ディーオの難題篇

第257話 ディーオの難題篇① 卵かけご飯とエルフっ子〜内政を始める龍王様

 * * *



「今日の晩ごはんは卵かけご飯です」


 名実共に僕こと、タケル・エンペドクレスの城となった龍王城。


 広々とした調理室にダイニングセットを持ち込み、僕は家族の食卓としていた。


 今僕の目の前には真剣な面持ちのセーレスが座っている。


 プラ容器から取り出した真っ白い手のひらサイズの球体。それをそっと彼女の目の前に差し出してやる。


「これは、に・わ・と・り――の卵」


「に・うわ・とぅ・り……お、たわも?」


「そう。ブロイラーと呼ばれる肉鶏の一種で、短期間で急成長して食肉加工されるのが特徴だ。徹底した衛生管理、バランスとコストに優れた飼料を与えられ――」


 僕の説明にセーレスはキョトン顔のまま「???」みたいな顔をし始めた。


 あ、ちょっと懐かしいな。言葉が通じなくて一生懸命コミュニケーション取ってたとき以来の表情だ。カタカナ以外は全部こちらの言葉、今僕らは魔族種の言語で会話をしているのだが、僕は真希奈を介しているため問題はなく、セーレスもセレスティアという精霊を介しているため、会話をするに不自由はなかった。


 でも固有名詞であるブロイラーやら、英語であるバランスやコストと言った単語は地球の言語で発音するため、先程のセーレスのように、慣れるまでは懐かしい片言になってしまうのだ。


「今日はこれを使って僕の故郷日本に於いてもっとも愛される食べ方を紹介しよう!」


 僕がドヤ顔でそう言うと、セーレスはニコっと笑い、小さく手を叩いてくれた。ありがとう。そしてありがとう。


「用意するのはこちら、炊きたてのごはん」


「が・ほ・ん」


「ご・は・ん」


「ごっ、ひゃん」


 グッと親指を立てる。セーレスも見よう見まねで親指を立ててくれた。かわいい。


 ちなみに今の彼女は幼女姿ではない、出会ったときのまま、14〜5歳くらいの容姿である。実際彼女の年齢は60歳を超えているのはおいておいて。


 とにかく、キリッとした表情のセーレスさんは美しい。さっきみたいなとぼけた表情は可愛い。それだけは間違いなかった。


「まずは卵を割ります。殻が入らないように気をつけて。カラザは捨てても捨てなくてもいいです。捨てないよねマクマティカこっちでは」


 小鉢の中に卵を落とすと、対面のセーレスもまた慎重な面持ちで卵を割ろうとする。カンカン、ゴンゴン……卵はいつまでたっても割れません。


 基本的にセーレスさんは狩猟生活が長く、狩る、血抜きする、捌く、焼く、が主だったという。


 こういう細かい作業を必要とする料理はしてこなかったようなのだ。だから僕がリゾーマタの町に行って調理器具と卵を買ってきてオムレツを作ったあの夜は、彼女にとって革命的な出来事だったという。


