第261話 ディーオの難題篇⑤ 白蛇様の地球観光〜もうすぐタイムセール開始!

 * * *



『タケル様、次はブランド米10キロ3100円(お一人様ふたつまで)がタイムセール中です!』


「今の僕に20キロなど綿毛のようなものだ! 確実に手に入れるぞ! 我が家のお姫様たちのために!」


 暦の上ではもう春。でもまだまだ寒い日が続くそんな夕暮れ時。

 僕は買い物客で賑わう巨大複合デパートにいた。


 あのあと――ディーオの手紙を開封して、そこに羅列された文字の意味するところを考えあぐねていると、ふと真希奈が警告を発してくれたのだ。


『タケル様! 本日は豊葦原デパートで春の大創業祭が行われています! 売り切れ御免のタイムセールが始まってしまいますよ!』


「しまった! 出遅れたら大事だぞ!」


 僕は急ぎ出かける支度をする。

 今まで着用していた、マクマティカで成人男性が着る一般的な上下のツナギ服を脱ぎ捨て、地球で購入した服に着替える。


 下はスウェットに上はGUのフリースパーカーだ。ああ、ちなみに女性陣の前で下着姿になんかなってないよ。ちゃんと廊下に出てから着替えているからね。


「すまん、というわけでちょっと買い出しに行ってくる! アウラ、ちょっと」


 天井付近で逆さまになっていたアウラを呼ぶと、クリっと首を回してパタパタと降りてくる。僕はそれを両手で優しく抱きとめ、頭を撫でてやる。


「ごめんな、またお金借りるな。ちゃんとあとで返すから」


「いい……パパ、全部使って?」


 そうなのだ。今、我が家を支えているのはアウラのお金なのだ。カーネーションブランドのキッズモデルとして採用されたアウラは、かなりまとまった額のお金がカーミラから支払われている。


 日本にいた際の僕の口座は、僕がテロリストと認定されると同時に凍結されてしまった。エアリスが持っていたFX口座もパソコンごと部屋の私物の一切が警察に押収されてしまったので、その後どうなったのかわからない。


 ということで、唯一手元に残ったのは、アウラのために手を付けず残していた彼女のモデル代だけであり、ハッキリ言ってその額は、僕の貯金とFX口座の種銭を合わせた金額よりずっと多いのだった。


 それでも、子供のために取っておいたお金を使うのはかなり抵抗があった。

 でも実際家族が食べていくために、その貯金を崩さざるを得なかったのだ。親としては情けないかぎりである。


 いつか必ず返す。返すだけじゃなく、アウラのために貯金をしよう。それはセレスティアも真希奈にも言えることだが。


 ふと見ると、セーレスの膝の上に座ったセレスティアが「ぶー」と不機嫌そうにテーブルをガリガリ引っ掻いていた。


 自分も甘えたいけど、アウラのお金を使っているのだからアウラが優先、とちゃんとわかっているのだ。セーレスが「いい子いい子」と頭を撫でている。


「セレスティア」


 呼びかけるとパアッと顔が輝いた。


「お父様っ!」


 テーブルの上に乗り出して一目散に飛びついてくる。行儀が悪いが今は構わないだろう。よいしょっと抱きとめ、ギューっとハグしてやる。


 年相応の、8歳くらいの年齢になったセレスティアは中身と見た目がマッチングし、大人の姿をしていた時よりも、ずいぶんと精神が安定したように思う。


 そしてなにり僕自身の精神衛生に多大な影響を与えることとなった。いや、僕が幼女趣味という意味ではなく、あんなダイナマイトボディで無遠慮なスキンシップをされなくなっただけでも大助かりなのだ。


 その結果、セレスティアが思いっきり甘えてきても、僕は父親のような――というか父親として、非常に寛大な心で受け止めてやることができるようになった。まさにウインウインの関係である。


 そうしてみると、娘達が何かにつけて甘えてきてくれるシチュエーションというのは、なかなか堪らないものがある。ふたりとも精霊という高次元生命に、それぞれ風と水の魔素が結晶化した姿なので、重さなどあってないようなものだが――そういうことではなく。


