第264話 ディーオの難題篇⑧ 舞台挨拶する幼馴染様〜白蛇様は見聞を深める

 * * *



 顔の下半分と首もとをマフラーで隠した綾瀬川心深は、プリーツスカートから露出させた生足で仁王立ちになり、手はハンドポケットという、なかなか気合が入った感じの出で立ちだった。


 オクタヴィアたちが座る休憩用ベンチの前で、先程まで気炎を吐いていた大学生ふたりは、前オクタヴィアに手を伸ばしかけた状態のまま固まっていた。


 心深の声には魔が宿る。

 それは比喩でも何でもなく、声優として鍛え上げた美声に魔力を乗せて、それを耳にした相手の精神や生理機能に影響を及ぼすことが彼女はできるのだ。


『言霊の魔法』。

 僕やエアリス、セーレスと言った魔法使いでも成し得ない、非常に稀有な魔法の使い手が綾瀬川心深という僕の幼馴染の女の子なのだった。


「お兄さんたち、女の子に声をかけるのは自由だけど、脈がないとわかったら諦めなさいよ」


「な、なんだよ、関係ないだろ! 引っ込んでろよ!」


 突然現れ、痛いところを的確についてくる心深に対して、男として、そして年上として精一杯虚勢を張ろうとする大学生たち。


 だがそんな紙ペラのような安いプライド、心深には何も関係ない。マフラーに隠れて見えはしないが心深は笑っていた。何故ならその瞳が細まり、見下すように顎が持ち上げられたから。


「こんな往来で、しかもたくさんのヒトが見てる中で、そもそも公共の施設でナンパしておいて関係ないですって? あなたたちの行動が周りに不快感を与えてるってわからないの? これ以上恥を上塗りする前に消えなさいよ」


 おお〜っと、周囲のオーディエンスからため息が漏れた。中には「いいぞ!」と合いの手を入れる輩までいる。大学生たちは顔を真っ赤にして震えていた。顔もそこそこだし、身なりも綺麗な二人組だ。学内ではさぞモテているのだろう。だが学外に一歩出れば、ナンパなど成功する方が少ないだろう。しかも相手は言葉も通じない、7万年の記憶を有する魔族種なのだ。


 引くか、さらに恥を重ねるか。そんな岐路に立たされる大学生たち。もはや珍獣でも見るようなオクタヴィアふたりの視線と、心深の冷淡な視線。さらに周囲に集まった人だかりからの無遠慮な視線と。とても耐えられるものではないだろう。


 ――もし万が一、さり際に何かしようものなら……。

 僕がそんな覚悟していたとき、事態は思わぬ方へと動いた。


「あれって綾瀬川心深じゃね?」


 オーディエンスの誰かが放った一言が、雷鳴のように駆け抜けた。

 集まった人々の空気が変わり、そこかしこから、「国民栄誉賞の?」「いや紅綬なんたらの……」「マジで!」というざわめきが広がっていく。


 不意に場のボルテージが上がっていくのを感じた。

 周囲は息を潜めて心深に注目している。

 大学生二人すら、お互いに顔を見合わせ、心深を伺っていた。


「み――」


 心深は、振り返りざまマフラーを取っ払う。シャラン、と艶のある光沢を放つ完璧な黒髪が美しく広がった。


「みなさーん、初めまして綾瀬川心深です。本日はここ、豊葦原ショッピングモールのムービーシアターで劇場公開記念イベントとして、ご挨拶をさせてもらうことになってます!」


 おおおッ――!

 単なる野次馬だったオーディエンスが一瞬で好意的なファンに早変わりする。

 それぞれの手にはスマホを構え、遠慮なく心深の姿を撮影している。


 突如として豹変した心深の姿に、大学生ふたりは真っ青になり、こそこそと退散し始めた。場の空気を味方にした心深に完全敗北を悟ったのだろう。正しい判断である。


「お騒がせして申し訳ありませんでしたー、他のお客様の御迷惑になりますので立ち止まらないでくださいねー」


 その場に集まっていたのは50名ほどの野次馬たちだったが、解散を促す心深の言葉に後ろ髪をひかれながらも散っていく。もちろん、心深の『言霊の魔法』により、解散の命令を無意識下に送り込まれているからだった。