「これはしょうゆ。大豆という豆を発酵させて作ります。このまま単体ではしょっぱくて飲めたものではありませんが、様々な料理に使い、その味を引き立てくれます」


 僕は小鉢の中の生卵にポタポタポタっとしょうゆを回してかけた。


 これはいわゆるプラスチックの真空ボトルでできた『鮮度の一滴』ってやつだ。酸化を防いでくれるので冷蔵庫がなくても賞味期限が長持ちする。


「しょーう」


「イエス。大体合ってる」


「だいたい、あってう」


 お。僕が発した日本語を真似てくれた。

 いいね。自分の耳に一番馴染む言語を好きな女の子が話してくれるのは素直に嬉しい。


「そして、あとはかき混ぜるだけです」


 セーレスには木匙を、僕は箸を手に取り、小鉢の中身を混ぜ混ぜしようとする。


「タケル、それはなに?」


「これは箸。扱いが難しいからセーレスはそっちを使ってくれ」


「ん」


 セーレスはちょうだいとばかりに両手を差し出してきた。大丈夫かな、と思いながらもう一膳、箸を渡してみる。


「どうやって持つの?」


「えーと、あれだ、えんぴつを持つ時と同じで……」


「えんぴつ?」


 そうだった。セーレスさんは文字を書く習慣がないんだった。


 多分勉強すればすぐに覚えるんだろうけど、あのリゾーマタでのあばら家生活では必要性すら感じなかっただろう。


「そうだな。文字も書けるようになった方がいいよな。診療所、街中で開くんだろ。なら治療した患者のカルテを書かなくちゃな」


 僕はヒルベルト大陸のほぼ中央に位置する龍神族の領地を統べる三代目エンペドクレスとして龍王城で暮らすこととなった。


 我竜族のミクシャ親衛隊によって事実上占拠されていた首都を解放し、ゾルダ王率いる我竜族の進行を撃退した。


 事実上我竜族を従えることとなった僕は、ダフトンから北に存在する水源地の畔に彼らの永住を許可した。


 そして今、首都ダフトンはその中心街ノーバの小高い丘の上に居を構える龍王城で生活することにしたのだが、僕による十分な治世が必要かというと、それは否だった。


 先王ディーオだった頃から、ノーバの町長さんや各区長さん、そして自警長さんがそれぞれ持ち回りで領地の平和を保ってきたという。


 要するに彼らが大臣であり、徴税官であり、治安維持官だったわけだ。


 ついこの間、僕はそんな彼らとエアリスを通して初対面を果たした。


 いずれも魔人族や獣人種、中にはヒト種族の血を引く方々で、年齢は当然のように僕より倍以上も年上のヒトたちだった。


「――この者はディーオ・エンペドクレス、並びに初代エンペドクレスの力を引き継ぐ紛れもない三代目エンペドクレスである。私はこの者の真の実力を幾度も目の当たりにし、それを確信している。どうか、変わらぬ支援をお願いする」


 エアリスがそう僕を紹介すると、彼らは一応了承してくれたが、それは僕個人というより、ディーオの娘であるエアリスに対しての義理立てで頷いたようだった。


 実際彼らは、公式な会談でも鎧を脱がない僕のことを訝しんでいるようだ。なので僕は言った。


『龍神族とは血筋ではない』


 鬼面の奥から聞こえる重苦しい声に、町長さんたちはビクンと肩を震わせた。


『龍神族の王による継承とは、適合した個体へと自らの力と共に歩んできた歴史のすべてを背負わせることをいう。そして今我の中には、ディーオ・エンペドクレスの朧気な記憶が確かに揺蕩っている』


 ジッと、町長の顔を見つめる。少しだけお腹が出っ張った白髪交じりの魔人族のおっさんだ。名前は確か――


『パオ・バモス』


「は、はい――!」


 おっさん――パオ氏は呼ばれた途端背筋を伸ばし、しきりにまばたきを繰り返した。だが名前程度ならば事前にエアリスに聞くことも可能だ。


 他の者もそれは承知しているのだろう、瞳が懐疑に細められる。だが俄然興味も湧いたようで、次の言葉を待つように僕を見つめていた。


『もう40年も前のことだ。冷たい雨が降り注ぐ黄昏時、おまえは龍王城にやってきて、ディーオに謁見を申し入れた。それは結婚の報告だったな』


「おお……!」


 エアリスがやってくるより遥かに前の、自分と配偶者のみの記憶を言い当てられ、パオ氏は目を見開いた。


『当時のお前はしがない靴職人で、独立と共に相手へ求婚をした。これから待ち受ける貧困と困難にふたりで立ち向かい、それに負けて離れることがないよう、この国で一番怖い王の前で永遠の愛を誓いあった』


 おまえなあ……、とパオ氏は隣の区長さんに肘で小突かれている。それはどんな度胸試しなのだ、と言わんばかりに自警長さんも頭を抱えていた。


 若かりし頃のあまりの不敬、そして蛮勇をつまびらかにされて、パオ氏は真っ赤になって小さくなった。


『なに、断っておくが、決してディーオ・エンペドクレスは不快になどなっていなかった。彼自身も遥かな昔、自身が成してきた無理・無茶・無謀には覚えがあったからな。お前が行った不敬など可愛いものだ。その時、お前が嫁であるラオ・バモスに贈ったのは拙い手作りの胸飾りブローチだった。ピーゴの花を模したものだったな』


 僕はそれらをまるで昨日の出来事のようにそらんじてみせた。もちろん、真希奈を通して事前にディーオの記憶を検索・閲覧していた成果だった。


「お、恐れ入りました。確かにその通りでございます。その記憶は私と我が妻ラオ、そしてディーオ様のみが知るものでございます。私は長年、密かにそのことを栄誉として参りました」


 パオ氏は脱帽、といった様子でこうべを垂れた。区長さんも同様で、しきりに感心した様子で頷いている。


 だが隣の自警長さんは未だに納得していないみたいだ。彼はターバンのような布地を頭にぐるぐる巻きにしており、蓄えた立派な髭、そして逞しい体つきをしている。


 獣人種と魔人族とのハーフであるらしく、ケモミミは生えていないものの、短めの尻尾がお尻から覗いていた。


「タケル・エンペドクレス様、でしたか。ひとつよろしいですかな。あなたのその仮面についてなのですが――」


『なんだ自警長ホビオ・マーコス。我がこの鬼面を取らない理由は、お前がその帽子を頑なに脱がない理由と同じようなものだと思ってほしい』


 ぐっ、と次なる言葉を飲み込むホビオ氏。もう三十年も前だよね。ディーオの知識に縋って、若ハゲに有効な食物や薬草を聞いてきたのは。結局効果はなかったようだが。パオ氏のことを責められる立場にないのだこのおっさんも。