 ふたりを抱えていると、とても暖かく、離れがたい衝動に駆られてしまうのだ。ああ、これが幸せの重さってやつなのかな。まさか元ニートの僕が一足飛びで父親の気分を味わうことになるなんて――


「どーん」


 両脇に抱えていたふたりの娘――以外の重さが後頭部に加わった。こんな無粋なことをするのはひとりしかいない。


「なんのつもりだオクタヴィア。今の僕を邪魔すると、本気で怒るぞ?」


「いや、しばらく見ぬうちに儂の知らない顔をするようになったものだと思ってのう。抱かれる方も抱いている方も幸せそうじゃから、ひとつ儂も相伴に預かろうかと」


 よいしょっと、後ろから僕の首に手を回し、首筋に顔なんか埋めて来やがる。待て待て待て。


「今すぐ離れろ! 娘たちとの幸せ空間にお前はいらん!」


「連れないことを言うのう。なんじゃお主は、娘には優しくて、自分の所有物には冷たい態度を取る男なのかえ?」


「所有物?」


 小さく疑問の声を上げたのはセレスティアだ。アウラも至近距離から小首を傾げて僕を見つめている。


「おいッ、話が違うだろ! あんまり娘達の前で変なこと言わないでくれ!」


「おー、そうじゃったそうじゃった。儂はお主の所有物ではなく、愛人じゃったのう」


 ビシッ――と、その場の空気が凍りついた気がした。


「愛人?」


 振り返る。そこには笑顔のセーレスが椅子を引き立ち上がっていた。

 怖い。だって目が全然笑ってないんだもの。

 僕とオクタヴィアの契約について知っているエアリスは背を向けて肩を震わせていた。


「ねえ、タケル、今のって、どういう――」


「真希奈、今地球の現地時間は何時だ!?」


『え? あ、UTC+9、現地時間16時です。タイムセール開始は17時になっています』


「アウラ、セレスティア、お土産にアイス買ってくるぞ!」


「やったー! 私バニラ!」


「ストロ、ベリー」


「よしわかった! こんなでっかいやつ買ってくるからな!」


 僕が両手でボックスアイスの大きさを表してやると、ふたりは大はしゃぎで飛び跳ね出した。ふ。ちょろい――かと思いきや。


「タケル、帰ってきたらお話があるから」


「…………はい」


 オクタヴィアがやってきてから何度も使用している戦法『勢い任せ・後は知らね』は早くも通じなくなってしまっていた。はふん。


 さて、もうあとは聖剣で『ゲート』を開き、そこを通って遥か宇宙空間に断絶された地球へと向かうだけである。真希奈の的確なナビゲーションの元、なんら危なげのない買い出しになるはずだった。だが――


「どれ、それじゃあ儂も行こうかの」


 そう言い出したのは、未だ僕の背中にひっついたままの白蛇様だった。何を言い出すんだコイツは!?


「ダメだダメだ。僕は遊びに行くんじゃないんだぞ。今日の僕の買い出しが、今晩のごはんの成否に直結するんだからな」


「おお、そうか。それじゃあ儂が食べる晩飯でもあるわけじゃな。ますますもって他人事ではなくなったのう」


 なに? 今なんて言った?


「おまえもう帰れよ。なに厚かましく晩飯まで食べる気でいるの?」


「晩どころか、明日の朝も昼も食べる気でおるぞい?」


「泊まる気か!?」


 ダメだ。これ以上我が家に居座られたら、僕の幸せが壊されてしまう。それだけは断じて許容できない。


「今うちに客間の余裕なんてないぞ。そのへんで雑魚寝してもらうことになるな」


「なあに、儂と前オクタヴィアの寝床ならお主の両隣で構わんぞ。多少狭くてもくっつけば問題なかろうよ」


「タケル、ねえ、ちょっといいかな?」


 ひいいい! セーレスさんの全身から湯気のように水の魔素が立ち昇っている。蜃気楼のようなゆらめきが、やがて蛇頭の形へと成形されていく!


