第259話 ディーオの難題篇③ 嵐を呼ぶ白蛇様〜好色王タケル・エンペドクレス爆誕!?

 * * *



「ふふん。こうして直に顔を会わせるのは実に数カ月ぶりかのう。七万の年月を生きてきてこれほど長く感じる数ヶ月もなかったわ。いやはや、あの時とは顔つきがまるで違うぞ。すっかり凛々しい男の顔つきになりおってからに。ヒト種族はこうして劇的な変化や成長が見られるから好きなのじゃ」


 ゾクリ、と僕の背筋に寒気が走る。

 オクタヴィア・テトラコルド。根源27貴族の中でも最古参の魔族種であり、7万年という時を生きている化石みたいな女だ。


 ディーオは1万年を生き続け、その精神を摩耗させて行き、最後には自らの死さえ望むようになっていった。永遠を生きるということは、決して楽なことばかりではないということだ。


 だがオクタヴィアはそんなディーオをさえ超える7万年という時間を生きており、だけど、精神も肉体も実に若々しく見える。


 かつて僕は、セーレスがアダム・スミスによって連れ去られてから、彼女を追い掛けるため、地球へと渡航する手段を探し、聖剣が持つ固有魔法『ゲート』の魔法にたどり着いた。


 聖剣とは何なのか、一体どこにあるのか。それらの情報を求めて僕は、オクタヴィアの知恵を頼ったことがあった。


 そこで、聖剣の情報と引き換えに、オクタヴィアはとんでもない対価を僕へと要求してきたのだが――


「帰れ! 今すぐ帰ってくれ!」


 客人として迎え入れはしたけど、お持て成しするなんて言ってない。

 とにかくこの幼女はタチが悪すぎる。関わるべきではないのだ。


「なんじゃなんじゃ、邪険にしくれるなよ。儂の中には悠久の記憶が宿ってはいるが、肉体と精神は紛れもなく子供のものじゃ。あんまり厳しく恫喝されると――ひっく。反射的に涙が出てきてしまうぞい……ううう」


 ポロポロとオクタヴィアの大きな瞳から大粒の涙が溢れた。

 そうしていると、本当にただの幼子に見えてくるので、罪悪感が半端ではない。


 じとーっと、セーレスさんの視線が僕に突き刺さる。

 だがいかん、彼女とオクタヴィアを接触させては絶対に不味いことになる気がする。


「タケルー、その子お客様なんでしょう? なら意地悪してないでお家に通してあげたら?」


 もたもたしているうちに、セーレスさんが「めっ」っと僕を叱りつけてくる。違うんだセーレス、こいつは僕らの平和を脅かす悪の存在なんだ。そしてこんな見た目で世界一のBBAなんだよ!


「ほっほう。お主がアリスト=セレスじゃな」


 遅かった。キラーンと目を光らせたオクタヴィアがセーレスをターゲットに見定める。涙を袖で拭いながらテテテっと危なっかしい足取りで近づいてく。


「初めまして。偉大なる水の精霊魔法使いよ。主は母親似じゃな。リゾーマタ・デモクリトスにはちっとも似とらんわ」


「お、お父様を知ってるの!?」


「ああ、一方的な顔見知りじゃがな。お主の母は見たことはないが、父親なら知っておるよ。ヒト種族の中のまさに勇者と呼ぶべき猛者だったわ」


「へええ……」


 いかん。思わぬ隠し玉のおかげでセーレスはオクタヴィアに興味津々の様子だ。この世界の生き字引であり、覗きが趣味な彼女は、そりゃあセーレスの父であるヒト種族の領主、リゾーマタ・デモクリトスのことも知ってるのだろう。しかも勇者とまで持ち上げられて、セーレスもニコニコと満足そうだ。


「ほほ。邪気のない娘じゃのう。なるほどなるほど……」


 オクタヴィアはセーレスの周りをウロウロしながら、ためつすがめつ彼女を観察する。セーレスは「???」みたいな顔をしているが、基本的には笑みを湛えている。


 彼女からすれば小さな子が纏わりついてきて、「可愛いなあ」くらいにしか思っていないのだろう。だがそれは大きな勘違いだ。僕から見れば、白蛇がチロチロと舌を出しながら獲物に飛びかからんとしている姿を想像してしまう。


「エルフ……ハーフエルフか。成長が遅い分、ピークを迎えるのは随分と先かの。儂の方が先に絶頂期を迎えそうじゃ。いや、あやつの趣味が幼女趣味なら今すぐにでも……」


 なにやらすごく不穏当な言葉が聞こえてくる。いい加減このままでいるわけにもいかない。オクタヴィアを城の中へ促そうとすると――


「とりゃ」


「きゃっ!?」


 突然飛びついてきたオクタヴィアを、とっさにセーレスは抱きとめる。


「うふふ。なあに、どうしたの?」


「おねーちゃーん(棒読み)」


「やだ、ダメ。くすぐったいよ。コラ、イタズラしないの」


 オクタヴィアは幼女のフリしてセーレスの抱き心地を堪能するように身体や頬をすり寄せていく。紅葉のような手が遠慮なくセーレスのお尻を揉みしだき、その慎ましくも美しいお胸に顔まで埋めている。


 うおおお、なんという裏山けしからん真似を!

 僕だってそこまで露骨に触ったことはないんだぞ!


