなくて! おまえ、そこで何やってやがる……!」


 僕は全身から仄かに魔力を滾らせながら、我が身を棚に上げて、その不届きな男に思いっきり殺意を向けるのだった。


 続く。

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