「ふう。アンタたち大丈夫だった?」


 事態を収束し終えた心深は再びマフラーで顔半分を隠しながら、ことの成り行きを見守っていたオクタヴィアたちに声をかけた。


「ふむ。儂らはもしや助けられた、ということなのか。精霊真希奈よ?」


『はい。あの男たちは実力行使に出ようとしていました。それをそちらの綾瀬川心深さんが助けてくださったのです。まあ、どちらかというと、助けたのはあの男たちの方でしょう。もし指一本でも触れていたら、魔法を使わざるを得ませんでした』


 声をかけた心深は、返ってきた英語ともフランス語ともつかない未知の言語に面食らったようだった。まいったな、という風に頭を掻き、左手首の内側に目を落とす。時刻を確認しているようだ。そういやイベントに呼ばれてるって言ってたか。


「あの、とにかく大事ないみたいでよかったね。私、そろそろ行かなくちゃだから――」


 心深がそう言いかけたとき、ぴょんと小さなオクタヴィアがベンチから飛び降りた。そしてドレスの裾を軽く持ち上げ、優雅に貴人への礼をする。


「異世界の見知らぬ少女よ。そなたに感謝を。魔の宿った声音よりなにより、自分より強いものに立ち向かおうとするそなたの勇気は賞賛に値する」


「え、え?」


 突然頭を下げてきたオクタヴィアに心深は戸惑っているようだ。さらに、すっくと立ち上がったメイド姿の前オクタヴィアも、クイクイっと心深の袖を引っ張る。


「ありがとう――あ”っ」


 炭酸を与えた僕が悪いよね。うん。


「ふ。なにそれ、あはは。へんなの」


 心深は身体を揺すり、ケラケラと笑った。

 あんなに冷たい表情が一転、まるで新しい季節を告げる暖かな春風のような笑顔だった。


「あなた達この辺のヒトじゃないよね? 大丈夫? ふたりだけでお家に帰れる?」


 心深の言葉は真希奈を通じて、オクタヴィアへと伝えられたようだった。


「問題はないぞよ。さっきから儂らの保護者がちゃんとそこにおるでな」


 そう言ってオクタヴィアが心深の背後を――僕を指差す。

 それに従って、心深が振り返った。


 その時の彼女はどう表現したらいいのだろう。

 まるで凍てつくような――いや、冷え切って固まった溶岩流のような表情とでもいうのか。


 とにかく、朗らかな笑顔が一転して、驚愕から怒りの表情へと変貌したのだ。何故?


「アンタ……!」


「よっす」


 米三十キロが入った袋を掲げながら、僕はいつもの調子で手を上げ、挨拶をしたのだった。


 *


「ほうほう、幼少の砌からの知り合いとな。ここみ、という名前なのか」


「こーら、おかわりください」


 何故か僕たちは今、普段関係者以外立ち入ることが許されない、映画スクリーンの袖にある控室にいた。


 あの後、ふつふつとマグマが滾るように怒りの表情を見せ始めた心深を前に立ち尽くしていた僕らの元へ、心深のマネージャーと思わしきフォーマル姿の女性が現れた。


「いた! なにやってるの心深! もう関係者全員集まってるのよ!」


 先程、心深が言っていたように、彼女が主演声優を務める映画の舞台挨拶があるのだろう。そのために彼女はこの巨大モールに足を運んでいたのだ。


「一体何をして――」


 マネージャーさんは目端でオクタヴィアを見てギョッとしたあと、大荷物を抱えた僕を心深が睨んでいることに気づいたようだ。


「柳井さん、ちょっと時間欲しいんだけど」


 一瞥すら投げず、僕に視線を固定したまま心深が言う。


「時間って、ないわよそんなもの! とにかく今すぐ劇場の社長さんに挨拶してちょうだい!」


 悲鳴のようなマネージャーさんの声に、心深の固く閉じられた唇が戦慄いた。まるで一度口を開けば、土石流のように言葉が出てくるのを無理やり抑えつけているようだった。


「あー、それじゃあ僕はこれで……」


 そう言って僕が心深の脇を通り抜け、オクタヴィアの元へ向かおうとすると、ガシっと袖を掴まれた。振り返れば心深は僕に背を向けたまま、でも掴んだ手には、真っ白になるほどの力が籠められていた。


 オロオロするマネージャーさんと、テコでも動きそうにない心深。僕もどうしたらいいのか途方に暮れていると、意外にも小さなオクタヴィアが助け舟を出してくれた。


「ふむ。タケルよ。ここみとやらは、儂らを助けてくれた恩人じゃ。なにも礼をせんで別れたとあっては龍王の名がすたるぞ。しかも主とは浅からぬ縁があるようではないか。ここみが時間を所望するのなら叶えてやるのもええじゃろう」