「ま、まずはこの街を救ってくださったこと、感謝しております。ですが、街を守れなかった己の不面目を棚に上げて、それでも言わせて頂きます。どうして、貴方様はもっと早くに戻ってきてはくださらなかったのですか?」


 実際、ミクシャ親衛隊に対して街の防波堤になっていたのはホビオ氏率いる自警組織である。


 度重なる小競り合いによって負傷者が急増し、次第に抗いきれなくなっていったのだという。


 はっきり言って我竜族は屈強だ。地力の差は魔法でも無い限り埋められるものではない。


 もっと早くに僕が戻ってきていれば、確かに彼らが要らぬ怪我をすることは防げたかもしれない。恨み言も言いたくなるのだろう。


『戦っていた。とてつもなく遠いところで』


「それは、どちらで?」


『こことは理の違う別世界だ』


「諧謔はやめていただきたい」


「事実だ自警長」


 追従したのはエアリスだった。


「この者は元々、空の彼方からやってきた異邦人だ。この魔法世界マクマティカとは異なる世界の住人だ。そのような者がディーオ様の力を引き継げる『器』だったことはまったくの偶然だったが。この者は自分が元いた世界で戦い続け、そしてようやくこちらに帰ってきたばかりなのだ」


 メイド服姿のエアリスが傍らから僕を見上げている。その目は僕を通して昔日を懐かしんでいるようだった。


『彼女の言うとおりだ。我は己が目的のために遠い世界で戦い、そして目的を達し、ようやく帰ってくることができた。そして我が盟友、白蛇族のオクタヴィア・テトラコルドにこの街の危急を知らされ、急ぎ駆けつけたというわけだ』


 まあ最初の一ヶ月は僕の頭の中がパーになっていて療養していたり、さらに2ヶ月程獣人種の魔法学校で教師とかしてたんだけど、それは言わぬが花だろう。


 ホビオ氏はため息混じりに「左様でしたか」と言って引き下がった。まあ僕が異世界の人間だとか、そのへんの下りはこのひヒト達には全然重要じゃない。彼らも本当の意味は理解してないだろうしね。


 そこまで話し終えると、「あの」とパオ氏が声を上げた。


「ディーオ様は本当に、もうこの世にはいらっしゃらないのですね?」


 その言葉はただの事実確認以上に、重要なものを孕んでいた。


 我竜族のミクシャは臣民の戦意を削ぐためのネガティブキャンペーンの一環として、再三に渡りディーオの死を喧伝してきた。


 いつまでたっても戻ってきてくれないディーオに、事実臣民達は絶望していた。そう、彼らはまだ、ディーオの死をきちんとした形で受け入れられていないのだ。


『それは半分正解であり、半分が否である』


 言葉の真意を質すようにパオ氏が強い眼差しを向けてくる。彼らの疑問を解消するには龍神族の秘密を少し話さねばならないだろう。


『先程も言った。龍神族の力の継承とは自分自身を次なる器に背負わせることであると。ディーオもまた、かつては只人ただびとだったのだ。だが初代エンペドクレスより力を引き継ぎ、龍神族の王となった。そして我の中には、ディーオと初代エンペドクレスの力が宿っているのだ』


 虚空心臓。

 自身の内面世界に絶対不可侵の領域を創り出し、その中に無限の魔力を生み出す心臓を格納すること。


 それはもはや炉だ。

 初代エンペドクレスとディーオの心臓。

 そのふたつが合わさり、神域の魔法をさらに超えた、あの黄金の力さえ齎してくれる。


 僕が地球で修行をし、人工精霊さえ創造したのは結果的にその大きすぎる力を使いこなすことに寄与していた。


『例え姿形が変わり、自我をなくしたとしても、ディーオ・エンペドクレスは我と共にある。そして我と共に歩むお前たちは、龍神族という悠久の魔族種と未来永劫共にあることを知るがいい。我もまた未熟な王であるが、お前たちの誇りとなれるよう、努力し続けることを誓う』


 僕がそう言うと、その場にいた全員が跪き、臣民として王に対する礼を取った。


 僕は恭しく頷き、「よろしく頼む」と威厳を籠めて言ったのだった。

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