「落ち着かんか馬鹿者。子どもたちが見てるぞ」


「――はッ!?」


 エアリスの言葉に振り返れば、そこにはシゲシゲと僕を見つめる無垢な瞳が二対。アウラとセレスティアが「なんでお父様はあんなに血走った目をしてるんだろう?」とでも言うように首を傾げあっていた。さらに――


『タケル様、真希奈のことを忘れていませんか? 現在のタケル様のバイタルデータは特殊ファイルにカテゴライズしておきますね?』


 ストラップで首から下げたスマホから不機嫌100%の怨嗟が聞こえてくる。真希奈(人形)バージョンだったら確実に呪いの面相になっていたことだろう。


「よし! おぬしは大器晩成型じゃ! 将来が楽しみじゃな!」


 散々セクハラしまくったオクタヴィアはセーレスを解放すると、つやつやテカテカしながらそう宣った。もうお前本当に帰ってくれ。


「いーやーじゃー、かーえーらーんー。ふん、そんなことを言っていいのかのう。せっかく持ってきた手土産が無駄になってしまうぞい」


「手土産?」


 反応したのはエアリスだった。

 彼女は今我が家の家計を一手に引き受けている。


 その苦しすぎる実情に一番心を砕いているのはエアリスなのだ。

 苦労をかけてホントごめんだよ。


「そうじゃ。何と言っても三代目エンペドクレスの襲名、そして一国一城の主となった祝いに駆けつけたのじゃからな。献上品を持ってきてやったぞい。おーい、いつまでそこにいるつもりじゃ! さっさと降りてこんか!」


 オクタヴィアが飛竜を怒鳴りつける。着地から今の今まで大人しくしていた飛竜がギュッとまぶたを閉じて首を縮めるように頭を下げた。


 ああ、こいつ確か生まれた時からオクタヴィアに育てられてるから竜種としての自覚がないんだっけ。あとこの図体ですごく臆病だとか。


 と、飛竜の後ろから人影が顔を覗かせた。あれは――


「は、はい……た、ただいま」


 飛竜の首にしがみつきながら震えているのは――オクタヴィアだった。

 いや、正確には現在のオクタヴィアを十数年分成長させたくらいの容姿をしている。


 彼女こそオクタヴィア、あるいは旧オクタヴィア。

 十数年前までは、紛れもなく彼女自身が白蛇族の王、オクタヴィア・テトラコルドであり、そしていまは最低限の知識と記憶しか有さない、言ってしまえば搾りかすの知識しか宿っていないのが彼女なのだ。


 白蛇族は約200年周期で自己妊娠と出産を繰り返す種族だ。染色体数が一対しかなく非常に完璧な塩基配列を持っているがゆえ、単為生殖が可能であると推測される。


 現在のオクタヴィア――小さいオクタヴィアを産んだのは紛れもなく、この大人のオクタヴィアであり、赤ん坊だったオクタヴィアが成長し、器としてなったのを見定めてから、次代へと記憶を継承するのだ。


 そのため、小さい方のオクタヴィアには白蛇族が連綿と受け継いできた7万年もの膨大な記憶が宿っており、そして記憶を引き継がせた後の大人のオクタヴィアは白痴となり、僅かな余生をすべて現在のオクタヴィアのために費やしてから死ぬのだという。


 これが白蛇族の王、オクタヴィア・テトラコルド。母と子の関係から、記憶を継承した瞬間から立場が逆転し、主と従者という関係に変貌する。


 定期的に自分自身の肉体と精神をリセットすることで、彼女は人格崩壊を招くことなく、永劫を歩むことに成功した。


 それこそが悠久を生きる白蛇の正体なのだった。


 飛竜の首にしがみついて離れない前オクタヴィアは身の丈を遥かに超える大きな荷物を背負っている。なにやら風呂敷包みのようなのだが――


「あ」


「危ない!」


 不意に飛竜が身じろぎし、前オクタヴィアが足を滑らせた。大きな風呂敷包みが仇となり、真っ逆さまに落下する。


 僕はとっさに飛び出していた。

 魔族種の膂力と反応速度を余さず使い、見事彼女の落下地点に先回りすることに成功する。


 彼女の頭を優しく抱きかかえ、僕自身がクッションとなるよう、彼女を全身で受け止める。衝撃は僅か、でも前オクタヴィアは必要以上に身構えてしまい、身体を縮こませたままブルブルと震えていた。


「おーい、もう大丈夫だぞ」


 そう呼びかけても目を固く閉じ震えたままだ。

 なのでペシペシと頬を叩いてやる。


「はっ! ――あ、も、申し訳ありません龍王様……!」


 前オクタヴィアはようやく目を開き、僕の顔を見るなりすぐさま離れようとする。だが足に力が入らないようであっという間にへたり込んでしまった。


「ほら、そんなに慌てなくていい。どこか痛いところはないか?」


「は、いえ、平気、です……」


 成熟した大人の女性であるのに、全体的に精気に欠け、前オクタヴィアは非常に頼りない印象だ。


 小さい方のオクタヴィアがそうであるように、彼女もまた白に白を塗り重ねたような病的な肌をしている。瞳に光はなく、その頬は赤く染まっている…………ん? 赤く?


『タケル様、いつまで抱き合っていやがるのですか?』


「おっと!」


 真希奈の声に今度は僕が離れる番だった。地面に両手をつき、クタッとなった前オクタヴィアが、垂れ下がった前髪の間から僕を見つめてくる。


 その瞳に宿った感情はなんというか、新芽が顔を出すような初々しさと清廉さが同居しているような感じがする。何が言いたいかというと、なんか芽生えてませんかね……?


「なーにを見つめ合ってるのタケル?」


「どうやら龍王と呼ばれるより好色王と呼ばれたいらしいな貴様?」


 うひょー。

 不死身になって以来今ほど死を痛感した瞬間はないぜー。


 小さなオクタヴィアは前オクタヴィアに駆け寄り、「よくやった!」と肩を叩いている。


 僕はセーレスとエアリスに両肩を掴まれたまま、城の奥深くへとドナドナされるのだった。


 続く。

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