「わかった! 僕のベッドをふたりで使えばいいだろ!」


 しょうがない。デパートのアウトドアコーナーで寝袋でも買ってこよう。城の主が寝袋で雑魚寝って。泣けてくるなあ。


「おお、こりゃあ気を使わせたようですまんのう。お詫びに部屋には鍵をかけずにおくから、いつでも遊びに来てくれて構わんぞ。のう前の?」


「がんばり、ます…………!」


 何を頑張るつもりなのか、前オクタヴィアは両の拳を握り、フンスっと胸を張ってみせた。その漲るやる気、全部ムダにさせてやるよ。


「えー、オクタヴィアが行くなら私も行きたーい」


 どうやらモタモタしすぎたようだ。

 無駄に話を引き伸ばしたせいで、好奇心旺盛なセレスティアが、再び地球へ行きたいと言い出してしまった。本来セレスティアは地球生まれの精霊なのだ。何だかんだで自分の生まれた故郷へ遊びに行きたいのかもしれない。


「私、も。行きたい」


 そして同じくらい好奇心旺盛なのがアウラなのだ。

 普段は物静かだが、意外と譲れない場所ではきちんと主張する。


 そしてそんな精霊娘’sが行きたいと言い出せば、必然セーレスとエアリスも一緒に行かなければならなくなる。


 元国際テロリスト、タケル・エンペドクレスと、その幇助エアリス。セレスティアは秋葉原事件では多くの目撃者がおり、今回はセーレスとオクタヴィア’sも一緒と。


 不味い。こりゃあ街中でボリ○ョイサーカスの興行が始まるくらいの注目を集めてしまうぞ!?


「悪いが今回は遠慮してくれんかのう精霊たちよ。何故なら儂が同行を願うのは対価なのじゃ。先程ディーオの手紙を翻訳した正当な代金として、そして悠久を生きる魔族種として、見聞を広めるという意味があるのよ。それにお主らはいつでも機会はあるはずじゃろう? ここは客分である儂に譲ってくれまいか?」


 スラスラと、まるで用意してあった回答をそらんじるようにオクタヴィアは言った。そこまで説明されて食い下がるほど、ウチの子たちはバカじゃない。多少不満そうではあるが、「アイス忘れないでよね」と言って引き下がってくれた。ほっ。


「って、お前だけじゃなく、そっちのオクタヴィアもついてくるつもりか?」


 さっきから僕の傍らにはじーっと控えた前オクタヴィアが立っている。まるで決して置いていかれまいと、僕を監視しているようだった。


「別に儂は構わんのだがのう。前のよ、お主残ってくれんか?」


 無情にもオクタヴィアがそういうと、前オクタヴィアは真っ青になった。まるでこの世の終わりのように、涙を流しながらフルフルと首を振る。


「私が、朽ち果てるときは、あなたの傍らにありたい……」


 その答えは予想していたのだろう、オクタヴィアは「だそうじゃ」と僕の肩をポンポンと叩いた。なんだかふたりには主従を超えた、母子のような絆と覚悟が垣間みえた。まあ僕がオクタヴィアを引き連れて歩くのは非効率的だ。買い物の間、小さいオクタヴィアのお守りをしてもらえればいいだろう。


「わかった。連れていく。ただし、絶対に勝手な行動はとらないこと。極力現地人との接触は避けるように。あと、ものすごく注目されるのは覚悟しておけ」


「承知したが、それは何故じゃ? 地球とやらには魔族種はおらんのじゃろう?」


「行けばわかるさ」


 僕は心の鞘から聖剣を引き抜く。

 音もなく現れ、絶対の存在感を放つ無垢なる刀身。

 それを目の当たりにし、オクタヴィアは目をまんまるに見開いた。


「開門」


 眼前に現出した極彩色のゲート。

 僕はオクタヴィアと前オクタヴィアを抱き寄せ、しっかと密着しながら中へと飛び込んだ。


『タケル様、タイムセール開始まであと30分です! お急ぎください!』


 胸から下げたスマホが危急を告げる。

 今日は大量の精米を買うつもりなのだ。


 実はそれで十日分ほどしか持たないのだから嫌になる。

 まあそれでも、美味しそうにニコニコご飯を頬張るセーレスは可愛いからいいんだけどね。


 波乱の買い物が幕を開けた。


 続く。

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