第260話 ディーオの難題篇④ ディーオの福音〜過去は未来に復讐する?

 * * *



「クアラルンの果実だと!?」


 エアリスとセーレスによって誰にも言えないような折檻を受けた僕は、身も心もゲッソリとしたまま、最近家族同士では定位置になりつつあるダイニングテーブルの上座へと座った。


 対面の席にはオクタヴィアがちょこんと座り、テーブルの端に両手を置いて一生懸命顔を覗かせている。


 お子様サイズの椅子などないため仕方ないのだが、それ以外のセレスティア、アウラはどうしているかというと、セレスティアは椅子に座ったセーレスの膝を独占し、アウラはそもそも空中浮遊しているので場所を選ばない。


 小さなオクタヴィアは「前の、儂を抱っこせよ」などとおっしゃられて、今は前オクタヴィアのムッチリした太ももの上に座りご満悦の様子だった。


「そんなにすごいのか、その果物?」


 長方形のダイニングテーブルの上には、先程前オクタヴィアが落としてしまった風呂敷包みの中身が広げられている。色鮮やかな緋色の皮を纏った、ほんのり甘い香気が漂うリンゴっぽい果物である。


 りんごっぽいとは言ったが、その形状は真球に近く、放っておけばテーブルの上をコロコロ転がっていきそうだった。


『クアラルンの果実。ヒト種族の王宮御用達の超高級果物です。祭事や神事には必ず神への供物として捧げられ、またその味も特級品として珍重されています。元々は魔の森原産と言われており、過去にはその実を持ち帰り、種子を手に入れるため軍の精鋭部隊が派兵されたこともあります。その時、無事に生還できた者はたった十数名だけだったとか』


 恐らくディーオの知識によるものだろう、真希奈がつらつらと説明してくれる。小さなオクタヴィアは「ほっほう」と僕のスマホから漏れる声を珍しそうに眺めてから言った。


「まさしくその通り。魔の森をねぐらにする儂だからこそ、クアラルンの群生場所も熟知しておるのよ。そいつは一個で10万ルペはする極上品じゃ」


「10万ルペ!?」


 真っ先に反応したのはエアリスさんだ。

 人差し指を動かし、いちにいさん、と数えている。

 まあ三十個はあるよね。


「さ、300万ルペ!」


 新通貨ディーオに換算するなら810万といったところだ。

 当面食べていく資金としては申し分ない金額だろう。でも――


「みーんな割れちゃってるね」


 セーレスの言うとおり、果実は潰れたり、割れたり、一つとしてまともなモノがなかった。飛竜の首もとから落としたのだから仕方がなかった。


 ついっと僕が前オクタヴィアを見る。

 自然、みんなの視線が彼女に集中した。

 膝の上に座るオクタヴィアも、うーっと頭上を見上げている。


 前オクタヴィアは、ジッと観察しなければわからないほど微かな首の動きで全員を見渡した。


「あ。私、のせい、ですね……もうしわけ、ありません」


「あだっ」


 頭を下げた瞬間、ゴチン、とふたりのオクタヴィアがヘッドバッドし合う。お約束か。小さいオクタヴィアはぶつかった額をゴシゴシこすりながら言った。


「というわけじゃタケルよ。せっかく儂が持参した手土産も、儂の監督不行き届きですべて使い物にならなくなってしまったわ。これこの通り、あいすまん」


 小さなオクタヴィアはそういって僕に頭を下げた。前オクタヴィアも再び、「申し訳ありま、せん」と会釈したためゴチン、と再びヘッドバッド。「もうお主は動くな!」と叱られていた。


「まあ、残念だが仕方がないよ」


 オクタヴィアの善意の手土産が失われたからと言って責めるつもりは毛頭ない。もともと手土産なんて期待してなかったし、そもそもおまえが来ること事態想定外なんだから。


「いいや、ここはきっちり罰を与えた方がいいぞい」


「罰?」


「そうじゃ。未来の予行演習と行かんか?」


 小さなオクタヴィアがなにを言っているのかさっぱりわからない。だがひたすら嫌な予感だけが僕の背筋を泡立たせる。


「のう、前オクタヴィアよ、お主詫びとして龍王の夜伽相手を――」


「うんめええええ! この果物超美味いやあああ――!」


 僕は「言わせねえよ!」とばかりに、目の前の果実を頬張り、悲鳴を上げた。オクタヴィアの不埒な言動を誤魔化すつもりだったのに、一口食べた瞬間、口内に「幸せ」が駆け巡った。