 外人さん? とマネージャーさんがつぶやく。僕は大きくため息を着きながら日本語で言った。


「待ってるから、まず仕事終わらせて来いよ」


 グリン、と心深の首が急旋回した。真顔で僕を見つめたあと、彼女は急ぎ駆け出した。その際、「柳井さん、そこのヒトたち全員連れてきて!」と宣ったのだ。


 *


 控室の中には、映画関係者と思われるスタッフ、そしてモール側の関係者と思われる人々とでごった返していた。


 僕とオクタヴィアたちは、部屋の片隅に用意されたパイプ椅子に座り、慌ただしく動き回るヒトの流れを眺めていた。


「タケルよ、色々と聞きたいことが山ほどあるぞい」


「だろうね」


 硬いパイプ椅子を嫌がり、小さなオクタヴィアは前オクタヴィアの膝を独占していた。そしてそんなオクタヴィアを抱えた前オクタヴィアは、よほどコーラが気に入ったのか、先程からおかわりを要求している。「少しは遠慮せんか」とオクタヴィアに叱られていたが。


「ここみとやらは、こちらの世界では一角の存在なのか?」


「まあそうだね。かなりの有名人だよ」


 もともとそっちの界隈では売れっ子だったのが、サランガ災害での功績が讃えられ、国民栄誉賞と紅綬褒章をダブル受賞した女の子だ。今やその知名度は日本全国……下手すれば世界にも知られているかもしれない。


「ほうほう。先程から慣れないこちらの言葉に耳をすませておれば、どいつもこいつもここみの名前を口にしておる。この集まりの中心にここみがいるように思えるが間違っているか?」


「いや、その認識は正しいよ。今日は心深が主演声優を務める映画の挨拶イベントがあるんだよ」


「せいゆう? えいが? いべんと?」


 マクマティカでは聞いたことのない単語の数々に、オクタヴィアは目を輝かせながら身を乗り出してくる。七万年の知識の中に存在しない新しい知識だ。それは彼女にとってなによりの褒美であり、宝なのだろう。


 僕はスマホを使いながらオクタヴィアに説明をする。まずマクマティカにも芝居や演劇があるかと問うと、王都や諸侯連合のなかでは普通に娯楽としてあるという。ほっ。その中で心深は声のみで演技をする声優という役者なのだと教えてやる。


「声のみで演じる? どういうことじゃ?」


 そして僕はYou Tubeに上がってるアニメなどのPV映像を見せた。「なんと!」とまたしてもオクタヴィアの食いつきが半端ない。そうして僕は、この世界には演劇や舞台を映像として記録し、世界中に普及させていること、アニメーションという絵を連続で見せることによって動いているように見せる娯楽があり、そんな絵に魂を吹き込む声優という仕事があることを話して聞かせた。


 オクタヴィアは一言一句聞き逃すまいと真剣な面持ちで聞いており、僕もついつい説明に熱が入ってしまっていた。


「おもしろいのう。成熟した文明ではこのような娯楽が生まれるのか。いや、実に興味深いのう」


 オクタヴィアは先程から感心しきりだ。僕も自分の生まれ故郷が褒められるのは悪い気分ではなかった。


「して、ここみは幼い頃からせいゆうとして頭角を現し、こうして大人たちの中で数々の仕事をこなしてきたと。……それではなおのことわからんのう」


「今の説明のどこにわからない要素があったんだよ」


 懇切丁寧だったし、オクタヴィアの理解力があれば難解でもなんでもないはずなのだが……。


「わからんと言うたのは乙女心の方じゃ。聞けばお主は穀潰しの生活をしておったのじゃろう?」


 穀潰し。まさにそのとおりだな。何も言い返せないや。


「外の華々しい世界を知るおなごが何故、何者でもなかったお主にあれほどまでに惚れ込んでおるんじゃろうなあ。不思議じゃなあ。儂などはもちろん、お主が魔族種となってからしか知らん。力に振り回されながら懸命に背伸びをし、分を超えた望みを叶えようとしておった主に興味を持ったのが最初じゃからな」


