第255話 龍王の帰還篇⑪ ゾルダ暁に死す〜その罪も穢れも背負って
* * *
「なん、という…………!」
真希奈の足の下、天地逆さまの視界の中で幻魔族の男は呆然と呟いた。
タケル・エンペドクレスが、ゾルダ・ジグモンドに対して敢行したのは『戦い』などというものではない。一方的な加虐であり虐殺にも近いものだった。
初代エンペドクレスが創り上げたという四大魔素を応用した魔法。それを肉弾戦の補助に利用したり、直接攻撃に転化したり……。
とにかく、今まで自分たちが見てきた魔法というものとは根本的に何かが違う。タケル・エンペドクレスが使用するそれはあまりにも洗練されていて、力強く、そして恐ろしいものだった。
ゾルダは反撃すらできず、遥かな空へと吹き飛ばされ、そして先程、燃える彗星と化し、地表へと激突した。
舞い上がった土柱と、響き渡った轟音、そして地響きの凄まじさから言って、ゾルダはまず生きてはおるまいと予想される。
それにしても、ゾルダの王としての振る舞いはあまりにも稚拙だったとはいえ、タケル・エンペドクレスがアレほどまでに怒りを露わにするとは……。
『違います……』
「なんだと?」
まさか自分の胸の内が聞こえたわけではないだろうが、絶妙な拍子で話しかけられ、幻魔族の男はドキリとする。
未だ自分の顎の上に我が物顔で居座り続ける妖精種(だと思われる)の少女。
彼女はタケル・エンペドクレスがゾルダ・ジグモンドもろとも着地した方角を見つめている。
そこは未だ、もうもうと土煙が立ち込め、舞い上がった土礫が雨のように降り注いでいた。
『タケル様はご自分のことではまず怒りません。あれほどまでに怒りを露わにするのはすべて、自分以外の私達のためなのです……』
「…………ゾルダを自分の臣下や最愛のものに近づけてはならないとしたのか」
例え種族は違えども、タケル・エンペドクレスの思いは男ならば理解できるものだった。
自分でさえ、あのような無頼漢が自分の家族に近づくことなど許容できない。ましてや女を道具如きと吐き捨てるような男には特にだ。
そもそも自分に与えられた任務はことの成り行きを詳細に観察する任務を負っていた。
王が不在となってしまった領地はどのみち他種族からの進行を受け、滅ぼされるか吸収されるのが常である。
根源貴族の中にはそうして滅んだ種族がいくつもある。もしかしたら王家の血を引くものが野に下っている可能性は否定できないが、龍神族は自分の係累を持たない単独の種族であるという。
血統主義でなく、力を子に引き継げないというのなら、龍神族のあの力の源は一体どのように次代に引き付いているというのか興味をそそられる者は多い。
が、今はその空白の玉座に積年の恨みを持つ我竜族が手を上げ、それをエンペドクレスの後継者を名乗る男が立ちはだかっている。
果たしてどちらが王に相応しいのか。その結末を見極めなければならない。そのためには――
「妖精種の少女よ。できれば今すぐ俺を自由にしてはくれまいか?」
そもそも自分は幻魔族。霞のように掴みどころがなく、誰にも知られずその任をまっとうすることを常としている。
今現在、こうして生身を晒して背面宙返りの状態で固まっていることは恥以外の何者でもないのだ。
だと言うのに、顎の上から自分を見下ろしている少女はニッコリと笑った。
『今後姿を消した状態で真希奈たちの周りをうろつかれると困りますのでしっかり顔だけ拝ませてもらいますね?』
「やめよ、それだけは許してくれ!」
素顔を見られることはこれ以上ない恥辱である。
顔を覚えられて人相書きなど出回れば自分は終わる。
一族をつまみ出されてしまうか、最悪殺されることも考えられる。と――、
「うおお!?」
突如として男を縫い止めていた石柱が瓦解する。
細かな砂となって崩れ、男も慌てて身をひねり着地する。
「なんだ、突然どうした!?」
異変は幻魔族の男だけではなかった。
周りに粉塵が立ち込めている。
千本に届く石柱が一斉に崩れたのだ。
開放された我竜族の面々は呆然と辺りを見渡し、そしてひとり、またひとりと、同じ方向へと歩き始めた。
「もしや、これは……!?」
『そうです。タケル様自らが魔法を解除したのです。すべてが終わったのでしょう』
ゾルダ王の死。
我竜族も悟っているのだろう。
誰もが決然とした表情のまま、互いに言葉を交わすこともなく、ただ無言で歩を進めている。
それはまるで整地を巡礼する殉教者のような、あるいは死地を求めて彷徨う死霊たちのような、厳かなれど足取りの重い歩みだった。
*
巨大に陥没した地面の周囲に、我竜族の男たちが跪いている。
まるで申し合わせたように整然と、規律と秩序を持って、誰もが黙祷を捧げている。
黙祷の中心には王の遺骸があった。