「こ、これは……!」


「なにこれ!?」


 僕に追従するように、みなもそれぞれクアラルンの果実を頬張っている。

 エアリスが驚愕に目を見開き、セーレスは口元を押さえて戦慄いていた。


「おいしー!!」


 セレスティアのリアクションはいっそ気持ちがいいくらい素直で、シャプシャプとあっという間に一個を完食し、二個目に手を伸ばしていた。


「…………」


 アウラは、一口食べただけで(精霊だけど)魂が抜けたように呆けてしまっている。いや、それほどまでの美味なのだ。


 少々硬めの外皮に歯を立てれば、たちまちそこから、砂糖水の如き果汁が溢れ出し、口いっぱいに甘みと薫りが広がっていく。


 その実の歯ざわりは柔らかすぎず硬すぎず、適度な弾力を持っており、噛めば噛むほど唾液が溢れてきて、口の中が溺れてしまいそうになる。コイツは――極上だぜ!


『真希奈だけ食べられなくて悔しいですー! とはいえ、かなりの糖度を有した食べ物であるようですね』


 とりあえず残りはアクア・ブラッドで保存、ジャムにしたり、なんならカレーに入れても味を引き立たせてくれそうだった。


 いやいや、これはすごい食べ物だ。

 まさに異世界様様である。



 *



「すげえな。まだ口の中が甘ったるいぞ」


 クアラルンの衝撃から開放された僕達は、お茶を飲んでようやく一息ついたところだった。僕達が料理漫画よろしくオーバーアクションで果実を堪能している間中、小さなオクタヴィアはずっと満足そうに目を細めていた。


 さて、随分と前置きが長くなってしまったが、そろそろ本題に入らなければならないだろう。


「オクタヴィア・テトラコルド」


「お?」


「不本意ではあるが、龍神族の王として、此度の来賓を歓迎する。また献上品も堪能させてもらった。感謝を」


「ぷはっ! なんじゃなんじゃ、一生懸命取り繕ってからに! そうして背伸びしてしゃべってる姿は実に可愛いのう!」


 失敗した。

 元々素の僕を知ってる彼女には、威厳も何もないのだ。

 大人になってから再会した親戚のおばちゃんにおねしょをバラされるような恥ずかしさを感じて顔が熱い。


「とにかく。今日ここに集まってもらったのは他でもない。ミクシャ・ジグモンドが質に流したディーオの形見の中から、一通の手紙が見つかったからだ」


 これだ、と言わんばかりに僕はテーブルの上に封書を置く。

 それは何か生物の皮を使用してしたためられた浅黒い色をした封書だった。

 その裏には漆黒の魔族種の文字で『エンペドクレスへ』と書かれている。


『幸いにも封書が生物の遺骸を利用したものでしたので、放射性炭素測定ができました。何度か開封された跡はありますが、便箋自体は1000年近く前から存在するようです』


 真希奈の説明にさすがと僕は感心する。1万年を生きた男の遺産の一部である。

 僕は封蝋の端に爪を立てると、ゴクリと喉を鳴らす。鬼が出るか蛇がでるか。もしかしたら龍がでるかも――などと思いながら封書を開いた。


「空っぽ?」


 中身には何も入っていなかった。

 僕は封書の中に指を差し入れる。

 うん、やっぱり便箋も何も入っちゃいない。

 外側のパリパリとした感触とは裏腹に、内部は少しだけしっとりしていて生物臭かった。


 嫌な手触りだな、と思いながら「ふう」と肩の力を抜いた。

 やれやれ、ディーオのやつも意味深な手紙なぞ残して人騒がせな。


「待て。タケル、折りたたまれた封書を広げてみよ」


「なに? まさか……!」


 僕はオクタヴィアに言われたとおり、長方形に折りたたまれた封書を開いていく。バリ、バリバリっと、まるでカサブタを剥がすような音がする。そうして開いた内側には――


「なんだ、これは?」


 広げた内部には、見たこともない文字が箇条書きで踊っていた。

 小さなオクタヴィアは行儀悪くテーブルに乗り上げ、四つん這いになって僕の手元を覗きに来る。


「ほっほう。古いな。バルタボゾルガ文字じゃ。今は失われた超大陸、オルガノンの古代文字じゃぞ。これを知ってるのはもはや、ヒト種族の王家か、長耳長命族エルフ、そして儂とディーオくらいじゃろうな」