 何を言い出すんだこいつは。そんなこと面と向かって言われると、照れていいのか恥ずかしがっていいのかわからなくなる。


「とすると、ここみとやらは、そもそも主の本質に惚れておるんじゃろうなあ。それは例え主がヒト種族だろうが、魔族種だろうが関係ないんじゃろうて。自ら茨の道をも進む稀有な心根の持ち主じゃ。タケルよ、主はもちっとあやつに優しくしてやってもええんじゃないか?」


「…………」


 僕はずっと心深のことを苦手としてきた。

 どんなに遠ざけても、どんなにそっけなくしても、心深は結局僕を構うのをやめてくれなかった。


 その御蔭で僕らは付き合ってるんじゃないか、みたいな噂が立って、嫉妬した男子たちに嫌がらせをされたこともあったし、死にかけたこともあった。


 でもそんなアイツの存在があったお陰で、僕は地球へ帰って来ることができたのも事実だった。


「おーおー、それにこれは……。なるほど、お主がここみを苦手にする理由もなんとなくわかるぞい。いやはや、これは腐りそうじゃのう」


 オクタヴィアは僕へと注がれる無遠慮な視線に気づいたようだ。

 真希奈なんかはずっとピリピリしている。

 つまり、あのガキは誰なんだ、という視線である。


「彼らは心深の友人でして……」というマネージャーさんの説明を受けた大人たちは、僕らをチラチラと視界におさめ、すべからくオクタヴィアたちの容姿にビビったあと、まるで箸休めのように僕に視線を送り、「ふん」と鼻白むのだ。


「隣にいるだけで比較対象にされ続けるというのはなかなか骨が折れるものじゃ。お主がノーバの臣民の前ではあの鎧姿でいるのも、そういうことじゃろう?」


 全部お見通しか。

 確かに僕は並の容姿しかしていない。

 ディーオのような威圧感も、百理のような求心力も、カーミラのような魅力もない。


 きっとノーバの臣民は強く威厳のある王を望んでいるのだ。

 僕は鎧を着込み、素顔を隠すことで、謎の王、顔はわからないが、強い実力を持った王というふうに思われることを目指しているのだ。己の自信のなさと、平凡な容姿へのコンプレックスを隠すために、プルートーの鎧の異様と畏怖はうってつけなのである。


「ふ――ふふふ。儂はなあ、お主の何が好きかと言えばそういうところが好きなのよ」


「なんだよ、突然」


 オクタヴィアはチョイチョイと僕に顔を寄せるように指を動かす。

 嫌な予感しかしない。ちょっと離れておこう。


「どんな大望をも叶えられる絶対の力を有しておるくせに、そのような瑣末ごとを気にして卑屈になっとるお主が可愛いて可愛いてようがないのよ」


 小さなオクタヴィアがポンポンと自分の膝を叩くと、前オクタヴィアが長いリーチを活かして僕の首を抱き寄せる。そうして小さなオクタヴィアは、衆人環視の中で、不意に唇を近づけてきた。


「ちょ、おま、なにを……!」


「大人しくせんか。儂は白蛇族のオクタヴィア・テトラコルドぞ。今の主は普通のヒト種族の小僧にしか見えんでな。ちょいとからかってやりたくなったのよ」


 前オクタヴィアに抱き寄せられ、間に挟まれた小さなオクタヴィアが唇をせがんでくる。なんだこの構図は! スマホから真希奈が何かを叫んでいるが、オクタヴィアはガン無視で「んー」などと迫りくる。


 ザワッと、僕を見下していた周りの大人達も、目をむいてこちらに注目している。超絶美形幼女にキスされそうになってる冴えないガキ、とでも写っているのだろう。そして唇に直接、オクタヴィアの熱い吐息を感じた次の瞬間だった。


「皆様、大変おまたせしました、綾瀬川心深、到着いたしました!」


 マネージャーさんの声とともに、少し大人っぽいイブニングドレス姿の心深が登場する。多くの関係者に頭を下げながら、ちらりと僕の方を見やる。


 オクタヴィアは元の定位置――前オクタヴィアの膝の上で足をブラブラさせながら、心深の登場に手を叩いていた。こいつは……!


 イベントが始まり、心深は万雷の拍手に迎えられ、控室からスクリーン前へと出ていく。

 僕らは取り残され、聞こえてくる歓声にただ耳を澄ませていた。


『タケル様の浮気者。好色王……!』


 心深のイベントが終わるまでの間、僕は延々と真希奈の愚痴をきかされることになった。

 未遂だし、僕のほうが被害者なんだけど、言い訳なんて男らしくないよね?


 続く。

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