小さく痩せて、全身が真っ黒に焼け焦げた亡骸だった。
ただその
最後まで決して他者を振り返ることなく、ただ己の欲望のみを貫いた者の、いっそすがすがしいまでの死に顔だった。
タケル・エンペドクレスはその傍らでゾルダの遺骸を見つめていた。
勝利の美酒に酔うこともなく、悲嘆に暮れることもなく、ただ己の成した結果を受け入れて静かに佇んでいる。
そっと、妖精種の少女だけが傍らに寄り添った。言葉を交わすことはない。ただ主と共に同じ時間と感情を共有する、それだけの行為だった。
やがて、どれだけの時間そうしていたのか。遺骸を取り囲んでいた最前列から一人の男が立ち上がる。顔には深いシワが刻まれた老齢の我竜族だ。
彼は腰元から短剣を引き抜くと、切っ先を自らの喉へ突き立てた。
『やめよ』
その切っ先を、瞬時に移動したタケル・エンペドクレスが握り込んでいた。鍛え磨かれた刃先が彼の手の中でバキリと握りつぶされる。
「龍神族の王よ、どうか死なせて欲しい。我らは領地を持たぬ流浪の種族。各地を転々としながらも、ゾルダの名の下、一族としての矜持を保ってきた。だが今、その王まで失い、もはや
あんなものでも王は王だったのだ。
残虐でも暴虐でも、ただそこに在るだけで誰かの灯火になっていた。
それが失われた今、我竜族はもう終わりである。
王という垣根が崩れ去った今、彼らはもう我竜族でも何者でもない、単なる名無しの流浪者と成り果てたのだ。
『他の者達も同様の考えか――?』
タケル・エンペドクレスが周囲を見渡す。
ゾルダの亡骸を中心に跪く千人は、誰ひとりとして異を唱えなかった。彼らもまた、自らの命を天に帰す心算でいるらしい。
『なるほどな。だが忘れてはいないか。お前たちは我竜族の臣民である以前に敗残兵だ。将を失い、他国侵略の計画も失敗した。残ったお前たちは捕虜であり、その生殺与奪はこの我にあるのだ。勝手に自刃することは許さん』
それもまた真理であった。
この場にいる千人は投降をしたも同然なのだ。
王を失い、戦い続ける気概もない。
命を放棄した者には、ただ支配者の命令に従う他ないのだ。
「おおお、なんということだ……、龍神族の王よ、どうか慈悲を。我らに死を……! ゾルダに与えた万分の一でもいい、我らに苦痛を――!」
其処此処で悲観に暮れ、絶望に沈む我竜族たち。
千人からが啜り泣き、嗚咽を漏らすものまでいる始末。
その様を直視したタケル・エンペドクレスの手には、一振りの剣が握られていた。
その身に剣は帯びていなかったはず。
どこから取り出したのか、直刃で反りがなく、鍔も握りもない、剥き身の剣――というより刃そのものようだった。
『いいだろう。ならばこそ、お前たちの命運、
何をするつもりか。
ゾルダの遺骸を前に、我竜族の王に問うなど不可能なはずである。
タケル・エンペドクレスは、剣を振り抜く。
するとどうだろう、彼の眼前には決して消えない軌跡が描かれる。
『開門』という呟きと共に、中空に描かれた軌跡が円形に広がる。
それは扉だった。極彩色を敷き詰めた、ここではない別の場所とを繋ぐ門。
タケル・エンペドクレスは、その扉の中へと身を投じる。
呆然とする我竜族は、息を呑み、その扉に新たな変化が訪れるのを待つしか無い。
数瞬か、はたまた半刻か。
とにかく時間の感覚さえ曖昧に感じられる中、再び扉から漆黒の鎧を纏いし龍神族の王が現れ、そしてその背後にはもうひとり別の誰かが従う。
その者は、我竜族たちがよく知る人物だった。
『お前たちに紹介しよう。我竜族の新たなる王、ミクシャ・ジグモンドである』
おお……。
その呟きは誰が発したのか。
いや、千人が思わず漏らしていたのか。
彼らの吐息はさざなみのように広がりて余韻を残して消えた。
*
「一体、何が……」
龍王城の玉座の間にて、エアスト=リアスから散々に詰められていたミクシャ・ジグモンド。
そんな彼女の目の前に現れた極彩色の扉。中から現れい出たのは、タケル・エンペドクレスだった。
ああ、そうか、と。
終わったのだと、ミクシャは悟った。
『来い。お前には看取る義務と導く役目がある』
そう言われ、促されるまま扉をくぐれば、そこには一様に跪く同胞たちがおり、その中央には崩御した兄の遺骸があった。
「ゾルダ……こんな姿に成り果てて」
一見矮躯に見えても、存在感は誰よりも強かった兄。それが今や消し炭のような有様になっている。
すべてを出し尽くし、それでも尚敵わなかったのだとわかった。
死して辱めることもなく、タケル・エンペドクレスは我らが王の遺骸を我竜族へと帰してくれたのだと理解した。
そっと、赤子よりも軽くなってしまった兄の成れの果てを抱き上げ、周りを見渡す。例外なく同胞の手に力なく握られる白刃。