 長耳長命族エルフという単語が出たのでセーレスを見やる。

 僕と目が合うなり彼女は、「私わからないよー」とばかりにプルプルと首を振った。可愛い。


「つまり、そのバルタ、ボゾルガ? 文字を使うこと自体が一種の暗号になってるわけか」


「その通りじゃな」


 僕はスマホのメインカメラを手紙に向けながら真希奈に問うた。


「どうだ真希奈、解析できそうか?」


『一部条件付きでアファーマティブ』


「条件を提示してくれ」


『この文字の解析には時間がかかります。現在まで整理できているライブラリに該当する知識がないためです。新たな領域を開拓する必要があります。そのための時間です』


「そうか。ならいい。読めないんじゃしょうがないな。今回はここでお開きにしようか」


「ちょっと待てい!」


 ガシっと手を伸ばして僕の胸元を掴んできたのは小さなオクタヴィアだった。どうでもいいけどテーブルから降りろよ。行儀悪いぞ。


「お主はなんじゃ、耳糞でも詰まっておるのか? 儂は先程知っていると言ったぞい」


「いいよ。おまえが絡むとややこしくなるし。どうせただじゃないんだろう?」


「然りじゃ。無論対価は要求する」


「残念だけどウチは今家計が火の車――とってもお金がなくて困ってるから無理なんだ」


 掴まれているオクタヴィアの手を解こうとすると、ガシっともう片方の手で僕の服を鷲掴みにしてくる。


「金などいらぬわ! 儂がそんなもの如きで釣られるほど俗な女と思うておるのかえ?」


 思ってるよ。金はともかく、結構俗な性格をしていることは確かだ。


ぬしよ、あんまりそっけない態度ばかりだと、アリスト=セレスに儂らの契約について話さねばならぬぞ?」


「――さあ、張り切って翻訳してくださいよオクタヴィアさん!」


 ワッシャワッシャとオクタヴィアちゃんの頭を撫でて超誤魔化す。『契約?』と真希奈が反応していたが全力で聞こえないフリをしておいた。はー心臓に悪い。不死身だけど。


「対価は後ほど決めるとして、どれどれ、翻訳してやろうかの」


 ひょっとして僕は悪魔と契約してしまったのではないか。ディーオと契約して以来の戦慄を覚えていると、小さなオクタヴィアは青柱石でできたモノクルを取り出した。


「上から順番に読み上げるぞい」


「真希奈、記録」


『了解。記録開始します』


「えー、『超大陸オルガノン』『連なる連峰の北』『長耳長命の領域』『日出ずる王宮』『城壁の国』『我欲に塗れた竜』と……まだ幾つかあるが、かすれてて読み辛いのう」


 オクタヴィアはテーブルの上でアヒル座りすると、僕のカップを手に取り、躊躇うことなく中身を啜った。


 僕は、今オクタヴィアから放たれた言葉の意味するところに驚愕していた。


「エアリス」


「む。どうしたのだタケルよ?」


「この間、ミクシャが言ってた商人の名前、覚えてるか?」


「うむ。確か、『日出ずる商会』とか……あ」


 エアリスも気づいたようだ。

 そして恐らくそれだけではない。

 我欲に塗れた竜とは――我竜族、ゾルダ・ジグモンドのことだろう。


「なんじゃなんじゃ、どういうことじゃ?」


 すっかり僕のカップを我が物としたオクタヴィアが、無垢な瞳で問うてくる。


「つまり、この手紙は本当に、過去から未来へ向けられた予言の書ってことだよ」


 正体不明だった敵が、まさかこんな手紙から、朧気ながらも輪郭を見せ始めるとは思いもよらないのだった。


 続く。

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