安住の地を持たず、ただ王という一点でのみ繋がっていた我らにとって、ゾルダの死はあまりにも重すぎる意味を持つ。
ならばこそ、新たなる希望が必要だと思った。
そしてその役目は、父と兄の血を引く己にしか成し得ないのだと確信した。
「傾聴せよ、我が同胞たちよ。兄、ゾルダ・ジグモンドは身罷られた。それは我ら我竜族の終わりと同義なのか。否、これは始まりである。私は次代の王、ミクシャとしてここに宣言する。恐怖と力による支配は終わりを告げた。今このときより、我竜族は生まれ変わるのだ。他を侵すことなく、奪うことなく、真に自立した誇り高き生き方を、我らが同胞と子々孫々に伝えていくのだ――!」
ミクシャの言葉に、我竜族の面々が顔を上げる。
眩しいものを見るように目を細めながら、懸命にその言葉に耳を傾ける。
「私は未熟な王である。皆の助けが必要だ。兄の後を追うことは許さん。ここにいる者、誰ひとりとして欠けることなく、今後も我竜族の繁栄のため、どうか忠義を尽くして欲しい」
おおおッ、と怒声にも似た雄叫びが起こった。
千人からの我竜族が滂沱の涙を流し、歓喜の声を上げている。
誰しにも生きるためには希望が必要なのだ。
ゾルダのような暴君にさえ、彼らは一族の未来という希望を託していた。
その希望のみを引き継ぎ、破壊や混沌は置いていく。兄の亡骸と共に禊をし、我竜族は変わらなければならないのだ。
『よく言った。ミクシャ・ジグモンドよ。ゾルダは龍神族の領地を侵略せんとしたが、それはあくまで王道であり、決して卑怯な手段ではなかった。おまえの兄は、その死を以って一族の誇りとなったことを知るがいい』
ミクシャにというより、我竜族全員に向けて声を張る。
タケル・エンペドクレスは真紅の外套衣を外すと、ミクシャが抱くゾルダの亡骸を包む聖骸布として与える。
兄をスッポリと覆いながら、ミクシャもまた全員へ向けて声を上げた。
「感謝するタケル・エンペドクレスよ。あなたのような方が次代の王となり、龍神族の領地を統べること、羨ましく思う。あなたを手本としながら、私も同胞たちと共に我竜族の王道を邁進することをここに誓おう」
『これよりは何処へ?』
「わからない。だが、私と兄の亡骸がある場所が、即ち我竜族の故郷となるだろう。ヒルベルトは広い。今度こそ私達は自らの力で、自分たちの領地を切り拓いていきたい」
タケル・エンペドクレスは大きく頷いた。
そしてヒルベルトに轟けと言わんばかりに宣言した。
『その気概やよし。とはいえ、それが尋常一様ではないことは想像できよう。なればこそ、ゾルダが身罷られたこの地にて陵墓を建立してはどうだ?』
「なんと……タケル・エンペドクレス、それは――!?」
『無頼の日々は終わりを告げた、ということだ。その罪も
「おお、なんという仁愛の心。感謝を――ジオグラシアの海より深く感謝申し上げる。タケル・エンペドクレス王――」
膝を折りそうになるミクシャの肩に手を置く。
『上も下もない。そなたは既に王なのだ。臣下の前で軽はずみに膝を折るものではない』
「ああ……ああ、そのとおりだ!」
我竜族は熱狂していた。
一連の会話の意味を、溶け出した氷が地面に染み込むように深く深く理解した。
彼らは叫ぶ。ミクシャの名を。彼らは謳う。エンペドクレスの名を。
今日という誉れ高い日に、ふたりの偉大な王の名を空へと叫ぶのだった。
*
見極めた。
幻魔族の男は、その光景を目に焼き付け姿を消す。
他の根源貴族の誰もが予想し得ない結果となった。
どちらかが討ち死にし、あるいは共倒れすることも考えられていた。
だが結果は共存という、魔族種の歴史の中でも初の試みが行われたことになる。
タケル・エンペドクレスは上も下もない、そう言っていたが、それを馬鹿正直に信じる魔族種の王はいないだろう。
誰がどうみても、我竜族は龍神族の庇護に下ったと見るのが自然である。
我竜族は龍神族の認可のもと、水源の袂に領地を得、龍神族は彼らを相手取り、様々な経済活動へ利用することが可能となるからだ。
物と金と労働力が循環し、非常に大きな利潤を双方に生むことになるだろう。
ならばこそ、幻魔族の男は瞠目する。
見事と。圧倒的な戦闘力を持ちながらこれほどまでに頭も切れるとは。
次代のエンペドクレスの名は伊達ではない。
真に恐ろしい王が誕生したものである。
(タケル・エンペドクレスの名を急ぎ我が王、メリザンド・アモーリーに知らさなければ。あるいは疾く使者を送り融和を模索するべきか――!?)
幻魔族の男――メリザンドが嫡子、バルバドス・アモーリー王子は持てる全力を以って自国領へと早馬を急がせるのだった。
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